表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/71

38 お名前を書くだけなのに


 午前中の授業がいつの間にか終わっていた私だけど、警備棟から話を聞いていたエインレイドがクラブメンバーに、今日の私はお休みだと説明してくれたそうだ。

 さすがは王子様。気配りが行き届いている。

 人を海狸(ビーバー)呼ばわりする奴らに、今度は叔父への愛を貫く為、大臣に喧嘩を売ってみましたなんて言えない。午前中タイムは闇に葬らなくては。

 私の縄張(なわば)りである第2調理室ですっくと立つ私は今の状況を改めて考えた。


(だけどどうして寝ちゃったんだろう。あんな説明会程度で疲れる筈もないのに)


 お昼ご飯が美味しくてご機嫌になれたけど、どうやら貴婦人(推定王妃様)やフォリ中尉があの後も大臣達を交えて何やら貴賓室で話し合いを続け、そこで出されたランチを私にも回してくれたらしい。お茶会という言葉が迷子中だ。ランチミーティングって、お茶会って言わないと思う。

 よく分からないが、大臣一行は貴婦人(推定王妃様)とフォリ中尉と叔父のレミジェスに感謝して帰っていったらしい。いつの間に叔父がやってきたのか、それも分からない。


(全くたかが数ナロメインぐらい、大臣なら痛くも痒くもないと思うんだけどなぁ。そんなのにうちみたいな弱小貴族を巻きこまないでほしいよ)


 そりゃね、投資金額に見合う利益があるならともかく、ドブに捨てることになるならやはり問題なのかもしれない。場合によっては無能大臣として糾弾されることだってあるかもしれない。

 だけどそんなの、その役職にある大人達が頑張ることだ。私はまだ子供だから関係ない。そして外国人のユウトだって無関係な話だ。

 血の繋がらない親子関係で苦労している息子(ユウト)を引っ張り出さないで欲しいんだな。でもってそんなことにうちの叔父を巻き込まないで欲しいわけだよ。


(大臣は終わったらしいからいいとして、後はサインをもらって、ついでに価格交渉はフォリ先生に押しつけたら終わり。いや、他の人の分の価格交渉はフォリ先生に押しつけるけど、豪華列車の代金代わりにフォリ先生が使うのだけは無料にして、裏金作れるようにしてあげればいっかも? いや、あの8台ってレンさんの分が入ってるからアレをフォリ先生に回してあげればいいのかも?)


 半曜日の授業は昼までだから、私の沈黙誓約書サイン説明会は昼過ぎから行われる。

 みんなが黙ってサインしてくれればいいけど、貴婦人(推定王妃様)によると、どうやら私が誘拐されたことはとっくにフォリ中尉が圧力をかけて黙らせていたらしい。

 さすが大公家の権力だ。フォリ中尉に目をつけた私は見る目があった。後はそれの念押しをしておくだけだ。

 だっていつフォリ先生だって戦死するか分からない。そうなったら私の危機だ。権力者が死亡したら、その庇護下にあった者はいつだって悲惨な運命をたどる。

 というわけで、今の内にフォリ中尉が逆らえない貴婦人(推定王妃様)のご威光を借りまくって、フォリ中尉にも沈黙誓約書へサインさせるのだ。死人に口なし、それが真実と変わるように。

 そこまで考えた私は家族をこの第2調理室から退室させようと最初の難問に取り掛かった。


「あのね、ルード。ルード、関係ないからいなくていいと思う」


 警備棟の中にある第2調理室は私達のクラブルームだが、エインレイドが上手く言っておいてくれたので、クラブメンバーは誰も来ていない。

 あの温泉町フォムルに同行した男子寮監達とネトシル少尉、そして私の味方である貴婦人(推定王妃様)とバーレンに来てもらう以上、私は自分の主導で話を進めたかった。

 父の部下であるオーバリ中尉はどこにいるか知らないから、後日、父に頼んでどうにかしてもらう。

 本当はその沈黙誓約書へのサインを終わらせてから、父と叔父に報告したかった。

 だけど仕方がない。来てしまった叔父を帰らせるのは無理だと私にも分かっている。授業を休んでしまった以上、保護者に連絡義務が生じると言われてしまえば、私とて諦めるしかなかった。

 だからこそ貴婦人(推定王妃様)や寮監先生達が入ってくる前に、私はアレンルードを追い出しておきたい。父に言いつけられるのはごめんだ。いつだって私が言いつける立場でありたい。


「僕だって好きで来たわけじゃないよ。フォリ先生が、フィルがまた変なことやらかすみたいだから、父上への報告の為にも参加しろって言ってきたんだ。叔父上だっていきなり呼び出されてるしさ。フィルはまず家族に相談することを覚えなよ」

「そうだね、フィル。何かする時にはまず兄上か私に相談しなさいって言っただろう? 学校のことならルードがいる。ルードはとても頼りになる子だよ。だけどね、大臣にあそこまで言わせるだなんて、一体何をやったのかな? まさかと思うけど、わざと討論を吹っ掛けたりしたんじゃないだろうね?」

「え・・・っと」


 これは質問なのだろうか。叔父はどこまで知っているのか。いや、どこまで説明されたのか。


(パピーなら、何がばれたところで忙しい人だし、『仕方がない子だね』でキスして終わりにしてくれるけど、ジェス兄様はどうなんだろう。今までフィルちゃんバージョンがばれたことがなかっただけに分からない・・・!)


 私の愛されフィルちゃん演技は完璧だ。この猫かぶりがばれたことなど、学校側から盗撮映像付きで密告された父への一回しかない。

 だからこそ私には、それが失敗した場合の実体験データが少なすぎた。

 父と違って叔父は一緒に住んでいるわけではない。ベッドの中ですりすりしながら甘えてごまかすにはこの時間帯と場所が悪すぎる。

 間違った答えは多分よくない。うまく言い逃れなくては。

 じりじりとした焦りが、私の心をこんがりと焼いていった。

 呼んだ覚えのない叔父のレミジェスと兄のアレンルード。犯人はどちらもフォリ中尉だ。

 全く私の味方をしてくれるなら、私が要望したことだけしてくれればいいのに。これだからいい人だけど信じられないんだよ。お金持ちだから許すけど。

 優しい人ほど怒ると怖いと言う。叔父はいつでも明るくて優しくて面倒見が良くてお金持ちで、釣った魚にずっと美味しい餌をくれる結婚したい男性・世界ナンバーワンだけど、怒らせたら怖いかもしれない。

 私は追い詰められていた。


「だ、だってジェ・・・叔父様。私、叔父様だけに苦労させるだなんて耐えられません。叔父様、私を庇って矢面に立ってくれてたんでしょう? あんな陰険そうでねちねちした乱暴そうな人達に」


 今までとは全く違う、まさにザ・神経細やかなお嬢様バージョン。

 いつ誰が入ってくるかわからないので、ここは叔父様呼びだ。やっぱりいきなり入ってきたりするかもしれない男子寮監達に、まだ子供なのかよと馬鹿にされたくない。

 変化球にも手を抜かない私は両手を組んだお祈りポーズと大人びた表情で叔父を見上げてみた。


「誰がそんなことを言ったのかな。庇うも何もフィルはいつだっていい子だよ。問題なんて何一つ起こっていなかった」

 

 ああ、なんて包容力のある人なんだろう。だから好き。

 見上げれば微笑んでくれる叔父は、父とはタイプの違う頼もしい人だ。子供の私に、大人の嫌な世界をちらりとも見せる気がない。


(めっちゃ愛されてますっ。私ってば本気で愛されてますよっ)


 ぎゅっと抱きつけば抱き上げてくれるから、いつものように叔父の頬にほっぺたすりすりしたら、やっぱりちくちくしない。微笑んで、優しく抱きしめて頭を撫でてくれる。

これはもう、どんなにフォリ中尉が貢いでくれてもやっぱり追い越せない、不動のいい男ナンバー2だ。

 だからこそ叔父様大好きアピールでごまかしたい。今、私はあまりにも深い愛に心を痛め、苦しむヒロインなのだ。そういうことにしておく。


「嘘。子供だからって何も分からないわけじゃないんです。私だって当事者なんです。・・・叔父様だけが辛い立場に置かれるなんて絶対に駄目。それぐらいなら、お父様と私と三人で一緒に駆け落ちして幸せになりましょう?

 私、パ・・・お父様と叔父様がいれば、それだけで満足です。権力社会で心を病む必要はないって思うんです。新天地で長閑(のどか)な日々を送りながら、(すさ)んだ心を癒しましょう?

