67 朝はしっかり食べたい
「おはようございます、アレナフィルお嬢様。今日のお空はちょっと曇ってますけど、昼には晴れると思いますわ」
「ちゃんとお布団をかぶって寝ておいででしたのね。朝ですわ、お嬢様。ちょっと早いですけど起きる時間ですよ」
「・・・んむぅ、・・・おはよーございます」
「はい。おはようございます」
「まだまだおねむですのね。おはようございます」
開けられたカーテンや窓から差し込む光に、どうして東向きの寝室を与えられたのか分かるような気がするけど分かりたくない。
目をこすりこすり、ちょっと柔らかな朝日を浴びて起き上がり、手を引かれて顔を洗いに行く。そこまでメイドをつけてもらわなくても大丈夫なんだけど、子供が泊まる時の練習も兼ねているらしいので、遠慮なく世話してもらっている。
シャワーを浴びる時もあるけど、今日はその余裕がないから顔を洗うだけにした。
「あのね、今日はちょっとだけ頭を可愛くしてほしいのです。リボンつけていきたいです。乱暴なことしていけない子だって言われないよう、勉強を真面目にしているお嬢様っぽいのがいいです」
「まあ、ほほほ。ではお勉強のじゃまにならないよう、後ろでまとめてからリボンをつけましょうね」
「お嬢様はよく動くからほどけにくいようにしないといけませんわね」
制服に着替えたらメイドが髪を梳かしてくれる。ちょっと編み込んでリボンをつけてもらった。
とても可愛いですわ、よく似合いますわねって言われたら、制服の上から袖付きエプロンをかぶる。
そうして一日はこんがりトーストとスープの香りが漂う食堂から始まるのだ。
(お祖父ちゃまの所と同じようで同じじゃないのは、これが省略スタイルだってことだね。こっちは制服で朝ごはんするのって横着スタイルだから)
本当は朝食の席に相応しいワンピースドレスに着替えてから食堂に行って朝食を取り、それから自室で制服に着替えて身だしなみを整えてから登校しなくてはならないのだが、その辺りは正式な滞在ではないからということで短縮させてくれた。だから制服での朝食オッケー。汚さないように袖付きエプロンかぶってプリティフィルちゃんの出来上がり。
さすがに他にも来客がある日は駄目だけど、普段はそれでいいと大公妃が許可してくれた。
言うまでもないが、貴婦人(推定王妃様)がいらしている時はやはりワンピースドレスに着替えてから席に着く。貴族の娘である以上、王族に対しての非礼は許されないからだ。
それを言い出したら大公夫妻にも礼儀を尽くさなくてはならないのだが、・・・大公自身がそれを毎回台無しにしていた。
私は貴族令嬢であって疲労吸収グッズではない。私を見つけるなり抱き抱えてスッキリしたらポイする人にどんな礼儀を尽くすべきなんだろう。
私はお気軽お手軽なスタンドバーか、休憩所に置かれた無料ドリンクか。
優雅なお辞儀を披露する前にひょいっと抱き抱えられて頭を撫でられて一方的に喋ってるなと思ったらポイされるときた。疲れが溜まっている時は抱っこされて大公の首に両手を回させられて強制的に密着状態にされちゃう。
知らない人が見たら、私ってば実の息子よりも溺愛されてる女の子。
大公妃が見たら、私ってばうたた寝よりもお手軽エネルギー補給源な女の子。
実はウェスギニー家の双子達ってばミディタル大公と愛人との間にできた隠し子で、同じ特徴の色合いだったから出世と引き換えにウェスギニー家のフェリルドに養育を押し付けたとかいう噂まで出回っているそうだ。
そんなことをミディタル大公軍エリアにいた小父さんが教えてくれた。その噂を作った犯人が君だねと、言いたくなった。
私がサービスしていたのは大公妃であって、その夫君は対象外だったのに。
『あなた。息子よりも幼い子に手を出してると噂されますわよ。限度をお考えになってくださいな』
『妃ばかり不公平だろう。私は見つけたら捕獲する程度だが、そなたにはこの子から抱きつきに行ってるではないか。時間にして妃の十分の一も触れてはおらん』
『大公様。それは仕方ないです。大公妃様、とっても心が疲れてます。それに大公妃様にくっついてても醜聞にはならないです』
『安心したまえ、アレナフィルちゃん。醜聞になった方が領収書不要、申告不要、返金不要な寄付がどんどん集まってくる。ガルディアスやウェスギニー家では分からんルートだ。がっぽがっぽ溜め放題で、一生遊んで暮らせるぞ』
『・・・・・・大公様、・・・えっと、もっと撫でてくれていいです。特別サービスでおててにすりすりもしちゃいます』
『アレル、セブリカミオ様やレミジェス様には知られなくてもフェリルド様の耳には入るわよ。彼、情報部とも接点があるもの』
『やっぱりやめておきます。子爵家の娘として異性とは距離を保ち、身も心も清く正しく生きるのです』
切ないことに現実は私の意見など無視して流れていった。大公妃と私の意見がどうであろうと大公が自分の行動をセーブするはずがないからだ。
私がミディタル大公に気づいたら廊下の端に寄り優雅なお辞儀をしてみせる流れは不可能となった。私を見つけた途端、抱き上げるからだ。大公妃の前でよその令嬢を寵愛する大公。問題は大公妃が全く嫉妬しないことかもしれない。
ゆえに大公に礼儀正しくしなくても不問にすると一筆書いてもらった。額縁に入れて部屋に飾ってあるけど、メモ用紙の切れ端に書き殴ったものなのであまり有り難みはない。恐らく公的には無効だ。
自由人なミディタル大公は諦めるとして、それなら大公妃にも礼儀正しく正装してお辞儀しなくてもいいのかって話になるけど、そこは縁戚関係にある親しい身内枠で了承されている。
本当は親戚でもよその邸宅で寝泊まりしておきながら学校の制服姿で食事をいただくのはだらしないにも程があるところだ。制服とはあくまで学校に通う為に纏うものであって、その制服姿で訪問したのでない限り、そんな服装で食卓に着くものではない。
だけどミディタル大公妃は私の睡眠時間を考え、朝は制服の上に袖付きエプロンという恰好での食事を許してくれた。少しでも多く寝ておきなさいと言ってくれた。いい人だ。本気で優しいお母さんだ。
(こんなに優しいひとをムカつかせたパピーも凄いけどね。きっと遠回しなアドバイスを全て無視してたんだよ。大公妃様、強要にならないよう婉曲に伝えるからパピー聞き流してたんだよ)
私は大公妃に、うちの父の操作法を教えてあげた。はっきりきっぱり誤解のないよう要求をすっきりストレートに伝える。それだけだ。スケジュール的に無理じゃなければ大抵は聞いてもらえる。
身分差的に無理を押し付けてはいけないと自分を律している大公妃だけど、それからは父を見かける度にストレートに伝えるようになり、今度は父が大公妃にたじたじとなり始めた。
(大公妃様、期限区切ってしっかり履行させる人だもんなぁ。パピー、今までマーシャママやジェス兄様が代わりにやってくれてたから、代理人不可能で父親としての義務を履行させようとしてくる権力者、初めてだったんだね)
父の受難はともかく、私に甘いミディタル大公妃ととる朝食はとても楽しい。食堂の壁に飾られた絵画についても分かりやすく教えてくれるので美術品の見る目が鍛えられそう。
使用人用の食堂も楽しいけど、大公家専用食堂は大人の雰囲気が漂っている。一定期間ごとに掛け替えられている絵画を見るのも楽しみで、豊穣や収穫をテーマにした絵画が素敵すぎた。
「おはようございます、大公妃様。
【和おじさんもおはよう。もしかして徹夜した? なんか顔色がくすんでるよ】 」
