49 夜の動物園
私は桃色のエプロンを外されて、代わりに黄緑色の膝丈チュニックとお揃いの防風二重ケープを着せられた。どうして二重なのかと言えば、内側は袖無しだからだ。つまり、腕を動かしてケープが翻っても内側の袖なし部分は捲れたりしないから胴体が寒くない。
二重マントとも言うが、花の刺繍が施されたものなのでとても女の子っぽい。
「夜風は時に冷たくなりますもの。女の子が体を冷やしてはなりませんわ。まだこれは薄手の秋物ですから、寒い時にはきちんと奥様か護衛なさってる方々に仰ってくださいませ」
「はーい。だけどこれ、全然寒くない」
内側はおしりの下まで覆っているので、座っても座席を寒く感じないそうだ。昼に比べて夜は一気に冷えるからと言われた。
もしかして私ってばとっても気を遣われている? なんだか父に怒ってたっぽいミディタル大公妃だけど、それだけ面倒見がいいのかもしれない。まあね、うちの父ってばはっきり要求を伝えないといつまで経っても察してくれない人なんだよ。
本来の二重マントはダークカラーで学者さんが着てるイメージが強い。だけどこの黄緑色チュニックは膝丈、内側のケープは太ももまで、そして外側のケープが肘までと、三重のフレアはどれも同じ色、同じ模様だから、モコモコして見えることもないばかりか、可愛らしさアピールが大爆発だ。
「なんだ、スカートみたいなのやめたのか? だけどそれも可愛いな。さっきまでのシャツもどきが上着になったのか?」
「違うよ。同じ模様の上着なの。私、細かい手仕事の刺繍って別世界の住人の特技だって思ってたけど、これ見て感動しちゃった。同じ世界に存在してたんだね」
「刺繍なんて貴族令嬢だと嗜みみたいな・・・・・・まあな、アレルだしな」
「失礼な。そういうディーノこそ、貴族令息みたいに歯が浮くような誉め言葉ぐらいマスターしなよ」
「今時、そんなの言う奴の方が恥ずかしいだろ?」
「はいはい、二人共そこまで。喧嘩してるんだか仲いいんだか分からないなぁ。さ、あっちだよ。ダヴィ達、もう行っちゃったよ。ケーブルウェイじゃなくて移動車使うんだって。どうせ暗いと景色なんて見えないし」
中型車なので十人乗っても余裕がある。夜なので移動車内は暗い。開け放たれたドアから後部座席にいたベリザディーノの横に座れば、私は自分の周りがほんのり明るいことに気づいた。
「あれ? なんか上着が光ってる?」
「ちょっと反射材も入ってるからよ。僅かな光で少し浮き上がるの。動物園も明かりはあるけど、暗いところも多いでしょう? アレルは女の子なんだから特に気をつけないとね」
「お母さん・・・!」
どこまでも愛情がこもった上着に感動したけど、問題は夜の動物園、護衛の人達も傍で付き添う形にすると言われたことだ。
「では、このお兄さん方も同行すると。そう言えば護衛には女性もいたと思うのです。とても懇切丁寧な資料をくれて変装と化粧上手なあのお姉さんはなんだか人生経験がとても濃そうで是非お友達になりたいです」
そこらの小説なんて屁でもない、そんな何かをあのひとは持っている。そんな気がする。
お互いのターゲット層がかぶらず、ゆえにライバル心を持たず、それでいて仲良しになれる同性の友人を私は必要としていた。
美味しいお酒とつまみを並べて是非語り合ってみたい。
「護衛の女性で化粧上手というと・・・」
「恐らくデリアンテッセでしょう。老婆に扮してキャビンに乗り込み、記念フォトの際にもウェスギニー令嬢へ口紅を塗ってあげておりました」
ネトシル少尉のお兄さんは、その「ウェスギニー令嬢」という呼称を忘れるべきではない。ミニサイズ悪女は、人を呼ぶ言い方として全くもって妥当ではないと、私は主張したい。
「ああ、彼女ね。日中と夜間とは別の部なのよ、アレル。護衛は周囲にも気を配らなきゃいけないでしょう? 日中と夜間はやり方も違ってくるから、経験を磨く為にもスクランブルで入れているの。だけどね、やっぱり夜はあまり女性を入れたくないのよ」
いい人だ。大公妃は女の人のリスクについても考えている、いい人だ。
護衛という仕事はどうしても危険な場所を先に行って点検したりするが、世の中には女性というだけで色々な危険がいっぱいだ。たしかに女性の護衛を夜間に働かせるのはよろしくない。
「それならこちらのお兄さんも外れていいと思うのですが」
「ネトシル家のグラスフォリオン様と仲がいいって聞いたから、ローゼンが名乗り出てきたのだと思うわよ、アレル」
どうやら夜間は一緒じゃなくても良かったのに名乗り出てきたらしい。なんてこった。これだから体力有り余っている虎の種の印を持つ者は筋肉自慢すぎて面倒なんだ。
「可愛い弟に近づくなっ、弟を可愛がっていいのは僕だけだっ、って奴ですか? やれやれ。シスコンにも困ったものですが、ブラコンにも困ったものです。リオンお兄さんはもう大きくなってるのに」
「アレルちゃん。ちょっと相互理解の為にも後でお時間取ろうか」
移動車内の空気が少し低下した気がした。慌てて私はお断りを入れる。
「生憎と私、これでも未婚の未成年令嬢なのです。男の人と二人きりになろうって言われたら、そいつの急所を全力で蹴り上げ、悲鳴をあげて周囲の人に助けを求め、その男を社会的にも抹殺するようにと、娘を案じる父からも涙ながらに言い聞かせられております。というわけで、代わりにレイドを貸してあげます。そして怒ったガルディアス様から鉄拳制裁を受ければいいのです」
「アレル、僕を勝手に貸し出さない。それに僕をネトシル殿の前に出してもせいぜい『あまり夜更かしせずに寝るんですよ』の注意ぐらいだよ。彼、いつだって真面目な人なんだから。それにアレルがネトシル殿をおちょくらなければ、優しくていい人だよ」
「子供のちょっとしたコメントぐらいでキレる大人という、昨今の寛容不足のテーマを話し合うべきです、レイド。まあ、その件は今は置いておきましょう。問題は護衛が増えたことです」
そうだ、問題はそこではない。一緒に行動するのが若い男性なんて目が行き届いてしまう。
そうなると、例えば檻近くの柵の上に立って「見回りの人が来る前に記念フォトーッ」とか言うのができないということだ。
勿論、そんな危険なことやってはいけない。それは分かっている。だからばれないようにやる。
それだけだ。
ゆえに私は顔をそっと俯かせて、人見知り令嬢風に言ってみた。
「私はお母さん一人いてくれればいいです。ほかの人は離れてて大丈夫だと思います。護衛慣れしていないリオが可哀想です。私も知らない人がいると怖くてたまりません」
「初めての料理店で知らない料理人相手にあそこまでやらかした小娘のセリフですか」
途端に厭味ったらしいセリフが、大公妃からではなく護衛のお兄さんから飛んでくる。
ネトシル少尉には、あなたのお兄さんは細かいことを言いすぎるところがあると、帰ったら切々と訴えておこうと決意した。
「アレル、僕を巻きこまないで。多分またグルグル巻きにされたら担いでいく人が必要だから、こんなに増員されちゃったんだね」
「あのね、リオ。とっても大切なことを教えてあげる。私をぐるぐる巻きにしなければいいの。それだけなんだよ」
子供がちょっと罪のないコメントをしただけで、大人げないことをやらかす人がいただけなんだよ。それは二度もあっていいことではないのだよ。
「それを言うなら、アレルが怒らせなければいいだけだろ。マーケットじゃなくどこかの舞踏会で、ついでにぐるぐる巻きじゃなくてドレスなら、あのネトシル家の次男殿が大切に抱えてくれただなんて、アレルってば誰もが羨む注目令嬢だったぞ。
三男の方との噂でも悔しがってた人がいたって話なのに。せめて数年後は礼儀正しくダンスのお相手してもらえるよう、今からでも猫かぶっておけよ」
ネトシル侯爵家の血筋を考えれば次代の子供も優秀なのが生まれるだろうということで、取り込みたい家は多いそうだ。
知るかっつーの。ベリザディーノは分かっていない。私はダンスの相手ぐらい自分で選ぶ。
「そこまで前提条件変える時点で意味ないよ。それに私、大人になったら父と素敵なファーストダンス、叔父でうっとりセカンドダンスするって決めてるの。このお兄さんと踊ることないもん。それに結局脱がせてないのに怒るなんてひどいよ。リオンお兄さんなら水着の試着も見せてくれたのに。いくら体に自信がないからってサービス精神足りなすぎだよ」
「どうしようもないのはお前だ、アレル。本人を前にしてなんつー身の程知らずで礼儀知らずなことを口にするんだ。そんな無茶を要求された三男殿に僕達は心から同情するぞ。どれだけ我が儘通したんだ」
ダヴィデアーレは気にしすぎだ。どうせネトシル少尉、何とも思ってないよ。
「だって本人が構わないって言ったし、それにみんな、肉体の比べっこはしてたよ。そこのお兄さんは見せてくれないから分かんないけど、あの時、どれもいい体だったもん。一番素敵な体だったのはうちの父だけど。あ、もしかして見たかった? だけど水着のフォトは撮り損ねちゃったの。だってあそこ、色々な思惑がありそうだったし。さすがに私のおうちからの流出は避けたいしね」
たとえ外見は愛らしい少女でも、私の中身は大人の女。あわよくばという女性を見抜くことなど造作もない。だから塩水湖では行動にも気をつけていた。
「おい待て。流出って何だ。アレル、一体どこで何をしてたんだ」
「いや、それが聞いてよ、ディーノ。どれも違うタイプの男達がいたら、似合う水着をそれぞれ着せて、タイプ別の魅力を楽しんでみたいでしょ? やっぱりそこでフォトは撮っておきたいでしょ?
