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71 ローゼンゴットの忍耐はどこだ


 国立サルートス上等学校において全校生徒が講堂に集められるのは入学式と卒業式ぐらいだろうか。それなりの催し物ならフェリティリティホールが使用される。

 それぞれの校舎別、学年別、クラス別によって整列していく様子は、かつてとある王族が高位貴族達の低位貴族達に対する横暴を糾弾した時のことを思い起こさせた。

 あの時の苛烈さはあまりにも凄まじく、一生徒による恐怖統治と言っていい有り様だった。それなのに国王夫妻も大公夫妻も、「それがどうかしたのか?」で、取り合わなかった。

 当時の学校長が王女トフィナーデに泣きつき、そうして王女によるとりなしと妥協案により、それ以降は誰もが貴族子女としての礼節を重んじるようになったわけだが、国立サルートス上等学校闇歴史として皆の心に仕舞い込まれ、なかったことになっている。

 今回は別に王子エインレイドがそれに倣って立ち上がったわけではない。


(エリー王子が動く時はアレルちゃんが計画立ててディーノ君とダヴィ君が根回し、リオ君が後方支援ってとこか。最悪だな。一人一人ならおとなしいもんだが、アレルちゃんが読めん)


 ありがたいことに愛されて育った末っ子王子はそこまで義憤に駆られることもなく、おっとりと日々を過ごしていた。

 日常的にとある子爵家の双子達に価値観を壊されては立ち直ることを繰り返しているが、たいしたことじゃない。

 このまま常識的かつ健やかに育ってほしい。

 双子達のかぶっている猫はとても大きいが、かぶりきれずに中身が見えている。

 王子エインレイドは双子のあからさまな大嘘と猫かぶりを間近で見てしまったことにより、だから世の中には監査というものが必要なのだと学んだ。誰もが正しい報告をするわけじゃないことを今の王子はよく知っている。

 問題は虚偽報告すれすれの灰色報告の仕方まで教えるクラブ長の存在だが、王子の性格に異常が出ないかどうかが心配だ。


「学校長先生ってアレルのこと信頼してるよね。普通、全校集会なんてするかなぁ」

「エリー王子は並ばなくていいんですか? というより、ちゃんと並びなさい。決まりが守れないなんて悪い子の始まりですよ」


 アレナフィルの送迎という仕事だけで考えるならもう戻ってもよかったが、私は全校集会を見てから戻ろうと演壇の袖口からその様子を見ていた。

 なぜかエインレイドもいるのだが、この王子は自分が所属しているクラスを覚えているのだろうか。こういう時まで追いかけてくる生徒もいないだろうに、このままでいいのだろうか。

 素行も勉強も問題ないから見過ごされているだけで、所属しているクラスに戻らずクラブメンバーと好き勝手している王子は不良の道に入り込んでいないだろうか。


「そうなんだけど僕はここにいた方がいい気がする。だってアレルが何言い出すか分かんないし」

「王子に対して他の者が補佐することはあっても、どこぞのミニ悪女のしりぬぐいをする為に王子がいるわけじゃありません」

「アレルって悪女かなぁ。いつだって一生懸命で可愛いよ」

「さて。寮監達には違う意見もあるのでは?」


 ちらっと私が2階エリアを表情筋だけで指せば、エインレイドもそちらを見た。

 寮監という立場は寮内の管理監督責任者であって、学校つまり全校集会には全く関係がない。それでも2階から見張っている彼らにとってアレナフィルは要注意人物だろう。

 大切な王子様を悪の道に引きずりこむ不良娘ってところか。気持ちは分かる。分かるんだが、私も微妙な立場だ。


「それはアレルを可愛がらないからさ。アレル、自分に優しい人にだけ可愛い子だからね。可愛さのムダ撃ちする気は無いんだって」

「どこまで計算高いんだか。真似しちゃいけませんよ」

「真似は無理だ。僕は誰に対しても一定のラインがある。アレル達はリスト外だったけど、本来は厳格に僕の行動は決められている。アレルだけが特別だ。子爵が父親じゃなかったらこうはならなかっただろうね」


 いつしか口調の変わったエインレイドは、アレナフィルには見せない表情を浮かべていた。

 我が国における王侯貴族子女はその家柄や家門の勢力など全てリスト化されている。幼年学校時点でエインレイドもその顔を見ながら名前を覚え、データを頭に叩き込んでいただろう。

 共に校内で勉強したり遊んだりしていい相手、休日に城へ招いていい相手、休日に遊びに行っていい相手など、王子の交際関係における全ては侍従達によって決められており、完全自由な選択などない。

 それがなぜか上等学校へ進学した途端に側近候補達が暴走し、平民に近い取り巻きを使ってエインレイドを追い込みにかかった。結果、逃走した王子は番狂わせが重なって子爵家の娘達とクラブ活動を始めて一蓮托生な日々を送っている。

 王子の生活や行動を指導し、いずれ大きな影響力を持つ筈だった侍従達の思惑不発事態を考えると指差して笑ってやりたいぐらいだ。

 今のエインレイドは侍従達に何を言われたところで、

「参考程度に聞いておくね」

で、どこまでもスルー。

 国王もまた、

「学年最優秀な貴族の娘すらリストから抜け落ちていたいい加減な仕事ぶりの中、よくぞエリーもあんな子達を見つけ出したものだ」

と、息子を褒めて終わり。侍従達、返す言葉もない。

 王妃に至っては侍従が管理していた息子の教育関係を自分が掌握したものだから、

「今までの王子や王女が学んでこなかったことまで学ぶ余裕が生まれている今、元に戻す意味があるのかしら。過去の王女や王子に遡って見直すべきね。選抜される前の記録と、選抜された後の記録を」

と、選抜された後の成績調査を命じた。侍従達、そうなると選抜された後に学友達の試験成績がそこまでふるわなかった理由をどう報告すべきか分からず、うだうだモードだ。

 勿論、どの学友もそれなりの賞を取っていたり、特技もあったりしたが、そんなのはある程度の鼻薬でゲットできる。皆を唸らせるような演奏技術とて、その曲ひとつに絞って練習していれば取り繕えるものだ。

 最初の学友に選ばれてしまえば後は実家の力でどうにかなる。それが現実だった。


(実際、試験問題流出疑惑なんざ数えきれん程あった。だから試験成績とて完全じゃない。アレルちゃんが全学年の試験を受けたというのも、どうせ入試問題流出を疑っていたからだろうよ)


 あのクラブ活動を見ていれば分かる。アレナフィルが異常なのだ。クラブ活動とか言いながらどこまでもクラブ方針と関係ない内容で遊んでいる。

 ヴェラストールの博物館で買ってきたミニアニマルぬいぐるみを使った歴史ゲームとやらは、アレナフィルが昔作って遊んでいた物を持ち込み、クラブメンバーが同じものを作って持ち帰ったところまではよかった。エインレイドは姉王女の子供がもう少し大きくなったらプレゼントするつもりだ。

 しかし、どうせなら自分達の年齢に合わせたもっと難しいものをと少年達は考えたのである。アレナフィルに言われてその気になったクラブメンバーは図書室から歴史の本を借りて作成中だ。

 しかもただの歴史ゲームだけなら真面目すぎてつまらないからと、アレナフィルはゴールするまでにプレイヤーは婚約したり浮気されたり結婚したり離婚したり子供ができたり借金ができたり領地を得たり左遷されたり性転換したり嫁いびりしたりされたり孫に幽閉されたりとかなり忙しいことになる歴史上の人物に起きたことを人間ポイントとして導入させた。

 早くゴールできても人生ポイントが低ければ負けるのだ。

 国王夫妻は息子がクラブ活動で作った子供向け歴史ゲームを見た時まではにこにこしていたらしい。模造紙に手書きで作られていたので、いずれ孫が成長したらプレゼントされるのだからもっと厚みのある紙に印字させてもいいだろうと、勝手に製本工房へ発注を出した。

 そこまではよかったが、クラブメンバーが自分達レベルで作り始めた「正統派歴史ゲーム」と「闇に葬られた戦慄・恐怖のダーク歴史ゲーム」における人生ポイントシステムを知って表情が固まったらしい。

 なぜなら歴史上の偉人とは決して順風満帆な人生ではないからだ。


(そりゃ息子と通話していて、

「どうしたのかしら? 何か元気がないわね」

と、尋ねて、

「ああ、うん。ちょっとダヴィと結婚したと思ったら全財産取られて放逐されたんだ。その前には僕、ディーノと結婚して領地を増やしたからいい感じだったんだけどね」

とか言われたら誰だって顔が引き攣るっつーの)


 更に闇に葬られた戦慄・恐怖のダーク歴史ゲームは、

「隠居したとされているが、実は翌年に暗殺された」

とか、

「長男は病死し次男が跡を継いだ。その次男は既に殺されていて影武者だったとされる。後見人が全権を握った後に次男は死亡。要は用済みってこと」

とか、

「一人息子が後を継いだが、実は不倫の子と噂された。その根拠は他にその城主の子を誰も妊娠しなかったから。城主が手を出した女の数は分かっているだけで41人」

とか、そういう裏事情ばかりでできている。そして正統派と違い、不幸や悲惨なマイナスポイントが多い程、闇が深いとして勝利するのだ。不幸自慢に陥るゲームらしい。

 ただの正統派歴史ゲームだけなら感心されただろうに、どうしてあのミニ悪女はそんなポイント仕様までつけてダメな評価も漏らさずゲットしていくのか。多感な時期の少年達にどうして人間不信を植え付けていくのか。


(大公邸では何かとみんなに甘えてるが、こっそり自分に何かをねだってくるタイプとは距離置いてんだよな。だから一人でいたがるのかもしれん。人を疑うのは疲れる。あの子は人を信じてない)


 そして誘拐犯から口止め料という名の慰謝料を取り損ねた守銭奴ミニ悪女は、子供が関与できる金稼ぎについて法律を調べ始めた。クラブメンバーもそれぞれ家人に尋ねて協力している。

 未成年でも王族という立場による特例が存在する為、エインレイドは財務関係の役人の所まで問い合わせを出した。

 

(誰しも家の稼業をある程度は学んでいる。本来の学友ならそこまで詳しくは聞けないし言う筈もないことでも、あの五人なら知恵を出し合いながら話してしまうから楽しいんだろう。そりゃ今更元には戻りたくないってか)


 成績がいいだけなら過去にも秀才はいた。人脈による利益を叩き出した天才もいた。

 しかしアレナフィルの年齢と身分で税関事務所にまで入り込んでやらかした生徒はいない。そしてわざと誘拐されて大金を稼ごうとした貴族令嬢も。

 ガルディアスは可愛がっているだけだが、エインレイドはその面白さにアレナフィルを手放せない。

 責任問題が発生した時に他の生徒達の人生が変わることもある為、今までの王子や王女はクラブ活動を控えるようにしていたが、アレナフィルはそこをクリアした上でエインレイド達の成績を上げてみせた。

 今、アレナフィルに不慮の事故が起きてくれればと願っている者は多いが、国王が認めた権限と双子達の行動力を考えれば手を出しにくい状況だろう。


「アレンルード君の方がいいと皆が望んでいることぐらいお分かりでしょうに。エリー王子は受け流すのが上手になりましたね」

「僕を納得させられない時点で聞く価値はないよ。父上だって僕の選択を理解してくださった。さすがにウェスギニー子爵の反応が心配だったけど、言ってることと思ってることが違うみたいだから表情と行動で判断することにしてる。元々、僕は子爵のこと嫌いじゃない」

