60 祖父の愛情とは
男子寮への入寮を打診された二つの伯爵家とハネル家は、まず男子寮の部屋を見せてもらい、寮監からも話を聞いて判断したいからと、大公邸から学校の男子寮へ向かった。
そこまではいい。
問題はその後だった。
何故かミディタル大公邸で祖父と叔父とに囲まれた私。被害者だというのに、私がやらかしたことを検証しなくてはならないとほとんど拘束状態だ。
「お、お祖父様、私、子供だから難しいお話は分かりません。それにほら、今は心の衝撃が大きすぎて、もう今にも気を失いそうなんです」
ふらりとよろめきながら訴える私を、祖父は青い瞳に優しさを湛えながら見下ろしてくる。
「難しい話を作らずともありのままに話せばいいのだ。エインレイド様に警備を出し抜いて金儲けに行こうなどと誘っておいて何が心の衝撃か」
「!? 何故、それを・・・」
「前から思ってたけど、フィルってホントに詰めが甘いよね。なんでいつでも一番目立ちに行っといて、それで誰も見てないとか思えるわけ?」
「ルード、密告よくない」
「なんで僕を疑うんだよ」
他に誰がいる。双子とは一番身近なライバル。油断はできない。
ローグとマーサの場合、父が相手ならともかく祖父母にそこまでペラペラとは話さないし、叔父は私に甘い。ほら、消去法でアレンルード。
「二人共、喧嘩はおうちに戻ってからやりなさい。よそではいい子にね。フィルもそんなこと言ってると、父上に子育てされてしまうぞ。父上と母上、素敵な令嬢の育て方を毎晩読んでいるからね」
「ごめんなさい、お祖父様。私、きちんとお話できるいい子です。ありのままお話します。だからもうお嬢様教育はいらないと思います」
無垢な瞳で見上げてみたが、祖父はアレンルードへと視線をずらして頷く。
「新種の猫と思えば・・・。いや、お前だけが頼りだ。ルード、フィルの賢さはともかく、それ以外は反面教師としてまっすぐ育つのだぞ」
「はい、お祖父様」
「ぇえっ? お、お祖父ちゃま、フィル賢さだけじゃないよっ。まっすぐ育ってるよっ。完璧令嬢だよっ」
慌てて取りすがれば、背後でなんだかぷっと噴き出す声が幾つか聞こえた。
「自分で完璧とか言う時点で完璧じゃないだろ」
「ガルディ兄上、ひどいよ。アレルはああいうところがいいんだよ」
「アレルちゃんはその分かりやすさが素敵な令嬢ですね。うちの弟もそれで陥落したのでしょうか」
その場を和ませようとした私の努力を誰も分かってくれない。
そうしてミディタル大公夫妻、フォリ中尉、今回の護衛責任者ローゼンゴット、エインレイド王子、そして祖父のセブリカミオ、叔父のレミジェス、兄のアレンルード、更には通訳のバーレンが立ち会った室内で、和臣と私は今回の件について説明させられることになった。
ゴーストの件はもう終わったことだった筈なのにと首をひねっていたら、そんなわけないだろう、きちんとした報告は必要に決まっていると、フォリ中尉から馬鹿にされた。
屋内で見る幽霊屋敷が屋外になった程度のことを騒ぐなんてナンセンスだ。きっとあのニュースを見たみんなも楽しんでたよ。
(まさか和おじさんまで呼ばれていたとは。だけどなんでこの人、いつでもどこでもマイペースなんだろう。大公邸というのに慣れ親しんだ場所レベルで寛いでる)
通訳としてバーレンが来ているけれど、彼はミディタル大公にあまり近づきたくなさそうだ。気持ちは分かる。気迫が違い過ぎるんだよ。
「ニッシー、私にも同じ物を作れ。幾らだ?」
「タイコー、欲しい? ダメ。女の子、ゴースト、使う。女の子、悪い男、怖い。女の子、怖いゴースト、使う。悪い男、逃げる。タイコー、強い。強い男、ゴースト、使う、おかしい。ゴースト、弱い女の子、味方。助ける、呼ぶ」
「ん? ああ、そういう使い道であったか。救難信号みたいなものであると」
「キュナンシンゴ?」
【救難信号のことです、ニッシーさん】
「おお、その通り。キュナンシンゴ。沢山の人、集まる。女の子、助かる。その通り。タイコー、使う、おかしい。タイコー、強い。タイコー、助ける、いらない。私、使わない。タイコー、使わない」
平然とミディタル大公の要求を断れるのはこの人しかいないんじゃない?
激怒したらどうしようと思ったけど、ミディタル大公は怒らなかった。
「言われてみれば私に使い道は無いな。面白そうではあったが」
「せいぜいエインレイド様に持たせるぐらいですわね。確実に護衛が駆けつけますもの」
「叔母上。僕、ちょっとあそこまで騒ぎになるのは嫌です」
「いや。例えば荒野とか山脈とかで護衛とはぐれた時には役立つぞ、エリー」
「あのさぁ、ガルディ兄上。そういう場所に一人でいる時点で僕の人生終わってない?」
ローグとマーサは、しばらく大公邸に私が預けられるのならばと、学校の教科書や制服や普段着などを持ってきてくれた。本当はマーサが私付きの侍女という形で一緒に滞在してくれるつもりだったらしい。
だけど自宅から腹心の侍女や乳母を連れてきて滞在しようものなら、まさに結婚確定の婚約者を迎えるのと同じことになるから、ミディタル大公邸も次の女主人扱いしなくてはならなくなるので遠慮してほしいと言われてしまった。
なんでも王族に嫁ぐ姫君や令嬢は、先に妃教育ということで腹心の侍女や使用人を伴って暮らすものらしい。
私はただちょっとお泊まりするだけという形をとるそうだ。つまり客人。
大公妃も結婚式を挙げる一年前から婚約者として王城で暮らしていたことがあったそうで、そういう場合の雇用契約なども関係するから、連れていく侍女やメイドや使用人の人選も簡単じゃないと教えられた。
勿論、私がフォリ中尉に嫁ぎたいのであれば話は別らしく、ミディタル大公妃からは半分以上本気の微笑で促されたけど、さすがにこの年で結婚は考えられない。
本当に大丈夫だろうかと心配していたマーサだけど、ミディタル大公妃とお喋りした後は、にこにこしながら私を置いていった。
(なんで大公妃様とマーシャママ、仲良くなっちゃったのかな。なんか約束してたし。マーシャママの連絡先まで渡してたし)
ほとぼりが冷めたらミディタル大公妃、ウェスギニー子爵邸を訪れるそうだ。その時には是非マーサもと、誘われていた。よく分からないが邸には二人が知るとても印象的な森の瞳をした素敵な方がいるらしい。
そんな人、子爵邸にいたっけ? 森の色をした瞳といえば父で、同じ色を持つのは双子の私達。・・・やっぱりそれって私のこと? それならここにいるのに。
(何故だろう。疎外感が凄すぎる)
ウェスギニー子爵邸の運転手がローグとマーサを先に送っていったけれど、いなくなる前に二人からは念押しでしこたま怒られた。
今度から旅行に行く時は絶対にアレンルードと一緒に行くようにと、何度も何度も、カウントしたら二桁レベルで念押しされた。
初めてのお友達との旅行で頭が興奮状態で実はパニックになっていたんですって言って、どうにか最後には許してもらったけど、あまり信じてもらえてなかった気がする。
そうして今に至るのだが、なんだかローグとマーサがいてくれた方がよかった気がしてならない。だって、誰もがアクが強すぎだ。
「映像の質が悪すぎてここが分からんかったぞ。つまり髪に煙幕弾を仕込んでいたわけか?」
「髪ゴムの飾りだと思いこんでおり、我々もあの時点では特に注意をはらっておりませんでした。申し訳ございません」
「仕方がないわよ、あなた。ローゼン達だって子供達は丸腰だと思っていたのだもの。あの子達よりもその周囲にこそ目を光らせていた筈だわ」
「プライベートまで盗撮なんかしないでよ、叔父上。ガルディ兄上、何とか言って」
「そりゃアレナフィル嬢が一緒じゃなければな。お前が近衛と侍従と女官達を連れていけば必要なかっただろうが、しょうがないだろ。大体俺は城にいてそんなこと聞いてなかったんだぞ」
「うぅっ。だけどなんでヴェラストール城までとその後って画質が違うの?」