 ウェスギニー子爵はお祖父(じい)様、まだまだお元気だし、ルードがいるから大丈夫です」

「あのさぁ、フィル。僕、まだ子供なんだけど。それに結局、フィルだけがいつでも幸せすぎない? そもそもフィルの後始末で叔父上が奔走していたわけで、反省することなく駆け落ちとか言って、父上と叔父上を連れて遊びに行く計画って何なのさ」


 だから責任を感じて、一緒に愛の逃避行に出ようって誘っているんじゃないか。遊びに行くんじゃないのに。

 仕方がないから叔父の腕の中から抜け出した私は、ちょっと拗ねた表情になっているアレンルードの両手をぎゅっと私の両手で握って励ました。

 仲間外れにしてるわけじゃないの。愛があるからこその選択なのだと分かってほしい。

 いつだって私はあなたを愛している。だからあなたの未来を考えて置いていくのだ。


「ルード、ジェス兄様取られそうだからって拗ねちゃ駄目。ルードも連れてってあげたいけど、学歴がなかったら、学校にも通えない馬鹿な子とか言われちゃうんだよ? アイツ勉強できないんだぜって、使用人にも好きにされちゃうの。

 授業を受けて賢くなるの、とっても大切。ルードの将来を考えたら仕方ないんだよ。お土産買ってきてあげるから。ね?」

「安心しなよ、取られるも何も、どうせほとぼりが冷めるまでお出かけしておけばいいやってだけだよね。父上も叔父上も、そんなのに付き合わないよ」


 最近、アレンルードは私を何かと責めるような言い方をする。

 男子寮が兄を変えてしまったのか。落ちこぼれ兵士じゃない士官でも、所詮は性格がひねた男子寮監達だ。彼らの影響を完成しきっていない未熟な感性でダイレクトに受けてしまったのか。

 お肉一切れだけで涙目になっていた生意気で可愛いアレンルードを返して。


「そうだね。別に人間付き合いに疲れたなら領地に引っこめばいいし、駆け落ちしなくても家族で仲良く暮らせばいいだけだね。何ならローグさんとマーサさんの部屋も用意するからいつでも戻ってきなさい。それよりフィル、先に棚を見せてもらったけど、なんでファレンディア観光ガイドブックなんてあるのかな?」

「え? えーっと、えっと、ほら、フェリンキングダムってどんなのかなぁって、興味があったってゆーか・・・。あのね、三年前にできたらしいの。ユウト、そこに連れてってくれるって言ってたし」


 いつの間に叔父はここをチェックしていたのだろう。ガイドブックは私専用の棚の中に置いてあった筈なのに。


(やはり子爵邸で暮らすのは何があろうと断らなくては。室内チェックはやばい。あのおうちこそ、私の聖域)


 バーレンの講師割引で買っておいてもらったファレンディア観光ガイドブック。第2調理室へ置いてあった私は、持ち帰るのを忘れていた。だってまだ急がない。


「叔父上。一緒に駆け落ちしましょうとか言っときながら、フィル、違う男と外国デート計画中って白状してますけど?」

「デ、デートじゃないもんっ。フィルが遊びに行きたいだけだもんっ。だけどユウトが美味しいレストランランキング、目を通してるとは思えないし、そしたら調べておかないと損するだけなんだもんっ」

「へー。結局デートじゃないか。一人で行く気なんだろ? フィル、父上と叔父上だけじゃ満足できないなんて本当に浮気がすぎるよね」


 あ、まずい。可愛いアレンルードに何だか魔王が降臨し始めている。

 貿易都市サンリラに行く時はどんなに誘っても同行拒否したくせに、やっぱり私と一緒にいたかったんだね。全く男の子ってば意地っ張りすぎて困っちゃう。


(こういう時、ちゃんと言い聞かせないとかなり後に引くんだよね。優斗がそうだった)


 私は引き攣った笑顔になりながらも、アレンルードをやや早口で言いくるめることにした。

 やっぱり早口言葉をマスターして検定を受けるべきだ。有料通話以外の活用法を私は見つけた。

 

「そんなことないよっ。やっぱりルードも行ってみたいよね? フィルもそうだと思ってたのっ。

 見どころは全部網羅しておきたいよねっ? 大丈夫、フィルは完璧。だからルード、一緒に行こう?

 どうせユウト、一軒家に一人暮らしだし、好きなだけ泊まっていっていいって言ってたもんっ。お仕事忙しくて三週間に一日しか帰宅できないらしいけど、必要な物は全部お世話してくれるササキさんに言えば大丈夫って。そのおうち、駅にも近いし、お店も近くに色々あるし、全然心配ないよっ。

ついでにユウトの職場の同僚の娘さん、両親が仕事ばっかりで放置されてるんだって。私達より二つかそこら年下だけど綺麗な子だって言ってたよ。だから一緒に遊びに行こう?

それでね、フェリンキングダム遊園地にはホテルもあって、とっても美味しいみたいなの。あ、ほら、ガイドブック読んでていいよ」


棚からファレンディア観光ガイドブックを取り出して、アレンルードに押しつけておく。

うん、これで完璧だ。


「あのさあ、フィル。まさかユウトさんのおうちも乗っ取る気? 三週間に一日しか帰ってこないなら、フィルの天下じゃないか。今のおうちだけで十分だろ? フィルだって子爵邸に住めばいいだけなのに、それをいかがわしい趣味に没頭したいからって、あの家を一人で好きに使っておいて、しかもそれを外国にまで広げるって何なのさ」

「い、いかがわしくなんてないもん」

「フィル。まさかと思うけど、ファレンディア国に永住しようとか考えていないね?」


 淡い金髪を撫でつけるようにセットした叔父が、微笑みながら尋ねてくるんだけど、そのルビーみたいな赤い瞳はいつだって穏やかなものだった。

 だけど何故だろう。今、ちょっと剣呑なものを感じた気がする。

 いやいや、きっと気のせいだ。だって叔父はいつだって明るく爽やかな人だし。


「本当に浮気しちゃってるのかな? 私は悲しいよ、フィル」


 優しく抱きしめられて額にキスされてしまったものだから、ついうっとりしてしまった私は、ふるふると首を横に振る。


「浮気なんてしてないもん。フィル、旅行には行くけど、永住はしないの。だってユウト、フィルが結婚できるお年になったら、じゃあ一緒に暮らそうねって言いそう。フィルね、結婚するならジェス兄様が理想。だから大人になる前に旅行して、フィル、さっさと逃げてくるの」

「いい子だね、フィル。だけど外国への旅行というのは・・・。それは兄上に相談してからにしなさい。滞在費用も割り出さなきゃいけないから勝手に決めちゃ駄目だよ。分かったかい?」


 父の抱きしめ方とは違うけれど、叔父の抱きしめ方もこれはこれで悪くない安定感だ。

 いつの間にか私を抱えているという魔法のようなテクニック。

 ああ、これで私、淡いピンクの花嫁衣裳を着ていたら完璧だったと思うの。そして叔父は黒じゃなくて純白の正装で。飾りボタンは金色。やっぱり王道は外せない。


「お金は要らないの。お小遣いは持ってくけど。ユウト、お金稼ぐだけで使わない生活だったから好きなだけ使ってって言ってた」

「それこそお金を使わせたら、強引に結婚に持ちこまれかねないよ。フィルはとても可愛いんだから気をつけなさい。男を信じちゃいけないよ。父上と兄上とルード以外はね」

「大丈夫。フィル、ちゃんと相手、見てるの。フィルがね、お金使わせるの、そういうの言わない人だけ。変な下心のお金、全部お断りなの。ユウトね、ジェス兄様と一緒。何があっても、フィルの味方」


 せっかくだからと叔父の頬に自分の頬をすりすりさせていたら、やっぱりざらざらしていなくて、そこが不思議だ。

 叔父に生えている筈のお髭は一体どうなっているのだろう。トリートメントが違うのだろうか。

 すりすりすりすりしていたら、くすっと笑う気配が伝わってきた。


「それならいいけど。本当にフィルは甘えるのが上手だね」

「あのね、ジェス兄様。女の子が甘えたいの、大好きな人。ジェス兄様、フィルを甘やかすの、とっても上手なの」

「やれやれ。本当にフィルは目が離せないから困るのに、そう言われたらおしりペンペンもできやしない。兄上になんと言えばいいのかな。あの大臣達と接触してしまったとなると」


 私が寝ている間にやってきた叔父は貴婦人(推定王妃様)や大臣とのランチでやはり何かを聞いてしまったのか。だけど今まで私は叔父におしりペンペンなんてされたことがない。


(うーむ。おしりペンペンもジェス兄様のなら痛くないどころか、とっても甘やかされそう。パピーと違って、・・・いや、まずい。パピーのあの微笑みながらのそれはまずい)


 私は違う危機を悟った。

 うちの父は、放任と言ってもいいぐらいに私の自由を認めてくれる最高な父親だけど、それは私が安全な状態だからであって、自分が圧力をかけられない男は近寄らせないようにしている気配がある。よその男となんて一言も口を利かなくていいとまで言うぐらいに、私を溺愛中だ。

