64 その瞳の色は何を映すのか
最近、ミディタル大公を見ないなと思ってはいた。
だけど学校ではマーサと一緒にみんなでお料理したり、マーサにおやつを作ってもらいながらみんなでお勉強したり、大公邸で軍用犬と一緒にお散歩したり駆けっこしたり、ミディタル大公妃と甘い一夜を過ごしたり、和臣からファレンディアの美味しいお店のリストをもらったりしていたら、大公の不在にも慣れたものだ。
父親が単身赴任している家庭環境と言ってもいい。ミディタル大公夫妻の寝室は、大公妃と私の寝室へと化していた。
(さすがのフォリ先生も両親と寝ている私なら引き剥がしに来るが、母親と寝ている私なら放置ってか)
マーサは今、おうちが改装中なので仕事がない。しかもローグと一緒に子爵邸へ避難しているので、食事や洗濯や掃除といったことは使用人達がしてくれる。
だからサルートス上等学校へやってきて警備棟のクラブルームで私達の世話をしてくれるようになった。
(そりゃね。マーシャママが来てくれるなら一緒に健康茶を飲めるし、いいことなんだけどさ)
アレンルードもマーサからの差し入れをもらったり、男子寮にやってきて片づけたりしてくれるのでとても助かっているらしい。
アレンルード、全然自立できてないよ。他の寮生だってムカムカするよと思っていたら、マーサはアレンルードの洗濯物を洗いがてら、他の寮生達の洗濯やお部屋の片づけを手伝ってあげていた。地方から親元を離れて進学してきた男子生徒達は、まさに田舎のお母さんを思い出して泣けるようだ。
家族以外は立ち入り禁止じゃなかったのか、寮監達はそれでいいのかと思っていたら、所詮は貴族令息な寮監達だった。マーサのおかげで寮生達の喧嘩が減ったと一息ついている。
傷だらけになっていたらまずは手当てしてくれて、ただ話を聞いてくれて、いい成績を取ったと聞けば凄いと褒めてくれるマーサのおかげで、寮生達は喧嘩をしてもちゃんと謝って仲直りするようになった。
恋愛相談にも乗ってくれるマーサは、どんな小さな恋心もニコニコ笑って応援してくれるから、余計に安心できるんだろう。
「なんでなのかな。誰もが私のお母さん達を奪おうとするの」
うちの家政婦を辞めて男子寮の寮母に転職してしまったらどうしよう。だけどアレンルードを案じて出かけていくマーサを私は止められなかった。
「僕はその全てを自分のものと思ってるお前の思考の方が恐ろしいわ。ビーバーを餌付けしたら全てを自分のものだと認識すんだぜ」
「言える。大公邸で下宿できるアレルってば実は最強じゃないの? 大公殿下のところに行儀見習いで入るにしてもかなり狭き門だって話だし。男子寮でもアレルのことは噂になってたよ、どうして女子寮に入らないのかって。だけど男子寮って思ったより気楽に過ごせるんだね。通学も楽で驚いた」
「そうだな。僕も自宅では皿を下げるなんてしたことなかったが、クラブで慣れてるせいか、男子寮が全く苦じゃない。それを言ったらうちの家族は驚いてたが」
「いいじゃないか、みんなは聞くだけなんだから。僕なんて実際に母上も叔母上もアレルに取られてる。僕の意見なんて無視だよ、無視」
そんな私達はローゼンゴットがもらったというケーキ&ティーセットチケットで半曜日のアフタヌーンタイムだ。
お店でチケットを見せたら、
「まあ。これは一番ホットなスペシャルチケット」
「ネトシル家の方から譲ってもらったんです。本人がいないと駄目ですか?」
「そんなことはありません。これはメニューも特別なチケットです。さあ、どうぞこちらへ」
と、上階にある可愛い個室へと案内されたのである。
渡されたメニュー表も値段など書かれていなかった。特別チケットの中に全てのサービス料金が含まれているそうだ。
ケーキメニューには「今日のおすすめをとことん味わう特別ケーキ盛り合わせ」という、とても素敵な名前が一番にあったので、私達は全員それを頼んだ。
そうして運ばれてきたのが、大きな純白の皿である。黄金色やブラウン、ピンクやグリーンのスポンジケーキごとに違うクリームが載せられたミニサイズケーキ、数種類のアイスクリーム、可愛くカットされた果物やムースやゼリーといった盛り合わせに、様々なクリームやソースで皿の余白が可愛い模様で描かれていた。更に薄いチョコレートや極細の飴の糸が可愛らしくそれらを彩っている。
私は確信した。
これは絶対に普段メニューに存在しない経営者肝いりの特別メニューだと。
(さすが侯爵家。もらえるチケットもその価格が違うと見た。普通のチケットじゃこんな豪勢なものなんて食べられないよ。お茶もポットサービスだし)
お茶は、「あなたに是非選んでもらいたいスペシャルティー」というのをみんなが頼んだところ、六杯分ぐらいの大容量ポットが五つやってきて、それぞれ味が違うときた。更に冷めないようにと、ティーウォーマーまでセットだ。
たとえ好みと外れたお茶がきても、五種類もあればどれかは大丈夫。なんだかとってもサービスが素敵すぎる。
そりゃ個室だよ。こんなの他のお客さんの前で食べてたらみんなが妬ましさでキーッてなっちゃうよ。
(これはもうルードにも三枚あげなきゃね。いつもお世話になってるフォリ先生とリオンお兄さん、誘ってルードも来るべきだよ。あの二人、甘いのも平気だし)
どうせアレンルード、いつかは何かをやらかす筈だ。その日の為、権力者への恩は売っておいた方がいい。そうだ、権力は侮れない。
私はアリアティナを誘って残りの二枚。うん、完璧。
思えば家庭サービスすべき夫のバーレンは、何かと私に妻を接待させて終わらせてないだろうか。いいけどね、別に。
「おいしーっ。このケーキ、とってもふわふわでおいしーっ」
「あ、この氷菓、なんか砕いたゼリーみたいなのが入ってるのか? なんか食感が違うのが混じってる」
「本当。ドライフルーツのみじん切りかと思ったけど、なんかゼリーかグミっぽいかも? 柑橘系なんだろうなって思うけど皮部分ならもっと酸っぱいよね。ダヴィ、何の果物か分かる?」
「なんだろう。だけど美味しい」
「うん」
ダヴィデアーレとマルコリリオは何かと使われている素材が気になるタイプだ。細かいことなんて考えずに堪能すればいいのに。
「どう見ても僕達、クラブと別方向に爆走してるね」
「言うなよ、レイド。それより警備の人達に何も言わなくて来ても良かったのか?」
「この距離なら大丈夫だって。学校近辺の建物は特にオーナーもチェックされてるらしいよ」
「へえ」
ベリザディーノは私を見くびり過ぎである。私にそういう手抜かりはない。
何の為に半曜日の午後にこのティータイムを持ってきたと思っているのか。平日では夕食が入らなくなったら困るからだ。店内には私服の警備員が彼女連れとかで目立たず待機していたことだろう。
「そんなことはどうでもいいよ。さあ、美味しいケーキを堪能しながら作戦会議に入りましょう」
「おい、ビーバー。何が作戦会議だよ。何の作戦だよ。また勝手に喧嘩売ったんじゃないだろうな」
「あのさぁ、ディーノ。私がそんなことする子に見える? 私はそんな喧嘩を人に売るようなはしたない女の子じゃないの」
考えてみれば和臣の言う通りだった。センターの人達なら放送している言葉も分からないと思って侮るべきではない。私の特集記事とかを見て優斗に報告されたらそれで終了。
優斗が私のことをセンターの人達に話すとは思えないが、だからと言って何も言い聞かせていないとも思えない。
私は早めにあの騒動を片づけないといけないのだ。
「ねえ、ダヴィ。アレルってば自分をどんな子だって思ってるんだろう? 跳び蹴りする女の子ってはしたなくないんだ?」
「考えるな、リオ。所詮はアレルだ」
「そこの二人。クラブメンバーとして、うちのクラブ長は学内一お淑やかな令嬢だって断言するとこだよ」
「相変わらずアレルってばふてぶてしいね。そういうところが可愛いと思うな」
「レイド、これを可愛いと思い始めたら終わりだぞ。早めに軌道修正しといた方がいい。それよりアレル、今度は何を企んでるんだ? まさか誘拐犯から慰謝料を取る計画を再び立て始めたんじゃないだろうな」