先に食べていた二人はどうやらサルートス語で会話していたらしいが、和臣の顔色は寝不足が感じられる。だから私はファレンディア語で尋ねてみた。
「おはよう。アレル、今日は可愛いリボンつけてるのね」
【おはようさん。お前さんの映像を見て改良点を分析してたからな。あれは撮り方がなっとらん。あと五回ほど襲われて全角度から映像にしてこい】
「髪を可愛く編みこんでもらったので、どうせなら髪ゴムよりも可愛いリボンで攻めていくのです。私は今日からエインレイド様とウソっこラブラブするのです。ガルディアス様狙いの人は他の人と喧嘩すればいいのです。ここはもうエインレイド様との仲を見せつけてしまうのです。
【冗談やめてよ。勝手に盗撮されてたんだよ。全くこんなんじゃ起動のそれもすぐにばれそうだよ】 」
私の持っている和臣特製グッズは私の声で起動する。同じような声を作られてしまえばどうなることか。ファレンディア語を話せる人はまずいないけど。
(単体ならそこまででもないけど、やっぱり虎の種が揃うと安心感が違うなぁ)
ライムグリーンのカラーシャツにホワイトのスラックスといった爽やかそうな色合いの和臣と、レンガ色のゆったりとしたドレープ仕様のワンピースドレスなミディタル大公妃。どちらも虎の種の印を持っている上、私の保護者を自認してくれているので安心できる。家族じゃなくても信頼できる。
そう思ってしまうのは私ぐらいで、大抵の人は近寄りがたいイメージをこの二人には持つようだ。
口を開けばお調子者な和臣も真面目な顔をしていれば切れ味の鋭いナイフのような面持ちだし、私には優しいミディタル大公妃も人前ではきりっとした表情をしていることが多いからだろう。
「こんな感じでちょっとおしゃれしてエインレイド様と仲良くしてたら確実にそっち狙いって思ってもらえますよね?」
普段はシンプルに一つにまとめた髪をゴムで留めているだけの私が、学校に行くというのに編みこんでからリボンをつけているものだからミディタル大公妃が面白がる顔になった。
「あらまあ。それならスカートにした方が分かりやすいと思うわよ。それで学校で見せつけたとして、ガルディアス狙いのお嬢様が上等学校にいるのかしら。知ってもらえなかったら意味がないでしょう?」
【もう承認は組み込んであるから即時発動だぞ。他の奴は使えんから知られても意味ないだろう。それよりセンターの技工士達が来ているようだが?】
和臣が痛いところを突いてくる。この地獄耳め。
ミディタル大公妃は私達の会話内容が分からなくても気を悪くすることはなかった。
自分の席に着けば、オレンジジュースがテーブルに置かれる。
目覚めの一杯なる冷たい果汁。素晴らしい。牛乳も悪くないが、優雅にグラスで飲むのはオレンジジュースであるべきだ。朝食の美学を貫ける、それって淑女のレベルが違うってことだよね。
「おはようございます、アレナフィルお嬢様。すぐに朝食を運んでまいります。本日の卵はどういたしますか?」
「ありがとうございます。それなら、・・・今日は半熟茹で卵でお願いします」
「かしこまりました」
お礼を言って飲めば、やっぱり絞ったばかりの果汁が爽やかだ。こくこく飲みながら、私は和臣対策を考える。・・・駄目だ、思いつかない。
「うまくいけば上等学校生にいる弟や妹から話がいくかもしれないのです。制服のスカートは作らなかったのですが、そこはもう演技力でいきます。何よりもそこであまりにも女の子アピールしすぎて今まで静観してた人達に睨まれたくないです」
「あらあら。見せつけたいのかそうじゃないのか迷走してるわね」
「だって子供ってどうしても突っ走るじゃないですか。二十人ぐらいに囲まれて校舎の裏に連れていかれてつるし上げにされるのはさすがにイヤです。
【なんてこった。毎回、きっちり承認させてたよ。だってその日の体調で結構声って変わるし。あ、それなんでもう知ってるの? センターの人達とっくに来てたんだって。最近、大公様見てないと思ったら、なんかそれでいなくなってたらしいよ。レスレ川の一部を封鎖してウミヘビ試してるって昨日聞いたの】
えっと、大公妃様。大公様が最近おうちにお帰りにならないの、ウミヘビが来てるからでいいんですよね?」
一応、ミディタル大公妃に確認してみた。
フォリ中尉の場合、私を騙そうが利用しようが、「こちらの事情ぐらい分かるだろう。許せ」で終わらせる気配がドドドドドカンだ。まあね、気持ちは分かっちゃうから許しちゃうけど。
あの人、14才の子供に対して要求多すぎだよ。子供にしていいことじゃないよ。たまに私の本当の年齢を見抜いてるんじゃないのかなと思っちゃうよ。あり得ないけど。
私がファレンディア人だった時の記憶を持つことを知るウェスギニー家の大人達は、貴族だからこそこんな事情を王族や王城に漏らすことはない。アレンルードと私が研究機関に引き渡される結果となりかねないし、周囲から足を引っ張られて家門の消滅が起きる可能性すらあるからだ。
「ええ、そうよ。もしかしてアレルも行きたいの?」
「いいえ、行きたくないです。そうじゃなくてニシナさん、行かせちゃ駄目なので知らせたくなかったのに、何故かもう知ってるという事実がここにあります。私でさえ昨夜知ったばかりだというのに」
「ああ、それは私が話したのよ。行かせちゃ駄目も何も、ニッシーさん、行ったら通訳の手伝いさせられそうだからお断りだそうよ。だけど尋ねちゃいけなかったのかしら? やっぱりファレンディアのことならまずはファレンディアの人に聞いちゃうのよね。ニッシーさんは本当に分かりやすく説明してくれるもの」
「・・・へ? まあ、言われてみればたしかに、・・・問題はないかもしれないです」
なんてこった。まさかの情報漏洩者はミディタル大公妃。そりゃセンターと和臣の仲を知らなければ仕方ないけど。いや、今はもう気にしてないって言ってたから大丈夫なのかもしれない。
行動を予測しておかないと知った時にはあとの祭りになりかねない和臣だけど、もうセンターを敵視していないならとても頼りになる人だ。
私よりも和臣に尋ねた方がファレンディア国の現状についても確実な情報を得られるだろう。
ミディタル大公妃だって夫が帰ってこないんだし、情報を握ってないか尋ねるぐらいはするよねって納得できちゃう。
そこで私、ミディタル大公妃にウミヘビ情報を渡していなかったってことに気づいた。
【それだがな、もしかしたら違う人間も入りこんできたかもしれん。お前さんが童顔キチク男とか言ってる男によると、高名な博士がやってきたそうだ。ユウキ・タミヤ。聞き覚えは?】
【・・・多分、ない。優斗に聞いてみようか? 私だって知ってるのは昔の人だけだもん】
【なるべく早めにな。私はまず教育機関に接触したが、その方が学者として尊重されるからだ。この時期に同じ手を使ってやってきたファレンディア人。無関係かどうかも調べさせとけ】
【それならお昼ぐらいに文書通信入れてもらうようにジェス兄様に頼んどくね。そしたら優斗も朝から見るわけだもん。ついでに論文データ公開内容も調べてもらっとく】
【ああ】
学者と言っても、分野が違えば全く違う世界だ。自分と同じ分野であればどういった研究内容の論文をどこに発表しているか、どこの企業や学問機関に所属しているかといった情報である程度のレベルを推し量ることはできるけど、全く違う分野となると難しい。
研究レベルで評価される人もいるし、名前の登録といった箔をお金で買うような人もいるし、はたまた助手や弟子、生徒の研究成果を掠めとる人だって珍しくない。