だけどなぁんかあのお姉さん達がねだってきそうな気配が濃厚だったんだよ。ましてや掃除に入ったりされるんじゃ持ち物も探られそうだったし。だからあえて何もしなかったの。
そうでなければ素敵セクシーフォトが今頃うちの壁を埋めていたのに。だけど私は最低限の義理は通すのです。ゆえに流出の危険性があることには手を出さない、それが私のポリシー」
企業秘密は盗まれそうな所に置くものではなく、塩水湖にある別荘でフォト機を置きっぱなしにするには、あのメイド達を信用しきれなかった。
「あのなあ、アレル。もう本気で黙っとかないとお父君がとんでもないことになるぞ。うちの妹ならもう地下牢で反省文十枚だぞ?」
「だってそこのお兄さん、ドルトリ中尉化したならもう終わりだもん。どうせ父に言いつけるもん。それなら私も考える。虎の種の印を持つ者は年が近いと反目しあったり、互いにレベルを競ったりしてバチバチやらかすことが多い。ゆえに・・・! もう父には言いつけたくなくなるぐらいに、徹底的にそこの根性を叩き折っておくのです・・・!」
だって私、怒られたくないもん。弟と比べられてボロクソ言われただなんて、情けなくて言えないよね。
「ああ、そうか。アレルが誰かに対して問題行動していたなら苦情を入れられるけど、弟と比べられて心が狭いと言われたとか、弟は水着を見せても平気だったかもしれないけど自分は裸にされる妄想も受け付けないんだとか、そりゃネトシル殿からウェスギニー子爵に言いにくいよね。どんな神経質な男かと思われるだけだもん。実際にアレル、ガルディ兄上達の水着姿見てたし、ちょっとズルして競争してたんだから。アレルって本当に策士だね」
「ふっふっふ。全ては頭脳の勝利です・・・!」
くすくす笑うエインレイドは相変わらず細かいことを気にしない性格だ。やはり上に立つ人にはこれぐらいの寛容さが望ましい。
「なんて姑息で情けないミニサイズ悪女だ。奥方様、もうアレルちゃんの存在はレイド君の教育に悪すぎます」
「そうねえ。だけどレイドも楽しんでるからいいんじゃないかしら。実際にアレルは大人気よ。ダンスパートナー候補も沢山いそうね。たしか秋の学校のダンスパーティはこのクラブメンバーで踊るんでしょう?」
「僕としてはそれがいいかなって思ってます。ランチメンバーなら男四人、女四人だし。そういえばアレル、アレンはどうするの?」
「さあ? ルードは放っておいても大丈夫ですよ、レイド。多分、一人で心細そうな女の子に声かけて勝手に踊ると思います」
「そういえばアレン、そういうところあるよね」
そうして動物園に到着すれば、夜間営業は盛況らしい。暗い場所が多いのでデートにもピッタリなのだとか。道理で男女ペアが多い。家族連れも多いけど。
「トロッコ列車で回るコースと自分で歩いて回るお散歩コース。どっちがいいのかな」
「ガイドブックによると楽なのはトロッコ列車だけど、どうしても離れている場所はあるから暗いとよく見えないらしいよ」
「リオ、ナイス。じゃあお散歩コースだねっ。だけど閉園時間まで時間があったらトロッコも乗ろうねっ」
トロッコ列車は動物園内をゆっくり走ってくれるらしいけれど、その時に動物が見えやすい場所にいてくれるとは限らない。生き物だからしょうがないよね。
「それなら明日は日中に来ればいいんじゃないか? 昼と夜セットチケット売られてるぞ。昼間ならトロッコでもよく見えるだろ」
「ディーノ、ナイス。じゃあそれにしよ? みんな、それでいい? それともお昼は嫌?」
「構わないが昼は人の顔もよく見える。見つかったらまずくないか? まさかあれで諦めはしないだろ」
ダヴィデアーレは到着した途端、周囲を見渡していた。夜の動物園にも同じような待ち伏せがあるかもしれないと思ったのか。
だけど暗い中で知り合いを探したり、声をかけたりするのってかなり面倒なんだよね。
「失敗は二回繰り返さなきゃいいんだよ。昼間は変装すればいいだけでしょ。何の為にマーケット行ったと思ってるの」
「ぐるぐる巻きにされる為だろ」
「ひどいよディーノッ」
そんな私の頭に手が置かれ、誰かと思えばエインレイドだった。
「そういえばアレル、化粧品買ってたね。てっきりおしゃれしてくれるのかなって思ってたんだけど。でも化粧しなくてもその恰好、とっても可愛いよ」
「あ、そうそう。動物園でフォト撮ってくださいね、レイド。帰ったら祖父母に見せるんです。このお洋服、とっても可愛いから」
「子爵とレミジェス殿も見たら喜びそうだけど」
「うーん。父は基本的に目の前で着てみせないと褒めないんですよ。そして父がおうちに戻ってくるのは夜が多くてほとんど私はパジャマ。叔父は叔父で仕事が忙しいせいか、服よりも私がぎゅっとしてあげる方が喜ぶという・・・。まあ、子供のおしゃれに目を細めてくれるのは子育てを一段落した人だということです」
愛されすぎていると大変。父や叔父はフォトの中の私より、私を抱きしめてお喋りする方が好きだ。
「やっぱりアレル、中身お婆ちゃんじゃないの?」
「そんなことありませんよ。とってもフレッシュぴちぴち上等学校一年生です」
昼と夜セットチケットを購入し、看板の前でみんな揃った記念フォトを撮ってもらうと、右回りか左回りかで悩む。
「こういう時、1番から回っていくより、逆流した方が空いてそうだよな」
「私もそんな気がする。博物館や美術館でもたまにそういう時がある」
ベリザディーノと私の意見が一致したことにより、入場後は最後のペンギンから見ていくことになった。
ペンギンはまだ起きてるのかな。ちょっと夜の動物園ってわくわくする。
「うふふー。夜のお出かけってなんか楽しいねっ」
だけど歩き出そうとした私の両肩をがしっと掴む手があった。
「ん? 何?」
「いいですか、アレルちゃん。何かする前に声をかける、いいですね?」
強引に振り向かせられたかと思うと、しゃがみこんで目線を合わせてくる人がいるのだが、私はそんなことをされなくてはならない幼児ではない。
クラブメンバーのトップ、つまりクラブ長という代表者に対し、この護衛のお兄さんはあまりにも礼儀がなってなかった。
だから私は冷静に言いつける。
「聞いてくださいレイド、これを人は被害妄想と呼ぶのです」
振り返ったエインレイドが近寄ってくる。そして護衛のお兄さんと私を見て苦笑した。
「えっと、さすがに叔母さんもいることだし、アレルも無茶はしないと思いますよ。それにみんなもついてきてくれてるし」
「そう信じたいものです」
暗くても分かる。彼の目は私を疑っていた。
「聞いてくださいお母さん、このお兄さんが私をいじめ・・・あれ?」
「とっくにみんな行っちゃいましたよ。ほら、行きますよ、二人共」
「なんてぞんざいな。大事なレイドを置いてけぼりだなんてひどいですよ。護衛は何をしているのですか」
「私を何だと思ってるんですかね、このミニサイズは」
ついに私の名前はミニサイズで定着したらしい。
動物じゃないだけマシなんだろうか。やはり私をどこまでも愛してくれるのは父しかいないのか。
可愛い子リスさん、私の愛の妖精、お茶目な私のピンクウサギさんと言ってキスしてくれる父みたいな人が不足中だ。
「一人に一人ずつついてるけど、他にも離れている人はいるからね。それにあの家だと僕、いつもこんな感じだよ。叔父さんがああいうタイプだしね」
「それならもう一人いるのでは?」
「アレルには叔母さんがつくってことだったけど、・・・まあ、見えてるからいいんじゃない?」
「ガーン。お兄さんにかかずらっている間にお母さんに置いていかれてしまうとは」
人生はほろ苦いものだ。ダヴィデアーレがペンギンを指差しながら大公妃に話しかけていた。
やっぱり年上趣味なのかな、ダヴィデアーレってば。
「どうしよう、レイド。ダヴィが私からお母さんを奪おうとしている」