ベリザディーノは分かってない。どうして今、子爵邸にいるマーサがクラブルームで私達の世話をしてくれているのか。
それは祖父母の密命を受けた監視係だからだ。
まさに生まれたての赤ん坊のように愛らしくて素直で怖がりなお嬢様が誘拐されたことも、そんなお嬢様が慰謝料をせしめる計画を立てていたことも、マーサにとってはかなりショックなことだったらしい。
大切なお嬢様をそんな風に育ててしまったなんてセブリカミオ様に申し訳なさすぎる、どうすればいいのかと、マーサは思いつめてしまった。
そして子育てに関しては父親のフェリルドではなく、祖父母と叔父の意見こそ重視すべきだと彼女は考えるようになった。マーサの雇い主である筈の父は、我が家においてたまに存在感がなくなる。そして常に不在の父はその現実に気づいていないことがほとんどだ。
今、マーサの前で慰謝料のいの字も出せない。すぐに祖父へ報告される。軟禁生活突入は嫌だ。
「そっちはもう諦めたよ。そんなことよりさぁ、みんな、お兄さんとかお姉さんとかいるんでしょ? 貴族令嬢が普通によく行く場所って心当たりない? つまり私がふらりとそこに通っていてもおかしくなくて、そして見かけた人が噂して誰か貴族令嬢がやってきても不自然じゃないって場所。要は社交場みたいな奴だけど、社交に勤しみたいわけじゃないから、公園とか美術館とか博物館みたいなのが望ましい。だけどちょくちょく通っていてもおかしくないって場所」
和臣の為にお金が必要だったけど、とっくに和臣はうちの祖父達と仲良くなって私の口を挟む隙間がない。
大切なことをずっと黙っていた私より、来るや否や私の婚約の裏事情を暴露した和臣の方が祖父母や叔父の信頼を得てしまった。
密輸だの婚約詐欺だのと言われなくなったのはいいけど、かつての弟にここまでさせる私の株が暴落中で悲しすぎる。兄フェリルドの為に奔走しては無駄に終わっていた過去を思い返した叔父にも、優斗が婚約者という立場で私を支援しようとしている行為は心を締めつけられる切なさがあるそうだ。
(それでも不特定多数が見るかもしれない文書通信でそのことを優斗に告げるわけにもいかない。私も通話なら話せても文書では伝えられない。子爵邸ならともかく直通通話を大公邸からは発信できないのがなぁ)
先んじて情報を握っていればこそ出し抜けても、ここまで和臣が自分の足場を固めてしまえばもう駄目だ。私では太刀打ちできない。
仕方なく私は優等生しながら生きていた。
「目的を言ってくれないか、アレル。普通にそういう場所なら夜会だろうが、未成年は夜会に出るもんじゃない。何が目的か言ってくれないと、多少その条件を外れても問題ないってものも挙げられないだろう」
ダヴィデアーレが真面目な顔で私を見据えてくる。
「うーん。つまりさぁ、私に妬みを向けている令嬢と接触したいわけ。要はさ、私がいると邪魔だからあの誘拐騒ぎになったわけでしょ? だけどここまで大きな騒ぎになったらもう手を出せないでしょ? それでもさぁ、そういうもやもやってケリつけておかないといつまでもくすぶり続けるんだよね。ちょうどノーマークで体力有り余ってそうな上級生達も手に入れたことだし、そっちにエスコートしてもらう感じで、大人達にバレないように引導を渡そうと思ってさ」
うちのクラブは短期クラブだし、みんなが平等であることを掲げている仲良しクラブだ。だけど普通のクラブは社会人チームとも連携していたりするし、先輩後輩の繋がりも出てくるから、その中でも高位の令息令嬢がクラブ長になっていることが多い。
あの日、私がカードをもらった上級生達もそれなりに血統のいいご令息達である。平民もいるとか言ってたけれど、貴族としての名前を持っていないだけで裕福な家のご令息なのである。
となれば、今の内に私は全てを終わらせたい。かつての弟には何も知られたくない。
これがフォリ中尉やネトシル少尉みたいにエリート街道驀進中だと令嬢達も表立っては何もできないけど、まだ上等学校生程度ならば社会にも出ておらず、敵にもならない存在だろう。だから接触しやすい。
「いきなりどうした。そういうのって苦手だと思ってたぞ。別に上級生を巻きこまなくても男手が必要なら僕でいいだろう。アレンにも女装してもらって近くに控えていてもらえばいい」
「ありがと、ディーノ。実は苦手とか言ってられない事情が出てきそうなんだよ。私の婚約者ってばさ、とっても過保護な人なんだ。いいかげん噂を沈静化させとかないと婚約者の耳に入ったら、それこそこんな怖い国においておけるかって私がファレンディアに誘拐されちゃうんだよ。そしてルードには知られたくない。あんまり見せたくないんだよ、女同士の言葉によるバトルなんて」
ずっと考えていた。なんで私が狙われたんだろうって。
エインレイドの近くにいる女子生徒が邪魔なのは分かる。だけどエインレイド狙いの女子生徒の年齢を考えれば、あまりにも時期尚早だ。
エインレイドの妃狙いだったなら、やはり種の印が出る年になってからが本番だ。今の仲良しなんていつまで続くかも分からない。私の可愛さにエインレイドがメロメロになってベタ惚れしても、そんな初恋は学生時代で終わりを迎えるものだ。
思春期の初恋は美しい思い出となり、結婚を考えるのは違う人になる。倦怠期に入るのは3年目からというのは、それなりに大多数の割合を占めるからこそ知られている法則だ。
大抵の若さがもたらす情熱の恋は2年しか保たない。仮に今、エインレイドに恋人ができても上等学校を卒業してそれぞれの違う進路を歩み始めたり、新生活を始めて違う生活が慌ただしかったり、そんな状況ですれ違い始めてから落とした方が確実だ。
(実行力を所有する大人達は分かっている筈だよ、そのところを。誰もが学生時代は心を揺らしたことがあるだろうから)
同じ上等学校に通う令嬢はそんな気の長いことを考えられないだろうが、十代の恋を社会人になってまで続けられることは滅多にない。
勿論、粘着質で独占欲の激しいファレンディア人の弟みたいな例外もいる。彼は幼い初恋をどこまでも叶える気満々だった。
いや、忘れよう。そこはもう忘れるのだ。
ともあれ、かつて年の離れた弟が様々な人達から狙われていた私だからこそ、その不自然さに気づいた。
私が狙われたことにエインレイドは無関係だと。
そして私の周りにはもう一人の独身王族がいたのである。
「できれば大公家の人達にも知られたくないんだ。だからレイドもこれはガルディアス様に言わないようにしてね。男の人ってばこういう時は処罰して終わりにするけど、女の人の恨みはどこかでケリをつけないといつまでも引きずるんだよ」
「僕、後でガルディ兄上に怒られるのは嫌だな」
「何も起こらないから怒られたりしないよ。それにね、レイド。こういうことに男はしゃしゃり出てくるもんじゃないの」
誘拐された場所で何も言わずに姿を消した女性がいた筈なのに、誰もその人のことは語らなかった。あれだけの記録が撮られていて、その正体が明らかになっていない筈がない。
ならば何故、誰もその人のことを口にしないのか。
(処罰するよりもいい使い道があるからだよ。男と違って女は与えるということが可能な存在だもん)
そういう考え方を私は知っている。
ああ、どうして女は悲しみから逃れられないんだろう。時には処罰された方がすっきりするというのに、温情という名前の生き地獄に男は女を押しこめるのだ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
サルートス王城の外郭にある国立王城図書館は、身分証を提示すれば入ることができる。そして調べものが長引く人達のことを考えてなのか、図書館内は飲食禁止だが、入り口前にはフリースペースとなっていて、併設されたカフェやレストランもある。
王城の一部とあって青々とした緑の葉が茂る木々、美しく咲く花々も水色や桃色、黄色や紫色、赤色や橙色などと種類も色合いも様々な庭園は、庭師の創意工夫や努力が息づいていた。
だからそこは王城で働く家族や恋人との待ち合わせに使われることが多いそうだ。
