57 ローゼンゴットの諦念はどこだ
スクリーンでは本日も特別番組が流れていた。
特別番組とあって、オーバーアクションな若い男性リポーターが絶好調だ。
『燃え上がる別荘から助け出されたウェスギニー子爵家令嬢のアレナフィルちゃんは何故狙われたのでしょうか。
殺意を抱く程の怨恨もしくは金銭トラブルが14才の少女にあるとはとても思えない中、ウェスギニー子爵家の事業関係トラブルがなかったかどうかについて現地からお送りいたします。
爆発した別荘の所有者及び誘拐の際に使用された疑いのある移動車の所有者は、どちらも関与を否定し、当日は知人に貸し出していたと話しています。
そして別荘を借りた知人、そして移動車を借りた知人、どちらも借りたものの使用しておらず、事件のことは全く知らなかったと主張しています。
借りていた別荘も移動車も、見知らぬ第三者によって勝手に使われたと、自分も被害者であるというのが、その言い分です。
ですが、そんなことがあるものなのでしょうか。
何故、別荘や移動車を貸さなくてはならなかったのか。そして何故借りなくてはならなかったのか。更に又貸しした相手がいるのではないか。
現在、慎重にその調査が行われています。
アレナフィルちゃんが狙われたのは、やはり身近にいたエインレイド王子殿下が理由だったのでしょうか。
いきなり誘拐して別荘と共に跡形もなく殺そうとしたのはアレナフィルちゃんをそれだけ憎んでいたからなのか。それとも脅威だからこそ過激な行動に走ったのか。
その疑惑について迫ります』
映し出されたウェスギニー子爵家が所有する工場は、とても地味で素朴だ。二階建てなのか、それとも天井がとても高いだけなのか、窓が小さく出入口がとても広々とした造りである。屋内は見えなかったが、同じような建物が幾つも並んでいた。
柵の向こうにある敷地内では従業員達が慌ただしく行き来している。
(本来は子爵がこういった事業や領地経営してる筈だがな。そもそも爵位継承する必要なかっただろ。前子爵とて健康に不安があるわけじゃねえ)
夕食を食べ終えた大公妃と子供達は、食後のお茶を飲みながら興味津々でその映像に見入っていた。
そして私以外の護衛メンバーはとっくにこの部屋から逃走している。何故ならアレナフィルに巻き込まれたら自分の人生が終わると判断したからだ。
実は今日、ケーブルキャビンの中でアレナフィルに押し売りで頭を撫でさせられ、手を握られるというセクシャルハラスメントを受けた後、私は何かと壁にぶつかりそうになったり、階段から落ちそうになったりと、体調に不具合を生じさせている。
どれも衝突や着地前に対応できているので問題なかったが、やはり護衛メンバーは私の異常にすぐさま気づき、アレナフィルが何かしたのではないかと疑っていた。
『幽霊城で我々を動けなくしたお嬢様です。頭を撫でさせられた際に神経毒を投与されたかもしれませんね。犯行理由はお説教の多さにうんざりしたってところでしょうか』
『惜しい人をなくしました。ネトシル様、どうぞ安らかに』
『まだ死んでねえよ。ざけんなオラ』
『普段の猫が剥がれすぎです、ネトシル様』
つまりアレナフィルは見た目だけが可愛い有毒生物だと、護衛メンバーは見極めたのである。
私もあの悪辣子ウサギをぐらぐら揺さぶって何をやらかしたのかを白状させたいが、大公妃がいる間はまずいと分かっていた。すぐ権力者に言いつけるのだ、あのクソガキ。
ああ、本当に。礼儀正しく廊下を歩くより跳躍して移動したい。暴れ回りたくてたまらない。以前から地味に鬱陶しかった奴をぶん殴りたかった。
いつの間にか行動しようとしている自分に気づいてストップをかけようとしてはバランスを崩す。指先にまで気力が漲っていた。
何してくれやがった、あのくそウサギ。
「うちってこんな工場とか持ってたんだ。知らなかった」
「自分ちの仕事ぐらいちゃんと知っとけよ、アレル。大人になったらどこかを任されることだってあるんだから」
「いや、かえって今まで任されていた人の反発もあるから難しいんじゃないか? うちも親戚が責任者の所なんて行っても歓迎してくれないぞ。僕と年の近い娘がいる所はそうでもないが、やはり僕が大きくなったらその座が奪われるんじゃないかって感じで、ほとんど門前払いだ」
ベリザディーノとダヴィデアーレの意見は反対だが、どちらも正しい。
ネトシル家でもその問題はある。
叔父や叔母が任されている地位や肩書きは祖父が与えたものだ。しかし彼等はそれを自分の子に譲ってやりたいと思っており、本家の息子である私やグラスフォリオンに奪われることがないようにと、何かと非協力的である。
その気持ちは分からないでもない。
だが、それが続いていくと本家に対して協力したり支えたりする気持ちは薄れていくものだ。だからこそ吸引力を本家は持たねばならないし、それだけに本家の人間は家門に役立つ結婚か出世を望まれる。
スクリーンの中では、工場が製造している様々な商品が映し出されていた。
「うちはねー、私がおうち関係者と顔を合わせるのは祖父母の誕生日会だけなんだ。その時も特定の誰かと親しくなっちゃ駄目なの。だからみんなと記念フォトだけ撮ってあげてるよ」
「なんでだよ。記念フォトはともかく、顔は広くしとかなきゃ駄目だろ。人脈は大事だぞ」
「ディーノんちはそれだけ手広いからじゃない? うちは小さな低位貴族だし、個人的に接触してくる人がいたら報告するようにって言われてるんだよ。お誕生日会は会場から出ちゃ駄目なの」
「え? ああ、そっか。子供の内に篭絡されたらまずいって奴か。たまにそういうの聞くもんな」
「それもあるかもしれないけど、小さな内はそのまま持ち帰られると困るからって」
少年達がアレナフィルに注目する。そしてベリザディーノは自分の親指と人差し指を広げた状態から狭めていき、アレナフィルを再び見て頷いた。
アレナフィルが幼い頃を想像してみたのだろう。
「悪かった、アレル。一般常識で語った僕が考え無しだった」
オレンジとイエローが混在した明るい色の髪、垂れ目がちなダークグリーンの大きな瞳をした少女は見た目だけならとても愛らしい。言ってることはどうしようもなく、やってることは乱暴極まりない凶悪ウサギなのにその可愛らしさだけで皆が甘やかしてしまう程だ。
幼い頃ならたしかに出来心で誘拐してしまう大人が続出したに違いない。
「そっか。幼年学校生なら小さかったもんね。アレルはお菓子あげたら釣れるってガルディ兄上も言ってたし、小さいアレルなんてみんな持って帰っちゃうよね」
「そうだった。一般の人がアレルを見てどう思うかってことだ。うちでさえ全国放送されたアレルを見て騙されてたのに」
「えっと、ダヴィ。騙されなくてもアレル可愛いと思うよ、喋らなければ。僕だってあのスクリーンのアレル見て、こんな可愛い子が可哀想にって思っちゃったもん」
どこまでも駄目な子を理解しようとしている少年達はアレナフィルがわざと誘拐されたと知り、それでも昨日と今日、元気に観光していた事実を今しばらく隠すつもりだ。犯人達を刺激しない為に。
そんな少年少女達の友情を大公妃は面白そうに眺めている。
画面ではウェスギニー家が経営している工場が映っているが、小太りで垢ぬけない様子の男が額の汗を拭き拭き、現地の工場長として質問に答えていた。
『工場長も、今回のアレナフィルちゃんの事件に驚いたのでは?』
『はい。・・・ご領主様のお子様方が上等学校に入学してから、この工場も取り引き先から非常識で無茶なことを言い出されたり、いきなり取り引きを激減させられたり停止させられたりといった嫌がらせがあちこちから続き、お貴族様は恐ろしいものだと思っとったものです。お嬢様もどんなにか・・・』
『九死に一生を得たアレナフィルちゃんですが、現在はお父上と信頼できる人達だけに囲まれた時間を過ごしているそうです』
『それは・・・、ご領主様がご一緒ならもう安心です。ですが、・・・またお嬢様は狙われておしまいになるんでしょうか。なんであんな可愛いお嬢様を・・・ぅうっ』
そこで首を傾げた当事者は、きょろきょろと周囲を見渡した。
「どこにうちの父が?」
「そういう情報を流したのよ。あなたから直接話を聞きたい人でいっぱいなんだもの。フェリルド様と一緒だと言えば誰も邪魔できないでしょう? 今、ウェスギニー家所有の不動産周りは人でいっぱいですって」
「うわぁ」
微笑んでいるミディタル大公妃も、子供達を見守っているだけではない。わざと情報を攪乱させていた。
それに惑わされた者達は子爵がアレナフィルからどれだけの情報を聞き出したことかと、戦々恐々に違いない。見えない状態でも誘拐犯の情報をあそこまで取ってきた小娘だ。
(大体なんで香水の商品名まで当てられるんだよ)
ミディタル大公邸敷地内の寮を清掃がてらチェックさせたところ、その三つの香水がそれぞれ奴らの部屋にあったらしい。思考は腐っているが、持ち腐れレベルでアレナフィルは有能だ。
スクリーンに映る工場長はそんなこととも知らず、ポケットから取り出したミニタオルで涙を拭っていた。
