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48 動物園ディナーはおうちで


 ミディタル大公家の別邸、その裏側の門扉をくぐった時点で、寛いだ自宅スタイルな大公妃が現れた。淡いイエローのシャツにブラウンのスラックス。羽織ったウール毛糸の上着は手編みのような温かみがあるベージュ色。

 本人の顔立ちがきつめで色合いもクールだから、反対に柔らかい色合いが似合うんだと思う。考えてみればファレンディア人だった頃の私、もっと勝負系な服装だったけど、こういうのも似合ったかもしれない。

 今となってはもうできない系おしゃれである。できればあの頃にお知り合いになってお友達しておきたかった。


「ただいま戻りました、奥方様。坊ちゃん達はつつがなくお過ごしでいらっしゃいました」

「えっと、お、お、・・・おば、・・・無理、ホント無理、えっと、・・・ただいま、戻りました」


 私を片手で抱っこしたまま真面目な顔で挨拶する護衛のお兄さんと、マルコリリオの下を向くそれがとても対照的だ。なんかマルコリリオ、悪いことした子みたい。


「ただいま戻りました、お、・・・無理、おばさんなんて僕も無理だ。せめておば様、・・・いや、それも無理」

「言える。ただいま戻りました。だけどあの、呼び方はちょっと再考していただけないかなと・・・。せめて僕達も奥方様呼びにさせてください」


 ベリザディーノとダヴィデアーレもそんな感じになっていた。こんなに優しい大公妃なのに、まるで気おくれしているかのようだ。


「やっぱりね。アレルぐらいだと思った、お母さんなんて呼べるの」

「あらあら、そんなものなのかしら。お帰りなさい、ご苦労様。アレルったら抱っこしてもらってるの? ふふ、仲良くなったのね」


 私はぶんぶんと首を横に振った。


「違うよ、叔母さん。アレル、彼にセクシー? なポーズをさせようとしたから、ぐるぐる巻きにされてセーターでラッピングされちゃったんだ。僕は別にポーズだけなら普通だと思ったけど」

「レイド、物事は公平に伝えるべきじゃないか? そりゃ服着てたら誰も別に何とも思わないけど、妄想で裸にされて、それを不特定多数の前で口にされたら誰だって怒る。あれはアレルが悪い。そしてアレルを守るのと、アレルを甘やかすのとは別物だ」


 エインレイドは素敵な王子様だ。私を庇おうとしてくれた。

 そしてベリザディーノはクラブメンバーの一員として薄情すぎる。


「言われてみればそうなのかな。あのね、叔母さん。クマの毛皮を並べて黒い毛皮シーツにした上に、アレル、ネトシル殿を座らせて、その上で彼を裸にしてみたら毛皮を背景にいい体が引き立つって主張したんだ。女の人ってそういうフォトを撮りたいものなの? 問題はさ、アレルは『セクシーは誉め言葉』、ネトシル殿は『性的な嫌がらせ』と、主張に隔たりがあるってこと」

「・・・それを誉め言葉と思うには、アレルにあと何年かの時間が必要ね」

「おかげでネトシル殿、もう怒っちゃって、アレルの淑女教育やってやるって言い始めたんだ。僕はアレルのマナーと性格はベツモノだからどうしようもないねって思うんだけど。それに僕、黒でも白でも毛皮でも布でも、ネトシル殿の裸とポーズに何の意味があるのかが分からない」

「面白い経験をしちゃったわね、レイド。まずはお部屋に入りなさいな。それから話を聞かせてちょうだい」


 私達が使わせてもらっている棟の一階にあるリビングルームに入ると、早速メイド達が、ホットチョコレートと温かいお茶を運んできた。

 自分達でお茶なら淹れるつもりだったけれど、こうして人は堕落していくのかもしれない。お世話される幸せってあるよね。


「ぐるぐる巻きっ、あのローゼンが女の子をここまでぐるぐる巻きっ」


 やっとセーターを脱がせてもらって、口元や手首を巻いていた布を見た途端、大公妃がソファを叩いて笑い始めた。かなり笑い上戸なのかもしれない。


「ほら、アレルちゃん。温かいお茶ですよ。砂糖一杯とミルクたっぷりも入れてあげましたからね」


 生憎と私はミルクティーをストローで飲む横着人間ではなかった。この護衛のお兄さんは飲めればいいと思っているかもしれないが、カップから漂う香りも含めて飲み物なのだ。ホットドリンクはストローで飲むべきではない。


「その前にこの手も解いてください。私は芋虫ではないのです」

「我が儘ですね。飲ませてあげようとした親切なお兄さんに向かって」

「それ以前に親切なお兄さんは女の子をこんな風に巻かないのです」


 手を巻いていたそれも外してもらえば、温かな飲み物が入ったカップからほんわかと美味しそうな香りが漂う。

 こくりと一口飲んで、やっと私は解放された喜びを実感した。

 全くもう。これでも私は子爵家のお嬢様。戻ったらネトシル少尉に泣いて言いつけてやる。


「ふー、ひどい目に遭いました。ただいま戻りました聞いてくださいお母さん。このお兄さんは私を身動きとれなくして荷物扱いしたのです。しかもみんな、そんな私を助けてくれなかったのです。もう少しみんなは優しさと思いやりを持つべきだと思います。そしてこのお茶がとてもフルーティです」

「叔母上。アレル、本当に言いたいことは最後だから、要はお茶のことしか考えてないと思うな」

「荷物扱いと言いますが、ずっと抱っこしてたし、このお嬢さん、目と首振りだけで欲しい物を要求して買わせてましたよ。人に肩車させて景色も見てましたよ。とりあえず男の体を値踏みしていいのは女として成熟してからだと、このミニサイズ悪女に身の程をわきまえさせる必要があります」


 ミニサイズ悪女とクソガキって、どっちが悪口としてはランクが上になるのだろう。

 この護衛のお兄さんは心に何か鬱屈が溜まりすぎて、まともな思考能力を失っている。私はそれを察した。


「だけど育ってたら、反対にローゼンがアレルを食べちゃったかもしれないじゃない? お茶が気に入ったの、アレル?」

「はい。やっと幸せなのです。やっぱりお母さんと行けばよかったです。そうしたらいじめられなくてすんだのに。だから夜の動物園はお母さんも一緒に行きましょう。そうしたらお兄さんも強く出られません」


 ただの護衛のお兄さんかと思いきや、王子の目の前で子爵家のお嬢様を拘束して怒られなかったという事実。私は大公家の権力にすがるしかないと判断した。

 するとダヴィデアーレが天井を仰ぐ。


「なんて奴だ、アレル。堂々と大公妃様を自分の盾宣言。お前は自分の父親にすまないと思わないのか。帰ったら説教確実だぞ」

「お父君の気持ちが分かりすぎてたまらない。熟慮の上で市立と一般部だったと僕は確信した。やっぱりレイド、ちゃんと教えておくべきだったんだ。それを反対するから」

「だってガルディ兄上ももうアレルはこのままでいいって言ってたし。それに僕、アレルの嘘がつけないとこ好きだよ」

「えっと、・・・つまりアレル、正直ってことだよね? それって強引な理由をつけて取り入ったり、あざとく近寄ってきたりする女の子よりいいんじゃないかな。そりゃ礼儀としては最低だけど」


 まるで私が礼儀知らずのようだ。

 そんなことで大公妃が怒るわけないのに。


「ひどいよ三人共っ。だって私、夏の長期休暇もドルトリ中尉にいじめられてたんだよ? このお兄さんも第二のドルトリ中尉化しちゃったんだよ? 私、何にも悪いことしてないのに可哀想すぎるよ」