門を通過する時点で住所と氏名を確認・記録されるので不審者は入りこめない。本に興味がなくても、フリースペースは広くて様々な絵画や美術品が飾られている。庭園を歩けばベンチもあって時間を潰すのにはもってこいだ。持参した本を木陰で読んでいる人もいる。
そんな情報をダヴィデアーレから仕入れた私は、ミディタル大公邸の変装上手なデリアンテッセという女性兵士とやってきた。
「おや、今日も来たのかい? 偉いね」
「はい。父が今日こそ早くお仕事終わったら一緒に帰るんです」
「今日もお嬢様の付き添いなんでぇす」
うちの父は学校長ですら伝言を託してもなかなか連絡がつかない風来坊貴族なので、確認なんぞ取れるわけがない。アリバイ工作は完璧。
「こんなべっぴんさんが付き添いじゃぁ、どっちもモテモテじゃないか。あっはっは。まあ、変な男に絡まれた時はすぐに言いなさい。ちゃんと二人共守ってあげるから」
「ありがとうございます、おじ様」
「いやぁん、やっぱりお城の人ってば頼りになるぅ」
さすが老婆に化けることもできた化粧上手なお姉さんだけはある。誰がどう見てもきゃぴきゃぴしたメイドに付き添われたお嬢様だ。
デリアンテッセは、「わたしぃ、婚活中だからぁ、お嬢様からちょおっと目を離していい男を物色していても仕方ないんですぅ」といった軽い雰囲気を見事に演出してみせた。
そんな彼女に声をかけて楽しそうなお喋りをしてくれるのは、私服だと大人びて見える各クラブ長の男子上級生達だ。
デリアンテッセをナンパしているように見せかけて、連携しながら私の様子を見守ることに協力してくれている。つまり護衛は人数的にも完璧だ。そして邪魔せずに見守るスタンスもばっちりだ。
(不審者が入りこめない安全安心な王城図書館に行くと知り、ローゼンお兄さんも護衛は女性の方がいいでしょうと言って逃げた。よほどあの男、ここで令嬢方に取り囲まれたくないと見える)
全てが私の為に巡っている運命。
女と女との果し合いに正論しか言えない男なんぞ不要だ。
待ち合わせに使われているだけあって図書館内レストランも数十人は収容できる広さだし、カフェもコーヒーの香りを漂わせているし、喫茶ルームでは美しい茶器で会話を楽しんでいる様子が窓から見える。
ビジネスだと分かるスーツ姿の人達やプライベートだと分かるフランクな恰好の人達があちこちで談笑している。それでも小さな子供はいない。礼儀正しくできない子供は来てはいけない場所だからだ。
「お嬢様ぁ。それじゃ私はぁ、礼儀作法の本を見てまいりますぅ」
「はぁい。私はえっと外国についての本を読んでますね」
サルートス上等学校の制服は場違いすぎて目立つ。そして頭にはピンクのリボンで子供らしさアピールしているものだから余計に誰もが見てしまう。
それでも追い出されることはない。既に上等学校全学年の修了証をもらっていると報道されたのだから。
初日も一目で全国放送された私の顔に気づいた人は多くて、今日は三日目だった。
夕食が入らなくなると困るから、私は本を軽く読んでからカフェで焼き菓子を一つだけ食べるようにしている。本当は違うコーナーの本を読みたいけど、ここは我慢だ。
(いや待て。ここなら「兄弟に邪魔されないいい男の見つけ方」とか「家族に素敵な恋人を作らせる方法」とかいう本もあるかもしれない・・・!)
これでも私は悩み多き乙女だ。かつての弟は別離期間も長かったことだし、少しは姉離れできたと信じたいのにすぐ拗ねる。そしてごねる。現在の兄は私を尻軽な女だと勘違いしていて、すぐにおうち監禁と言い出すときた。
更に祖父や父など、現存しそうにない条件の女性を見つけてこいとひどいことを要求してくる。
もしかしたらこんな私と同じ状況に置かれた先達の本があるかもしれない。
というわけで、私は恋愛関係の本を見に行くことにした。
「えっと・・・、ここは真面目な生徒さんが見るような本はないと思うわよ」
「あ、司書さん。あのぅ、とても条件が厳しい女性の探し方についての本はないですか?」
ちょうど誘惑や恋愛といった内容の本棚を整理していた女性が声を掛けてくる。サルートス上等学校の制服は灰色なので分かりやすい。他の上等学校は、紺色とか水色とか黒とかが多い。
様々な色糸を織り込んだチェック模様の制服を着て司書の名札をつけた女性は、大人の恋愛指南を多く置いてある本棚に行こうとした上等学校生を止めなくてはと思ったようだ。
安心してほしい。こんな図書館に置いてあるような誘惑の仕方なんぞ、とっくに私は様々なジャンルで読み耽った女だ。
(考えてみれば真面目そうな司書というのもそそられるシチュエーション。男はどうして制服に弱いんだろう。やっぱり背徳的なとこに興奮しちゃうのかな)
髪を一つにまとめて結い上げている様子は、まさにお堅い司書だ。うん、禁欲的な雰囲気がなかなかにそそられてよろしい。
ああ、これがファレンディア小説なら図書館の片隅で刺激的で強引な恋が、いやよいやよと抗うお堅い司書さんを引きずり落とすというのに・・・!
「え? つまり人材の見つけ方かしら?」
「そんな感じです。夫が数日、数週間、数ヶ月、何も言わずに留守にするのが基本行動でも浮気せず、浪費に走らず、前妻の子供がいてもいびらず子育ての悩みを共有してくれて、甥や姪にかまけている夫でも諦めの境地で自分の子供を広い包容力で育ててくれて、お洋服や小物に対するセンスもあって、賢く夫やその家族を大事にしながら立ててくれて、甘え上手でお喋りも楽しくて、欲深い身内のいない独身女性の探し方ってどんな本に書いてありますか?」
その後の沈黙は長かった。
私の周囲にいた利用者達もぎょっとした様子で動きを止めたかと思うと、私の顔を確認してから納得したように頷いてそっと顔を背ける。
きっとウェスギニー子爵家の家族構成を思い浮かべたに違いない。
司書の女性はこほんと咳払いした。
「ちょっと探してくるわね。今日、急ぎかしら?」
「急ぎません。明日も来ると思います」
さすがは王城図書館の司書。様々な要求に応えて該当する本を探し出してみせるプロフェッショナルだ。
「そうなの。えっと他の図書館にも探索をお願いすると思うから、見つかったらおうちに連絡すればいいかしら? それともサルートス上等学校図書室に回した方がいいのかしら?」
「えっと、おうちだと握りつぶされるので、学校の図書室へお願いしてもいいですか? 学校の図書室で借りられるんですか?」
そんな都合のいい本が見つかったと連絡を受けても、叔父のレミジェスがさくっとなかったことにするのが見えている。ウェスギニー子爵邸への連絡は駄目だ。
「この国の図書館はどれも繋がっているから、その図書館からの持ち出し禁止のものじゃなくて、悪用の恐れが無いようならばそういうこともできるのよ。だけどそういう本はうちよりも隣の習得専門学校図書室の方が見つかりやすいでしょうね。上等学校生でも学校の図書室からお願いしてもらえば利用できるかもしれないわ」
「なんと・・・! そうしたら学校の先生にお願いしてお隣に連絡してもらうことにするから探さなくて大丈夫です。ありがとうございます」
うん、収穫はあった。隣の図書室も話を通せば利用できるらしい。
くくっと笑う声がしたので振り返れば、知らない男の人がいた。とても男性らしい雰囲気を漂わせている。眼鏡の奥にある濃い青の瞳がとても印象的だ。
そう、とても強い印象を抱かせる濃い青の輝き。髪もまた濃い青色だけど、本来の髪の色は違う筈だ。だってまつ毛がよく見たら茶色だし。それに眉毛、完全な青色に塗りきれてないし。
ありふれた白いシャツとダークネイビーのスラックス。羽織っているざっくりとしたセーターは淡い黄緑色だ。
「笑っちゃってごめんね、フィルちゃん。頑張ってくれ。無駄でも努力することが大事だってことあるよね。ぷっ、みんなには内緒にしておいてあげるから・・・ぷぷっ、そんなの本なんか探さなくても公募すりゃすぐ集まるってのにさ、ははっ」
「・・・どこかでお会いしましたっけ?」
私をフィルと呼ぶ人はとても限られる。
かなり難しい条件だって思うんだけど、集まるってどこで?