「心配しなくてもアレルのライバルには誰もなれないよ」
「そうですね。そこまで図々しかったらどんなライバルもシッポを巻いて逃げるでしょう」
「なんてこった。私の理解者はどこだ。それでも私は頑張り屋さん。ちょうどいいアングルで撮れそうだからいいとしよう。ほら見て、レイド。かえって離れている方が、こちらを意識していないから自然な笑顔が撮れるんですよ。ああしていると少年らしくて初々しいですよね」
「アレル。たまに僕は本気で君の年が分からない」
ちょうど明かりに照らされているダヴィデアーレ達が、ペンギンを指差して笑いながら何かを喋っている様子を撮れば、自然な笑顔がいい感じのアングルだ。
マルコリリオが何かをベリザディーノに耳打ちして、護衛の人達を含めてみんなが笑い出している。エインレイドもフォト機を向けてそれを撮り、満足そうにふふっと笑って私を見下ろしてきた。
「僕、いつも撮ってもらう側だったからちょっと面白い? うん、なんだかくすぐったい気持ちだ」
「ここで新たな才能に目覚めてもいいかもしれないですよ。レイドも秘密のお部屋をもらって、そこにお宝フォトを飾ると楽しいです」
「そうだね。今まで何かとフォトを撮ってくる人の気持ちってよく分からなかったんだ。だけど撮ってみて分かったよ。こうやってあんな風にみんなが屈託なく笑っているのを見て、その幸せを一緒に分かち合いたいからその一瞬を切り取ってしまうんだね」
「・・・・・・なんて清らかでピュアな子なの」
私は敗北を悟った。
これが王族と平民の差なの? かつての同じ年頃だった優斗を思い出すと、涙が出そう。
姉の交友関係をぶち壊しては可愛らしく甘えることで有耶無耶にしていたかつての弟の心が魂胆を見せない底なし沼なら、サルートス国の第二王子の心は水底まで透明な湖のように澄みきっていた。
そしてエインレイドがフォトを飾りまくる部屋を作っても、私とは方向性が違うと確信できる。
「君が汚れすぎているのですよ、アレルちゃん」
なんか言ってるけど聞こえない。だってね、女の子の耳は賛同する言葉だけを聞く為にあるの。それ以外はただのざ・つ・お・ん。
同じクラブメンバー、そして友人として、私はエインレイドの両手をぎゅっと握った。
「レイド。見たり聞いたりして分かった気になるのと、自分で体験して実感するのは本当に違います。だからもっともっと色々な経験をみんなで重ねていきましょう?」
「そうだね、アレル。君といると本当に退屈しない」
ふふっと笑ったエインレイドと、手を繋いで私達は歩き出す。
夜なのでペンギンは寝ていた。うつぶせになってばたばた倒れている。
「これは・・・! ヴェラストール集団殺ペンギン事件・・・!?」
「寝てるだけです、アレルちゃん。ペンギンは立って寝ることもありますが、こうして腹ばいで寝たりもするのですよ」
「し・・・知ってたもんっ。・・・って言いたいところですが、知らないことを知らないと認めるのは大事なことです。教えてくれてありがとうございます、お兄さん。なんて立派な私」
「何故そこで自画自賛に走る。レイド君、知らないことを知らないと認めるのは大事なことですが、こういう自画自賛までは見習わなくていいですからね」
「うーん。気は合ってる、のかな? ・・・さすがにあのペンギンを撮っていったら死んでると思われそうだ。それにすやすや寝てるのを邪魔したら可哀想だしね」
エインレイドも面白いと思ったものの、あまり明るくフラッシュライトで照らしたら起きるかもしれないと、フォトを撮るのはやめたようだ。
「そういう時は感度をかなり高く設定してライトを使わず撮ってみるといいですよ、レイド。それ、最高機種だから感度変更装置ついてます」
「そうなんだ? どうやるの?」
「ここをこうして、一時的に感度を高く3000に合わせるんです。明るい方には向けないで、ペンギンだけ狙ってください」
「うん。・・・・・・これでいいのかな」
「はい。それで元に設定を戻しておきましょう。やってみてください。そこの数値を元通りにします。と言っても、今、夜間だから数値は、・・・そうですね。2000ぐらいかな? 日中だと1000ぐらいでいいですよ。それでもしもう少し・・・と思ったら、自分なりに変えていくといいです。何なら今、2000と1000で撮ってみて、帰宅してから比べてみるといいかもしれません」
「あ、そっか。そうすればいいんだね」
様々なものに手を出してみて、自分が本当に好きになれる趣味を見つけてくれたらいいと思う。
「動物園で初めて撮ったのがペンギンの寝姿ってみんなに笑われそうだ。だけど面白いね、アレル」
「そうですね。ねえ、レイド。フォトと言えば笑顔って言うけど、全てそうである必要はないんです。かえって撮られていることに気づいてない方が、いいフォトが撮れるものなんです。だからレイド、フォトだって自分が思うように撮ってみるといいですよ。失敗しながら人は学んでいくんです」
「うん、やってみるよ」
「そしてもしもドルトリ中尉とかの弱みになりそうなものが撮れたら是非私にこっそり見せてください。ガルディアス様のでもいいです」
「・・・弱みになりそうなことなんてあったかなぁ」
「例えばあんな感じで酔っぱらっておしり丸出しで寝てる姿とか、特定の女性の前ででれでれしてる姿とか、だらしなくよだれ垂らして寝てる姿とか、そんなのでいいです」
私はペンギンを指差した。きっとみんなが笑っていたのもあの寝姿に違いない。
「僕の前で酔っぱらった姿なんて見せたことないよ、あの人達。僕が真似したらいけないからって、特に気をつけてるからね」
「そこはスクープを取りに行く感じでこっそりと。どうせ見えない所じゃだらけてますって。いいですか、レイド。特ダネとは自分から攻めていかないと手に入らないのです」
いつでも素敵な殿方なんてうちの父と叔父だけ。私はそれを知っていた。
だって私が眠るまで優しくお喋りしてくれる時も、ちょっとお寝坊さんして私がその寝顔を見ている時もいつだってその魅力が溢れてるんだもの。
眠そうな顔していても「もうちょっと一緒に寝てようね」って微笑んで私の額にキスして抱きしめてくれる時なんて、世界が薔薇色に輝いてしまう。
「そこの図々しくて恥知らずなミニサイズ悪女、レイド君を悪の道に引きずり込むんじゃありません」
「ほら図星。心当たりがあるから、そこのお兄さんも私を止めるのです。次は自分だと知ってますからね。所詮、男の弱みはベッド近くにあると決まってます。レイドも覚えておかないと。ベッド近くはすぐばれちゃうんですよ」
「えーっと・・・。とりあえずベッド近くだね。今度見ておくよ」
「そうなのです。できれば決定的な本人の寝相込みフォトで」
「何をとんでもないことを吹きこんでやがるっ、この悪ガキ娘っ」
ほっぺたつねられそうな気配を察し、私はエインレイドの右腕にしがみついた。
「レイドッ、ベッド近くにエロエロ本を隠しているお兄さんが私をいじめますっ」
「えっと・・・、叔母さん達はあそこだからそろそろ追いつこうか」
「誰がそんな本を隠してると言うんだっ」
「レイドッ、女の人を連れこんでエロエロしているお兄さんが私をいじめますっ」
「勝手に決めつけるなっ」
「えっと、あの、落ち着いてください。アレルの言うことを真面目に受け取ってたらおかしくなるだけです。また言ってるぐらいにしとくのが一番じゃないかなって・・・」
「いいですか、レイド君。その可愛さに騙されてはいけません。あの手の・・・あっ、待てっ」
待つわけがない。
私は一気に大公妃の所へと風のように駆けた。
だって私を追いかけられる筈がない。彼はエインレイドを守らなくてはならないから護衛対象から離れられないのだ。これぞ頭脳の勝利・・・!