「あっ、馬鹿っ。このド阿呆ビーバーッ」

「大公妃様の前でなんつーことをっ。この間抜けアレルッ」


 持ってたカップをテーブルに置いたかと思うと、ベリザディーノとダヴィデアーレが立ち上がり、がしっと私の口を二人がかりで塞ぐ。そして空いていた片手を胸の前に渡すと、大公妃に向かって謝罪した。


「もっ、申し訳ありませんっ。アレルは何も分かってなくて・・・」

「本当に申し訳ございませんっ」

「いいのよ、気にしてないから。エインレイド様が同じ学年にいることも知らなかったアレルにそこまで要求する方が無謀でしょう? 放してあげてちょうだい」


 なんのこっちゃと思ったら、エインレイドが肩をすくめている。


「ドルトリ伯爵家はトレンフィエラ様の実家なんだよ、アレル。彼は叔母上にとって実の甥だよ」

「え、嘘。だって全然似てないよ? お母さん、優しい人だけど、ドルトリ中尉、とってもいやみったらしくて意地悪で皮肉しか言えない人だよ? あれは伸び悩みで鬱屈しすぎて私に八つ当たりしていると見た。そりゃ髪や目はどっちもブルー系だし、どっちも虎の種だけど、お母さんは魅力を活かしたおしゃれ系なのに、ドルトリ中尉、見かけ詐欺のいじめっ子だもん。全然違うよ。甥ならもう少し自分磨きして優しい人になるべきだよ」

「そうかな。彼、いつも優しいけど。そりゃアレルにはちょっと、うん、まあ、アレルにはどうかなって思うけど」

「お前はもう口を開くなっ」


 ぐいっとベリザディーノが私の口に焼き菓子を突っ込んでくるのだが、私への扱いがあまりにもひどくないだろうか。

 仕方ないので私はもぐもぐと食べた。少し塩気のきいたタルト生地に、甘いエッグ生地を入れて焼き、上部をキャラメリゼしたものだ。三層の味の違いが口の中で素敵なハーモニーを奏でてくる。


「別に怒ってないわ。あの子が何かとアレルを矯正しようとして失敗してたことなら聞いていたもの」

「そうなんです。聞いてください、お母さん。思うにドルトリ中尉、ガルディアス様とレイドへの報われない想いに焦がれすぎておかしくなってます。何かと私をいじめるんです。あれ? そうなるともしかしてドルトリ中尉はガルディアス様の親戚ですか?」

「報われない想いとかは無いと思うけど、そうね、従兄弟だし幼馴染でもあるから思い入れはあるでしょうね。あの子は真面目だから。・・・だけど伸び悩んでるとは思わなかったわ。そこそこの成績はあげてる筈だもの。やっぱりアレル、そこはネトシル少尉と比べてなの?」


 いらっしゃいと手招きされたので、てくてくと寄っていけば、大公妃が私を膝の上に座らせてくる。すぐりジャムを入れて焼いたお菓子を差し出されたのでぱくっと食べたら、ぐにっとする食感とパリッとする食感が組み合わされていて面白くも味わい深かった。

 貴婦人(推定王妃様)のお茶会レッスンは軽やかなお菓子が多くて、ここのお菓子はぱくっと手で食べられるお菓子が多い。どちらにもその良さがあるわけだよ。


「比べてはいないですけど・・・」

「だけどあそこまで虎の種の印が出た士官達ばかり見てしまうと目も肥えるでしょう?」


 父や叔父もいいけど、柔らかなお胸のある大公妃はマーサのお腹と一緒で何か癒される。

 撫でてくる手はとても優しかった。うん、美味しいお菓子をくれたし、絶対に怒ってない。ベリザディーノとダヴィデアーレは考えすぎだ。

 なんでこんなこと聞くんだろう。やっぱり女の人でも虎の種の印が出てるから気になるの? うーん。


「肥える・・・のかな。えっと、リオンお兄さんのお兄さんも、ドルトリ中尉もかなりガチガチに締めつけられてる感じ? 鎖に繋がれて力が発揮できない? なんか伸び悩んでイライラしてそうです。だから弱い自分に苛立ってるのかなって。それで私をいじめてしまうと思うんです」

「どこまでもアレル、自分の恨みを忘れてないよね。アレル、虎の種の印が出た人に、弱いって言えば怒るの分かっててわざと言ってない? ついでにアレル、常に途中まではいいけど結論はおかしいよね」

「そんなことないですよ、レイド。リオンお兄さんは強いです」


 一番強いのは父だけど。ネトシル少尉は父より弱い。


「アレルの強さ評価表、ただのアレルのお願い聞いてくれる表じゃないの?」

「違いますよ、レイド。人が強くなるには女の子へ優しくできることが大切なだけなのです」

「そういえばアレル、僕に対して王子に一番必要なのはアレルに優しくできる心だって主張したことあったっけ」


 この時、室内にあった全ての瞳が無言で私の主張に疑心を抱いて集中した。


「所詮、ミニサイズ悪女だ。その言葉に真実などなかったのですね、アレルちゃん」

「ひどいですよっ。私は真実を言っているのですっ。その証拠にお兄さんはリオンお兄さんより弱いです」


 私はぴしっと言いきっておく。だって反撃できる時にしておかないとストレスたまっちゃうし。

 女の子はね、心にぐじゅぐじゅな鬱屈があると、輝きが失せてしまうものなの。いつだって伸びやかに咲き誇る、それがお・ん・な・の・こ。


「そうなの? ネトシル家の三兄弟はそれぞれ強い虎の種の印を持つことで有名よ。だからあなた達につけたのだけど」

「んー。えっとリオンお兄さん、多分、元々が不真面目だから強いんじゃないかなって思います。初めて会った時もなんかそんな感じだったし。だから本気で戦えばそこのお兄さんより強いです。だけどリオンお兄さんを代わりに引き抜くのは考え直した方がいいです。不真面目な虎の種なんてただの迷惑人間。上司が気に入らないとかいう理由で、平気で好き勝手やらかします。あまり強さだけの追求はせず、程々のところで手を打った方がいいです。こっちのお兄さんはいじめっ子だけど、お母さんが使う分にはいい感じな気がします。弱いから従順です」

「後でゆっくりお話をしましょうね、アレルちゃん」


 私は殺気を感じた。


「おっ、お母さんっ。私の危機ですっ。あそこのお兄さんが私をいじめる予定ですっ」

「懲りないよね、本当にアレルって」

「全くだ。ぐるぐる巻きだけじゃ懲りなかったか。もうどうすればいいんだ」

「思うにぐるぐる巻きにされていても全く不便がなかったのが原因じゃないか?」

「アレル、ああしてぶかぶかのセーターでリボン結びされているの可愛かったよね。知らない人にも可愛いって言われてたし、落ち込む理由がなかったんじゃない?」


 クラブメンバーは私を守ってくれない。ここは一番優しい人を確保しておかねば。

 私は飲み干したカップをテーブルに置いて、大公妃にがしっとしがみついた。柔らかなお胸がとっても素敵。


「子供の言うことじゃないの、ローゼン。この子はあなたの弟と一緒にいたのよ。その身体能力を間近で見てしまったら他の殿方が弱く見えてしまうのは仕方ないわ。ネトシル家の誇りはあるのでしょう?」