「君と同じ顔した子とうちの家族が仲良しなんだ。君とは初めて会うかもね。お父上によろしく伝えておいて・・・の前に私の方が先に会うか。こんな所で一人かい? 送って・・・は、初対面だからまずいか。誰か呼ぶから送っていかせよう。お父上の部下で君が知っている奴というと、・・・オーバリ中尉ぐらいか? あいつを呼び出してたら門限に間に合わん。いや、君のお父上を呼び出せばいいか。うん、勉強熱心はいいことだが、まずは付き添いの大人をつけたまえよ」
「ちゃんと保護者同伴です。保護者は今、私と違う本を見ているのです」
「そうなのかい? じゃあ、その保護者とやらと合流するまでは一緒にいよう。ああ、もう行っていいよ。この子が世話をかけたね」
「いえ。・・・一応、探して上等学校の図書室には連絡しておきますね。えっと・・・」
「ありがとうございます、司書のお姉さん。ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルです。一年生のウェスギニーで大丈夫です」
「やっぱりそうだったのね。分かったわ」
やっぱり顔を覚えられていたのね。そうだと思ったわ。
私の顔は全国的に流れてしまったので、知り合いじゃない人も私を知っている。
なんで初対面の男に「この子」呼ばわりされてなくてはならんのかと改めて思った私は振り返った。
「ところでお名前をお尋ねしても?」
「な・い・しょ」
そんな気はした。
だから私は貴婦人(推定王妃様)からの教育の成果を発揮して、スラックスでも美しく見えるように軽く片膝を曲げてもう片膝を引いただけのよく男性が使う礼を取る。これは他国の貴賓に使う礼だ。
「ようこそサルートス王国までおいでくださいました。御忍びとお察しいたします。どうぞ略式の礼をお許しくださいませ。ウェスギニー子爵家の長女アレナフィルと申します」
「・・・人違いだね。私はサルートス人だし、ただの平民だしね」
「そうでございますか」
それならと私は姿勢をまっすぐに戻した。
本人がそう言ってるんだからそれでいいや。
「誰と間違えたのか聞いてもいい?」
「始まりの宝石かと」
「ふぅん。意味深長だね。よく宝石のように美しい瞳だと褒められてるけどさ。フィルちゃんも綺麗な色をしている。その瞳はまさに妖精だけが息づく神秘の森の色だ」
針葉樹林の深い緑色の瞳を褒めてもらえるのは嬉しい。やはり人を惑わせる深い森の色と言われるよりも、そっちの方がいいよ。
「ありがとうございます。じゃあ、便宜的にルイド様って呼んでもいいですか?」
「・・・いいよ。様はつけないでほしいけどね。まいったな」
うむ、勝った。
悔しそうな顔で私の頭を撫でてくる。敗者に優しい私は撫でられてあげた。
「どこかで会ってたか? いや、そんな筈がないか」
それは正式に会ったかという意味だろうけど。
「口説き言葉としては陳腐です。こういうのは種明かししたら、なんだぁってなっちゃうじゃないですか。ミステリアスな女でいたいので、種も仕掛けもノーコメントです」
「ふっ。良かったら飲み物でもどうだい?」
「ありがとうございます。是非お喋りしましょう。とても条件が厳しそうな女性がゴロゴロ集まる場所とやらについて是非お聞きしたいです」
権力者っていい響きだよね、自分の味方なら。
普通の図書館は静かにしておかなきゃいけないけど、ここは何人かで急ぎの調べものをしに来る人も多くて、静かに読みたい人は所定の小部屋に本を持っていって読むことになっている。
エスコートの為に腕を出してくれたので、私は遠慮なく貴婦人扱いしてもらうことにした。
ちらりと眼の端に映った上級生達とデリアンテッセに、軽く大丈夫だよと微笑んで小さく手を振ればあちらも安心した様子でいちゃいちゃ口説いている演技を続ける。
「もしかして何かしていたのかな。邪魔したかい?」
「釣り糸を垂らしたところで魚が食いつくかどうかは運次第。それなら素敵な貴公子とお茶する方がお得じゃないですか。そして不憫な扱いにも耐えてくれる女性がどこにいてわさわさ応募してくださるんです? あ、そうそう。グイドおじ様はお元気ですか? ご自慢のご長男がこんなにも立派に育ったなんてさぞお喜びでしょう」
「子供に育ったとか言われてもね。ほんと、まいったな。あの人関連か」
いいのだ。
だって今の私はアレナフィルだけど、前のアイカを否定するなと、みんなが言ってくれたから。変にこそこそ隠そうとして嘘をつくより、はっきりと正直に言えばいいだけだと。
ウェスギニー家、私にかつて大人になるまで生きていた記憶があったとしてもどうでもいいそうだ。とても懐が深すぎる。
「そういうことならここの庭園に穴場があるんだ。飲み物だけ買って散歩してみないかい? ああ、ひと気のないところで変なことを・・・みたいな心配はしなくていい」
「しませんよ。あのおじ様が自慢なさっていたご令息ではありませんか。ましてや女性など放っておいても群がっておられるでしょう。あ、折角だからそっちの話を聞かせてくれても構わないですよ。何人の奥様がおられるんですか? それでも一途に尽くしてくれる奥方様にぐっとくるわけですか? それとも数多い美女ってのが男のロマンなんですか? 私、数より質だと思うんですけど、タイプの違う美女を集めて・・・って実話にも興味あります。どんなんですか。やっぱりうちの父にいい女の人とかいます? だけどあなたのお古をもらうのはノーサンキュ」
「うん、黙りなさい」
「ふぁい」
片手で私の可愛いほっぺたをきゅっと軽くつねった彼は、フリースペースの壁際にあるカフェスタンドで飲み物を二つ注文した。ちょび髭なおじさんがカウンターの向こうで注文を取る。
「コーヒーを二つ、庭園で飲みたいから蓋つきで。一つはロースト苦めにグリーンシロップをひと匙入れてくれ。もう一つは子供用で、そっちのノンカフェイン甘めローストにレッドシロップを二匙、スチームミルクをたっぷり、それからホイップクリームを浮かべて、上に三放射のキャラメルシロップ、ソルト五粒をかけてくれ。あと、可愛いお嬢さんが笑顔になるような焼き菓子8個入りを2箱」
勝手に注文しているが、悪くない。グリーンシロップとかレッドシロップとか初めての名前に私は興味津々だ。
だからつんつんと腕をつついて尋ねる。
「ルイドさんルイドさん、レッドシロップとかグリーンシロップとかって何ですか?」
「ん? 普通のシロップを作るのって、砂糖水を煮詰めて作るだろう? ただ、その甘さの単調さがつまらなくてね。で、幾つかシロップを置かせてもらったんだよ。コーヒーでそんなシロップの味や香りなんて分からなくなるだろって言われたらそれまでなんだが、やっぱり違うのさ」
「まさかの私物持ちこみ・・・!」
なんて迷惑で傲慢な客だ。だが、そのこだわりは嫌いじゃない。結構好きだ。
「そのお名前繰り返すの可愛いね。お兄様に変えてもう一回やってくれる? うちの妹もしてくれないかな」
「あら、おめでとうございます。年の離れた妹さんだなんて、弟さんも可愛がっておられるでしょう」
「まあね。コツとか教えてよ。どうやったら可愛く甘えてくれると思う?」
「甘えたら何か甘やかしてくれるとかメリットがあったら甘えてくれるかも? お菓子とか?」
「そんなので釣れるかなぁ。菓子なら他の人があげてるから私からだともう喜んでくれないんだよ」
カップと菓子箱を貸し出し用の持ち出しトレイに載せて、彼は私を庭園の穴場とやらに案内すると言った。
勝手に裏口のドアを開けて外に出ているのだが、誰も注意しないのだろうか。いや、ここまで堂々とやられると誰も何も言えなくなるのかもしれない。
従業員しか使わない筈の通用口を使っている時点で、どこまでも自由な人だ。
「お兄ちゃまお兄ちゃま。私ね、そのシロップの内容が知りたいなぁ。教えて?」
「お、可愛い。今度、うちでも言わせてみよう」
可愛く言えたから教えてあげるねと言い出す彼は、機密文書を扱う部署に就いちゃいけない人だ。それこそフリルたっぷりなドレスで甘えたらなんでも教えてくれるかもしれない。
だけどお喋り相手としては悪くない。ノリがいい人って、そのテンポが気持ちいいよね。
「正しい名称は違うんだが、色で指定した方が分かりやすいからね。何なら後で舐めさせてあげようか?」
「是非」
レッドとかグリーンとか言うからどぎつい色かと思いきや、透明な瓶に入っているシロップはどちらもうっすらと色がついている程度だった。使う花等の色に少し影響されて色がつくらしい。
あのカフェスタンドは不定期に豆の種類を変えている。だから彼は何となく合いそうだと思ったシロップを選んで入れてもらうとか。
そんな特別扱いをしてもらうコツを聞いたらあっけなく教えてくれた。
「あのスタンドにいるちょび髭は、君のお父上関連の人間だ。何かあったら助けを求めなさい。きっと保護してくれる。あ、このことは内緒だよ」
「了解です。ありがとうございます」
私のレッドシロップというのは濃くてガツンとくる甘味があるそうだが、コーヒーのような香りもあるのだとか。薄いコーヒーでもコーヒーを飲んだ満足感が足されるシロップらしい。
そんな彼は、ベンチの上に紙ナプキンを敷いて私に座るよう促した。
「うわぁ、本当に穴場。後ろを振り向かなければ」
「そうだろう? 植え替え用の余ったものとか、植木鉢の置き方のテスト用にあれこれ並べてあるせいか、後ろを振り向いたらシャベルとか土とかがてんこ盛りだけど、ベンチに座って前だけ見る分にはなかなか悪くないのさ」
カップの蓋を開ければ、ふんわりと甘い香りが立ち上る。
「おいしーっ。甘いクリームとちょっと苦いコーヒーがおいしーっ」
「ははっ。ほら、ゾウさんクッキーどうぞ」
ぱくっと食べれば、中に練りこまれたドライフルーツが家庭の味だ。
「だけどフィルちゃん、初対面の人間に出された物を食べるのはやめた方がいい。別にこれは何も入ってないけどね」
「初対面ですけど、貴方のことはそれなりに知ってます」
そこで彼は声を潜めた。
「フィルちゃん、君の言うところの始まりの宝石は公式的に亡くなっている。私はただのサルートス人だよ」
その表情は真面目なもので、私はその意味を考える。
公式に亡くなっている。ということは、この人は戸籍を持たない状態?
