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ひきこさん


「私には、名前なんてないわ」


甲子園の魔物は、そう言った。


(まもちゃん、などはどうだろうか)


佐藤政宗は、そう考えていた。


無論、魔物から取ったチャーミング極まりないあだ名である。


しかし高校球児には、女子を下の名前で、その上ちゃん付けで呼ぶという機能は備わっていない。


高校球児にとって女子への呼称、それは名字を呼び捨てにする以外の選択肢は無いのだ。


・・・・・・ぽつ、ぽつ・・・・・・


「降ってきたわね・・・・・・」


雨である。


佐藤政宗にとって、天候の概念は無いに等しい。

暑い、寒い、ちょっと涼しい、ずっと今日くらいの気温だったらいいのに。

そんな考えは、鋼の肉体の前では塵芥に等しいのだ。


そして、雨を代表とする空からの飛来物に関しても。

落雷に直接打たれ続けながらもバットを寝かせずに素振りをするのが高校球児であり、

ハリケーンに飲まれたなら投球への影響を弾き出して球の握りを調節するのが高校球児なのだ。


しかし、高校球児以外の物質にとってはそうではない。


例えば、雨の日に現れるやつがいる。


「こいつが、そうよ」


気づけば、それはマウンドからバッターボックスほどの距離に立っていた。



女だ。




尋常ならざる恨めしい雰囲気を纏う女が、雨の中、こちらを見ていた。


「あれは・・・・・・ひきこさん」


「ひきこさん・・・・・・?」


「人間を死ぬまで引き摺り回す怪異よ。その生態は引きこもりであると言われているわ」


佐藤政宗は、拍子抜けした気分だった。


引きこもりとは、運動不足である。


佐藤政宗にとって、その言葉は存在こそは知っているが理解ができない概念であった。

運動が不足することなど、高校球児の人生において起こり得ない事象だからである。


しかし、身体能力が低いのであれば。


怪異として退治をする上では、こちらにとって好条件以外の何物でもない。


しかも相手は、投手にとって最も得意とする距離に立っている。


佐藤政宗は振りかぶる。


ブォンッ!!


空を切り裂く鋭い音と共に、白球が音速の壁を突き破る。


ゲームセット・・・・・・



かと、思われた。



「まさかな・・・・・・」



ーー避けられた。


信じがたいことだ。


この世の直線を描く物理的発射の中で最も高速であるはずの佐藤政宗の投球が、である。


「そうか!」


甲子園の魔物が声をあげる。


「なんだ、どうした!」


「引きこもりは全員FPSをプレイしているわ!おそらくひきこさんの動体視力と反射神経はそれによって鍛えられているのよ!」


盲点であった。


佐藤政宗はじめ高校球児たちが球を放る、バットを振るう、それらの行為に心血を注いでいるように。


引きこもりとは、射線を切ることに心血を注いでいるのだ。


しかも今の投球の軌道は、頭を狙ったものだった。


FPSプレイヤーが最も警戒する、ヘッドショットそのものである。


即ち、引きこもりが何千何万回と繰り返してきた、頭への射線を切るという行為。


それをなぞるだけならば、ここは熱血高校球児のグラウンドではない。


ただの、射撃練習場なのだ。


「まずい、来るわ!」


ひきこさんが、ゲーマーとは思えぬ身のこなしであっという間に政宗の脚を掴む。

皮肉にも足首へのエイムは完璧だった。


その腕力もまた、ゲームパッドより重いものを持ったことがないはずのFPSプレイヤーとは思えぬ剛力で、政宗は足首を引っ張られて転んでしまう。


「ぐっ・・・・・・!」


ひきこさんが、政宗の身体を引き摺り始める・・・・・・


ズズ・・・・・・



引き摺り始めていた・・・・・・


はずだった。


ズズ・・・・・・ズズ・・・・・・


片脚を前に出して、身体は寝そべるように地に沿う姿勢。


ズズズ・・・・・・


高校球児にとって、前ならえより馴染み深いこの姿勢。


ズズズズ・・・・・・!


そう、



スライディングである。



ズザァァアーーーーーッ・・・・・・!



ひきこさんに引っ張られ、地面との摩擦音を挙げて引き摺られていたかのように見えた佐藤政宗。

しかしその実、政宗は自らの意思でスライディングをしていたのだった!


「そうか・・・・・・彼ほどの球児であれば、スライディングの姿勢さえ取れば静止した状態からでも加速が可能・・・・・・」


その通りだった。


事実政宗はスライディングの姿勢のままどんどん加速し、引っ張っていたつもりのひきこさんをそのまま追い越してさらに加速!


政宗の片足を掴んだまま、ズルズルと引き摺り回されるひきこさん。

なおも加速を続ける政宗は、フォルムも相まってさながらF1カーのようであった。


「そして人を引き摺り殺す怪異であるひきこさんが逆に引き摺られてしまった時・・・・・・」


ひきこさんの身体が、徐々に内側から、1台あたり約14万ルーメンの光量を誇る甲子園球場のスタジアムビームの如く発光し・・・・・・


「怪異としての存在を保つことができず・・・・・・」


その身体は・・・・・・



「自壊する」



一時は危うしと思われた雨天試合。

佐藤政宗は、文句のつけようのない逆転満塁ホームランを決めたのだった。

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