「それは・・・、はい」

「ねえ、アレル。それならフェリルド様はどうなのかしら? グラスフォリオン様より弱い?」


 やっぱり大公妃の権力は凄い。護衛のお兄さんを引き下がらせるとは。


「父は鎖なんて無いからリオンお兄さんより強いです。大公様もですけど。だから私、大公様と父には逆らわないことにしてます」

「そう? だけどフェリルド様、かなり勤勉に働いてるわよ。休む暇もないだろうって陛下も呆れていらしたわ。強さには不真面目さが必要なのでしょう?」

「勤勉なフリしてるだけだと思います。思うにうちの父、見えない所で好き勝手に暴れまわっているから強いんです。だけどそれで皆が幸せならもういいような気がします」


 父が危険な場所に行くのは心配だけど、だから私も止められなかった。

 仕方ないの。ある程度は暴れさせておかないと、こっちが危険になっちゃう。肉体的に身体能力が衰え始めたら、私とおうちでいちゃいちゃ過ごしてもらえばいいよね。


「やっぱり強いのね。悔しいわ、負けるだなんて」

「お母さんは素敵な人です。自分の本質を抑えてでもみんなとの和を取ってる。そういうのって虎の種としては弱くなっちゃうけど、本質に逆らってでも全体を見通して自分の行動を決める、そんな人間としての理性と強さがあると思います。

 強さを追求してしまった虎の種の印を持つ人間なんてただの迷惑人間、周囲が苦労するんです。うちの父はその点、家庭に仕事を持ちこまない人だから全くもって素敵ですけど。そしてお母さん、多分もう少し緩めても別に暴走することないと思います。本当はもっと強い人なのに」


 私の頭を撫でてくる大公妃の手で分からなかったけれど、なんだかみんなが顔を見合わせた気配があった。

 だけど微笑んでくれる大公妃が優しいから気にしない。


「そう。いい子ね、アレル」

「はい。だからお母さん、一緒に夜の動物園に行きましょう。夕方に行くと王宮の人達は思ってるそうだから夜に行けばいいと思います。そして見つかっても今度はゴーストのサイズ、間違えないようにします」

「・・・あれはサイズミスだったのね」

「不幸な事故だったんです」


 顔立ちはきついけど、大公妃はとても優しくて愛情深い人だ。だから私は大公妃に母を重ねてしまうのかもしれない。

 あまりやりすぎちゃいけないと思いながらも、優しい気持ちを垂れ流してしまう程に。

 夫と息子のいる女性なら私に溺れることもないし、一緒にいてくれても生活に支障をきたす程じゃないから。


(だって一人は寂しい。大公妃様なら娘も孫娘もいないもん)


 目を閉じれば、どこまでも寂しさと悲しさと切なさが押し寄せてくる。だけどこの温もりが私を守ってくれると分かるから・・・。

 だから優しい気持ちと一緒にその疲れた心を癒してしまう。分からない程度に鎖を緩めてしまう。


(何よりこの愛情は嘘じゃない。私を包む気配はパピーに似てて、だけどパピーと違って女の人らしい)


 祖母に甘えながらも、何か分からない一線はあった。それは血が繋がらない義理の息子の子供ということで遠慮していたのだと、今なら分かる。

 そしてマーサだって私を可愛がってくれるけど、やっぱり実の子供や孫は別にいる。


「疲れちゃったのかしらね。いいわ、夕食は用意させるから夜になったら出かけましょう。あなた達もちょっと仮眠してもいいかもしれないわね」

「えっとアレルが本当に自由ですみません、大公妃様。ですがアレル、動物園ディナーとか言っていたと思うんです」

「気にしなくていいわ、ディーノ君。本当におばさん扱いで構わないのよ。ただね、どうもアレルって食べることに執着していそうでしょう? お茶も気に入っていたけど、ちゃっかりホットチョコレートも全部飲み干してるし。みんなはどちらか一杯だけだったけど」

「あ、はい」


 なんか遠くのような近くのような会話が聞こえてくる。


「動物園ディナーは、衣をつけて揚げたサーモンを挟んだパンと揚げたジャガイモがメインメニューなのよ。勿論、動物園の雰囲気はあるけど、けっこう動物の糞のにおいが流れてくるのよね。それに半分屋外のせいか、食事が冷えるのも早いの。多分、食べている途中でしんなりしたポテトに悲しくなる筈よ。それぐらいなら同じメニューにしてあげるからここで食べていきなさい」


 ああ、やっぱり大公妃ってとても優しい人だ。きっと調べておいてくれたんだね。

 目を閉じていても優しい気持ちをぽわぽわと出したら、なんだか額にキスされた気がした。


「そっか。動物園ってそういう落とし穴があるんだ。馬小屋と同じだね。僕も馬小屋の近くでご飯は食べたくないかも。ありがとうございます、叔母上。アレル、美味しいととっても幸せそうな顔になる子だから、本当に動物園ディナーだったらしょんぼりしてたかも」

「言われてみればそうだよな。ありがとうございます、大公妃様。なんだかアレルが独占してますけど」


 まさかダヴィデアーレもこのふくよかなお胸に抱かれたかったのか。だが、許さん。これは私のものだ。


「大公妃様、もしかしてアレルのお母さんと似てらっしゃるんじゃないの? たしかアレル、お父さん似だよね。子爵様と同じ色合いだもん」

「いや。アレル、顔立ちが母君似だと聞いたことがあるからそれはないだろ。あ、もしかして大公妃様の色合いが似てるのか? きっと亡くなられた母君が恋しいんだろうな。アレル、普段は生意気なくせにお父君やヴィーリンさんの前だと素直でいい子だし、実は寂しいんだろうな」


 なんかベリザディーノがしんみりとしているけど、すまん、私はリンデリーナマミーに恋しさを覚えたことが無かったりする。そして私はいつだって素直ないい子だ。


「そうだな。大公妃様には懐きまくりだ。ずっとお母さんって呼んでみたかったのかもな。こっそりヴィーリン夫人をマーシャママとか呼んで甘えてたっけ。僕達のいない所でだが」


 いや、別にローグのこともローゥパパと呼んでいるので、そっちはあまり関係ないんだけど。ダヴィデアーレ、君はどこで盗み聞きしていたのだ。やっぱりお前の進路は男子寮の寮監で決まりだよ。

 だけど眠い。虎の種の印を持つ人とはやっぱり相性がいいんだと思う。とっても安らぐ。結婚したいのは樹の種の印を持つ叔父だけど。


「だからアレル、マレイニアルさんにいじめられちゃうんだよね。ガルディ兄上が約束した時間に遅れてきて『すまないな』って言ったら『代わりに私のおねだりをきいてくれれば許してあげます』だもん。だけどうちの母が遅れた時は『会える時間を待つのも幸せです』だったんだって」

「やっぱり年上の女の人に弱いんじゃないか? アレル、ヴィーリンさん夫妻が年老いたらちょくちょく会いに行ってあげたいとか言ってたじゃないか。普通、いくら好きでも家政婦にそこまでしないだろ。・・・だけど母親なんて僕達じゃどうもしてあげられないしな」

「うーん。母は、アレルの親が恋しい気持ちも分かってあげなさいって言ったけど、そういう気持ちって親だから分かるものなんじゃないかな。僕も分かってあげたくてもよく分からないもん。分かったつもりにはなれても」