「・・・何をやってるんですか、あなたは。彼の異名ぐらいご存知でしょう」


 誠実な悪夢と呼ばれるウェスギニー子爵フェリルド。彼に依存したら終わりだ。


「仕方ないよ、アレルは子爵の娘だ。それにアレルに確認とれば結構スムーズだよ。子爵にとって子供の僕は何の価値もないから融通してくれるんだろうね」


 王子の名前はそれだけで特別だ。

 クラブメンバーで色々な資格試験を受けても、場合によっては気を回した資格授与最高権限者が王子の名前だけで資格を与えてしまうことはあり得る。

 ミディタル大公邸に娘の顔を見にきた時に相談されたウェスギニー子爵はどこに連絡を取ったのか、国王に架空の戸籍と名前を渡すことを誰かから提案させたらしい。その免許や資格をとるという子供達のブームが終わったら、その架空の名前を一斉に王子エインレイドの名前に変更すればいいと。

 その際は王城が免許や資格を司る部署へ一斉通達することになるだろう。


「あなたが何の価値もないことはありません。便利だからと彼を頼るようになったら何もできなくなっていく蟻地獄にはまるだけです」

「アレルの父親である以上、子爵の了承は必要さ。他の父親なら僕の妃候補にと乗り出してくるが、子爵はそんなこともない。子爵には普通の貴族と違う行動理念があるって考えればなんてことないよ」


 駄目だ、これは。

 フェリルドを嫌っていた筈の大公妃だけじゃなくガルディアスやグラスフォリオンまでが彼に興味を抱いているというのに、エインレイドまでとは。

 成人した人間は自己責任として諦めるしかないが、未成年の王子だけは距離を置いていてほしい。

 私とて偽名での受験などできるわけがない、戸籍をどうする気だと思っていたが、さすがは工作部隊というべきか。エインレイド用に温存していた戸籍を提供すると、ウェスギニー子爵が差し向けた人間は国王へその存在を明かしたそうだ。

 ガルディアスが、なんでそんなものがある、聞いたことなかったぞ、それなら俺の分もあったんじゃないのかと、ぶつぶつ文句を言っていた。


「それをあなたの立場で許容してはなりません。アレルちゃんと仲良しだからと、警戒心を緩めてはならないのです。なんらかの脅迫を受けてアレルちゃんが誰かの傀儡となることだってあり得るのですから」

「僕はまだ子供なんだからそこまで口出ししないでよ。アレルは僕が見つけたんだ。横取りは駄目だからね。姉上から話を聞いた義兄(あに)(うえ)だって、ファザコンとブラコン、マザコンとシスコンは不治の病だから王子の僕といても迫ってこないんでしょうねって感心してたよ」

「それは呆れていたと言うのです。アレルちゃんがあなたの価値を理解していないだけです」

「それよりアレルが図書館で会った人って誰か分かったの?」


 この話は終わりとばかりにエインレイドが質問してくる。

 可愛がられて育った王子はアレナフィルとは違った方向で甘え上手だ。私も王子と遊んであげた記憶があるから厳しく接することができない。


「アレルちゃんが人違いしただけで、彼は我が国の取るに足りぬ平民にすぎないという返答が来ています。ただしトラブルに巻き込まれていることを確認した時は即座に保護し、ウェスギニー大佐へ速やかな報告を行うようにと。尚、保護する際には賓客として扱い、無礼な真似をした者は一族郎党の処罰を覚悟せよとも付け加えられていました」


 父親が娘の人間関係を把握していない筈もないだろうと問い合わせたところ、ウェスギニー大佐の部下が返答してきた。

 どこまでも人を馬鹿にしていやがる。

 そんな私の様子に、眼鏡(メガネ)を外して紫から本来のローズピンクの瞳に戻っているエインレイドが眉間に皺を寄せてしまった。つんつんとその眉間をつつけば、ぷぅっと頬を膨らませて両手をバッテンにして額をガードする。

 学校では青紫の髪に染めている筈が、今は本来の淡紫の花色(ライラック)の頭だ。無駄な変装はやめることにしたのだろうか。


「それを取るに足りない平民って言っちゃっていいの? それに子爵、いつも不在だよね?」

「ウェスギニー大佐の部下でも、子爵邸のレミジェス殿でも連絡さえすればすぐに動くそうですよ。ウェスギニー大佐は窓口で、恐らくは国王、もしくは将軍か大臣案件かと」

「やっぱり父上なんだ。今度聞いてみよう。僕も外国に行く時、その国の上層部には僕のことを伝えた上でそこそこ自由にふるまえる身分を臨時で作ってくれることもあるんだって。公式訪問じゃなくて、あくまでプライベート旅行の場合だけど」


 なんだか嫌な予感がした。現在、アレナフィルは臨時婚約者の国へ旅行計画を立てている。

 あの悪辣ウサギは好きにすればいいが、王子が行くのであれば陸続きの国にしてもらいたい。我が国の友好国であることは絶対条件だ。


「あなたの旅行についてはともかく、彼に関してはその結果を教えてくださると助かります。アレルちゃん、お菓子もらって仲良くなっていましたからね。こちらも護衛として対応を考えねばなりません」

「いいけど約束はできないよ? だってネトシル殿が問い合わせてそういう返事だったなら僕だって口止めされるかもしれないし、父上のことだから教えてくれないかもしれない」

「無理にどうこうじゃありません。こっちも誰を警戒して誰を警戒する必要がないのか全く分からない状態ですから少しでも縋っておきたいのですよ」


 うんうんとエインレイドが訳知り顔で頷く。

 以前は、

「そうなんだ? 色々とあるんだね」

と、相手の事情を頷きながら学ぼうとしていたというのに、最近はどこぞの凶悪ウサギが、

「大人の世界は子供の世界よりも無駄な段階を踏むものなんだよ。それを尊重するのは大事だけど無条件で尊敬しちゃダメ。若さならではの良さを否定する必要はないんだからね」

と、変な知恵をつけてしまった。

 あの礼儀知らずウサギはミスを防ぐ為のダブルチェック、トリプルチェック、報告・連絡・相談は評価するが、そうじゃないものはただの見栄や権威自慢だと言い捨てる。

 だから中身はババアだとガルディアスに言われてしまうのだ。


「子供相手じゃさすがのネトシル殿も大変だね」

「全くです。殴れば終わる奴らなら話も早いのですが、これも修行でしょうね。可哀想だと思ったらエリー王子も少しはアレルちゃんを抑えてくださいよ?」


 国王も息子相手なら情報を流してくれると信じたい。こちらが情報を求めているということを伝えてくれるだけでも、何らかの配慮を見せてくれるかもしれないのだ。

 あの非常識ウサギのせいでこちらがどれ程に苦労させられているかを是非知ってほしい。

 どうしてあんな子ウサギに出し抜かれなくてはならないのか。


「アレル、自分にとって優しい人かそうじゃない人かだけで分けてるからね。問題は優しい人がアレル持ち帰っちゃうかもしれないことだよ。知らない人には警戒心が凄いからいいんだけど」


 アレナフィルはミディタル大公妃や家政婦のエイルマーサに何かとくっついている子だ。エイルマーサもクラブルームに私達が迎えに行く度、寂しそうな顔をする。

 それでもウェスギニー子爵邸よりも今はミディタル大公邸の方が安全だった。子爵という身分上、会わせてほしいと言われたら断れない相手は存在するからだ。


「今のところ持ち帰るのは大公妃様だから問題ありません」

「そう? ガルディ兄上やネトシル殿もよく持ち帰ってるよね」

「回収していることはあるかもしれませんね」


 ウェスギニー子爵フェリルドの私邸周辺はガイアロス侯爵家が工事予定だが、いずれアレナフィルが自宅に戻っても週に数日は大公邸で過ごさせようとミディタル大公妃は考えている。

 そしてウェスギニー前子爵セブリカミオは、アレナフィルを自宅ではなく子爵邸で生活させるべく改めて双子の部屋を工事中だ。大公邸で何を喜んでいたとか、どういうものに興味を示して、どんな味付けにはまっていたとか、ついでにどんなところに入り込んで秘密基地を作ろうとして失敗したかを報告がてら、前子爵セブリカミオとの時間をとったが、思ったよりも双子の子爵邸における部屋が広いことに驚いた。

 その双子達は部屋が広くて寂しいからと叔父の部屋で生活しているらしい。子供のうちはそれでいいが、そろそろ自分達の部屋で生活させねばと子爵邸でも考えているとか。

 同居している筈の父親は家のことを家政婦に任せきりなので、誰も発言を求めていない。

 肝心のアレナフィルは国外脱出して外国人婚約者の自宅と財産を貢がせるつもりだ。どこまでもダメすぎる。


(あれ以上に愛した存在はいないと言いながら三年で婚約解消予定。意味不明だろ。それとも臨時婚約者、本気で成人したアレルちゃんには愛情を持てないとかか? だから今のうちに貢がせられるだけ貢がせるつもりなのか? 誰よりも愛した存在をカモにする時点で愛はないだろ)


 聞き出したところであの悪辣ウサギが本当のことを喋るとも思えない。

 ヴェラストールでも感じたが、アレナフィルは基本的に自分可愛さありきだ。飲食店のオーナーに同情して大量に熊肉を買いながらも、トラブル防止でキセラ学校長を窓口にして保身を図っている。

 夜行列車では知らない人は全て敵だとばかりにクラブメンバーにどこまでも人を疑うように指導していた。

 ミディタル大公妃のことは好きらしいし、ガルディアスのことも信用しているようだが、自分の置かれている状況になるとだんまりになる。そのくせ懐いたら情報を流してくるのだから(たち)が悪い。

 無理に聞き出そうとしたら泣くだけだから何も聞くなと言ってきたのはガルディアスだが、強引に聞き出してその情報を利用しようとしたならアレナフィルは完全逃走するのではないかと私も感じた。


(いいさ。それでも律儀にメリットを渡してくるウサギ娘だ)


 アレナフィルは利用価値がありすぎる。だから誰もがあの子に関与したがる。

 それなのにウェスギニー子爵フェリルドはこの状況を分かっていながら不在にしてばかりだ。

 ・・・試されている。

 そう思えて仕方がない。

 ガルディアスにせよ、グラスフォリオンにせよ、他の誰にせよ、今の時点でアレナフィルを守り通せないのなら成人してからの彼女を手に入れさせる価値はないと、あの男は考えているのではないか。

 娘の能力を理解していなかった筈がないのだから。

 ガルディアスの幸せを願いながらグラスフォリオンに肩入れする私は部外者ながらもどう思われているのか。


(誠実な顔をした悪夢。もし彼が・・・)


 その答えを知るのは国王だけだ。

 だが、もしもそうならアレナフィルは国王となる王子の妃にはなれない。





― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―





 講堂では全教員、全校生徒を前にしてアレナフィルを横に立たせているキセラ学校長が穏やかに語りかけていた。


「立て続けにここまで我が校の生徒がニュースとなったことはここ近年ありませんでしたが、我が校における生徒の皆さんは落ち着いて行動できると信じています。そして被害者のウェスギニー君もまた変わらぬ日常生活を続けたいと願っています。