そんな追いついてきた私の胴体に腕を伸ばしてストップさせたのがベリザディーノだ。
こちらの方をたまにチェックしていたベリザディーノは、前を行く集団の後ろにいた。
「そんなところで腕出さないでよ、ディーノ。あと少しでお腹の中から逆流状態だよ」
「嘘言え。そんな位置じゃなかっただろ。何やってるんだ、アレル。どうせまた怒らせたんだろ」
「怒らせてなんかないもん。人って本当のこと言われたら怒るもんなんだよ」
「やっぱり怒らせたんじゃないか。なんかシロクマの檻、広くて見つけるの大変らしいぞ。さっきから見てるんだが見つからない。明かりもそこまで明るくしてないしな。水の中かな」
「水の中でも眠れるのかな。シロクマって夜行性なの?」
そこへマルコリリオが声をかけてくる。
「ディーノ、アレル、あそこっ。あそこにシロクマいたよっ。あの岩の陰っ」
「へ? あれって岩じゃないのか? 白くないぞ」
「極寒の海流環境じゃないから毛が変色したんだろう。看板にも書かれている。どうやらシロクマ、白い毛が変色して岩や苔と似た色になってるそうだ。毛に藻が入りこんだら、洗ったぐらいじゃなかなか落ちないそうだ」
ダヴィデアーレが軽く両手を広げて説明してきた。
護衛の人達は私達を邪魔しないよう、少し外側になるように後ろへ下がって見守っている。誰もが二十代っぽいから、やっぱり兄弟というコンセプトだろうか。
「シロクマ改め迷彩柄グマ。もうアレはシロクマを超越しちゃったんだね。そしていつか褐色グマに。・・・あれ? そしたら普通のクマになっちゃう?」
「勝手にシロクマの種族変えるなよ、アレル。あえて言うなら汚された・・・? うーん、やっぱりどんなに努力しても氷が張る程じゃないもんなぁ。雪や氷や海水で白い毛を維持しているのとは違うんだな。・・・あ、レイド。あそこ、シロクマが変色しちゃってるんだ。アレルが迷彩クマとか勝手に名付けてる」
「うん、聞こえてた。シロクマだけじゃなく、ネトシル殿までアレルに汚されたとか言ってたよ。ああしていたら岩にしか見えないね」
追いついてきたエインレイドは、置き去りにされたことなど気にしていないようだ。やっぱり寛容な王族って大事。
マルコリリオが笑顔でエインレイドを振り返る。
「遠いのもあるかも。近くで日中に見たら毛がたなびいてるかもしれないよ。夜行性の動物はもうちょっと離れたコーナーみたいだ。あ、そうそう、レイド。ディーノがね、ペンギンが寝てるの見て、ペンギンパジャマがあったら買っていってアレルに着せたらそっくりかもって言ってたんだ」
「ちょっと待って。なんで私があんなうつぶせ寝でぐでーっとしてなきゃいけないの。それならリオが着てるといいよ。土いじりしていて疲れたらペンギンパジャマでぐてーっとしていても目立たない」
私が可愛いのは世界共通の事実だが、さすがにそれはちょっと嫌だ。
おうちで可愛いウサギさん、愛の妖精、いたずら子リスさんなどと呼ばれるのはいいけど、ぐて寝ペンギンさんなんて、愛の言葉も一気にランク落ちだよ。あり得ないよ。最愛のお嬢様ポジションが一気にお笑いポジションなんて世界最大の悲劇だ。
そんなのはそこらの少年共のお仕事でいい。
「いや目立つだろ。あんな白と黒の塊がいたら目立つだろ。それにリオが着て誰が嬉しいんだよ。そうじゃなくてほら、ペンギンが寝てるのって胴長短足でさ。今日みたいなぐるぐる巻きされるならアレ着せとけばいいんじゃないかって思ったんだよ」
「だよな。あれなら可愛いし、抱っこされてても問題ないだろ。売ってたら買ってあげなきゃなって言ってたんだ。な、ディーノ?」
「ああ」
なんてことだ。ペンギンを指差しながらそんなことを言い合っていたとは。
「えっと、あの、あのね、アレル、大丈夫だよ。そんなのまず売られてないよ。ね?」
「なんてことでしょう。レイド聞いてください。私達がとても素敵なフォトを撮ってあげてた時に、みんなは私を笑いものにしていたのです。これは三人をペンギン仮装させなくては気が済まない」
「アレルがペンギンになるから可愛いのであって、ディーノ達がペンギンになっても可愛くないと思うよ。ほら、あっち。アザラシコーナーがあるみたいだ」
エインレイドが私の頭を軽く撫でたかと思うと、両脇に手を差しこんでくるりと前を向かせる。そして私達は歩き出した。
「まあ、レイドはなんて見る目がある子なんでしょう。だけど胴長短足扱いされたなんて私の沽券にかかわります」
進行方向にはアザラシコーナーがあるらしい。動物園と水族館の違いについて私は少し考えた。
だけど気にしても仕方がないという結論に至る。
「そうかな。じゃあもしもペンギンのパジャマが売られていたら買ってあげる。それでアレルが着てみて、可愛いか可愛くないかの投票をすればいいんだよ。アレル、動いてても可愛いけど、動いてなくても可愛いから全員一致で可愛いよ。きっとおうちの人も可愛いって言うと思うな」
私はアレンルードにペンギンパジャマを着せたところを思い浮かべてみた。
「たしかにそれは一理あります。うちの兄に着せたら可愛すぎて抱きしめちゃう」
「おい、そこのビーバー。レイドは褒めてるようで実は僕達と同じ結論に至っているってことに気づけ。ついでにどうして来てないアレンを巻きこむんだ」
「なんて愚かな奴よ、ディーノ。いいですか、よく聞きなさい」
「おう、聞いてやる」
クラブメンバーと言っても性格上の違いもあり、こういう時はベリザディーノと私の舌戦になりがちだ。何故かというと、後に引かないからである。
マルコリリオは結構気にする子なので、私もあまりきついことは言わない。
「明日は朝からまたここに来るのかしら?」
「博物館と雑貨屋巡りが残ってます。アレル、その場で行きたい所を主張するので、どうなんでしょう。僕達もアレルの思い付きのままに振り回されているので・・・」
「奥方様もいらっしゃいますよね。アレル、僕達に化粧品を見せてどの色がいいのか聞いてくるんです。だけど僕達じゃちょっと・・・」
「ああ、それは男の子には難しいわよね。だけどアレル、お化粧しないのにどうして化粧品なの?」
「え? よく分からないですけどマーケットでかなり買いこんでいたような・・・。えっと、ダヴィ。たしかあれ、化粧品だよね?」
「ああ。なんか沢山買いこんで・・・って、うちの母とかに比べれば全くもって少ないですけど、そこそこ買ってたような・・・? 親に内緒で化粧品を揃えたいのかな」
「それならお祖母様の使っているところがあるでしょうに。初めてのお化粧品セットを喜んで納品すると思うけど」
「そうなんですか? 女の子ってそんなものがあるんですね」
「知らなかったです。よく分からないけど意味分からない瓶が沢山並んでるなって感じだったし」
「そうね。男の子にとってはそんなものよね」
私達と数歩遅れた場所を歩きながら、大公妃はダヴィデアーレ達と何やら話している。化粧品については明日が本番だからいいのだ。
そっちは放っておいて、私はベリザディーノを見上げた。
私には野望がある。今の内にクラブメンバーを躾けて素敵ボーイズに、やがては素敵ガイズに育てるという野望が・・・!
そうして弟の育て方を間違えた黒歴史に別れを告げてみせる・・・!