 やはりエインレイドは素敵な王子だ。分かったつもりになることと分かることとは違う。その通りだ。

 大切なのは分からなくても心を添わせようと思う気持ちなんだよ。完全には分かり合えなくても、温もりは分かち合えるんだよ。


「お言葉ですが、そういった事情があろうと、ガルディアス様に対して礼儀知らずな態度をとっていいことにはなりませんよ、レイド様」

「ガルディ兄上、気にせず笑ってアレルをいじめ返してたから大丈夫です。それにアレル、過ぎたら忘れる子だから。おかげでガルディ兄上にトリ頭だと思われてますけど」

「それ、頭が悪いだけでしょう」


 なんかネトシル少尉のお兄さんの失礼な言葉が聞こえる。


「既に上等学校全学年の試験を満点で終えたそうよ。ローゼン、ドアを開けてくれる? この子を寝かせたら今日の報告をしてもらいましょうか」

「はい。よろしければ私が運びます」

「いいわ。ドアを開けたらメイドを呼んできてちょうだい。大切な令嬢ですからね」

「かしこまりました」


 ああ、そうだ。夕食はフライドサーモンとポテト。お野菜と果物取らなきゃ。

 とても寝心地のいいベッドに寝かせられて、ボタンを外される感覚があった。


「駄・・・目、・・・私の」

「大丈夫よ。手はつけないわ。あなたの服をハンガーに掛けておくだけ。ポケットの中の物も引き出しにしまっておくわ。鍵をかけておいてあげる。誰も盗めないようにね」

「うん。・・・それ、・・・ないと、・・・守れ、ないの」

「ええ。今日はよく頑張ったわね」

「・・・・うん」


 手を握ってくれるその手に頬ずりすれば、頭を撫でられる。

 私よりもごつごつしている大公妃の手は、守ることを知ってる手だった。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 もうすぐ夕食の時刻ですよと、起こされた私は、四人がかりで温かなお湯が張られた浴槽に入れられて手早く洗われ、伸縮性のある赤みを帯びた黒いズボンと起毛した木綿の膝丈チュニックを着せられた。チュニックは落ち着いた黄緑色だけど、花を模した色とりどりの布飾りが縫い付けられていてかなり可愛い。

 このおうちに子供用服があるとは。


「まあ、お可愛らしいこと」

「本当に。さあ、汚さないようにエプロンをつけましょうね」

「髪はどうしましょう」

「編みこんで二つの輪っかにしたらどうかしら。リボンは何色がいいかしらね」


 私の意見はどこだ。だけど眠くて頭が動いていなかった私は、生きた着せ替え人形。

 これはおめかしした街のお嬢さんスタイルである。


「えっと、このお洋服って・・・」

「はい。奥方様がご用意なさったものですわ。えっと、お好みに合いませんでした?」

「いえ。とってもとっても可愛いです。だけどサイズもぴったり。ここ、女の子いなかったですよね?」

「お嬢様のお宅からサイズをお聞きになったと伺っております」


 なんという凄腕なのだろう、大公妃。これが女主人としての能力なのか。

 服を汚さない為のエプロンと言っても、色とりどりの刺繍が施されてとても素敵な桃色エプロンは、前から見ればほとんどワンピーススカート、そして後ろから見れば「ああ、エプロンだったのか」と、分かるシロモノだ。

 前から見るとチュニックが襟元しか見えず、エプロンスカートで切り替えたようにも見えちゃう。

 なんかとっても可愛い。

 同じ「可愛い」でも、私なら祖父母やローグやマーサから「おお、可愛いではないか」「まあ、可愛いわね」と言われる方向性を目指しちゃうんだけど、これはまさに同じ年頃の男の子達から見て「あ、可愛い」と言われてしまう奴だ。

 どうしよう。おしゃれについて大公妃と語り合いたくてたまらない。


「とっても素敵です。ありがとうございます」

「では、どうぞ。こちらでお過ごしになるとは聞いておりますが、本日の夕食は動物園スタイルということで本館の方にご用意させていただきました」


 差し出された靴も、ゴム底の布靴だけど履きやすくてとってもカラフル模様。何の図案かは分からないけど、ベースは焦げ茶色。

 メイドの人達に、ここは舞踏会シーズンなどで使われる邸だと教えてもらいながら本館に行けば、ちょっと引っこんだ部屋に案内された。


「メインダイニングルームよりこちらのダイニングルームがいいでしょうと。壊しても大丈夫なテーブルとチェアが揃っていますのでどうぞお気兼ねなく過ごしてください」

「・・・そんな乱暴者はいないのですが、壊しちゃう人っているんですか?」

「旦那様方がお酒を飲みながらの食事をなさいますと色々ございますので、もう壊してもお客様も気にしないでいいようなお部屋を設けたのでございます。奥方様も、こちらの部屋ならば汚さないようになど、考えなくてもいいでしょうと仰いまして」


 ダイニングルームと言っても専用の厨房と繋がっていて、窓もないのだとか。だからどんなに騒いでも、周囲には響かないらしい。

 それ、隔離って言わないかな。

 入ってみれば、全体的に板張りのお部屋だった。何故かステージまである。

 テーブルと椅子も質実剛健。飾り気のないテーブルに飾り気のない椅子。だけど大きめサイズで通常ならば六人から八人は座ることのできそうなテーブルに四人掛けの椅子がセットされて、ずらりと並んでいる。しかも背もたれ付きの椅子とは別に、壁際には背もたれ無しの椅子が並べられているんだけど、どう考えても自分のテーブルからよそのテーブルに移動する人向けの椅子だよね。

 なんだかどこかの居酒屋みたいだ。そして高い位置にあるステージは何なんだろう。歌うの? 


「何故、天井の明かりの下にガラス張り・・・?」

「通常の明かりですと壊されることがありますので、防刃強化ガラスを明かりの下に張っております」

「・・・ぼうじんきょうかがらす」

「お嬢様の用意もできましたし、奥方様を呼んでまいりますわね」

「お食事も用意いたします」

「ありがとうございます」


 何かが間違ってる、大公家。これでいいのか、大公家。

 聞けば専用厨房に酒樽や瓶やつまみを全て置いておき、勝手に飲み食いしてくれといったやり方で使われているダイニングルームなのだとか。夜明けまでの分を逆算して、飲んでもいい量を置いておくらしい。


(要は、飲み終えたらお開きにしなさいね、と)


 大公妃の気苦労が偲ばれたのは私だけだろうか。

 ちょうど真ん中あたりのテーブルにいておしゃべりに興じていた三人の少年達が、私達に気づいて振り返る。


「わあ、アレル。そういう恰好とっても可愛いね」

「本当だ。どこのお嬢さんかと思ったぞ。そうしていると女の子みたいじゃないか」

「いつもスラックスだもんな。いや、スラックスも穿いてるのか? だけどスカートも似合うじゃないか」


 マルコリリオの素直な賛辞は嬉しいが、ベリザディーノの見る目がおかしい。ダヴィデアーレは普通だ。


「えへへー。見て見て。とっても可愛いの。大公妃様が用意してくれたんだよ」


 駆け寄って、テーブルの横でくるくる回ってみると、みんなも立ち上がって私を取り囲んだ。


「なんかアレルが今までないぐらいに可愛いぞ。もうずっとそれ着てたらどうだ? スカート? なのか? 女の子の服はよく分からないが、その恰好ならネトシル殿も可愛さに負けて何やっても許してくれたんじゃないか?」

「いや、何でもは無理だろ。大体、ネトシル侯爵家に生まれてミディタル大公家に仕えてるんだぞ。侯爵家なら優雅に人に命じるだけの日々だってのに。自分を鍛える為にそんなことができる人だ。アレルなんてそりゃどうしようもない落第令嬢にしか見えんだろ」

「だけど抱っこされてるアレルも可愛かったよ。実はお兄さんもアレルが可愛いから抱っこしてたんじゃないかな。だって鍛えてる体が素敵だって褒めただけでしょ? アレル、そこは妥協しないもん。誰に対しても」


 まるで酢を舐めてしまったような顔で、ベリザディーノは首を横に振った。


「あれを見てなかったからリオはそういうことを言うんだ。あれは(はずかし)めだった。とりあえずアレル。お父君がこのままでは気の毒だ。その可愛い恰好で、ごめんなさい言っておけ。悪気はなかったんだって言えば、そろそろ許してくれるかもしれん」