『こちらの工場にも嫌がらせはあったということですね?』
『・・・はい』
『アレナフィルちゃんは誘拐犯達が若い男性貴族であること、複数の純血主義な貴族が絡んでいること、そして殺そうとしたのは工場への嫌がらせでは効果がなかったからだということを指摘しています。頭から布をかぶせられて見えなくてもそれを理解した以上、よほどひどい言葉を浴びせられたのでしょう。工場長はどうお考えですか?』
声の抑揚も大きく、身振り手振りも大げさな男性リポーターである。ぼそぼそと喋りながら涙を拭っている工場長と、あまりにも対照的だった。
『私は平民ですので・・・。ですが、いきなり契約書を無視してひどい条件を言い出された時も、いきなり契約を打ち切られたり、ひどい品質のものを納品されようとしたりした時も、・・・・・・契約上ではあちらに非があり、訴えれば、・・・こちらが勝つことはできました』
『つまり、それでも訴えなかったのですね?』
若さならではの無神経な質問が、工場長にぐいぐい迫る。
年配のリポーターでは常識的な行動から逸脱しにくい為、あえて若い男性が現地リポーターとして抜擢されたのかもしれない。
『そうですね。・・・旦那様方は、どの会社も王子様と年の近い令嬢がいる貴族が関係しているのだから八つ当たりのようなものだと説明なさいました。ここでやり合ってしまえば王室も知ることになる、まだ一年生の王子様が気になさってしまわれてはお気の毒だ、王子様を取り巻く暴走が収まるまでは耐えるようにと仰ったのです』
かなりオーバーな反応を見せるからそこまで深刻にならずに済むのか。工場長の言葉に、現地リポーターはのけぞった。
『これは、・・・衝撃の事実が飛び出しました。エインレイド王子殿下は、なんと今からお妃になろうという令嬢達の思惑に振り回されていたようです。なるほど、サルートス上等学校キセラ学校長のお話では、エインレイド王子殿下はアレナフィルちゃんを自分からの好意を求めない女子生徒だから一緒にいたと、昨日お話なさっていましたが、そこに繋がるわけですね。よほど王子殿下は女子生徒達に結婚の約束を取り付けられようとされるのがお嫌だったのでしょう』
『そこまでは分かりかねます。しかし王子様といえば女の子の憧れでしょう。あのように凛々しい王子様です』
現地リポーターがうんうんと頷いている。
そこでばばんっと、エインレイドの王子として正装した姿が画面に大きく映し出された。
『周囲の貴族令嬢達が将来の王子妃を目指し、まだ上等学校一年生のエインレイド王子殿下から言質を取ろうとしている中、殿下は学年でも優秀かつ自分に妃願望を抱かない子爵家のアレナフィルちゃんと友達になり、勉学に励んでいたわけです』
私の目の前ではテーブルに突っ伏す勢いで、自分の画像が大きく映し出されることにショックを受けている王子がいる。
頑張って立ち直ってほしい。
『それが気に入らないと、ウェスギニー子爵家が経営する工場等に契約違反を平然と行い、更にはアレナフィルちゃんを殺そうとしたのはどこの令嬢と家族達なのか。そして裁判を起こせば勝てると分かっていても、エインレイド王子殿下のお心を思って耐えたウェスギニー領の工場はここ一つではありません。そうですね?』
衝撃の事実とか言っているが、先にある程度の打ち合わせはあったのだろう。話がサクサクと進んでいた。
『はい。うちだけじゃなく、ご領主様が経営しとられます工場や会社はどこもよその取り引き先から圧力をかけられたと聞いとります。やがてその話を聞いたのでしょう。貴族が経営していない所からも、とんでもない不平等な取引をしてやってもいいというふざけた申し込みまでされるようになりました』
訥々と語る工場長は、男性リポーターに比べて抑揚もあまりない。それゆえにじっくりと聞かせるものがあった。
『それもまたよそのお貴族様が後ろにいると思えばこその嫌がらせでした。・・・今、ここだけでなく、どこもその取引先の契約違反に対するリストと内容を作成しとります』
『それは何故ですか?』
のっそりとしている工場長、実は見えない爪を研いでいたのか。彼は先程から契約違反について触れている。
悲し気だが、それだけではない何かがあった。
『ご領主様は今まで王子様の為、耐えるようにと仰っておられましたが、既にお嬢様は殺されかけたのです。・・・もう王子様もお知りになってしまわれたでしょう。だから全て契約違反でもって裁判を起こすことになります。また、屈辱的な内容での取引を申し込んできた際の映像も捜査の参考として提出予定です』
そこで映し出されたのは白いリボンやフリルのついた青色のワンピースドレス姿のぐったりしたアレナフィル。その手首は縛られていて、煤で汚れた姿はあまりにも痛々しいものだった。
今やサルートス国で知らない人の方が少ないアレナフィル救出時のものである。
着てから半日もせず駄目になったこの服、とても可愛いと一部で騒がれ、どこのメーカーの服かとの問い合わせが何故かヴェラストール放送局に相次いでいるらしい。
そしていきなり映像が変わる。
相手の顔をスモーク加工で隠してはいるものの、工場長と誰かが話している場面だった。
そのスモークで顔を隠された相手は、
「お宅も身の程をわきまえた方がいいと思いますがね。子爵家令嬢など、侯爵家に比べれば格下。ましてやおたくのお嬢様、母親が平民だというではないですか。はっはっは、ま、なんでしたらうちの父の後妻にもらってやってもいいですがね」
などと言い放ち、そのセリフはとても聞き取りやすかった。酒で焼かれたような声は室内によく響いていたからだ。
この番組を見ていた誰もがこの男に嫌悪感を抱いただろう。
(何がジジイの後妻だ。ネトシル家の名誉にかけて潰さねえとな)
どうしようもない悪ガキだが、アレナフィルはグラスフォリオンの妻になるかもしれない存在だ。このゲス男の情報を前子爵からもらう必要があると、私は己の心のノートに書きつける。
次に切り替わった映像では、やはり顔をスモーク加工で覆われた誰かが態度も大きく、
「そんな契約など知りませんよ。全ては身の程知らずなお嬢さんを恨むんですね。では」
と、踵を返すシーンだった。
取り残された工場長の耐えるような表情が、その心の痛みを物語る。
この男達が今回の誘拐殺人騒動と無関係とは、もう誰も思わないだろう。彼等は何もできないウェスギニー領を追い詰める悪漢でしかなかった。
見ていたアレナフィルも身を震わせる。
「ど、どうしよう・・・」
「お、おい。アレル、心配すんな。あの工場長は相手が誰か分かってるんだろ。素性さえ分かってしまえば世の中けっこう繋がってる。うちと関連があるようなら圧力をかけてもらうよう父にも頼む」
「そうだぞ、アレル。うちは、製造関係は弱いが、それでもあれはひどすぎる。まさかここまで言われてるとは思わなかった。全ての貴族がレイド狙いで動いてるわけじゃない。れっきとした貴族令嬢への侮辱なんだぞ。こうなると今までは無関心だった貴族も黙ってない筈だ」
二人の伯爵家令息は立ち上がり、力づけるかのようにアレナフィルの肩に手を置いた。悲し気に二人を見上げるアレナフィルは、濃い緑の瞳を潤ませている。
「そうじゃないよ、ディーノ、ダヴィ。どうしよう。私の取り分残ってると思う? いきなりあんな映像が流れたんだよ。領収書のいらない私への見舞金をこっそりゲットする筈が、あれじゃ全部うちの叔父にコテンパンにされて終わりだよ。それはそれでいいけど私の分って残ってると思う? これじゃガルディアス様とうちの叔父とで全部回収されちゃう」
「・・・・・・」「・・・・・・」
その言葉を聞いた伯爵家令息二人の顔は一瞬強張り、すぐに白けたものになった。泣きそうな顔になっていたエインレイドとマルコリリオでさえアレナフィルの顔をまじまじと凝視する。
「いたっ、何すんのっ」
二人の伯爵家令息はそれぞれ指先で子爵家令嬢の頭を弾き、黙って自分の席に戻ってからエインレイドとマルオリリオに表情だけで何かを訴えた。二人も頷くことで同意を示す。
うんうんと頷きあった少年達四人は、自分達のコップに炭酸飲料を入れると軽く掲げ合ってスクリーンに目を戻した。もうアレナフィルを見る気などない。
「お母さんっ。こうなったら明日からおうちで私の布陣に取り掛からなくてはっ。今なら私が連絡取ればあの脅迫してきた人達のリストもらえそうですよねっ!? でもってガルディアス様にはレイドをあげるから落ち着くように言い聞かせられるのってどなたですかっ? やっぱり王妃様ですかっ? 私の周回遅れがひどすぎますっ」
「どうかしら。陛下も妃殿下もガルディアスに甘いのよ」
「アレル。僕を兄上に売らない」
あげるも何も、王子エインレイドが家出したらガルディアスの私邸を捜せと言われる程に二人は仲良しだ。数ヶ月前に知り合った子爵家令嬢などお呼びではない。
「ここは私に味方するところだよ、レイド。だってあんな映像があったってことは、叔父ってば状況が変われば一気に攻めるつもりだったんだよ。本来のはばっちり顔も映ってるんだよ?