 そして父と叔父は仲がいい。これで大臣と会ったと聞いたならどうなることか。

 父は虎の種の印を持っていて、しかも私の見立てによると・・・。


(や、やばい。パピーのシッポを踏むのはやばい)


 私の顔から一気に血の気が引く。


「フィ、フィル、ジェス兄様のペンペンなら、我慢するっ。だから、だからジェス兄様っ。パピーには、パピーにだけは言わないでぇっ」


 全身の力でぎちぎちに抱きつきながら、私は考えた。

 父の物置部屋からなくなっていたそれはかなり多かった。まだ戻ってくるのは先だと思うが、減っていた量と数が、不在日数に比例するわけではない。

 今日、戻っていたとしても驚かない。それが父だ。


「こらこら。可愛いフィルを本気で私がペンペンするわけないだろう? ・・・しょうがないな。安心しなさい。兄上にはフィルが怒られないように言っておくから。兄上だって大臣と会うことは会うんだ。だから何も知らないわけにはいかないよ。それでもフィルにはどうしようもなかったと、言ってはおいてあげるけどね」


 なんということだ。やはり報告されてしまうのか。


「じゃ、じゃあ、パピーにはお茶を飲みながら話題に出ただけって言ってぇ。フィル、何にも言ってないのぉ」

「あちらから言われたら、そんな嘘、すぐにばれちゃうぞ。仕方ないなぁ。大臣にしつこく言われて、フィルなりにユウトさんから聞いたことを考えながら頑張って答えたってことにしておこうね」


 目と目を合わせて頭を撫でられてしまうと、やっぱり叔父は私の味方だと再認識した。

 すりすりすりすりと、更に頬ずり攻撃をかましておく。


「ジェス兄様ぁ、やっぱり好き。だからお祖父(じい)ちゃまにも言わないでぇ」

「おやおや、そっちもか。しょうがないな。なるべく柔らかい表現で少し割り引いて報告しとくよ。父上もたまに王宮へ行くわけだし、知らなかったは通じないからね」

「それで終わらせるからフィルが全く反省しないんだと思います、叔父上」


 双子の兄が妹の苦境を分かっていなさすぎるのだが、私だって切実なのだ。


「も、ルード、いなくていい。さっさと寮か、おうち帰っていい。フィルはそう思う」

「僕は叔父上と約束してたんだよ。とっくに外泊届も提出済み。それをフィルが授業をずる休みして寝こけてたんじゃないか」

「・・・具合が悪かったんだもんっ」

「顔色、とってもいいよ、フィル」

「休んだから回復したんだもんっ」

「マーサおばさんにも通話通信入れて聞いたけど、朝から元気だったって?」

「子供はちょっとしたことですぐに体調崩すんだもんっ」

「フィル、言い張ればごまかせるって思ってるの、フィルだけ」


 なんて生意気になったのだ、アレンルード。

 だが、甘い。私には素晴らしいガーディアンがいるのだ。

 

「ジェス兄様ぁ。ルードがフィル、いじめるんだよ」

「しょうがないな。男の子なんだから妹には優しくしてあげなさい、ルード」


 思った通り、叔父は私の味方だった。たとえいつもアレンルードといても、愛されているのは私なのだ。


「だからフィルが味を占めてるんじゃないですか。父上も問題あるけど、叔父上も大概だと思います」

「フィルは我が家のお姫様だからね。さ、フィル。そうルードを追い出そうとするんじゃないよ。ルードだって話し合いの邪魔はしないで壁際で見てるだけだ。

 誰かにフィルの名前を持ち出されて、騙されたルードがとんでもないドジを踏まないよう、ここは諦めてルードにも事情を把握させておきなさい」


 もしかして私が手強いと思ったら、アレンルードに大臣達は目をつけるのだろうか? 兄はまだ一年生なのに。

 私は知っている。たとえ子供でも大人は容赦してくれないことを。

 それだから優斗は普通の感性を知らずに育ってしまった。


「だけどジェス兄様。ルード、まだ子供」

「子供でもルードはフィルを守る為なら大人になるよ。大丈夫、ルードは何があろうとフィルの味方だ」


 憎まれ口ばかりだけど、アレンルードは私を愛している。

 叔父の言葉にそれを思い出し、私の心が温かくなった。


「うん。ルード、ぎゅーっ」

「全く。いつもそれでフィルはごまかすんだから」


 こそばゆそうな顔で文句を言うけど、嬉しいことはお見通しだ。

 えーい、素直になれないお子ちゃまめ。

 アレンルードが広げた腕に抱きついて、その背中へ腕を回せば、叔父も私達の肩を抱いてきた。


「どんな時にもルードには話しておきなさい、フィル。ルードはいつだってお前の味方だ。私が駆けつけるまで二人で力を合わせて助け合うんだ。いいね?」

「うん、ジェス兄様」

「フィル、返事だけは立派だよね」


 抱きしめ合うことは、勇気を分かち合うことだと思う。

 大丈夫だ。アレンルードはあんまり考えない子だから、何を見聞きしてもお肉を食べさせたら忘れてくれる。


(そうだよね。優斗を動かす為に私を使おうとした人達だもん。私が手強いとなったら、ルードに目をつけるかも。ルードだって私が頼りないと思っていたら騙されちゃう。ここは、私がいかに頼りになるかを皆に思い知らせる時・・・!)


 あ、そうそう。忘れちゃいけない。アレンルードは食べさせておけばご機嫌な子だ。


「じゃあルード、お菓子出したげる。お部屋の隅で食べてていいよ。ね? フィル、とっても素敵なお昼ごはん食べたの。だけどルード、ミルクとソーセージパンだけだよね? 今日はおうち、帰ってくるんでしょ? そしたらフィル、おうちでマーシャママと一緒に、お肉焼いたげる」

「フィルって本当に分かりやすいよね」


 こうなったらアレンルードが目を輝かすに違いないスナックを用意して、食べている間に話を終わらせよう。

 ポップコーンとかもいいよね。カラフルな容器に入れて出したら、みんな夢中になるし。大人だって大好きなポップコーン。

 うん、完璧だ。子供なんてお菓子でどうにでもなるものだって、私は知っている。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 第2調理室の隅っこで、王子であるエインレイドと子爵家の息子にすぎないアレンルードが仲良くポップコーンをつまんでいた。

 そう、何故かエインレイドが増えていた。

 これこれ、王子様。君はお呼びでないのだが。


「うーん、キャラメル味もいいけど、僕はやっぱり塩味かな。アレンもキャラメル好きなんだ? アレルもね、いつもコーヒーの上の生クリームにキャラメルソースたっぷりかけるんだよ」

「僕はコーヒー、あんまり飲まないけど、マーサおばさん・・・、えっと、うちの家政婦してくれてる人が作るポップコーンは塩味だから、やっぱり違う場所ではキャラメル味がいいです」

「その人ならクラブの発表会で来てくれてるよ。とても優しい人だよね」


 うちの兄は王子とあまり親しくないという話だったのだが、いつの間に仲良くなったんだろう。ミディタル大公家に行った時も、そこまで親しい感じじゃなかったし。

 やはりみんなでプール遊びしたからだろうか。一緒に遊んで仲良くなる男の子達の必殺技、「お前、けっこういい奴だったんだな」「お前こそ」だったんだろうか。


「なんでレイドまで来ているんでしょう。ルードも関係ないけど、レイド、もっと関係ないですよね? 何ならポップコーン持たせてあげるから、男子寮に帰っていいですよ」

「そうなんだけど、ガルディ兄上・・・じゃなかった、フォリ先生が、分からなくてもいいから見ておけっていうから来たんだ。僕はアレル、優しくて思いやりのあるいい子だって知ってるけど、フォリ先生は、お前はいい子すぎるからアレルの図々しいところをもう少し見習ってもいいって言うんだ。で、来てみたらアレンがいたわけでさ。人の目がないところなら、アレン、僕を避けないし」

「言っておきますが、エリー王子。僕だって好きで避けてるわけじゃなくて、貴族のいない寮でも寮生から話を聞き出している貴族がいるであろうことを考えると、なるべく一緒にいるのを見られない方がいいんです。僕を脅せばエリー王子を動かせるかも? なんて思われるわけにはいかないんです。卒業後の進路とか、家族の職場とか、貴族はその気になれば十分に寮生を操ることができます」

「ごめんね、気を遣わせちゃって」

「大丈夫です。うちの父や妹と違って、エリー王子、常識的ですから」

「えっと、・・・ウェスギニー子爵も常識的でいい人だと思うよ? そりゃアレルの常識は分からないけど」


 どうして王子はそこで私も常識的だと反論してくれないの? 父だけがあの魅力で皆を攻略していくの? 

