50 ご機嫌取りはプレゼントで
ミディタル大公家のヴェラストール別邸。動物園から戻った私達にはホットミルクが出された。とっても健康的。
リビングルームで明日の計画を立ててる私達。とっても真面目。
「明日は朝ご飯を食べたら、パン捏ね機を見せてもらって、その後は博物館か動物園に行って、雑貨屋さんも巡る。そして戻ったらパンを好きな形に成形させてもらうと。おお、完璧」
「そうだね。まさか初日でお城行って、要塞行って、動物園まで行くとは思わなかった。明日、寝坊しなければいいけど。ディーノ、ちゃんと起こしてよ」
「ごめん。僕も寝坊するかもしれない。早起きできる自信がない」
「その時はみんなでお寝坊さんすればいいんだよ。だって私達、一度はヴェラストール来ちゃったんだもん。つまりこれからはどんな休曜日でも前日に列車乗って、帰りに夜行列車乗れば、どこまでも観光できるってことでしょ。一度ですませなきゃいけない外国じゃないんだし、また来ればいいよ。それにレイドとディーノが寝坊するならダヴィとリオも寝坊すると思うな」
私は正しく四人の状況を見抜いていた。ダヴィデアーレもさっきから生あくびが凄い。マルコリリオがカップを渡したり、上着を預かったり、ちょこちょこ面倒をみていた。
「それは言える。だって昼寝したのアレルだけだろ。つまり元気なのはアレルだけじゃないか」
「でもそう言ってもらえたらちょっと気が楽だよね。僕も明日、ちゃんと起きることできるか自信なかったし」
思えば夜行列車で到着して、まだ初日。子供は無理をするとすぐに体調を崩してしまうから無理は禁物だ。
「じゃあ、明日はお寝坊日にしようよ。出かけるのは昼過ぎでもいいじゃない。午前中はお喋りして、午後からぶらぶらお店を回ってもいいしね。勿論、動物園でもいいけど」
こんな時、本来は夜遅くまでみんなで騒いでいるんだろうけど、そんな根性もないらしい。
「ああ。とりあえずもう休もう。行こうぜ、レイド。あ、大公妃様、おやすみなさい」
「おやすみなさい、トレンフィエラ様」
「それでは失礼いたします。おやすみなさい、大公妃様」
「お、おやすみなさいませっ」
「四人共よく休んでね。ちゃんとシャワー浴びるのよ。おやすみなさい、いい夢を」
四人が部屋に行ってしまうと、大公妃は私に向かって微笑んだ。
「じゃあアレルもシャワー浴びて寝ましょうね」
「それなんですけど、よかったら私、あっちの本館で泊まってもいいですか? 大公妃様、立場的に私の見張りしておかないといけないんでしょう? エインレイド様と私との間に何もなかったって保証の為に。だけどいる棟が違えば大丈夫ですよね? 本当はお仕事が残ってるんじゃないですか?」
「・・・本当にアレルは賢いわね。いいのかしら?」
「はい。みんな明日はお寝坊さんです。どうせ私が起こすからいなかったことにも気づかれません」
「話が早くて助かるわ」
「はい」
明日の着替え等を持って本館へと行けば、2階にある客室へと案内される。そこに荷物を置いた後、私はてくてくと大公妃の後についていった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
やっぱりと思ったけれど、大公妃も私達を預かることで報告義務があったようだ。
「妃殿下。あちらでお休みになる筈では・・・」
「アレルがこっちで眠ってくれるというから連れてきたのよ。もう報告はしたの?」
「いえ。これから作成し、提出するところでした」
「そうなのね。いいわ、私もまとめてサインするから」
さすがは大公妃の貫禄。なんとなくそんな気はしていたけど、警護記録は当日中に出されるらしい。
そこには私が囮にした四人だけじゃなく、他にも色々な服装の男の人達がいた。一般人を装って護衛してくれていたんだね。
「おじゃまします。私はここにいるので大事なエインレイド様を襲ったりしないから大丈夫です。というわけで私のことはお気になさらずお仕事してください。あ、通話通信装置をお借りします」
「あ、あの、妃殿下。令嬢をこんな所に連れてきては・・・」
「寝室で私が見張っているより確実じゃない。それより報告書はどこまでできたの?」
ウェスギニー子爵邸に通話通信入れたら叔父が出た。
「ジェ・・・えっと、叔父様」
『どうしたのかな、フィル。こんな夜更けまで起きてるのかい? よそでお寝坊さんしちゃうぞ?』
「お昼寝したから大丈夫。えっとね、みんなはもう寝ちゃったの。だけどフィ・・・私は大公妃様のお仕事見に来たの。大公妃様、私が不純異性交遊しなかった証拠で一緒に寝てくれるんだけど、どうせまだ眠くないからお仕事場に行けばいいかなって。お父様とニシナさん、いる?」
『兄上ならまだ帰ってこないね。ニシナ殿なら今はランニング中だ』
「ニシナさん、とっても勝手な人だけど大丈夫? 我慢しない人だし、大変じゃない?」
『そうなのかい? 父上と仲良くやってるよ。クラセン殿を通訳にして父上と会話しながら、その内容をサルートス語で反復練習して学習中だ。外国慣れしてるのか、国別ブラックジョークで盛り上がってるね。クラセン殿が、これなら一ヶ月でサルートス語日常会話マスターするんじゃないかと言っていた』
「・・・そうだった。あの人、性格破綻者だけど頭はいいんだった」
悲しすぎる。こうやって天才は凡人に圧倒的な差をつけていくんだよ。所詮、私の成績の良さなんてあの人達に叩き込まれた残りかす。追いつける筈がないんだよ。
「あ、そうそう。ユウト殿から文書通信がきているよ。一枚目はファレンディア語で、二枚目はサルートス語の翻訳付きだった。どうやら幾つか質問事項があるようだ。そちらに転送するかい?』
「あ、お願い。・・・えっと、大公妃様。こっちに文書通信送ってほしいんですけど、アドレス教えていただいてもいいですか?」
「いいわよ。そこの壁に貼ってあるアドレスの内、右側の一番上を使えばここの部屋で受け取れるわ」
「ありがとうございます。・・・じゃあ、送ってもらってもいい? 今からアドレス言うね」
叔父はすぐに送ってくれたので、そのまま会話を続ければ、どうやら祖母はあのヴェラストール城のゴーストが私の仕業と知って寝込んでしまったそうだ。
「どうしよう。お祖父様、怒ってる?」
『いや、ニシナ殿がうちでも再現してくれたからね。状況さえ正しく把握してしまえば、父上だって怒らないさ。どちらかというと兄上のやったことに頭を抱えていたよ。フィル、兄上から特別許可をもらってたんだって?』
「あ、そうなの。あのね、念の為にってくれてたの。だからいいかなって」
『ニシナ殿が、改良点なども話し合いたいからレポート出させなくてはと言ってたよ。それから兄上がニシナさんにあの家で下宿しないかと持ちかけて、彼が了承してしまったんだ。それはいいんだが、ユウト殿がそれを察していたようでね』
「ええっ? どうしてばれちゃったのっ!?」
まずい。ウェスギニー家と関係ない他人が私と同居と知ってしまったなんて。
優斗が暴走しかねないんだけど、どうすればいいの。
『どうやらニシナ殿がいなくなってたかららしいよ。彼の直売店も閉まってたから、こっちに来ていないかと、問い合わせが来ている。会わせちゃいけないという話だったが、どうするんだい?』
良かった。同居予定は知られていない。
だけど近所に住むなら結局同じ気がする。
「ユウトが喧嘩を売ることはないと思うんだけど、なんか拗ねそうな気がする。ニシナさんはあそこの製品見せなければ大丈夫」
『そうだね。こちらも文書でフィルは旅行中だから戻ったら連絡を入れさせると返事を入れておいたから、戻ってきたら自分でどうにかしなさい』
「はい。・・・あ、そうそう。そういえばね、ここ、リオンお兄さんのお兄さんがいたんだよ。色合いは似てるけど顔は似てないの。ついでに性格も似てなかった。普通は二番目の子って要領がいいのに、全然冗談が通じないんだよ。生まれてくる順番間違えてるよ。真面目で堅苦しいのは一番目の子でいいのに」
何故だろう。冷気がどこからか漂ってきて、室温が少し下がった気がした。
『え? ああ、そうなると次男のローゼンゴット殿だね。まさかと思うけど浮気してないね、フィル?』
「してないよ。やっぱりお父様と叔父様が一番素敵。男は包容力なの。そういう意味で一番大公妃様が魅力的。ほかの人と違ってちょっとした冗談でピリピリしないし、周囲をよく見てるから多少のことでおたおたしないし」
何故だろう。なんかネトシル少尉のお兄さんから、恨みがましい視線が撃ち込まれた気がした。
これは私の危機だ。
「あ、そうそう、大公妃様からとっても可愛いお洋服ももらっちゃったんだよ。刺繍って後からしてもらわなくちゃいけないし、布の再利用が面倒だから今まで考えなかったけど、ちょっと考え直しちゃったぐらいに可愛いんだよ。でね、本題なんだけど、こっちにあるおうちの下のお部屋、入る方法ある? いざという時はホテルに泊まればいいやって思ってたし、慌てて来ちゃったからおうちの鍵を持ってこなかったの」