「我々の反省点をチェックする為の映像でしたので画質にはこだわっておりませんでした。ヴェラストール城で殿下を見失った後、要塞へ向かう前に一番高価な物を買いに走らせました」
祖父のセブリカミオも、いつもは困った顔をしても最後は苦笑して許してくれるのに、さすがに大公邸ではとてもいかめしい顔つきである。
叔父のレミジェスはとても素敵な微笑みを浮かべながら、ほんわかとした空気を作り出そうとしていた。
「アレナフィルにここまでしてくれたのは有り難いが、この子の運動神経ならば十分に逃げられたのではないのか?」
「あの大きなゴーストがこんな小さな装置で映し出されたわけですか。さすがですね」
【えっと、和おじさん。こんな小さな装置であの大きなゴーストを出せたとは凄い技術ですねってジェス兄様が言ってる】
私のローズピンクの薔薇がついた黒いチョーカーと照準メガネと耳穴式集音装置がテーブルの上に載っている。いや、置かせられている。
ぱっと見は黒いベルベットリボンのチョーカー。だけど外してしまえばそれなりに厚みもあって、布のリボンではないと分かってしまうのだ。しかも実はハサミなどでは切れない仕様。
ローズピンクのガラスを薔薇の形に細工したように見せかけたトップも、ガラスどころか鋼鉄レベルの硬さだ。
ミラータイプのサングラスに見せかけた照準メガネはただのサングラスにしか見えないし、耳穴式集音装置もそれ自体はそこまで珍しいものではない。
それでも模様に見せかけたスイッチとかに気づかれたらどうしようもないんだよね。
改めてミディタル大公達は護衛チームが盗撮していた映像を見ているが、手振れもひどく、思ったよりは把握されていなかったようだ。だけどリアルな目で見られていたわけで、そっちの報告はごまかしようがない。
でもね、和臣がいるなら大丈夫なんだ。彼にかかれば全ては簡単に終わっちゃう。全国ニュースになったゴーストだって、女の子を襲う男が悪いという一言で終了だ。
【遊園地でも採用された技術だ。ああ、知的財産として私が所有しているからその仕組みは明かせんがね。ほら、フェリンキングダムでも載っている】
【え。ゴーストじゃないよ】
【なんであんな子供向けの遊園地でゴーストを出さなきゃならん。プリティフェリンが空を飛んでみんなを出迎えるんだぞ。子供は大喜びに決まってるだろ】
この程度のことは何とも思わないのか、和臣はどこまでも自然体である。
私はなぜかアレンルードが持ってきていたファレンディア観光ガイドブックを広げて、みんなに説明することになった。
「えっと、ニシナさんはあの映像技術で知的財産としての権利を有していて、それでこの遊園地にも採用されたそうです。えっと、ここではゴーストじゃなくてプリティフェリンちゃんがお客さんをこの広いスペースで迎え入れる時に使われているそうです。あ、この飛び回ってる奴ですね。そして法律上、この知識はニシナさんに帰属するので仕組みは明かせないそうです」
「えっとこれ、アレルが遊びに行く予定の遊園地だよね? なんか楽しそう、こっちは怖くないし。それなら僕達のブースもこっちが良かったよ」
「それだと暗殺者が入ってきても驚かないじゃないですか。誰もがビビらなくては意味ないです、レイド」
エインレイドが興味深そうな顔つきでガイドブックに目を落としているけれど、大人はやはりこの小さなチョーカーでどうやったらあれが空に映し出されたのかと、そっちが気になるようだ。
「普通、映像というのは角度が変わったらどうしようもなくなるものだがな」
ミディタル大公はヴェラストール城のマップを広げ、速報で流れた映像とも見比べながらどの角度に映し出したのかを再検証し始めている。
【王子様がね、優斗が私を案内する予定の遊園地だよね、映すのは幽霊だけじゃないんですね、素敵な技術ですねって言ってる】
【お前さん、遊園地で遊ぶ年かね。だが、あそこなら優待チケットと設備点検日チケットが戻ったらあるぞ。毎年、二つのフリーパスチケットが送られてくる。何名でも何回でも同行可能だ。事故を防ぐ為、設備点検の日がちょくちょくあるが、そういう日でも動かしたりするからな。あえてそういう日に来園して遊ぶこともできる。点検に協力して乗るわけだから異音とかのチェックもさせられるが、並ぶ必要がない。整備担当従業員の家族にしか発行されないチケットだ】
【ほんとっ? それって行列に並ばなくてもいいってこと?】
【普通は二日間かけてなるべく多く乗ろうとするが、あれなら一日で回りきれるだろうな。ただしパレードとかは練習しか見ることができないから、やはり楽しむなら普通の日にも行った方がいい】
和臣は子供がいないから、そういう特別チケットをちょくちょくくれていたのだ。ゆえに私は何かと仁科夫妻とお出かけするのに慣れていた。
この分だと今回の旅行にはついてきてくれないだろうが、優斗がいるから仕方がない。優斗は家族として私に執着している。これで和臣の私から見た立ち位置を知ったら、・・・考えまい。
「ルードッ。あのね、ニシナさん、フェリンキングダムの従業員しかもらえない点検日専用チケットも持ってるんだって。それがあると設備点検で休園の日に入ることができて、設備点検が終わったそれに乗って安全運航の確認のお手伝いってことで、並ばなくても乗り放題。でね、普通の日と違ってパレードとかは見られないけど、一日で回れるんだって」
「ねえ、フィル。なんでここでその技術じゃなくて遊園地に心が飛んでるの? どうしてそういうことしか考えられないのさ」
「え? だってニシナさんがそれだけ技術を提供してるから特別チケットもあるんだよ。使わなかったら勿体ないよ。設備点検なんてまず見られないよ。ここはその日に行くべきだよ。ルードも遊園地の裏側、見てみたいでしょ? その後、普通の日にも遊びに行くの」
発明家を名乗るだけあって、和臣は様々な優待チケットを持っている。それで来園してくれたなら改良とかを思いついてくれるからだろう。
遊園地に興味がない様子のミディタル大公は、ヴェラストール地方の地図まで広げ始めた。そしてフォリ中尉達と何やら囁き合っている。
祖父が和臣に話しかけた。
「カーズ。やはりあなたは映像技術の専門家だったな。大型施設からこんな小型まで凄いではないか」
「おお、セブ。褒める? そう、私、発明家。子供、楽しい、大好き。私の技術、遊園地、いっぱい、採用。セブ、マリさん、ファレンディア行く、私、案内する。だけど、アレナフィルと一緒、ダメ。アレナフィル、行動おかしい。一人は駄目。私、かかりきり」
通訳なしでも祖父と語り合っている和臣がいる。
やはり同年代で意気投合してしまうのか。ぽいっと捨てられた気分になった。
「そうですな。ファレンディアに旅行する時はアレナフィルと別で行かなくては」
「ええっ!? ひどいっ、お祖父様っ」
「はい。酒と料理の店、子供お断り。ファレンディア、子供は高級旅館、高級料理店、お断り。セブとマリさん、アレナフィルは抜きで行く、良い」
「んみゃっ!?」
和臣まで私を置いていくことに同意している。
そりゃ優斗との件が一番大事だけど、和臣の行きつけやこだわりの店は知る人ぞ知る名店ばかりだ。優斗の知る所がそうではないとまでは言わないが、所詮は料理の店など接待分野で使う優斗とは店の質が違う。
綺麗なお姉さんにお金を出すか、珍味にお金を出すか、その違いは大きい。
「子供では高級ホテルは断られる? 何故ですかな?」
「大人、上質の音楽、上質の静けさ、時間、楽しい。子供、賑やか、大好き。高級旅館、高級料理、大人が使う。アドベンチャーホテル、カラフル料理、子供が使う。納税者の大人、扶養されている子供、権利は別。当然。子供のいる大人、子供向けホテル、子供向け料理店、子供と行く、マナー」
「なるほど。そういう感覚なのですな」
ふむふむと頷く祖父は、通訳なしでもどうにかなっているようだ。ゆっくりと話すように心がけているから、和臣も聞き取りやすいのだろう。和臣も外国慣れしているから、単語カタコトでも相手に相互理解の気持ちがあればどうにか通じることを知っている。