 いや、そういうことではない。どこまでもフォリ中尉の影が私の前に立ちはだかる。


「フォリ先生が全て悪いとして、フォリ先生にはレイディからしかってもらうから、やっぱり二人共出ていったほうがいいと思うんです」

「そうなんだけど、僕、レミジェス殿にもお話があるんだよ。みんなには了解取ったんだけど、アレルだけまだだったからさ。今度の連休、ヴェラストールにみんなで行かない? だけどアレル、女の子だから、僕達とだとご家族が心配しちゃうだろ? だからきちんと説明しなくちゃって思って。

 ガル・・・フォリ先生が、うちのでもミディタル家でも好きな方の別邸使っていいって言ってたから、どうかなって思ってるんだけど。ディーノとダヴィのおうちも別邸持ってるって話だったから、どこのおうちのでもいいみたいだよ。勿論、アレンも一緒ならもっと心配いらないと思うんだけど。あ、ちゃんとアレルには専属で世話する侍女をつけるよ」

「え? ヴェラストール?」

「うん、そう。アレル、行ったのに全然観光できなかったんだって? 僕も行ったことないし、それならって思ってさ。護衛も了承済み」

「ジェ・・・叔父様」


 私はくるっと体を回転させて叔父のレミジェスを見た。

 色々あって観光できなかったけれど、ヴェラストールは大きな都市だ。


「そうだね。この場合、安心なのは護衛の部屋もある王宮かミディタル大公家の別邸かな。だけどね、フィル。エインレイド様は大切な王子様だ。だから夜まで女の子が一緒に遊んでいたら、それだけで即座に報告が行ってしまうんだよ」

「え? 別に不純異性交遊なんてしないのに?」

「それでもだよ。だからルードも同行させて、夕食を終えたら二人とも同じ部屋に下がって、それからは出て行かない方がいいだろうね。女の子が一人だけとなると、一晩中でも監視がつきかねない」

「はい、叔父様。じゃあ、後でフォリ先生に、仕事しない別邸はどちらか聞いておきます。要は報告されなければいいんですよね?」


 思うんだけど子供に対してあまりにも信頼がなさすぎないだろうか。

 そりゃ不良な子だったら信用なんてできないけど、エインレイドはバナナだってカトラリーで食べる礼儀正しい王子様、ベリザディーノとダヴィデアーレは何かと私に令嬢とはどういうものかを説教してくる口うるさい貴族令息、マルコリリオは女の子の尻に敷かれるタイプときたら、もう何も心配いらないと思うのに。


「フィル、そんな聞き方して、問題児って思われても知らないよ? 叔父上もちゃんとフィルをしかってください。だからフィル、どこまでも非常識なんです。エリー王子の前で言っていいことと悪いことがあります」

「えっとアレン。僕、気にしないから。それにアレル、口ではどうこう言ってても、いざとなればとってもしっかりしてるんだよ」

「騙されちゃ駄目です、エリー王子。うちの妹はどこまでもひどい子です」


 妹をひどい子呼ばわりする兄がひどすぎる。

 こういう小さなことから兄妹間の断絶が始まるんだね。


「やれやれ。女の子一人じゃ王宮だって本当に了承するかは怪しいし、いざとなればルード、お前がフィルのフリをして一緒に行って差し上げなさい。どんなに外見は女の子でも、中身は男の子だから大丈夫だろう」

「叔父上。それで騙されるの、お祖父(じい)様とお祖母(ばあ)様だけだと思います」


 それ以前に女子生徒を交えたクラブメンバーでお出かけするより、女装男子を同行させる王子の方がまずいと思うのは私だけ?


「叔父様。そうしたら私だけがお留守番ですか?」

「フィルは私が連れていってあげよう。フィルはうちのアパートメントで寝泊まりして、昼間だけ一緒に遊べばいい。何なら夕食が終わった頃に迎えに行ってあげるよ。往復が列車なら、同じ車両に乗り合わせてみんなで楽しくお喋りできるんじゃないかな」

「それなら僕、女装する必要ないと思います」

「叔父様、大好きです。ルードはみんなと仲良く遊んでるから、夜は私と二人きりでデートしましょう」

「こらこら。子供は夜更かししちゃいけないんだよ、フィル。堂々と言うのはやめなさい。そういうのは現地でこっそり言うんだ。ドレスコードのある大人っぽい店でいいかな」

「えへ」


 昼間は子供時間、夜は大人時間。なんてロマンチック。ここは夜景の綺麗なバーでノンアルコールカクテルを飲みながら周囲の羨望を浴びつつ叔父を堪能したい。


「ねえ、アレン。夜更かしってこっそりするもんなんだ?」

「そうですね。この場合、フィルは叔父と一緒に夜遊びデートだから、子供としては褒められたものじゃなくて、だけど保護者同伴だから大目に見てもらえます。だから堂々と言うものじゃないよと叔父は言うわけで、だけど夜遊びと言っても叔父と一緒ならせいぜい深夜まで開いているおしゃれな店でドリンクを楽しむ程度だから大したことじゃない感じです。妹は父や叔父をアクセサリーと勘違いしてて、おしゃれしたら見せびらかそうとするんです」

「ああ、そういうことなんだ。アレルって何かあってもただじゃ起きないたくましさがあるよね」


 男の子ってデリカシーがない。

 いいじゃないか。いい男にエスコートされ、女は自分が大切にされるべき女である自覚を持つのだ。そんな自信と経験を積み重ねて、いい女への階段を誰もが一つ一つ上がっていく。

 女をいい女に育てられない男は、駄目な男だ。そして男をいい男に育てられる女が、・・・・・・やめよう、この先は考えまい。


「欲望に正直なんです。エリー王子も言えばそれぐらい連れてってくれるかもしれないですけど、全然面白くないですよ。高いだけの小さな皿しか出てきませんし、周囲は気取って着飾ってますけど、知らない小父(おじ)さんや小母(おば)さん見ても楽しくも何ともないです」

「そう聞いてしまうとつまらなそうだね。ただ、アレルならどんなつまらないことも楽しく変えてしまいそうだ」

「叔父の注文したお酒をこっそり盗み飲みするだけじゃないですか? 反面教師ならともかく、あれはどうしようもないですよ」

「叔父様。ルードが私を不当に(おとし)めてきます」

「うん、困ったね。エインレイド様の前では取り繕っていたいのに、実はうちが生真面目な家じゃないってばれてしまった」


 くすくすと笑っていた叔父だが、はっと顔を真面目なものにして立ち上がる。

 叔父の視線の先を見れば、バーレンとフォリ中尉達寮監メンバー、そして用務員なネトシル少尉が入ってきた。


「すまない。待たせたな、アレナフィル嬢」

「いいんです。その代わり無条件で私の言うこと聞いてくれれば」


 とても心の広い私は、フォリ中尉の謝罪を受け入れておく。

 ウェスギニーと呼ばずにアレナフィル嬢と呼ぶということはプライベートモードなのかな? 単に叔父達がこの場にいるからかもしれない。三人共、ウェスギニーだし。

 だけどハッと鼻で笑ったフォリ中尉は、父と違って、「何だい? 何でも言ってごらん。全部叶えるよ」なんて言ってくれなかった。

 ゆえに私の中で、父こそが不動のいい男ナンバーワンなのである。


「フィルって本当に図々しいよね」

「たかが遅刻程度で、ガル・・・フォリ先生にあそこまで強気に主張できるの、僕、アレルだけだろうなって気がする」

「別にいつもの呼び方でいいと思いますよ、エリー王子。誰も気にしないと思います。うちの妹に比べたら全く問題ないです」

「そうだね。僕もアレル見てると、なんだか心が強くなる気がするんだ」


 一番端っこの調理台に椅子を持っていってポップコーンをつまんでいる男子寮生達がファレンディア観光ガイドブックをめくりながらこそこそと囁き合っているが、フォリ中尉の左の口角が少し上がった気がした。


「なあ、アレナフィル嬢。どうして俺達が遅れたか、聞きたいか?」

「そういえばレイディはどうなさったんです? ・・・はっ、まさか私をいじめようと、フォリ先生、レイディを追い返したんじゃ!?」


 大切なのは外野ではない。そして優しいネトシル少尉もさくさくサインしてくれるだろう。

 厄介なのはちょっとひねくれモードな男子寮監達で、その為に貴婦人(推定王妃様)のご威光が必要なのに。


「アホか。現在、貴賓室で歓談中だ。呼んできてほしいのか?」

「歓談中・・・。いえ、あの大臣ご一同様でしたら謹んでお断りいたします」

「心配せずとも大臣はもう帰った。二度と来ないだろう」


 当たり前だ。全ては終わった。二度と顔など見たくない。

 私は充実した学校生活を送り、成人したらマイホームでごろごろしながら好きに暮らすという野望がある。成人した私ならば、父を肴に酒を飲んでも怒られない筈だ。


「あ、よかった。じゃあレイディ、歓談ってすぐに終わりそうですか?」

「どうだろうな。なんだ、いて欲しいのか?」

「勿論ですよ。見てください、室内に女の子って私一人なんですよ? 心細くて今にも気を失いそうです」

「そうか。それなら呼んできてやる。そうすればアレナフィル嬢も心強くいられるだろうからな。折よく貴賓室で歓談している相手は、ウェスギニー前子爵夫妻だ」


 にやりと意地悪そうな笑顔に、私はいじめっ子の本性を見破った。

 まさか祖父母まで来ていたとは・・・!