『フィル・・・? ・・・・・・そうだね、1階の1号室はフィル達の誕生日を4桁、それから兄上のイニシャル1文字、もう一度フィル達の誕生日4桁だ。だけどあそこは物置部屋だよ。勿論、寝泊まりできるけどね』
「ありがとう、叔父様。今日のお買い物で荷物沢山になったから置いておく場所が必要だったの。どうせまた来るもん。じゃあ、これね、明日にでもお返事書いたらそっちに送信するから、ユウトに送ってもらってもいい?」
『勿論だよ。・・・フィル、何か手伝ってほしいことはあるかな? 言えないことがあるならファレンディア語で言いなさい。クラセン殿に翻訳してもらうよ』
ああ、やっぱり好き。私に向けてくる言葉の裏で、いつも本当の愛を伝えてくるから。
口先だけの軽薄な愛の言葉なんて価値はないの。真実の愛の言葉こそ、女の子の心に響くのよ。
「えっと、大丈夫。だけど叔父様、帰ったらお昼もデートしてほしいな。やっぱり叔父様とのデートが一番素敵。男の子にロマンチックは無理だった。ついでにニシナさん、気をつけておいてもらってもいーい? あの人、あちこちで女の人に惚れられちゃう人なの。それでいて本人は平気で使い捨てちゃう。たしか昔、数十人がかりで襲われたことあるんだけど、それってとあるお金持ちの女の人がその人達を雇ったんだったけど、それで大怪我してくれれば自分が看病でも何でもして一人占めできるって思ったからなんだよ。そういう人なの」
『ああ、道理で。うちのメイド達がかなり熱を上げてるよ。だけど彼、ぴんぴんしてるね』
「うん。ニシナさん、卑怯を気にしない人。もし、厄介な女性といい雰囲気になったら私に言いつけるって囁いてね。そしたら止まる。よそで勝手に引っ掛ける分にはもう放置」
『そんなので止まるのかい?』
「多分。子供の前ではそういうところを見せない人だから多分大丈夫」
そうして通話を終えると、私は送信されてきた文書を見ながら考える。通話通信装置の近くにあった紙とペンを取り、迷わずにいられなかった。
「アレル、何かあったの?」
「あ、はい。大公様とガルディアス様の要望がおかしいらしくて・・・」
「何がおかしいの?」
大公妃は測定に参加していない。
「いえ。サルートス国及びその近辺の国の河川データ、どうやら私に与えられていた資料と、あちらが持っている資料が異なっていたようです。つまり私に渡されていた河川や水質データが間違っていたか、私に軍の情報を漏らさない為にわざと違う国のデータを近郊国としてのデータとして渡していたか、それともあちらのデータが間違っているか、ですね。
それから大公様の測定データが体格や筋肉量から考えておかしい部分が少しあるようです。恐らくお怪我なり筋をいためるなりしているのでしょうが、それは今後もこの数値なのか、それとも快復した時のデータを予測して組み立てるべきかという問い合わせです」
「そこまでチェックしてくるの? 親切なのね」
「どちらかというと警告です。勿論、部外者に手の内を見せるわけにはいかないこちらの事情も理解しますが、信頼できないと判断されかねない状況です。困りました。とりあえずガルディアス様に連絡を取りたいのですが」
「そういうことなら、違う部屋をお使いなさい。・・・あなた達は報告書を作成していてちょうだい。いらっしゃい、アレル」
「はい」
いい人だ。私がやりやすいようにと、わざわざ大公妃専用執務室を貸してくれた大公妃はいい人だ。
大公妃専用といっても装飾品など置いておらず、全て鍵付きの戸棚と鍵付きの引き出しだった。
「好きにお使いなさい。外国に国際通話通信入れても構わないわ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、先に繋いであげるわね」
「はいっ」
だけど私は言ったと思う。フォリ中尉に連絡を取りたいのだと。
ミディタル大公に取りたかったわけではない。
そりゃ怪我とかって本人に聞かないと分からないってことは分かるんだけど、分かるんだけどね、ワンクッション置きたかったんだよ。
『おっ、なんだ、怪我なんてしてたのか? どこだ?』
「えっと、左太ももと、右の上腕部です。痛みとかありませんか?」
『言われたら痛むかもしれんが、そうなのか? ならば明日にでも医師に診てもらおう』
さすがミディタル大公。そもそもが力任せに生きているから、支障が出ない限り自分の不具合にも気づかないんだね。
「えっと、それからこの河川データですが・・・」
『ああ、フォーストン国のデータも混ぜてあったのだ。困ったな。フォーストンはファレンディアと取引があるだろう?』
「はい。だから隠したのですか?」
『そういうことだ。うちから侵攻予定があると誤解されては困る』
「あそこからサルートスに納品されたなど、フォーストンにそんな情報を渡すことはありません」
『それなりの取引実績ある顧客に対し、突発的な一回きり、それもまともに金を払わぬ者の情報が伝わらぬ筈がないと思うぞ、アレナフィルちゃん』
楽しそうに笑っているが、怖いからそんなご機嫌に話さないでほしい。
「今回の納品実績は残らないから大丈夫です。つまりフォーストン国まで範囲を広げる必要があったのですね?」
『アレナフィルちゃん。まるでうちが攻めこむ予定があるかのようなことを言われるのは困ると言っている意味が分かるかい?』
それは脅迫ですか。私一人ぐらい首チョンできるって言いたいんですか。人権はどこだ。
「分かりますが・・・、その警戒前提が無効です。何故ならウミヘビは製造会社から発送されますが、納品実績にはなりません。私の婚約者が所有するものをくれるだけだからです。そして私が送ったデータは私の婚約者が一人で対応しています。外国にそんなデータが流れることはありません」
『ほう。君の三年で使い捨てる婚約者は、どういう立場なのかな?』
「製造会社経営者の息子です。彼自身、そこで働いています。つまり経営者サイドで決定することも、そして現場での細かい設定や対応もどちらもできます。だから私が送ったデータは外国に流れることはありません。彼が私的時間にやっていることですから。勿論、信用できないのであれば、そこはもう目を瞑ってこのままやりますけど」
優斗は私が絡むからやってくれているだけだ。はっきり言えば、私を騙すようなことをした時点で、あの子の心証は最悪となる。
軍事情報を流せないミディタル大公の気持ちも分かるが、あの子にとって大切なのは私だけだ。この国の事情も身分も、あの子にとっては何の価値もない。
この国で犯罪歴を優斗に付けない為に私はウミヘビを手に入れることを前面に押し出したが、無事に帰国した優斗が真面目に対応してくれているのは、私を守ることができる人間の買収みたいなものだ。私に配慮したり守護したりするのではなく利用しようと考えるだけの人間に何をくれてやる必要があると、優斗は思うだろう。
その場合、何を仕込んでくるやらだ。
『ふぅむ。・・・なるほど。それならばアレナフィルちゃん。この大陸全部に範囲を広げた河川データを分かる限り送るからそれで対応してくれ』
「・・・なんて無茶なことを。冬には水が凍る地域もあれば、常夏の地域もあるじゃないですか。細菌や生物環境もあまりに違います。それを一台で対応しようなんて無理です。夏に羽織る上着と冬の上着を一つですませるなんてできないようなものです。せめてどちらに寄せるかを決めてください」
『む。・・・仕方がない。それならばうちの二台、一つを最北、一つを最南に寄せてくれ。でもって王宮分は中央地域の北と南だな』
「そうなると四台、大公様とガルディアス様しか使えなくなりませんか? しかも城の近衛分はどうなるんでしょう? ネトシル少尉の計測分は一体・・・?」
何の為に一台は二人で共用としたのか。一台は誰もが使えるフリースペックがいいからである。誰もが体力自慢で生きているわけではない。
そして王城分を勝手にミディタル大公家分にするのは駄目だと思う。
何よりあなたはどこまで出かけていく気なのですか。協力者として子爵家の娘を共犯にさせる気ですか。その場合、権力のない子爵家の娘が責められるだけではないのですか。
『私が使えればよい。他の奴なんぞ知ったことか』
言ったよ。やっぱり言ったよ。だから虎の種の印を持つ者なんてただの迷惑身勝手人間なんだよっ。
「大公妃様ぁっ!! 大公様が無茶ばかり言いますぅっ! だからガルディアス様にしてって言ったのにぃっ!!」
『あっ、馬鹿っ! 言いつける奴があるかっ』
なんか言ってたけどもう知らない。
私は勝手にオフにするとさっきの部屋に駆け戻った。
「大公妃様ぁっ! 大公様がぁっ!! やっぱりガルディアス様にチェンジでぇっ!」
私の叫びは聞こえていたようで、ドアを開けて走りこんだ途端、抱きしめられる。
待機していたんだろうか。まさにぴったり、ジャストな位置だった。
「あの人がどんな無茶を言ったのかしら?」
「なんか疑われてたからその必要はないってことを、理由を挙げて説明したらいいように解釈するんですっ。大公様の身勝手ルールを押し通すのに私を巻きこむつもりですっ。そしたら私が恨まれますっ」