「いーい、ディーノ。可愛いというのは、楽しくなくちゃいけないの」
「は? 楽しい? なんでだよ」
「可愛いというのは、心がほんわかきゅんきゅんする感情だから」
「そ、そうなのか・・・?」
「そうだよ」
私は断言した。
「ほんわかきゅんきゅんする感情が心に生まれたらそれを放出しないと心が破裂しちゃうじゃない」
「え? そ、そんなものか?」
「そうだよ。ディーノだって可愛いペット見たら撫でてみたくない? すりすりしてきたら、抱きしめたくならない? 馬だってディーノの髪を噛み噛みして甘えてきたらよしよしって野菜あげたいでしょ?」
毎朝、自宅で乗馬訓練しているベリザディーノは馬を愛している。
「お、おう。言われてみれば・・・」
「それが可愛いって感情。人はね、可愛いなって思ったら撫でたいし抱きしめたいし、そのきゅんきゅんを楽しみたいの。だから私はペンギンパジャマ見つけたらルードに着せて抱きしめるんだよ。当たり前じゃない」
「そう言われてみれば当然なのか? まあ、そうだな。そんな気もするな」
「あのさ、ディーノ。もしかしてアレルの数段論法にはめられてない?」
エインレイドが何か言ってるけど気にしない。だって礼儀正しく育てられた王子様、あまり強く否定しないクセがあるんだもん。
だから私はベリザディーノに対して畳みこんだ。
「そうだよ。ましてやルード、私と同い年なんだよ。可愛いのは残り二、三年。今の内に堪能しておかないと、いずれ小憎たらしいことしか言わなくなるもん」
「小憎たらしいことしか言わんのはお前の方だろが」
私は記憶の中にしかない、かつての幼い弟の笑顔を振り返る。
ああ、どうして・・・。どうして、あの私だけの天使がああなってしまったの。
「そんなことないよ。男の子なんてね、小さい頃は、大好き、寝るまでそばにいて、一緒におててつないでとか純粋に甘えてくれてても、大きくなったら変な知恵もついて、自分だけが好きで僕のこと本当は嫌いなんでしょ、悲しいよ、一緒にいたいって思ってるのは自分だけなんだね、分かってる、どうせ家族よりどこぞの男の方がいいんだよねとか言い出すんだよ。そして粘着質になるの。内緒でデートするんじゃないなら予定ぐらい言えるでしょ、とかね。だからなるべくうちの兄は妹離れするように躾けてるんだけど」
私はほうっと溜め息をついた。
「その具体的な羅列が怖いぞ。どこからそんな妄想持ってきた」
「妄想だったならどれ程に幸せなことか。いや、今はまだ大丈夫。うん、大丈夫だから考えない。そんなことより、・・・あ、クマだっ! レイド、ディーノ、今日食べたクマがいるよっ!」
色々と悩ましい弟ではあるけれど、私の名前に反応してこの国まで来たのだと思えば、楽しく過ごしている自分にちょっと罪悪感が生まれる。
だから私は少し先に見つけたクマの檻まで走っていった。
(和おじさんはこの国まで来てくれたけど、あの子も恋人ぐらいいないのかな。あの佐々木さんも独身だって言ってたけど)
問題はうちの弟、職場恋愛という言葉に嫌悪感を持っていることだ。
すぐにエインレイドとベリザディーノ、そして護衛の男性が二人やってくる。ネトシル少尉のお兄さんは大公妃の近くで何やら話していた。
ベリザディーノが黒褐色のクマが闇に沈んでいるものだから、目を細めて考え始める。
「クマも色々いるだろ。同じ種族のクマなのか? レイド、この辺りってなにグマだっけ?」
「さあ? だけどアレルにかかると、動物園のクマもご飯になっちゃうんだね。アレルがクマ食べたなんて言うからみんなぎょっとして、ダヴィ達なんて他人のフリしてるよ」
振り返れば、ダヴィデアーレ達がサル山を見ているフリをしていた。なんという友達甲斐のないクラブメンバーだろう。
私の恨みがまし気な視線に気づいたか、マルコリリオが済まなさそうな顔で笑ってごまかしてくる。
だから私は胸いっぱいに空気を吸い込んで叫んだ。
「ダヴィーッ、リオーッ! 今日二人が美味しいねってぱくぱく食べてたクマがいるよぉーっ! サル見てるより、クマの方が好きだよねーっ!!」
周囲の視線が、私が手を振っている方向にいて、更には私と同じ世代であろう二人に集中する。
――― あの子達、クマ食べたって。
――― クマなんて食べられるの? 怖ぁい。
――― どこの原始人だよ、クマだって。
私が深呼吸した時点で大きく後方へ跳躍していた大公妃は、さすが虎の種の印を持つ人だ。ネトシル少尉のお兄さんは逃げ遅れていた。
(フッ、勝った・・・!)
背後でエインレイドとベリザディーノがお腹を押さえて笑い転げているけど気にしない。
私達といた護衛の二人はあっけに取られていた。
「ほ、本当にやりやがった。さすがアレル」
「ダヴィとリオも中途半端にやるから。アレル、我慢しない子なのに」
「クラブメンバーは皆で全てを分かち合うのです。注目される時も五人一緒なのです。これがチームの団結力です」
顔を真っ赤にした二人が駆けてくる。サル山を見ていた人達にじろじろ見られるのが耐えられなかったらしい。
「お前なあっ、注目集めるなら一人でやれっ。なんで僕達を巻きこむんだっ」
「やった後に言っても遅いよ、ダヴィ。もうアレルってば、最初にクマ食べたとか言うからだよ。ここ、観光客しか来ないのに」
「大事なのはみんな一緒ってことだよ。クラブメイトだもん。ね? よっ、クマを食べる人達っ」
「ああっ、もうっ、このド迷惑クラブ長がっ」
なんかダヴィデアーレが叫んでいるが、私は裏切りを許さない女。吠えるがいい。
「ふっふっふ。誉め言葉として受け取ってあげちゃう。それでね、屋内温室エリア行こうよ。ところでマントヒヒとかオランウータンとかって夜は寝てるのかな」
「本当に自由だなっ。さすがに寝てそうな気もするが、危険を感じたらすぐに目覚め・・・、そもそも動物園に暮らして長い動物達にそんな防衛本能は残ってるのか? どう思う、リオ?」
「うーん。見てみないと分からないけど、寝てるようなら起こさないようにしようね」
途中で見つけたドリンクスタンドで私はミントティーを買った。
「ミントティー? アレル、それ美味しいの?」
「夜だからヘルシーにしてみただけ。こういう所では立ち飲みしながら歩くものだから。レイドもやってみますか? だけど内緒ですよ? レイドに勧めたって知られたらまたいじめられちゃう」
「もう諦めてると思うよ。じゃあ、僕は何にしようかな。ダヴィ達は何にする? こういうのリオが詳しそうだよね」
「そうでもないよ。だってお茶で飲もうなんて考えたことないもん。アレル、大抵お菓子や料理に入れこんじゃうから」
結局、エインレイドはカモミールティー、ベリザディーノはミントティー、ダヴィデアーレはイラクサティー、マルコリリオはエルダーフラワーティーにした。大公妃はフェンネルティーだった。
「お兄さん達は飲まないんですか? そろそろ咽喉が渇きませんか?」
「私達は持ってきたものを飲むのですよ、アレルちゃん」
「そっか。お仕事中だったのですね」
私は護衛のお兄さんの頬がぴくりとしたのを感じ、ささっと大公妃の陰に隠れる。
ミントティーを飲みながら歩けば、やっぱり大公妃の隣が安心できた。
「ははは、私達が何をしてると思ってたのかな。ふふ、逃げなくてもいいですよ。ところで奥様、今日の私の勤務時間はとっくに終わってるような気がしたりしているんですが、そうなるとそこにいるのはただの子爵家のお嬢さんですよね?」
「そうねえ。だけどあまりいじめると嫌われちゃうわよ。可愛い気持ちは分かるけど」
「可愛いですか、これ? やってることはただの悪ガキじゃないですか」
ついに私を悪ガキとまで言い放ってくれやがった侯爵家のお坊ちゃま。これがお仕事している大公家の女主人に言うセリフだろうか。
よほどサル山の前でみんなにひそひそ言われたのが堪えたらしい。
これだから打たれ慣れてないお坊ちゃまは心がひ弱なんだよ。
「なんてことでしょう。レイド、レイドはこんな仕事時間でなければ女の子をいじめていいという大人になってはいけません」
「もう僕はどうすればいいのか分からないよ。叔母さん、そもそもアレル、自分のお父さんと叔父さんが世界で一番素敵な兄弟だって思ってる子だし、年上で身分が高ければいいってもんじゃないし」
「そうね」
「何かあったんですか、お母さん?」
意味が分からず、私は大公妃を見上げた。
「アレルはあまりにも貴族としてお付き合いをしてこなかったでしょう? アレルにも選ぶ権利はあるもの。だから今の護衛は全員、侯爵家以下、爵位のある貴族家の子息達だったんだけど。アレルだってちょっとはいいなって思う人は、・・・いなかったからこうなのよね」
「? 身分は凄いなって思いますけど、よそのおうちの身分と財産はよその家のものだし、関係ないですよ?