そういう意味では和臣もまた国内では無名な学者だ。発明家を名乗っていることもあり、ただのイロモノと思われている。研究者としてその名前を調査したなら何も出てこないだろう。
国外で高く評価されているカラクリなんて知りたくもない。
【それより大公妃様にウミヘビの話どこまでしちゃった? 私、大公妃様にあんまりウミヘビの説明してなかったって今気づいたよ】
「ん? タイコーヒ、一段落したら私とウミヘビを使う、約束した。アレナフィル、タイコーヒにウミヘビの話する、言っている。タイコーヒ、ウミヘビの説明、もっと必要か? タイコーヒ、もっと別に知りたい部分があるか?」
「あら、違うわよ。ああ、そういう勘違いをさせてしまったのね。ファレンディアのことはファレンディア人であるニッシーさんに尋ねると言ったのが、ウミヘビのことだと思われてしまったのかしら」
「え? 違うんですか?」
「了解した。タイコーヒの質問はユウキ・タミヤの情報。今、アレナフィル、婚約者にユウキ・タミヤの問い合わせをする、約束した」
「それでアレルが真面目な顔になっていたのね。別にそこまで深刻な話じゃないわ」
なるほど、ウミヘビは後日和臣が個別に時間を取って教えるという約束が、・・・・・・どうしよう、なんでそこまで距離を縮めてるの。私、ミディタル大公妃の愛人に和臣がなってしまったら失踪するしかないよ。
二人を引き合わせちゃった責任なんか取れないよ。何よりうちにとばっちりなんて来てほしくないよ。
そりゃ仲良く会話していても色恋めいた空気はないけど。
(なんでセンターが関与してるウミヘビのことを和おじさんが知ってるんだろう。街で発明家していた人がどうして知らない兵器を扱えちゃうわけ? 本当に教えられるの? いや、考えるまい。そんなことよりなんでそこまで仲良くなってるかってことだよ。駆け落ちなんてされたら泣くよ)
そうなった時は一目散に逃走しよう。うん、そうなるまでは考えるまい。
今はユウキ・タミヤという不審人物の詳しい情報が欲しいということだ。どれだけあの国に研究者がいるかと考えれば、そんなの分かるとは思えないけど問い合わせしておけば義理は果たせる。
「そりゃ怪しい人って心配になりますよね。今、エインレイド様も通学しておられますし。専門とかも分かれば余計に調べるのは早いと思うんですけど」
「そこがよく分からないのよね。医療関係らしいけど、医師や薬師とは違うらしいの。専門用語を理解できる通訳がいなくて、クラセンさんもそれでニッシーさんに問い合わせてきたのよ。私もその報告は聞いたけど、そういう分野ならただの観光だとは思うけれども、ね」
「心配するお気持ちは分かります。医療関係で医師じゃないけど高名ってことは産業分野でしょうか。外国でも名前が通っている博士でも、企業や医療機関が抱えこんでる先端医療関係の開発担当なら一般には名が知られていないかもしれません。あまり期待せずにお願いします」
よほどの有名人なら名前ぐらいは分かるだろうけど、センターでは医療研究など一部でしかしていなかった。それも治療分野ではなかった筈だ。
だけど様々な分野で提携したり、お互いにデータを取って融通したりと、違うセンターや工場と協力することもあるので何とも言えない。
「十分よ。あなたの婚約者はどういう専門家なの?」
「えっと、技工士の仕事? だとは思うんですけど、・・・今度聞いておきます」
かつての弟はセンターで育ち、様々な分野の助手経験がある。つまり、どの研究分野でも専門家として成りすませる子だ。
本当の専門は毒物関係だと思うけど、貿易都市サンリラでは技工関係の仕事をしていると言っていたので専門を変えた可能性もある。あの時は他人の名前を勝手に使ってたし、私を疑っていたわけで、優斗の語った情報がどこまで本当かなんて分からないけど。
あの子の秘書をしている佐々木という女性によると経営者サイドの仕事に駆り出されているようだから、本当に奴隷よろしく朝から晩まで働かされて専門どころか全ての雑用係かもしれなかった。
「アレルは徹底的に下調べして予定を立てる子なのに、変なところで気にしないのね。セブリカミオ様もフェリルド様もあなたの婚約者なら情報は必要以上に集めると思っていたのだけれど、そんな様子もないし」
心配性なミディタル大公妃がぼやいてる。私を預かっている内に息子の嫁はこの子でいいんじゃないかと思い始めている大公妃、どうも私が不憫に思えて仕方ないらしい。別に不憫な人生は歩んでないと思うんだけど、滑り止めとしてはかなりいい線だ。なんといってもお金持ち。
嫁いびりされないという意味でも生活待遇でも最高クラスな嫁ぎ先。実の息子より可愛がられちゃってる。
(でもなぁ、姑で結婚相手を選ぶのも何か違う気がするしなぁ。それにここだと、舅にいつも抱っこされて頭撫でられてる息子の妻という、まさに道ならぬ愛憎劇場とか噂になっちゃう気がする。肝心の旦那様がそれを気にしないという、なんかよそから見たら破綻した家庭になっちゃう気がする)
肝心のフォリ中尉はこの大公邸だけじゃなく王城と男子寮にも部屋を持ち、更に私邸を所有しているものだから存在感があまりない。うちの父レベルで忘れ去られている存在感だ。
あの人と結婚したら、従弟の第二王子に妻の相手を任せて仕事に行きそうだ。私の悪名、待ったなしになりそう。みんなを惚れさせずにはいられない愛のカリスマとか言われちゃうかもしれない。
(大人になったら和おじさんとも飲みに行ったりしたいしなぁ。ほんと、私の行動をチェックしないで好きにさせてくれるパピーみたいな人がいるといいんだけど)
ここでは浴室と衣装室、寝室と居室から構成される客室を提供してもらい、お世話してくれる人も何人かつけてもらっているから十分に好待遇だけど、普通はそれが当たり前なのが貴族令嬢。
お部屋にしても私は使う度に簡単に片づけるけど、普通の令嬢は使ったら使いっぱなしだから、そこまで気を遣わなくていいんですよと、私付きのメイド達にも言われてしまう。
着替え用の部屋でも服を散乱させて放置するようなことをしない私は、あまりにも貴族令嬢らしくなかったらしい。
おかげでそれなら軍の生活をこなせそうだなと大公に言われてしまったけど、そっちは心の底から遠慮したい。
そしてミディタル大公妃は、私の外国人婚約者の調査資料が全くないことにかなりおかんむりだ。そんな怪しげな人と婚約させるなど、どこまで無責任なのかとうちの父に対してかなり怒っている。どうせ解消予定だからどうでもいいと思うんだけど、そういう問題じゃないらしい。
「あの国に調査を入れても大金を使ってデタラメ情報しか取ってこれない以上、本人を見て判断するしかないからだと思います。だから祖父母も次は絶対にうちまで連れてくるように言ってるんですけど、なかなか行き来できる距離じゃない上、忙しいようで・・・」
「そういえば三週間に一日しか休みが取れないって言ってたわね」
つい視線が泳いじゃう。
実はあまりにも人権問題について言われてしまいそうだから語らなかったことがあった。
ファレンディア国において1週間とは10日間であるということを。
そしてサルートス王国では1週間とは6日間で、1ヶ月は36日間。
ファレンディア国では1ヶ月は30日間なのだ。つまり皆が3週間に1日の休みっていうのは18日間に1日の休日だと思いこんでいるわけだが、実際の優斗は30日間に1日の休みしかない。
