31 ユウトは帰国した
今はアレナフィルと名乗っている彼女と別れた時を何度も思い返す。いつの間にか小さくなって、姿も何もかも変わって、それでも変わらないあの魂。
どれ程に連れて帰ってきたかったことだろう。だけど本気で手に入れたいなら、あれ以上はまずいとも分かっていた。
思ったよりも長引いたサルートス国滞在だったが、かなりの収穫があったと言っていい。予定以上に大金を使ったが、その価値もあった。
まずセンターに顔を出せば、冷気を遮断する作業服に分厚い作業靴といった姿の女性が私を認めて微笑んだ。
「お帰りなさいませ。それでは苗字の変更手続きをしなくてはなりませんね」
彼女は麗奈・佐々木。私より二つ年上の個人的な秘書だ。
作業用手袋をポケットに入れれば現れる華奢な手に、今まではめていた手袋の厚みを思う。
違うポケットからメモ帳とペンを取り出して書き始めるのはいいのだが、相変わらずあちこちで作業しているようだ。
「ああ。いや、少し待ってくれ。サルートスにちょっとした物を運びたいんだが、私物として持ちこみたいんだ。今しばらくこのままにしておいてくれ。少なくとも三年間は」
「・・・三年間となると年始のそれで引っ掛かります。一時的に今までの記録が残らない名前にしただけですから」
秘書と言っても、彼女は私の雑用担当だ。センター内の作業にはノータッチで、生活全般の手配やスケジュール管理、手続きなどを受け持っている。外国で言う執事みたいなものだろうか? ちょっと違う気がする。ならば家政婦だろうか? それも少し違う気がする。
たまに私の恋人かと誤解されたりもしているが、完全にビジネスライクな関係だ。
「実はサルートス王国人と婚約したんだ。三年間だけだが。その場合、途中で苗字を変えても大丈夫かい?」
「・・・婚約でしたら婚姻とは別になりますから、ちょっと調べてまいります。場合によっては毎年、年始前後に苗字を戻して再び変更といったことで対応してもいいのでしょうか? 婚約相手の方とは、本当の苗字ではまずいということでしょうか」
「場合によってはまた行くかもしれないからね。引き渡し条約結んでるかもしれないし、そうなると婚約相手の子が可哀想だろう? 知られたくないんだよ」
「かしこまりました。では、なるべく姑息なやり方を取ることで対応できるよう相談してまいります。三年間だけなら、本当の婚約者である愛華さんには秘密にしておいた方がいいでしょうね」
「いや、別に隠す理由もない。適当に説明しておくよ。そっちは気にしなくていい」
「はい」
説教臭いことを言わないところが気に入っている。
彼女は家族の入院費用の為に働かなくてはならなかったし、私以外の雇用者では病状悪化などで突発的に休んだりするのは難しかっただろうし、そして残業がない仕事内容でこの給料を与えられること自体が恵まれていることを理解していた。
つまり彼女の仕事は給料に支えられたサービス内容というわけだが、そこで調子に乗らないところがいい。
私が不在にする時はセンター内の雑用を引き受けているので、軋轢もないようだ。
「それで愛華はどうしてる?」
「毎夕、こちらに寄ってはまだ帰ってこないのかと、ぷんぷん怒って帰られます。この恨みをぶつけなくては気が済まない、今は復讐の鬼だから見てらっしゃいとの伝言です」
「やっぱりか」
「はい。今日はどうします?」
「ここで待ち受けるとするさ。一緒に帰るよ。疲れたから明日は休みたい」
「かしこまりました」
「ところでなんで作業服にエプロンなんてつけてるんだ?」
「皆さんの保冷庫に保管されているものを整理していましたら、ほとんど大掃除といった状態になりまして、氷や霜が凄かったので、スコップで掻き出していました」
「うん。もう帰って来たからキリのいいところで。君が残業し始めたら、他の人もそれに倣わなくてはならなくなるからね。あと、終わってないことで何か言われたならセンター内の作業ではなく宿舎オンリーにするから」
「はい。ありがとうございます」
私がいない間、彼女は雇い主不在ということで、センターの秘書達に何か雑用はないかと尋ねては動いてくれるのだが、皆が保管したまま忘れ去った物の整理をしていたのか。
まさに睫毛も凍る保冷庫の点検は、皆が嫌がる作業だ。
今まで副業などで入院費を稼いでいた彼女なので、その分、何かと働いてくれるのだが、一人でやる仕事ではない。後で注意しておかなくては。
「あと、第3倉庫のウミヘビを10個、用意しておくように伝えておいてくれ。婚約者への贈り物としてサルートスに送る。ただし、2個は14バージョンで、8個は9バージョンだ。どうやら婚約者殿は8個を軍関係の保護者達にあげるつもりのようだからね」
「では本当の贈り物は2個ですね」
「そうだ」
「ですが、・・・かなり大盤振る舞いでは」
「婚約者は貴族令嬢で、軍人の父親に溺愛されているんだ。結婚できない未成年の間だけの婚約者さ。だが、気に入った。いずれ手に入れる為の初期投資としては安いぐらいだろう」
「つまり取り引きの為の隠れ蓑だけではないということですね。・・・いいのですか?」
「構わない。それから閉鎖書庫に行って、アイダセンターの前身時代の名簿を全て洗い出し、カズオミ・ニシナの今の住所を調べてくれ」
「カズオミ・ニシナですか。専門は?」
「技術工学系だろうが、そこまで聞かなかった」