あれの本物映像流されたら、あのゲスオヤジ達の会社は一気に売り上げダウン、家族や親戚にも恥ずかしい人扱いで見捨てられるよ。口止め料持ってきて平謝りして、誰の思惑だったかを洗いざらい叔父に吐いて延命しようとするよ、あの人達っ」
「えっと、それじゃ駄目なわけ? アレル、あんなひどいこと言われてたんだよ。謝罪と補償は当然だと思う」
王子はそれであの男達の会社が潰れることになろうとも自業自得ではないかと、そんな意見だ。
「心のこもってない謝罪に価値ないよ。そしたらどこに私が口止め料をもらえる人が残ってるの。私にお金が入って、いろんな人の弱みを握れば握る程、レイド達だって自由になれるんだよ?」
「え? なんで僕達?」
「うちの家族の目が離れている間に、あの誘拐犯の親達から慰謝料と口止め料と今後の下僕契約出させるつもりだったのにっ。それなのにそっちもガルディアス様が潰しかねないんだよっ。ふざけてるよっ」
「ぇえ?」
子爵家令嬢アレナフィルの憤りに、第二王子エインレイドはついていけない。
「ふざけてるのはお前だ、アレル」
「全くだ。もう十人ぐらいメイドをつけて閉じこめておくしかないな」
「えっとダヴィ、それはアレル、可哀想だよ。・・・それに顔を分からなくしても声は変えてないんだし、体格や服装も分かるし、あの映像じゃ分かる人は分かるんじゃないかなぁ」
マルコリリオの指摘は至極当然だった。
次から次へと映し出される失礼すぎる取引先相手達。ウェスギニー子爵領は一方的にいじめられている。
ミディタル大公妃も映像から目が離せないのは同情する気持ちがあるからか。
身分が子爵になるだけでここまで遠慮なく攻撃されるとは。
(ウェスギニー子爵は使い勝手の良さで知られていた。あの物わかりのいい子爵家がこの件に関しては全く意のままにならぬというのでキレたのだ、どこの家も)
そこまでアレナフィルが王子妃となる可能性が高いのかと焦り、強硬姿勢に出たのか。
(哀れなものだな。こんな悪ガキが本気で王子妃を狙えるなどと超過大評価していたことも気づいていなかったとは)
見た目だけはつぶらな瞳も愛らしい子爵家令嬢アレナフィル。まさかその本性がこんなあつかましい駄目令嬢とも知らずに。
分かってて騙される被害者なぞ、うちの愚弟だけでよい。
「うちのお仕事関係は置いといても、問題はガルディアス様なんだよ、リオ。だってあの人の立場、考えてみて? 慰謝料無視して処罰見せしめ系。そんなのに何の意味があるの。せいぜい他の人達がおとなしくなる程度。所詮、ガルディアス様なんて過激に走るだけなんだよ。私はねっ、大きなダメージを与えつつも半死半生にまでは追い込まず、だけど反撃する心を骨折させといて、自分の懐の痛みを忘れないトラウマを一生背負わせたいのっ。手ひどく大金巻き上げたいのっ」
「ちょっと待て、アレル。まさかお前、あんなことやらかした奴を許す気かっ? 何考えてんだっ」
ベリザディーノが気色ばんだ。榛の実の黄赤茶色の前髪が揺れても、厳しい紺色の眼差しを隠せない。
「だけどディーノ。どこの家にも無関係な子供達はいたと思うよ。勿論、関与している子もいたとは思うけど、まさか殺そうとまでは思ってなかった筈だし。
それならこの件が明るみに出たらお妃様どころか、そこらの同級生との結婚も難しくなるって現実を叩きつけて大人しくさせた方がいいの。
私はね、どうせ今回の件に関与してなくても同じこと考えてる人はまだ残ってるって思ってる。それならもう金銭的に痛い思いをさせて、いつ私から暴露されるかとびくびくしながら生きてってもらった方がいいよ。だって私、おうちとお店を買うだけのお金が欲しいんだもんっ」
どんなに真面目なことを言い連ねても、この生意気ウサギ娘が考えていることは最後の一言だけだと誰もが察した。
トルコ石の青緑色の髪を揺らして、ダヴィデアーレが額に指を添える。
「それぐらい簡単に手に入るだろう、アレル。小遣いではそこまで渡されていないにせよ、ご家族にねだれば無理とも思えない」
「あのね、ダヴィ。だからさっきから言ってるように家族にはばれないように手に入れたいの」
「何の為に欲しいの、アレル? まずはそこを話してみなよ。いい知恵が浮かぶかもしれないよ。ダヴィだってディーノだってそういうことは詳しいんじゃないかな」
「そうだよ、アレル。そりゃ平民レベルじゃどうしようもないかもしれないけど、小さくていいならうちも親の伝手で使ってない家とか店とか心当たりあるかもしれないし、格安物件は焦らず探すのがコツだよ」
ミディタル大公妃は、工場長相手に暴言を吐く男女達の映像を見続けていた。
どれだけ証拠映像撮ってたんだよ、ウェスギニー領。何人、あんなでかい態度でやらかしてたんだよ。
しかもあちらの契約違反による損害額が、画面の下に参考として文字で差し入れられているところが念入りすぎる。
(これらの指示、本来の領主フェリルド、前領主セブリカミオ、実質経営者レミジェス、その内の誰がさせていたやらだ。このスモーク加工と損害額を編集し終えている以上、もう裁判所に持ちこめるだけのものを揃え終えてるだろう。口止め料分増しの金額を持ってこいつら行列しそうだな)
工場長は指示してきたのが「ご領主様」「旦那様」などと言ってはいるが、領主にして現子爵フェリルドと断言はしていない。
彼にとっての領主とは誰なのか。
しかも証拠映像の中で、この工場長は言われっぱなしだ。全く反論していない。だから余計にあちらも調子に乗ったのだろう。そうなれば口調も必要以上に嘲るものとなりやすい。
そうして炙り出していたのか。ウェスギニー領にとっての敵を。
「ほら、夜行列車の中でゴーストフィルム使ったじゃない? あれ作った人、ファレンディアでお店開いてるの。だけどサルートスに来たことだし、この国で売ってもいいじゃない? だから私はお店を開いてあげよっかなって。だけどあの人、手広くやりたいわけじゃないの。だから祖父とかに手配してもらうと面倒なんだよ。それで私は家族にばれないお金が必要なのね」
「ちょっと待ってくれ、アレル。つまりあのゴーストの作成者はお金がないのか?」
ベリザディーノが身を乗り出しているが、そこはアールバリ伯爵家の一員ということか。私だってそういうことなら出資について考える。
「ううん。私よりお金持ち。正直、おうちなんてすぐ買える。だけどね、そうなると何をやるか分からないじゃない? だからあの人より先に私が用意しちゃって、後は泣き落としとご機嫌取りで程々レベルにしといてもらわないと困るの。今回だって私が無傷だったからいいけど、これで本当に私が怪我してたらあの人ブチ切れてたよ」
「いや、あのな、アレル。なんでお前より金持ちな人にお前が用意しなきゃいけないんだ。しかも泣き落としとご機嫌取りって何なんだ。一体、そのファレンディア人はどうしてそこまでアレルに関与してくるんだ」
「そういうことはプライバシーにかなり食い込むんだよ、ディーノ。・・・だけど訳が分からず変な説教されるのもごめんだから軽く教えてあげる。その代わり、このことについてはもう二度と聞かないって約束できる? ・・・えっと、お母さんとローゼンお兄さんはちょっと席を外してもらえると、有り難いんですけど」
「心配しなくても私は何も言わないわよ、アレル。あの楽しそうな方でしょう? それは勿論、最初に素敵な贈り物をすることで取りこんで、あなたを足掛かりにして我が国を狙ってるとかいうのなら話は別だけど、そうじゃないんでしょう? ・・・ローゼンは出てなさい」
「いえ、妃殿下。私は実家ともかなり距離を置いております。そして私は妃殿下直属の身。今後もアレル嬢の傍にいることがあるならば把握しておかねば余計なトラブルになりかねません。勿論、守秘については理解しております」
アレナフィルが王子達のブースに取り付けたゴーストフィルム。そしてヴェラストール城に出現した巨大ゴースト。
全てはファレンディア国のものだ。そして私を行動不能に陥らせたのも。
ファレンディア国がウェスギニー家を取りこむのであればその父親からだろうに、何故アレナフィルなのか。
「だそうよ、アレル。で、男の子達はどうするの? レイドはなかなか秘密も持てない立場ね」
「別にアレルは友達だし、それに僕達はみんなで相談して考えて一緒に乗り越えていく仲間だから」
全員が約束したところで、アレナフィルはあっさりとその理由を教えてきた。
「その人ね、私の亡くなった母を娘のように可愛がってたんだ。で、今は愛妻を亡くして独身、子供もいないの。つまり私のことは孫娘気分なんだよ。だから老後は私が見てあげるつもり。でもってあの人、気に入らない男は半殺しにする感覚の人だから刺激したくないの。たとえ会うことがあっても喧嘩は売っちゃ駄目。分かった?」
そんな注意をしてくるアレナフィルに、少年達は目を白黒させる。
亡き母への情愛だけなら心温まる交流にも思えるが、どうしてそこで喧嘩を売るなという話になるのか。このメンバーで考え無しに喧嘩を売るような奴はお前一人だ。
「そっか。アレルのお母上、ファレンディアで現地の人と仲良くなってたな。アレルそっくりのお母上なら子供のいない夫婦に可愛がられていたのも納得だ。悪かった、二度と言わない」
「国がらみの何かかと思いきや、亡くなったお母上に対する思い入れがあったのか。・・・ごめんな、アレル。その人の気持ちを踏みにじるようなこと言って」
いや、疎遠だった人間がいきなり接触してきたら詐欺やトラブルを疑うのは常識である。
そこで謝ってしまう伯爵家の二人はとても素直な感性をしていた。
「ううん。みんなが疑うのも仕方なかったよ。だけどもう気にしないで。こういうのも母がくれた縁って思うことにしてるんだ」
「なんかアレルって人の縁に強いね。いい人と繋がりやすいのかな。だけどその人の老後とかまでアレルが考えることなの?」
マルコリリオも自分なりに理解しようとしている。
「うん。そしたら全ての遺産、私の物なんだよ? 当たり前じゃない」
最低だった。美談が一気に腐敗臭漂う生ごみだ。
少年達は救いを求めるように大公妃を見る。