あの子が若くして過労死しないよう、できることなら婚約者という立場からセンターではあの子の労働環境に対して物申してきたい。
労働局の監査関係に密告してでも是正させなくてはなるまいと私は決意中だ。
「はい。私も不審人物がいるけれど知ってる人だろうかという問い合わせをしたなら、知っている人なら教えてくれるとは思いますが、あの婚約者に自分自身のことを尋ねても嘘しか教えてくれないだろうなって思ってます。どんな仕事をしていてそこまで忙しいのかって尋ねたら、何も教えてくれなかったんです」
かつての弟は、父親への絶対服従精神がヴィンテージレベルで醸されている。あの子がそれでも父親に反旗を翻すことがあるとしたら、私に係ることぐらいだった。
サルートス王国までやってきたのも、私が関係していたからだ。そのくせ、自分のことなら何も主張しないのだからどうしようもない。本当にいつまで経っても世話が焼けてしまう子だ。
「まだアレルは子供だもの。心配をかけたくないんでしょうね。あそこまであなたに貢いでくれてるのに、アレルったら慎重ね。陛下までのめりこんでおられる程の物をくれたわけでしょう? 本気であなたを望んでなかったらそこまではしないわ。あなたが本当に婚約解消できるのかしらって私も心配にはなるのよ。今、あなたったらガルディアスの妃候補にもなってるし」
小さくカットされた野菜が入っている琥珀色のスープをはぐはぐと飲んでいた私は、やはり大公邸のお食事は美味しいと感動した。
慣れ親しんだマーサの家庭料理もほっとする馴染みがあってぱくぱく食べられちゃうけど、まさにみじん切りすら整然と同じ大きさに揃えられている本職の料理は格別だ。
自分ではここまで作れないって分かってるから全力で堪能したい。
「本人も知らない妃候補とは一体・・・。だけどあれ、独身貴族女性なら全員が候補なんですよね? 私も婚約するまではエインレイド様のお妃候補の一人だったと聞きました。そして学校に在籍する貴族令嬢のほとんどが該当してるって」
「そうだけど、一応は順位もついてるのよ。今、アレルったらかなり高い順位みたいね」
ミディタル大公妃は、私が今すぐ優斗と婚約を解消してフォリ中尉と婚約届を出してくれて構わないといったスタンスである。
婚約届を出してしまえば私をウェスギニー家から引き取って養育することも可能だからだ。
愛する家族と離れ離れになるのは困る上、今はまだ猫かぶり滞在だから我慢できるけど、やはり趣味に没頭できる自宅は手放せない。
たまに遊びに来ることができる立場をキープしておきたいのだ。
なんと言ってもミディタル大公妃とはおしゃれやお化粧テクニックについて語り合えちゃう仲である。
(おうちならマーシャママが毎日抱きしめてくれるけど、ここだと大公妃様、朝食と夜中しか会えないこともしばしばだもんなぁ)
そして自宅周辺には工事も入っている。ローグとマーサ、そして和臣が暮らすことを考えて建設中だ。
外国人がこの国に不動産を買うのはなかなかハードルが高いらしい。和臣好みの間取りと大きさの工房と店舗を建て、それを貸し出すプランが進行中だ。
その土地が父の母方の伯父による贈与となると権利問題も絡むので、全ては父名義になると聞いている。
そんな父は建物の間取り他、ある程度の条件を伝えた上でガイアロス侯爵と祖父、そして叔父に打ち合わせは任せていた。叔父によると、和臣が希望する工房の規模についても本人の希望を最大限に配慮するそうだ。
おかげで和臣もミディタル大公邸ではなくウェスギニー子爵邸によく出かけている。サルートス王国における市販の物の売れ筋とかも調べているらしい。発明家として需要を知っておきたいそうだ。
「そんな気はしてました。ガルディアス様、エインレイド様可愛さに私を利用する気満々です。従弟の遊び相手ゲットの為に結婚詐欺を仕掛ける男です」
「個人的にもあなたを気に入ってると思うわよ」
「あそこまで太っ腹なのはそうかもしれませんが、それは私が利用されていると分かっていても怒らないし、無駄にドリームに浸らないってのも加味されてる気がします」
まあね。フォリ中尉なりに私を可愛がってるのかもしれない。
その可愛がり方は、いい子だなとおやつを与えて抱き上げ、気が済むまで頭を撫でて堪能したら、じゃあこれから仕事だからとポイッと捨ててく奴だ。一人暮らしをしている独身者が実家に戻ってきたら笑顔でペットを撫でまわし、何も世話せず帰っていくのに似ている。
うちの父レベルで甘い時間の維持を期待できない気配が濃厚だ。結婚したら奥さんに浮気されてても気づかずに一年経ってるタイプと見た。
本当に妹が欲しかったのなら妹扱いに立候補する令嬢は多いだろうに。
これでミディタル大公とかオーバリ中尉とかが、和臣の護身グッズで私がどこまで動けるかを知ったら、遠慮なく鍛錬場に引き出されるだろうと私は見ている。だけどフォリ中尉とネトシル少尉なら、私が泣きつけば庇ってくれそう。だから敵に回したくないんだよね。
私は私の味方を損ないたくない。だって何があっても私の味方な父は、いつ帰ってくるかも分からない風来坊ライフだ。
ネトシル侯爵家の次男ローゼンゴットは、・・・ミディタル大公につくな、きっと。
「アレナフィルは可愛い。虎はアレナフィルを欲しがる。だけど、アレナフィルは子供。アレナフィルは家族に甘えたい。今、アレナフィルが一番欲しいのはタイコーヒだ」
「あらあら。いつでも母親になら立候補するわよ、アレル。娘というより年下の友達になってきてるけどね」
「う。・・・だって、今まで同性のお友達っていなかったんです」
平民しか通わない市立の幼年学校ではどうしても身分の差が発生していたし、気にせず一緒に遊んでいても、あちこちにその差は現れていた。
私は別にほつれた衣服を着る必要もなかったし、お下がりの服を着なくちゃいけないこともなかった。なるべく埋没できるようにマーサも考えてくれていたけれど、シミの落ちない服を着続けることはなかったし、どこまでも私達は恵まれていた。
そしてクラスメイトがのめりこむような物に、私はそこまで熱意を傾けることができなかった。どちらかというと、双子の兄やクラスメイト達を子守りしていたと言える。
大公邸で暮らしている今、ちょくちょくとミディタル大公妃の書類整理を手伝ったり、代わりに通話通信を入れてみたり、ビタミンやミネラルたっぷりな飲み物を厨房に頼んだりしている方が手慣れていたりするわけで、ミディタル大公妃は幼い私が父の自宅持ち帰り業務を手伝わされていたのではないかという疑惑を募らせ中だ。
すまない、父よ。悪気はなかったんだけど、きっとうまく話を合わせてくれると信じている。
「あ。今日のパンはカリッと揚げてる?」
「アレナフィルお嬢様は溶けかけのバターと半熟茹で卵をパンにつけて食べるのがお好きですから、今日はちょっと軽く揚げたものをと。揚げるという程ではなく、少しパリッとする程度のバター揚げなので、こちらで手をお拭きくださいませ。それではパンが余るだろうからと、半分はチョコレート掛けにしてあるそうです」
「わぁ。・・・幸せ。二人とも普通のパンで悲しくないですか?」
別に二人がシンプルというわけではない。朝からとてもこんがりとした分厚いベーコンや野菜などのソテー、そして目玉焼きは二つだ。サラダだって私のような小皿ではなく、とても沢山の具が入っている中皿だ。
それでも私のように食べやすいようにスティック状カットなんて配慮はされていない。パンだって普通にスライスしてトーストされたシンプルなものだ。