「ちょっと待って。お祖父様、どこまでニシナさんと仲良くなってるのっ? 私、ちょっと留守にしただけなのにっ」
「なんぞ問題でもあるのか、フィル」
「だってお祖父様、ファレンディアは王族とか貴族とかいないから、ニシナさんの案内なんてまさに庶民レベルのお店ばかりなんだよっ。連れてってくれるのは高級レストランじゃなくて、カウンターとかに座る普通のお店だよっ。お祖父様、卒倒しちゃうよ。そりゃ美味しいけどっ。庶民のお店とか言っても、めっちゃ高いけどっ。カルチャーショックでお祖父様とお祖母様、寝こんじゃうよ」
専任の調理人が邸内にいて、一つ一つ給仕の人がお皿を運んできてくれる生活に慣れた祖父母だ。高級レストランならばともかく、目の前で厨房の様子が見える店など考えられないだろう。
勿論、厨房とは違う個室で美味しい料理を運んできてくれるところもあるけれど、長椅子に寛いで座りながら酒肴を楽しむそれなど理解できないに違いない。
「何を言っておるのだ、フィル。別に私とてそれぐらい慣れておる。お前のクラブメンバーやルードとて普通に街で買い食いしているだろう。立場に応じた生活をしているだけで、外国ならばそこまでかしこまる必要もないのだ」
「え・・・」
「フィルは父上のそういう顔しか知らないからね。父上、私と領地に出かける時も、けっこうそこらの食堂に入ったり、パンとハムと果物買って持参ナイフでカットしたりして、公園のベンチで食べてるよ」
「そんな・・・、私、お祖父様と叔父様はいつだって高級店利用だと思ってたのに」
これは私への裏切りだ。まさか祖父がそんなことも平気だなんて・・・。
「それ、フィルが高いお店にばかり連れてってもらってただけじゃないか。父上は子供の生活費稼ぐだけで大変だから高いお店はお祖父様とか言って」
「だってルード、お父様、残業と出張ばかりなんだよ。それだけ働かないと学費も出せないんだよ」
「そんなこと思ってるのフィルだけだよ。それに叔父上、僕達と一緒に観戦しながらポップコーン食べてただろ。アイスクリーム美味しそうとか言って買わせてたの誰だよ」
「試合なんてポップコーン食べながら見るって法律で決まってるんだよっ」
「ないよっ」
「やれやれ。父上達もフィルは貴族令嬢のお友達作りが難しそうだからと、出かける時はマナーを学ぶ為にもそれなりのお店に連れて行くようにしていたからね。だけどそれなら私がフォリッテリデリーのメニューを知ってるわけないだろう? うちで一番上品なのは兄上・・・だった筈なんだが」
「その筈だったのだがな」
ショックだ。
何がどうというわけではないが、自分の知っていた世界が崩れ落ちたかのようなショックがある。
「いいなぁ。僕も行ってみたい。ねえ、ガルディ兄上。外国旅行ってやっぱり駄目?」
「普通に駄目だ。アレナフィル嬢は急な婚約もあって何があったのかと警戒されている。これでお前が一緒に海外旅行などと変な動きを見せてみろ。さすがに変な思想にかぶれたと思われる」
貴婦人(推定王妃様)はとっくに王城へと戻っていた。息子の無事なら確認したし、フォリ中尉がいるから大丈夫らしい。
そう思って見れば、相変わらず仲のいい従兄弟である。正直、貴婦人(推定王妃様)にいてもらって、フォリ中尉こそが帰ってくれてよかったのに。
【もしかしてそこの王子様も一緒に行きたいとか言って却下されてるのかな? アレナフィル、それなら外交として王子が訪問する形を取ればいいと教えてやれ。先に旅客船で旅立ってもらってあちらで国賓と迎えられたところで、実は友達も来ているから一緒に遊びたいと告げればうまく取り計らってくれるだろう。忘れてるかもしれんが、あのセンターは外国の重要人物を迎えることも多い。そっちからも国に働きかけさせればなんとでもなるさ】
【国なんて無理だよ。センター、そこまで大きくないよ】
【お前があそこの特権レベルを知らんだけだ。子供なら国を代表する契約の話もできんし、ファレンディアの技術を見たいと言えば、国もセンターに見学ぐらい任せる。そこで合流すればいいだろう。子供なんぞ国を代表しての話し合いもできん。遊園地に遊びに行こうが、お前さんが行きたい所に連れて行こうが、どうせお前の臨時婚約者が話を通せば、その方が助かると任せてくるさ】
バーレンはこのメンバー、特にミディタル大公の存在に腰が引けていたらしい。目立たないようにしていたが、叔父の近くにいたので早速小さな声で私達のやりとりを告げる。
「ニッシー、いえ、ニシナさんは、王子様が一緒に行きたくて却下されているのなら、別行動で王子様が単独でファレンディア国に行けばいいと言っています。先に普通の船で王子様に行ってもらい、あちらで国賓として迎えられた後、友達が来ているから一緒に遊びたいと告げれば、フィルちゃんの婚約者が働くセンターは、外国からの重要人物にも慣れているから話は早い筈だと言っています。
フィルちゃんは、婚約者の職場にそこまでの価値はないと言っています。
ニシナさんは、王子様でも子供なら国を代表する契約もできないし、そこまで国が時間を取る価値はない。ファレンディアの技術を見学したいと言えば、国もそっちに任せる筈だ、遊園地に行こうが、みんなで遊びに行こうが、好きにさせるだろうと言っています」
王子様でも契約の話ができないなら価値無しだと告げられ、地味にショックを受けているエインレイドがいた。
ごめんね、あの国ってば本当に現金すぎる国なんだよ。
それでも外国の王族として国賓待遇となれば、外国人が普通は立ち入り禁止の所もちゃんと案内人がつけられる筈だと和臣は言った。この場合の案内人に、優斗が手を挙げればいいということだ。
【うーん。普通の旅客船ってどれだけかかるの?】
【知らん。10日か15日かそんなもんだろう。どうせ私の船ならそこまでかからん。途中で海中遊覧を楽しんでもいい。とはいえ子供同士だ。みんなで仲良く普通の旅客船で行くというのも悪くなかろう】
【え。いや、私、普通の旅客船より和おじさんの船がいい。あ、だけど優斗がセンターの船回してくれるって】
【あんなセンターの船なんぞ私にしてみれば思考が止まりすぎてるがな】
【そんなことないよ。あの船、中に栽培設備もあるし、めっちゃ速いって話だったよ】
【その初期プロジェクトのメンバーを確認するんだな。更に改良しただろうが、方向性が違うのだ】
【え。そうだったんだ。だけど和おじさん、センターで働いたことなかったよね? あそこに和おじさんの名前なかったよ】
【当たり前だ】
【それ、どーゆーこと? 聞いてないよ】
【いずれ話してやる】
悩むところだ。王子様が私に傾倒していると思われるのも面倒なことになるよね。
これが普通のお友達なら少しぐらい融通できたとは思うけど、私はあの国で行きたい場所としたいことがある。アレンルードだけなら優斗に協力してもらってどうにか別行動の時間を稼げるだろうが、それ以上の人数は面倒だ。
うん、王子様には自力でいつか行ってもらえばいいか。
「あのね、ルード。レイドは大人になってからのお楽しみとして、ニシナさんの船でも、ユウトさんが都合してくれる船でも、旅客船と違ってそこまで安全運転じゃないから早く着くらしいの。学校の予定もあるし、ここはもう二人で行こ? レイド達にはルードから現地のお話してあげれば、いつかレイドが旅行に行く時の参考になると思うんだ」
私は和臣と優斗の性格を知っている。私が乗らないのならば、優斗が船をわざわざ出してくれる筈がない。和臣は祖父母と旅行プランも出ているようだが、さすがにエインレイドとは世代が違い過ぎる。
「ねえ、フィル。普通の船と、そのニッシーナさんの船と、所要日数どれだけ違うの? エリー王子を即座に却下ってひどくない?」
「アレン、なんか、・・・ごめん?」
アレンルードは何かとフェアプレイ精神がどうこう言うところがあった。このお子ちゃまめ。
意地悪で仲間外れしてるわけじゃない。全てが報告されるような存在をあの船が受け入れる筈がないんだよ。