「いえいえいえっ、大丈夫ですっ。レイディがいなくても私は一人でできるのですっ。お気遣いなくっ。・・・って、フォリ先生、ひどいですよっ。叔父達ばかりか、祖父母まで呼んだんですかっ?」

「そっちは俺じゃない。だが、孫娘が学校で授業を休んだと聞き、息子が駆けつけたとなれば、夫妻が駆けつけてくることだってあるだろう。いいじゃないか。何をやる気か知らんが、見ててもらえば」

「さ、そろそろ始めましょうか。もうみんな揃いましたしね。皆さん、どうぞお座りください」


 バーレンは叔父の所へ寄っていって、

「やっぱりフェリル、まだ戻ってきてないんですか」

「そうなんですよ。それでフィルはあなたまで呼んだんですか?」

「フィルちゃんのことだから、いざとなったら自分に味方してくれる人数合わせってところじゃないですか? 俺は都合のいい男扱いですからね」

などと話している。

 そして用務員姿のネトシル少尉は、男子寮生二人の所へと向かった。


「ちょっとお邪魔しますね。鍵を掛けてあるから大丈夫とは思いますが、誰か入ってきた時は、私の背中に隠れて顔を見せないようにしてください」

「リオンさん。だけどエリー王子、いつもここでクラブ活動してるんでしょう? なんで隠れる必要があるんですか?」

「エインレイド様だけなら学校にいるのは当然だけど、本来、ガルディアス様方が一緒にいるのはまずいからだよ、ルード君。何も知らない他人が見たら、この顔ぶれは一体・・・と、気を回すってことだ。唯一の女性であるアレナフィルちゃんが目的だと勘違いされる」

「分かりました。僕も部外者が入ってきたら、エリー王子を背中で隠しますね」

「その前に廊下にも近衛来てたし、そりゃこの部屋は外から扉開けて入ってこられるけど、鍵かけてるんだよね? 見られるなんて心配する必要ないんじゃないの?」

「その通りです、エインレイド様。護衛なんて、ほとんどが何も起こらないままで終わります。ですが、その何事もない繰り返しが千回、五千回、一万回と続いたその一万一回目に何かが起きた時、何かが起こるかもと考えて動いていればこそ、被害を未然に防ぐことができるのです。全ての無駄に終わった警戒は、いつか来るその一回に対応する為にあるのです」


 やはりネトシル少尉は仕事に対してプライドのある人だなと思う。

 エインレイドとアレンルードに分かりやすいよう説明した後、結局エインレイドを真ん中にして三人が並んで座っていた。

 どうせネトシル少尉は根回し時点で、

「サイン? ああ、してあげるよ。出して」

だったので私の味方だ。その時、まだ沈黙誓約書を私が作っていなかっただけである。

 私は気を取り直し、着席してもらった皆を見渡した。


「さて、皆さんに来てもらったのは他でもありません。実は、ファレンディアからウミヘビ発送の手配ができたと連絡がありました。

 ファレンディア人のユウトは、サンリラでの夕食会で紹介された通り、皆さんが私の親戚筋のお兄さん達だと信じています。そして私がフォムルからヴェラストールまでユウトと一緒にいたことを口外しない見返りに、あなた方にウミヘビを一台ずつ進呈しようと約束してくれました。

 というわけで皆さんには、私が誘拐などされておらず、そしてあの長期休暇において、私には何ら恥じることなど一つもなかったというこの誓約書にサインをしてほしいのです。全員からサインを頂けないのであれば、残念ですがウミヘビの発送はお断りするしかありません」

「えーっと、ウェスギニー君。当初は私達がもらえる予定だったかもしれないが、届いたところで私達に渡されることなくフォリ中尉の所に集められ、それはあなたのお父上と話し合いの上で軍でも幾つかの所へ渡されるのですよ。そんなのにサインしようがしまいが、私達には全くメリットがないのですがね」


 赤ちゃん服に使われそうな柔らかな水色(ベビーブルー)の髪をしているくせに、言うことがねちねちといやみったらしいドルトリ中尉は、根性がひねすぎて心はもうご老体の域に入っていると、私は常々思っている。

 その紺色の瞳は、いじめっ子でもストレート気質なフォリ先生と違って、性根がねじ曲がったがゆえのグネグネいじめっ子な気配を漂わせていた。


「渡した後のことは、私のあずかり知らぬことです。ですがドルトリ先生は、この後もフォリ先生と一緒なんでしょう? 恨まれるのは困るんじゃないですか?

 だって私、サインがもらえないなら、発送停止を告げます。そうなると、その渡す予定先からも恨まれるのでは?

 サルートス国、ファレンディアの兵器購入はお金がかかりすぎるって取り引きしていないんですよね? それが手に入るかもしれないと糠喜びさせられて、手に入らなかったら八つ当たりとかもされて、左遷異動とかあるかもしれないですよね? それ、困るのドルトリ先生じゃないですか?」


 私は全員に、私作成の沈黙誓約書を渡していった。パッと見て誰がサインしたかも分かりやすいように、サインしてもらう人を隠し撮りしたフォトもそれぞれに入っている。

 さらっと流し読みしたネトシル少尉が、ぶふっと吹き出していた。

 ドルトリ中尉もそれをさっと一読して眉根を寄せる。


「言っておきますが、あなたのお父上も絡んでいるのですよ? しかも何ですか、この誓約書。一人一人のフォトまで入っている上、どうしてサンリラでもフォムルでもヴェラストールでも、あなたが完全に男性とは距離を置いていたことを証言する内容になっているんですか。既婚男性と独身男性二人、鍵のかかる同じ部屋で寝泊まりしておいて、あれが貴族の娘として品行方正だったと本気で思ってるんですか」

「そんな事実はありませんでした。それはフォリ先生と一緒にいたドルトリ先生他、皆さんが全員その誓約書にサインすればそれで終わりとなるのです。安心してください。私に変な醜聞が出回らない限り、それは外に出しません」


 私は(おごそ)かに、純然たる真実を言い聞かせた。

 そう、私は父と二人きりで同じアパートメントを使っていた、深窓の貴族令嬢なのである。


「私達を脅そうとしても、その前にあのウミヘビとやらが手に入らなければ、あなたのお父上が困るのですよ、ウェスギニー君。私達の分として入ってくる予定のそれで、あなたのお父上は色々と動いておられましたからね」

「大丈夫です。以前から私、父が危険な仕事をしているのが辛かったんです。糠喜びした人達にはお気の毒でしたが、この際だから責任取って父は軍を辞めて、私と一緒に仲良く暮らせばいいと思います。それにウミヘビ、私だけがもらえばいいだけですから。勿論、父を通じて有料で貸し出すことぐらいは了承します」

「フォリ中尉には渡さないと?」

「フォリ先生と、フォリ先生についてきた皆さんが全員サインすれば渡しますよ?」


 肝心のフォリ中尉は下を向いて肩を震わせているのだが、気にするまい。

 フォリ中尉は、私の作成した誓約書に何やら書き添えた上で、さくさくとサインしてくれていた。ネトシル少尉もだ。

 この二人には、ウミヘビのオプションを無料でつけてあげよう。ユウト、私のものだった財産分、好きなだけ使ってって言ってたし。


「レミジェス殿。こう言っては何ですが、姪御さんについてどうお思いでしょう?」


 なんという卑怯な男だ。

 ドルトリ中尉は私の叔父に狙いを変更した。


「しかりつけたいのは山々ですが、ウェスギニー家としてはその誓約書が手に入ってくれる方がありがたいので、今、姪を止める理由がありません。それに我が家は、アレナフィルが密輸だの兵器の譲渡だのに関与することなど、できれば()めさせたいのです。結果として兵器が手に入らなくてもそれならば仕方がないということで、ウェスギニー家は問題ありません」


 なんて素敵な人。

 私は叔父を熱く見つめてしまう。

 すると深く濃い群青色(ウルトラマリン)の頭を軽く振って、ドネリア少尉がぴんっと誓約書を指ではじいた。


「ウェスギニー君。誓約書など求めなくても、私達にはフォリ中尉からとっくに口止めがされている。守秘を求められた以上、私達は家族や恋人にも話さないものだ。軍は上下関係も厳しい。ウェスギニー大佐及びフォリ中尉から命じられた以上、私達が君やあの外国人について口外することはなく、心配は不要だ」