私のように細長くカットし、軽くバター揚げしたパンではないのだ。お皿も温かい状態なので本気でバターの甘さと香りが口に広がって幸せの極致だが、この美味しさを共有できないのはちょっと寂しい。
「そこまでバターをたっぷり欲しいとは思わないわね。蛋白質は取っておきたいけど」
「アレナフィル、子供の舌。タイコーヒ、私、大人の舌」
「う」
それはたまに私が挫折している事態だった。
昔は好んでいた味が、今の体だと美味しく思えない。焦がす程ではなく、香り立つそれがぎりぎりのところで焙煎したコーヒーも以前は美味しく飲めていたのに、今では苦くてノーサンキュ。
大人へのおねだり目的なサービスで美味しいコーヒーやお茶を淹れてあげたい私、大人の味覚を持つ和臣に手伝ってもらって勘を取り戻しているところだ。
(けっこうパピーの舌に合わせてあげていたつもりだけど、やっぱり違ってただろうなぁ。まあ、そこまでグルメじゃないと信じよう。だって普段はクソまずい飯しか出てこないってヴェインお兄さんも言ってたし)
明日も今日と同じバター揚げスティックパンを食べたいですと、リクエストを出してから、私はウェスギニー子爵邸にお昼になったら優斗に送信してほしいという通信文を送り、そうして学校に向かうことにした。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ミディタル大公家で私につけられている護衛という名のガミガミお説教チームは、ネトシル侯爵家の次男ローゼンゴットが責任者だ。私の部屋に出入りしたり、一緒に出掛けたりする際の同行者は女性と決まっているけど、そんなお姉さん達は私にとても優しい。多分だけど、私を誘拐した貴族令息な護衛達に恨みがあったんじゃないかな。
(女兵士って筋肉もりもりなイメージがあったけど、そうとも限らないんだなぁ)
体格は人それぞれだけど、変装上手なデリアンテッセは元々女優を目指していたそうだ。
舞台の裏側はかなり乱雑で、見かねたデリアンテッセが服の手入れや小道具の整理などしていたら舞台の混乱が減った。それで女優より裏方仕事を任されるようになり、やがて事務スタッフも兼任させられ、いざという時は代役も務められるお役立ちな彼女は、なぜかミディタル大公の軍に入った。
最後の経緯が全く分からないが、ウェスギニー子爵邸からやってきた針仕事が上手なメイドに服を作ってもらう際、彼女の意見がとても役立っている。さすが舞台に立っていただけはある。
私につけられている女兵士は他の仕事があったらそちらを優先することになっているので、ローゼンゴットは様子を見ながら男性の割合を増やしていた。
私と一緒にいてもデレデレしないタイプを残し、私にこっそりお菓子を渡そうとしたり、抱き上げて頭を撫でようとしたりする男の人はすぐに外された。
ローゼンゴットに言わせると、そういうことをしていいのはミディタル大公夫妻だけらしい。
(誰にでも笑顔なフィルちゃんだからこそ皆に愛されているというのに。私だって色々なお菓子を食べてみたいのに。駄菓子にだって駄菓子の良さがあるのに)
分かってなさすぎるローゼンゴットに、私は人生でとても大切なことを教え諭した。
「それは差別です。親元を離れて孤独に過ごしている子供がいるのです。大人としてその子供を目にした誰もが優しく甘やかし、大切にしてあげなくてはなりません。子供に対する博愛の心をあなた方は学ぶべきです。だから子育てしたことない独身男ってのは気配りが足りてないんですよ」
こやつは弟のネトシル少尉に弟子入りし、いかに私が優れた愛の妖精であるかを知るべきである。
この気持ちはなんだろう。そうだ、この次男坊、私への敬意が全くもって足りてない。
「私もあなたに優しい人を揃えてあげたいのは山々です。私だってできることならあなたを甘やかしてあげたいのですよ?」
ローゼンゴットは全く曇りのない笑顔で言ってのけた。
せめて申し訳なさそうな表情を作れんのだろうか。
(そんなら遠慮なく甘やかしてくれていいのだ。優しい人だけ揃えて全ての我が儘を聞いてくれていいのだ。どうしてこの男、笑顔で嘘を言うのだ)
なんでも14才の子供なんぞの言葉を聞き入れて危険な建物に残していったローゼンゴットは己の愚かな行為を猛省し、私の面倒をみながら私の言葉を却下する訓練を護衛チーム共々実行しているそうだ。
なんぞという彼の言い草に、私はとても引っ掛かるものがあった。
「やはり男兄弟だけだと無神経でデリカシーがないまま育つ弊害が出ちゃうんですね。姉妹がいないと女の子の扱いが分からないまま無神経でガサツな欠陥品大人ができあがるんですね」
これでも私は成人女性の記憶を持つ少女。
家族に母親しか女がいない家に育った男の、的外れな女の人に対する思い込みには覚えがあった。身近な女性モデルが息子を愛して尽くしてくれる母親のみ。だから父親に愛されて育った女の子の気持ちが分からず、自分なりの解釈を貫くときたデリカシー皆無男問題。
きっとローゼンゴットもそのタイプ。
「黙れクソガキ」
「クソガキ!?」
「ああ、クソガキという自覚はあったんですね。そこから普通のお子様に頑張って昇格しましょうね」
「はにゃっ!?」
私は周囲にいた他の人達に、
「い、今、ローゼンお兄さん、私をクソガキ呼ばわりしましたよねっ!?」
と、シャツを掴んで確認したが、
「いえ、聞いておりません」
「そんな言葉はありませんでしたよ」
「可愛いアレルちゃんにそんなこと言う人いないでしょう」
と、誰もが目を逸らしながら白々しく言ってのけた。
多数決という名前の暴力は非情だ。孤立無援の悲哀を私は知った。
「私だって心苦しいのです。ですがこれが大公様より私に与えられた罰なのだから仕方ありません。アレルちゃんも私と一緒に頑張って素敵な大人になれるよう努力しましょうね」
そんな戯言、誰が信じるのか。ミディタル大公からの罰だとローゼンゴットが勝手に言ってるだけじゃないのか。そもそもローゼンゴットにどんな心苦しさや頑張りがあるというのか。
(今度は自分もまぜろと言ってのけた大公様がそんな罰を与えるかっつーの。かえって私を自由にさせてもっと騒動起こさせろぐらい言ってるよ。そして大公妃様が正反対の命令出して、常識的に皆が大公妃様に従ってるってヤツだ。だって大公様、責任取ってくれなさそうだもん)
ミディタル大公は面倒になったら「妃に言っておけ」な人だ。
つまり大公夫妻の意見が異なるからと大公命令に従ったとして、後処理の全権は大公妃。大公妃命令に背いた時点で左遷承諾書にサインするようなものである。生活がかかっているなら大公妃に逆らっちゃならんというわけで、しれっと大公妃に従っているローゼンゴットは自分が可愛いタイプと見た。
大公妃が多忙な根本的原因はミディタル大公だ。大公の凄い点は、それでも見捨てずに尽くしてくれる妃を選び取ったことだと断言できる。
優秀な私の頭脳はローゼンゴットの欺瞞、そして狡賢さを見抜いていた。
(そういう意味で大公様、見る目だけはあるんだよね。大公妃様、情が深い人だし。ローゼンお兄さんも減給とか言われてたけど、どう見ても何の権限も落とされてないよね)
そんなローゼンゴットに本気で逆らうと後が怖い。多少の反抗なら許してくれるが、彼なりの限度を越えたら問答無用で実行する。