「そこまで気にしなくても、リオンお兄さんにお願いしとくから大丈夫だよ。だけどこれ、本当に可愛いよね。私ね、こういうお洋服、あまり着たことなかったんだ。なんか模様がちょっと独特なんだよ。刺繍されてるお花も可愛いの。大公妃様、スーパーおしゃれ上級者。自分に似合うものも分かってるけど、こんな全く違うタイプの私にまでぱぱっと選んで合わせてくることできるって凄すぎる」

「別にセンスいい貴婦人なら令嬢の服だって選べるだろ? 自分だって子供の頃はあったんだから」


 ダヴィデアーレは本気で分かってない。女性用なら大人用も子供用も一緒だと思っている。


「人間、自分に似合うものや好みは分かっていても人のは違うんだよ、ダヴィ。私だって自分に似合うものは分かっていても、私とは違うタイプの女の子に似合うものは合わせてみないと分からないもん。女の子のドレスでも、ちょっとした色合いやデザインで暗く見えたり、太って見えたり、印象が悪くなったりするの」

「女はすぐそういうことを言い出すが、言わせてもらうならそんなちょっとの差に気づく男はいない。これは親戚やうちの兄達全員の総意だ」


 ベリザディーノよ。色々な事業に手を出しているおうちではなかったのか。経営サイドの男達がそれで何を販売できるというのだ。きっと部下にめぐまれたのであろう。


「だよな。すぐドレスの色だのデザインだの言うけど、何が違うんだよ。自己満足って奴だろ。うちもレースの違いを説明され始めた時点で父も兄達も逃げ出したもんだ」

「えっと、あのね、アレル。アレルは何を着てても可愛いよ。その服もとっても可愛いし似合ってる。だけどたしかにアレル、別に太ってもないし、暗く見える顔立ちでもないし、関係ないんじゃない?」


 うーむと思わずにはいられない。男の人のおしゃれはどうしても限られるから仕方がないのか。

 三対一となると、私の旗色はかなり悪い。

 仕方ないから私は丁寧に説明することにした。


「私と大公妃様、顔立ちの印象も背丈も雰囲気も全く違うでしょ? たとえば私が大公妃様みたいな大人っぽい服を着ようとしたら、もう似合わな過ぎて大笑いすることになっちゃうの。反対に私みたいに子供っぽい服は大公妃様、多分、子供の頃からあまり似合わなかったと思うよ」

「言われてみれば・・・。たしかにああいう大人の女性って感じの服、アレル、似合わなそうだ」

「そう言われてみればそうだな。たしかに大公妃様なら子供の頃でも上品な感じが似合ってそうだ。アレルは今でも大きなリボンが似合うが」

「アレル、可愛いからね」


 納得してもらえたのはいいけど、やっぱり今の私には大人びた服装は似合わないらしい。

 いいの、分かっていたから。


「そうでしょ。私の髪に大きなカラフルリボンを結ぶのは似合っても、子供の頃の大公妃様なら繊細なレースの細いリボンじゃないと似合わないようなもんだよ。反対に私じゃ繊細な細いレースのリボンだと全く似合わないわけだけどね。それなのに全く違うタイプの私にここまで似合う服を選んで合わせてくることができるって時点で、よほどおしゃれのスキルがないとできないよ。・・・だけど大公家の息子さんはあんながっしり系だし、ドルトリ中尉もいじめっ子系。私みたいなタイプはいないっぽいのに、どうやってスキル上達したんだろう」

「ご親族の令嬢じゃないのか? それに大公家なら挨拶に来る様々な家ごとに令嬢もいるだろう。中にはアレルみたいなタイプもいたんだろうし」

「だな。うちだって親族が集まる時には色々なタイプの女の子が集まるぞ」


 たしかに子爵家でも何か集まりがある時には色々な子供が来ていた。お友達を作りましょうと引き合わされたこともあった。ほとんどは一回で終わった。

 あの女の子達、いずれたくましく男を手玉に取って生きていくだろうと信じている。


「そうかも。あ、ディーノ、フォト撮って。祖父母に見せるんだ。これね、エプロンの下も可愛いんだよ」

「わっ、スカートめくるんじゃないっ。この破廉恥(はれんち)ビーバーッ」

「ちっがうもーん。これ、スカートじゃないもんっ。エプロンなんだよ。もうこのままお外でかけられるエプロンなんだよ」


 くすくすと笑う声がしたので振り返れば、大公妃とエインレイドが来ていた。


「それならみんなで仲良くしてるところを撮ってあげるわ。動物園でもフォトスポットはあるもの。やっぱりアレルはそういうのも似合うわね。可愛いわ」

「このお洋服、ありがとうございます。見たことないデザインでとっても素敵です」

「ええ。よかったら持って帰ってちょうだい。娘がいたら色々と着せてみたかったのよ。だけどたとえ親族でも、女の子に対して私が何かしてあげたらガルディアスの婚約者候補だと思われてしまうでしょう? やるわけにいかなかったのよね」

「いいんですか? じゃあ、祖父母の前で着てみます」


 色々と大変なんだね、偉い立場。どうやら私は婚約者がいるから問題ないらしい。


「アレル、本当に可愛い。たまにはスカートも・・・・・・面倒なことになりそうだね。だけど秋のダンスパーティならドレス着るんだよね?」

「うん、多分・・・? なんかもう、うちの祖父なんて二人で男装しとけとか、二人でドレス着とけとかそんなこと言ってたかもしれない。叔父はファレンディア風のドレスについてユウトに問い合わせてみるとか言ってた。だけどファレンディア、体のラインが露骨なぴっちり系だからかなり目立っちゃうかも。もう少し背があったら素敵に着こなせるんだけど」


 私はちらりと大公妃を見た。


「ビジネスモードのお母さんなら似合うんだけどね。ファレンディア、王侯貴族制度ないから、みんな庶民なの。ドレスとかはお祝いとかで着るけど、おうちで洗って手入れできるものが基本。つまり過剰装飾でごまかせないから、素敵に思わせたいなら顔とスタイルが必要なの。私だと貧相になっちゃう」

「あらまあ。それは困ったわね。だけど男装したらそこの男の子達が悲しむわよ、アレル」

「じゃあ兄と一緒にドレス・・・? だけどうちの兄ももうすぐガールフレンドを作りたいお年頃。さすがにドレスを着ることができるだなんて隠し通さないと」


 双子の兄はドレスを着ても可愛い男の子だけど、やっぱりガールフレンドの前ではカッコいい男の子でいたいだろうなって私も分かっている。


「ねえ、アレル。そっくりな顔なんだし、隠しようがないんじゃないかな。アレン、ドレス姿も可愛いし」

「そんなことありません、レイド。兄はクラブに精を出してますし、その内、カッコいいと思ってくれる女の子に告白されていい筈。・・・あれ? 私、ルードのドレス姿の話なんてしましたっけ?」


 するとエインレイドが何か焦ったような感じで考えたかと思うと、ニッコリ笑った。


「ここに来る前、アレルのおうち行ったじゃないか。あれだけ二人揃ってドレス着てるフォトとか飾られてて気づかない人はいないと思うよ」

「ああーっ、忘れてたっ」

「奥方様、お坊ちゃま方、お嬢様。お飲み物をお持ちいたしました」


 そこへ調理用白衣を着た人達がやってきたので、皆でテーブルに座る。

 テーブルの中央にちょっと背の低い、四角いバケツのようなケースが置かれた。そこには氷がびっしり入っていて、黒や茶、青や赤、橙や黄といったそれぞれ違う色の液体入りの瓶が無造作にどばどばと突っ込まれている。


「こちらの瓶はお好きなものをどうぞラッパ飲みしてください。勿論、グラスをお使いになる際には、隣のテーブルに置いておきますのでご自由にどうぞ。色がついているものは甘みのある炭酸水です。色によってフレーバーが違います。透明なのはお水です」