 エインレイド殿下と同じ時代にこの学校に(つど)ったあなた方は選ばれてここにいるのです。どうかその自覚を忘れず、己に恥じない行動を心がけてください」


 学校長の横で真面目な顔をしているアレナフィル。普段は一つにまとめてゴム紐で結んでいるだけの髪を、今日は可愛らしく編み込んでまとめ、ひらひらするリボンをつけていた。

 だからだろう。まだ一年生のアレナフィルはほとんどの全校生徒達と比べてしまうと小さく、そして無力な女の子に見える。

 それでも背筋を伸ばし、美しく腰を落とすようにして対等な相手への礼をとったアレナフィルの姿は小さな貴婦人だった。


「ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルでございます。この度は不本意ながらも私の姿がニュースや新聞などで流れてしまい、世間を騒がせてしまったことをとても残念に感じております。

 今、倉庫に運ばれて全てに検閲が入っているという私宛のお見舞いのお手紙などですが、この学校の方からも出されたものがあると伺いました。そのお気持ちに心からの感謝とお礼を申し上げます」


 実物を目の前にすると、人は値踏みに入るものだ。

 全ての視線がアレナフィルに集中・・・・・・いや、クラスの列に並ばず薄暗い2階に寮監達といるアレンルードだけが全く違う方向を見ている。

 全くどいつもこいつもクラスの列に並ぶという当たり前の行動がとれないのだから嘆かわしい。クラスの担任教師は何をしている。

 アレンルードはアレナフィルを見ている全校生徒達を観察に入っていた。マレイニアル達もアレンルードには好意的らしく、何か尋ねたアレンルードに優しい表情で何かを教えている様子だ。


「ですが私を見てひそひそと噂話をされるのは迷惑です。この場をお借りしましてある程度のご質問には答えますので、私のことは今後かまわないでくださるようにお願いいたします。それでは質問のある方は挙手を」


 どこまでも喧嘩を売ってやがる。さっきまでの感謝とお礼、どこに行った。

 さっと手を挙げた生徒達はかなりの数だった。


「では、・・・そちらの端から2番目、後ろから3番目の方、どうぞ」

「経済軍事部6年、レムーロ・ディリラ・セイファロンドと申します。まずは幼くも勇敢な令嬢に心からの敬意を。あの誘拐と火災にエインレイド殿下が巻き込まれていたらどうなったことでしょうか。一生徒として我が国の王子殿下の側にあなたのような生徒がいてくださったことに感謝いたします」


 すっと起立した男子生徒は穏やかに微笑み、アレナフィルに語りかける。その声はとてもよく講堂内に響いた。

 いきなり6年生、しかもかなり大柄で背の高い男子生徒を当てると思っていなかったのか、当てられなかった女子生徒達は困惑した様子だ。


「恐れ入ります。私はサルートス幼年学校に通っておりませんし、校舎も違いますのでエインレイド殿下のお顔を存じ上げず、ただの男子生徒だと信じてお友達になったのが始まりでしたが、エインレイド殿下と行動を共にするにつれ、多くの方がエインレイド殿下を愛しておられるのだと改めて感じております。

 それでも私に感謝すると言ってくださったのはレムーロ様が初めてです。

 最初とは常に特別なもの。この縁をもってレムーロ先輩と呼ばせていただいてもいいでしょうか?」


 なんという茶番。

 1番目の生徒がこう出てしまえば、次の質問者も手厳しいことなど言えないだろう。

 肝心の王子は、うわぁ信じられないという表情になっていた。普段の偉そうな口調が鳴りをひそめ、アレナフィルはとても礼儀正しい女子生徒を装っている。

 大きく頷いてみせた男子生徒は、他の生徒達とは一線を画す貫禄があった。


「無論のこと。今、この場よりどうかただの先輩ではなく、実の兄とも思って頼ってほしい。兄が妹を無償で守るが如く、先輩として後輩たるウェスギニー君の味方となることをここに誓おう」


 え? 何言ってるの? といった空気が講堂に流れる。

 趣味や交流を通じて貴族子女における義兄弟、義姉妹の契りを交わすことはあるが、あくまで同性間の密やかな盟友といったものだ。異性間では義兄弟、義姉妹寄りの友情どころか、普通に恋人関係になってしまうではないか。

 従兄妹といった血縁的な繋がりがあるならともかく、二人は赤の他人である。

 セイファロンドはアレナフィルではなく全校生徒を見渡し、自分を見つめているいくつもの眼差しに無言で頷いた。

 ぱんぱんっと両手を打ち合わせて皆の注意を引きつける。誰もが注視する中、空気を割るような大音声が響き渡った。


「聞けっ! 我がクラブメンバー達よっ!!

 過去の先輩方に誓いっ! 第32代目長柄槍術クラブ長レムーロ・ディリラ・セイファロンドはっ! 王子殿下の為に立ち上がった一年生ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィル嬢を裏切ることなき正義の味方となることをっ! ここに宣言するっ!!」


 おおっと講堂内の空気が震える。


「クラブ長ぉおっ」

「きゃーっ、素敵ぃっ」

「カッコいいですっ、僕もついていきますっ」

「私もついていきますぅっ」

「さすがクラブ長っ」

「うぉおおおっ、槍術クラブ万歳っ!」


 長柄槍術クラブは男女混合の体育系クラブだが、男子メンバーは強さを、女子メンバーは優雅な動きを追求するクラブだ。大抵は槍術(そうじゅつ)クラブ、(やり)クラブと縮めて呼ぶ。

 各学年にクラブメンバーがいて、ボーイズメンバーは戦い方を、ガールズメンバーはひらひらと舞うように槍をつかって美しく体を動かすことをメインにしていた。練習は長い棒を使って行われるが、相手と距離を取って戦うやり方が身につくので、このクラブを出た女子生徒は護衛もできる人材として就職の間口が広がるメリットがある。


「ふっ」


 クラブメンバー達の反応にセイファロンドが口角を上げて笑った。


「長柄槍術クラブは代々男子生徒がクラブ長となってはいるがっ、女子生徒と共に戦い、女子生徒の名誉を守る為に設立されたクラブであるっ!! この理念は変わらんっ!! そして我らがクラブ女子メンバーもまた我らが守るべき姉妹達なりっ!! それは男子メンバー全員に共通するものであるっ!!」

「クラブ長、最高ですぅーっ」

「言わないでぇーっ、クラブ長の魅力は私達だけのものなんですからぁっ」

「もう女子メンバー増えなくていいから言っちゃ駄目ぇーっ」


 恥ずかしげもなく堂々と言うからこそなのか。教師達の声よりもはるかに大きく、ゆえに説得力があった。

 熱く濡れた瞳で見つめる女子生徒が一気に急増しているが、それは特に経済軍事部ではない生徒達に多く見られた。

 

「こらこら。みんな仲良く、手を取り合わなきゃな」


 女子クラブメンバー達に微笑みかける様子は、まさに女友達に不自由している男子生徒達が呪いをかけずにはいられない爽やかさだ。それでいて男子クラブメンバー達はわくわくした表情で自分達のクラブ長を見つめている。

 クラブ練習場ならいざ知らず講堂でやっていいことではないだろう。最近の若い子にはついていけない。

 (あらかじ)めこちらにお伺いを立ててきた礼儀正しさは評価するが、あの四人、アレナフィルよりもミディタル大公が本命と考えられる顔ぶれだった。

 女子クラブメンバー達の反応を見ると信頼されているのだろう。これならば部下の女性に性的な何かを強要することはなさそうだ。

 なんだかなぁと思いはするが、有望マークはつけておくか。

 質疑応答が何故か一クラブの独壇場となった事実に、生徒達のほとんどは困惑しながらも注目していた。


「我ら長柄槍術クラブは正々堂々っ、清廉潔白を旨とするクラブだっ! クラブメンバーもまた正義を守る誇りある生徒で構成されているっ!

 卑怯を唾棄せよ! 我らは正義と共にあり!!」

「「「「「イエス、サー!!」」」」」


 片腕を振り上げたクラブ長の声に、あちこちのクラスに存在するクラブメンバーが一斉にざざっと立ち上がり、やはり片腕を高く掲げて応じる。

 肝心のアレナフィルが顔を引き攣らせていた。

 やることなすこと非常識な割に、アレナフィルは鍛錬場から響いてくる怒声や号令にビクッと飛び跳ねては怯えて隠れようとするところがある。

 今もクラブメンバー達の一糸乱れぬ動きに、さっと学校長の後ろまで下がっていた。

 常に自分の安全スペースを確保する根性は立派だが、学校長の後ろからこそっと顔だけ出しているのだからどうしようもない。

 学校長はにこにことして、大丈夫ですよと声をかけていた。


「ちょっと待ったぁっ!! 規律を重んじ、正義の為に戦うならば我がミヌェーバ流片手剣術クラブをおいて他にないと言わせてもらおうっ!!」


 いきなり一人の男子生徒が立ち上がる。


「質問事項ならばと静聴していたが、クラブの誇りを出されては話も別っ。ミヌェーバ流片手剣術クラブこそ正しき理念を持ち、誇りを重んじるクラブである!

 か弱き婦女子の名誉を守り、不条理な暴力を退ける正義の守護者っ! その代名詞たる我等(われら)を忘れてもらっては困る!!」


 講堂にいる人全ての腹に響く大音声だった。

 静聴の意味が分からん。全く近頃の若い子は・・・。


「王位継承権所有者は全ての行動、交友者を精査されることを知らぬ者がいようかっ! 純然たる被害者たるウェスギニー君を一人で戦わせることなど誰が見過ごしても我々は見過ごさんっ!

 ミヌェーバ流片手剣術は常にサルートス王国の誇りを守る剣であったっ!

 王族の安全もまたミヌェーバ流片手剣術と共にあったっ!

 クラブに所属していようがいまいが、ミヌェーバ流片手剣術は守るべき人達の為にある強さだっ!

 一年生の女子生徒に第二王子を孤独に守らせて平気なメンバーはいるかっ!?」

「「「「「「「「ノー、サー!!」」」」」」」」


 ざざっと様々な学年と校舎別に散らばった男子生徒達が立ち上がって応じる。女子生徒の数は少ないがゼロではない。

 長柄槍術クラブの女子メンバーはあまり強さを追及しないのだが、ミヌェーバ流片手剣術クラブは戦うことが先に来るので女子メンバーも顔つきが違った。

 先程とは比べ物にならない程に迫力があったのは人数の問題もあるだろう。

 クラブに入っているかどうかは個々の自由だが、ミヌェーバ流片手剣術を一度も習ったことのない男は貴族に存在しないと言っていい。

 基地との合同練習などで式典や儀式における剣の取り扱い方も学ぶ為、卒業後のことを考えて貴族だろうが平民だろうが関係なくミヌェーバ流片手剣術クラブに入る男子生徒は多かった。


「クラブの総意を持って、第47代目ミヌェーバ流片手剣術クラブ長カルムント・ガラム・ラキシエンフォスがここに誓おうっ!

 サルートス王国第二王子エインレイド殿下を守り通そうとしたウェスギニー・インドウェイ・アレナフィル嬢の孤独な戦いを讃え、今後は一人で背負わせるようなことはしないとっ!

 我がミヌェーバ流片手剣術クラブメンバー全員、正義の為に立ち上がることをここに宣言するっ!!