この間も扉の向こうから何回か聞こえてきていた「早く寝るんですよ」という言葉に「はぁい」と毎回明るく答え、大公邸の図書室で見つけた大人の本を「甘いわね、そこは押してかなきゃ」などと文句つけつつ読んでいたら、乙女の寝室にノックも無しに無言でずかずか入りこみ、私を毛布でぐるぐる巻きに縛り上げて出ていった。
気分はロールケーキと言いたいけど、ただの簀巻きだった。
次は犯罪者用の拘束衣を着せますよと言われているので、それ以来、彼がそろそろ寝るようにと言ったら大人しく灯りを消すようにしている。
そんな私を和臣は、
【子供の睡眠不足は成長に差し支えるからな】
とか言って助けてくれなかった。
そこらへん、ゆるゆるだった父が恋しい。父は子供の夜更かし程度は何とも思ってないところがあった。
そろそろ寝なさいと言いはするけど、眠くないと答えれば眠くなるまでお喋りしてくれたり、ホットミルクを作ってくれたり、裏庭で一緒にお散歩してくれたりする。
だけどローゼンゴットは、夜に部屋から出るものではありません、眠れないなら眠るように努力しなさい、寝る前に何か飲んだらおねしょしますよと、全くもって対応に救いがない。
ちょっと甘えモードで、
「あのね、ローゼンお兄ちゃま。寝るまでお話してほしいの」と、おねだりしても、
「立派な淑女は結婚するまで寝室に男性を入れないものです」と、お説教してきた。
それなのに立派な淑女の寝室にずかずかと入りこんで簀巻きにするローゼンゴットは、自分の発言に対する責任感を全く持たない。
女性護衛メンバーは優しいけど、ローゼンゴットの命令に反することはできないそうだ。全てにおいてローゼンゴットが立ちはだかってくるこの状況。
そして登下校や外出時には男性護衛もいて、地味に私にダメージを与えてくる。
男性の護衛メンバーはローゼンゴットに心酔しているタイプしか残ってないからだ。
(ローゼンお兄さんと私とどっちを信じるのと言ったら即座にローゼンお兄さん。あいつら絶対おかしい)
基本的にローゼンゴットが登下校の際に付き添うが、用事で外れることもある。元々、私は真面目にクラブ活動し、図書館にも立ち寄って勉学に励んでいる優等生だ。
だからローゼンゴットが数日ほど目を離していたら、なんと昨日、私は王城図書館の庭で貴婦人達とその手下達に襲われてしまった。
接触程度は予想していたローゼンゴット、
「せいぜい物陰で罵られる程度だろう。誰もが同情するような証拠映像を撮っておけ」
と、別動隊に命じていたらしい。
身分証明書が無いと入れない王城図書館だ、暴力はないだろう、怖けりゃラッパを吹けば警備がすっ飛んでくるさと、ローゼンゴットはあくまで証拠の確保を重視したのである。
(あのおもちゃラッパの赤いボタンを押しながら吹けば、『たすけてー』という音が鳴るとか言われても、誰があんな音の外れたヘルプコールラッパ、学校や図書館に持っていくというのだ。ディーノなんて大笑いしたってのに)
その結果がアレだ。
ゆえに「こんなクソガキ信用なんてするんじゃなかった」と、冷たい怒りを燃え上がらせて言ってのけたローゼンゴット、今朝は苦笑するゲルロイゼと共に私と同じ移動車に乗りこんだ。
クソガキ呼ばわりもひどいが、信用したことが一度でもあったのかと言いたい。
それでも説教は断りたい私、手を揉み揉みしながらご機嫌を取ろうとおもねってみた。
「ローゼンお兄さんも忙しいでしょう。もう送迎はローゼンお兄さんじゃなくてもいいんじゃないかなって思います。私は優しいお姉さん達と一緒に学校行きたいです」
「今だって一緒じゃないですか」
「別の移動車って時点で一緒とは言わないのです」
ゲルロイゼが運転しながら横の新入りに、この場所であちらに向かって合図するだの、もう少し先の交差点ではどこに気をつけるだのと説明している。
前後を走る移動車に乗り込んだ女性の護衛達も、周囲の状況を確認してはルートを外れて交代したり、架空の問題が起きたことにして対応したりする実地訓練をしている。私を使って、第二王子エインレイドを送迎する際の予行練習しているわけだ。
前後を挟まれた時の予行演習も含め、無駄なく訓練し続けるミディタル大公軍。もう少し気楽に生きた方がいいんじゃないかな。
そしてローゼンゴットは私の隣に座っていた。どう見ても見張りだ。
移動車に乗る時もお淑やかに見えるような美しい乗り方を三回やり直しさせられた。貴族の男性にエスコートされて先に乗る以上、
「ありがとうございます。それではお先に乗車させていただきます」
と、微笑む角度まで指導してくる彼は、貴婦人(推定王妃様)とは違う分野のマナーを教えこんでくる。
こういうローゼンゴットを見ているからなのか、ローゼンゴットがいない時にも、
「アレルちゃん。ここの視線はまっすぐ、そして唇は引き締めた状態からやや微笑んだぐらいの位置をキープしておこうね」
と、貴族出身な男性護衛メンバーが指導してくるようになった。
護衛にそんな指導を誰が求めたというのだ。めっちゃ迷惑だ。
(どいつもこいつも教師ブームに乗ってるとしか思えん。そもそも私はお客様だっつーの)
お客様はいつかおうちに帰るものだ。そして私がおうちに戻ったら乗るのはウェスギニー家の移動車だ。お淑やかに乗る理由がない。
ウェスギニー子爵家の運転手は、アレンルードと私のどっちがどっちだ当てっこにも参加してくれる気のいいおじさん達だし、おねだりしたら寄り道してくれるし、いつだって私のおしゃれを褒めてくれる。
私達が眠ってしまった時用の毛布だって常にスタンバイ、子供は元気が一番ですと言ってくれる人達だ。
ローゼンゴットの指導は何の価値も意味もない。私はその真理を見通していた。
「また悪だくみしているのですか。全く孫娘がその年で男の下着姿を鑑賞した挙句、事情を語るよりも先にそのパンツ情報を熱心にメモしていたとウェスギニー前子爵がお知りになったらどう思われるのでしょうね。帰りがけにあちらに寄って詳しくお話してきましょう」
なんという不条理。ローゼンゴットは、祖父に言いつけられることを私が嫌がると気づいていた。
すぐに私をいびってくる。
「祖父は私の教育にはノータッチです。そもそも私は祖父母のところで暮らしていないのです」
「ええ。保護者不在であなたが常に学校長と直接やりとりしていたことは聞きました。ですが、前子爵殿はその実態を嘆かれ、今度からあなたの教育は自分が目を通すとおっしゃいました。何でも保護者としての全権委任状が子爵邸にあるそうですね?」
「・・・ローゼンお兄さんは私の護衛担当であって、それ以上は越権行為だと思います」
「知己たる方に未成年者の問題行動をお伝えするのは社会人としての義務ですよ?」
大公家で働いている以上、ミディタル大公家の大切なお客様たる私の方が立場は上な筈なのに、そこが貴族社会だ。
その正体はネトシル侯爵家令息なローゼンゴット。ウェスギニー子爵家を訪れたなら、彼こそがお客様となってしまう。
しかもうちの祖父と叔父は、ローゼンゴットが大公家で働いていると言っても武者修行にすぎないんだし、侯爵家子息な彼の方が子爵家息女な私よりも立場が上だといった認識を崩さない。
何よりローゼンゴットには皆からの信頼があった。大いなるミラクル。
「ごめんなさい。祖父には言わないでください」
「そういう時にはなんと言うのか分かりますね?」
「口答えしてごめんなさい。これからはローゼンお兄様の言うことをよく聞いていい子になります」
子供に容赦なさすぎるローゼンゴットはどこまでもいじめっ子だ。