「あの、・・・ラッパ飲みって何ですか?」

「瓶に口をつけてそのまま飲むことですよ、坊ちゃま」

「うわあ。僕、一度やってみたかったんです」


 所詮はお金持ちの子供達が通うサルートス上等学校。マルコリリオが目を輝かせていた。

 平民、平民と喚くのにお前さんはラッパ飲みも知らなかったのか。このお坊ちゃまが。


「良家のお子様なら当然ですわ。ですが、動物園ディナーですと、もう瓶で出てきますのよ。ですから初めて瓶から直接飲むことに驚かれる方も多いと聞いております」

「無理なさらず、グラスをお使いになっても大丈夫ですのよ。飲み方が分からずに零してしまう方も多いのですわ。あ、お嬢様は最初からグラスをお使いくださいませ」

「ありがとうございます。うわあ、可愛い。コップの中にウサギさんがいるっ」


 多分、私はこの中で一番上手にラッパ飲みできる子だ。しかし私を礼儀正しい貴族令嬢だと信じている人の印象を壊さぬよう、私はその事実を言わなかった。

 用意されたグラスには凹凸のあるすりガラス模様でウサギが跳びはねている。


「こちらにレムレム茶のピッチャーを置いておきます。蓋があるものが熱いレムレム茶、無いのが冷たいレムレム茶です」

「さあ、お好きなものをどうぞ。アイスクリーム入り炭酸水が欲しい方は、コップにアイスクリームを入れて持ってまいります」


 動物園ディナースタイルということで、基本的にはセルフサービス形式だそうだ。瓶からのラッパ飲みって普段は許されないお行儀の悪さで、ちょっとみんなもワクワクしている。


「アイスクリーム入りっ。それってきっと美味しいっ」

「ねえ、アレル。組み合わせる炭酸のフレーバーとも相性があるんじゃない?」

「アレル、レイド。いくら動物園ディナーでも先にそれ飲んだらご飯が入らなくなるぞ」

「色々なカラーがあるんだな。こんな沢山のフレーバー、初めて見た」


 ダヴィデアーレは、こんなにも色々なフレーバーの炭酸水があるのかと、そっちが気になるようだ。言われてみれば、今日のマーケットでも見た覚えがない。


「あ、見て見て。これ、動物園シールが貼ってある」

「動物園で売られているものです。さあ、ディナーはパンに焼いた挽き肉が挟まれたものにいたしましょうか? それとも揚げたサーモンになさいますか? 挟む野菜もこの中から選んで丸をつけてください」


 みんなの前に紙が置かれ、自分がパンに挟んでほしい具に丸をつけるようになっていた。

 選べる量も七段階まであって、ごく少量から普通、そして盛り沢山まで選べるようになっている。


「塗るのは溶かしバターかトマトケチャップか、マスタードは多めか少なめか。ピクルスは丸ごとか、刻みか。・・・ふっ、これはやはり野菜たっぷり、全て7段階でどっちゃり挟むべきだ。そしてこんがりサーモンのフライはカリカリ、それにすべきだ。私の勘がそう叫んでいる」

「だけどアレル。あまり沢山にすると、今度は中身が落っこちちゃうよ? 僕さ、顔を覆うぐらいに高く中身入れた奴を強引に注文した人が大口開けて食べようとして、食べる瞬間に中身全部路上に落っことしたの見たことあるんだよね」


 マルコリリオは平民だけに、立ち食い屋台にも親しみがあるようだ。お店の人も止めたのに強引に注文した人がいたらしく、落として食べられなくても返金はしてもらえなかったらしい。当たり前だ。

 もしもかぶりつこうとした瞬間、中身がどちゃっと全て落ちたなら・・・。


「それはまずい。中身が全部床に落ちた日には、私のおしとやか令嬢人生の危機だ」

「いや、令嬢人生始まってないだろ。せめてスタート地点に立ってから言えよ」

「そう言うなよ、ディーノ。アレル、今なら見た目的に可愛らしいお嬢様じゃないか」

「叔母上はどうするの? あ、そっか。全部を普通にしとけばいいんだ」

「ほほほ。大人はさすがにね。あなた達は好きにしていいわよ。落っことしても平気。この部屋はいつも食べかすを殻入れでも皿でもなく床に捨ててるような人達が使っているの。動物園ディナーもこうして量を選べるようになっているのよ」


 調理用白衣を着た人が作ってくれるのだろう。にこにことして私達を見守っている。

 いつの間にかレムレム茶が入ったコップがみんなに配られていた。それぞれのコップにはやはり動物のすりガラス模様が入っていて、私はウサギで統一されているらしい。


「あの、このスライス玉葱って辛いですか? 辛いなら何かソースたっぷりかけて食べようかなって」

「生玉葱のスライスはさらし方が少ないと辛いと言って残す方が多いので、あまり辛くないようによくさらしてあります。それにお皿もこーんな大きさだからちゃんとフォークとナイフをつけますよ。溢れるぐらいにたっぷり挟んでも大丈夫ですとも。ポテトもカリカリに揚げてつけますからね」


 こーんな大きさと言って手を広げて教えてくれた大きさは、お皿と言うよりもトレイの大きさの気がした。

 きっと大公家、色々な大きさのお皿があるんだね。


「残す人って、もしかして他にもここで動物園ディナー食べた人いるんですか?」

「動物園ディナーというか、要は具を挟んだパンですからね。皆様がおいでの時には人数も多く、ナイフとフォークなんてちまちま使ってられるか、今すぐ食べられるものを持ってこいと、そう命じられますので慣れたものです。普段はこういった要望は伺わずに千個ぐらいは作り続けます。ですがこの辺りで獲れるサーモンより肉の方が喜ばれると、そういう違いはあるでしょうか」

「まさか普段メニューだったとは」


 私達は顔を見合わせてしまった。そういうことならばと、みんなそれぞれに丸をつけて、入れてほしくない物はゼロで、好きな物は多めがいいなどと、余白にリクエストも書いて渡す。


「それではすぐに持ってまいります。お代わりや違う料理も出せますからご遠慮なくどうぞ」


 なんとなくだけど、お代わりどころか一個だけで満腹になる気がした。

 大公妃が溜め息をつく。


「普通は行儀見習いといった理由で預かる令息すら、うちに来たらどこまでもワイルドになると言われている有り様よ。勿論、甘ったれていたお坊ちゃまが自立心を育むのはいいことだけど、うちに預けた一年で野生に戻ったとか言われた日には・・・」

「えっと、ですがミディタル大公家と言えば『勇なき者は去れ』ですよね。行儀見習いというよりも強くなってほしいから預けるのでは・・・。な、ダヴィ?」

「あ、ああ。牙を抜かれた軍など入れるかって人が行くのがミディタル大公家、ですよね?」


 サルートス国における正規軍よりハードな大公家って何なの? 私にはそこが分からない。


「そんなに凄かったんだ。たしかミディタル大公様って人生で三回、そのお姿を見ることができたら強くなれるって伝説がある方だよね」

「そんな伝説があるんだ。だけど僕、三百回以上会ってると思うけど、その伝説、効果ないと思うな。それともぴったり三回で終わらせておけば強くなれたのかな」

「僕が行ってたの、平民の幼年学校だからじゃない? 僕達じゃ人生で一回も見ることができるかどうかだもん」

「ちょっと待って、リオ。私も平民しか行かない幼年学校だったけど、そんな伝説聞いたことないよ」


 するとマルコリリオがポリポリと頬を掻いた。


「あのさ、アレル。ごめん、こういうことは言いたくないけど、同じ平民が通う学校でも、アレルが通っていた学校、かなり下町だよね?」

「へ?」

「えっと一番近い学校だったってのは分かるんだよ? だけどアレルのおうちからその学校とは違う反対側の方に行けば、同じ平民が通う学校でもまだお金持ちの子が通う幼年学校があった筈なんだ。それなのにアレル達、わざわざ平民でもかなり貧しいおうちの子も通ってる学校に行ってたんだよ。だからだと思う」