だけど・・・。
いくら何でもあれだけの身分を持っていた人が外国でこんなにも堂々としていられる筈がない。王城は彼のことを把握した上でその身を保護し、自由を与えながら隠しているのだろう。
「え? ・・・じゃあ、グイドおじ様は? お兄様が生きておられること、シャルーク様はご存じなのですか?」
「まいったな。父も弟も亡くなってるよ」
「・・・・・・亡命なされたと存じ上げなかったとはいえ、心ないことを申し上げました。この国では彼の国のことなど全く入ってこないのです」
ああ、やっぱり時は流れていたのだ。
政変とかに巻きこまれたのかもしれない。あれだけの地位に就いていた人だ。その亡くなり方は穏やかではなかっただろう。
彼が言うところの妹は共に逃げてきたのか。母親のことを言わないということは、やはり共に亡くなったのか。あの優しく穏やかだった人は・・・・・・。
「なんで泣くの」
「グイドおじ様は、安らかに眠ることができたのでしょうか。そんなことだと分かっていたなら、あのまま亡命してしまえばよかったのに。・・・・・・えっ、ちょっと待ってっ。それっていつのことですかっ? ちゃんとおじ様、受け取りに行かれたのですかっ?」
「・・・なんのこと?」
私の涙をそっと押さえるようにして拭ってくれる仕草にも育ちの良さが透けていた。
どれ程に隠そうとしても隠せないものがある。だけど、・・・・・・実はこの人、影武者とかいうオチはないよね?
「知らないならいいです。情報には情報って当たり前ですよね?」
「あの人が亡くなったのはもう何年も前だよ。苦しまなかっただろう。もう人生にうんざりしていたようだから」
そうなのかと思った。
嘘かもしれない。本当かもしれない。だけどそうだと信じたかった。
「えっと・・・、私の婚約者、ファレンディア人なんです。その婚約者も子供の頃の話なので知りはしないんですけど、グイドおじ様、ファレンディアで息子さんが大人になった時の為に特別注文を出していたのです。受取人はグイドおじ様ご本人のみ。それでも所定の手続きをすれば・・・。子供の頃のルイド様のデータが残っていれば、今の貴方の遺伝子データで一致すると確認されれば受け取ることも可能かもしれません」
私はそっと彼の頬に手を伸ばして耳にかかっていた髪へとスライドさせる。彼は自分の耳に触れる私の手を振り払ったりはしなかった。
「なんでそれを君が知ってるのかな、フィルちゃん」
「それは内緒です。だってあなたはグイドおじ様と無関係な他人かもしれないでしょう? 素敵な耳飾りは耳の裏に隠してあるそれを更に目立たせない為に? それをどこでおじ様が注文なさったかご存じですか?」
ああ、だから種の印なんて迷信だと言うのだ。結局は誰も救われない。
どれ程にそういう認識を流しても、人はどこまでも追い求める罪深い生き物だ。
「そうきたか。やれやれ。君のお兄ちゃんがお友達になったと聞いたから顔を見にきたら思わぬ収穫だよ。こっそり私達もお友達になろうか、フィルちゃん。図書館で初めて出会って意気投合したってことで」
「・・・私、これ以上ボーイフレンドを増やしたら、双子の兄が嫉妬に狂うのです」
「それは大変だ。だけど私は君に女性的魅力は感じていないし、可愛い恋人はもういるんだよ」
「まあ、素敵。・・・そうですね。やはり貴重で素敵なサファイアは目の保養ですし、お友達になりましょう。いつかその恋人にも紹介してください。そしてお友達とは持ちつ持たれつ、お互いに助け合うということで、今は私といちゃいちゃしていたことにしませんか? そして黙って見ててください」
「いいよ。本当は助けてあげようかと思っていたけど、どうやら見た目に似合わぬたくましさもありそうだしね」
彼も気づいていたのだろう。だから彼女達が庭園を歩きながらきょろきょろとあたりを見渡している時にはわざと土や道具に隠れて見えなくなるよう軽く上半身を傾けてくれた。
(それでこんな穴場という死角に連れてきてくれたんだね。本当に心配して声かけてくれたんだ)
いい人だ。いい人過ぎる。
そして今はもうコーヒーを飲み終わったから隠れる必要もないという、そんな潔い思考が私とかぶる。迎え撃つにしてもまずは自分のカフェタイム優先ときた。
嫌いじゃないぜ、そのポリシー。
「水も滴るセクシーな若き竜。平民ということにせよ、いい男に目のない少女が目をつけるとするなら悪くない人選と言えるでしょう」
「誉めてくれてありがとう。私はそんなに好みかい?」
「一番セクシーで私の好みど真ん中はうちの父で、次に好みなのはうちの叔父ですが、あなたも悪くないです。体格そのものは大公殿下のご令息や侯爵家のご令息方の方が素敵ですが、あなたは体から発せられる覇気があります。見る目のある女ならこんないい男、絶対に逃がしませんね。出したり引っ込めたりできるんですか?」
「まあね。何なら集めてあげようか?」
「お願いします」
彼が立ち上がった途端、誰も気づかなかった筈のこちらに人の目が集まったのが分かった。
誰もが心を引かれて見てしまう、圧倒的な存在感。
どれ程に紛れていても、この気配に人々は彼を見つけてしまう。目を逸らせなくなるのだ。そこにいるのだと、誰もが知ってしまうから。
だけどその気配はすぐに終わりを告げた。
「はい、クッキー。美味しいよ。ワンって鳴いたら食べさせてあげる」
「けっ」
「うーむ、やっぱり駄目か」
ひょいっと私の唇に菓子を割り込ませてくる様子はただの性格ねじれたお兄さんだ。
儚い幻だった。
カリカリとクッキーを齧っていたら、じゃりっと土を踏みしめる音が幾つか響いてくる。
「こんなところで逢引きかしら? あちこちで異性を見繕っているだなんてふしだらなこと」
「・・・言われてますよ、お兄さん。まさか二股かけてたんですか? 恋人のお姉さんにはちゃんと、あなたは浮気していた最低男だと言っておいてあげますね。それでは私、男女トラブルには関わりたくないのでここで失礼します。コーヒーとお菓子をご馳走様でした」
まぜっかえした私は立ち上がった。
「知らない女性相手に二股とか言われてもね。それで私が誰と浮気したって? 全く心当たりがないな。何人かはうちの母よりも年上じゃないかい?」
くすくすと笑う彼にとってはまさに笑い話なのか。さりげなく失礼だ。
ただ予測よりも私を侮辱する気満々なのがね。参ったな。もっと下手に出てくると思ってた。