「全くあの人は・・・。いいわ、一緒に話しましょうね」
「はいっ」
だが、そこで待ったがかかった。
「アレナフィルさん。我が儘ばかり言うんじゃありません。よりによって大公殿下のお言葉に異を唱えるとは何事ですか。言われた通りにすればいいだけでしょう。別に大公殿下が命じたことなら誰も文句は言いません。そんなことも分からないのですか」
夜の動物園で護衛をしていた一人だ。だから私は両手を軽く広げて、はっと言ってみた。
この仕草はバーレンといういじめっ子講師の真似っこだ。
「これだから世間知らずな男は。物事を深く考えないんだから困っちゃいますよ」
「なんだとっ?」
私とて自分の身が可愛い。ゆえにびしっと言いきった。
「分かりました。ではそちらのお兄さん、私の行動における責任保証書にサインしなさい」
「は? なんで私がそんなのをサインしなくちゃいけないんだ」
「大公様は私に、近衛が所有する戦闘用兵器を大公家へ横流しするようにと言いました。言うまでもなく近衛の了承は得ていません。さて、ここで大公妃様に泣きついた私は悪者ですか? そして大公様の命令だから従えというお兄さんは正しいですか? それらは安くて1600ローレはいきますが、その王城納品分を横流しせよという横領罪の責任は黙って従えと言い放ったお兄さんが取ってくれるんですよね?」
※
1600ローレ=1600万円(物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として2400万円)
※
「い、いや、ちょっと待て。なんでそんな話が出てくる。そもそも君は王城にも近衛にも出入りなんてしていないし、そんなものを持ち出せるわけがないだろう」
「そういう話だからです。私はガルディアス様からの依頼で大公様のサイズを計り、発注書を書き上げました。翻訳そのものは大した手間ではありませんが、幾つか整合性が取れない箇所が出てきた為、確認していたのです。すると近衛用発注分を大公様が使えるように書き換えろと言われたわけですね。そうなるとかなり話が違ってきます。だから王城に納められる筈のものが納められず、大公家に流されるという横領の責任を取ってくれると一筆書いてくれるなら私も考えましょう。ただし私には一切の罪がなく、お兄さんがそれをかぶってくれるという話であれば」
私はとても罪のないキラキラおめめで護衛のお兄さん達を見上げた。
「ところで私、今回のエインレイド様の旅行報告で王妃様にお会いする予定があるのですが、この話をしてもいいですか? 勿論、横領罪についてお尋ねしたいなって思います」
「・・・くっ」
王弟を理由にした横領を未成年の少女に教唆する成人貴族令息。それが君の立場だ。
どうだ、分かったかという目で私は鼻を鳴らしてみせた。
勿論、私だって分かっている。こんなことで敵を増やしても意味はないってことぐらい。
だけど迷惑すぎる人間の手先になったら終わりなんだよ。そして手先にもなれないような役立たずにこの苦労が理解される日なんてこないんだよ。大切なのは誰が絶対的な味方なのかを見極めることなんだよ。
「そこまでにしなさい、アレル。あなた達も落ち着きなさい。いくらアレルに令嬢達の鼻先にほいっと追いやられたからっていじめたら可哀想でしょう」
「・・・おお。そう言えばそんなこともあったかもしれません。無事に帰れてよかったですね。てっきりどこかにお持ち帰りされたかと思ってました」
「こっ、この・・・っ」
私はつーんとそっぽを向いた。
どうせこういう手合いが私の味方になる日は来ない。だから最初から切り捨てておく。それだけだ。
「全く、もう。アレルは追撃も忘れない子なのね」
「はい。だっていじめられたらいじめ返しておかないとまたいじめられちゃいます。だから大公妃様、大公様を説得してください。大公様、自分が大暴れできたらいいって感じで後のこと考えてないです。全く帰ったらガルディアス様に文句言わないといけません」
「多分だけどガルディアスは知らなかったんじゃないかしら」
「私もそんな気がします。だけどいいんです。そしたらチョコレート二粒くらいオマケしてくれそうな気がします」
「あらあら。それが目当てなのね」
「はい。ガルディアス様はとても太っ腹なんです。この間もたくさん問題集をくれました」
改めてミディタル大公に連絡を取ってくれた大公妃だけど、こっちがわたわたしている間に、大公は近衛ではなくうちの父がもらう二台分ならいいじゃないかという結論に至っていたらしい。
『どうせウェスギニー子爵のところも似たようなことで使うであろう。ならば四台、それぞれに特化させればいいではないか。親子なんだから説得しといてくれたまえ、アレナフィルちゃん』
「うちの父はまだ今日も帰宅していないと、叔父が言っておりました。そして父は朝にならないといるかいないか分からない人なのです。そして父の所の二台の内、一台はオーバリ中尉用になっています」
『別にオーバリ中尉用ではなくフリーで誰でも使えるようにして、スペックを変えればいいだけであろう? まあ、折角計測したのだ。それも私用にしておけばよい』
さらりと言ってのけたミディタル大公。どこまでも自由すぎる。
だけど今の私には大公妃という味方がいた。
「あなた。どうしてそう子供を困らせるの。自由にしていいのは一台だけ。どうしてもと言うのならガルディアスの許可を取った上で二台までです。全く我が儘を言うんじゃありません」
『子供と言うが、そのファレンディア人を恫喝して献上させてみせた子供ではないか。結局、本来の価格は一台いくらなのだ。それならば買い取ってやるから私の取り分を増やすがいい』
言うと思ったよっ。だから優斗が経営者側って言いたくなかったんだよっ。なんで私を追い詰めてくるかなぁっ。
「大公様。私の婚約者はたしかに経営者の息子ですが、息子という名前の使用人にすぎません。彼の裁量で動かせるものは、父親である経営者にばれない程度に留めておく必要があります。あまり危ない橋を渡らせないであげてください」
『なんだと? そんな父親がいるのか? 息子を使用人扱いとは最低だな』
きっと今の言葉、フォリ中尉が大きく深く頷きそうだなって私は思った。自覚って大事だね。だけど必要な人に限って言葉は知っていても意味は知らないんだよね。
「いるのです。自宅に帰ることができるのは三週間に一日。そんな馬車馬人生を送っている青年を追い詰めないであげてください」
『ならば我が国に引き抜けばよかろう。手土産はその技術資料と持ち出せるだけの兵器と用具と本人だけで良い』
本気で自分のことしか考えてないよっ。この国で今度は自分があれこれ作らせる気だよっ。それは単に場所が変わるだけだよっ。
何よりうちの優斗はできないわけではないだろうが、工学が専門ではない。毒物が専門だった筈だ。
だけどあれ、子供の頃の話だし、大人になったら専門をチェンジしたかも? まあいいや。関係ないし。
「誰しも生きていれば様々な柵があります。というわけで、気候的に一つの地域、大公家分として最大限ならばガルディアス様のご了承を取った上で二つの地域でお願いします」
『む。・・・仕方ない。明日にでもウェスギニー子爵をつかまえるしかあるまい。国外に出ていなければいいのだが』
「・・・そーですね」
プチッと切れた通話。もしかしてこの時刻にウェスギニー子爵邸に連絡を取るのだろうか。家族だから深夜の通話も許されるけど、他人だとどうなんだろう。
お願い。お仕事に行ってて、お父様。大公様、絶対にあなたに圧力かけてオーバリ中尉分を自分カスタマイズに変更させちゃう。
泣いちゃうよ。オーバリ中尉、泣いちゃうよ。あれでとってもわくわくしてたのに。
ちょっと生意気で拗ねたこと言っちゃうひねくれお口だけど、あれって突っ張ってるだけなんだよ。
「なんででしょう。私、今日で今の電話が一番疲れたような気がします。そして大公妃様、本当に凄いなって思いました」
「アレルも凄い子よ。それこそ高位貴族の子息をわざといじめ返しちゃったのかしら?」
「挫折を知らない人って、時に厄介です。きっといい思い出になります」
女主人に忠誠を誓っているかどうかなど、この私に見抜けない筈がなかった。子供という立場で観察すればこそ、私は大公妃の味方である。
あくまであれは私が勝手にしたことだ。
「いい子ね、アレル」
「はい」
どんなに強くても疲れないわけじゃない。分かってくれる人がいない中で辛くないわけじゃない。
だから私は大公妃に抱きついて優しい気持ちをほわほわと放出した。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
朝が来た。とても素敵な朝だ。
そしてせっかく起こしに行ってあげたのに、「うー」とか「むー」とか「あとちょっと」とか「目が開かない」とか言う少年達はお寝坊さんだ。
なんでダヴィデアーレ達の部屋で、二つのベッドくっつけて四人で寝てるの? お布団の中で怪談やってたの?