 そうだなっ!?」

「「「「「「「「イエス、サー!!!」」」」」」」」


 講堂の天井が揺れるかと思う程に、立ち上がっていた生徒達が叫ぶ。

 二つのクラブメンバーが起立しているそれは、アレナフィルがそれだけの味方をつけたということだが、学校長は穏やかな表情だった。

 普通なら止めるのだろうが、さすがは抜擢されて学校長になっただけはある。生徒の自主性を重んじ、それでいて全てに目を光らせていた伝説の教師は今も健在か。


(なんであのミニ悪女、いつもトップばかり狙ってくんだよ)


 2階にいた男子寮の寮監メンバーとアレンルードががっくりと項垂(うなだ)れているのが見えた。

 できれば私もどこかでたそがれていたい。クラブ長だけならともかく、クラブメンバーまで巻き込まれたらどれ程の勢力になるのか。

 すると二人の男子生徒が立ち上がる。


「どちらもクラブ長として立ち上がったなら、我々も遅れるわけにはいかないだろう。誓いも宣言も己の心だけが知ればいい。数があればいいわけではない。歴史が長ければいいわけでもない。

 歴史が短かろうと人数が少なかろうと、我がクラブは一人一人の質の高さと能力、そして個人の自由な判断と孤高の誇りを重視する。

 第6代目トリックバトルクラブ長テグネール・ステニウス・ファルランローエン。一人の男としてウェスギニー・インドウェイ・アレナフィル嬢に味方する」

「クラブ長っ、僕もお供しますっ」

「私も参加いたしますっ」

「そうですっ。僕達はあえて孤独を選ぶメンバーで構成されたクラブじゃないですかっ」

「クラブ長が味方する生徒を僕達が味方しない筈がありません。見くびらないでください」

「女子には女子の味方が必要ですっ。クラブ長っ、私達を忘れないでくださいっ」

「私は自分の意思でクラブ長と同じくウェスギニーさんに味方することを選びます」


 数こそ少ないが、ばらばらと立ち上がった生徒達はそれぞれクセのありそうな感じだった。

 トリックバトルが騙し討ちや相手の油断を誘って倒すやり方や立案に特化しているから仕方ないのだろう。

 卑怯クラブと揶揄されることもあるが、様々な国における過去の戦法を調べ上げて研究し、それを実行したらどういうメリット・デメリットがあるかを考えるクラブだ。変わった武器を使って人や動物を仕留めるやり方も掘り起こして学び、クラブ合宿は部外者立ち入り禁止にした場所で模擬戦を行うとか。


「ふっ。我々は孤独に戦うことを見据え、己の判断と行動のみを重視するクラブだ。強制はしない。愚かなトップを見限ることも大事だからな。だが、皆が私の選択を自分の判断によって支持したことを嬉しく思う。

 何故なら我々は一人一人が己を頂点として考える者だからだ! 他人を理由にするなっ! その誇りも誓いも己の胸だけにあるっ!」

「さすがクラブ長っ、敵の前に味方を裏切る男っ!」

「クラブ長っ、その責任をとらない優柔不断さが素敵ですっ」

「そこは自分についてこいって言ってくださいよっ。・・・勝手についていきますけど」

「ぼ、僕は、・・・クラブ長、信じてます」

「これでも腐ってないんですよ。勝手に捨ててかないでください」


 どこまでも自由気儘(じゆうきまま)なところが先の二つのクラブとの違いか。

 クラブで研究する内容に暗殺術も含まれるので歴史こそ短いが卒業生は軍の特定部隊に所属したり、王族や高位貴族の身近に仕えたりと、その技能を重視されることもある。ただしクラブで暗殺に特化するか、作戦企画に特化するかといった方向性もあるので、誰もが暗殺術をマスターしているわけではなかった。

 しかもクラブ長にさえ従わなくていいというクラブ方針が厄介なところで、社会に出て働き始めてもマスターしている戦闘術や変装テクニックを披露するとは限らない上、そういうことを要求してくる雇用者なら自分から辞職するときた。

 卑怯を是とするからこそ生かす場を冷静に考え、己の美学を貫く。だから異端。ゆえに偏屈。どこまでも保険をかけて逃げ出すくせに、これぞと見込んだ相手は負け戦であろうと、あらゆる角度から支えて守り通す。

 時に優れた武功を立てる人間がいるが、その腹心にこのクラブ出身者がいたり、不遇だった筈がこのクラブ出身者と共に巻き返したり、兄姉にこのクラブ出身者がいてその教えを仕込まれていたりといったことも散見されるのだから侮れない。

 クラブ長が卒業した途端に下級生メンバー全員がクラブをやめることもしばしばで、何かと断絶してはいきなり人数を揃えて復活するクラブだ。

 一度断絶したら次の復活時には1代目から始めるものだと思うが、その時々で勝手なクラブ名をつけられても面倒なので飛び飛びでも代を重ねていく変人集団クラブでもある。


「やれやれ。うちは高学年生で構成されるクラブで存在感がないから最後になってしまった。さて、第21代目カヤックボールクラブ長ジラン・ステニウス・ダルトグルジーレだ。

 既に三つのクラブ長が言いたいことを十分に言ってくれたので宣言は割愛しよう。

 今、起立して己の決意を表明した者達に共鳴したクラブメンバーは立ち上がれっ! 我々は言葉を(ろう)することなどしないっ! 男の決意は背中で語ろうではないかっ!!」

「「「「「おおぅっ!!!」」」」」


 4年生から6年生という限られた学年で、体格のいい男子生徒達が立ち上がる。一斉に拳を振り上げる腕も鍛え上げられていることが分かった。

 水上で行われる球技として知られているカヤックボールはかなり激しいスポーツだ。体も出来上がっていない低学年の生徒では死人がでかねない。

 それゆえにカヤックボールクラブは他のクラブでもそれなりの運動神経を持つとされた人間だけが行くことのできるクラブである。

 危険だと思ったらぶつかり合うカヤックから飛び出してその危険を回避しなくてはならない為、水泳能力も必要とされるし、どこまで粘るかの見極めも重視されるスポーツだ。

 他のスポーツクラブから優秀な人間が選ばれていくクラブながら、危険すぎて行かないことを選ぶ生徒も多い。まさに少数精鋭クラブと言えるだろう。

 選抜された生徒だけが所属が許されるからといってスポーツ系クラブに所属する男子生徒達が行きたいと憧れるクラブにならないのは女子生徒が全くいないかららしい。なかなかにしょっぱい話だ。


「えっと、・・・心強いお言葉をありがとうございます。どうぞ着席なさってください。その、・・・皆様のお気持ちはとても嬉しかったです。

 レムーロ先輩、カルムント先輩、テグネール先輩、ジラン先輩。そして今、立ち上がってくださったクラブメンバーの方々に感謝します。何かありましたら相談させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 学校長の後ろからこそっと出てきたウサギ娘がなんか言っていた。さすがにこれ以上は求める気などないのだろう。


(たかが一般部の子爵家の娘程度に振り回されるクラブ長など見る角度を変えれば恥ともされる。個人的なそれならともかく、クラブの名前を背負って表明するとなれば別だ)


 他のクラブが続かなかったのはそこがある。これが第二王子エインレイドに味方するかという話ならば全てのクラブ長、いや、全校生徒が立ち上がったことだろう。

 その点、アレナフィルは子爵家の娘にすぎない。しかも母親は平民。成人したら外国人と結婚してこの国を出ていく。どこのクラブに所属しているわけでもない。

 そんな一年生の女子生徒に味方して何になるのか。その場の感情だけで大局を見ることなく動く愚か者は評価を落とすだけだ。

 クラブの先輩後輩の絆はかなり強い。へたなことを宣言してしまうと、歴代のクラブ長から呼び出されて詰問される。

 

「うむ。質問の場に割り込んだことを詫びよう。だが、後でこそこそと接触して自分は味方だと囁く方がみっともないことだ。その卑屈な人間性にアレナフィル嬢とて信用はできまい。少なくとも我々は学校長先生以下、全校生徒の前で誓った。どうかそれを誠意として考えてほしい。長柄槍術クラブ長レムーロ君以外は全員着席っ」


 乗り遅れた人間を全て蹴り落とすミヌェーバ流片手剣術クラブ長ラキシエンフォスの言葉に、一人を残して全員が着席した。

 他のクラブとてすぐには言い出せなかっただけだろうに、考える時間さえ与えない。

 上等学校時代から貴族間の連携と競争は始まっていた。


「それでは最初の質問を。

 先程、自分にかまわないでほしいと言っていたが、具体的な希望があるなら話してほしい。

 誰かを巻き込まず、一人で全ての責任を背負う覚悟は立派だ。

 だが、一年の女子生徒がエインレイド殿下に醜聞を近づけない為に外国人と婚約したと言う。学年一位の成績を持つ貴族令嬢でありながら経済軍事部ではなく一般部にいた時点で、最初からエインレイド殿下に近づく思惑はなかったことは明白なのに。

 上等学校時代にここまでの犠牲を払った令嬢がかつていただろうか。我々はその気概を心より称賛し、全力で味方する。君は一人ではない。

 何故なら、・・・他者よりも多くの義務と責任を背負うからこその貴族。爵位継承予定もない子爵家の令嬢に劣る自分をそれで良しとする程、我々は腐ってなどいない」


 最後の言葉に経済軍事部の生徒達が顔を引き攣らせる。何人かは咄嗟に立ちあがろうとして自分の衝動を抑えた様子だ。

 私の横にいるエインレイドがはぁっと息を吐く。


「これって何なんだろう」

「世間で言うところのやらせですね。目の前で見ていることが全てではないのだと今現在騙されている生徒達を見て学び、あなただけは騙されることなく育つんですよ?

 あれは一年生女子を守ってるフリで、皮肉かまして喧嘩売ってるだけですからね?」


 子爵家の半貴族に擦り寄ったのかと揶揄されようと、その前に貴族としての誇りを持ち出したなら誰も何も言えないだろう。

 半分は平民の娘如きに・・・と言われたところで、そんな娘に劣る貴族など平民未満ではないかと言い捨てることさえできる。

 悔しげな顔をしている経済軍事部の生徒達も、トリックバトルクラブ長のように一人の人間としての表明をしておけばよかったという思いがあるに違いなかった。


「喧嘩って誰に?」

「さあ? とりあえず斧クラブは確実ですね。槍クラブは斧クラブと仲悪いんです」

「なんで?」

「重量と破壊力がメインの斧クラブは女の子に人気がないからです。槍には女子が多い。だから斧は槍の男子が気に入らない。槍もまた槍をオモチャ呼ばわりする斧が気に入らない」


 一人で奇跡の生還と切り裂き事件を起こした女子生徒を欲しがる軍関係者は多いだろう。だからこそ繋ぎを取ることのできる人間は自分達だけで固めておきたいというところか。

 ましてやあの四人は昨日のアレナフィルを見ている。

 一目で外国の王族を見抜き、礼儀正しくふるまったアレナフィルはそこらの名前だけ貴族令嬢よりも優れた資質を有していた。その後はどうしようもない腐れウサギだったが。


「どっちにも良さはあると思うんだけど、女の子がいないのが原因なの?」

「そりゃ自分達は男だけでむさいってのに、槍は女の子とうふふきゃっきゃしていたらね。そして剣術クラブも文系クラブに知恵無しだの下半身だけだの節操なしだの言われてムカついてます。(かれ)()も文系をヒョロぶよ呼ばわりしてるんですけどね。そのくせ文系に近いトリックバトルとは仲良しなんです、タイプが違う上、頼りになりますからね」