「ほほほ。たかが一個人の財産狙いなら可愛いものじゃありませんの。亡くなるまではお世話するみたいですし。これがレイドの妃狙いならレイドのことなど何も考えず、その令嬢の家門全体の地位と身分とそれにふさわしい資産や給与を要求されますのよ」
「やっぱり・・・! お母さんなら分かってくれると思ってました。私は自分のささやかな幸せを見据えて生きていきたいです」
何がささやかだ。少年達は駄目だこりゃといった顔になってスクリーンに向き直った。
画面の中ではウェスギニー領に圧力をかけてきていた者達の映像が終わり、アレナフィルのことに話は移っている。
『我々もあのお嬢様を見つけ出すとはさすがは王子様だと思っとりました。ですから今しばらく力を合わせ、乗り切ろうとしておったのです』
『あのお嬢様と言いますと?』
『いえ、それが・・・。実はお嬢様は言葉も遅れがちであまり・・・、だからサルートス幼年学校にも通えなかったのだと、そんなお噂がありまして、我々もそれを鵜呑みにしておったのです。ですが奥方様が小さな女の子達を集めてお嬢様とお茶会をさせてあげようと思われたことがありまして・・・。うちの娘も子供で、恥ずかしながら失礼なその噂をお嬢様に言ってしまったのです』
『そうでしたか』
どうやら隠し撮りらしい女の子達のお茶会シーンが映し出される。その真ん中にいる小さなアレナフィルや他の女の子達は白いタイツをはいて可愛いリボン付きのワンピースドレス姿だった。
子供なりにおめかしして、バルコニーでのお茶会だ。
白いテーブルには美味しそうなお菓子や子供が喜びそうなジュースなどが並べられている。
それはすぐに工場長と現地リポーターの映像に戻った。
『私共はそれを物陰から見ておったのですが、お嬢様は怒ることなく娘達の失礼をそこらの大人顔負けの弁舌でご指導なさったのです。それこそ幼年学校の先生よりもしっかりしとられ、なんということかと思えば、ご領主様がそこで教えてくださったのです』
『何をでしょう?』
『実はお嬢様、幼年学校の勉強は既に終えておられ、手を抜いて過ごしているのだと。
まさかと思っとったら、その後ご領主様の所で働くメイドがやはり失礼をしてしまい、その際、お嬢様はなんとこんな分厚い裁判所の判例集を元にそれは法的にどう許されないかをきっちり教え諭したと聞いとります』
『判例集、ですか』
戸惑う若い男性リポーターだが、クラブメンバーの少年達も首を傾げる。
そこで映し出された判例集はとても分厚かった。
ぽりぽりと頬を掻いている小娘がいるが、どうしてメイドを注意するのにあんな本が必要だったのかが分からない。まさかアレで殴ったわけじゃないと信じたい。
『お嬢様は法令集、裁判事例集に目を通し、その上でメイドを叱責したと聞いとります。お立場的に一方的な注意も命令もできたというのに、幼年学校生のお嬢様はあくまで客観的な視野で咎められた。
そういうお嬢様です。今ではうちの娘達もいつかあのお嬢様の身近でお仕えする侍女になりたいと、真面目に勉強するようになりました』
『可愛いだけじゃないのですね。まさかメイドを注意するのに判例集ですか』
再び映し出された分厚い判例集。クローズアップされるお茶会シーンの幼いアレナフィル。
その二つが画面に大きく並べられている。
『はい。王子様がそんなお嬢様とお友達になったと聞き、我々もさすがは王子様だと感動しとりました。お嬢様はお小さい頃から公平な視野で考えとられたのです。
恐らくご自分に厳しい王子様なのだろう、だからあのお嬢様を見出されたに違いないと思っとりました。だから我々も今は耐えるしかないと・・・。ですが、まさか、・・・まさか、お嬢様が殺されかけるとは・・・』
ポケットから取り出したミニタオルで目頭を押さえる工場長だ。
『新しい情報です。アレナフィルちゃんは王子殿下のガールフレンドではなく、参謀のような存在だった可能性が出てきました。幼年学校生の時から判例集等に目を通していた子爵家令嬢アレナフィルちゃん。
国王陛下の息子として、エインレイド王子殿下は自らがクリーンであるべきだと、そんなアレナフィルちゃんに感じるものがあったのでしょう。アレナフィルちゃんを殺そうとした者達は、高潔で賢い王子殿下の心を挫いて愚かで都合のいい傀儡にすべく、まずはアレナフィルちゃんを排除しようとしたのかもしれません』
前のめりで訴える現地リポーターだが、肝心の二人は目を丸くして、
「私ってば参謀だったの?」
「話が大きくなりすぎてない?」
と、顔を見合わせている。
『平民でさえ雇用主は使用人をよく怒鳴りつけています。貴族もメイドに当たり散らすことは日常茶飯事でしょう。
それなのに小さな頃から一人の人間として対応していたアレナフィルちゃん。
エインレイド王子殿下はそんなガールフレンドに何を見たのでしょうか。国民に対し平等に接する王族としての在り方を既に見据え、実体験で語ることのできる子爵家令嬢アレナフィルちゃんと共にいた王子殿下は』
そこで映し出される正装した第二王子エインレイドと、救出された時の煤だらけでぐったりと目を閉じている子爵家令嬢アレナフィル。
その間には何故か分厚い法令集や判例集がある。ぱらりと広げられた判例集の文字はとても小さく、みっしりと印字されていた。
勝手に話を作り上げられているエインレイドはもう困惑するしかない。
「ねえ、アレル。一体どうやったらメイド相手に判例集が必要になるの?」
「よくぞ聞いてくれました。そうなのです、レイド。実は私にはとても素敵でセクシーな父親がいたのです」
「またかよ、アレル。なんでお前、そこまで父親大好きなんだよ」
「僕もなんで父と娘の関係に判例集が必要なのかが分からない。まさかメイド相手に、父親に対する娘のセクハラは法的に有効だとか主張していたのか?」
「まずは聞こうよ、ダヴィ。凄いね、アレル。幼年学校の時点であんな本を見てたなんて」
するとアレナフィルは語り始めた。
「それは数年前のことでした。父は私に、大人になって好きな人ができるまでは自分の最愛の恋人でいなさい、お前は世界で一番可愛い女の子だよと言っていたのです。父にとって最愛の私、必然我が家の全てを管理できる女主人でした」
「あのな、ビーバー。人間サマの一般常識を教えてやる。大抵の女の子は父親に似たようなことを言われて育つ。しかし成人していない以上、女主人としての権限はもらえない。お前は解釈を拡大させすぎだ」
アールバリ伯爵家のベリザディーノ。気性もまっすぐだが、無駄だと分かっていてもガールフレンドに言い聞かせようとする面倒見の良さが高評価だ。
「そんなことはないのです、ディーノ。次の子爵はアレンルード。だから普段暮らしている家は全て私の好きにしていいと、父は私に言いました。そんな中、父には魔の手が迫っていたのです」
「え。まさか、暗殺か? あの高い塀と門、子爵を狙う外国からの暗殺者を阻止する為だったのか?」
ダヴィデアーレがオレンジ色の瞳を大きく見開く。
国内の椅子を温める暇なく、ウェスギニー大佐が外国における戦闘地域や様々な工作活動に関与しているのは知っている者は知っている事実だ。
「へ? いや、うちの門は私達の誘拐防止だよ。兄か私を連れ去って、迎えに来た父と親しくなろうって計画する人が多くてさ。私達って母が平民でしょ? だから父が貴族の女性と再婚して子供ができたら、その子が跡取りになるでしょ? だから貴族の侍女とかがよく誘拐しにきてた」
少年達が絶句しているが、よくある話だ。跡を継ぐ子供は母親の身分にかなり影響される。
「そっちは門から入れなかったからいいんだけど問題はうちのメイドでね、父がいる時だけ兄や私と遊んであげてますアピールとか、よろけたふりで父にボディタッチとか、ホント迷惑だった。だから私はセクシャルハラスメントを通り過ぎ、雇用主に対する性的な暴力行為だということで裁判官代わりに祖父と叔父を呼んで告発したの。・・・あれからメイドは私達が学校に行っている間にだけ入るようになってどれだけ静かになったことか。思えば魅力的すぎる父が罪でもあった」
ここでミディタル大公妃が私を見る。私は小さく首を横に振った。そうよねと、ミディタル大公妃も自分の感覚がおかしいわけではないと納得したようだ。
通常はメイドをウェスギニー子爵が叱責、場合によっては解雇で終了だ。どうしてそこで子供が出てくる必要がある。アレナフィルの言い分は最初から思いっきり間違っている。
「そんなのウェスギニー子爵、気にしてないんじゃない? 城でもたまに見かけたけど、子爵に色仕掛けしたところで空振りさせられるって有名らしいよ?」
「いいですか、レイド。公共の場でもある王城と自宅は違います。自宅は逃げる場所がないのです。父の愛情あふれるキスは兄と私のものですが、父が可愛いウサギさん、いたずら子リスさん、我が家の愛の妖精と呼ぶのは私だけなのです。したがって父の愛と唇と体を守ることができるのは私しかいないのです。ゆえに私は、彼女達のどんな行動が法律違反であるかを指摘し、次に同じことがあったなら治安警備隊に突き出すと宣言したわけです」
ウェスギニー子爵は、そんな恥ずかしい呼称は家の中だけだと娘に教えるべきだった。
「どうしようもないな、このビーバー。もしもお父上がそのメイドに本気だったらどうする気だよ」
「全くだ。大抵の男はメイドに手を出して飽きたら捨てるが、ウェスギニー家なら・・・、ああ、そうか。だからメイドが・・・。だからって普通に注意すればよくないか?」
「ダヴィ? それってどういう意味? アレルんちならって?」
「いや、ウェスギニー家は領地もあるし、本来なら侯爵家クラスと縁組してもおかしくなかった。それを平民だった女性と恋愛結婚したわけだろう? そして生まれたアレル達も大事にされている。普通の家なら都合よく遊ばれて捨てられるメイドでも、ウェスギニー子爵が相手なら一生の手当てぐらいはくれそうってことだ。運が良ければ子爵夫人。そういうことさ」
平民だからか、マルコリリオには分からなかったらしい。
アレナフィルとマルコリリオが傷つくことのないようにと、言葉を選んでダヴィデアーレが説明するが、その通りだ。子爵邸で働くメイドだけではない。最初の結婚生活が辛すぎて離婚して出戻った貴族女性にとっても、そういう思惑があった。