「え。そうだったんだ」

「うん。・・・ごめん、僕もそこまで調べたくなかったけど、あまりにもアレル、何にも知らなくて、おかしいなと思ってアレル達が通ってた市立の幼年学校調べたんだ。近くに、平民でももう少しお金持ちの子が通う学校があったのに、何故かわざわざガラの悪い学校に通ってたから・・・。そりゃ一番近かったけど。だからアレル、本当に何も知らないんだなって」


 マルコリリオに言わせると、いくら平民しか通わない市立の幼年学校でも、もう少し王族や貴族のことを教えられるものらしい。

 私は考えた。


「ガラが悪い・・・。言われてみればガラが悪い、ことはあったかも。そうなんだ、普通の庶民が通う学校でもガラが悪いとこだったんだ」


 衝撃の事実だ。

言われてみれば同じ平民が通う学校だったのに、うちのアレンルードはマルコリリオよりかなり口が悪い。


「フェリルド様も何を考えていらしたのかしら。事情があったにせよ、それならせめて裕福な家の子供が通う幼年学校にしておけばよかったものを」

「お母さん。多分だけどうちの父、何も考えてなかったと思います」

「それは駄目でしょう」

「だけど・・・、うちの父、基本的に元気で安全に暮らしていれば後は放任なんです。私達が普通に通学してた時点で問題ないと判断したと思います。ガラが良かろうが悪かろうが、兄も私もそれで何の支障も出ていなかったので」


 その場は沈黙に覆われた。

 たしかに学校によってはガラが悪いこともあるだろう。だが、私達は貴族のお坊ちゃまとお嬢様だった。

 そしてあんな素敵な保護者がいる上、とても愛らしい双子の私達。そう、私達は何も考えずに染まっていた。


「えっと、だけどアレル達、貴族だったんだし、妬まれていじめられなかった?」

「兄は毎日のようにみんなとグラウンド走り回ってたし。私も叔父がいつも参観に来ていたせいか、先生も女の子達も憧れてた感じで・・・。どちらかというと大事にされてた、かな」


 よく分からないが、私達がいる限り学校は安全だと言われていた。可愛い私達、きっと幸福を授ける天使に見えてたんだね。


「そうそう。たしかアレンって普段は礼儀正しいけど、その気になれば寮で一番ガラが悪いんじゃないかな。可愛いから声かけた上級生達全員がショック受けてた。今は仲良いけど」

「あー。ごめんなさい、レイド。うちの兄、従順で言いなりになると思われやすくて、小さい頃から危険がいっぱいだったんです。先手必勝でやっちゃうかも。女の子の代用にしようって変質者も多くて」


 私の顔を見ながら、みんながなるほどと頷いていると、ディナーのプレートが運ばれてきた。


「お待たせしました。さあ、どうぞ」

「うわあ、ガイドブックの動物園ディナーより素敵っ。ポテトが動物模様っ。こんがりした香りがとっても美味しそうっ。溶けかけバターがじゅわじゅわっ。しかもドライハーブじゃなくてフレッシュハーブ使ってるっ。揚げ油も普通の油じゃないと見たっ。何より野菜が完熟っ。きっと畑でぎりぎりまでいた奴だっ」

「アレル、・・・食べる前から凄いね」

「なんでこう食べ物にここまで執着するかな。あのクラブの本当の設立理由、実はヴィーリンさんじゃないだろ。調理クラブや菓子作りクラブは既存のがあって自由にならないから、自分の好きにできるクラブ作っただけだろ」

「そこを見抜いておられた大公妃様が凄すぎる」

「ごめん、僕、ポテトの形が可愛いことしか気づかなかった」


 ポテトは色々な動物型でくりぬいてくれたらしくて、食べるのがもったいないぐらいだ。野菜も新鮮なつやつやっぷりな上、完熟ならではの香りが立っていて、まさに食べ頃。


「だってバターって溶けかけた状態が一番美味しいんだよっ。そりゃ別に溶けきってても美味しいけどっ」

「いえいえ。どうぞお召し上がりください。そう言っていただけるのはとても嬉しゅうございます。お嬢様のご指摘通り、ポテトを揚げた油は先にフレッシュハーブを加熱して香りを移したものでございます。サーモンの衣には刻みハーブを加え、こちらは牛脂を加えた油で揚げさせていただきました。野菜は畑で本日収穫したものを使っております。さあ、冷えない内にどうぞ」

「いっただっきまーす」


 上にかぶさっていたパンを、何も挟まずにそのままぱくっと食べるとバターの香りが口いっぱいに広がった。


「美味しーっ。このパン、とっても美味しーっ。バターとよく合うーっ」

「おい、ビーバー。挟んで食べるもんだと思ったがな。そりゃこの大きさになるとフォークとナイフで食べるべきなんだが」

「だって美味しいよっ。そんな気がしてたっ。使ってる酵母が違う気がしたもんっ」

「ジャンクフードも喜んで食べてるくせに、変な所で舌が肥えてるのは何なんだろう。酵母って言うが、うちのクラブ、いつも普通に市販のパンまとめ買いだよな?」

「勿論、工場で一括生産されたパンはパンで美味しい。だけどこういう丁寧な酵母使ったパンの風味はまた別なんだよっ」


 ファレンディア人だった時、自分でもパンを作ることがあったので香りだけでピンときた。食が細い弟の為、私は色々なものに手を出した。パン用の酵母も、どれで作れば食が進むのか、色々と試したものだ。

 このパンはかなり小さく刻んだナッツやドライフルーツが練りこまれていて、このパンだけで美味しいようにと心を砕いてくれたのが分かる。


「あ、本当だ。パンだけでとっても美味しい。噛み締めるだけでパンが美味しい。ダヴィもパンだけ食べてみなよ。フライも美味しそうだけど、パン、バターの塩気とよく合ってどんどん食べちゃうぐらいに美味しいよ」

「そうか? ・・・あ、本当だ」


 みんなでパクパク上側のパンを食べてから私達はフライドサーモンに取り掛かる。衣の内側、僅かに粒マスタードやピンクペッパーが散らされていたらしく、カリッと噛めばサーモンの滋味が躍り出てきた。


「くぅうーっ、おーいーしーいーぃーっ。このサーモン、美味しいーっ」

「アレルは見てて飽きないわね。普段、これを瞬く間に食べる男達しか見ていないせいか、最初の一口でここまで反応するなんてとても新鮮だわ」

「うっ、嬉しゅうございます。今までどんな油を使おうが、気にもしてくださらなかった方々。ちまちま皿に盛るぐらいなら容器ごと出してこいと仰る方々。パンなんぞここで焼き上げなくても一括で大量納品させろ、常に食べられるようにしておけと言われ、ここの調理はもう機械的に組み立て仕事ばかりだと思っておりました。まさか、・・・まさか酵母にまで気づいてくださるお客様がいらっしゃるとは・・・ううっ」


 なんだか同情してしまうのは私だけだろうか。

 こういう調理人の努力を評価してあげなくては、小さな名店、そして細やかに調理する料理人はどこまでも絶滅していくというのに・・・!

 私達は子供だけど、人数少ないからって手を抜くことなく、この小父さん、丁寧に作ってくれたんだね。


「そんなことないです。きっと口にしないだけで美味しさに悶絶してた人もいたと思います。だって味が違いますから・・・!