「そういう問題? 僕、パーティとかでその年のクラブ長にお手本見せてもらってたけど、みんなどこの動作がいいとか、さすがの知恵者だとか、いい所を褒めてて仲良さそうだったよ。今年はそんな感じなの?」

「昔から険悪ですよ? 仲悪いから人前では取り繕うんです」

「うわぁ」


 この場での宣言など関係なく、とっくに四人のクラブ長はアレナフィルの味方だ。

 それなのに感動しているかのような風情で頬を赤くしている女子生徒は手下が増えたとか思っていそうだ。

 あの悪辣ウサギはミディタル大公邸でも、

「私は大事なお客様だから、この軍の人達もみんな私の使用人みたいなものですよね?」

「あははは。ねえよ、あり得ねえだろ。このガキが何ふざけたこと言ってやがる」

「じゃあ、少しお手伝いしてくれる人を頼む程度なら大丈夫ですか?」

「ん? まあ、そりゃ腕力的に無理とかならな。お前さん、()っこいし」

「良かった。一応、護衛の人はつけてくれてるけど、お休みも必要だろうし、なるべく迷惑かけたくないけど人手が足りない時には誰か違う人を護衛で頼めるかなってちょっと心配だったんです。そしたらここの人達が強いって聞いたの」

「あー。そんなら誰かはつけてやる。そん時は言ってきな」

「はぁい」

と、私が関与していない人間を確保していたのだ。

 そんな悪辣ウサギはミディタル大公軍参謀本部で、

「ローゼンお兄さん、命令違反でマイナス査定受けちゃったんです。命令違反にならないように、あくまで私の護衛任務についていないから土壇場で私に協力しても命令違反にならない、そして多少の建物炎上とかにおたおたしないだけの胆力と戦闘能力があって、常識的じゃないことをしてもあまり深く考えない人って誰ですか?」

と、相談して(かれ)()に目をつけたらしい。

 またどこかの建物を焼く気なのか。お前こそが犯罪者になると分かってないのか。

 それなのに参謀本部はこんな子供一人に出し抜かれる私が間抜けなだけだからと協力し、その上で楽しんでいる。報告を受けたミディタル大公は、私に気づいていないフリをしろと命じてきた。

 うちの大将がひどすぎる。

 ぼやきを兼ねてミディタル大公妃に報告したが、要はアレナフィルが変な奴らと接触しなければいい話だということで様子見だ。

 まだこちらの手の中で走り回っている分には対応できる。


「ありがとうございます。先程のかまわないでほしいと言ったのは、エインレイド殿下に近づく為に私を利用しないでほしいということです。

 私は貴族社会における社交をするつもりがないので一般部に進学しました。エインレイド殿下に近づきたいからと私に接触されても迷惑です。

 今のエインレイド殿下に近づいたところでいずれよその令息令嬢に掻っ攫われるだけだということも理解していない人達の為に私の時間を無駄にしたくはありません」

「それはどういうことだ? いずれよその令息令嬢に掻っ攫われるとは?」


 自分大好き娘が何やらほざいていた。

 どうしてあのミニ悪女は人に喧嘩を売らずにはいられないのか。


「人間関係は変化します。就学期の保育統計によると、上等学校低学年の時に親しかった友達や幼い恋人同士が成人してからも親しい仲であり続けた割合は3%を切っています。会えば立ち話をしても、それよりも親しい人達ができている割合は98%です。

 つまり今のエインレイド殿下の親友やガールフレンドの座をゲットしたところでいずれ他の人間に取って代わられます。そんな無駄な努力は私と関係ない場所でやってください。

 たとえエインレイド殿下と私がいちゃいちゃラブラブしていても、負け犬は引っ込んでてほしいです」


 ざわっと反応したのは上等学校低学年生が多かった。

 今、王子の恋人の座をゲットしてもいずれそれは誰かに奪われるだけと断言しながら、自分がやるというアレナフィル。誰が聞いても意味不明だ。


「世間一般的に、親友とは上等学校時代に作るものというのがセオリーだ」

「一生ものの親友なら5年生か6年生、そして習得専門学校時代に作るのが効果的だと思います。子供の内に親しいとお互いの性格も考え方も行動パターンも把握してしまって新鮮さが薄れるので、価値観や将来のことが定まってくる10代後半には倦怠期に入ります。

 身分や地位などの格差が広がっていくことを実感してしまうと、更に疎遠になります。

 それでもまだ同性の親友は身分が低い方が我慢すれば破綻しつつも維持できますが、異性のガールフレンドだと鬱陶しくなるだけでしょう。大抵は身分の高い方に庇ってほしいと願うことになりますが、身分が高くてもそこまでの権力があるわけじゃありません。何かとフォローしなきゃならないガールフレンドって、よほど身分高い方がコンプレックス持っていて執着しない限り、大抵は負担になって捨てられます。成人が近くなると家族も男の子に家の利益になるガールフレンドに乗り換えるように圧力をかけるでしょう。

 レムーロ先輩も最近の親友はここ1、2年で『あ、気が合う』と感じた人達じゃないですか?」


 ふむと、考え込むような顔になった彼が周囲の男子生徒と瞳で頷きあう。


「たしかに去年からは他のクラブ長と交流を深めていた。卒業後の進路も含め、同じ分野を目指すのだから情報交換は必須だ」

「同じカテゴリー内にいないと話が合わなくなるからですね。それまでの友情がなくなったわけじゃなくても、親しく語り合えるのは同じ立場にいる人間になります。そして違う道に進むかつての親友もまた自分の進路を考えれば違う人間関係を構築しなくてはなりません。それが成長に伴う変化です」


 エインレイドが私を振り返り、困惑した顔で尋ねた。


「アレルと僕の間にも倦怠期ってくると思う? いつか僕もアレルが負担になるかな」

「きてほしいですね。一緒にいるのが退屈だと思えるぐらいに普通のお嬢さんになってほしいものです。ついでにあなたがうんざりするぐらいに縋りついて、すっぱり捨てられればいいのです」

「あー、当分考えなくていいや。アレルに飽きるって思えないし、僕に縋りつく前にアレルってば他の人を利用していく子だしね」


 年上趣味を広言しているアレナフィルは、自分に貢ぐこともできない未成年に興味がない性悪娘だ。

 王子エインレイドに縋りつく前に資産と権限を持つ王妃や大公妃に泣きつくだろう。何よりエインレイド、アレナフィルに縋りつかれても、「僕、権力ないから」でスルーときた。

 それでもクラブメンバーは仲良く遊んでいる。

 本当に小賢しい。

 王族とは貴族や平民に有形無形の何かを与えられる立場にいて、それをなせるからこその身分だといった認識をエインレイドも持っていただろうに。あの悪辣ウサギは王子のそういった無意識の内に抱いていた認識を破壊し尽くした。


「ここにいる人達はおうちで歳の近い使用人がいる人も多いと思います。子供の頃はまるでお兄さんお姉さんのように、そしてまるで幼い恋人同士のように仲良くしていても、それなら本当の恋人になれるかというと違うんじゃないですか?

 家族の目を盗んで仲良くすることがあったとしても、ならば周囲に馬鹿にされてでも身分違いの関係を続けようとは思わないでしょう?

 それが現実です。人は大人になっていく途中で今までとは違う責任や立場を背負うようになり、やがて世間の目というものに縛られていくんです。

 そして王子様という存在が誰を恋人にしようが、それで結婚までいくのは様々な困難が発生します。

 身分の高い令嬢なら結婚まで続くかといえば、プライドの高すぎる令嬢だと一緒にいても楽しくないです。王子様に男の理想を押し付ける女の子なんて面倒なだけ。そんな相手と一緒にいたいと思う筈がありません」


 男子生徒達の「へー」な様子に比べ、女子生徒の眼差しが真剣だ。

 いちゃいちゃしますと宣言していてもどうせそれは続かないものだと言い、しかもアレナフィルには成人した外国人婚約者がいる。祖母もまたアレナフィルは10代の少年に興味がないと断言していた。

 私こそはと思う女子生徒も多いだろう。


「身分が高く、程々に可愛らしいところもあって上品な令嬢ならパーフェクトに思えますが、問題はパーフェクトな令嬢を誰もが恋人にしたいと思うわけではないということです。

 世の中には様々な恋人への理想像があるのです。

 大切なのは相手の理想像を正しく把握し、そこを攻めることです。どんなに上品で可愛らしい令嬢がいても、肝心の男の子が下品でブスな女の人に踏まれて罵られたいという理想像があれば無駄なんです。

 いいでしょうか。女の子がどんなにおしゃれしたところでその格好がよほどひどくない限り、男の子は内心で『どれも一緒だよ』と思っている生き物です。

 淡いピンク色から濃いピンク色に口紅を変えたところで、そんなのどうでもいいんです。たとえ王子様がおしゃれを褒めたところでそれは社交辞令です。

 それなのに王子様だからいつだってそういう褒め上手な男の子でいてほしいという女の子の妄想を押し付けられても、現実の王子にとっては鬱陶しい限りでしょう。

 美しい女性はトイレに行くことがないと思い込んでる男の子の妄想に付き合える女子生徒がいないのと同じことです。

 お互いに理想とはかけ離れたボーイフレンド、ガールフレンドの関係なんてどちらも嫌気がさして破綻します。家柄は関係なく、それが現実です」


 エインレイドが額にシワを寄せて私を振り返った。


「別に社交辞令じゃなくて、アレル、口紅つけてなくても可愛いよね? それに口紅の色なんて自分が好きなのをつければよくない? ところで踏まれて罵られたい理想が分からないんだけど、僕そんな理想像ないよね? そして女の子だからトイレに行かないって、そんなことあるの?」

「アレルちゃんは新しい服やリボンでおしゃれしたら褒めて褒めてと最初から要求してきますからね。小さなおしゃれを褒めてほしいと内心では思っていても何も言わずに不満を溜めていく令嬢とは違うでしょう。そして口紅の色は似合う似合わないがあるのですよ。何より大事なことは、アレルちゃんの話は半分以上聞く価値がないことです」


 そんなものかなとエインレイドが呟く。

 アレナフィルの変な主張を聞く度にエインレイドは周囲の成人男性に質問するらしいが、マレイニアル達がブチ切れるわけだと納得した。


「口紅なんて分かりやすく赤色で統一すればいいのにね。オレンジとかローズピンクとか言われても、運動すればみんな唇は赤色になるよ。それに口紅の色が気になる時って、はみ出てる時ぐらいだよね?」

「着飾った貴婦人が運動して汗かいちゃダメでしょう。ついでにはみ出ている時はそっと女官に伝えて任せるものです」


 王城では年上の女官や侍女達に囲まれて世話され、散策すれば高官や貴族に声をかけられ、ミディタル大公邸では兵士達に囲まれて体を動かしてきたエインレイドはあまり人や物に頓着しない。

 アレナフィルの場合は同い年なのに自分を知らなかった貴族令嬢という非常識な生き物から始まり、初めて見た着ぐるみパジャマで価値観を破壊され、やることなすことがびっくり箱だから余計に可愛さが際立って見えてしまうのだろう。

 そういった私達のやりとりを知る筈もなく、講堂では男子生徒が大きく頷いていた。

 

「さすがはエインレイド殿下の参謀たるガールフレンドだ。たしかに世の中には似合わない女装をさせた男に愛を囁かれたいという人もいるという。だが、エインレイド殿下は可愛い動物の着ぐるみ仮装がお気に召していたようだから、それはないと信じよう。