ウェスギニー子爵フェリルドならば自分を大事にしてくれるだろう、あの家は派手な使い方をしていないが資産はある筈だと。
「そうなんだ。だけど子爵様ってそんな甘くないと思うけど」
「そんなことないよ、リオ。うちの父はいつだって狙われてるの。ちょっと目を離したら男にまで愛されてるんだもん。うちの父と同居できるからって理由で私なんか求婚されたよ? よりによって父との同居目当てのプロポーズ。二度とうちに足を踏み入れるなと宣言しようとしたら、父の役に立つ内は保留とか言われるし、・・・ああ、人生は思うようにいかないことばかり」
男と女のトラブルなど、治安警備隊だって「ご本人同士で話し合いしてください」で終わりだ。
この子爵家令嬢は法律違反とか言っていたが、軽微すぎて罪にもならない。
雇用者側の男が使用人の女を襲っても罪に問われないことの方が多いというのに、その反対なぞバカバカしくて誰も話を聞かないだろう。
(そもそもあの父親、指一本でメイドなんぞ排除できるだろうが。なんでそこで無駄に仕切った、この空回り娘)
同居目当てのプロポーズも非常識だが、役に立つ内は出入りさせるという結論もどこかおかしいウェスギニー家。役に立たなくなったらポイかよ。
スクリーン画面の中では若い男性現地リポーターが工場長の言葉にうんうんと頷き、何やら感心しているが、肝心のアレナフィルを見ているこちらは全然感心できない。
一体、ウェスギニー子爵家は何をやっていたのだ。いや、幼年学校生の時点でメイドを注意するのに法令集だの裁判の判例集だのを持ち出すような娘、サルートス幼年学校に通わせまいとした気持ちは分からなくもない。
(言葉で不快感を示せばクビにできる立場のくせしてどこまで叩きのめす方向で生きてやがった。・・・まずい。どんどんウェスギニー家の気持ちが分かってしまうじゃないか)
子供がメイドの不満を告げ口したところで、大人とて子供がイタズラ気分をエスカレートさせた上での誇張をまずは疑う。だからアレナフィルは自分に必要以上の公平的な立場という枷をつけたのか。
メイドを加害者、父親を被害者、そして自分を取り調べて審判する側に置き、更に祖父と叔父にそのジャッジをさせた。
幼年学校生がそこまでフェアに対応しようとした以上、前子爵セブリカミオも見逃すようなことはしなかっただろう。その叱責はメイドだけではなく、現子爵とその子供達が暮らす屋敷に使用人を行かせていたメイド長の責任を問うものになっただろうが、家令も叱責だけで済んだかどうか。
(いかにウサギ娘が喚いたところで、あの子爵なんぞ誰が心配するか。真の問題は、それをいずれ双子に使用人が仕掛けかねないリスクを突きつけたことだ。ウェスギニー領に住む工場長がファリエの子爵邸での騒動を知っていたということは、かなりの解雇があったというわけだ。子爵邸は基本的に子爵領の人間を多く雇用する)
まさに今もそうだ。
アレナフィルは燃え上がる建物の中から手を縛られた状態で見つかっている。今までなら王子妃を目指している高位貴族令嬢から低位貴族令嬢が不幸な事故で多少傷つけられても、それは不幸な事故として黙殺されていた。
だが、男数人がかりで誘拐されて遺体も見つからないように建物ごと爆殺されるとなれば、もう他の貴族達も黙っていない。
王子の学友だからと子爵令嬢が殺されていいのであれば男爵令嬢も然り、そして伯爵令嬢とて妃候補として弱い立場ならば殺していいことになる。姪や従妹といった分家筋になったら尚のことだ。
一部の王族、公爵家、侯爵家の令嬢の為に、他の貴族令嬢を誘拐しようが殺そうが構わないなどとなれば冗談ではない。侯爵家ですら今や権力のない家もあるというのに。
そして世論は更に騒ぐだろう。貴族令嬢でさえこんな目に遭うのであれば、平民の見目好い娘達は更に蹂躙されかねないと。
アレナフィルは自らの映像で問いかけた。
これは許されることなのか、と。
(それでいてこいつの目的は口止め料。そりゃ今後の抑止力としては悪くない出来事になったが、どこまでも自分のことしか考えてないときた)
今回、工場長と相対していた顔をスモークで隠した取り引き先の映像にしても、着ていた服や声は分かるようになっていた。番組を見て、その相手を特定できた人もいるだろう。
家族や親戚ならば一発で気づく。そいつらは身内からも孤立、更にトカゲのシッポ切りということで庇護者からも切り捨てられるのではないか。
アレナフィルはそこまでする気はなかっただろう。
だから大慌てだ。
それでも家の稼業だけに取引先は仕方がないと思いつつ、問題は貴族相手の制裁をガルディアスにされてはたまらないと巻き上げる予定の慰謝料がご破産になりそうでパニック状態。
アホな子ウサギはともかく、私には分かるような気がした。
(所詮、今回の事件は最後の火種だ。どの男達もきっかけがあれば動くべく証拠を集め、爪を研いでいた。今更、火をつけたアホ娘が騒ごうが止まる筈もない)
ウェスギニー子爵家はかなり怒っている。どれ程の関係者が破滅しようが何しようが知ったことではない程に。
たとえスモーク加工していても、分かる人には分かる映像。自分が何を言ったかなど、言った方は忘れていただろう。そしてどんな暴言も工場長止まりだと思っていた取引先はこの映像で気づいた筈だ。ウェスギニー子爵家もこれに目を通しているのだと。もう土下座するしかあるまい。
「あ。お祖母ちゃまだ」
「なあ、アレル。人間社会でその呼び方が許されるのは幼年学校入学前までだぞ?」
「そうだな。貴族社会でそれはあまりにも子供過ぎると馬鹿にされる。恥をかくのはご家族だぞ、アレル」
「えっと、ディーノ、ダヴィ。だけどアレルが言うと可愛いよ」
一般常識を子爵家の娘に教える伯爵家の息子達はとても人間ができていた。陰でこっそりバカにすることなく、ちゃんと友達の立場を考えて分かりやすく忠告している。
「えー、私は悪くないよ。だってそう教えられたんだもん。でもって幼年学校の時、呼び方変えた方がいいかなと思って相談したら、女の子は可愛さがあれば許されるからそのままでいいって言われた」
「誰にだよ。騙されてんなよ、ビーバー」
「誰がビーバーだ。だって父に相談したら、私の呼び方はどれも愛らしくてやっぱり我が家の愛の妖精だねって言われて終わって、叔父に相談したら可愛い姪が一気に大人になるのは寂しいなって言われて終わって、祖父に相談したらよそで猫かぶりしておけば家の中は自由でいいって言われて終わった。・・・だけどうちの祖母、一人で大丈夫なのかな。侍女が二人じゃ足りないよ。せめて五人はいないと何かあったら大変」
スクリーンでは慎ましいデザインのアフタヌーンドレスを着た女性が映っていた。ウェスギニー前子爵夫人マリアンローゼだ。
この工場へ到着したところらしく、お供の侍女二人と護衛らしき男が一人、すぐ傍にいる。
この番組のことは聞いていなかったようで、他の従業員から説明されていた。
工場長も男性リポーターに軽く目礼し、前子爵夫人の所へと近づいていく。
『奥方様。この度は・・・』
『そちらの用事を先にしてくれて構わないわ。色々と心配をかけているようだからうちの会社を見回っているところなの。あなたは大丈夫ね?』
『はい』
そこへ近寄っていくのが男性リポーターだ。
『初めてお目にかかります、奥方様。この度はどれ程にお心を痛めておいでかと、お見舞いの言葉もございません。当方はヴェラストール放送局でございます。ヴェラストール放送局はこのような残虐非道な犯罪を見逃すべきではないと、特集番組を立ち上げてこちらにお伺いいたしました。・・・どうかお話を聞かせていただけないでしょうか』
『話と言われましても・・・。ウェスギニー家はどうしてアレナフィルが狙われたのかも分からずに困惑しておりますの。うちの孫娘は人懐こくて人に恨まれる子でもありません。捜査が終わって早く犯人を突き止めてほしいと願っております』
どうやら前子爵夫人は、工場長でさえ知っているアレナフィルが狙われる理由を把握していなかったようだ。いや、他の工場も回ってきたならとっくに聞いているだろうに。
まさに工場長と現地リポーターが困ったような顔になる。
『えっと、奥方様。アレナフィルちゃんがエインレイド王子殿下と一緒にいることで妬まれたというお話はお聞きになってますか? 昨日から我々もその特集を組んでおります』
『それはちらっと拝見しましたけれど、その理由が的外れでしたのよ。うちの孫娘、基本的に十代の少年に興味ないんですもの。今一番仲のいいボーイフレンドは外国の学者様ですのよ。せっせと文通していますわ』
画面の向こうで、現地リポーターの動きが止まった。
多分、この番組を見ていた誰もが同じく動きを止めただろう。たとえ何を言っていても、お似合いの二人ではないかという思いがあった筈だ。
『あ、あの・・・、それはエインレイド王子殿下もご存じなのでしょうか?』
『勿論、ご存じだと思いますわ。王子様方にとってもうちの孫娘は恋愛対象外だと聞いておりますもの。年回りだけはいいのではとどなたかが仰った際、皆様とても嫌そうなお顔をされたとか』
『恋愛対象外・・・。アレナフィルちゃん、あんなにも可愛いのに』
『お友達と恋人は別でしょう? 王子殿下方は、孫娘とは全く違う控えめで楚々としたタイプが好みだと聞いておりますわ。うちの孫娘、王子殿下方の恋人理想像、実在が危ぶまれる程に深窓の令嬢すぎるとぼやいてましたもの。日頃は仲良く遊んでいても、やはり皆様、ご自分なりの理想があるのでしょうね』
少年少女達は、お互いの顔を見合わせている。
「どうしよう。ここは誰かとほんのりラブっぽい空気を作っておかなきゃいけなかったのかな。なんか私、勝手にみんなにフラれたことになってない?」
「図々しいことをぬかすな、ビーバー。誰がどう見ても普段のお前は男だ」
「な、なるほど。ウェスギニー家がドンッと構えていたのはアレルがレイドや僕達の対象外だと思っていたからか。たしかに上級生六人のズボンを脱がした時点でガールフレンドとしては無しだ」