起きない子達は放っておいて、私はとても素敵な朝ごはんタイムを満喫することにした。
「なんてゴージャスなダイニングルームでしょう。まさに黄金のお部屋です。物語の中のお城にあるお部屋みたいです」
これでも私、お姫様待遇だって嫌いじゃない。
壁の彫刻には金箔を貼ってあるんだろうか。それとも本物の黄金? だとしたら凄すぎる。
「メインダイニングルームは広すぎるのよね。ここならせいぜい二十人ぐらいで家族用なのよ。王族の方々がお越しになることも考えての部屋だけど、エインレイド様はどうも普通に過ごしたいようだし」
大公妃と二人だけの朝食は、本館にあるとても素敵なダイニングルームに案内された。
どれだけ服を用意していたのかなって疑問になるけど、起きた私が顔を洗ったところでメイド達に着せられたのは、青を基調としてはいるもののピンクや緑や黒や茶といった色糸が入った模様織りの生地を使ったワンピースドレス。だけど前身ごろの中央部分には、純白のレースやフリルを切り替えで組み合わせているからちょっと華やか。頭の天辺には大きなブルーのリボン。横の髪だけ後ろに回して、今日は髪を下ろしている。
(さすがは大公家。どのメイドさんもとても優しくて好意的だ。よく分かんないけど、私にライバル心を抱いてない)
色糸が混じった青い生地はシックで禁欲的、だけどちらちらのぞく純白のフリルやレースがゴージャス。つまり、あくまで木綿生地で普段着なんだけどデザイン的に凝っているからお出かけ着。
お願い、大公妃様。できればお互いのクローゼットを広げておしゃれについて語り合わせて・・・!
だけどさすがにそこまで礼儀知らずにはなれないので、私は口をつぐむのである。そして私達の話題はどうしても王子様だ。
「ゴージャス生活はいつでもできるから、でしょうか。男子寮にも馴染んでました。普通の貴族のお坊ちゃまが規則ばかりで不自由すぎると逃げ出す男子寮で、何故か貴族よりも偉い王族の王子様が平然と暮らせる不思議。父達は、王子様の方が決められた予定通りに動く生活しているからだろうと言ってましたけど」
「それはあるわね。ところでそのジュース、気に入ったの?」
ニンジンやオレンジが入ったミックスジュースはとても元気になれそうな味で、お代わりをピッチャーから注いでもらったら、今度は他にも果物が足されていたのだ。恐らくオレンジの品種を変えて、甘い果物を二、三種類加えたのだと思うけど、ブドウも入っているような気がした。
「はい。弾けるフレッシュ感が搾りたてなんだよって主張してくるんです。美味しいジュースに全てが目覚めていきます。しかもピッチャーに入ってたお代わり用ジュースは微妙に味が違っているという細かさ。とろけるオムレツだって中身のチーズ各種、個々の美味しさを舌が追いかけるだけでも大変です。プロの料理人と素人は違うと分かっていても、そのテクニックに嫉妬せずにはいられない。・・・なんて人は食の快楽に弱い生き物なんでしょう」
「そうなの。アレルは本当に分かりやすいわね」
「何故かみんなそう言います。おかげでこの可愛いお洋服を褒めてもらおうと思ったのに、みんな目も開けずに、可愛い可愛いと言って終わらせました。評価というものはきちんと見てからだと思うのです」
こんな可愛いスカート翻して女の子が起こしに行ってあげたのだ。
これが祖父母や父なら、なんて可愛いんだと、抱き上げて頬にキスしてくれるというのに、あいつら、ちらりとも見やしなかった。
男としてダメダメすぎる。この後の成長具合に期待するしかないよ。
「ふふ。そうしていると本当にアレルは大きなリボンが似合うわ。私もそういう可愛いものが似合うと良かったんだけど」
「私はできればセクシー悩殺系が似合う方が良かったのです。それこそ首や肩や鎖骨あたりは見えそうで見えない赤いレース、胸元から膝くらいまでは体のボンキュッボンなラインがよく分かる赤いシルク、そして足元は大胆なフリル、まさにカラーリリーの花を下に向けたようなデザインで、私自身が赤いカラーリリーなのよって感じで。だけど多分、大人になっても似合わない気がしています」
どんなにドレスが派手でも負けていない顔とスタイルを持っていたかつての私は、常に外見だけは大輪の花に譬えられたものだ。今や常に動物に譬えられている。
真面目に考えてくれたらしい大公妃は、成分は慈悲100%の眼差しで微笑んだ。
「そうね。決めつけはいけないけれど、大きくなってもアレルは可愛い感じだと思うわ」
「やっぱり。そんな気はしていました。できれば色合いは母、容姿は父に似ていたかったです」
「それだと変な人達に狙われたと思うから、これはこれで良かったんじゃないかしら」
たしかに父のような「脱いだらセクシー。誰もが見惚れちゃう」なら狙われたかもしれない。だけど父、前髪ボサボサでもっさり系、服もオーバーサイズでだらしなくしてたからどうだろう。
ファッションセンスは似たくない。
「この顔でも変な人に狙われます。なんか特に、『お嬢ちゃん、可愛いねえ。この飴あげるから一緒にお出かけしない?』とか言ってハァハァしている人から」
「それはすぐに通報しなきゃね」
「はい。おかげで私達、ボールコントロールは得意です。どちらかが声をかけられたことに気づいたらもう一人がボールを当てて、怯んだ隙に手を繋いで一緒に逃げてました。だから幼年学校にはボールを膝でパスしながら通ったものです」
「・・・そうなの。根性が違ったかしら。かえってアレルみたいなたくましい女の子を見て、あの子達も反省するといいんだけど」
大公妃は色々と考えることがいっぱいらしい。
「昨日の護衛のお兄さん達はこんなことで反省はしないと思いますけど。幼い頃から言えば何でも叶えられてきた日々が育んだものはどうしようもありません。自分を抑えることを覚えさせたいなら、ポッキンと一度は折らないと」
「あまりやりすぎても親がうるさいのよ。それならうちに寄越さないで欲しいのに」
なるほど。それは面倒くさい。道理で使用人といった気配がなかったわけだ。
伯爵家の息子達が、彼等こそが護衛されるようにしか見えなかったと言った通りだ。彼らは護衛ではなかった。護衛のつもりでいただけのお坊ちゃまだ。
二人だけのダイニングルームなので、私も思っている通りのことを言ってしまう。
「人間関係の煩わしさだけは厄介です。しかも本人は、ボクちゃん強いんだぞぉ、偉いんだからなぁですし。大公様なら元々の性格的に何をやっても誰もが納得ですが、大公妃様は元々が貴族令嬢。いきなり鬼教官するわけにもいかないです」
「そうなのよね。全く鬱陶しい限りよ。だけど他の人間では身分的に侮られて言うことを聞かないのよね」
つまり大公妃でなければ誰もが自分より身分の低い人間ばかりだということで、使い物にならないわけだ。大公が事細かに指導する姿は思い浮かばなかったので、全ては大公妃にかかっているのだろう。
時に補佐を女房役と呼ぶことがあるが、まさに生活も仕事も全てにおいて大公妃は女房の神かもしれない。
「ご苦悩お察しします。大公様やガルディアス様が指導してもひねくれるだけじゃやってられないですね。まとめてゴミとして処分できればどんなにすっきりするでしょう」
「それいいわね。採用したいわ」
「男ですがやる人がいます。ゴーストセット売る人です。買う時には、人格破綻者だと思ってください」
「あら、そうなの? 通訳の方が出てくれたけど、装置の向こうで喋っている様子はとても快活そうで楽しそうなテンポの方だったわよ」
私は項垂れた。
「そうだった。女の人には親切なんだった。とりあえず昨日の貴族のお坊ちゃま達を行かせたら、みんな泣いておうちに帰って引きこもること請け合いです」
「あら、素敵ね。何をするのかしら」
実は大公妃、かなりストレスを抱えていたのかもしれない。その静かな微笑みに私はそれを察した。
「たしか頭がシマシマ模様になるように、何筋もの髪をレーザー銃ぶっ放して焼きました。生えるまで人前に出てこられなかったそうです」
「あらまあ」