「だけどそれは父やフォリ先生が健在の間だけでしょう? しかも二人より上の人から言われたら、ほいほい語っちゃいますよね? 父はいつだって危険な場所にいますし、フォリ先生だって何があるとも限りません。だから私は二人が亡くなるケースも踏まえて動いているのです。亡くなったらどんな命令も破り放題じゃないですか」


 がたんと、音を立ててメラノ少尉が立ち上がる。濃い紫(パンジー)の髪の下で、赤い瞳が燃えるように熱く私を睨みつけた。


「言葉に気をつけろ。よりによってフォリ中尉に対し、亡くなるとは仮定であろうとも言っていいことではない」

「永遠に生きている人はいません、メラノ先生。そして物事に『絶対』なんてないんです。それならば私の母はどこでどうして亡くなりました? 様々な危険の仮定を念頭に置いているからこそ、人は生存確率を上げていくのです。何も口にしなければ人は平和に長生きできると、先生は本当に思ってるんですか?」

「・・・あなたのお母上がどう亡くなったかなど、私が知る筈がないでしょう」

「王子であるエインレイド様に一番近い場所にいる女子生徒を調べ上げない筈がないですよね? そういうごまかしは不要です。何より私はフォリ先生が若死にする確率は高いと判断しました」


 メラノ少尉と私が睨み合っていたら、フォリ中尉が軽く手を振ってメラノ少尉に座るよう促す。


「アレナフィル嬢。俺が若死にするという根拠は何だ?」

「ミディタル大公様ですよ?」

「ほう。どういうことだ?」


 以前から思っていたが、フォリ中尉は好奇心が旺盛だ。何かと質問しては、新しいことを知ろうとする傾向がある。それはエインレイドも同じだけど。


「仕方ありません。フォリ先生には素敵な列車旅行を提案していただいたので教えて差し上げましょう。

 私はエインレイド様と兄との三人でミディタル大公家へ行きました。私の勘によると、ミディタル大公様は虎の種の印が出ています」

「それは誰でも知ってることだな。一目瞭然の事実だとも言われている」

「私は知らなかったのです。だけどフォリ先生と違ってミディタル大公様はかなり場慣れしている感じでした。父に聞いたら、ミディタル大公様が危険な地域の前線に出たことはないとか。だから私は悟ったのです」

「何をだ?」

「こっそりと抜け出して、ミディタル大公様は危険地帯で大暴れしていたに違いないと」

「だとして、それがどう繋がるんだ?」

「分かってないですね、フォリ先生」


 ちっちっちっちと、私は右の人差し指を左右に振ってみせる。

 寮監をしている士官達からいらっとした気配が矢のようにどすどすどすと飛んできた。


「フォリ先生は虎の種。そしてミディタル大公様はかなり虎らしい虎の種。自重を考えない虎の種っていうのは、身近な虎の種を悪気なく無断で危険な場所に連れてって放り出し、

『ほぉら、楽しいだろう?』

と、やらかしかねないものなのです。

 ゆえに・・・! そこそこ常識的なフォリ先生は気づいたらいきなり危険な状態にいて、まともな装備もなく撃銃弾が撃ちこまれ続け、訳が分からないまま瀕死の状態になりかねないと私は見たわけです・・・!」

「ふむ。なんつーことを言いやがってくれると思ったが、かなり説得力がある話だ」


 どうやら心当たりがあるらしい。既に似たような経験をしているのかもしれない。

 疲れたような表情がその顔に浮かんでいた。


「そうでしょう。気をつけておいた方がいいですよ? ああいう人達に悪気はないですから行動が読めず、それでいて実行力があるから警戒するのが難しいんです。なるべく悩みを話さないことです。気晴らしにと善意で連れていかれかねません。回避策は、ある程度使えそうな、だけどまだ手のかかる虎の種を大公様の近くに配置して、自分に目を向けさせないことです」


 視界の隅で、双子の兄が叔父に向かって、

「やっぱり父上、仕事辞めなくていいと思う。少なくとも僕が成人したら、父上、ずっと休みなしで軍の仕事してていいと思う」

「・・・そうかもしれないね」

などと話しているのだが、あまりにも父がおうちに帰ってこないというのは良くないと思うのだ。

 兄よ、もう少し父を愛したまえ。


「目を向けさせないというが、俺の父親なんでな」

「虎の種なんて、好奇心旺盛でパワーが有り余ってるだけです。何かその気を引くような人身御供を出しておけば、息子になんて目を向けません。とりあえずドルトリ先生を大公様に差し出してはどうでしょう。ひねくれた根性がとてもまっすぐになると思うんです」

「本当に転んでもただでは起きないな、アレナフィル嬢」


 面白そうに笑っているのはフォリ中尉だけで、ドルトリ中尉は苦虫を嚙み潰したような顔になった。


「ウェスギニー君。何故そこで私の名前を出すのですか」

「ドルトリ先生が意地悪だからです。女の子に優しくできないなんて最低です。大公様の下で元気に暴れまわってくれば、まっすぐな気性に生まれ変わり、もう少し思いやりを持てるようになると思うんです。いいじゃないですか。一緒にいるのがフォリ先生という息子か、ミディタル大公様という父親か程度の違いです」

「あなたは思いやりで、事実の改竄と偽証に手を染めろというのですかっ。こんなのにサインしてしまったら、それが真実となるのですよっ」

「男の度量を見せてください、ドルトリ先生。無力で哀れな私が大人の犠牲になるだなんて間違ってます」

「あなたじゃなくて、あの外国人が問題なんだって分かってますか?」


 はあぁっと溜め息をついているドルトリ中尉は、完全にサインする気がなさそうだ。

 やはり貴婦人(推定王妃様)の出番なのか。


「私は彼のポケットマネーでファレンディア旅行を楽しむ予定なのです。そうである以上、サルートス国でのことは全て私が解決しておかねばなりません。私の高級旅館と遊園地併設ホテルでの豪華旅行がかかっています。黙ってサインしてください」

「まさにあなたの都合じゃないですか」

「子供なんてそんなものです。大人の庇護を必要とするからこそ、自分にできる範囲で努力するしかないのです」


 すると用務員をしているネトシル少尉が立ち上がり、こちらへやってくる。


「はい、アレナフィルちゃん。

 俺もね、休暇中も報告義務がある以上、所属部署に報告はしてるんだが、俺がもらう予定とかのウミヘビは、ウェスギニー大佐を交えての話し合いで、王宮の近衛で共有することになっている。

 だから勝手ながら、この誓約書にアレナフィルちゃんは常に品行方正で生活していたこと、税関事務所で真面目にバイトしていたこと、更には知り合いになったファレンディア人と俺達を引き合わせ、通訳しながら我が国に今まで導入されたことのない兵器を譲渡してくれる手伝いをしてくれたと書き添えといたよ。

 また、君に対して近衛の方から変な噂が流出することがあったら、それは悪意ある忘恩の所業だともね。これでいいかな?」

「ありがとうございます、リオンお兄さん。文句つけずにさくさくとサインしてくれたフォリ先生とリオンお兄さんには別途でサービスしておきますね」


 やはり何らかの報告はされていたのか。

 だけどこの調子なら問題ないようだと、私は判断した。


「はは。そういう気を遣う必要はないよ。ただ、ファレンディア旅行に行くなら俺もついていきたいな。旅費は自分で負担するし」

「うーん。ユウトの船を使うので旅費はかからないです。だけどユウト、一人暮らしだから部屋数も聞いてみないと分からないんですよね。ルードは子供で私の兄だからいいんですけど、もしもユウトの職場に顔を出すならリオンお兄さんだと警備員が通さない可能性が高いです。ホテルを取ったら行動が別になっちゃうし、ファレンディア語を話せない人にとってあの国はとても不親切です」


 どう見ても研究者タイプじゃない上、ネトシル少尉は身体技能も優れた虎の種の印を持つ青年である。

 センターの門をくぐることは難しい。私もセンターに顔を出すつもりはないが、何がどうなるかなんて分からなかった。


「そうなのかい?」

「観光地で遊ぶ分には問題ないんですけど。・・・ちょっと聞いておきます。ただ、難しいとは思います。

 ユウトにはみんな親戚だって説明しましたけど、出国及び入国手続きでウェスギニー家とは無関係って分かっちゃいますし、そうなるとリオンお兄さんをその場で海に放り出しかねません。

 ユウト、私が好きになりそうな異性は気づいたら排除し終わってるタイプなんです。ヴェインお兄さんは全然紳士じゃなかったから私の恋愛対象外って判断したようですけど、どこに出しても恥ずかしくないリオンお兄さんなんて何をされるか分かりません」