「言われてみればアレルってば可愛いのに、女の子っぽいドキドキはなかったっけ。だけどダヴィ、ズボンはともかくパンツ脱がさなかっただけマシじゃない?」
さすがは前子爵夫人。孫娘は十代の少年に興味がないと言いながら、文通している学者が一番親しいボーイフレンドだと言いきった。醜聞になりようがない関係だということだ。
そして孫娘もまた王子達の好みじゃないと言ってのけている。
伝聞とはいえ、控えめで大人しいタイプの令嬢が王子達の好みだと言ったのは、痛烈な皮肉か。
「レイド、みんながひどいの。ここは私を褒める場面だよ。ガールフレンドとしても最高で、恋愛対象候補第一位だって言ってくれていいよ」
「ここで僕に何を言わせたところで全国放送された内容は変わらないんじゃない? それにアレルは手乗りインコみたいなものだってガルディ兄上も言ってたよ。とっとっとって跳ねてるのが面白いんだって」
「いいですか、レイド。大切なことを教えてあげます。お喋りな男はモテません。ガルディアス様にもそこを教えこんだ方がいいです」
お喋りなのではなく、周知させておかないと勝手な判断で暴走する者が出ることをガルディアスは知っているだけだ。ガルディアスの気に入りだという子爵家令嬢をミディタル大公夫妻も知ればこそ、その情報を集め、自分の目でも確認し、こうして庇護に動いている。
「ガルディ兄上、少しは女の人に嫌われたいとか言ってたよ」
「それを言ったら同性に嫌われる男になるからマネしちゃ駄目です。だけど不特定多数から強引に口説かれる恐怖も分からないわけじゃない、そんな分かってあげられちゃう自分がちょっと悲しい」
一度も口説かれたことのないミニサイズ悪女が何を言うか。
「図々しいな、アレル。お前がガルディアス様の気持ちを分かる日は来ないだろ。そもそもお前、別にモテては・・・まあ、そりゃガルディアス様にもネトシル侯爵家の方にも特別扱いはされてるんだろうが」
「えー。たしかにガルディアス様、太っ腹だけど、その代わりにレイドにそれを教えてあげてくれとか、これを誘ってやってくれとか、結局はレイドレイドレイドだよ。いいように利用されてるよ、私。ついでにリオンお兄さんは近衛の人だからレイドとの繋がり確保強化もあると思う」
「ああ、そっか。そういうこともあるのか」
「僕、関係あるかなぁ」
ベリザディーノは納得したが、エインレイドは首を傾げている。
ダヴィデアーレとマルコリリオはとっくに特集番組へと視線を戻していた。
既に画面はウェスギニー領にある工場ではなく、ヴェラストール要塞が映っている。そこには女性の現地リポーターがいた。
『こちらはヴェラストール要塞、ここから一望できる景色は圧巻です。監視員をしている方々にお話を伺ってみましょう。・・・アレナフィルちゃんは誘拐される前日にここを訪れたそうですね?』
『ええ、とても可愛らしいお嬢さんで私共とお喋りしていきました。一緒にいた少年達の一人が王子様だったとは、気づかずにいた失礼を申し訳なく思うばかりです』
屋上にある監視員達の休憩スペースは綺麗に片づけられている。あの時はよれよれの作業服を着崩した気のいいおっさん達が、今やぱりっとアイロンが掛けられた作業服を纏っていた。顔つきもしっかりしていて、できる男といった雰囲気が漂っている。
棚に並べられているヴェラストール地方の土産物が存在感を放っていた。
『こちらでチョコレートを味見したアレナフィルちゃんは、次の日、早速買いに行った後に誘拐され、車内にチョコレートを落としてしまったそうです。無抵抗に見せかけて誘拐された痕跡を残し続けたアレナフィルちゃん。実はかなり賢いのではと言われていますが、どう思いましたか?』
『あんな人懐こくて無邪気なお嬢さんを殺そうなんて人間のやることじゃありません。救出されて本当に良かったです。賢いだけじゃなく、やんちゃないたずらっ子でしたね』
きりっとした顔で受け答えしている監視員に、あのだらけていた様子は影も形もない。
『初代ヴェラストール旗を見ながら当時のエピソードを語り合っていたエインレイド王子殿下方ですが、アレナフィルちゃんも女騎士の恰好をしてみたり、望遠鏡をのぞいてみたり、この屋上で駆けまわったりしていたそうです。あまりにも気さくで誰も王子殿下やその学友の方々とは思わなかったそうですね』
『ええ。貴族の坊ちゃんとヴェラストールの誓いごっこができた小さなお嬢さん達はちょっとした記念になったことでしょう。・・・あれ程の怖い思いをしたのですから避けられても仕方ありませんが、アレナフィルお嬢さんがこのヴェラストールを嫌いにならないでほしいと願わずにはいられません』
そこで映し出された画像には、右下にタイトルの文字がしっかり出ていた。
画像では黒髪姿のアレナフィルがダークグリーンのドレス姿で笑顔を見せているが、他の少年達や観光客達の顔にはぼかし加工が入っている。
『ヴェラストールの誓いごっこをする女騎士のアレナフィルちゃん』
『ホットワインを飲みたいと駄々をこねたところを友達に抱えられてその場から連れていかれるアレナフィルちゃん』
『ヴェラストール要塞の壁を足蹴りしているところを王子殿下に見られたアレナフィルちゃん』
『食べかけのスナックを友達に押しつけるアレナフィルちゃん』
『望遠鏡のある6階段上のステージまで一気に跳びあがるアレナフィルちゃん』
『あまりにもイタズラが過ぎて小脇に抱えられ、強制退場させられるアレナフィルちゃん』
どれもアレナフィルは生き生きとした表情だ。少年達の顔はダークなスモーク加工されている為、髪の色も分からない。
少年メンバーに一人だけ少女が混じっていると聞けば不純異性交遊を想起してしまうが、どう見ても画面の中の子爵家令嬢はただのやんちゃ坊主だった。
その画像を見ていたアレナフィルは、ぼそっと呟く。
「ひどい。まるで私がとても困った子だよ。肖像権はどこに行ったの。どうしてみんなの顔は隠されてるの」
「仕方ないのよ。あなた達、あちこちで目立ってきたでしょう? かえって一般人が隠し撮りしてしまったフォトが出回るよりマシだもの。だからアレルが女騎士の方の画像を出したのよ」
救出時のインパクトが強いアレナフィルは、キセラ学校長の言葉も影響し、勉強のできる控えめな優等生といったイメージだった。
しかしこの特集番組で元気溌剌、活発なイメージに変化しただろう。
「それならもっと私がお嬢様っぽくしているものがあってもいいと思うんです」
「大丈夫よ、アレル。望遠鏡のあるステージから階段を使わず飛び降りてる時点で、あなたの敵は少し減ったわ。普通の令嬢は好意のある殿方の前ではしないから」
むむっと考えた様子のアレナフィルは、それならいいかと思ったようだ。そして次の不満に移る。
「お母さん。だけど私一人だけお顔公開なんてひどいです。ローゼンお兄さんだって私を抱えてるくせして、顔や体格はスモークです」
「どの貴族も使用人無しには生活できないわ。今後あなたに危害を加えようとする令嬢がいても、あなたの顔に見覚えのある使用人が必死で止める為の布石よ」
「だけどなんか、漠然と利用されてる気がするんです」
「ヴェラストールの観光収入アップは確実ね。ホロウ社からはチョコレート一年分が贈られるそうよ。売り上げが一気に跳ね上がったらしいの」
「喜べばいいのか、世間の人達のたくましさに悲しめばいいのか分かりません」
しゅんっとしてしまったアレナフィルだが、ヴェラストール地方もイメージダウンを避ける為に必死だ。
夜の外出でも安心安全という治安の良さを誇っていたヴェラストールである。白昼堂々、誘拐が行われるような地域という烙印は避けたいだろう。
これはヴェラストールがどうこうではなく、王子やアレナフィルに関係するトラブルであることを強調したい。
だから特集番組を立ち上げ、ヴェラストール要塞に取り付けられている映りの悪い監視映像ではなく、こちらが録画していたものを借りに来たのである。
(王子がヴェラストールの誓いを立てるシーンが流出しては困る。王子が入学早々女の子に夢中だというイメージも論外。だが、思ったより前子爵夫人は血が繋がってないアレナフィルを可愛がっているようだ)
視覚によるイメージはとても雄弁だ。
お遊びにしても王子エインレイドにヴェラストールの誓いを立てた才媛令嬢がかなりのおてんば娘となれば、人はどう思うだろう。
少年少女の淡い恋ではなく、あくまで王子と優秀な貴族令嬢。それでも好きにはっちゃけている貴族令嬢の姿に、王子が女性蔑視するタイプではないと分かる。
その微笑ましいイメージが今後エインレイドの報道が行われる度に思い起こされるに違いない。
スクリーンはどこまでもアレナフィル特集だ。
『そして誘拐前日の夜には、アレナフィルちゃん達はヴェラストール動物園に行ったことが確認されています。昼間の男の子みたいな恰好から一転、夜のアレナフィルちゃんは黄緑色のスカート姿でとても可愛らしかったようです』
そこで映し出されたのはヴェラストール駅の看板を背景に、制服姿の車掌とアニマルパジャマ姿の五人がいる画像だった。少年達にはスモークが入っていて、顔が分かるのは車掌とウサギパジャマなアレナフィルだけだ。
『あら、失礼しました。間違えてヴェラストール駅到着時の画像が出てしまいました。エインレイド王子殿下のおしのび旅行、こういった変装をしていらしたようです。車掌も記念フォトに参加したそうですが、とても貴重な一枚だと言えるでしょう。尚、エインレイド王子殿下がどのアニマル着ぐるみなのかは秘密とさせていただきます』
どう見てもわざとだった。駅構内だからこの画像だけではどの時間帯かも分からない。
ああと、呻くような声を漏らしてベリザディーノが片手で目を覆う。
「ちょっと待ってくれ。あれじゃ僕達、アニマル着ぐるみで特急列車に乗ってきたみたいじゃないか? どんな変人チームだよ」
「言える。顔が出てないのが救いかもしれないけど、うちの親もさすがに見てるんじゃないかな。どうしよう、ダヴィ」