和臣は「やりそうな人」ではなく「やった人」である。その実話に大公妃が目を丸くした。
「他にも自分を侮った若僧を、ズボンのウェスト部分を体すれすれにレーザー銃ぶっ放して焼いた上、股間部分もすれすれで焼いたみたいです。内股でズボン押さえながら帰るしかなかったらしいです」
「一体あんな楽しそうな方をそこまで怒らせるだなんて、何をしたのかしら」
お願い、騙されないで大公妃様。
私、あなたを取り合う和臣とミディタル大公なんて見たくない。というか、全力で逃げたい。
「さあ? 所詮、自由に生きている人の思考は、常識人の理解の範疇外にあります。私は終わってしまった事実を知って、聞かなかったことにしようって思うだけなんです。だって他人だから。これが家族なら後始末に駆り出されて苦労してたと思います」
「それもそうね」
ミディタル大公のことでは大公妃も苦労しているのだろう。バランスを取るということは、全ての軋轢が自分にかかってくるということだ。
「アレルは本当に引き出しの多い子ね」
「・・・そうなんでしょうか。だけど私、家族と仲良く幸せに暮らせたらそれでいいです。だって人間はいつか死んじゃうけど、それまでを後悔することなく生きようって思ったらそれに尽きるじゃないですか。幸せって実は単純なことばかりです」
「そうかもしれないわ」
私と大公妃はとても分かり合える朝食時間を過ごした。
やっぱりファレンディア人だった時にお友達になりたかった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
少年達がお寝坊さんなので、私はこの街にあるウェスギニー家のアパートメントまで出かけることにした。
最上階はとても素敵なお部屋があるけど、私が向かうのは一階のお部屋だ。
(四人が同じ部屋で寝ていた時点で、夜更かししてたって分かるもんなぁ。そりゃなかなか起きてこないよ。しかもあの四人、勝手に自分達でクリームソーダ作って飲んでたみたいだし)
大公妃は護衛をつけてあげると言ったけれど、近いから大丈夫だと断った。
そんな私に大公妃が用意してくれた上着は、純白のざっくり編みケープ。とても可愛い。青いワンピースドレスに白いケープで、まるで気合の入ったデートに行くみたい。
「おや、おはようございます、アレルちゃん。今日の恰好も可愛いですね」
「あ、リオンお兄さんのお兄さん。おはようございます。大公妃様が着せてくれたのです。遠慮なくもっと褒めてください。地上に降りた天使とか、まさに朝の妖精とか、いずれ成長したら女神様になっちゃうねとか言ってくれていいです」
両手を広げてケープひらひらでくるくる回ってみせる。
さあ、遠慮なく褒めるがいい。こんなにも愛らしいファッション、叔父にも見せてあげなくては。
「ははは。まだ寝ぼけているみたいですね。で、どこに行こうとしてるんです?」
ネトシル家の次男坊とやらは、三男坊と違ってノリが悪かった。
「ちょっとうちのアパートメントに行って戻ってきます。みんなはまだお寝坊さんなのです」
「ああ。かなり遅くまで騒いでましたからね。あれ、眠くて反対にハイになってたって奴でしょう。昼過ぎまで起きてこないと思いますよ」
「なんということでしょう。いいですか、リオンお兄さんのお兄さん。そういう時は大人として、早く寝るように諭すものですよ」
「その呼び方止めてくれませんかね。ちゃんとネトシルって姓があるんですから。忘れてるかもしれませんが、私達はあくまで見守るだけなんです。生活指導は請け負ってません。とりあえず一人で行くのは危ないからやめなさい。すぐに外出報告してくるから待ってること」
「平気です。私、これでも市立の幼年学校通ってた庶民生活中の庶民生活プロですよ。それでは行ってきまーすっ」
「・・・あっ、待てっ」
待つわけがない。
そうして私はミディタル大公家の別邸から大通りに出て、アパートメントを目指したのだった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
どうせ雑貨なんて少年達が興味ないのは分かっていた。だから私は色々な小物を買って、配達をお願いする。近隣なら一定金額以上の買い物は配達してくれるらしい。
勿論、私はアパートメントに向かっていた。だけどちょっと通りすがりのお店をのぞいて、ちょっとお買い物したっていい筈だ。
「うわぁ、これ、何模様なんだろう。鳥? だけど変な形」
「そちらはミンシェク地方の工芸品でよく使われている模様です。ミンシェクは隣の国の鄙びた地方なのであまり知られていませんでしたが、こうして列車が通ることで少しずつ陶磁器品質の良さが知られるようになりました」
「そうなんですね。これ、何に使うんですか?」
「カトラリーレストです。子供が元気に羽ばたけるようにという祈りの模様だと言われています」
「じゃあ、これを10個ください。あ、どうせなら模様は一緒でも色違いがいいです。赤と青と緑と茶と紺を2つずつ」
「かしこまりました」
ここぞとばかりに陸続きの外国製品をあれこれ買いまくっていたら、かなりお金を使っていた。
お買い物ってストレス解消魔法だと思う。予算があればだけど。
(優斗、覚えてるかな。ブローチの裏にフォトを隠せる奴をあげたんだっけ)
あの時にあげたお揃いのブローチの裏には、私達が並んで微笑んでいた。特に装飾性はなく、ただローズピンクの石を金属枠で囲んだだけのシンプルブローチ。
シーンを選ばず使いやすくて私のお気に入りだった。そのブローチは、やがて優斗のお気に入りになった。
男の子はあまりブローチをしないからと、ワンポイントで鞄につけるようにしてあげた。それなのにあの子はなくしたくないからと、いつも上着の内側に留めていた。
今にして思えば、それ、ブローチの意味がない。
優斗もスカーフ留めなら使うだろうか。その時には似合うスカーフとシャツを選んであげなくては。いや、それならループタイの方が組み合わせを考えずに使えるかも。
(焦げ茶か黒のロープが使いやすいよね。剣先は金と銀、どっちにしよう。シンプルなトップにすればいいかな。パカンと開けられるロケットタイプでビジネスにも使えそうなデザインのないかな)
ループタイを作るなら、金具と紐さえ買ってしまえば、後はトップにブローチみたいな模様のものを持ってくればいいだけだ。つまりちょっと大きめなフォトを内蔵できるロケットペンダントを買い、それに金具を接着してブローチ状にしてトップは出来上がり、後はループタイに仕上げればいい。
(緑のロケットペンダントを探そう。だけど優斗の分だけだとルード拗ねないかな。いや、ばれなければいいんだ。とりあえず和おじさんのことであの子がおかしくなる前にプレゼントでごまかさなくては・・・!)
考えてみよう。遠い異国で暮らす姉から届いたプレゼント。
『これ、あげる。今の私の瞳の色だけどお揃いなの。いつも心は一緒だよ。愛してる。だから和おじさんに嫉妬しないでね』
うん、完璧だな。これ以上ないぐらいに愛情を感じて、しばらくは大人しくしていてくれる筈だ。
――― どうやらニシナ殿がいなくなってたかららしいよ。彼の直売店も閉まってたから、こっちに来ていないかと、問い合わせが来ている。
叔父の言葉が脳裏でリフレインしている。もう優斗は確信している。それが分かる。これで私が、和臣が来ている事実を隠そうものならどう出ることか。
ここは隠し事なんてしませんよと、ちゃんと和臣のことを伝えた上でうまく宥めよう。
私はとても追い詰められていた。
もしかしたら色々ありすぎて頭が動いていなかったのかもしれない。
手作り部品を扱っている店でシルクの組紐を購入した。色は焦げ茶と黒、二本ずつだ。
たしかあの子の靴は茶系だった筈だ。だけど違った時の為に、黒も買っておく。
そして紐の先に取り付ける剣先は金色にした。金色って色が剥げても銀色になるけど、銀色って色が剥げたら黒くなるよね。じゃあ、金色買っておいたら、銀色に剥げて最終的に黒くなるまで時間が稼げるってことだよね?