「褒めてくれてありがとう。だけど同世代との偽装恋愛に根性入れるんじゃなかったのかな、アレナフィルちゃん?」

「頑張りますが、ユウトが信じるかどうかは怪しいのです。叔父やルードを信じさせるぐらいに難しいミッションです。頑張りますけど」


 ネトシル少尉はいい人だ。私も彼がいつの間にか行方不明になっていたりしたら心が痛む。

 第2調理室の隅っこにある調理台で、

「つまり偽装は無駄ってことだね、叔父上」

「そうだね。リオン殿は誰が見てもいい男だ。だけどそれなら兄上が一番受け入れてもらえないのか?」

「フェリルは父親だから問題ないでしょう。俺も警戒されなかったのは、やっぱり既婚者だからですかね」

「なんでアレル、そこまで年上趣味なのかな。僕達、同じクラブに女の子一人なのに全然そんな感じしないし、ランチの時だって女の子三人しかいないよねって、いつも話してるんだよ」

などと、こそこそ四人がお喋りし始めた。

 

「それこそファレンディアで監禁されちゃわないのかい?」

「ユウトはそんなことしません。私の周りをお掃除しても、私のことは決して傷つけないです」

「男の排除は掃除なのか」

「ユウトに言わせるとそうなります」


 そんな私の頭に、背後からぱさりと紙が置かれる。振り向けばいつの間にか後ろにフォリ中尉が立っていた。


「ほら、俺のサインだ。王子エインレイドの学友として全学年一位の点数を叩き出したウェスギニー家令嬢アレナフィルについて、長期休暇を利用して私生活についても王宮や大公家、様々な貴族の監視下で観察したが、貿易都市サンリラ、ゴバイ湖、フォムル、ヴェラストールでも全て品行方正かつ優秀であったと書き添えてある。必要ならばこれに王宮の近衛や女官のサインも入れさせよう」

「ありがとうございます、フォリ先生。そこまでは必要ありません。じゃあ、フォリ先生とリオンお兄さんは期待しといていいですよ。とっても嬉しくなるサービスをつけておきましょう」


 さすが王子様の従兄。いや、国王の甥だけはある。大公家の権力が凄い。


「そんなのはともかく、なんで会ったばかりの外国人が自分の周りを掃除すると断言できるんだ、アレナフィル嬢? まさか本当に彼に結婚詐欺を仕掛けて逃げてたのか?」

「失礼な。結婚を約束・・・・・・まあ、昔、なんかよく言われていた気はしますが、それは子供ゆえの可愛らしいそれで、あんなのが有効とは思わないです。いえ、認めません。だから私は何も悪くないのです」


 ちょっと待て。「本当に彼に結婚詐欺」って何なのだ。

 それこそ年の離れた弟に、

「愛華お姉ちゃん、大きくなったら僕と結婚してね。約束だよ?」

「その時、私にも優斗にも好きな人がいなければしてあげてもいいよ。だけどその頃にはもうおばちゃんになってるから、私なんて優斗にババア呼ばわりされてるんじゃないかなぁ」

「愛華お姉ちゃんは誰よりも綺麗だよ。お婆ちゃんになってもファレンディア一の美女だと思うな」

「やだなぁ、優斗ったらそんな本当のことを。せめて町内一の美女にしといてよ」

などとねだられていたのを、結婚詐欺とは言わない。

 だが、室内はしーんとなった。


「やはり結婚詐欺をしていたのですね、ウェスギニー君。だけど君はどんな幼さでそれをやらかしたのです? そんな子供の約束を本気にする男も男ですが、世の中には常識のない男だっているのですよ。まさか、だからあんなとんでもない監獄みたいな家に隠れ住んでいるのですか?」

「人聞きの悪いこと言わないでください、ドルトリ先生。そんな大昔のこと、ユウトも私も忘れてましたよ。大体、『大きくなったら結婚して』だなんて子供の約束、信じる方がおかしいんです。どれも無効ですよ、無効」


 人を詐欺師呼ばわりとは、なんという男だ。姉と弟の可愛いやりとりじゃないか。

 大抵の母と息子・父と娘は、幼児時代に同じことをしている。


「ではお金を巻き上げたりはしていないのですね? 彼の船とか言ってましたが、あなたは海外旅行に相手の船を使用し、相手の家に泊まり、それでいて婚約届を相手の国で出しておいて結婚する気はないんですよね? 結婚をエサにお金を出させておいて、詐欺と言わないと本気で思ってるんですか?」

「どうせ私が結婚する気ないの、ユウトは知ってます。それに婚約届なんてウミヘビ発送と旅行における優遇及び支出削減目的、合理的なやり方ってだけです。何より私にお金を使わせると言っても、それでユウトは私と一緒に過ごせるんです。別にいいじゃないですか。

 まさかドルトリ先生、付き合った女の子とうまく行かなくなったら、今まで使った金返せとか言うみっともない男ですか? 恥ずかしいですよ、それ。

 それに結婚詐欺どころか、ユウトは子供の頃から色々なバージョンの優しいおじさんによる懐柔やら薄幸の美少女やら年上の美女やらのトラップを経験してきてます。彼にそんな心配すること自体が笑止です」

「ハニートラップなんて使い古されても尚引っ掛かる奴がいるから使われ続けるのですよ。実際、あなたはそれであの男を篭絡していたじゃないですか」

「仕方がありません。誰よりも私が魅力的だっただけです。・・・全くもう、それならドルトリ先生はサインしなくていいです。紙、返してください」


 どうせドルトリ中尉に渡す分が減ったところで私は痛くも痒くもない。その浮いた分は、ネトシル少尉にあげてもいいのだ。


「書きますよ。どうせフォリ中尉がサインした以上、それが全てです。全くどれだけ男を利用すれば気が済むんですか」

「・・・それなら最初からおとなしくサインすればいいのに」


 ドルトリ中尉がサインすれば、他の寮監達もサインした。

 とりあえず全員のサインは集まったわけである。私はそれらを鞄に仕舞った。


「さ、これで良し。というわけでフォリ先生。ウミヘビはこれで8台が届くわけですが、あくまでそれは本家本元のウミヘビ。あのバッタ品と違い、圧縮酸素ボンベも付いて水中でも呼吸可能、激突防止機能もついている上、必要とあれば全身を覆うことで小型のサメに噛まれても傷を負わないといった形状にも変えられます」

「ほう。そうなるともう別物だな」

「あれはトビウオの劣化コピー商品で、今回やってくるのはトビウオの進化版のウミヘビですから。ですが、あくまで無料でくれるのは口止め料的なその本体。それだけで問題なく使えますが、有料でオプションもつけられます」

「オプション?」

「はい。これは特別にオプションを買わせてあげるというものです。速やかにサインしてくれたお礼に、フォリ先生とリオンお兄さんの分は、最適オプション選択をしてあげるので期待しておいてください。だけど他の6台分はどのオプションを購入するか、つけずに無料ですませるかどうかを決めてください。ちなみに価格表がコレです」


 私は価格表を取り出してフォリ中尉に渡す。


「オプションでこの値段か。凄いもんだな。だが捕捉補助付き攻撃装置の1から10って、どう違うんだ? 

1が安くて200ローレ、10が高くて2000ローレとあるが、十倍もの価格の開きがあって、それで十倍の効果や威力があるというものでもないんだろう?」


(※)

200ローレ=200万円

2000ローレ=2000万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として200ローレ=300万円、2000ローレ=3000万円

(※)


「さあ? 私だって見たことないから分かりません。どう違うのかを説明してくれと言ったら、能力や威力なんてのは社外秘に決まってるだろうと言われました。まともな売買でじゃないんですから、ここはもう値段で決めてください」

「俺とネトシル少尉には最適なものを選ぶと言ったが、それはどう決めるんだ?」

「ウェスギニー家でトレーニングルームを一通り使いましたよね? あのデータを送ってユウトに算出させます。誰と共有するにしても、本来のベストマッチなカスタマイズを二人に合わせるので使いやすいと思います。オーバースペックでも使いにくいだけですから。バランスのいいオプションで、更に細かい微調整もしますから期待しておいていいです。まさにオーダーメイドの仕上がりとなるでしょう。勿論、データは多い方がいいですから、改めて取り直してもいいですよ? その時は私に立ち会わせてほしいです。プロテクトに重点を置くのか、攻撃能力に重点を置くのか、疲労度軽減に重点を置くのか、そういったことを念頭に置いてデータ取っていった方が確実ですから」