「パジャマだと言えばいいもんじゃないと思うが、着ぐるみ仮装とどっちがマシなんだ? 今までやっかまれていたのが、一気に全国公開赤恥フォトときた。どうせ身内にはばれないと思っていたのに」
「ちょっと待ってよ。一番の被害者私だよ? みんなは顔出てないじゃないっ」
「顔は出てなくても体格を照らし合わせれば意味ないよ、アレル。それにアレルは女の子だから可愛いだけじゃないか。僕、あの中の誰が僕なのかって全国的なクイズ問題になりそうなんだけど。牛さん王子だなんてみんなに笑われちゃうのかな」
誰もが二度、いや、三度は見直す時間をおいて、画像が切り替わる。夜、動物園の看板を見ながら相談している少年少女達の画像に。
やはり少年達の顔はスモーク加工で分からなくされている為、誰もが記憶するのはぼんやりと黄緑色に光る上着を羽織っている少女一人だろう。
黒いズボンは夜の闇に溶け込んでいて分かりにくかった。だから現地リポーターもチュニックをスカートだと勘違いしたのか。
花模様の刺繍がされた黄緑色の膝丈チュニック。太もも丈、肘丈と、同じデザインで重ねられた二重マント。反射材が縫い込まれている為、ぼんやりと光る上着が少女をまるで主役のように引き立てている。
『これがヴェラストール動物園のマップ看板を見ているアレナフィルちゃん達です。おしのび旅行の為、アレナフィルちゃん以外のお顔は全て隠させていただきます。・・・このおしのび旅行ではアレナフィルちゃんの名誉を重んじ、王子殿下達には複数の護衛が映像記録を撮りながら監視し、夜は違う建物で宿泊、お目付け役の女性がアレナフィルちゃんと同じ部屋で休み、王子殿下達少年グループには廊下及び窓の外に一晩中の見張りがあったとのことです。そこまでしなくても部屋が別ならいいのではないかと私は考えてしまいますが、エインレイド王子殿下はトフィナーデ王女殿下に令嬢の名誉について相談なさった上でそれを決められたそうです』
一緒にいる大公妃などの顔もスモーク加工で隠されているが、大人の女性や護衛が同行している上、アレナフィルも少年達とべたべた触れ合うようなことはしていないと分かる。
「知らなかった。僕はいつ姉上に相談したんだろう」
「私の名誉を重んじてくれるなら、もっとお嬢様な画像が出てきたんじゃないかな」
「ほほ。微妙に貴族令嬢として嫉妬しにくい線上ってことですわ。レイドの前でドレスアップしたい令嬢は多くても、女騎士やウサギさんになりたい令嬢はいないでしょうね」
「なんてこった。うちでは父に人気なウサギさんパジャマも、世間ではなりたくない扱い。大人ウケはいいのに」
とほほとアレナフィルが項垂れた。
画面では幾つかのフォトが映り、それぞれ画面下に説明文が表示される。
『ベンチの上で腹ばいになり、寝ているペンギンごっこをするアレナフィルちゃん』
『誘導用鉄柵の上でモンキー座りして、考えるサルするアレナフィルちゃん』
『考えるサルなアレナフィルちゃんを抱えてどかし、移動する少年達』
『鉄柵の上を片足立ちしてステップ移動するアレナフィルちゃん』
そこにいるのは貴族令嬢ではなく、ただのいたずら小僧だった。
(もしこれが普通の貴族令嬢ならば、すぐに救出されたとしても大きな引け目となり、公の場から姿を消しただろう。貴族令嬢にとって誘拐とは傷でしかない。・・・こいつの場合は戦績らしいが)
片足ステップで移動している少女は、落ちたりしないかとハラハラしている少年達がいざという時には掴まることができるようにと手を高く掲げていても、大丈夫だよとフォトの中で笑っている。
その逆光でアレナフィルが黒いタイツもしくはズボンを穿いているのだと分かるようになっていた。
『この後、エインレイド王子殿下とそのお友達は宿泊先に戻った後、ゴーストムービーを朝まで見ながら肝試しで怖い話を披露しあっていたそうです。そして別館にいたアレナフィルちゃんはお目付け役女性と早めに就寝した為、次の日の朝はアレナフィルちゃんだけが元気に早起きしていたという流れでした。・・・そうして、あの事件が起きたのです』
夜の画像から一転、朝の映像へと切り替わる。
朝の光が地上を照らし、そこで両手を広げてくるくると舞っている少女は、茶や緑、黒や赤といった色糸が模様として織り込まれた青い生地で作られたワンピースドレスを着ていた。白いレースやフリルがアクセントとなっている。頭の天辺には青いリボンが結ばれていて、白い毛糸でざっくりと編んだケープが軽やかだ。
誰もがあの救出時のアレナフィルの服装だと気づいたに違いない。
今までのは静止画像だったが、今回は動いている映像だった。
――― で、どこに行こうとしてるんです?
――― ちょっとうちのアパートメントに行って戻ってきます。みんなはまだお寝坊さんなのです。
――― ああ。かなり遅くまで騒いでましたからね。昼過ぎまで起きてこないと思いますよ。
――― なんということでしょう。そういう時は大人として、早く寝るように諭すものですよ。
――― 生活指導は請け負ってません。とりあえず一人で行くのは危ないからやめなさい。すぐに外出報告してくるから待ってること。
――― 平気です。それでは行ってきまーすっ。
白いケープと青いスカートを翻して駆けていくアレナフィルの後ろ姿は、どこまでもイノシシ娘の爆走である。
私の声は加工され、姿も出ないようにされていた。
その後、アレナフィルが訪れた店の店員が次から次へと映し出される。
『はい。こちらではミンシェク地方の工芸品をお買い上げいただきました。家内安全を願う意味がありまして、その説明にご興味をお持ちになり、普段使いの食器の色合いなどとも組み合わせをお考えになってお選びになりました。・・・あまりにも可愛いお嬢さんだったのでよく覚えていたと思ったら、いきなりのあの事件です。嘘ではないかと驚きました』
『当店では筆記用具のアシストグッズをお買い上げいただきました。いつも書類仕事をなさっておられるお祖父様と叔父様とに使ってもらいたいということで、当店でも手の大きさ的に近いと思われる男性店員が接客に当たりました。少しでも疲れがたまらないようにしてあげたいのだと言っていらしたお嬢様が・・・・・・。あまりにもむごいことだとこちらも胸が潰れる思いです』
『契約菜園のハーブティーを二十種類近く特大サイズ缶でお求めになりました。新鮮さでは自信がございます。お嬢様は仕事で疲れている家族や仲のいいお友達に美味しく淹れてあげたいのだと、淹れ方講習にも参加なさり、茶器も専門の道具と通常のティーポットとの違いとを確かめられた上で、専門道具をお買い求めになりました。・・・当店でも朝から皆で説明させていただいたと思えば、昼にもならぬ内にあの地揺れです。あまりの手際よく行われた凶悪犯罪にこちらも驚いております』
『外国の調味料を沢山もらったのでと、小皿を幾つか深さや大きさを確かめた上でお買い上げいただきました。当店の小皿は四種類ずつを入れることができ、十五枚重ねてもぐらつきません。四種類それぞれの色が違っているのがソースを間違えないからと、目に留めていただいたようです。・・・いずれ年を取ったら目がかすみがちになるから鮮やかな色と形のものがいいのだと、そんなことを話していた家族思いの優しいお嬢さんが、まさかあんな事件に巻き込まれるとは思いもしませんでした』
『ええ。可愛いお嬢さんには渋すぎるのではないかと思いましたが、仕事で不在がちなお父様と、いつも可愛がってくださる叔父様とにプレゼントしたいのだと、シックな柄のものを選んでいかれました。きっと落ち着いた趣味のお父様と叔父様なのでしょう。・・・まさか、それなのにあんな事件でなんて・・・。ご家族の方々も胸が潰れる思いでおいででしょうに』
『当店ではシルクの組紐をお買い上げいただきました。お嬢さんには可愛い色合いがいいのではないかと思いましたが、どうやら家族への贈り物だったようです。大好きな家族だからと恥じらう笑顔が可愛いお嬢さんでした。・・・それだけに昼の臨時ニュースであの映像を見て、よく似た別人ではないかと何度も見直しました』
『はい。こちらのヴェラストール料理では隠し味としてよく使われております。と申しましても、狩りで仕留めた肉の臭みを消す為に使われているせいか、当店に買いに来られるのは料理店関係の方が多いのですが・・・。ええ、ヴェラストールの鳥獣肉関係店から秋に取り寄せることになったからと、まとめて二十本程をご注文いただきました。あの事件のニュースで貴族のお嬢様と知り、こちらもどうしてあんな可愛いお嬢さんが狙われたのだろうと困惑しています』
『こちらのポットコーナーでは気密性の高い缶を扱っております。とても美味しいハーブティーを買ったので小分け用にと百個以上をまとめ買いされましたので、倉庫から直接配送させるように手配いたしました。当店の缶は、名前や使用方法を書いた紙を挟めるようになっていて、その使い勝手を評価してくださったようです。・・・一人でそんなに買うなんてと驚きましたが、一緒に来たお友達が寝坊している隙に買いに来たから早く帰らなくちゃと笑っていらっしゃいましたね』
『ご家族での記念品となるようなものをと、特別注文を頂きました。手頃な価格とはいえ、こちらもジュエリー製品です。おうちの方が同伴していなくてはと思いましたが、なんでも記念品を自分の力で購入したいからと、いい所のお嬢さんなのにバイトをしてその貯めたお金で買いに来たということでしたので受注いたしました。・・・朝、こちらでデザインなども決めて作業に取り掛かったと思ったら、その朝の内に殺されそうになっていたと知り、嘘ではないかと驚きました。犯人は人間じゃありません』
『観光でヴェラストール要塞に行ったら、とても美味しかったからとチョコレートを買いにいらしたお嬢さんですね。ホロウ社が幾つもの種類を出していると知り、どれが一番美味しいかと聞いて、食べやすそうなスティックチョコレートを買っていただきました』
どれだけ買い回ったのだと改めて言いたくなる数だ。
クラブメンバーの少年達もアレナフィルの買い物に心が後退りしたのか、虚しい眼差しである。
「ねえ、アレル。だからあの買い物量なんだなって分かるけど、そこまで缶とか買う必要あったの? 百個以上って本当に使うの?」