(べ、別に、手を抜いてるわけじゃないのよ。信じて、優斗。長く使える方がいいって思っただけなの)
そう、どうせ手作りなんて、そこらの樹脂で十分だったのだ。チープでも、「休日に使ってね」とか言えばよかったのだから。
だけど私は和臣のことが優斗に知られてしまったという事実に、頭が空回りしていた。少しお高め路線の方が効果だって高いかもしれないと考えてしまったのだ。
だからちょっとカジュアル系な宝飾店に入ってしまい、そこで尋ねてしまう。
「あの、フォトを入れておけるロケットペンダントって売ってますか? ループタイでもいいんですけど」
「ロケットペンダントはございます。ループタイは取り扱っておりません。恋人への贈り物ですか? それともお嬢様が?」
「えっと、・・・お揃いで持っておきたいかなって」
明るい笑顔が眩しい女店員はロケットペンダントを色々と見せてくれた。
「あの、この緑の石が嵌め込まれているロケットペンダントの後ろに、こういう金具を取り付けて、ループタイにしてもらうっていうのは、・・・無理ですよね」
「少々お待ちください。職人を呼んでまいります。うちは全て当店の職人が作った物を扱っているんです」
そう、私はきっと頭が沸いていた。ぐつぐつに沸いていた。だからきっと頭が動いていなかったのだ。
私が見せたシルクの組紐。そして剣先と金具のパーツを見て、そういうことならばと、職人は言ってくれた。
「この金具は材質が違うから接着剤でくっつけるという手作りには問題ありません。ですがアルミ合金だから、うちの金細工に溶接はできないんですよ。だけど、大した作りじゃない。それならオーダーでこの金具を金で同じように作れますよ。勿論、金でも銀でも。お嬢さんの瞳の色がいいんですね? そしてその髪のようにオレンジがかった黄金の細工が」
「はい。生き別れになった弟にせめて私を思い出してくれたらと・・・。そして家族お揃いで持ちたいなって」
なんという泣かせる話でしょう。
両親と私と弟の分、全部お揃いで作ってくれると職人は言いました。
手芸店で買った金具のように安いパーツではなく、きちんと黄金を使うのでお値段は高くなるけど。
「子供のいない親戚のおじさんの所へ養子に行ったとは。小さいのに可哀想な坊やだ。外国でも大丈夫。信じていればまたいつか会えますよ、お嬢さん。お父さんとお母さんのことも忘れないよう、家族のフォトを入れて送ってあげたなら、それがきっと弟さんの勇気になります」
「・・・はい。そう、信じてるんです」
すまない、かつての弟よ。話の流れ的に、なんか誤解が誤解を生んでしまった。
14才の女の子が、9も年下の外国で暮らす弟にお揃いでプレゼントする為だと言えば・・・。
生き別れの弟は妻と実子を亡くした男の所へ養子に行ったのだと言えば・・・。
このお金はバイトでこつこつと稼いで貯めたのだと言えば・・・。
まさに物心つかない内に養子に出された弟を忘れられない姉が、再会を祈って長く使える贈り物をと頑張って考えてお金を貯めて買いに来たのだと、誰だって思うだろう。
(いいや、パピーとジェス兄様に私とお揃いってことで貢ぐことにしよう。あ、駄目だ。ルードが拗ねる。どうしよう、だけどパピー、そもそもループタイなんてする時あったかな。それならルードとジェス兄様にあげればいいかな。だけどそしたらお祖父ちゃまが拗ねるかも。じゃあ私の分をお祖父ちゃまにあげちゃう? そうなると優斗とお揃いにはならない。・・・ああっ、どうすればいいのっ。いいや、出来上がってから考えよう)
半日で出来上がるとかいう話だったので、お金を払って配達を頼んでおいた。
そうして私はストレス発散を兼ねて買い物をしまくり、ほとんどを配達で頼んだから荷物にならない。
少しは自分で持たなくちゃねと、栄養補給バーとパック入りドリンクは手提げ袋に入れた。そしてラッタラッタとスキップしながらウェスギニー家が持つアパートメントへとたどり着く。
アパートメントの共用扉をくぐれば、奥の庭から差し込む太陽光が共用廊下を照らしていた。
1号室の鍵を開けようとした所で、背後から誰かが襲い掛かってくる。持っていた可愛い手提げ袋からパラパラと栄養補給バーが零れ落ちた。
「おいっ、荷物を残すなっ」
「なんでこんなもん買ってるんだよっ」
「いいから拾えっ」
ぐいっと私の口元に布を押し当てて叫ぶことができないようにしてから、荷物を運ぶかのように私を抱える彼らはずっとここで待っていたのか。
どこから回してきたのか、共用扉の前で停車した移動車に連れこまれてすぐに発進する。
(なんてこった。眠らせる薬も持たずに誘拐。いや、無い方がいいんだけど。やっぱり眠らされたら何をされても分からないし)
顔に布袋をかぶせられて前が見えないようにされた。そして手も紐でぐるぐる巻きにされてしまう。
「ヘタクソッ。縛り方もマスターしてないのかよっ」
「そんなこと言われてもっ。そういうのは私がやることじゃないっ」
「もういいっ。上から毛布を巻きつけとけっ」
そんなら最初から誘拐なんてするなよ。お前ら、どこまで衝動的犯罪なんだよ。
これは由々しき時代の問題だ。今しようとしている行動がどういう未来に繋がるかを想像して立ち止まることができない青年達という社会テーマで、学校長と社会を憂いて話し合わなくてはならない。
「ははっ。生意気な小娘も恐ろしさに震えているようだ。痛い目に遭いたくなけりゃ黙ってるんだな」
その声は聞き覚えがあると言えばあるが、記憶にも残ってないと言えば残ってない、そんな声だった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
いつも私は本を読みながら思っていた。
どうして誘拐された人はそのまま誰もいない場所に監禁されてしまうのだろう。それはもうお約束だと言っていい。
何故か誘拐されたヒロイン達は、まず拘束された状態でどこかに閉じこめられ、放置されるのだ。
(まあね。怪しまれないようにお仕事に戻る必要があるんだろうけどね。昨日は夜の部だったから、昼過ぎからの出勤で良かったということだ)
移動車で私を連れてきた奴らは、私を乱暴にも床に転がしていった。私を包んでいた毛布はただ巻きつけていただけだから、ごろんごろんと転がされた時点でほとんどめくれてしまったようだ。
こんな野獣達に可愛いワンピースドレス見られたくないから、もう少し巻きつけておいてくれればよかったのに。
だけどこいつらもまた、ワンピースドレスの可愛さを理解しないバカ達だった。
「どうせここは近くに民家もない。遠慮なく泣きわめいておけ」
「全くだ。たかが子爵家程度で生意気なんだよ」
「しかもあのウェスギニーだろ。はっ、何を大公妃に取り入ってるんだか」
そんな捨て台詞を吐いて。
これはなんという悲劇でしょうか。私はこれでも子爵家のお嬢様。それなのに体を拘束されて放置されたのです。
トイレに行きたくなったらどうすればいいのだ。女の子におもらししろとでも言う気か。
女の子におもらししろとか言う奴は、禁固50年の刑に処せられてもいいと思う。
(ううん、待って。もしかしたら可愛いフィルちゃん、トイレ行かない子だとみんな思ってるかもしれない・・・!)
それはあり得る話だった。何故ならば誰もがあまりの愛くるしさに抱きしめて頬ずりしてキスせずにはいられない双子の私達。
こんな愛の天使、トイレ行くわけなかったよ・・・!
たとえ愛の妖精だったとしても、トイレに行かない生き物だよ・・・!
(うん、別に心が不安定になってはいない。状況把握能力も完璧、私は冷静だ。さ、冗談はそこまでにして、とりあえず爪ナイフっと)
床に転がっていた私は腹筋だけで身を起こす。
今日の私のお爪、ちょっと桃色がかったつやつやなお手入れ完璧な爪に見えることでしょう。
だけどね、さてさてお立合い。右の爪と左の爪をこすり合わせてしまえば、なんとびっくり。とっても薄い刃が現れるのです。
その爪ナイフで手を拘束していた紐をせっせと切ると、ぱらぱらと落ちていく紐の感触。
(手首から先が自由になったなら今度は胴体です。腕を縛っている布だかロープだかを切っていきましょう)
やはり神様は善良な私の味方。縛られて身動き取れなかったおててが自由になりました。その次は顔にかぶせられた布を取り去ればいいのです。
というわけで、手と顔が自由になりました。すると目の前にしゃがみこんで私をじっと見つめている人がいます。
「ふー、ひどい目に遭いました。これはもう倍返ししないと気が済みません。全くなんてことでしょう。リオンお兄さんのお兄さんが私を拘束してこんな所に監禁した奴らの仲間だとは」
「何言ってるんですか。私は助けに来たんですよ。だけど全く泣く様子もないし、もう恐怖で心がいっぱいいっぱいなのかと、これは落ち着かせる為にも奥方様に連絡取って来てもらおうかと悩んでいたら、勝手に変なことして縄切ってるし、しかも平然と倍返しとか言ってるし。・・・ほら、帰りますよ。あいつらは責任取らせます。証拠も映像に収めましたからね。昨夜、なんか怪しいと思って朝から見張っていたら、悪ガキ護衛対象は待てと言っても待たずに出かけやがるし」
昨日は夜明け前から護衛して昼間も夜間も付いてきたかと思えば、夜更けまで少年達の様子を見守り、朝から私にくっついてきたのか。
真面目ちゃんか。こういうタイプって撒くのが難しいんだよ。自分に手抜きを許さないタイプだから。
「なんてひどい人でしょう。幼気な私が恐ろしさに震えているというのに、助けもせずに証拠保全に勤しんでいたとは。優しさが足りませんよ。そんな男はもてないんですよ」
「別にもてなくても、好きな相手に愛されればそれで十分です」
その考え方は嫌いじゃない。私をいじめる護衛のお兄さんは、恋愛に関してはまともな感性を持っているようだ。
「それは一理あります。それはリオンお兄さんのお兄さんが正しいです。私も恋人にしたい父に愛の言葉をシャワーのように浴びせてもらい、結婚したい叔父には甘く微笑んで溺愛してもらい、祖父母には頬ずりしてもらいながら甘やかされ、ちょくちょくとガルディアス様にお金を使ってもらってお出かけして、リオンお兄さんにおねだりを聞いてもらって、ヴェインお兄さんを使い走り兼荷物持ちにして、婚約者からは程々に便宜を図ってもらえさえすれば文句ありません」
「どこまで図々しいんですか、このミニサイズ悪女が」
ひょいっと抱き上げられたので私は尋ねた。
「ところでここの建物はどなたの持ち物ですか? 見た所、なんか別荘っぽい?」
「さあね。あいつらの内、誰かの持ち物でしょう」
「そうですか。この場所は私有地ですよね。道から離れてます?」
「道路からちょっと入り込んだ場所です。たしかに泣き叫ぶ程度じゃ通行人には聞こえないでしょう。全くなんて奴らだ」
「何か起きたらすぐに治安警備隊、到着します?」
「その『何か』にもよるでしょう。何を考えてるんですか」
私はその腕からすたっと飛び降りた。
まさに華麗な着地と共に両手を広げてみる。ふわりと広がった白いケープに感動してくれていいのよと、無言で促してみたけど、この朴念仁は何も言わなかった。
やはり真面目すぎる人って面白みがないと思うの。ネトシル少尉とよく話し合わなくては。