あ、私、これでも婚約中なのでボーイフレンドは特に募集中ではないのです。ついでに私に一番お金を使ってくれる上、おねだりと自由を叶えてくれるのは祖父と叔父だって分かってるので、よそのお坊ちゃまに興味はないのです。
お母さんが私の為に出会いを考えてくださったお気持ちはとても嬉しいのですが、この場で一番私を大事にしてくれて手間をかけてくれて魅力的なのはお母さんだから、正直、目に入らなかったです」
何がこうなのかが分からないが、要は、ちょっとした出会いを演出してくれていたらしい。
しかし優斗という厄介な弟がいる今、弟と同じ世代の恋人など作れる筈がない。ヤる。何がとは言えないが、あの子はヤる。
「相変わらずその身勝手さと計算高さが凄いね、アレル」
「道理で護衛なのにみんな物腰が優雅だと思った。だからダヴィが変な顔してたのか」
「そりゃ兄の友人がいたら、あれって思うよ。兄に変な報告されないようにって思って気をつけてたらアレルがクマ食べたとか叫ぶし」
「そっか。護衛のお兄さん達の方が護衛をつけていそうな雰囲気なのってそれがあったんだ。・・・ねえ、アレル。それならもう少しおしとやかにしといた方がよかったんじゃない?」
「そう言われてももう遅いし、それに私、よそのおうちの好感度上げても意味ないもん。ただでさえガルディアスお兄様とグラスフォリオンお兄様と近いってんで殺気が飛んでくるんだよ? これ以上増やしたら身が持たないよ。また祖父に怒られちゃう」
やれやれだ。ましてや今、和臣まで来てしまった。
女性に対しては親切だけど、気に入らない男は叩きのめして当たり前な和臣が。
うちの家族とはいい感じだったから心配してないけど、よその我が儘お坊ちゃまなんてトラブルの種だ。
「あら、セブリカミオ様に何か怒られたの?」
「これ以上、男性の知り合いを増やすなって怒られました。私、悪くないのに。ガルディアス様はなんかそこらの気の利かないお兄さんだったし、グラスフォリオン様だって仕事はするけど勤務時間外はただの軽薄なお兄さんだったんです。二人共、自分の身分を隠して私を騙してたんです。だからお母さん、うちに来る時には是非、私は悪くないって言ってください」
「アレル、なんという暴言を・・・!」
ダヴィデアーレが慌てて私の口を塞ぐ。そして、
「お前はそのお二方のご家族が目の前にいることも分かってないのかっ」
と、耳元で素早く囁いてきた。
だけどフォリ中尉が女の人に対して気が利かないのは純然たる事実である。いじめられた私が言うのだから間違いはない。お金を使ってくれるからいいけど。
「いいのよ、気にしてないわ。たしかにガルディアスは気が利かないもの」
「ほら、お母さんだってそう言ってる。息子なんだからたまにはお母さん、デートに誘えばいいのにって言ったら、もう子供じゃないとかって鼻で笑ったんだよ? 幾つになってもたまには親子でデートって素敵だよ。ダヴィだってそう思うでしょ?」
「悪いが、僕だって母とデートだなんてしない。そもそもアレルが令嬢として最低未満だということは誰もが認める事実だが、そのお二方は誰もが認める最高峰だ。いい加減、客観的な視野を持ってくれ。見た目だけは可愛い令嬢なんだから。誰もがこいつはどうしようもないから仕方ないんだなって思ってくれるわけじゃない」
「その通りだぞ、アレル。目の前のレイドを忘れてるんじゃない。まだあちらは成人してらっしゃるし、単なる面白い生き物扱いされてるだけだからいい。だけど同い年のレイドこそアレルが釣り上げるべき一番の大魚だって、女の子にとっての常識じゃないか」
「レイド達はまだ子供だから祖父も私の対象外ってことで気にしてないんだよ。だから怒られないし、どうでもいいかな」
私が可愛いのは世界共通の事実だが、この二人はもう少し私を令嬢として尊重すべきだ。
「別に僕もアレルを恋人にしたいわけじゃないけど、魚扱いも論外扱いも地味に傷つくかな」
「ごめんね、レイド。だけど恋愛感情の絡まない異性間の友情はとても貴重なんだよ。ダイヤモンドより希少だよ。そういう意味で私とレイド、とってもとっても稀有で価値ある関係を構築しちゃってるよ。傷ついちゃ駄目」
「はいはい。そんなことより叔母さん、分かったでしょ? アレルってこの性格を面白いと思えて、しかもお金がないと飼えない子だってガルディ兄さんも言ってたよ」
「そうみたいね」
「私は売られていません。勝手に買おうとしないでください、レイド」
「売られてたら僕が真っ先に買いに行くよ。だってアレル、とっても可愛いから。そうしたらずっとお友達だね」
「売られてないけど私達はお友達です、レイド。利益関係になく、恋愛感情もなく、純粋な友情で結びつけられた関係なんて、ほとんどの人が手に入れられない伝説の至宝。だからお母さんの隣は私に譲ってください。なんかあそこの猛獣エリアは人が多いです。見つかったら私の危機です。お母さんの傍が一番安全です」
とっくに屋内エリアは終わっていた。どの動物も動かなかったからしょうがないんだけど、どうやら屋外にある猛獣エリアでは動物達も起きて元気に動いているらしい。
「なんて友情を自分勝手にはき違えてる奴なんだ、このビーバー」
「そういう時こそ、レイドを奥様の所にって思うものじゃないのか?」
「アレルって本当に自分に正直だよね。だけどそうしたらレイド、誰が隠してくれるの?」
私はぴとっと大公妃にくっついて、この位置は私のだと主張した。頭を撫でてくれる大公妃の手がとても優しい。
「そこの護衛のお兄さん達が現役有望株なら、そっちを先行させればいいんだよ。そしたら大抵声をかけてくるよ。その隙に逃げるっ。護衛なんだからきっと囮になってくれるっ」
「あのな、アレル。とても大切なことを教えてやる。このお兄さん達は護衛かもしれないが、成人していてお前より身分も高い。つまりアレルが命じていい相手じゃない。大体なんでそこまで図々しい主張ができるんだ。ついでにあそこで囲まれると決まったわけじゃない。暗いんだし、今までだって何もなかったじゃないか」
ベリザディーノが中腰になって言い聞かせてくるが、数限りなく弟に差し向けられたハニートラップを見てきた私の勘はまず外れない。
「そこまでもてたことのないディーノが言っても説得力無いもんっ。そんなら護衛してるお兄さん達を三人ぐらい先行させてみなよ。暗いところから見てたらいいよ。絶対声かけられるっ。あのねっ、猛獣コーナーってのは、
『怖くて震えてましたの。お願いですから一緒にいてくれません?』
『いえ、実はこちらもそれは・・・』
『・・・そうですわね。恐ろしさに失礼なことを申し上げました。どうぞお行きになって』
で、ぽろりと涙を一粒流せば終わりなんだよっ?
よくあるパターンに引っ掛かるのが男なのっ。さあ、リオンお兄さんのお兄さんっ、時間外なんだから先行して女の子に囲まれてウハウハしてきてくださいっ」
「どうして私なんですか。この被害妄想娘が」
「被害妄想と言うならばやってみればいいじゃないですか。そんなことにならなかったら、明日はおとなしくお口チャックして抱っこされてあげてもいいです」
「・・・全然有り難味がない」
「いいわ。あなた達、アレルが言ってるからまずはちょっと一巡してきてちょうだい。その少し後をあなた達が追いかける形で確認してきて」
大公妃が命じれば、「はい」と、みんな素直に返事して、二人ずつ二組で歩いていく。私達は明かりの届きにくいところでそれを見守ることにした。
だけど確認の二名を後行させる必要はなかったと、すぐに判明する。
「凄いね、アレル。本当に囮になってる」
「どんだけ張ってたんだ、いつからいたんだ。あれ、本来はレイド目当てだったんだよな?」
「うーん。うちに遊びに来る度、可愛がってもらったから見捨てるのは良心が咎めるんだが、あそこに行く勇気はない」
「確認の為の二人さえ、もう囮になっちゃってるね。アレルって本当に凄いや」
四人が私の先見の明に慄いた。
ふっ、遠慮なく尊敬せよ。男には分からないセンサーが女にはついている。
「そうでしょう、そうでしょう。さあ、囮に肉食魚達が食いついたところで、私達は違うエリアに行きましょう。やはり人の目があるとお母さんにあまりくっついていられないですからね。お母さん、おてて繋いでいいですか?」
「いいわよ。アレル、もしかして護衛の目を気にしてたの?」
「はい。護衛なら外を見ている筈なのに、私を値踏みしてきてたから。いいところのお坊ちゃまならおうちに恥をかかせない為にも無下にはできません。だけど私はやられたらやり返すのです・・・!」
表面的には笑顔だったが、その目は決して笑ってはいなかった。そして周囲を警戒するというよりも、エインレイドや特に私を見ていた。
それなら護衛として数を揃えた程度でしかない。
「いや、護衛だからこそアレルを値踏みしてたんだろ。僕は同情する」
「僕もだ。まさかレイドの護衛で来たなんて言えないだろうし、ちゃんと抜けてこられるのかな」
「だからアレル、面白いんだよね」
「それでもレイドの護衛が減っちゃって大丈夫なのかな」
「気にしなくてもお母さんがいたらレイドは大丈夫。私達は狙われる価値もないしね。さ、行こ」
そこへガッコンガッコンという音がして、トロッコ列車が通りかかった。なんか乗っている人が少ない。十人乗りの車両が五つ連なっているのに、乗っている客は男女ペアが二組という四人だけ。