「違いますわよ。そこのあなた、ウェスギニー子爵家のアレナフィル様に言っておりますの。外国人の婚約者がいると言いながら、あなた、どこまであちこちの男性と浮名を流すおつもり? 子供だからって言葉ではさすがに苦しいと思いますわよ」
「全くですわ。ガルディアス殿下にすり寄っておいて、今度はそちらの男性? エインレイド殿下のお友達という立場を利用してどこまで図々しいの」
「さすが母親のいない令嬢はまともな躾もされないと見えますわね」
私は振り返って人数と顔を確認する。
どうするかな。誰もがうちより高位の貴族女性だ。アフタヌーンドレスも仕立てがいい。もう少しシンプルなスーツ姿でもいいと思うのに、見た目からして制服では太刀打ちしかねるときた。
だけど私を詰っていいのは、フォリ中尉の恋人ぐらいだと思う。
私は軽く会釈程度の礼を取って微笑んだ。
「母がいない哀れな身ですので、どなた様も初めまして、でしょうか? どこのどなた方かは存じ上げませんけど、真っ平な体形の子供にも負けるような色気しかない方々の嫉妬はどうかと思います」
「・・・ま」
「なっ・・・!?」
「なんて礼儀知らずなっ」
「やはり性悪な女狐でしたわねっ!」
ぶふぉっと噴き出す男がいるのだが、こいつも大概だ。たしかに黙って見ていろとは言ったが、娯楽にしろとは言っていないのに。
護衛がいないなんて危ないだろうと声をかけてくれたのに、しかもこの人達と会わないように図書館でもうまく本棚の間を誘導してくれたのに、こういう状況が展開されたとなったら遠慮なくお腹抱えて笑ってる時点でめっちゃマイペース。
ううん、仕方ないんだよ。まだ何かあった時には動いてくれるだけで十分ありがたいんだよ。それに上級生の先輩達も離れた木陰や物陰から見ていてくれてる。
私は一人じゃない。
落ち着いて対等な立場へと持っていこう。一方的にやられる立場なんてあってはいけない。
「礼儀をどうこうおっしゃるのでしたら、まずこちらの男性に謝罪なさってください。私はこの方に恋人がいることを存じておりますし、子供が喜ぶお菓子の相談に乗っていたところです。それを逢引きだなんて・・・。誰にとっても礼を失しているのではありませんか? 子供に喜ばれるお菓子を知りたかったこの方にも、この方と愛し合っている恋人の女性にも、そしてお菓子をプレゼントされる予定のお子さんにも、勿論、私にも」
「あなた、私達を誰だと思っているの? 謝罪しろというその男性はどんな身分だと?」
「身分なんて関係あります? 子供と逢引きしていたなどと侮辱された彼はただの被害者です」
全く、世が世ならばこの人にこそ彼女達が礼を尽くさなくてはならないというのに呆れたものだ。
わざと仲良しに見せかけて挑発したのはこっちだけど。
さて、そろそろ本題に入ろうか。と、思ったら彼が口を開いた。
「私のことはお気遣いなくお話を続けてください、伯爵夫人。なかなかの顔ぶれですね。公爵家令嬢に侯爵家令嬢、更には侯爵家の妹君。皆様と比べれば取るに足りぬ卑賎の身ですので、私のことはどうぞ路傍の石とでも思ってください」
「自覚があるのは結構なこと。所詮は下賤な身、子爵家の娘に取り入る恥ずかしさぐらいは自覚しているのかしら。そこの欠陥令嬢とお似合いではありますけどね」
馬鹿にしたような口調と嘲るような視線。残りの三人も失笑する。
いや、考えようよ。本当に卑賎な身の人が貴婦人達を見るなりその素性を把握できる筈がないよね?
ううん、それ以前に・・・。
そう、本人のふざけたへりくだり方はともかく、調子に乗った彼女達は彼を下賤な身と侮辱した。
さすがにそれは聞き逃せなかった。
私へ喧嘩を売るのはいい。だけど彼への侮辱を聞き逃しては、あの優しかった方に対してどんな不義理となることか。
・・・許せない。許せる筈がない。
「口を慎みなさいっ! それでサルートス貴族を名乗る気ですかっ!? たかが変装如きでこちらの高貴な身分さえ見抜けぬ愚か者がっ!!」
「フィ、フィルちゃんっ!?」
「黙っててくださいませっ。これは我が国の恥でございますっ」
私はきっと彼女達を睨みつけた後、彼の前に跪いた。
「あくまで目立たぬように視察なさるお気持ちを尊重させていただくのと、国内貴族の顔しか把握しておらぬ者達が礼儀知らずを増長させて貴方様を侮辱するような愚かな振る舞いを重ねるのとは別物でございます。どうか我が国の民の無礼をお許しくださいますよう伏してお願い申し上げます。このことは早急に大公殿下を通じて国王陛下にご報告申し上げ、改めてお詫び申し上げることとなりましょう」
さすがに背後で緊張が走る様子が分かる。
たとえどれ程に馬鹿にされようが、私は子爵家の正妻が産んだ娘だ。愛人の子ではない。
そして私が成人してもよそへ働きに行く必要などない程度の資産をウェスギニー家は保有している。
そんな立場の私がここまで遜る相手はとても限られた。ましてや即座に王弟及び国王への報告が必要となる相手など、他国の重要人物以外の何物でもない。
「あ、あの・・・」
「もしかして、そちらはどちらかの・・・」
くすっと笑う気配と同時に、圧倒的な存在感が辺りを包んだ。
(久しぶりだ、これ。この国、何かと種の印とか言ってる割にはそこらへんがいい加減だったもん)
空気の重ささえ変えてしまう、その恩寵。
ああ、これが本当の竜の種の印を知り操る者。全ての人々を従わせずにはいられない本質を使いこなす者だ。
ざざっとあちこちで膝をつく衣擦れの音がする。訳が分からなくても、そうすべきだと庭園にいた人達も理解したのだ。
何を語らずとも全てを支配する、王者の気配。
私を見習って誰もが膝をついたことだろう。恐らく彼女達も礼を取った筈だ。
「サルートス国王陛下への報告には及ばぬ、幼き貴婦人よ。ここの王城図書館にもない我が国の王位継承神話に通じ、その上で唯一礼儀正しく振る舞った子爵家令嬢のことは覚えておこう。
しかし私も大ごとにされてしまえば無駄なやり取りが生じるだけなのだ。何の為にのんびりした時間を過ごさせてもらっているのかが分からなくなる。そちらの貴婦人方も叱責は免れまい。ここは名もなき平民の男として扱ってはくれまいか?
それに・・・そうだな。サルートス語は外国語ゆえに私も堪能ではない。そちらの女性の言葉はよく理解できなかったのだ」
誰がどう見てもサルートス人並みに喋っている男が何か言ってる。
だけどあの国とこの国って、・・・違う言語だったっけ?