ネトシル少尉はお兄さん改良計画に取り掛かるべきだ。
「決まってるでしょう。こんなことに味を占めたらどうなると思ってるんです。気に入らない女の子は監禁していいんですか、何をしてもいいんですか。誰もがこうして助けに来てもらえるわけじゃないんですよ。というわけで、お兄さん。私をぐるぐる巻きにしてください。この別荘をぶっ壊します。そして駆けつけた治安警備隊が見つける、拘束された可哀想な被害者の私。新聞一面トップ。特ダネニュース」
「・・・あなたの名誉がどうなると思ってるんです? 認められるわけないでしょう」
ハッと私は鼻で笑ってしまう。名誉など勝ち取るものだ。
他の誰でもなく和臣は私にそれを教えてくれていた。
「何言ってるんですか。大事なのは私が大々的に救出されることです。そうじゃないと私があちこちでお買い物していたこととか、ゆえに襲われたところで大して時間が経っていなかったこととか、そういった検証、行われないじゃないですか。そしてこの建物の持ち主が明らかになることも大事です。ですが、それは下ごしらえに決まってるでしょう」
「・・・何をやる気ですか」
「第二、第三の犯罪を防ぐことこそ大事なんです。かつて私の師匠は言いました。見せしめとは非情であればある程、結果的に被害者を少なくするものなのだと」
「そいつ、まともな人間じゃないですよ、アレルちゃん」
「知ってます」
和臣がまともな人間なら、地獄の黒き闘犬なんて異名は取らなかっただろう。どこまでも敵を追いかけ、その喉笛を噛みちぎる地獄の使者。
いいの、私にとっては楽しくて優しくて面白い人だから。何より私を大事にしてくれていた。今もしてくれている。彼がどれだけの敵を作ろうと、私は彼の味方だ。
せっかくだからと別荘内を捜索して、私服や私物をそこらの袋に入れて集めておく。
「さ、これ、持って帰ってください。指紋付きの大事な証拠です」
「いつの間に手袋していたのかな、アレルちゃん?」
「こんなところ、素手で触る馬鹿になった覚えはありません。何より後日の脅迫ネタですよ。持ち帰らなくてどうするんですか。特に家紋とイニシャル入り封蝋用スタンプなんて脅しネタに最適ですよね」
「グラスフォリオンは何を血迷いやがった・・・!」
兄弟間の葛藤が色々あるんだなって思った。ネトシル少尉はいい人なのに。
爪ナイフを取り外してケースに入れてしまえば、身を守るものなど何もない愛の天使がそこにいる。
「何を押しつけてるんですか」
「爪ナイフなんて見つかりやすい物を身につけてたら、拘束されていた信憑性が薄くなってしまいます。恐ろしさに震えていた少女を助けなかった罪悪感を解消する為にも責任もって私が戻るまで預かっていてください」
「少しは震えてから言いなさいっ」
文句言いながら胸ポケットにしまってくれた。後でちゃんと返してもらわなくては。
「あ、栄養補給バーとドリンクも持ち帰っておいてください。まさか助けに来る人いないと思ってたから、腹ごしらえ用に持ってきてたのに。これ、美味しい奴なんです」
こんなにもすぐ到着するような場所に監禁されるとは思わなかったよ。大して離れてないよね? めっちゃ近いよね? 普通、郊外の周囲には何も建物がないような施設に監禁されるもんじゃなかったの?
「弁当持参で誘拐されるんじゃありませんっ。最初からそのつもりでしたねっ!?」
当たり前だ。だけどこういう時は最後まで認めちゃいけない。
私は和臣から図太さを学んだ。
「思うんだけど、リオンお兄さんのお兄さんは被害妄想に陥っています。私が初めて会った人の思考なんて知るわけないじゃないですか。私がしたことは、今日はうちのアパートメントに行くつもりだと、昨日の通話でにおわせたことぐらいですよ」
「分かってて誘導した人間のセリフですかっ」
「つまりお兄さんは、未成年の女の子が誰もいない場所へ行くと聞いたら襲っていいと考えるわけですか?」
「・・・そんなわけないでしょう」
そう言うだろうなって分かっていた。
口うるさいし、誉め言葉も浮かばない朴念仁だけど、この人はとても真面目に仕事と向き合う人だ。
「だけど、そんなわけがある人がいた。それも複数。どう思います?」
「罰せられるべきですよ」
だから彼は全てを録画してくれていたのだろう。私が被害者であることの証拠として。
自分の同僚よりも私を選ぶその姿勢は、私の身分で態度を変える気はないという誇りが根底にあった。
だけどね、それってあなたが恨まれるって分かってるかな? 分かっててそれをしてくれるんだろうけど。
「その通りです。私もそう思います。そしてただの救助であれば言い逃れることが分かってます。せめて誘拐されたという醜聞に塗れる私への慰めとして、この別荘には一緒に滅んでもらわなくてはなりません。それだけなのです。
ところで自分の息子が子爵家の令嬢を監禁したという醜聞を出回らせるぐらいなら、貴族の父親とはどこまで私に融通してくれる生き物だと思います? 新聞社の買収だけでも大変でしょうが、詳細を知る私にどれだけ貢いでくれるものなんでしょう」
「・・・知りませんよ。もういいです」
ぷいっと横を向く護衛のお兄さんはどこか拗ねてるようにも見える。私もそれを見て心が痛まない人間ではなかった。
だって私、これからお金が必要なの。和臣ってばとてもお金がかかる人なの。それなら迷惑料としてふんだくってもいいと思う。
「そう拗ねなくても。栄養補給バー、特別に1本食べてもいいから元気出して。ね? プレゼントです。可愛い女の子からプレゼントだなんて、もうお兄さんったら世界中の男の子が嫉妬しちゃいますねっ。よっ、色男っ。バナナ味がお勧めです。甘くて美味しいの」
「安っぽくて全く有り難味のない買収ですね。幼年学校生でも叩き落としますよ」
子供を甘やかしすぎると舌が肥えすぎて可愛げのない性格になる。大人には大人の贅沢を、だけど子供の内は程々でいいんじゃないかなって、私は今度、学校長とティータイムの話題にしてみようと思った。
「仕方ありません。じゃあ、ラズベリー味も食べていいです。甘酸っぱくてちょっとリッチ気分。私のお気に入りはバナナとラズベリーとチョコレートがスリートップなのです。だけどチョコレートは帰ったら食べるからあげません。それでも女の子の宝物を2つもプレゼントされるだなんて、お兄さんってばもう果報者っ。いやん、もう憎いねっ、このこのっ」
「はっ。何がスリートップですか」
肘でツンツンつついてみたのに、全然照れてくれない。
「んもう、なんて強欲なんでしょう。それならドリンクも飲んでいいです。ドリンク1本にバー2本。これでお昼ご飯は完璧です。お昼ご飯をあげる代わり、料理人の小父さんにフレッシュジュースを用意しておいてほしいと頼んでおいてください」
「どこまで図々しく生きれば気が済むんですっ」
なんでだろう。いつもは誰からも愛されて甘やかされて抱きしめられてキスされている私、このヴェラストールでは罵倒されっぱなしだ。
やはりネトシル少尉に、あなたのお兄さんはストレス解消の為のカウンセリングを受けるべきだと勧めておこう。
「全く今時の若者は我が儘すぎて困っちゃいますよ。じゃあ、特別に動物園ソーダにアイスクリーム浮かべたのを戻ったら分けてあげます。もう終わり。それ以上はあげません。我が儘言えばどこまでもおねだりできると思うんじゃありませんよ、全く」
「調子乗るんじゃねえよ。やっぱり今すぐここから逃げるか、このクソ生意気娘?」
従順に見えてもやはりそこは虎の種の印を持つ男。私は自分の危機を悟った。
やっぱり調子に乗って遊んでいたのがばれたらしい。
「いえいえ。ほら、お兄さんも次の被害者を未然に防ぐというヒーローになりましょう。ね? 見えない善行が罪のない少女を救うのです。さ、私をぐるぐる巻きしてください。まさになす術もなく拘束されていたって感じでお願いします」
彼はふぅっと溜め息をついた。
なんだかんだ言っても、やはりこういうことが繰り返されるべきではないという主張を支持せずにはいられないのだろう。
護衛としては私を連れ帰るべきだと分かっていても、それでは誰も救えない。彼はそれを知っている。
「そこまでグルグル巻きにする必要はありませんよ。手首だけで十分です。もし何かあったらそこのまな板にナイフを突き立てておくから、それで縄を切るんですよ? ハムを切ろうとして何か起こってナイフを突き立てていったかのように、ハムの塊も隣に置いておくから不自然さはありません」
「はぁい」
女の子だから手を後ろに回して手首だけ縛っておけばいいと、彼は言った。
きっちり縛っているようだけど、思いっきり引っ張って手首をねじれば抜け出せる程度にしてくれる。
「それじゃ誰にも見つからないようにここから離脱してください。なるべく遠くへ。言っておきますが、あなたも容疑者になり得るんですよ、リオンお兄さんのお兄さん。あなたにアリバイはありません」
「その前にこの状態で何をぶっ壊すというんですか。できるわけないでしょう」
「できるから言ってるんです。さっさと行ってください。大公妃様に、黙って見ててくださいって伝えておいてください」
「・・・仕方ありませんね。無茶はしないんですよ」
「はぁい」
足音を立てることもなく彼が去り、私は再び一人になった。
静かになった別荘に、チュンチュンといった鳥の声が響いてくる。世界はとても和やかな音に満ちていた。
閉じこめられていた部屋にあった椅子に腰かけながら、両方の足首に嵌めていたリングに向かって話しかけてみる。
【コードヘルハウンド起動、承認開始】
孤高って言うのかな。今の自分、ちょっと孤独さがヒーローの宿命って感じでカッコよかった気がした。
ピッピッピッピと、小さな音が響き、すぐにピロリンと鈴のような音が鳴る。
二回目だからか、少し速くなった反応に満足して次の命令に移った。
【非常事態モード開始、孤立モード開始】
ピ、ピという音の後、ブゥイン、ブゥインと小さく唸るような音が響く。
私は床の上に立ち、足元に広がる熱量を感じていた。
ああ、久しぶりのこの気配。私を守るパワーがここにある。私を守る空気の層が圧力すら伴って、この身を包みこみ、体が宙に浮いた。
今、私を傷つけられるものなど何もない。
【半壊モード開始、3レンジ4、方向性プラス10度、スクランブル4レンジ6】
ドッドッドッドと音がし始めた。
【炎上モード開始、遅延5、6レンジ8、方向性プラス10度、スクランブル4レンジ6】
今は私の腕にはまっている腕輪。本当はもっと幅広だったのに。
あの子は一人でどれ程の日々を生き抜いてきたんだろう。
(強くならなければ。だって私はお姉ちゃんなんだから。こんな程度で挫けてらんない)
今は小さくなっちゃった体でも、この心は変わらない。
私の弟だけは守り通すつもりだった。だけどなんか変な方向に育ってしまった。あれは誰か素敵な恋人と出会って性格矯正してもらうしかないと思う。
【破壊せよ】
私の体を傷つけることなく足首にあるリングから発射されていくレーザー砲。一部は遅れて火炎砲となってレーザー砲が壊したところを焼き上げていくだろう。
――― ドガガガガガッ!! ガラガラガラガラッ!! ドッコーンッ!!!