「おじさーんっ、乗せてっ。足が疲れちゃったのぉっ」
「いいですよ。さあ、どうぞ」
言ってみるものだ。トロッコ列車を運転していた小父さんが停めてくれる。
「ありがとうっ。お母さんが連れてきてくれたんだけど、みんな男の子であちこち走りまわるんだもん。もう足がくたくたになっちゃったの」
「はっはっは。男の子四人じゃそりゃ大変だ。奥さんもお疲れでしょう。お嬢ちゃんもよく頑張ったね」
「うんっ。私達、騒いで迷惑だといけないから最後の車両に乗っていい? 一緒に来ていたお兄ちゃんもね、恋人同士の邪魔する子は馬に蹴られちゃうって言ってたかと思ったら、はぐれたフリしてお友達のお姉ちゃんとどこかに行っちゃったの。弟ほってってひどいよね。だけど仕方ないんだよ。このデートに賭けてるんだって」
「おやおや、それで奥さん一人の引率になっちゃったのか。遠慮なくそれなら一番後ろにお乗り。奥さんも大変ですなぁ」
「ええ。ありがとうございます、助かりましたわ」
「いえいえ。動物の説明も流れますからどうぞ奥さんも一休みなさってください。子供達をトロッコに乗せて、親は喫茶ルームで休んでおられるご家族も多いんですよ」
乗り込めばガッタンガッタンとトロッコ列車が動き始めた。
なんかあっちの猛獣エリアで色々な人達に囲まれている護衛のお兄さん達がそれに気づいて助けを求めるような表情になっていたけれど、手を振っておいてあげたから大丈夫だろう。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
トロッコ列車は、私達が見てきたクマエリアを進んでいく。
『こちらの鮮やかなピンクの毛をしたフェールクマは、フェール国にしか生息しない固有クマの為、フェールクマと名付けられました。雑食ですが、特徴的なのは果物をとても好むことです。肉と魚と果物と木の実を与えるとまずは果物を食べます。肉と魚は最後です。あまりにも果物を食べすぎる為、人里での果樹被害も多発し、フェール国は友好の証ということで各国にある動物園に贈り、この動物園にも四十年前から三年ごとに六頭ずつ贈られてきております。そしてフェールクマは、一頭当たり毎日果物をバケツ六杯、魚と肉をバケツ三杯ずつ食べます』
私達は首を傾げた。
「なんか友好の証に珍しい動物を贈られたっていうと、とても素敵なことに思えるんだけど、害獣を捕獲して押しつけたって感じに聞こえてくるのは何故なんだろう。気のせいか、恨み節が聞こえてきそう・・・?」
「フェール国ってよほど三と三の倍数が好きなのかな。だけどそこまで数がいるようには見えないよね。ダヴィ、他にも見える? どこかに隠れてるのかな。僕、五頭しか見えないや」
「いや。だけど三年ごとに六頭ずつ贈られたら、沢山子供が産まれてそうだよな。違う国だと育たないのかな」
マルコリリオがどこに隠れているんだろうと首を伸ばせば、大公妃が苦笑する。
「フェール国では六っていうのが縁起のいい数なのよ。そしてフェールクマは寿命が四年なのよね。三年ごとにオスが六頭、その次はメスが六頭、そしてその次はオスが六頭って感じで贈られてくるの。だから増えないし、そして増やすわけにはいかない理由っていうのは、一度の出産で平均十ニ頭は産むからなのよ。珍しいからフェール国も減らすわけにもいかないけど、間引きしていかないと増えすぎちゃうのね。そして一年に二回、出産するそうよ。贈られてくる度、オスとメスは決して会わない檻に入れるけれど、よその国では同じ檻に入れちゃって増えすぎてとんでもないことになったらしいわ」
「一年に平均二十四頭産むクマ。たしかにとんでもないことになりそうだ。なんかその三の倍数にどこまでもこだわってそうな所が気になるけど」
「偶然にしても覚えやすいよな。だけど六頭一緒ならまだ寂しくないのか。普通、動物が贈られる場合、せいぜい一頭か二頭だし」
ベリザディーノが数にこだわれば、ダヴィデアーレがしんみりとしていた。
「あ、そうそう。クマで思い出した。お母さん。もう少し秋が本格的になったらクマの肉が届きます。そしたらガルディアス様に分けて届けてもらいますね」
「そういえばローゼンが何か言ってたわね。クマ肉食べただけじゃなくて買ってきたって。うちの分もあったの?」
「はい。美味しかったから」
そこで私は、要塞式オーブン料理ファラレフの件を話した。
「あらまあ。だけどレイドの名前を出したらどんな貴族だろうがすごすごと引っこんだでしょうに」
「やっぱりそうなんですか? 僕もどうしたらいいのかなって思って見ていたんです。だけどああいうのに介入するのはよくないって思って黙っていました」
エインレイドはかなり我慢するタイプの王子だ。あの時はどうしようと悩んでいたらしい。
助けられる力があるのと、考え無しに力を揮うのとは違うから。何より一方の意見だけで判断してはいけない。
「そうね。その通りよ。だけどアレルはどうして提携なんてしたの?」
「それは、・・・どうせ利用しようと近づいてきたなら、反対に利用すればいいかなって。だって、野生のお肉ってわざわざ食べに行くのも面倒だし、これも一つの観光地でのお土産と思えば腹も立たないかなって」
すると後ろ足で立ち上がったクマに見惚れていたマルコリリオが振り返った。
「ちょっと待って。利用しようとって・・・、あの小父さんが?」
「分からないけどね。だって私達に本当のことなんて分かる筈ないじゃない? 本当にそんな貴族がいたのかどうかなんて。それにわざわざ不味いお肉料理を出しているのだって、本当にああいった理由かどうかも分からないでしょ?」
基本的に私は知らない人を信じられないのかもしれない。どんなに優しい人もいつかは私を裏切ると思っているのかもしれない。
何があろうと本当に信じられる人なんて、それこそ苦境でも自分を見捨てなかった人だけだ。
『こちらのシロクマは、純白の毛皮を持っておりましたが、現在は毛に藻が入り込んで緑や茶といった色に変色しています。何故かと言えば・・・』
トロッコの天井から流れてくる案内を聞きながら、私達は先程も見たシロクマを見る。
「考えてもみなよ、リオ。私達は子供だけど、わざわざ護衛みたいな人があれだけついていたの。誰だって裕福で特別なおうちの子だって思うよね? もしもこれでたとえばあの店のメニューに、『王子様も美味しいと認めた味』だとか、『伯爵家のお墨付き』とか、そんなフレーズを入れられたらどうなると思う?」
「あ・・・」
「大体、昔の調理法だと美味しくないからやりたくないとか言ってたけど、本当にそういうチンピラ貴族がいたのか、それともわざと不味い肉料理と自分の料理とを出してこんなにもおいしく作れるんだとアピールしていたのかなんて、そんなの私達に分かる筈ないでしょ。だって不味い料理を頼んだ人は、結果として現代風の美味しいのを頼み直すわけで、そうしたら料金二倍取れるじゃない」
「そこまで考えてたんだ・・・」
「そ。だって狩猟で失敗した肉を正規の値段で出せるんだよ、あの昔の調理タイプって。だから、どっちでもいいようにしただけ。だって何もしなかったら後味悪いし」
不遇な自分を救って欲しいと、そういったやり方で近づいてくる人はとても多かった。
だから私は今も優斗を案じずにはいられない。自分の心を利用されるのはとても辛いことだから。
そしてエインレイドを守ろうって思っちゃうんだろう。小さかった優斗を思い出さずにいられないから。
「勿論、本当にチンピラ貴族に悩んでたのかもしれない。だから子供でも、彼等よりも身分が高そうなお坊ちゃま達に助けてもらおうとしたのかもしれない。
だけど初めて入ったお店で、そのお店がチンピラ貴族に悩んでいたのか、あそこの給仕をしていた娘さんがだから私達を利用したいと思ってしまったのか、それとも違う理由があるのかなんて、見極められる筈がないの。
だからさ、クラブ活動での提携ならいい落としどころじゃないかなって。誰もが損しないでしょ?」
自分が不遇だと信じている人は恵まれている人を妬み、攻撃せずにはいられない。だから裕福な人を利用してそのおこぼれにあずかって何が悪いのかって考える。
だけど・・・。
貴族の娘だと言いながら、私が語った身の上話に、裕福さが全てではないと思ってくれたならいい。そりゃ私、全く虐げられて育ってはいないけど、嘘は言ってないからいいよね。
だからあの人達も考えるきっかけになればいいと思う。大切なのは今の自分が幸せになるってことなんだと。
「もしもあの小父さんがとてもいい人なだけだったら罪悪感がわきそうだ。アレル、いつも必要以上に世話焼きだし、面倒見いいだけに、今の割り切りぶりにちょっと驚いてるよ」
「大丈夫。お肉と配達代金はそこそこ渡してきたから。あれなら十分に儲けてるよ。だってただのお肉なんだし」
あの料理店の小父さんの話が本当だったとして、別に罪悪感を持つ必要なんてない。だって、うちの学校と提携したことでそのチンピラ男達にもう絡まれることはなくなるから。
(あり得るパターンを全て考えた上で、どれであっても対応できるようにしなきゃいけないの。私が無条件で信じるのは私の味方だけ)
ダヴィデアーレは、エインレイドとベリザディーノ相手に相談していた私の話を聞き、知り合うところから始まっている。だから余計に違和感が生じるのかもしれない。