「勿論ですよ、レイド。だってハーブティーだけで十五種類は買ったわけで、祖母にも小分けして渡しますし、うちやマー・・・ヴィーリン夫人にだって渡すわけです。みんなだって気に入りのお茶をおうちで飲む時用に小分けしたらすぐに百ぐらい行きますよ。あの小分け用の缶、簡易な脱気もできるんです。でもってあのハーブティーが美味しいのって、低温乾燥させているからなんです。なるべく品質低下を招きたくない私は味と費用を重視します。乾燥した冷蔵庫とかで保管した方がいいでしょうね。クラブルームはそれで一つ使えるからいいですけど」
そして美味しいブレンド配合にしても自分の舌で確認しておいた方が新鮮なハーブをお茶にする時にも参考になるのだと、アレナフィルが独壇場している。
「それはいいけど、ハーブティーってここで買わなくても良かったんじゃない?」
「動物園で美味しかったからどこのハーブティーか聞いてみたんですよ。で、お店でファリエよりもかなり安いなと思ったら、品種改良に補助金も出ている農園らしいんです。ヴェラストール地方、経済が回るように連携しているみたいですね。マーケットでも思いましたが、地元メーカーをかなり保護しているようですよ」
「そうだったんだ。全然気づかなかった」
「そんなの大人になってからで構わないんです、レイド。だけど多分、ディーノが詳しいと思うから戻ったら調べてもらってもいいかもしれないですね」
「勝手に僕の名前で約束しないでくれ、アレル。帰ったら秘書してる人に聞いてみるが」
「ん。何なら自由研究ってことで発表してもいいかもね。なんかクラブの発表会が恒例になりかけてるから。あ、そっか。次の発表会、ハーブティー特集すればいいんだ」
私は知っていた。あの小分け用の缶を厨房で洗浄してもらい、とっくにアレナフィルが小分けしていたことを。調理人や侍女達は味を確かめながら、アレナフィルが教わってきたコツを聞き、既存の茶葉とブレンドする割合などについてもメモしていたらしい。
アレナフィルが大公邸の調理人達に試飲させたのは、食欲がない時に消化を良くしたり、悩みがある時に心を穏やかにさせたりするハーブティーがメインだ。どう考えても大公妃がターゲットである。
報告を受けたミディタル大公妃は、息子よりも自分の方がアレナフィルに好かれているとご機嫌だった。
なんでここまで取り入る人間を選びやがるのか、この悪ガキ娘。
「だけどアレル、あそこまで一気に買ったなんて凄いね。僕、何かとダヴィと買い物行くけど、あんなにばばばばって買えないもん。ね、ダヴィ?」
「ああ。欲しいものがある時はまず家人に尋ねてからだ。アレルの買い物は勢いがありすぎてたまに感動する」
「私だって普段のお買い物は保護者同伴だよ? 大切なのはね、今回は大人の目がない状態で買い物できたこと。黒い毛皮は買えなくても、深みのあるダークな色合いのベッド用シーツ。高いだけあって、肌の色が引き立てられる細やかな織りが立体感を感じさせる。きっと色気たっぷりなフォトが撮れる筈なの」
やっぱり諦めてなかったのか。
なんでこんなクソガキに傾倒しやがった、グラスフォリオン。
「おいコラ、そこのビーバー。そのカバーとやらはお父上や叔父君へのプレゼントじゃなかったのか?」
「そーゆーことにしただけ。大切なのはお店の記憶に残る買い物をすることと、私が欲しいものを手に入れることだったんだよ。だってさすがにベッドルームでの半裸フォトなんて恥ずかしくて父や叔父におねだりできない。だけどあのお兄様方なら寝ぼけている時に飲み物や食べ物で釣れば結構いける筈なの」
「全国放送された時点で子爵家もその縁戚も使用人達も見てるってことを考えろ。どの店もアレルが買った物をさりげなく広げてたじゃないか。もう買ったとばれているのにプレゼントされなかったらその方がおかしいだろ。その煩悩は諦めろ」
「大丈夫。うちの家族忙しいから見てないきっと」
「そんな愚かな願望が叶う世界なら誰も苦労しないっつーの」
言うべきところを言えるベリザディーノはとても見どころがある。アレナフィルにはまっている我が家の愚弟より遥かに立派だ。
『アレナフィルちゃんも家族へのお土産に気合いが入っていたようです。これだけの買い物を一人で朝の内に済ませたアレナフィルちゃん。この後、アレナフィルちゃんは誘拐され、閉じこめられた建物で爆発火災が起きるわけですが、それはまだ昼前でした。手際のよい誘拐と躊躇いのない殺害未遂に、荒っぽい行為に慣れた様子が窺えます。誘拐に使われた移動車及び別荘の所有者達も、自分達は無関係で勝手に使われたと話しているようですが、真相は判明していません』
全焼した建物が映し出される。私有地なので道路から見えるところまでだ。
そして先程までの現地リポーターから違う女性リポーターへと変わったらしい。
いきなり歴史のありそうな大きな絵画を背景にした広間へと場所が移った。そこでは年配の男性と、中年の女性リポーターが椅子に腰かけている。
『ここからはヴェラストール博物館からお送りいたします。・・・それでは館長、今までの映像を一緒にご覧いただきましたが、どうお感じになりましたか?』
『この治安のよいヴェラストールで恐ろしい事件が起きたことに動揺しております。今回、エインレイド王子殿下はお友達と初めてのグループ旅行にヴェラストールを選んでくださいました。ヴェラストールの民として嬉しく思っておりましたが、あの元気なお嬢さんがこんな恐ろしい目に遭ったことに恐怖すら抱いております』
少年少女達の眼差しが、どこか空虚なものになっていた。
昨日、訪れた場所だからだろう。大人なんてもう信じないって顔になっていた。
『館長はエインレイド王子殿下やアレナフィルちゃんとご面識が?』
『そこは沈黙しておきましょう。殿下にもプライバシーは必要です。ですが、アレナフィル嬢とはいずれまたゆっくりと語り合ってみたいものです。サルートス上等学校長は良い教育者のようですな』
『・・・どうやら既に王子殿下方はヴェラストール博物館にも訪れていらした様子ですが、沈黙なさるという館長のご意見を尊重してそのことはお尋ねしないことにいたしましょう。実はアレナフィルちゃんを気に入っていますね、館長?』
あのふざけた変装画像は出さないようだ。きっと博物館長にとってこっそり楽しむものになったのだろう。
どこかいたずらっぽく女性リポーターが尋ねた。
『はは。気に入っているというのならフォーラレイト家当主でしょう。アレナフィル嬢はなかなかしっかりした女の子だと褒めておられた』
『フォーラレイト家と言えば白の騎士の末裔とされる名家ですね。ご当主は滅多にお会いできない方だと聞いたことがあります』
どこかの城と、年老いて尚矍鑠とした老人の弓矢を構えた後ろ姿が画面いっぱいに映し出される。
さりげなく右下に所在地が明記されていた。夏シーズンだけ観光客を受け入れているようだ。
『フォーラレイト卿は礼儀知らずな人間がお嫌いですからな。可愛いお嬢さんと仲良くなったんだぞと自慢されておりましたが、この番組を見ていたなら私の方がリードしたと宣言しておかねばなりますまい』
なるほど、フォーラレイト家当主と友人だったわけだ。王族相手に親しいだの何だのと言い始めたら厄介なことになるが、学業において優秀だと太鼓判を押された子爵家の娘であれば全く問題はない。
幼年学校時代にあのような判例集に目を通して使用人にも公平に審判を下し、上等学校入学後に全ての学年を履修し終えた才媛相手であれば、彼等の名声にも傷はつかない。
一番仲良しなボーイフレンドは外国人の学者で文通していると言われた子爵家令嬢も、祖父母と同世代の当主や館長と仲良くなったと言われて損するものはなかった。
同世代の貴族令息令嬢達と社交の一つもしていない欠陥子爵家令嬢だが、二つ前世代と仲良くやっているのであれば、また違う立場を確立できるだろう。親世代でも頭が上がらない世代なのだから。
(この件、貴族も割れるな。どちらの数が多いか、そして誰を擁するかだ)
ヴェラストールの主要な観光地は、かつてのヴェラストール領主の末裔が責任者となっている。
複数の貴族達に広間などの貸し出しで便宜を図った手前、ヴェラストール城は沈黙しているが、それは仕方がなかった。今、何も言えまい。なぜなら大空に広がるゴースト映像が流れた後だ。
不自然に触れないことで、あのゴースト騒動も王子に関係していたのではないかと推測している者も多いだろう。
何もなければ誰もが敵を作らず、穏やかに交流を育む貴族社会。今は次の国王となる王子は誰なのか、そして妃に選ばれるのはどこの令嬢なのかと、皆が注目している。
それなのにアレナフィルの事件で高位貴族の横暴と癒着はリミッターを外したとされてしまった。そうなれば穏やかに頭を垂れていた低位貴族も牙を剥き、糾弾に入る。
今までは子爵家にすぎないのに王子に近づきすぎたペナルティだと圧力に耐えていたウェスギニー家も、娘を惨殺されそうになった以上は反撃に出る筈だ。
ヴェラストール博物館長とフォーラレイト家はウェスギニー子爵家を支持すると、さりげなく表明したのである。どちらも権力はない。だが、名声はある。
そして高位、中位の貴族であっても、こんなアレナフィルの映像を見てしまったなら義憤で味方する者も出てくるに違いない。
それ以前に国王とミディタル大公がアレナフィルに興味を持ち、更に王妃とミディタル大公妃がアレナフィルを可愛がっている時点で結果は見えているのだが。
伯爵家に降嫁した王女トフィナーデによってひっくり返されることもあるかもしれないが、王子エインレイドが何かと遊びに行っている筈なのでアレナフィルに敵意を持っていたならとっくにその影響が出ているだろう。
「なんかアレル、僕達かなり利用されてない?」
「ですね。広告協力費用をもらってもいいような気がします」
第二王子と子爵家令嬢はむむむむっと顔を顰めている。
フォーラレイトの城やヴェラストールの博物館案内があまりにも分かりやすく紹介されていたからだろう。
来週の休日には、ヴェラストールも観光客で賑わうのかもしれなかった。




