第59話 不自然な社交場
「……あれは?」
セレスの視線の先。
一人の男が、立入制限区域へ向かっていた。
ノアもすぐに気づく。
「追うぞ」
短く言う。
ガルドも頷いた。
「分かった」
二人が動き出そうとした時。
セレスは足を止めた。
「僕は別で動く」
「……は?」
ノアが振り返る。
「聞いてないぞ」
「今言ったからね」
「そういう問題じゃない」
ガルドも呆れたように息を吐く。
「勝手に単独行動するなよ」
セレスは小さく笑った。
「勝手じゃないよ」
「僕には僕の役目がある」
その言葉に。
ノアとガルドは一瞬黙った。
セレスが何も考えずに動いているわけではない。
それは分かる。
「……仕方ない」
ノアは前を向いた。
「俺たちだけで行く」
「ああ」
ガルドも短く返す。
二人はそのまま、人混みの中へ消えていった。
⸻
一方。
会場中央。
ミラベルは貴族たちとの会話を続けていた。
「そうですね……」
少し迷いながら言葉を選ぶ。
完璧な受け答え。
それができているわけではない。
時々、返答に間ができる。
けれど。
最後には必ず。
「ありがとうございます」
柔らかな笑顔を見せる。
その姿を。
少し離れた場所からエルフィナは見ていた。
(……不思議)
ミラベルは、この場所に慣れているわけではない。
貴族との会話も。
空気の読み方も。
自分の方が上手くできる。
そう思っていた。
なのに。
彼女は。
不完全だからこそ。
それでも、相手と向き合っている。
「……」
その時。
「少し、席を外すわ」
エルフィナが言う。
ミラベルは振り返る。
「分かった」
そして。
小さく笑った。
「いってらっしゃい」
その笑顔に。
エルフィナは一瞬、言葉を失う。
(……)
緊張しているはずなのに。
ぎこちないはずなのに。
どうして。
そんな顔ができるの。
すごい。
そう思う。
同時に。
少しだけ。
ずるいとも思った。
自分は。
間違えないように。
失敗しないように。
ずっと気を張っている。
なのに。
私はーー。
ちゃんとできているのだろうか。
⸻
「考え事かい?」
声がした。
エルフィナが振り返る。
壁際。
そこに男が立っていた。
セドリック。
いつからそこにいたのか。
気づかなかった。
「君は優秀だね」
突然の言葉。
エルフィナは警戒する。
「……何を」
「君は周囲をよく見ている」
セドリックは穏やかに続ける。
「だからこそ」
「自分が完璧にできていない時だけ、気づいてしまう」
その言葉に。
エルフィナは黙る。
「一つ、頼みたいことがあるんだ」
セドリックが声を落とす。
「この任務」
「どうも、ある人物の動向が重要みたいでね」
「その人を見つけたら、注目していてほしい」
「……私に?」
「そう」
迷いのない返事。
「これは口外しないように」
「君なら感情で動かない」
「正しい判断ができると思っている」
そして。
「だから、君だけへのお願いだ」
その言葉が。
エルフィナの胸に残る。
任されている。
期待されている。
「……分かりました」
「期待しているよ」
セドリックはそう言って離れる。
「ああ、そうそう」
「君の相棒だったかな」
「さっき、男の人と一緒にどこかへ行ったみたいだったよ」
「まあ、何か理由があるんだろうけど」
「今夜は華やかな夜会だからね。気が緩むこともあるのかもしれない」
そのまま。
彼は人混みへ消えていった。
⸻
「……ミラベル」
エルフィナは小さく呟く。
「どういうつもりなの」
遊びじゃない。
これは任務だ。
私たち特別科に与えられた役目。
なのに。
彼女は。
「……」
少しだけ。
胸の奥がざわつく。
でも。
すぐに切り替える。
任務を優先しなくてはーー
しかし。
戻った場所に。
ミラベルはいなかった。
エルフィナは周囲を見る。
「どこへ行ったの?」
けれど。
見つからない。
「……」
短く息を吐く。
「仕方ない」
任された。
なら。
やるしかない。
「私がやるしかない」
エルフィナは静かに前を向いた。
――エルフィナがその場を離れた後。
人の流れから少し離れた場所で。
「ミラベル嬢」
穏やかな声が響く。
振り返ると、一人の老紳士が静かに一礼した。
ヴァルメイン公爵。
先ほど、夜会の席で挨拶を交わした貴族だった。
「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「……私ですか?」
思いがけない申し出に、ミラベルは目を丸くする。
「ええ」
公爵は穏やかに微笑んだ。
「先ほどお会いした際に、一つ気になるものが目に入りまして」
そう言って、公爵の視線が胸元へ向けられる。
ミラベルは反射的にペンダントへ手を添えた。
「こちらでは人目があります」
「場所を移して、お話しできればと思うのですが」
その声音は終始穏やかだった。
だが、その瞳だけは真剣だった。
「……分かりました」
ミラベルは小さく頷く。
二人は人混みを離れ、静かな回廊へと歩き出した。
その背中は、やがて夜会の喧騒の中へ溶け込むように見えなくなった。