「えっと、だけど、だってニシナさん、自分の船で気儘に動いてるし、日数なんて考えたことないらしいの。普通の旅客船にも乗ったことないんだって。旅客船の所要日数は問い合わせれば分かると思うけど、お父様だってユウトさんの船の見学はさせてもらえなかったの覚えてるよね? 王子様が乗る船のチェックはかなり厳しい筈だし、そうなるとユウトさんの船もニシナさんの船も、・・・無理だよ」
「アレナフィル嬢、それはどういうことだ? ウェスギニー子爵が船の見学をさせてもらえなかったというのは?」
ほらね。従弟ラブなフォリ中尉が早速聞きとがめてくる。
「それは私から説明いたしましょう。実はアレナフィルが婚約を決めたファレンディア人のユウト殿ですが、彼を港まで送り届けた際に、彼が乗ってきた船を少し見学させてもらったのです。その時のメンバーは兄のフェリルドと私、兄の部下にあたるオーバリ中尉、通訳としてクラセン殿、そしてアレンルードとアレナフィルでした。
ある程度の設備は見せてもらいましたが、操縦室などは見せてもらえませんでした。それは兄とオーバリ中尉がサルートス国の軍に所属するからだそうです。
ぱっと見、船となってはいましたが、分厚い窓や扉の様子からして、潜水機能を備えていたものと考えられます。恐らく天候に左右されることなく進むことができ、場合によっては攻撃能力を有していた可能性もあります。
ゆえに見学禁止で、殿下を乗せることがあるとすれば先に全ての設備を調べられることとなり、断らざるを得ないということでしょう」
「・・・そうなるとかえって普通の船より安全なのではないか? そこはサルートスの法により強制的に立ち入り捜査もできよう」
「それは、・・・どうでしょうか」
さすが従弟ラブなフォリ中尉、エインレイドの為なら強制的な立ち入り捜査も辞さないのか。
バーレンが今のやり取りをこそこそと和臣に伝えていた。困ったような顔で叔父のレミジェスが視線を泳がせている。
【立ち入り捜査ねえ、犯罪者の扱いですな。まあ、言葉を飾って立ち入り監査としてもそれを強行的に発動ですか。そうなると不幸な事故が起こるだけだと思いますがね。ファレンディアの技術はそれ相応の金銭をもって契約に従って販売されるものです。どうしてそれが続いてきたのか、ご存じない? ファレンディアは蹂躙に対して徹底抗戦の国です】
「えーっと、ニシナさんによりますと、捜査とは穏やかではないが、つまり立ち入り監査を強行するのならばお互いにとって不幸な結果になるのではないかと言っています。ファレンディア国は契約に従ってその技術を販売はしますが、そのルールを破られることに対しては甘くない国だそうです。つまり、徹底的にそれを認めないと言うのでしょうか・・・」
するとフォリ中尉が、軽く鼻を鳴らした。
「サルートス王国内において、我が国が立ち入ることのできない場所はない」
【ここはサルートス王国なので、必要とあれば立ち入り監査は我が国の法の下に行われると言っています】
【そのメリットデメリットを考えて行動はすべきではないかと言っているのだよ】
「その結果の利益と不利益を考えて行動した方がいいのではないでしょうかと言っています」
そういえば優斗の船はどうしたのだろう。船が出航する際、船に立ち入って人数確認も行われる筈だ。
一通りの一般的な確認と、何か特別な機能がついていると考えてじっくりチェックしていくのとは違うから、それなりの偽装はされているだろうけど。
【ねえ、和おじさん。優斗の船って、入国と出国どうしたんだろう】
【この状況で私が教えるとでも? 自分で考えたまえ】
【んじゃ優斗に聞けばいっか】
本人に聞く。簡潔にしてパーフェクト解答。
【本当にマヌケだな、アレナフィル。盗撮が何かと行われていたことを知って、そして他にも通訳はいるのだから後で全てを徹底的に分析されることも思いつかないとは。ただの馬鹿か?】
【何を知ったところで沈黙しない人間が消されるだけじゃ・・・、あ、そっか。監視カメラなんてどこにでもあって気にしてたら終わりだって思いこみすぎてた。データ持ち出しとか、やっちゃいけないことさえしなければどうでもいいものだと思ってたよ】
【だからマヌケなウサギだと言われる】
【言われてないよっ】
監視カメラなんて敷地内のあちこちにあって、全ては機械が解析していて、だけど不自然な動きとか、不適切な行為などをしていない限り問題ないものだと認識していた私が間違っていたのか。
そういえばこの国の人、盗撮大好き民族だった。
(そんなものかなと思ってたけど、たしかにおかしい。どうして優斗は船の中を見せてくれなかったんだろう。普通の船に見せかける偽装ぐらいしてたよね、センターなら)
今、ここにバーレンと私がいて通訳はしている。それでもこの映像を撮っておいて、後日誰か違う通訳に本当にその通訳が正しかったかの確認ぐらいするかもしれない。
今の時点で私はウェスギニー子爵の娘だ。父は王国軍にも所属している上、恐らく父はとても高く評価されている。そうでなければ第二王子の警備にも、そして救援活動にも、はたまた外国相手の防衛にも関与できるなんてことはないだろう。
何より私に与えられた許可に至っては、それこそ王国軍のエリート中のエリートでさえ簡単には与えられないという話だった。与えられても一時的なもので、私のように数年間にわたって許可が維持されることなどまず無いそうだ。
そんなものを手に入れてくることができた父は、きっと様々な人の弱みを握っている。
だから私もはっちゃけていたけれど・・・。
「何を言ってるんだ?」
「えーっと、フィルちゃんが、自分の婚約者の船は入国と出国の際に船内チェックを入管事務所が行っていた筈だがどうしたのだろうかとニシナさんに尋ね、ニシナさんがどうして他人のことなど私が分かるのかと答え、それなら婚約者に直接尋ねようとフィルちゃんは納得しました」
「・・・そうなのか?」
「その後、ニシナさんが、フィルちゃんは本当にお馬鹿さんだな、ここでは何かと監視映像が撮られているようだが、君はこの後の会話を他の通訳が確認して君の通訳が正しかったかどうかを確認することも思いつかないのかと言いました。フィルちゃんは、そういう映像を撮るなんて恥ずかしいことだから表には出せない、それに私は犯罪行為などしていないのだから監視映像を恐れる必要はないと言いました。ニシナさんは、フィルちゃんはお馬鹿なウサギさんだねと言いました。フィルちゃんは、私は賢い子だと言いました」
ミディタル大公夫妻は映像装置には特に興味がないらしく、別荘の爆破跡の報告書を眺めている。フォリ中尉だけが従弟の外国旅行問題に対して真面目な対応をしようとしていた。
「ここは監視映像など撮っていない。ニッシーナ殿、誤解しないでほしい。あなたとアレナフィル嬢の関係は分からんが、我が国においてアレナフィル嬢はかなりの変わり者令嬢だ」
「ひどっ」
「それが普通の評価だって。フィル、少しは自覚しなよ」
「だが、それを知った上で、私の両親も、そして私もアレナフィル嬢を守りたいと思っているから正しい情報を欲している。後になって正しい情報を手に入れた何者かに陥れられることを考えなくて済むように、こちらで対策しておきたいのだ。そしてアレナフィル嬢と学校で仲良く過ごしている王子に、アレナフィル嬢関係者の外国人と何かあったらウェスギニー子爵家もただではすまない。・・・その上で私は、第二王子とアレナフィル嬢との友情はとてもいい影響をお互いに与えあっていると確信している」
【この部屋に監視映像装置はないそうです。ニッシーさんも誤解しないでほしい。ニッシーさんとフィルちゃんとの関係はよく分からないが、サルートス王国においてフィルちゃんはとても変な子であると、彼は言ってます】
【変じゃないよっ。私はとても素直でよい子な模範的な令嬢だよっ】
【ふむ。年の差がある割に親しいようだと思っていたが、君の瞳はとても美しいな】