そんな筈ないんだけど、まあ、いいや。
{大空の如く広きご温情、衷心より感謝申し上げます}
私は共通語で感謝の言葉を述べた。これは外交の時に使われる儀式的な挨拶用の言葉で、それぞれ違う言語の国同士で使われるものだ。どの国を優先することなく、それでいて全ての言語の大元となった言葉から作られている。
「ああ。さすが外交を担う大公妃が直々に育てている才女だけはある。子爵家の娘でありながら君よりも高位の彼女達を叱りつけたのは、それで私の怒りを鎮め、彼女達が罰されることなきようにと考えた為であろう? 小賢しいことだが、その小さな体で四人の貴婦人を守ろうとした気概に免じて乗ってあげよう。君が外交に就く日が来たらこの国はとても発展しそうだ」
あ、やっぱりこの人、私の味方だ。
私を攻撃してきた人達にしっかり私からの恩を押し売りしてくれた。
ほっほっほ。散策していてこの場に立ち会ってしまった人達は耳をかっぽじってこの言葉をよぉく覚えておくのですわよ。
この私、怒鳴りつけることでそちらの貴婦人方を救って差し上げましたのよ、ほほほほほ。ああ、堂々と相手を罵って感謝を押し売りしてやるなんて、ホント気持ちいいわぁ。
だから私は神妙な顔つきで、まさに博愛の聖なる乙女として答える。
「滅相もないことでございます。子供の浅知恵よとお笑いくださいませ。ですが、・・・どこの家にも未婚の令嬢はおられます。我が国では母や姉の失態が、娘や妹の縁談にも影響するのでございます。何事もなければ良い相手と縁組できても、我が国よりも長き歴史を刻まれた尊き御身を一方的に侮辱したと明らかになればこちらの方々は今後の人生、謹慎もしくは幽閉を免れません。そうなればご家族の縁組も解消されてしまうことでしょう」
びくっと、私の背後にいる貴婦人達が体を跳ねさせた衣擦れの音が耳に届いた。
私に母親がいないことを欠陥だとあげつらっておいて、そんな私に公衆の場で情けをかけられたのだとギャラリーまでもが知ってしまうんだからさぞ屈辱だろう。
ま、私は別に縁組を解消されるリスクなんてありませんけどね? ほほほほほ。
「なるほど。だが、子供がいくら頑張ったところで最低限の報告はされるものだよ。まあ、私も身分を明らかにしていなかった非はある。幼き貴婦人の勇気を汲んでこちらの国王陛下への報告は止めておくように口添えしておこう。ただ、君に庇われたことをそこの女性達は理解していないんじゃないかい?」
地面を見ていた私の顔を見てみようと思ったのか。私の腰を両手でわしっと掴んで、高い高いしてくる人がいる。
すぐ間近で見下ろしたサファイアの瞳はとても綺麗だった。あの装置を外せばもっと綺麗なことだろう。
私達は周囲に気取られない程度にかすかな笑みを浮かべ合う。共犯者スマイル。
仮に国を追われても王族という存在はそれなりに尊重されるものだ。何故ならいつどの国も同じことが行われないとも限らないからである。その際、他国の王族を虐げた国の王族は、いずれ国を追われたとしてもよその国から丁重な扱いはしてもらえない。
だけどそんな事情を告げる必要はない。
私達のやりとりを聞いたなら、これは外遊だと誰もが判断しただろうからね。はったりは堂々とやるべし。
「そうかもしれませんが、その場で何も努力していないのと、それなりに努力するのとでは結果が異なることもございます。大公妃殿下は私に、常に我が国のことを考えた上で行動するようにと教えてくださいました。その私の努力を無にするもしないも、その方々の家門が責任を取ることでございます」
この私の行動が問題だった時の為に、ちょっとミディタル大公妃を持ち上げておく。だって私を守ってくれるの、ミディタル大公妃の気がするし。
「いい心構えだ。
さて、君達もそろそろ解散してくれないか? たしかこの子供とガルディアス殿が浮名を流しているという話をしに来たのだったか。
あの体格でこんな色気など全くない子供に、ねえ。どの国でも王族の身近に仕える女人は大人としての成熟した魅力を持つ者ばかりだったが、この国は変わってるな。
しかし子供相手にとは感心できん。彼には世界的な常識というものをしっかり伝えておいてあげよう」
うわぁ。フォリ中尉の怒りが見えるかのようだ。変質者扱いされて、あの人が怒らないとはとても思えない。
しっかり馬鹿にしてきてるよ、この人。こんな子供を恋のライバル視するだなんて、この国に知性教養ある成人した美女は城に存在しないのかとまで言っちゃってるよ。
無関係だけど聞き耳立ててる人達だって、えっ!? レベルな話だよ。だって私、誰がどう見てもサルートス上等学校生の制服着てる一年生。
(この場合、この人達の申し立てにより、フォリ中尉と私の未成年に対する性的搾取問題が調査されるということになるのかな。だけどそんな事実はないわけで、そうなると大公家令息と子爵家令嬢を妄言で侮辱したことになるわけだ。さて、その場合の罪状は・・・)
ちなみにサルートス王国では子供の人権にかなりうるさく、よその国なら後宮などで子供も小間使いとして仕えていたりするが、この国では認められていない。
蒼白になった四人の表情も、まさに沙汰を待つしかないレベルで強張っていた。
「おっ、お許しくださいませっ」
「口が滑っただけでございますっ」
「そのような意味ではなかったのですっ」
恐らく私に一番文句を言いたかったであろう令嬢なんて、腰をかがめた状態で硬直している。その肩は震えていた。
「あの、ガルディアス様、そんな方じゃないです。誤解です。
ガルディアス様、私のお話を聞いて、エインレイド様が楽しめるようなことを企画したり、どんなものが喜ぶかを考えたり、プレゼントの市場調査の手伝いを命じたりなさっておられるだけです。私に礼儀作法の間違いチェックをしてくださることもありますが、浮名どころか王城の礼儀担当女官よりも厳しくて、成人した貴族令息達ですら私を見捨ててその場から逃げ出した鬼教師です。
貴族として産まれた以上は子供であろうがこの国の為に尽くせと命じてくるお方なんです。そんな爛れた世界とは正反対の場所においでです」
崖から突き落とすのはそこの四人だけにして。フォリ中尉を巻きこんだら、あの人、何するか分かんないよ。うちの祖父だって軟禁程度で許してくれない。
私、全国放送でフォリ中尉への公開謝罪なんてさせられたくないの。それにフォリ中尉が一番可愛がってて道を踏み外しそうな相手はこの国の第二王子様。従兄弟だからって仲良すぎだよ。
というわけで、私はあくまでフォリ中尉はとても素晴らしい人なのだと言ってみた。
「それはけしからんな。子供をいじめるなと伝えておこう」
「他国の王族にそんな内部事情を暴露したと知られたら私が叱責されるので内緒にしてくださいませ。それに努力すれば、ガルディアス様、ご褒美に私を観劇とか音楽会とか展覧会に連れて行ってくださるんです。そういう場所での皆のふるまいを見ているだけでも勉強になるからと」
周囲のギャラリーはこの言葉をよく覚えておきたまえ。
私はデートでお出かけしていたのではない。厳しい礼儀作法特訓のご褒美で連れて行ってもらっていただけなのだ。しかもそれさえ授業の一環だったのだ。
それら全て、この国の為に貴族令嬢として叩きこまれていただけだ。・・・そういうことにして。
「そう焦るな。これでも様々な美女は見てきた。その賢さが我々の目を引くことがあったとしても、そなたに女の魅力など皆無であることは火を見るよりも明らかというもの。
人の上に立つ者ならば分かるそれが何故彼女達には分からなかったのであろうな。
そなたを可愛がっていたなら女性としての将来ではなく国の将来を見据えてのこと、縁組等ではなく人材採用を考えてのことだと誰もが気づくであろうに」
巻き込まれるかのように礼を取っていた人達も、こういったやり取りを聞き、状況を察したらしい。
そうなのです。私、可愛さが魅力なだけではないのです。
第三者の立場で味方してくれたこの人はいい人だ。当事者って結局はこじれるだけなんだよね。
「恐れ入ります。数年後には貴方様が目を大きく瞠ってあっと驚くような魅力的な美女、それこそ並み居る男達が腰砕けになる色気むんむんなナイスバディガールになる予定でございます」
「ははっ、それは楽しみにしておこう。
だが、ガルディアス殿はエサやりが楽しいペット呼ばわりしてたぞ。成人女性と違って迫ってこないし、可愛い第二王子の家庭教師はこなすし、適当に放し飼いしておけば役立つ賢い番犬だそうだ。
大人の女性になる前に、頑張って人間に昇格するのだな」
シメてやる。あの男、絶対にシメてやる。私は決意した。
そんな私の頭を撫でると、彼は菓子箱を私の手に握らせる。
「さ、お菓子は持ってお帰り。楽しい時間をありがとう、小さな勇者さん。次は私の正体に気づいても黙っていておくれ」
これでも私は貴婦人(推定王妃様)や王城の礼儀作法担当女官、そしてあのフォリ中尉のしごきを受けた身である。
たとえ貴族であろうとできない人はできない共通語の挨拶。それを皆に見せつけるチャンスがやっと巡ってきたのだ。
{かしこまりました。尊きお方の思し召しのままに}
諸外国との会談の際などに使われる、他国の国王もしくは王位継承者に対する礼をしてみせれば誰もが私を見習って同じように深く礼を取る。さすがに私と同じ礼はとらなかったが、私のそれは王城に参列する貴族ならすぐに理解できるだろう。
サルートス固有の礼しかできない人と、こういう諸外国相手の礼をとれる人との差は、ここでつくのだ。
(私の一生、一度も役立つことはないのにって言っててごめんなさい。ここで役立つ為に私は習っていたのね・・・!)