家政婦の為にあんな遠回りな親孝行しようと思う女の子なんて、心に優しさしかないって思っちゃうよね。
だけど世界中の全ての人達に愛情とお金を振りまける余裕を持つ人なんて存在しないんだよ。人間、できるのは自分にとって大切な人を間違えずに大切にすることだけ。
私は自分がどんなに無力か知っている。
『そしてゴリラだと長く信じられていたことにより、チガウゴリラと命名されました。二年ごとにもっと違う名前にしてあげるべきだと会議で取り上げられていますが、今もチガウゴリラという名前なのは、その覚えやすさが理由に挙げられています』
私達はチガウゴリラを探したが、見つからなかった。トロッコ列車は案内が流れて分かりやすいけど、レールの上しか走ることができないので、どうしても見つからないことがある。
その代わり勝手に走りながら説明が流れるのでそれが面白かった。
「どさくさに紛れて忘れてたけど、アレル、ガルディアス様から列車旅行のお誘いの予定がどうこう言ってたんじゃなかったか? 裕福な方には甘えさせてもらうが、自分より下の人間には負担させないって考え方なんじゃないか?」
「違うよ、ディーノ。たしかにそういう部分もないわけじゃないんだけど・・・。私はね、私を利用する気で近づいてきた人に借りなんて作りたくないだけ。私にお金を使っていいのは、私に対して使ったお金と手間を振り返らず、平然と楽しい時間を過ごせたのだからそれでいいと、それで終わらせてくる人だけなの」
私はプライドのない蝶の種の印を持つ者ではない。
「そういえばアレルの外国人の婚約者もそういう人って話だったっけ。アレル、そういう人を見分ける才能が天才的なのかな。たまに園芸でも肥料とか良い種とか、僕なんかじゃ分からないレベルのことを勘で当てていく才能の持ち主っているんだよね」
「うーん。勘って言うよりは人生経験的なものかな。ガルディアス様、レイドが可愛くて、ついでにうちの兄に目をつけてるから私を買収することから始めてるんだよ。私の為なら、うーんとか、あのなぁとか、文句言うけど、レイドの名前出して交渉したらすぐにホイホイ何でもしてくれるもん」
「ちょっと待って、アレル。僕の名前出して何をガルディ兄さんに交渉したの。それにガルディ兄さん、本気でアレルのこと気に入ってるよ?」
「いいですか、レイド。とても大切なことを教えてあげます」
私はがしっとエインレイドの両肩に両手を置いて熱く視線を合わせた。
聞くがいい、少年達よ。この大切な道理を。
「本当に気に入っている女の子を、普通の男は罠にかけて笑いものにはしないのです」
私達の間に沈黙のカーテンがさぁーっと引かれていった。
「それ、アレルが毛虫の踊りをしてたからじゃないの? ガルディ兄さんだって、いきなり床で毛虫の踊りをしてる子がいたら笑っちゃうの仕方ないよ」
「あれは毛虫の踊りではありません。体の隅々まで目覚めさせるとても大切な運動なのです」
普段の生活ではあまり動かさない筋肉を動かし、刺激する。とても合理的な健康維持法だ。なんといっても、だらだら本を読みながらでもできるところが素晴らしい。
「あと、アレルがお父さんのお酒を盗み飲みして酔っぱらったのは、アレルが一番悪いんじゃないかな」
「そんな事実はなかったのです。そして酔った女の子を話題にしてあげつらうなんて最低です。レイドはそんな大人にならないでくださいね。やっぱりあなたはみんなの模範でいなくっちゃ」
あれ以来、私の左右に座る大人にはお酒を出さないという食卓ルールが決定していた。うちの父は責任もって、私は勝手に人のお酒を飲むような子ではないと、子爵邸で主張すべきだ。
「だけどアレル、酔っぱらってみんなの服脱がせてキスしたり噛みついたり、男を侍らせてはひざまずいて自分に食べさせろと言ったり、凄い暴君だったんだって? しかもダンスに誘ったガルディ兄さんに、後で誘惑したと言いがかりをつけるなとか、自分の魅力に気づかないとは鈍いんだなとか、そんな文句つけたって聞いたよ。怒らずに笑い話にしてくれるの、ガルディ兄さんぐらいじゃないの?」
聞いていたベリザディーノが目を丸くする。
「信じられない。ガルディアス様にダンスに誘われ、光栄ですと一生の思い出にするならともかく、なんという暴言。うちの兄でさえ、そんなこと言われたらブチ切れる。無神経ビーバー最強伝説か。あのガルディアス様だから許してくれたんじゃないのか、おい」
「今、僕はアレルのお父上に同情した。それ、後で平謝りする話だろ。こんな娘を持ったばかりに・・・。そんな噂が流れただけでウェスギニー家、終わりじゃないか」
「ほほほ。酔っぱらった子供相手に怒ったりしないわよ、ガルディアスは。聞いた陛下も膝を打って笑い転げてたから構わないんじゃないかしら」
ちょっと待って。陛下って誰のこと? しかも大公妃が知ってるってことは大公も知ってるってこと?
「嫌ですねぇ、レイド。そんな冗談を真に受けちゃ駄目ですってば。ほほほ、全く根も葉もないことを吹聴するんだから、ガルディアス様も困った方です。まあ、ここは心の広い私が聞き流してあげますけど」
どこまで従弟に喋っているのだ、フォリ中尉。口の軽い男は女にもてないんだぞ。
そんな私の頭を、エインレイドが撫でてきた。
「アレルって、ばればれな嘘が可愛いよね」
「失礼な。私はいつだって正直で誠実な女の子です」
「うん、だからガルディ兄さんも許しちゃうのかな。アレル、本当に可愛いし。ウサギパジャマも似合ってたね」
「レイドもウシさんパジャマ、とっても似合ってましたよ」
「そう? アレルって本当に面白い物ばかり知ってるね」
アニマルパジャマは、マーサが色々と悩んだ挙句に辿り着いた健全パジャマだ。
どんなに寝相が悪くてもお腹が出たりしない。
「大丈夫です。レイドも世間を知れば知る程、面白い物や楽しい物を見つけちゃいます」
「うん。護衛って、近寄ってきた人との間に割り込むものだと思ってた。先に行かせて囮にするだなんてアレルじゃないと思いつかないよ」
「彼らは正しく仕事をしたのです。身を挺してレイドを守ることができた彼等は喜んでます」
私は厳かな表情で断言しておいた。
そんな私の頭を大公妃が撫でてくる。
「本当にアレルは面白い子ね。そうね、それなりに人気ある子息だったけど、恵まれて育ったあの子達では物足りなかったのね」
「大丈夫です、お母さん。男の浅知恵など世慣れた女には敵わないのだとお兄さん達も学んだことでしょう。最初に上下関係を教えるのはとても大切です。たかが数年、先に生まれたんだぜとでかい顔してる甘っちょろい男なんぞ、平然と見下して高笑いしてやればいいのです・・・!」
大公妃もまたやっかまれる立場の女性。だからこそ我慢することを知っているし、それゆえに我慢しない私を感じ取っているのかもしれなかった。
だから私を注意しないんだと思う。
「ねえ、アレル。君、一体誰と戦ってるの? あの人達、あくまで僕達を守ってくれる護衛だよ? ついでに叔母さんこそ、あの人達の上司なんだけど」
「いいですか、レイド。護衛だろうがメイドだろうが、私を値踏みしてきた時点で敵です。値踏みするということは、その相手から何かを奪い取ろうとしているということ。黙ってお母さんの命令に忠実に従うならともかく、あんな中途半端な味方など泣かしておかないと後が厄介じゃないですか」
途中で猛獣エリアを通ったけれど、護衛のお兄さん達を囲んでいる令息令嬢達がこちらに目を向けることはなかった。
「なんか可哀想になってきたぞ。まだ捕まってたのか。知らないぞ、アレル。かなり恨まれてるんじゃないか?」
「気にしなくていいよ、ダヴィ。一緒に行ったことこそ運の尽き。解放されたいからと、最初に裏切ってレイドの護衛だと口にしたらそれが他の三人から報告されてしまう。だから誰もが最初の一人にはなりたくない。ゆえにここにいる理由を問われたら、プライベートで友人同士と言うしかない。そしてプライベートならば強引に逃げ出すわけにもいかない。だって取り巻いているのはきっとそれなりのおうちの令息令嬢だろうからね」
思うんだけど、大公妃も薄々は感じていたんじゃないのかな。あの人達の愛想笑いに隠れたものを。
「ここまでくると、あの人達を助けられるのってレイドしかいないんじゃないか? そりゃ代わりにレイドが取り囲まれるんじゃ本末転倒だけどさ」
「ほっといていいよ、ディーノ。だってプライベートで、
『図々しくもくっついている身の程知らず娘がいましてね』
とか言いそうじゃない? ディーノやダヴィはいいけど、私にとっては死活問題。ゆえに切り捨てておくのです。虎の男なんて上下関係を強制的に叩き込んでおかないと、下剋上万歳人間ばかりだからね」
そして虎の種の印が出ていても、誰もが強いわけじゃない。私はそれを知っていた。
「アレルはよく知っているのね。やっぱりフェリルド様の教えかしら?」
「うちの父は何も言いません。だって私にそんな危機は無いから。だけどお母さん、苦労してるなって私は思いました。どうせ子供にしてやられただなんて恥ずかしくて口に出せないから平気です。お母さんはのんびり眺めていていいと思います」
「・・・いい子ね、アレル」
私は私に優しい人の味方だ。
だからヘルプミー視線に対しては、ニッコリ笑ってバイバイと手を振っておいた。
ああ、押し寄せてくる負け犬恨み視線が心地よすぎてクセになっちゃいそう。