和臣がフォリ中尉をじっと見つめる。
バーレンは、えっという顔になったが、聞かなかったことにしたようだ。
【そして、フィルちゃんが変わった子でも、大公夫妻、そして彼はフィルちゃんを守りたい。だから正しい情報が必要だ。そうでなくてはいずれ誰かに陥れられる可能性もある。それを阻止したいだけだと、彼は言っています。また、そちらの王子様はフィルちゃんと学校でいつも一緒の仲良しだけど、もしもフィルちゃん関係者であるファレンディア人が関係することで王子に何かあったら、ウェスギニー子爵家もただではすまない。その上で、彼は王子様とフィルちゃんの友情がお互いに良い関係を築いていると思っているから、できるだけ二人の要望を叶えてあげたいと言っています】
【ま、信じろと言われて信じるお人好しでは何も守れずに自滅するだけでしょうな】
「さっき、彼は何と言ったのだろうか? そしてどうして私をじっと見ているのだろうか?」
バーレンがとても困ったような顔になり、私に助けを求めるような視線を送ってくる。水色の瞳はただ困惑していた。
童顔過ぎてフォリ中尉とどちらが年上だか分からないよ。
【和おじさん。なんか二人共居心地悪そうだよ。瞳が綺麗ですねって口説き言葉だよ。レン兄様、通訳したくなくて困ってる】
【だからお前もその男に警戒心を抱いてないんじゃないか? レミよりも、そこの親子の方が深みのある赤色だ。しかもそこの息子、貴様は母親かと言いたくなる過保護ぶりときた。アレナフィル、お前はいつまで手に入らないものを欲しがる気だ?】
【え・・・】
【失われた命は戻らない。お前の母親はもういない。そしてどんなにお前が母親になろうとしても、その子がお前を母と思うわけでもない】
【・・・そんなの、当然、だし】
それぐらい分かってる。自分があまりにも異質だっただけ。
亡くなった人が生き返らないことぐらい、私は十分に知っている。
そんな筋肉自慢な虎の種に、母を思い出すわけがなかった。たとえその影を帯びた赤い瞳に、懐かしい姿を思い出したとしても。
――― 本当に可愛いでしょう? 私そっくりだってみんな言うのよ。だけど、・・・だけどね、私、この子にはあなたみたいに強くなってほしいわ。
――― 何か気づいたのか?
――― どうかしら。
柔らかな生地で作られた衣服に包まれた赤ん坊の頬を、つんつんと指先で触りながら微笑む姿は誰よりも美しく思えた。
「ちょっと、何を泣かしているのだ」
「心配、いらない。アレナフィル、悲しい。悲しい気持ち、人は泣く。それは大切なこと。悲しい、我慢する。泣けない、なる」
だって誰よりも私こそが母に似ていたのだから。
自分が忘れてしまったら、母の全てが終わってしまう。だからあの子に与えた。
愛すること。願うこと。そして信じること。
「まあ、アレルったら。どうしたの? 悲しいって何が? ああ、泣かなくていいのよ。えっと、何か話していて怖いことがあったの? 大丈夫よ。誰も怒ってないし、ガルディアスだってあなたを守ろうとしているだけで責めてないわ」
「ちょっと母上っ、どうして私が泣かせたことになっているのですっ」
慌てて近づいてきたミディタル大公妃が抱きしめてくれたけれど、あまりにも思い出は遠すぎた。
私の知る母は、一方的に微笑みかけてくる映像だったから。
だけど、・・・誰よりも優しい人だと分かった。心から私を愛してくれていたことも。あの家に残る全てに、私への想いが満ちていた。
「えっと、落ち着いてください。ニシナさんは、あなたの瞳を褒めたのです。そしてフィルちゃんは、それは口説き言葉だとニシナさんに言いました。するとニシナさんは、えっと、王子様を案じるあなたの姿がまるで母親のようで、その、えっと、フィルちゃんの母親の美しい瞳を思い出す。だからフィルちゃんはあなたに人見知りをしないのではないかと、そう指摘したのです」
「え。ガルディ兄上、母上と全然違うよ。母親みたいなことなんてあるかなぁ」
「エリー王子。王妃様はお母君である前に王妃様ですけど、・・・その、えっと、僕にもよく分からないけど、うちのマーサおばさんもあれこれ聞いては心配して必要なものを用意してくれたりするから、そういう意味で母親・・・えっと、面倒見がいいって、そう言いたかったんじゃないかって思います。王族や貴族は使用人に任せますが、一般的な家では使用人がいないので母親が子供のことを案じてあれこれ世話をするんです」
「ああ、そういう意味なんだ。・・・あれ? そしたらガルディ兄上、母親かも?」
私よりも黒い髪。私よりも濃い赤の瞳。
大人になって、鏡に映る自分に母の面影を見た。だけど・・・。
「は? 俺が母親? ちょっと待ってくれ。アレナフィル嬢にその記憶は無い筈だろう」
「えっと、まあ、ニシナさんが知っているのはフィルちゃんの母親が独身の頃の話であって、恐らくそういう性格が似ていると思っただけではないでしょうか」
「あらまあ。あなた、この子ったら今度はいつの間にか母親になっていたようですわよ」
「私に似たと思っていたがそなた似だったか。だが、そなたと違ってドレスは似合いそうにないな」
「悪ノリしないでくださいっ」
だけど、・・・私は母になどなれない。みんなが本当に望む人は、もうどこにもいなかった。
どんなに生き写しだと言われても、私は違う。
あんな風に微笑みかけない。あんな風に語ることもない。あんな風に・・・。
カランカランとドアに取り付けられたベルの音が響く。ローゼンゴットがドアを開けた。
「何かあったのか?」
「失礼します、ネトシル様。お人払いをなされておられるのは承知しておりますが、ウェスギニー子爵様がおいでになりました。待つとおっしゃってはいただきましたが、ウェスギニー子爵家の方々がおいでになることを考えますと案内した方がいいのではないかと思いましてお連れいたしました」
「失礼いたします、大公殿下。ガルディアス殿下もご機嫌うるわしく・・・はなさそうですね」
その声に心が反応する。
私がアレナフィルじゃなくてもいいと言った人。
――― 今の君を愛している。いずれもっと大きくなってお前に結婚したい人ができるまで、この家で、私の最愛の恋人でいなさい。
あの頃はただ嬉しかった。
だけどこうして優斗と婚約し、和臣まで来た今、父は何を思っているだろう。
「やっと姿を見せたか、子爵。待ちかねたぞ。まずはそちの娘を泣き止ませてくれ。うちの息子はちょっとショックが大きいようで使いもんにならん」
ミディタル大公の困惑したような声が、子供の相手が苦手だと言っているかのようだ。うん、子育てとは遠い場所にいたよね、きっと。
「父上、レミジェス、一体これは何事だ?」
「ちょうどよかったわ、フェリルド様。アレルったらお母様を思い出して泣いてしまったのよ」
「そんな筈が・・・」
振り返って父に話しかけることで大公妃の腕が緩み、私の目に父の姿が入る。
玉蜀黍の黄熟色の髪に針葉樹林の深い緑色の瞳をした人。ずっと私を案じてくれていた・・・。
その顔がいつものように私を認めて微笑む。
「お母さんっ」
思わずその胸に飛び込めば、当たり前のようにすっぽりと腕が私を包み込んだ。
見えなくても頭にキスされたのが分かる。
「フィルってば、どうやったら父上が母上に見えるんだよ」
「結局はフェリルなんだよな、フィルちゃん。俺の方が面倒見いい男なのに」
「まあ、兄上が母親も兼任していたようなもんですからね」
「それでも呼び方はせめてお母様であろう。全くあの子はどこまで外に出せん子なのだ」
「・・・・・・」
私もその胸に顔をうずめた時点で、あれっとは思った。
間違えたとは思った。
せめてファレンディア語だったならごまかせた。
うん。父親に向かってお母さんはないよね。せめてお父さんだよね。
「・・・・・・・・・」
いや、父も来たばかりだし、聞かなかったかもしれないし。
「・・・・・・・・・」
父も無言だが、私も無言だ。
こういう場合ってどうすればいいの?