 フォリ中尉は何かと質問してくる傾向があるが、慎重なのはいいことだ。

 やはり軽く体を動かした時のデータより、時間的に体力や気力が落ちていく推移のデータもあった方がいい。

 これでもこちらのデータをあちらの数値に変換するのが何かと面倒なのだ。


「ちょっと待ってください、ウェスギニー君。そうと分かっていたら私達だってすぐにサインしましたよ?」

「自発的なサインだからこそ信じられるのです、ドルトリ先生。本体だけでも価値があるんだから、強欲ジジイみたいなこと言わないでください。あ、フォリ先生とリオンお兄さんはこのチェック用紙に自分がウミヘビに求める方向性をチェックしていってください。全てを叶えはしませんが、あちらで計算してカスタマイズスペックを決定するでしょう。それで算出されたオプション費用、ケチらず払った方がいいですよ。まさにその良さを実感できます」


 私はフォリ中尉とネトシル少尉に、オプション選択の指標となるチェック用紙を渡す。


「凄い項目数だな、アレナフィル嬢。利き腕から使用用途別の使い方まであらゆる場面を想定しているようだが」

「そうですね。アレナフィルちゃんも先にこれを出していたら、みんな即座にサインしただろうに」

「利益で人を買ってたら、メリットがなくなった途端、牙を剥いてくるじゃないですか。それぐらいなら信頼できる人だけでいいです、私。何よりこっちの数値をあっちの数値に直してって、面倒くさいんです。私にとって何のメリットもないんです。フォリ先生はお金払いがいいからサービスしますけど」

「ねえ、フィル。それ、僕のこと忘れてない? あのユウトさん、僕にもくれるって言ってたよね?」


 そこでアレンルードが口を挟んできた。


「そうだけど、子供が兵器を所有してもその万能感に溺れて人生破滅すること多いって、ユウト言ってたよ。本当は何も言わず渡して終わるつもりだったけど、やっぱり大人になってから用意してあげようかって。

 そっちの方がいいんじゃない? ウェスギニー領で水難事故が多いようならすぐに渡してあげるけどって。今がいいの、ルード? 今の身体技能に合わせても、大きくなっていく内に服と一緒で体に合わなくなっちゃうよ?」

「え? 子供でも大人でも使えるんじゃないの?」

「それは本体。ウミヘビは本人に合わせたゴーグルもつけられるの。本体は普通のゴーグルだけど、オプションでフォリ先生とリオンお兄さんには視力や視野の補助もつくよ。だからいち早く色々なものに気づけるし、場合によっては暗い海でも動けるの。今のルード能力で渡されたら、大人になった時、リオンお兄さんのが使いやすくていいなぁって羨ましがるようになっちゃうよ」

「・・・大人になってからでいい」

「うん。ルードはいい子だから、ウミヘビじゃないものが良かったらそっちにしてあげるって。お勧めは、どこでも安全ベッド。とっても便利なんだよ。雨が降っても雪が降ってもぬくぬくで野宿できるし、熱砂の砂漠でも涼しく眠れるの」

「ホテルに泊まればいいじゃないか」

「んもう。ルードは分かってない」


 そんなことを言っている間に、フォリ中尉とネトシル少尉は額を突き合わせてチェック項目を指さしていた。

 他の寮監や叔父のレミジェスも寄ってきたので、叔父には予備の用紙を渡しておく。


「川で使うならどれくらい濁った水を想定しているのか・・・って、つまり濁流での使用が多いならプロテクトに重点を置けるわけか。海で使うにしても高温ガスが噴出している場所でも使うのかとか・・・。様々なケースに対応できるというそれがあまりにも幅広いね、アレナフィルちゃん」

「道具は使う為にあります。どういった環境下でどこまで使うかを踏まえ、材質も変更します。だからオーバースペックでも意味がないんです。普通の海で使うならそんなオプションつけていても違う脆弱性が出てしまうだけですけど、正しく用途を告げてくれればできる限り変更してくれるってことです。

 体格や持続力にも合わせてより使いやすいものに仕上げるから高くても購入されるんです。何もしてなくても使いやすいですけど、どうせなら自分なりに合わせてもらった方がいいです」


 ネトシル少尉が私と話し始めたものだから、彼の持っていた項目チェック用紙を、寮監達が勝手に見始めた。

 見るだけなら勝手だしと、私はフォリ中尉とネトシル少尉の腕を掴む。そしてぐいぐいと廊下の方へと引っ張っていった。フォリ中尉の項目用紙も調理台の上に残されたから、彼らが勝手に見るだろう。

 扉をきっちり閉めて、第2調理室から盗み聞きされないようにする。


「どうしたのかな、アレナフィルちゃん」

「えっとですね、二人共耳を貸してください」


 扉を閉めても聞き耳を立てているかもしれないと、私は念を入れた。

 中腰になってくれた二人の耳元に、私はこそこそと囁く。


「二人には協力前向きお礼として、オプションは無料でつけてあげます。だけどオプション費用はしっかり請求するので、その分は裏金として二人のポケットにしまってくれていいです。内緒ですよ?」

「なかなかやらかしてくれるな。脱税の次は裏金作りか」

「土壇場で予算が下りない出費があるかもしれませんからね。今回は購入取り引きではなく、あくまで贈与みたいなものです。予備で揃えておきたい装備があれば、その浮いたお金で買っておくといいです。

 場合によっては本体だけを使った人が羨んでくるかもしれないから、その人には倍額で売りつけてもいいと思います。だけどいきなり予算が出るわけありませんからね。そして私、礼儀知らずな顔を見る気ないんです。私はこれ以上ノータッチなのです」


 購入できるチャンスは届けられた時だけだ。その後はもうどうしようもない。破損や摩耗が考えられる物はまとめ買いしておいた方がいいし、そういう予算はすぐに出てくるわけじゃない。

 今回は私の誘拐騒動をなかったことにするという前提で手配させたが、これで打ちきりだ。そこは理解しておいてもらわないといけなかった。


「よく分かってるな。たしかに張り合ってくるバカはいる。どんなオプションがつくか知らんが、その場で手に入れておかないと今後の取り引きはないわけだ。たしかに一気に金を動かす必要は出てくる」

「フォリ中尉は分かるけど、俺もそんなお金もらっていいのかな、アレナフィルちゃん?」


 ネトシル少尉は何かと私を庇ってくれるので、お礼の先払いみたいなものだ。それに届いてみたら欲しくなる予備装備を彼も理解するだろう。


「そこら辺の差額と用途は二人で話し合ってどうにでもしてください。ついでにフォリ先生には特別に教えてあげますが、サルートス国の海流や湖沼の状態を考えると、ウミヘビのオプションは無し、もしくは3にしておくといいそうですよ。外国で使うなら、違うオプション付けた方がいいですけど」

「ほう。もし、オプションで4とか8とかにしてあったらどうなったんだ?」

「ウミヘビで海底に潜りながら、目の前に海底地形図が映し出されるようになって何か得することってありますか? 機能としては役立つものかもしれませんが、座礁危険区域とかでない限り、大して意味ないです。ついでに水底から海上の船を攻撃できる能力をオプションで付けたとして、サルートス、海戦ってあるんですか? 大金払って、使われないまま老朽化一直線です」


 オプション機能も暗殺用、撃破用と、色々と分かれているのだ。


「なるほど。じゃあ俺とネトシル少尉にはどんなオプションが付くんだ?」

「さあ? 二人のオプションは使用者のデータを送るから、オプション販売していないものが取りつけられると思います。だから分からないです。それはもう時価相場という値段表がないものなんです」


 叔父はオプションそれぞれの何かがセミカスタムでつけられると思ったようだが、そうではない。あのチェック項目に自分が望むそれをチェックしていくことで、1から10のどれが一番近いかを割り出し、その上で更にカスタマイズが行われるのだ。


「どこぞのぼったくり料理店みたいだな」

「料理店なら二度と行かないかもしれませんが、一度自分に合わせたカスタマイズをしてもらったらもう浮気できないシロモノですよ」


 少しフォリ中尉は考えこむ。


「他の6台、オプション無しとオプション3の違いはなんだ?」

「よく分からないけど、オプション3は釣り竿がなくても魚が獲れるって言ってました。(もり)か何かを発射できるんじゃないかな? って予測してるんですけど。それとも網が発射されるんですかね?」

「お前さんが知らんのに俺が知るわけないだろ。まあ、欲を張りすぎてもいかん。3台だけオプション3にしとくか」


 フォリ中尉はオーバリ中尉にも連絡を取ることができるそうで、そういうことならと誓約書を渡しておいた。

 貴婦人(推定王妃様)がいなくても、一人でここまで交渉できた私は偉い。

 そして明日、三人揃って大公家のトレーニングルームを使って測定するということが決まった。何故、大公家なのかと思ったら、私の言ったことを考えていたらしいフォリ中尉は、手のかかる虎の種ということで、オーバリ中尉を思い浮かべたそうだ。

 女上司の次は、ミディタル大公に目をつけられるのだろうか。

 オーバリ中尉には強く生きていってほしい。

 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