 野菜や果物なんて見た目が同じなら味も栄養価も一緒? それはノー。枝についた状態で熟したと分かる味。収穫される直前までお日様を浴びて育っていたお野菜。その愛情がこもった美味しさに打ち震えながら私達は気づくのです。そう、食べる人がグルメである必要はない。だけどこの味にかけられた手間を感じる繊細さを失ってはならないのだと・・・!

 そういった気持ちが、世の中に美味しいご飯を巡らせていくのです・・・!」


 美味しいご飯は明日への活力だ。少しでも朝から食べてもらおうと、私は本当に料理にこだわった。

 その反動で一人暮らしになった途端、手を抜いて外食に走った。

 思うんだけど人間、程々にしておいた方がいい。燃え尽き症候群は突然やってくる。


「感動するべきなのか、アレルの強欲さに呆れればいいのか、僕にはいつもそこが分からない」

「全くだ。普通に栄養補給バーも合成クリームも美味しく食べてるくせに、いきなりどうして酵母の話になってるんだ。そりゃ美味しいけど」

「言われてみればパンって酵母が必要だったな。だけどうちのクラブ、パン作りは手を出してないだろ」

「まさかアレル、パン作りにも手を出すの? パン作りは嫌だって言ってなかった?」


 マルコリリオの疑問は当然かもしれない。私は絶対にパン作りにはのめりこみたくない。何故なら面倒くさいからだ。平たい微発酵パンまでは許せても、本格的なパンなんて疲れるだけ。


「あのパン作りの()ねて捏ねて捏ねて叩いて叩いて叩いてする労力を思えばパン作りなんてしたくないよ。だけど、だからこそ、それをしてくれたことをありがたく思って私は食べる。気泡や焼き具合を見れば分かる、どんなに細心の注意を払ってくれたかってことが」

「いえいえ、勿論、今回は大した量ではありませんでしたので手で捏ねましたが、いざという時の為、捏ねる機械もございます。また、少人数用の捏ねる機械もございます。お嬢様ももしご興味があるようでしたら明日にでも見学に来てください。動く様子をお目に掛けましょう」

「行きますっ。少人数用ってどれくらいですか?」

「そうですね。十人分ぐらいまででしょうか。捏ねる様子をご覧になった後、夜にでもご自分のパンを作ってもいいかと存じます。明後日の朝、皆様が作ったパンをお出ししてもいいわけですから。勿論、夜食になさってもいいかと存じます」


 いい人だ。この料理人の小父さんはとてもいい人だ。

 酵母も見せてくれると言ってくれた。


「ねえ、ダヴィ。遊びに来たのに僕達、なんかとっても充実した時間を過ごしてるね」

「そうだな。夏の長期休暇、何をやったのかと思ってたが、アレル見てたらよく分かった。本人は幸せそうに食べてるが」

「だってサラダにほんのりかかっているドレッシングもとっても美味しい。ソースが要らないんだよ。それでいてびしゃびしゃになってない。つまり絡ませた上で余分なドレッシングを切ってあるわけ。なんて素敵なご飯。自分なら絶対にここまでやらない。だからこそプロの味」


 話している合間にも私は色々な葉野菜をシャキシャキ食べていた。直前に薄く絡ませて、更に水切りしたがゆえにこの食感なのだ。きっと本来の動物園ディナーよりも沢山の種類の野菜を使っている。


「僕、アレル見てると強さについて考えさせられるんだよね。体格とかとは全く違う、心の部分で」

「そうだな。僕もこいつにだけは勝てんってよく思うんだ。こうなりたいとは絶対に思わないが、自分を顧みるきっかけは与えてくれる」


 さらし玉葱もよくさらされているせいか辛味がなくなっていて、フレッシュさがダンスしている。もしかしたら子供だからって、辛味が少ない品種の玉ねぎを使ってくれたのかもしれない。そしてカリッと美味しいサーモンのフライ。

 

「やっぱりうちで食べるようにして良かったわ。アレル、明日の朝ご飯、よかったら彼が作るみたいだけど、やっぱり自分達で作りたいのかしら?」

「へ?」


 私は料理人の小父さんの顔を見た。その瞳が何かを強く訴えている。


「えっと、ご迷惑でなければ・・・。ご飯、作ってくれると、嬉しいです」

「喜んでっ!」


 後で大公妃に聞いたところ、質より量を求める男達に出す為の黙々作り続ける作業、もしくはパーティ用で予め作っておいた料理を並べて出すだけの作業といったことばかりの調理人、実は味わって食べてくれる人に飢えていたのだとか。

 料理を評価してくれるのが大公妃一人だけではもう我慢できなかったらしい。大公家のお坊ちゃまはあまりこの別邸に来なかったとか。肝心のミディタル大公は、・・・うん、何も言わずに食べていそうだ。

 大公邸に勤められるだけの腕を持ちながら、宝の持ち腐れに悔し泣きしていた料理人達。

 

(考えてみれば王子様と伯爵家のお坊ちゃまがやってきたんだもんなぁ。そりゃ腕の見せ所だったよね)


 食後には、動物の形に固められた果肉入りゼリーが出た。ミルク瓶を抱えたクマの形のゼリー。可愛すぎて心が震える。ミルク瓶部分は牛乳ゼリーだ。めちゃめちゃ凝っていた。


「可愛いっ。ブドウがおめめになってるっ。お口はメロンかなぁっ。食べるのがもったいないっ。・・・・・・あっ、これ梨だっ」


 本当の動物園ディナーなら絶対にこんなに手の込んだ料理は出てこない。私達がやっぱり動物園で食べるとか言い出したら無駄になったというのに、それでも作ってくれていた気持ちが嬉しかった。


「ガルディ兄上がアレルに食べさせる気持ちが分かった気がする」

「もしかしてアレルの騒ぎ具合が予想されていたが故のこの部屋だったんだろうか。さすがに通常のダイニングルームでやっちゃいかんだろ。この狂喜乱舞ビーバー」

「思うんだがアレル、窓際役人を目指すよりグルメ関係の仕事に就いた方がいいんじゃないか? ほら、美味しいお店を紹介するとかいう奴」

「無理だよ、ダヴィ。ああいうのは出資者の都合的に、美味しくなくても美味しいって言わなきゃいけないもん。アレル、反応見てたら美味しいか美味しくないかバレバレだから無理だよ」

「それもそうか」


 ごちゃごちゃ言ってないで、少しはじっくり味わいたまえ、少年達よ。

 通常ならこんなの缶詰をゼラチンで固めた程度だ。ここまで模様にもこだわってくれた気持ちを無駄にしてどうする。


「やっぱりアレルは大切に隠しておいた方がいいのかしらね。嫌だわ、あの男の気持ちが分かってしまうだなんて」

「? 隠されてはないですよ、お母さん。毎日学校にも行ってます」

「そうね。どんなに大事にしまっておきたくても、大人の身勝手な利己主義で子供の未来が奪われるべきではないのよ。どんなに可愛い小鳥でも、あなたはあなたの意思がある一人の人間なんだもの」

「お母さん・・・!」


 なんて素敵な人なんだろう、大公妃。ファレンディア人だった頃にお友達になりたかった。

 全くもってその通りだ。子供は大人の為にある道具ではなく、伸び伸びと健やかに育てられるべきである。

 それなのにあの弟の育て方でどこまでも挫折していたあの頃、その意見に同調してくれる人はあまりにも少なすぎた。


「できればお母さん、同級生にいてほしかったです」

「さすがにそれは無理ね」


 そして食べすぎた私達はお腹いっぱいで炭酸水が入らなかったけれど、瓶なので好きな時に飲めばいいですよと、泊まる棟に運んでおいてくれるということだった。アイスクリームも一緒に。

 いい人だ。大公邸の料理人はいい人だ。アイスクリームは全種類制覇していきたい。




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