【そこの男の瞳が母親によく似ていると指摘したら、パニックを起こして父親の胸に飛び込んでいくとは。せめてそういう時は私の腕の中で泣くべきだと思うんだがね】
「・・・どうしたのかな、フィル。色々とあって赤ちゃん返りしてしまったのかい? 大丈夫、もう怖いことなんかないよ。おうちの警備ももっと厳重にしよう。周囲の土地ももらってきたから」
「何を言ってるのだ、フェリルド」
「土地とはどういうことですか、兄上?」
中腰だった父が立ち上がる。父は私の背中に両手を当てた状態で説明した。
私の顔は父のおなかのボタンとこんにちはしてるけど、相変わらず父の肉体はパーフェクト。この感触と香りは父ならではだ。
父はこういうジャスミンの香りもよく似合う。
「ガイアロス侯爵家がうちの周りの不動産を少し譲ってくれるそうだ。私道を潰し、内部の扉でうちからどの敷地にも出入りできるようにしておけば、毎回の出入りも他人が予測を立てにくくなるだろうと言われてな。レミジェス、改築や工事に関しては任せる。別に広い屋敷が必要なわけじゃなし、隣か裏側にアパートメントを建ててもいいかもしれんな。一階をマーサ姉さん達に住んでもらって、二階より上は貸せばいい。勿論、既存の建物を流用してもいいわけだが」
な・ん・で・す・と?
「ガイアロス家が? 何故そんなことを。あそこは立地もいいではないか。勿論、相場の代金は払ったのであろうな、フェリルド」
「そこまで話し合える状況ではありませんでした。侯爵は又姪の顔をまさか特集番組で見るとは思わなかったそうで、しかも我が家は回線が不通でやきもきしておられたようです。すると先程、国王陛下のお姿が流れたと思ったら、その又姪の顔がいきなりの去勢宣言でしょう。おかげで父上の義兄という立場と侯爵という身分、更には次の侯爵となる従兄殿を伴って伯父上は乗り込んでこられましてね。我が家の使用人などでは止められなかったのです」
「あれはアレナフィルではないのだが」
「そっちは息子だと知ったら知ったで余計に激怒され、お前は子供の教育をなんだと思っているのだと叱責されました。エインレイド様が変な影響を受ける前に娘は慎ましやかな少女に、息子は謹厳実直な少年へと軌道修正しろと説教され、うちの周囲の不動産をくれてやるから出入口を幾つか増やしてアレナフィルの安全対策を徹底しろと怒鳴り散らされたのです」
知らない間に親戚の人がハッスルしていたらしい。
ガイアロス侯爵家といえば、ミディタル大公妃が父に対して怒っていた家だ。多分、とってもいい人なんだね。
「そうであった。義兄上はとても行き届いたお方であるからな。だが、そうなっては一度話し合いの場を設けさせていただかなくては。いや、帰りにでも寄らせていただいてお礼を申し上げ、改めて子供達を連れて挨拶に伺おう」
「フェリルド様、お父様のお言葉をよくお聞きになった方がよろしいのではありません? どうしてこんなにもセブリカミオ様が謙虚で礼儀正しく筋を通す方だというのに、あなたはどこまでもおかしいの」
「大公妃殿下は冗談がお上手でいらっしゃる。四角四面な父に比べれば私は緩いかもしれませんが、あの非常識でやりたい放題な母に比べれば私など常識的でつまらぬ人間にすぎません。父と母を足して割ったら私とレミジェスが出来上がったと、誰もが納得していたものです」
「お前が常識を語るでない、フェリルド」
「全くもってその通りですわね」
ミディタル大公妃は優しくてとても素敵なお母さんだけど、うちの父に対しては当たりがきつい。だけど多分、うちの父が悪いような気がしている。
何故なら私も私好みの父にするまで苦労したからだ。
「兄上。母上は非常識などではありません。いつだってキラキラと輝いていらっしゃいました。どれ程に美しい薔薇も母上の前では引き立て役にすぎない程に」
「いつでもヒラヒラ迷惑を振りまいていただけだろ」
「何をひねくれたことをおっしゃってるんです。母上は大地を照らす太陽のように暖かく、青空のように寛容な心をお持ちで、風さえも母上を愛していたではありませんか」
それ、もう人間じゃなくない?