 ならば我が長柄槍術クラブメンバーには、エインレイド殿下を煩わせることなきよう伝えよう。勿論、ウェスギニー君に対しても変な接触をしないように言うつもりだ」


 勝手に自分の嗜好を決めつけられたエインレイドが「え?」という顔になっている。

 ウサギ着ぐるみパジャマも可愛かったが、クラブメンバーが一番気に入っていたのは口元と手をぐるぐる巻きにしてセーターを被せられた状態で抱っこされていた時だ。

 あの時はむぅむぅしか言えないアレナフィルの頭をみんなが撫でて楽しんでいた。

 本当に黙っていれば可愛いのだ。黙っていれば。


「ありがとうございます。本当に王子様に重用されたいのなら、今の時点で焦るよりも自分だけの特技を磨き、そしてあちらから目をつけられるぐらいにいいところを伸ばしていく方が賢明です。

 誰の恋人の座、腹心の座を狙うにせよ、お互いが好みで一目惚れしたならともかく、何もないところから始めるのであれば、異性なら失恋直後や結婚間際で心が揺れている時に奪取する方が確実です。腹心の座ならば、自分なりのここぞといったものを伸ばし、必要とされる時にタイミングよく売り込めばいいのです。

 何もなくてもこの心があれば評価してもらえる・・・みたいなお伽話は現実にはありません。無能の世話をし続けながら生きていきたいと思う程、王子という立場は暇ではないでしょう。

 王子様に選ばれる自分でありたい? 馬鹿馬鹿しい。王子様に選ばせる人間にまずはなってから出直してらっしゃいってことです」


 講堂がしーんと静まりかえる。

 なんかあそこでほざいている生き物がいるが、我が国の第二王子はせっせとウサギ娘の世話をしていたような気がするのは私だけだろうか。

 今だってすぐ助け舟を出せるようにと待機している。

 そこの王子には、アホなウサギを飼い始めると世話が大変で手がかかるだけだから最初から飼うべきではないということをぜひ学習してほしい。

 

「それでは次の質問者はいらっしゃいますか?」


 アレナフィルの問いに、さっと手を挙げた生徒達。

 その数は激減していた。


「では、そちらの端から4番目、前から8番目の方、どうぞ」


 薄いピンクがかったベージュの髪を揺らして女子生徒が立ち上がる。


「一般部一年のフェレグ・エデュー・クラウリンダと申します。私達のクラスメイトは全員、アレナフィル様がニュースに出るまでエインレイド殿下のことに気づいていませんでした。

 そして私達はクラスで話し合い、エインレイド殿下のことは知らないままでいこうと決めました。アレナフィル様と一緒にいる穏やかで上品な男子生徒の方々とは今まで通りすれ違ったり目が合ったりしたら挨拶する程度にしようと。

 それでいいのでしょうか?

 私達のクラスはアレナフィル様しか貴族のいない一般クラスです。直系の王族や貴族の方々とのお付き合いは慣れておりません。この場でもってエインレイド殿下がお望みになる私達の在り方を教えてくれたら嬉しく思います」


 ランチメイトを当てたアレナフィルは、少し考える顔になった。

 普段は愛称で呼ばれているので、様付けで呼ばれて質問されたことに戸惑っている様子だ。それでもクラウリンダにしてみれば、王子目当ての迷惑行動がクラスに波紋を広げてほしくない気持ちもあるだろう。

 全校生徒が揃ったこの場で親しい様子を見せればつけこまれ、攻撃される。

 経済軍事部6年のクラブ長と同じようにはいかないのだ。


「それを自分なりに考え、自分の在りたい姿を目指すのが学生時代ではないでしょうか。

 考えてもみてください。もし、あなたがどこかの学校へ転校した途端、

『あの学校に通っていたんだから人脈はあるよね?』

とか、

『一緒にいてあげるよ。だから自分を一番の親友にして配慮するのよ』

とか、そんな感じで取り囲まれたらどう思いますか?

 何なのこいつ、人を利用することしか考えてないのって嫌気がさしますよね? その顔と名前を覚えておいて、絶対にこいつらだけは排除してやるって思いますよね?

 だからクラスの皆さんはエインレイド殿下のお気持ちを考え、今まで通りに気づかなかったふりをしようと考えたのではないでしょうか?

 皆さんが自分達なりに相手の心を理解しようと考え、その行動を決めたことをとても素晴らしいと私は感じました。

 相手の気持ちを考え、独りよがりにならぬようにここで確認するその行動は、とても配慮に満ちています。その結論に間違いなどありません。

 私の言葉を聞いてエインレイド殿下への対応を決めるのなら、誰かに言われたことを鵜呑みにして何も考えずに動く愚か者と変わりないのです。

 エインレイド殿下とて未成年です。そして様々な大人の目がエインレイド殿下を取り巻く生徒達の行動を注視しています。

 今、仲良くしてあげるから将来の見返りをよこせと言わんばかりの接触や、誰かに言われたことを盲信して言いなりになるような生徒に王城の人達が何を思うか、そういうことを誰も考えていない方が愚かなことです。

 クラウリンダさんは、自分がエインレイド殿下に対してどう在るべきだと思いますか?」


 茶色い瞳を伏せるようにして、クラウリンダもまた考える顔になる。


「殿下が王子として受け取るべき私達からの敬意を表す挨拶を求めていらしたならご本人だけではなく他の方からも何かしらのお話があったと思います。

 エインレイド殿下のことは平民の男子生徒だと聞いておりました。もしかしたら王子殿下の立場では見聞きできないものをご覧になって理解してみたかったのではないかと、私達は考えています。

 王族の背負うものや見ているものがどういうものか、私達には分かりません。

 ですが私達は他の国では考えられない平和な生活を送ることのできるサルートス王国の民です。それを維持してくださっている国王陛下への敬意が揺らぐことはありません。

 私は今まで通り何も気づかなかったことにしていたいです。そしていつか成人し、手の届かない王子殿下として私が礼儀正しく敬意を示して見上げる一人の民となっても、心の奥底では私達に明るい笑顔を見せてくださった男子生徒の思い出を持ち続けることを許してほしいです」

「・・・うわぁ、青春だぁ」


 のほほんとした感想をぼそっと呟くウサギ娘は、緊張が長く続かないタイプだった。しかもその言葉は講堂にしっかり響き渡る。


「くっ」

「ぷぷっ」

「ふっ」


 高学年の男子生徒達を中心に、プッと吹き出す音が聞こえた。

 美談さえも笑い話に変えていくアレナフィルはクラスメイトの気持ちを全く理解していないのだから救いようがない。

 礼儀正しく自分の意見を述べたというのにアレナフィルのとぼけた言い草を返され、クラウリンダがきっと睨みつけた。上級生達にぷぷっと笑われた恥ずかしさからか、頬がかぁっと赤く染まっている。

 ふむふむとアレナフィルの隣で頷いているキセラ学校長はあくまで見守る姿勢だ。


「って言うか・・・!

 平民なのに頭が良くて背も高くて顔立ちも綺麗で憧れていたのに王子様なんて手の届かない存在だったと知った女の子達のショックが分かるっ!?

 最初から王子様だと分かっていたら高望みしなかったのにって、どれだけの女子生徒が落ち込んだと思ってるのよっ! アレルの馬鹿っ!

 せめて身分の高い貴族だって最初に言ってくれてたら憧れだけで終わらせて恋する女の子も出なかったのに、なんで平民なんて設定にしちゃったのよっ!」


 青春だぁの一言で済まされた怒りがこみあげたのか、クラウリンダがアレナフィルを糾弾し始める。

 クラウリンダが立ち上がってから険しい眼差しになっていた経済軍事部一年の女子生徒達の表情がどこか緩んだ気がした。人間、ライバルにならないと思えば寛容になれる。


「ええっ!? 私みたいな可愛い女の子と一緒なんて王子様ったらとってもラッキーですねって言ったら、男の子と変わらないって言われてたんだよっ!? そっちの方が可哀想だよっ。

 王子様から爽やかスマイル見せてもらってたならそれでいいじゃないっ。

 どうせ10代前半の恋心が叶って結婚までいくことは統計的に99%ないんだから、片思いの相手が王子様ならそれはそれで美しい思い出だよっ。悔しかったら1%の確率をゲットしていきなよ。百人の王子様がいたら一人ぐらいはどうにかなるってことだよっ」


 どうして乙女の淡い恋心を統計で片付けようと思うのか。

 すれ違う時にふと漂う花の香りにときめく少年の心や、不意の雨にさっと上着をさしかけてくれた頼もしさに心臓が早鐘を打つ少女の心など、所詮は手のかかるペット、理解の範疇にないのだろう。

 そんなことも見抜けず騙されている愚弟に比べ、あの一年生女子のなんとしっかりしたことか。ランチメイトという立場にいるからこそ、他の一般部の生徒達が経済軍事部の生徒達から敵視されないように手を挙げたのだろう。


「そういう問題じゃないでしょっ。アレルには恋した相手が王子様だったと知ってしまった女の子達の気持ちが分からないわけっ!?

 平民なら勇気出して告白したらいけるかもしれないって思えても、王子様なんて知ったら恐れ多すぎて片思いすることすらできないのよっ!? あのニュースで王子様だったことを知ってどれだけの女の子達が泣き腫らした目になってたと思ってるのっ」

「えー。うそぉ。リンダ達、別に泣き腫らした目になんかなってなかったじゃない」

「いつもアレルと一緒な時点で誰がそういう目で見るのよっ。目の保養にはしても恋愛的には対象外でしょっ!」


 ばしっとクラウリンダが言いきった。


「だけどねっ、アレルが可愛い男の子にしか見えない子からしたら、普通にそれぞれタイプの違う男の子達グループだったんだから、その中の誰かに恋することだってあるって理解しなさいよっ。誰もがアレルみたいにおじさん好みじゃないのよっ」

「だって私、成人もしてないお子様に興味ないもん。ついでにおじさんが好みなんじゃありません。顔と体とお金とスマートな物腰を持つ優しいお兄様が好みなんですぅ。

 恋するも何も、一年生なんかせめてあと15年は経たないと対象外だよ。分かるわけないよ。

 それにみんなだって自分の恋心なんかより可哀想な目に遭った私にこそ同情すべきじゃないの?」

「28か29って時点でおじさんでしょっ。それならエインレイド殿下の方がよほど素敵だって、どの女の子も言うわよっ」

「男は社会に出てからが勝負なのっ。全く、10代や20代の貧相で顔に下品さが出ている男より、30才の自信に裏打ちされたいい男が魅力的なことを知らないお子様はこれだから・・・。どうせなら可哀想な私を慰めてくれるいい男が出てきてくれてもいいのに、なんで未成年見繕わなきゃならないっての。だけど私、子供を性的対象に見る男もお断りなんだよね」


 どこまでも無神経なウサギ娘は乙女心を理解せず、堂々と両手を広げて嘆く。

 そして話題の主であるエインレイドは耳まで赤くしてしゃがみこんでしまった。


(他の少年だって誰かが恋心を抱いていたことはあるかもしれんな。一般部の落ちこぼれ貴族令嬢と一緒にいるのだから貴族でも分家レベルだと思っていただろうし、手が届かないってわけじゃない)


 つくづくと罪作りなことである。

 講堂で言い争いを始めた女子生徒達だが、キセラ学校長はおやおやといった様子だ。


「普通はあんな事件に巻き込まれた時点で一年ぐらいは引きこもっちゃうわよっ。心の傷を癒すためにお菓子尽くしコース食べに行ったりしないのっ。王子様の前で大口開けて欠伸している貴族令嬢なんているわけないから誰もが王子様なんて思わなかったんじゃないっ」