その中を悠々と彼は去っていく。その後ろ足だけしか、顔を伏せている私の目には映らないけど。
これだけの人数に礼を取られ、それでも全く急ぐ様子もないところがさすがだ。
(本当は明らかにしてほしくなかったんだろうな。だけど、・・・あなたを侮辱されていい筈がなかった。ごめんなさい)
やがて十分に距離が空き、確実にいなくなったところで姿勢を戻すと、デリアンテッセ、そして上級生達が駆け寄ってきた。
「お嬢様、今の方は一体どちらの・・・」
「御忍びだそうだからな・い・しょ。だけど間近で見ちゃった。建国神話にもある容姿だからすぐ分かっちゃったよ。凄かったでしょ、あの王族オーラ。サルートスよりも長い歴史がある国なんだよ。あ、これ以上は秘密ね」
国としての歴史的な格はあちらが上だという意味である。建国神話というワードがヒントになるかどうかは分からないが、それであの国を特定できる人は限られるだろう。彼が言っていた通り、この図書館にもその資料になるような本は存在しないのだ。
ファレンディアに行った時にやってくることが増えた気がする。問題は今の私で入りこめるかどうかだ。
優斗は今、センター内でどれだけの権限があるのだろう。
ファレンディアならあの国の情報に詳しい筈だ。ちょっと調べて、必要なら持ち出せ・・・るかどうかは難しいかも。うーん。
「そういうわけにはまいりません。報告義務があります。今のお方はどこの国のどういうお立場の方ですか?」
「どうせ国王様はご存じだから大丈夫だって。
よくあるでしょ。外国だから顔バレしないってんで平民体験を楽しんでるっていうはっちゃけバカンス。放っておいてあげるのが正しいやり方だよ。・・・ああ、こんなことと知ってたらエインレイド様も誘ってきたのに。絶対会ってて損はなかったよ。
あ、先輩方もちょっとちょっと、今の方、どうでした? ゴージャスに飾り立てていなくても凄い存在感だなって思いませんでした?
あれで正装して冠かぶってたら、男でもきゅんきゅんってときめいちゃいますよね?」
この上級生達は種の印も出ているし、体格も成人男性そのものだ。どんなものだったのか知りたくて見上げれば、誰もが少し放心していた。
圧倒的な存在感に呑まれたことを思い出したのかも。
全く彼がサルートス王族じゃなくてよかったよ。支持者多数で王位争いが勃発しちゃう。
だけどあの人が君臨すべき国はここじゃない。
「あ、ああ。いや、ときめきはしないが、・・・そうだな。我が国の王族ではないと分かっていたのに膝をついてしまった」
「全くだ、情けない。己を鍛え直さねば」
「慢心してたな。次こそは・・・」
「国は違えど、さすがは王族だ。だが、次こそは負けん」
「え? ちょっと待って待って。普通に礼を取るのは常識ですよっ? 別にサルートスと敵対してるわけじゃないし、しかも国王陛下が我が国を自由に歩き回れるように特別手配を命じているであろう賓客なんだから、そうと察した時点で礼儀正しく振る舞うのは当然ですよっ? 私だって御忍びだろうからって普通にお喋りしてましたけど、その前にはきちんと礼儀正しく挨拶しましたよっ?」
振り返れば彼のいない空間にはただ爽やかな風だけが吹いていた。
「それをどうして君が気づくことができたのかというのが謎なんだが。しかもあの見事な共通語。さすがは陛下が認めたエリー王子の学友だけはある」
「全くだな。おちびちゃんは本当に王族ホイホイなのかねえ。なんで大当たり引くかな」
「ガルディアス殿下と交流があるようなことをおっしゃっておられただろう。それでこの子も知っていたんじゃないのか?」
「ああ、そうか。何にしても外交を見据えて今から鍛えられてるんじゃ大変だな」
「・・・私の将来の目標は定時で帰ることのできるお気楽生活です。だけど今はエインレイド様を賢く育てたい皆様に協力してちょっと色々お勉強中」
そういうことにしておこう。
今はまだ言えない。彼の名前や身分を口にしたなら、彼こそがきっと危険なことになる。
だけど・・・。
今は国を追われていても、いずれ彼は返り咲くだろう。あの装置で隠していてもあそこまでの存在感があったのだから。
いずれ国民全てが彼を望む。強き指導者を。誰もが誇りに思う王を。
(問題はうちの父が絡んでいそうなところだ。父の部下を装って近づいてこなかった、あの人? まさかと思うけどサルートスで兵士体験とかしてないよね? うちの父、気にせず受け入れていたりしないよね?)
分からない。うちの父だけは分からない。
だって娘の意識が外国人になっていたと打ち明けられても、「それがどうかしたか?」な人だ。
祖父は、
「そんなことならば早く打ち明ければよかったのだ。幼いからこそ実の父親が必要だと思って口出しせずにおったが、それならばうちで育てたというのに」
と、これからは一人で抱え込まずに相談するようにと言ってくれた。
祖母は、
「生さぬ仲だからこそ口出しできぬ立場だと思っていたのよ。まさかフェリルド様があなたの不自然さを隠す為にあの家で育てていたなんて。もううちで暮らしなさい、フィル。本当はずっとあなた達と暮らしたかったのよ」
と、抱きしめてくれた。
叔父は、
「道理でフィルはどこか大人っぽいところがあると思ったよ。言えなくて辛かったね」
と、優しく頭を撫でてくれた。
そういう思いやりに満ちた三人とは別に父だけは、
「別に4才の時点であの子とは違う人格になったのは分かっていた。それが元外国人だろうがそうじゃなかろうがフィルはフィルだろう? 話したければ話せばいいし、話したくなければ話さなくていいさ。だって私の娘に変わりはないし、お前を泣かせたいわけじゃないからね」
と、薄情なんだか、愛が溢れているんだか、どこまでも突き抜けていた。
王子エインレイドが私との交流についてうちの父に尋ねたらあまりいい顔をされなかったが、言っている言葉と雰囲気が乖離していたというのはそれがあるのだろう。建前として望ましくないと答えた父だが、本音は娘が誰と友達になろうがどうでもよかったものと今なら分かる。
双子の兄には、父のように広い心の持ち主に育ってほしいと思うばかりだ。
(和おじさんもひどいよ。まだ何も知らないルードはともかく、みんなが受け入れてくれたからよかったけど、普通なら家族バラバラ亀裂事件発生だよ)
この国で目覚めた時から長い年月が流れた。今なら分かる。父が心から私のことを考えてくれていたことを。
あの家をくれると言ったのも、私がサルートス人として生きていくのが辛かった時の逃げ場所を与えてくれる為だったのだと。
だからこそ・・・!
私はそんな父の幸せを考えて行動してあげたい。
あんなにも広くいい加減で緩い愛情を向けられていたと知った今、そんな父のことを愛してくれる女性を見極められるのは私だけだ。
(あ。どこにそんな素敵な女性がわさわさいるのか聞きそびれた。ま、いいか。いつかまた会うだろうし)
マイシロップを置いている時点で、かなりあの人、好きに生きてる気がする。
そしてあの人の家族がアレンルードと友達ってことは・・・。まさか上等学校に通ってるの? それともアレンルードの入っているクラブが提携している社会人チームにいるとか?
うーむ。
なんかねぇ、王族なんて面倒くさいからもういいよと、外国で羽を伸ばして生き生き暮らしている様子が瞼の裏に浮かんで仕方がないんだけど。
あれだけの存在感を出したり引っ込めたりできる時点で、あの人、わざと国を追われていないよね? 本当は圧倒的大多数支持でもって君臨できたのを、面倒だからいいやってトンズラしてないよね? あの容姿で本気出したら、たとえ味方が一人もいない状況からでも周囲の人間を次々に味方に変えられたんじゃないの?
それって本当にいいの? そんな感じで国を放り出してもいいの? なんという種の印の持ち腐れ。
「アレナフィル様。少しお時間、よろしいかしら?」
さっきまで静かに俯いていた令嬢が声を掛けてくる。どう見ても成人している年齢だ。
姉さん女房を目指すにしても、第二王子エインレイドに恋愛感情を抱けるとはとても思えない気の強さが見てとれた。
何より私をライバル視しているのがよく分かる。
(やっぱりレイド狙いじゃないよねぇ、年齢的にも)
涙で赤く充血した瞳に、ワインレッドの瞳をしたどこぞの寮監を思い出さずにはいられなかった。
ヴェラストールの騒動で、ウェスギニー家も王子エインレイドの好みは私とは違うタイプ、私の好みも年上だと明言してしまった。それで一段落したと思っていたが、解釈違いだったならまた違う側面が生まれるものだ。
外国人と婚約していると言っても、私はこの国で婚約届を出しておらず、ゆえにそれは無いも同然。
そしてミディタル大公の息子にしてもネトシル侯爵の息子にしても成人していて、私よりは年上だった。
(女性問題は責任持って最後まで自分でケリをつけましょう。そういう法案を通すべきだ)
なんで私の周りにいる男達って、誰もが女心を理解しないどころか無視して生きてる人ばかりなんだろう。