適当に反省の言葉さえ言ってりゃいいさとなめてたら、このローゼンゴット、よりによって昨日は先に大公邸にやってきた祖父と叔父に、私のやらかした報告書を渡しやがった。
やる。こいつはやる。実行しやがる。
(渡した報告書はナンバー1。しかも私が悪い子になる度にお祖父ちゃまに渡すレポート、既にナンバー5まで用意してあるとはどういうことだ。子供を脅迫する大人は最低だ。ひどすぎる)
昨夜の私は王城まで来てくれた祖父と叔父の腕の中に飛び込んでいかに怖い目に遭ったのかを語って甘やかしてもらおうとしたが、服を切り裂いた理由を私が説明するよりも先にローゼンゴットの渡した大公夫妻との一夜事情なレポート内容を読み込んでいた二人にみっちりお説教されてしまった。
それに目を通したフォリ中尉はそういうこともあったなと笑うだけで、私を庇ってはくれなかった。
(フォリ先生とローゼンお兄さん、実は繋がってる。そんな気がする)
さすがにミディタル大公夫妻の寝室で、大公妃はともかく大公とも一緒に寝てしまったのはまずかったらしい。
お前は大公妃公認の愛人目指して王族の寝室にもぐりこむ破廉恥娘か、それとも痴女かと、祖父にはかなり叱られてしまった。
あの時は夜明け前にフォリ中尉が寝ている私を自分の寝室に引き取って一緒に寝ていたわけだが、それでフォリ中尉が怒られないのはおかしい。
しかしフォリ中尉は、
「さすがに大公と一晩を過ごした令嬢という既成事実はまずすぎる。だからそこは私が一晩を過ごしたという事実を家令に確認させ、そして朝までは扉を開けた上で女性の護衛と侍女合わせて十人、控えさせておいたわけだ。独身者同士なら恋愛関係と言い張れば一夜を過ごすことも目こぼしされるが、アレナフィル嬢が未成年者である以上、手を出したら私が加害者になってしまうのでな」
と、飄々としたものだった。
既婚者である大公のお相手として一晩であろうと同衾関係を構築してしまったら、私は王族や爵位ある貴族の正妻への道が断たれるそうだ。未婚女性の時点で既婚者の愛人をしてしまえば、もう日陰の身から逃げられない。
だけど独身男性との一夜ならば恋愛関係ということでやや許容範囲。つまりは私の将来を考えると既婚者の大公よりも未婚者のフォリ中尉の方がマシという判断だった。
ミディタル大公はそれを分かってて私を起こさず一緒に寝たのか、ひどすぎる。
そう思ったが、どうやらミディタル大公は熟睡している妻と子爵家の娘を見て、別に起こさずとも緘口令を敷けばいいだけだし、それでも漏れたら邸内の炙り出しをしてから子爵家令嬢は養女に迎えればいい、大公家令嬢となれば誰もが縁談を望むのだから問題なかろうという力技解決を脳内で弾き出していたらしい。
(悪気はなくて、それどころか私の未来も考えてくれていたのだとは分かる。分かるけど実は全く考えてくれてないことになる事実を分かる気もない大公様がどうしようもない気がする。なんで大公様といい、和おじさんといい、みんな勝手に生きてるんだろう)
連絡を受けて駆けつけたフォリ中尉は家令を叩き起こし、大公邸の記録に目を通して私が大公夫妻の寝室で寝てしまったところまで確認した。
そして親を恋しがって大公夫妻に甘えていた恋人未満令嬢を自分の寝室に引き取った、しかし令嬢はまだ子供なので性的な接触は何一つなかったと、家令に加筆させたそうだ。その証人としてドアの向こうに控えさせていた護衛と侍女達十人にもサインさせた。
そして起こされた家令も、あの夜は同じ寝室内の隅に置いた長椅子に座って見張りをさせられていたらしい。
その実態は、引き取られてきた子爵家令嬢は起きもせずにすやすや寝ているし、肝心の大公家令息も疲労甚だしく爆睡状態とあって、なんで自分だけが起きてなきゃならんのだバカバカしいと、彼も持参した毛布をかぶって寝ていたそうだ。
思うに扉の向こうにいた十人の侍女と護衛達も見張りなどせず簡易ベッドを運んできて寝ていたのではなかろうか。そんな気がする。
(そこらへん、フォリ先生ってば信頼あるんだよね。絶対に間違いを起こさないと思われてる)
それでもフォリ中尉とて証人を一人や二人といった人数ですませるわけにはいかなかった。
何故ならその記録帳は訂正さえ二重線と決められていて、改竄防止が義務付けられているからだ。その日は誰が大公邸にいたのか、勤務している使用人の名前まで細かく記録されている。
サルートス王家の歴史において「あなた様のお子です」問題はちょくちょくあったらしく、かなり厳しく記録されるようになっているそうだ。
ゆえに誘拐されて殺されそうになった時のことを思い出して怖がり、親を恋しがって泣きながら眠る子爵家令嬢の添い寝をしたが間違っても不埒な行動に出ないよう女性達を朝まで立ち会わせ、責任者として家令が一晩見張っていたといったことが備考として書き添えられたわけである。
どっちにしても子供に手を出す気のない親子なんだから、そんな記録にこだわる必要はないと思うのは私だけだろうか。改竄防止が義務付けられていても捏造防止が義務付けられていないなら意味ないと思う。
(私がフォリ先生に「あなたの子よ」をやらかさない限り表に出ない記録らしいけど、そもそも種の印が出てない子供じゃ妊娠できないっつーの。それとも「あなたの子よ」をする人は種の印が出た時期さえ嘘をついてでもやらかしてたのかな。昔は血縁関係も科学で証明されてなかっただろうし)
様々な角度から考察する私はとても偉い子だ。それなのに祖父は私の言い分を聞いてくれなかった。眠くなったら自分の部屋に戻って寝るのが当たり前だと怒られた。
子爵邸では祖父母と一緒に寝ていたこともあるのに、それを言えない雰囲気だった。
叔父にまで、大公妃様とお喋りしてもきちんとご挨拶してから自分のお部屋に戻って寝なくちゃねと言われてしまった。
子爵邸ではいつも叔父の寝室で一緒に寝ている事実はなかったことにされていた。
だから今、おうちには帰れない。
こんな状況でウェスギニー子爵邸に戻ったら通学と睡眠と食事を除いた全ての時間が令嬢講習で埋め尽くされる。確実に祖父と叔父はその気だ。
そして帰る場所のない私は、がみがみローゼンゴットにいじめられてしまうのである。
どうしてこんないじめっ子に無条件降伏しなくてはならないんだろう。
「その心がけを忘れないのですよ。私が右を向けと言ったら右、左を向けと言ったら左。素直に、そして従順になるのです」
「それはいい子を通り越して調教です。私の人権がありません」
「そこらの野良犬同然なあなたに人権など必要ありません。早く丁重に扱いたくなる令嬢に進化するのですよ?」
「・・・大公様が戻ってきたら言いつけてやる」
侯爵家令息の身分を笠に着て子爵家令嬢を野良犬扱い。この侮辱、絶対に許しちゃいけない。
ミディタル大公家において責任持って糾弾されるべきだ。
「まだ素直という意味を理解していないようですね。ならばウェスギニー子爵にも、自分の娘がどんなおっさん達の下着を興味津々で熱く見つめていたか、報告しておきましょう。彼らの顔と全身フォト、年齢データもつけときますよ」
「なっ!?」
それは嫌だ。あんなむさい男達が本当は好みなのかと父に誤解されたら、私は深夜から朝までベッドの中で手足バタバタして憤死しなきゃいけなくなっちゃう。
あれで父は鷹揚というか、物事をそこまで気にしない性格だ。
本当はあんな下品なおっさん達が娘の好みなのか、変な趣味だなと思っても、そのまま受け入れる人だ。だけどそれを元にして変な縁談を受け入れられてしまったら私が困る・・・!