「ひどいっ。美味しかったからオススメしてあげたのにっ。それに王子様を見抜く目がなかっただけなのを私のせいにするのは間違ってるよっ」


 間違っているのは王族の前で欠伸(あくび)していたお前だ。


「子爵家のご令嬢がそこまで女を捨ててる相手なら平民としか思わないわよっ。普通は使用人の前でだって、女の子はあんな欠伸しないんだからっ」

「学校は勉強するところでしょっ。プライベートでこそ女は全力でおしゃれして可愛い自分全開アピールするのっ。学校で少年狩りする変態になった覚えはないもんっ。これでも男を見る目はあるんだからっ」


 ふざけんな、お前にあるのは自分に甘い権力者を見抜く目だけだ。

 なるほど。王子の前で堂々と大口開けて欠伸しているのを見たら学校サイドもアレナフィルが王子に対して恋心を持っているとは考えなかっただろう。エインレイドだって、そんな女の子を見たのは初めてだったのではないか。


「可愛い自分も何も一人娘なんだから十分に愛されてるでしょっ。男を見る目も何も、アレルのお父様が娘を可愛がってるってだけじゃないっ」

「その愛情を更に積み上げさせるのが娘パワーなんだよっ」

「どこまでファザコンなのっ」

「うちの父はそれだけいい男なんですぅっ」


 私と共に舞台の袖口にいたエインレイドが何かを諦めたように天を仰いで立ち上がり、悟った表情で己の身なりを軽く整える。そうして足を踏み出し、学校長の隣へと出ていった。

 それに気づいたアレナフィルが、普段は全くしていない王族に対する礼を取る。学校長は立場上、目礼に留めた。


「学校長先生、ウェスギニーさん。僕も発言していいでしょうか?」

「勿論ですとも」

「エインレイド殿下、どうぞこちらへ。私はもう終わりましたのでご遠慮なく。てへっ」


 あのウサギは話が変わったらそれまでのことはなかったことになると思っている。今から礼儀正しく貴族令嬢として振る舞ったとしてももう遅いのに、それすら理解できない哀れなウサギだ。

 先程までアレナフィルが立っていた場所を譲られ、エインレイドが口を開く。


「経済軍事部一年、サルトス・ミヌエ・ラルドーラ・エインレイドです。まずはウェスギニーさんが僕と友人になったことで様々なトラブルに見舞われたことをとても悲しく思い、そしてこの場で彼女に感謝を伝えたいと思います。

 ごめんねと謝ったらきっとそれは違うって怒ると思うから、ありがとうって言わせてくれる、アレル?」


 壇上で横に立つアレナフィルを見つめるエインレイドは優しく微笑んでいた。感情の消えた微笑だった。

 自分の名前があそこまで飛び交い、勝手な話がどこまでも広がっていくのだ。もう黙らせることができるのは自分だけだと諦めたに違いない。

 王子に後始末を任せて終わらせた気になっている迷惑ウサギはそれに気づいていなかった。


「勿論です、エインレイド殿下。友達とはお互いに助け合って一緒に成長する関係を呼ぶんです。あなたが謝らなきゃいけないことなんて何一つありません。そうでしょう?

 今ならこの友情の証に、あなたの一番大好きな恋人になってあげますよ?

 そして王子様への恋に破れた令嬢を前にほーほっほっほと高笑いしちゃうのです。この私の可愛さが罪なのねって言ってみたい」

「うん、ご家族が泣いちゃうからやめようね。アレルの令嬢生命が崩壊しちゃうからね」


 あのアホウサギに緊張という意味を教えてやりたいのは私だけか? なんで今日はあんなに興奮状態(ハイパー)なんだ?

 そこで私ははっと気づいた。

 あの(よい)()りウサギ、昨夜の帰宅は遅かった上、今朝は早めに起こされて寝不足だったことを。

 あいつ、まさか、・・・寝ぼけてる?


「大丈夫です。どうせ学校に私の好みのタイプはいないって分かってるから、うちの家族は学校に行っているだけで安心しています。これで全部の単位を取ったからとあちこち出歩く方が、いつ恋人を連れ帰ってくるかもしれないとハラハラドキドキなのです。そんな私に恐れるものはありません」

「分かった、それ以上は黙ろうか。黙っていればアレル可愛いからね。恋人の理想像を話し始めたら全ての男達が一目散に逃げちゃうからね」

「・・・・・・へ? え? 何? 何?」


 ひょいっとアレルを背中と膝に腕を入れて横抱きにすると、エインレイドがくるくるとその場で回り始める。まるで二人きりの逢瀬で幸せを満喫している恋人達のように。


「エリー王子が抱き上げるなんてっ」

「きゃああーっ」

「やめてぇっ」


 場所が壇上というところがアレだが、恋人同士の戯れやダンスする前のちょっかいに見えなくもない。だが、その割には回転が早かった。


「いやぁあっ」

「何なの、あの子っ」


 まるで仲の良さを見せつけるかのような二人に、女子生徒達から悲鳴があがる。

 そして遠心力をきかせていきなりエインレイドが私の方にアレナフィルをぐいんっと思いっきり投げた。


「ぅひゃああっ!?」


 乱暴な投げ方でも私が受け止めると分かっていたからだろう。

 ヴェラストールの時点ではせいぜい抱き上げる程度だった足腰をこの短期間で鍛え上げたか、それとも練習したのか。

 アレナフィルといるだけで王子の成長が止まらない。

 さっと受け取りに行ってすかさず後退した私の腕の中で固まっているアホウサギがいた。


「な、にゃ、にゃげた・・・」

「ありがたく思いなさい。殿下はあなたの名誉を守ってくれたのですよ」

「にゃげた・・・」


 退場を促したところで大人しく聞く筈がない。そう思ったからこその実力行使か。

 とっくに着席しているクラウリンダは、周囲の生徒からよくやったと小声で(ねぎら)われていた。

 ほとんどが平民の一般部クラスとて誰もが貴族に縁のある生徒達だ。それぞれに自分と縁のある貴族からのやっかみ問題が発生する事態に直面していたのだろう。

 クラス全体の総意、そして全校生徒を前にした主張により、これで個々の問題は遮断できる。


「さて。ウェスギニーさんは具合がすぐれず退場したので、ここからは僕が話すことにします」


 ぱんぱんと手を払い、今の一幕をそれで片付けたエインレイドが講堂に集まった生徒達に対してゆっくりと視線を投げかける。


「え。いや、ぶん投げただろ」

「すげぇ。あの子も凄かったが殿下もすげぇ」

「抱き上げていちゃいちゃしていると見せかけ人間砲丸投げ」

「普通、大怪我するだろ」

「あんだけのスイングきかせてたんじゃな」

「なあ。あの子の落下音、聞こえたか?」

「いいや、全く」

「そこは殿下直属の女兵士だからな」

「さすが切り裂きガール。あの程度ではびくともしないのか」


 まさかエインレイドがアレナフィルを投げ飛ばすと思っていなかったのか。

 ほとんどの女子生徒の表情は固まり、男子生徒はこそこそと囁き合っていた。さっきまでは妬ましさにキィーッと歯噛みしていても、今の女子生徒達は全く羨むことはないだろう。

 かつての王子ならこんなアホウサギでも腕に抱いたままここまで運んできただろうに、クラブの影響なのか、どんどんと雑っぽくなっている。


「王子様と貴族令嬢のラブロマンス? いいえ、二人はバトルパートナーですのよってか」

「エリー王子が求めたのは共に大公殿下へ挑んでくれる生徒だったって?」

「アレンだってさすがに大公殿下にはやらかさんだろ」

「双子の妹ならやってくれるってか。いや、やったのか」

「命知らずな生徒を見繕ったら男子じゃなく女子が釣れた、それが真実」


 カーテンに隠れた暗い舞台袖から明るい壇上や講堂の様子は見えても、あちらからはこちら側は見えない。

 だからだろう。

 慌てて2階からやってきたアレンルードが私に抱えられているアレナフィルを見て、軽く肩をすくめた。


「ルードぉ、フィル、投げられたんだよぉ」

「いつも叔父上達としてるじゃないか」


 話し声が響いてもまずいので唇に指を当てることで二人に沈黙を指示し、荷物置きを兼ねたベンチに座らせているとエインレイドが皆に向かって話し始める。


「僕が本来のクラスではなく、髪の色などを少し変えて様々なクラスで授業を受けていたことは、知っている人は知っている事実だと思います。それに協力してくれたのがウェスギニーさんでした」


 やはりそうか。それが許される立場でもアレナフィル一人に押し付けることはしない。

 何も知らない他校舎の生徒にも分かりやすく説明するエインレイドがいた。


「どうして僕が本来のクラスにいられなくなったかというと、様々な人達がおしかけてきたからです。

 たしかに学校内では王族や貴族や平民という垣根を越えて学び合うものですが、それは礼儀知らずであってもいいということではありません。

 行き過ぎた行動を注意することは簡単でした。

 だけど僕を取り囲んでくる人達は本人が望んでやっているケースだけではなく、誰かの指示によって無理やりさせられている人もいて、名前を特定した上で学校側から注意を行うことになればその人達の学校生活、そして将来の流れが変わってしまうことを僕は気の毒だと思わずにはいられなかったのです。

 本人が自分の礼儀知らずを良しと考えて今後の人生を狂わせることは自己責任ですが、逆らえない人からの指示で人生が狂うのであればそれは悲しく悔しいことです」


 たとえ一年生であろうと、エインレイドは王子としての立場を理解している。自分の行動が時に予期せぬ波紋になって広がることすら。

 それは平民の立場にある生徒達への温情だったのだと、誰もが理解した。


「ですが理由があれば何をしてもいいことになりません。事情を説明すればある程度の酌量はされても、第二王子たる僕よりも優先されることなのかという本人の判断能力を問う問題にもなります。

 だから事が大きくなればそれなりの注意や保護者への連絡が行われたでしょう。場合によっては退学勧告です。

 そして、そんな命令をした覚えはないと指示した者が突っぱねたところで、そこで名前が出てきた指示者とその実行者との関係が調査され、その信憑性が高いとなればそれだけ信用できない人間性の持ち主だという注意事項が指示した側にもつくことも分かっていました」


 調査がどこまでのレベルで行われるか、それは調査担当部署に所属していなければ分からないことだろう。

 未成年の令息令嬢はそこまで理解していなかったのかもしれないが、エインレイドの言葉はトカゲの尻尾切りなどできないのだと伝えていた。

 王族として、平民だけではなく貴族の生徒達にもエインレイドは配慮していたのだと分かる。


「国立サルートス上等学校。

 ここに通う生徒全員、親の身分や地位や職業、そしてどの爵位ある貴族の血筋かといった身上書を既に提出している筈です。

 学校側からの注意を僕が要求すれば、それに対して学校側も手を抜くことはできません。幼年学校時代に仲が良かった人達がそれで評価を落としていくのかと思うと、僕は躊躇(ためら)わずにはいられませんでした。

 それぐらいなら我慢するか、もう家庭教師と留学で乗りきろうかと、僕はそんなことも考えていました」


 静まり返った講堂で、何人かが青ざめた顔で俯く。

 反対にどこか明るい表情でエインレイドを見つめる顔もあった。


「ウェスギニーさんの遠い親戚の平民ということにして授業を受け始め、僕は王子という身分がなければこんなに静かな生活が送れるのかと実感しました。それだけ僕が国王の息子であるという一点が大きかったことを理解したのです。