ううん。地上に降りた愛の妖精ってみんなが認める私の祖母だもん。きっと女神様だったんだね。
「その妄想は墓前で語ってきてくれ」
「あのさ、叔父上。もしかしてそっちのお祖母様のこと、とっても好きだった?」
「そんな言葉じゃ終わらないよ、ルード」
叔父はいつでも優し気な微笑を浮かべている人だけど、その時の笑顔は普段とは違う感情が滲んでいるように見えた。
母親を大切に思うのはいいことだけど、父との温度差が凄い。
「レミジェス、そういうことは帰宅してからにしなさい。それよりもフェリルド、寄るだけであろうと、先にガイアロス侯爵家にお伺いを立てねばなるまい」
「別に今、うちにいるから帰宅すれば会えますよ? ミディタル大公殿下の邸で今回のことを話し合っていると言いましたら、お前が行かなくてどうする、留守番ならしておいてやるからと追い出されたのです。私より弟の方が父親の役目を果たしているのだと説明しても聞いてくれず、諦めてこちらに参りました」
「レミジェス、すぐに帰れ。ガイアロス侯爵と次期殿を我が家の留守番になどしていい筈がない」
「ですがガルディアス様にも報告が・・・。いえ、兄上の代わりでしたから、兄上が残られるのであればその方がいいのですが」
珍しく叔父が行動を躊躇っていた。
「それなら父上が先に戻られては? 国王陛下への報告はすませておりますし、ここからは大公殿下にも私からお話した方がいいでしょう。何より伯父上は娘にまともな護衛もつけられないからこうなるのだ、うちの孫娘と一緒に育てると、話を聞いてくれないのです」
「反省しろ、フェリルド。お前がまともな子育てもできないばかりに義兄上にまでそんなご心労を」
「私が育てた子供達はどちらもすくすくと成長していますが? 娘はちょっと泣き虫ですが素直で愛らしい子ですし、息子はちょっと腕白ですが努力家で頼もしい子です」
「セブリカミオ様、どうぞお戻りになってください。おそらくこんなフェリルド様では話にならなかったんでしょう。ねえ、あなた?」
「そうだな。侯爵もセブリカミオ殿とでなくては話が通じないと思ったか。現子爵では話をはぐらかすだけだ」
うちの父が話をはぐらかすなんてことがあるだろうか。いつだって真面目に話を聞いてくれて、素敵な解決策を出してくれるのに。
父にぴたっとくっついたままの私が見上げれば、父は何も気にしていない様子で私の頭を撫でてきた。
「それでは私は先に失礼させていただきます。ガイアロス侯爵に何らかのご伝言はありましょうか、殿下?」
「いや。ずっと城に詰めっぱなしだったのだ。ゆっくり休んでくれ。・・・アレナフィルちゃん、セブリカミオ殿が帰る前に何か言っておきたまえ」
言われてみればどこか疲れの滲んでいる祖父だ。私は父から離れて、祖父の所まで近寄ると背伸びしてその頬にキスする。
ちゃんとかがんでくれる祖父は分かっている人だ。
「心配かけてごめんなさい、お祖父様。あの時はちょっと調子に乗っちゃって、ここで悪い人達退治したらお金もざっくざくで、人生勝ったも同然って思っちゃっただけなんです。新聞に載る程度だろうから次の日までに連絡すれば大丈夫って思ってたの。それにいろんな人の弱みを握ったら、お父様や叔父様も助かるかなって考えてしまったんです」
「そんなことを考えずともよい。いいか、フィル。子供の仕事は家族に愛されて健やかに成長することだ。密輸だの偽装結婚だの裏金作りだの誘拐だの脅迫だの破壊活動だのは違う世界の話だ」
「・・・はい。ごめんなさい」
改めて聞くと裏社会の人間のようで、ひそひそと何か囁き合っているエインレイドとアレンルードの眼差しが痛すぎる。
「リンデリーナ殿のことがあればこそ私達もお前をひっそりと育てさせたが、お前がいびられることも虐げられることもないのであれば我が家とてお前を貴族社会に出すことを躊躇うものではない。フィル、お前の母が亡くなるまでまともに会ったこともなかったが、それでも私達はお前を愛している」
言われてみれば、母親が平民のわりに私達は別居ながらも大切に育てられていた。
「カーズは頼りになるいい男だが、お前の祖父は私だ。ユウト殿とやらもお前の一時的な婚約者かもしれんが、お前の兄はアレンルードだ。仲良くするのはいい。だが、私達家族の絆を忘れるでないぞ」
「はい。・・・ごめんなさい、お祖父ちゃま。フィル、役に立てない子だと駄目だって・・・」
もしかしてと思った。
祖父は気づいているのかもしれない。だって・・・。
「役に立つ子供が欲しければ我が家はあんな息子共とうに捨てておる。長男は全て事後承諾の無責任な金食い虫で、語る言葉は嘘ばかり。次男は結婚もせず、いつまでも落ち着かん。どちらも仕事さえしていれば文句なかろうと、勝手な解釈で気儘に生きてる親不孝者共ではないか」
「えっと・・・」
父と叔父がそっぽを向いて聞こえないフリしていた。
「よいか、アレナフィル。お前は我が家を明るく照らしておれ。アレンルードはお前を守ることで強くなるであろう。外国旅行も好きにしていいが、必ずうちに戻ってくるのだ。お前は私の孫娘だ。誰がなんと言おうとウェスギニー家を継ぐアレンルードの唯一の妹なのだ」
ああ、もう知られているのだ。
それが分かる。きっと和臣は話してしまった。
だけど・・・。
「お、お祖父ちゃま、フィル、フィルね、大人になったらちゃんとお話したいことがあるの。ちゃんと独り立ちできたら、お話したいって思ってたの。だけど、だけど・・・」
「それぐらい待つとも。大した時間ではない。この間までヨチヨチ歩きで転がっていたルードもフィルも、今では元気に走り回っているではないか。成人するのもすぐのことだ」
けじめとして、私から話さないといけないことだ。
祖父の青い瞳が私の目を覗きこんでくる。ファレンディア国の父を、そして和臣を思い出す青い瞳。
全く違う色合いの父や叔父に比べてなんとなく近寄りがたかったのは、それがあったのかもしれない。
それでもこの人の眼差しはいつだって優しかった。轟の祖父とは違ったけれど、この人もまた私の祖父だった。
目頭が熱くなる。
「そして独り立ちする前にお前はウェスギニー家でやることがある。まずはお前の父と叔父と兄に頼りになる伴侶を持たせることだ」
「・・・え」
いきなり何の話・・・?
困惑する私に気づきもせず、祖父は真面目な顔で言った。
「フィルしかできんことだろう。女の見極めは女という。責任重大だぞ、フィル。ウェスギニー家の未来を見据えて社交しながら素晴らしい女性を見つけてきなさい。マリアンローゼは投げた」
「ぇえ」
「子供の内は好きなことをしていなさい。だが、成人したらウェスギニー家唯一の娘としてその役割を果たせ、フィル。まずは仕事だからと家族に何も告げずにいなくなり、しかも子育ても弟任せにするような夫でも我慢して浮気せず家を守ってくれるお前の義母探しだな」
私の父は世界で一番素敵な父親だ。同時に普通の家庭で考えたら、夫として最低かもしれない。
普通、行き先も告げず何日も何週間も何ヶ月も帰って来なかったら、もう浮気されるよ。どこまでも浮気し放題だよ。
家を守るどころか、父の知らない内に妊娠して不在中に出産することだってあり得ちゃう。
「次に甥と姪を可愛がり過ぎて、女性と出かけても甥と姪が使う小物をついでに買ってしまうような男でも我慢してくれて甥や姪を排除に走らない女性探しだ。甥と一緒にいたら年の離れた兄弟か、実は隠し子じゃないのかとまで言われて否定しない叔父に、まずは幸せな家族を作らせるのだ」
「・・・ふぇ」
私の叔父はいつでもモテモテな独身貴族だ。デートをすればとても素敵な時間を提供してくれる。
しかし私は大人の女の視点を持つ少女だ。言われてみれば、兄の子供を可愛がり過ぎている男なんて女性から見れば結婚しても自分の子供より甥姪にかまけるであろうリスクを孕みすぎている。それが分かる。
あなた、自分の子とお兄様の子とどっちが大事なのっ。勿論、自分の子は可愛いさ、だけどルード達は小さな頃からずっと可愛がってきたんだよ。あなたの子供はこの子ですのよっ、もう離婚よっ、慰謝料と養育費はちゃんといただきますからねっ。
そんな流れが当たり前のように浮かんできてしまう。
幸せな家庭って、・・・・・・どうすれば作れるの?
「そしてお前の双子の兄だな。言うまでもないが常時不在の父親をないがしろにせず、父親代わりの叔父を侮ることもせず、マリアンローゼやお前とも仲良く過ごせる娘を見つけてくるのだ。良いな、フィル。独り立ちなどしている暇なぞあると思うでない」
「ふぇえ」
私の兄は思わず抱きしめたくなる可愛さだし、卑怯なことはしない元気で素直な男の子だ。次の子爵となることが確定していて、結婚相手としては悪くない。
冷静に家族構成を考えれば、血の繋がらない後妻の祖母が子爵邸の女主人をしているわけで、領主代行をしている叔父をも尊重して仲良くしてくれる女の子なんているんだろうか。
普通、子爵になることが確定している跡取り息子の妻になる場合、子爵である父の次にアレンルードが偉いって思うよね? だけどうちでアレンルードってば全然偉くない。
祖父母が一番偉いし、子爵な父よりも叔父が領主として働いてるし、現子爵である筈の父ってば存在感が一番なかったりする。
結婚しに来た女の子、次は私の天下だと思ってたら詐欺だって泣いちゃうよ。
「大丈夫だ。賢くていい子なお前ならばこなせるであろう」
「そんな・・・。お祖父ちゃま、それ、ちょっと・・・、えっと・・・」
父の妻に気晴らしになるようなことをさせながら浮気を阻止し、叔父の妻の不満を聞きながら産まれた子供を可愛がらせ、更には兄の妻のストレスを解消すべく子爵夫人として尊重されるように取り計らい、・・・・・・それって私の時間はどこにあるの? そしていつまで続くの? もしかして私がおばあちゃんになるまで終わらないの?