「お願いです。父にも何も言わないでください」
「ならば野良犬如きが反抗するんじゃありません。心を入れ替えて私の指導に従い、素敵なお嬢様の皮をかぶれるようになりなさい」
「私は十分に素敵なお嬢様です」
さあ、よく見て。そして自分の認識が間違っていることに気づいてちょうだい。
そんな思いを込めて私はローゼンゴットを見つめてみた。だけどにっこりと微笑む彼の瞳には、私の言い分など砂一粒たりとも認めない気配が漂っていた。
「比較対象者がいないので素敵な令嬢の基準が分からないのですね。哀れな子だ」
「同情してる口ぶりでいじめてくる大人がいる。私が可哀想すぎます」
微笑みながら溜め息をつけるって凄いテクニックだよ。信じらんない。
「いいですか、アレルちゃん。私はあなたをいじめているのではありません。あなたはどこに出しても恥ずかしい子ですが、私はそんなあなたを皆が令嬢だと誤解するようハリボテ細工してあげているのです」
「それなら普通に甘やかして可愛がる感じでもいいと思うのです。私だって何もされなければ何もしません。みんなが私を放っておいてくれたら、私は普通に大人しくて素敵な令嬢のままでいられたのです」
私に罪はない。私を追い詰める世間が悪いのだ。
「いつ、あなたが大人しくて素敵な令嬢だったことがあったのですか」
「ローゼンお兄さんが知らないだけで、私はずっとそういう令嬢だったのです」
「何もしていない初対面の王族を変質者呼ばわりし、まともな挨拶もできなかったクソガキが?」
「な、何故、それを」
侮蔑の眼差しが心に痛い。そしてまたクソガキって言ったのを私の耳は確かに聞いた。
「過去は変えられません。あなたは燃え盛る建物から救出されたと思ったら下品にも全国放送で犯人を去勢してやると宣言し、昨日は一方的に大勢の服を切り裂いて辱めた凶悪で躾のなってない駄犬です。あと少しで十数人の去勢が行われていたと噂になっていることがまだ分からないのですか。あなたの未来は農場で駆け回っているなら良い方で、普通に犯罪集団に行きつくしかありません」
「失礼な。私はまともで堅実な人生を歩むのです。その下品な宣言は兄が勝手にやったことで私は無関係です。昨日だって私は警告で服一枚を切っただけじゃないですか。勝手な思い込みで私を決めつけてはいけません」
どうせ私のフリをするならアレンルードも泣き崩れる感じでやってくれればよかったのに。
そうすればサルートス王国の全ての男達が私の哀れな境遇に同情し、そんな私を守ってあげたいという素敵な紳士達が列をなしたことだろう。
私はアレンルードの演技に騙されるぐらいちょろくて、それでいて私を守り通せる程に頼もしくて、経済力と性格の良さと肉体的魅力を備えている顔のいい男が希望だ。
「甘ったれるんじゃありません。男達の下着鑑賞していたあなたが上品だとでも思っているのですか。どれだけの男を足蹴にする極悪人生を歩む気ですか。それが令嬢としてあるべき姿だとでも思っているのですか」
「そんな乱暴な人生しません。私は相手を傷つけず、私を誘拐する気をなくす手段という意味で穏便にすませたとても立派な子です」
「己の令嬢としての評価、将来の縁談を考えなさい。そんなあなたでも結婚してあげてもいいと思うのは下品な破落戸しか残っていません」
「・・・え」
女は男次第で変わる。丁寧に扱われることで女はどこまでも上品で余裕のあるいい女になるのだ。下品に扱われていたらいくら愛を体現した天使なアレナフィルちゃんでも堕天使に真っ逆さまだ。
いつか結婚を考える日が来たら、かつての弟が遠距離と多忙で邪魔できない内に私を父や叔父レベルで溺愛してくれて和臣に殺されないような根性あるお金持ちな男を見つけてゲットしたい。そこに下品さはいらない。
「えじゃありません。ほとんどの貴族令息はあなたをイロモノ暴力娘と思ってます。ガルディアス殿下やうちの弟は下衆しかいない場末にも耐性があるから気にしないだけです。まともな貴族はそんな場所など無縁に生きているのですよ」
「べ、・・・別に、貴族と結婚しなくちゃいけないわけじゃないし」
「一般人なら余計に権力と財力がなければ付き合いきれません。まさか犯罪集団のボスの情婦でも目指す気ですか?」
「・・・私は、清く正しく美しく生きている、とても素敵なお嬢様なのです」
「はっ。まずは自分が野良な駄犬だと理解することから始めましょうね」
鼻でせせら笑うネトシル侯爵家の次男はどこまでも根性が悪かった。この次男をして性格が悪すぎるという長男には絶対に近寄るまい。
「ひどすぎる」
「令嬢は不満など顔に出しません。それとも令嬢がどういうものかを知る為にまずは鞭で躾けられてみますか?」
「・・・暴力行為は犯罪です。私を傷物にしようとする犯罪者がここにいます」
「痕がつかないやり方もあるのですよ? さあ、おとなしく私の指導に従いますね?」
「・・・・・・はい」
ここでごねたら祖父と父に何を報告されるか分かったものじゃなかった。そして肉体的言語で語り合うのもお断りだった。
「もう一度、おさらいで復唱してみなさい」
「私はローゼンお兄様の言うことを従順に聞き入れて、とても素敵な令嬢になれるように努力します」
「その言葉と気持ちを忘れないのですよ。素直になれたご褒美にとっても美味しいヌガーキャンディをあげましょう。キャラメル粒入りです。今日はちょっと早く出たせいか、いつもより朝食が少なめでしたからね」
「キャラメル味」
いじめっ子だが、彼のくれる食べ物にハズレはない。
胸ポケットから取り出したお菓子を、
「はい、お口を開けなさい」
と、私の口に入れ込んできたが、まさにほっぺた落ちそうなキャンディだった。
恋人同士なら甘い仕草だったかもしれない。
「食べた後はすっきりするミントティーを飲みなさい。虫歯にならないよう、お口の中を濯ぐように飲むのですよ」
「ありがとうございます」
これを調教というのではないだろうか。
ヌガーキャンディは濃厚なミルク味と練りこまれたキャラメル粒がとっても甘くて手足をバタバタしてしまうぐらい美味しかった。絶妙なバランスで甘さを引き立てる何かが入ってる。
そして水筒の中に入っていたミントティーもお口がすっきりするのに辛くなくて、とっても爽やかだった。
「キャンディ、もう一個ください。とっても美味しいです。どこのお店のですか?」
「さぁね。あなたが素敵な令嬢になる度にご褒美で与えられるでしょう。もっと欲しければ、私に完全服従して素直な女の子に進化するのですよ?」
「・・・ぇ」
みんなは私がローゼンゴットに可愛がられていると言う。こんなにも特別扱いされているだなんてやっぱり気に入られているんですねとまで言う。
誰か教えて。移動車の乗り降りを三回もやり直しさせる男に、可愛がっている何かが本当にあるの? クソガキや野良犬、さらには駄犬呼ばわりし、店名を教えてくれないお菓子で屈辱的な扱いを強行するものなの?
サルートス国人だけは分からない。
(これが飴と鞭。いや、犬の調教。お手がうまく出来たらジャーキーくれる奴だ)
包み紙は何の変哲もない白いワックスペーパーだった。形状的にお店で売られているものだと思う。もしかしたら店名を知られないようにわざと包み紙を変えたのかもしれない。
問題はこれ以上ない程に美味なヌガーキャンディだったことだ。隠し味で塩粒も入ってたかもしれない。
(どうしよう。美味しすぎる。百個ぐらいまとめ買いしたいぐらいに美味しい)
それなのに上手にできたら一個だけ。しかもお口に直接入れられてしまうから誰かに尋ねるのも難しい。
そこまで私に令嬢教育をしたいのか。だけどやってることは犬の調教。
何より令嬢らしくと言いながら平気で簀巻きにし、小脇に抱えて移動するローゼンゴットが一番私を令嬢扱いしていなかった。