 勿論、王子として幼い時から様々な人達と交流を育み、信頼できる関係を築くことは大切なことです。

 けれども学校時代を僕の機嫌取りに使うことは、その人の人生を頼りないものにするだけでしょう。学ぶことができる時間は有限です。

 皆さんには僕といることでのメリットを考えても無駄になるだけだと理解し、自分自身の価値を上げる為にこの上等学校生活を送ってもらいたいと考えています」


 エインレイドがどこか皮肉っぽい笑みを浮かべる。


「今頃は速報が流れているでしょうが、本日、正式に第一王子が王太子として発表され、その国王即位予定が関係部署にも伝えられます。僕はいずれ臣籍に降りることになりました。

 そして僕の婚姻相手は我が国の利益を見据えたものとなります。その為に外交を担うミディタル大公家で教育されているウェスギニーさんが僕の側にいるのです。

 現時点で外国からの利益を独力で我が国にもたらした実績を有している生徒はウェスギニーさんだけです。

 もしもウェスギニーさんを害しようとする行動に出た場合、その損失を補う覚悟があるものとして言葉も文化も法も異なる外国へ行ってもらうことを通達いたします」


 ざわっと講堂にいた生徒達が揺れた。

 追放という言葉がよぎったのか、顔を引き攣らせている生徒もいる。


「外国で殺されたり惨めな生活を送ることになったりするリスクがある以上、既に結果を出した価値あるウェスギニーさんを簡単には出せません。様子見で出せる令息令嬢が何人いたところで我が国は構わないのです。

 ウェスギニーさんを襲おうと計画した人達は我が国の領土となった地域の有力者の婚姻相手として送り出すことが決定しています。罪人として裁かれるよりも、有力者と結婚して裕福に暮らす方が幸せだろうと判断した温情でもあります。

 我が国とは文化の違う地で生活することは孤独かもしれませんが、それまで皆の模範であり続けた令息令嬢としての実績がこれからの生活を豊かにしていくことでしょう。

 外国には我が国と違う文化や風習があり、一夫多妻制や多夫一妻制、未成年の婚姻もありうる上、里帰りなどできない状況に置かれることもあるのだと理解しておいてください。そこでの生活待遇を良くするのも悪くするのも自分次第です」


 淡紫の花色(ライラック)の髪にローズピンクの瞳をした王子エインレイド。

 花の王子とも呼ばれる程におっとりとした性格の少年は、年上の女性に囲まれて大事に育てられたがゆえの素直さがある末っ子王子だった。

 それが一方的な国外追放宣言とは、月日の流れとは残酷なものだ。


「ねえ、ルード。レイド、暗黒世界、堕ちてる」

「フィルを好きにさせるよりみんなを脅しておいた方がよほど平和な生活になるって気づいたんだよ」

「それより第一王子様、存在してたの? 話、聞いたことない。それに臣籍って、なんで今言うのかな」

「第一王子殿下が第二王子殿下を王太子にしようとしていたからだろ。みんなエリー王子が国王になると思って群がってたんだよ。もう国王にならないから近寄ってきても無駄って言ってるわけ」


 そこをどうして妹に説明していなかった、アレンルード。だからそんな平和な頭のウサギ娘が出来上がるのだ。


「えっと、じゃあレイド、次の王様になる王子様だった?」

「そうだね」

「それ、やめちゃったの?」

「そうなるね」


 そっかぁと、アレナフィルが頷いた。


「じゃあ遠慮なく遊びに行ける。王子様、お出かけの許可、とっても大変。もう大丈夫」

「大丈夫じゃない。遊びに行く時はまず相談して許可取るもんだろ。だからフィル、ダメな子なんだよ」

「だって貴族になる、言った。それならみんなと一緒。ルードってばおバカさん」


 ここに哀れな思考の持ち主がいる。

 他のクラブメンバーが常識を教えてくれると信じるしかあるまい。いや、ミディタル大公邸に遊びにきたエインレイドと一緒に抜け出されたら分からない。

 やはりエインレイドに言い聞かせておかねば。


「バカなのはフィルだろ。大丈夫じゃないってば」

「平気だよ。ルード、考え過ぎ」

「フィルが考えて無さ過ぎなんだよ」


 こそこそと口喧嘩している双子はどこまでも平和だ。


「それよりルード。ルードだってね、学校に通ってる時間、とても大事なんだよ。王子様とか考えず、ルードはルードの子供時代を生きなきゃダメ」

「一番子供なのはフィルだろ」

「そうじゃない。ルード、王子様だからって、ルードが守らなきゃいけないことないの。そーゆーの、もっと身分の高い家の子が頑張ること。ルードが一人で抱え込むの、間違ってる。それ理解しなきゃダメ」

「一人で抱え込んでるのはフィルだろ。フィルの隠しお菓子棚、とっくに見つかったからね」

「ぇえっ、嘘っ。フィルのお菓子ぃっ」

「安心しなよ。フィルは下宿中だから僕がもらったよ。どうせフィル、大公邸で贅沢生活だし、クラブでお菓子食べてるからいいだろ」

「ひどい・・・ううん、それは後でだよ。あのね、ルード。ルードはまだ子供。あんな危ないの使って戦うこと、子供が覚えちゃダメ」

「あれはフィルが誘拐されたのが悪いんだろ。そうじゃなきゃ使わなかったよ。普段だって使ってない」

「じゃあ二度と使わない?」

「フィルが誘拐されたりしなければね」


 双子の兄に危険なことをさせたくない妹だが、自分の方がやらかしているので負けている。


(どんなに偉そうでもこの間抜けさがなぁ。だからはまってしまうのか)


 一方、壇上にいるエインレイドは優しげに微笑んでいるが、私にはその裏に怒りの炎が見える気がした。この決定の為、ガルディアスが何を犠牲にしたのかエインレイドは理解している。

 自分の甘さがアレナフィルを傷つけようとする悪意を燃え上がらせ、ガルディアスを自分から奪ったのだとエインレイドも考えただろう。

 アレナフィル誘拐のきっかけはガルディアス目当ての令嬢だったにせよ、それならばガルディアスの上等学校時代はどうだったのかということだ。

 結局、エインレイドはその優しい性格でなめられていたのだ。

 

(愛されるのも才能だ。その悔しさもまた成長の一歩となる。・・・全くなんで側近候補も王子妃候補も暴走したんだか。アホやらかさなけりゃ今頃は妥当な貴族令息令嬢に囲まれた第二王子がいただろうに)


 幼年学校時代、親しかったからこそ裏切られたという気持ちも大きいに違いない。

 貴族子女達だってこれだけ仲良しなんだから自分は特別だと思いたかっただろうが、エインレイドだって自分が王位に就くかもしれないとなっただけで目の色が変わった友に絶望したのだ。


(このことを聞いて遊びに行けると喜んでるアホウサギがお気楽すぎる。変な前例を作るなと言いたいが仕方あるまい。人はどこまでも自分に都合よく考える生き物だ)


 基地所属でありながら人事を動かし、男子寮へエインレイドを入れて共にいることで守ろうとしたガルディアス。

 彼は子爵家の双子に目をつけ、自分のお気に入りとしてアレナフィルの立場を引き上げようとしたが、そのアレナフィルは勝手に暴走して立場を確立してしまった。

 そしてアレナフィルを連れ出すガルディアスの行動に、誰もが油断して色々な女性を差し向けた。わざと子爵家程度の娘を可愛がっている姿を見せることで、ガルディアスが王家に対して仕掛けてくる人間を炙り出していたとも気付かずに。

 だからもう大丈夫だと思ったのだろう。

 今、男子寮にはクラブメンバーの男子生徒達がいる。エインレイドと共にいるアレナフィル達を警備棟も親身になって見守り、グラスフォリオンもアレンルードと仲がいい。

 男子寮にガルディアスが寮監として戻ることはない。その寂しさも自分を守る為に彼が選んだことだとエインレイドは理解している。


(問題はウェスギニー大佐の代理としてフォリ中尉がいたことだと思うんだが、誰が今度はウェスギニー大佐の代理になるんだ? あの男、正規の仕事に戻るのか? 国王陛下への報告義務及び非常時の特攻部隊長。・・・ここはドルトリ中尉か? 普通にウェスギニー大佐が仕事してりゃいいだけなんだが大丈夫なのか?)


 その辺りもウェスギニー大佐が一度は戻らなくてはどうしようもあるまい。

 さすがにこうなれば王城に戻ってくると思うが、今一つ信用できないのはあれが誠実な顔をしただけの悪夢だからだ。

 

「それよりね、フィル、眠くなっちゃった。今日、とっても早起きしたんだよ」

「普通はあんなことやらかしたら眠れなくなるもんだよ。早起きしたならちゃんと寝たんだろ。大丈夫だよ」

「大丈夫じゃない。それよりルード、センターの人達と一緒だった?」

「うん。凄かった」

「そう? でもね、センターの人と仲良くなっちゃ駄目。抜け目ないんだよ、外国人は」

「フィル程じゃないよ。それにお祖父(じい)様と父上、ユウトさんの仕事場の人だから招待するって言ってたよ」

「え。聞いてない」

「フィルがおうちに帰ってこないからだろ。大公殿下、なんかめちゃくちゃカスタマイズして、もう専用品にしてたし。あ、フィルがもらってきたの、呼吸システムつけてくれた。全身スーツつけたらある程度の水温に対応できるし、水中でも呼吸できるからって」

「・・・そのサービスが怪しすぎる。取り込まれちゃ駄目だよ、ルード。お金払った?」

「取り込まれたのはフィルだろ。父上が払うって言ってたけど、ユウトさんとの婚約のお礼だって言って受け取らなかったって。だから代わりに招待して歓待するんだよ。ユウトさん、このままだと一生独身だったから婚約しただけでも快挙なんだって。・・・・・・本当に解消できるわけ? 快挙って、あの人なんなのさ」

「するよ、当たり前でしょ。ユウト、子供の頃からレイドよりも色仕掛けとか信頼できる大人を装って近づいてくるとか色々あって人間不信だから仕方ないんだよ。その内、信用できる人を見つけて幸せになるからいいの」

「それで外国にいる子供しか信用できなくなって、その子供に結婚詐欺されてるんじゃどうしようもないだろ。来てた外国人だってフィルのこと知りたがってたよ。ここまであの人に貢がせるなんてどんな子なんだって。あの人、ちゃんと生きていけるのかな」

「詐欺じゃないもん。合理的な判断だもん」


 どうでもいいから私はさっさとミディタル大公邸へ戻りたい。恐らくネトシル侯爵邸からもすぐ戻るようにという連絡が入っていることだろう。

 国王即位予定とはどういうことか。譲位するということなのか。それは何年後を予定しているのか。そしてエインレイドはいつそれを聞かされたのか。

 ミディタル大公妃が知らなかった筈がないが、私には何も知らされていなかった。


(やはり直属の腹心となっていても真の腹心ではないってことか。いつミディタル大公家からいなくなるかも分からない以上、仕方ないことだが)


 ガルディアスと親しい自覚はあるが、さすがにこういう情報を先に流してもらえることはない。

 そして寮監メンバー達も聞いていなかったのか、その姿はもう2階から消えていた。





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