大音量を伴った振動が私を転ばせようとタランポリン状態だ。ピョンピョン跳ねても意味がないぐらいに。
だけど私が転ぶことはない。私を包む空気の層は私を守り、そして少しだけど空中に浮かせているからだ。
(うん、十分に屋根は開いたね。だけどここは一階。建物は二階建て。やっぱり以前よりパワーアップしてるっぽい。3から4でこれかぁ)
破壊率低めなお淑やかモードでこれだ。最初のそれであそこまでぽっかり穴が開いただなんて、一体どんな状況を考えていたのか。
恐らくこの爆破音、ヴェラストールの街にいたほとんどの人達が聞いたと思う。ヴェラストール城のゴーストどころじゃない目立ちっぷりになるかもね。
ううん、フィルちゃん悪くない。きっとこの別荘、自然と共存する木造だったんだよ。レンガ造りっぽいところも、レンガに見せかけて実は厚紙細工で出来ていたんだね。
――― ゴオオオオオッ!! グァアアアアアッツ!! グォオオオンッ!!!
遅れて炎がぐるぐると渦巻きながら周囲へと広がる。
爆破音と共に穴が開いたそれと同じ進路へ、炎が大蛇のように突進していった。恐らくヴェラストール要塞やヴェラストール城からもよく見えただろう。
というより、山の頂上程度まで炎は噴き上げたかもしれない。
ふむ、悪くない。
(これだけの爆破と炎。誰もが外に出てこの煙を見ている筈。もう、揉み消せない)
ここはもう一つやっておくべきだ。
二度と和臣も優斗も悲しませない。私に対しての攻撃を、私はもう許さない。
【破壊せよ】
一度、穴が開いて通りがよくなったところへ、同じようなレーザー砲と火焔砲がキュイイイインッと発射された。
まさに火山が噴火したかのように、爆風と炎を伴って。
邪魔する遮蔽物がないものだから、人によっては空中に巨大撃銃がぶっ放されたかのようにも思えたかもしれない。
そしてこの別荘近辺の被害も案じられるが、私有地らしいからここの被害は考えない。
(だけどこの炎、ちょっと大きすぎじゃないかなぁ)
ちょっとおかしい部分が残っても見つからないように焼いておけばいいかなと思っただけなんだけど、全焼で何も残らないかも。
うーん、これはもう奇跡の生還だな。うん。
【偽装モード開始、ストッキング留め】
足首にあった二つの輪っかがじりじりと移動して太もも部分で留まる。これは最初に位置を決定しておいたからそこで留まるけれど、太ももに嵌めたままでこの攻撃をやらかすとスカートが消失するリスクがあったりするのだ。
だけど私、太ももにみんなが見惚れて鼻血出すお色気路線は、多分無理。この体と顔じゃ完全に無理。
足首ならまだスカートに被害が出ないから大丈夫なんだけどね。ああ、本当は両手首にはめて魔法使いのようにやってみたかった。
だけど手首縛られてる設定だから足首で妥協するしかなかったんだよ。
(この爆音と炎で駆けつけてくるのはどれくらいかかるんだろう。ま、いっか。あまりにも遅いようなら外で倒れておけばいいんだし)
人が助けに来てくれるまで、私はここで閉じこめられていなくてはならないけど、自分の安全には代えられない。あまりにも遅いようならお外に出てそこで倒れておこう。
とりあえずあくびをたくさんして泣いておかないと。おめめ真っ赤にして泣いていた貴族令嬢、うん、いい感じ。
だけど緊急事態用のサイレンが響いてくるのは早かった。
――― ブゥオン、ブゥオン、ブゥオン。
いつも思うんだけど、もう少しサイレンって違う音にした方がいいんじゃないかな。ゾウの鳴き声っぽくて、なんかゾウをいじめてるみたい。
――― 危険だっ、周囲の人間は全て避難しろっ。
――― 人の気配はありませんっ。
いや、あるよ。ここにあるよ。私の気配が。
そういえば愛の妖精って人間じゃなかったかもしれない・・・!
人の気配は無くても、妖精の気配に気づいて・・・!
――― ブゥオン、ブゥオン、ブゥオン、ブゥオン。
――― 誰かいないかぁっ。残ってる奴はいないかぁっ。
ああ、どうしよう。いいや、床に転がっておこう。
(昨日、ゾウ見てない。ゾウ見なくっちゃ)
沢山の人が、ドカドカドカと別荘内に入ってくる感じがした。
やっぱり石造りだったのかな。あまり振動が響かない。
私がいる部屋は内側から施錠しておいたからか、ガチャガチャガチャとドアレバーを動かす音がするけど、ドアは開かない。
『ここっ、鍵がかかってますっ!』
『ぶち壊せっ!』
良かった、助けてもらえそう。
【全解除】
私を守っていた空気層が解除され、一気に煙が私を包み込んだ。
「げほっ、こほっ」
何これ。とっても気持ち悪い。煙が私を包むんだけどっ。
こういう時は鼻と口に布を押し当てて保護しなきゃいけないんだよっ。
『人の声らしき音がしましたっ!』
『誰かいるのかっ?』
返事してあげたいけど、ついでに助けてって言いたいんだけど、煙が目に沁みて目が開けられない。鼻やのども痛くてたまらない。
ガンガン、ドンドンッ、何かが大きな音を立てて打ちつけてる。
「ゴホゴホゴホッ、ケフォッ」
やっぱり解除するんじゃなかった。今からでも空気バリアーを張り直さないと死んじゃうよ。
「女の子がいるのが見えますっ! 倒れてますっ!」
「蝶番っ、完全にぶち壊せっ!!」
ああ、どうして私はドアこそちょっぴり壊しておかなかったの。次は気をつけないと。
私をぐるぐる巻きしていた毛布に顔を押しつけて空気確保。
バキバキバキッと遠くで大きな音が聞こえた。
「大丈夫かっ、生きてるかっ」
「煙を吸い込んでるっ、酸素をっ」
「ケフォッ、・・・コフォッ」
誰かが私の首に手を当ててる。やめて、絞殺はノー。
「脈はありますっ」
「大丈夫だっ、もう大丈夫だぞっ」
「隊長っ、この子、腕を縛られてますっ」
「なんだとっ!?」
「まずは外へっ」
「他の部屋も探すんだっ」
誰かが私を抱き上げるけど、やっぱり父が一番素敵。なんか乱暴すぎだよ。
私は素敵な抱き心地の腕を求めずにはいられなかった。
「大丈夫だぞっ、よく頑張ったっ。今助けるからなっ」
「・・・パ、パぁ、・・・どこぉ」
目が痛くてたまらない。鼻をぐしゅぐしゅしながら、目の前にあるっぽい服にゴシゴシ顔をこすりつけて拭いてみた。
駄目だ。なんか防炎服らしくて、拭くのに全然役に立たない。
「ああ、パパの所にすぐ帰れるからなっ」
ごめんなさい。うちの父、国内にいるかどうかも分からないです。
それでも私を助けてくれる人に悪い人はいない。だからぎゅっと抱きしめてくる腕に、ちょっと優しい気持ちをあげておいた。
問題は防炎服だから全然通じないことだね。