「うむ。頑張るのだぞ。その為に毎朝のマナーレッスンもこなしていたのではないか。完璧な令嬢となって社交界の隅から隅まで泳ぎ回って見つけてくるがよい。お前が選んだ女性ならば、そこの親不孝共も諦めて結婚するであろう。それができん内は三人の手綱をお前がとるのだ、フィル。外国への逃亡など許さん」
私の頭を撫でた祖父の顔はとても優しかった。だけど・・・。だけど、できることとできないことがあるって思う。
永久就職は女の子の夢だって言うけど、そんな姑や小姑のお世話をする永久就職なんて誰もがお断り物件だよ。
だって私の幸せって、・・・そこにないよねっ!?
それどころか本来の姑である祖母と父の後妻と叔父の妻と兄の妻との不満を聞きながらうまく取り計らうなんて、どんな有能な人がエンドレス作業だと・・・、うん、無理。
そうだ、それだけはお断りだ。私には無理だ。
しかも肝心の夫が妻の不満に向き合うならともかく、父も叔父も兄もそういう意味で共感してあげるような神経はない。
(あんなゲス男達と違って人間としてのレベルは高いんだよ。だけど物事の優先順位に恋愛感情を持ってくるわけでもない。女の子にそこまで手がかかるなんて思ってもない。だって一番身近な女の子が私だし)
父なんて妻の不満を聞かされても「それなら結婚しなければいいじゃないか」ぐらい言いそう。父よ、誰だって結婚には誰よりも愛されて幸せになる夢があるものなのです。
叔父なら妻の不満をうんうん聞いて「大丈夫。君もルード達を可愛がればいい」で終わりかな。叔父よ、妻を一番大切にしつつ甥姪とは距離を置いてほしいという意味です。
兄の場合は妻の不満を打ち明けられて「別邸で暮らせば一番偉い女主人になれるね」とか言う。兄よ、使用人の数が激減する狭いおうちに引っ越す時点で解決になりません。
三人とも結婚相手としての条件は悪くないとは思う。そう、経済力と容姿と性格は悪くない。
でも、よく考えよう。
私に対して一生暮らしていけるように成人したら名義を書き換えてあげようという父が、妻に対しても同じことをするとは思えない。父親大好きな娘は浮気しないけど、本妻という立場を得た妻は浮気することを知っている人だ。先妻の息子であるアレンルードを邪魔だと排除に走りかねないリスクを分かった上で力をつけさせるだろうか。
(上等学校で初めて知ったけど、爵位を継承する長男ってもっとちやほや育てられてる。うちだって子爵邸で暮らせばそれは可能だったのに、あえてあのおうち。パピー、自分に何かあってもルードと私が誰かに騙されたり利用されたり路頭に迷わないようにって、めっちゃ考えて育ててるよ。子爵邸で暮らしてたら、ジェス兄様のお嫁さん希望貴婦人の手駒に何を吹きこまれてたか分からなかったよ)
そしてあれこれ高級品を与えてくれる叔父が、妻に浪費を許すかといえばそれもないだろう。叔父は自分が稼いだお金で高級品を私に買い与えても、妻の自由な裁量でお金を垂れ流させる人ではない。妻に使える予算を伝えても、その内訳はチェックするだろうし、予算オーバーは許さない気がする。確実に兄の妻よりも良い物は買わせないだろう。
(子供の頃は分からなかったけど、代々受け継いできたような小物はルードに使わせる人だもん。管理はジェス兄様がしていても、おしゃれしてお出かけする時はルードに100年以上前の男性用髪留めとか出してくるし)
最後の兄は大好きで可愛い妹を手下呼ばわりする悪ガキのくせして、その妹の為なら女装して全国放送どんとこいな子だ。いくら次の子爵であろうと、父や叔父を尊重しない女の子を妻として大事にするとはとても思えない。次の子爵夫人としてそれなりの権限が欲しいと言われたら、その権限を使う必要は全くないじゃないかと答えるだろう。
(爵位を継承することもないのにパピーの背負うべき重圧を肩代わりしてるジェス兄様を見てきたルードだもん。ウェスギニー家を理解する前に権限だけ欲しいと言われても鼻で笑うだけなんだよ。何よりお祖母ちゃまが亡くなるまで、ルード、女主人の権限を移行はさせないだろうし、元は他人の妻よりも、実の妹の方がジェス兄様を大事にするってんで私に女主人をやらせかねない)
どうしよう。その気もないのに兄嫁をいじめる小姑ルートじゃないか。
全然妻の気持ちに寄り添ってないのに、三人それぞれにこれにて一件落着と終わらせるシーンが想像できてしまった。
(駄目だ。妻全員の不満が私一人にぶつけられる未来しかない。三人共、私を見て暮らしてきたから私が基準になってるもん。普通の人にはそれ無理だよっ)
父は長い不在にも文句を言わず、帰宅したら甘えるからいいという私が当たり前になっている。
叔父は仕事の合間に顔を見せたらほっぺたすりすり攻撃する私を結婚相手の理想像として愛している。
兄はおうちで女主人の座を狙うまでもなく、みんなに可愛がられて幸せなお姫様状態な私を見て育っている。
この三人に、普通の婚約者や妻が抱くであろう妬みや不満が理解できるだろうか? うん、不可能だね。
「お、・・・お祖父ちゃま、・・・それって無理だよっ。・・・あれ?」
握りこぶしを作って主張したら、肝心の祖父の姿が見えない。
「もうお祖父様、帰ったってば。フィルが放心してる間に」
偉そうな顔でアレンルードが馬鹿にしてきた。
「大体さぁ、フィルが考え無しすぎるんだよ。あのユウトさんの家まで強奪する気かって思ってたら、慰謝料を巻き上げて外国に逃亡する気だったわけ? だからおうち取り上げようとしてたわけ? 婚約者ってのは逃亡先のアジトを用意してくれる人のことじゃないって知ってる?」
ここだと王子だからってあまり恭しくされないからなのか、エインレイドが楽しそうに加わってくる。
「アレルってば清々しいぐらいに強欲だからね。クラブルームもみんなの四倍以上占有してるし。そういえばヴェラストールでも僕達より叔父上の別邸を好きに動き回ってたかな。それでアレルの婚約者になったらおうちを取られちゃうんだ?」
「そうみたいです。可愛い私と二人きりでおしゃべりできたんだから兵器を寄越せって胸ぐら掴んで脅して、遊びに行ってやるから送り迎えはよろしくねってやってましたから。そして家に帰る暇もないぐらいに忙しいのをいいことに、その家乗っ取る気ですよ」
出会いこそ険悪だったけれど、アレンルードはいつの間にか優斗に同情的だ。
「うわぁ。それでこの国で騒ぎ起こしたらそっちに逃亡しちゃうわけ? アレルって本当に凄いよね。よほど気の弱い人だったのかな。ちょっと可哀想だね」
「祖父が国外逃亡はさせないみたいですけど。叔父や僕はともかく、父の奥さんなんて見つけられるのかなぁ」
逃亡じゃない、逃亡じゃないのに。
ただ、私は・・・。あまりにもウェスギニー家が優しすぎて・・・。
「どなたも縁談としては悪くないと思いますけど、さりげなく難しい問題だと認識していらっしゃるのがセブリカミオ様というところが違いますわね。数年がかりのお仕置きをしていかれるだなんてアレルも可哀想に、ほほほ」
「息子に爵位を譲ってもやはり家長はセブリカミオ殿か。押さえる所は押さえていくとは」
「奥方候補に名乗り出たい方は多くてもあの条件ではね。ほほほほほ」
ミディタル大公夫妻のコメントが室内に響く。
(ひどい。お祖父ちゃま、言い逃げしてった・・・)
だけど何だろう。胸がほんのり温かくなった気がする。
いてもいいんだって言われた気がした。