「・・・ところで、いつもの腕輪はどうなさったんです?」
「婚約者にあげてきたよ。男の腕なんかより、15の女の子の腕で輝いている方が似合うからね」
私の腕輪はほとんどトレードマークともなっていた。艶消し加工された銀の腕輪。
初めての恋人からの贈り物だから別れてもずっと身につけていると、何かの際に答えて以来、腕輪をプレゼントされることが増えた。だけどあれ以上に愛が溢れた腕輪などある筈もない。あの腕輪だけが私と共にあった。
正しくは14才だが、大した違いではないだろう。
「そうでしたか。ですが、他の女性から贈られたものを婚約者に贈るのはどうかと・・・。知られてはあまり気持ちよくは思われないです。あの腕輪は知っている方も多いですから」
「気にしてなかったよ。ま、あの子はサルートスなんかに置いておくより、うちがもらった方が余程いいってものだ。ファレンディアに来るよう誘ってある。その時にはここにも案内することになるだろう」
「はい。では、その時にはフェリンキングダムのホテルも予約した方がいいでしょうか。カップやケーキもプリティフェリンちゃん模様で、愛華さんもまた行きたいと言っておられましたし、外国人旅行者にも人気です」
15才の女の子というので、遊園地に併設されたホテルを喜ぶのではないかと思ったらしい。
夜には楽しいダンスが披露され、花火も上がるし、食器やメニューも全てキャラクターをあしらっているので圧倒的に大人気な施設だ。
「いや、うちに泊めるからその必要はない。可愛い物も嫌いではないが、大人の・・・そうだな、上質な物の方を好む。フェリンカフェよりはキリヤマ珈琲、市販品よりはきいなの自家製ジンジャーエール、ビジネスホテルよりは崋山旅館ってとこか」
「・・・どこのお嬢様ですか。いえ、お貴族様のお嬢様なんですよね」
「別にチープなのが嫌いなわけじゃないけどね。高くていいものから安くていいものまで知ってるから、そんなところだろう。美味しいファレンディア料理の店を予約してもらうことになる」
そこらの安い食料品店で買い物することも多かったが、経営者の令嬢でもあった人だ。どれも子供はお断りな所だけに、いつか一緒に行ってみたかった。
あ。今度はあの人が子供か。どうしようもないじゃないか。いや、14ならどうにかなるか? 来るとしたら冬の休暇か、来年の夏の休暇か。
外国の貴族一家と言えばどうにでもなりそうだ。
「かしこまりました。では客室を女性好みに整えた方がいいのですね」
「いいや。父親や兄なども同行するだろうから、男性用の客室をしっかり整えてもらうことになる。あの子の部屋は私が整えるから手を出さないでくれ」
「え。・・・センター長が、直接?」
「ああ。三年間でも婚約するんだ。そんなの当たり前じゃないか。・・・そうだな。保護者達にはカリタ工房でも見学してもらうか。分野違いだが工場も持ってるらしい。あの子を二人きりで連れ出したいのでね」
「つまりお嬢さんを連れ出す為、カリタ工房で足止めしたいのですね。なるべく男性が退屈しないような物を揃えるようにしておきますが、どういった分野に興味を抱かれる方々ですか?」
「さあ? どうせまだ先のことだ。好みならゆっくり尋ねておくよ。あの子の好みしか把握してこなかった」
「はい。・・・・・・そこまでご機嫌なのは、・・・珍しいです」
言葉を選ぼうとして途切れたのは、やはり私らしくないからだろうか。
だけどあの人なら、変わってないと言って困った顔になるんだろう。他の人なんてどうでもいいと、いつだって自分を振り向かせては独占していた。
あの頃は子供だった。だけどもう子供じゃない。
そう思うだけで心に希望の光が灯った。
「そりゃね。あの子が泊まりに来るなら機嫌だってよくなるさ、うちも改装しなくては。あの子は料理も好きなんだ。作ってもらうのも好きだけどね。一緒に作ると嬉しそうに笑うんだよ」
「あの、・・・センター長。少し落ち着かれた方が・・・」
「落ち着いてるよ。キッチンのカタログを集めておいてくれ。一部は大理石プレートのものにしておけば菓子も作れる。シンクは二つある方がいいな。あの子が来る前に入れ替えよう。それからうちのベッドマットを全てファーリエスのものに取り替えたいからカタログももらってきておいてくれ。全く変なものに釣られるんだから」
浮かれているのは認めてもいい。
普段はセンターの中にある自分用の部屋で寝泊まりしているが、そうと知られたらまたぷんぷん怒りそうだ。自分の家に招いて、生活感のない家に呆れられながら好きに動いてもらおう。
あの紺色を基調とした部屋は、叔父の趣味で調えられたものだと聞いたが、私だって負ける気はない。どんな部屋を用意しようか。
ああ、本当にどこまでもあの人は男を狂わせる。
「ファーリエスって最高級寝具メーカーじゃないですか。今まで別にどんなのでも寝られると仰って・・・」
「仕方ない。高級旅館にあったファーリエス寝具に釣られてしまった婚約者なんだ。まさかあの子だけってわけにもいかないだろう? 全員に提供させてもらうさ。ま、早くても半年は先のことだ。まずは婚約届のことを調べておいてくれ」
「・・・はい」
「ちょっと部屋で休む。愛華はどうせ勝手に入ってくるだろう」
「では何か飲み物をお持ちします」
「いや、いいよ。久しぶりに自分で用意してみたいんだ。婚約者が勧めてくれたジュースも買ってきたからね。それを飲むよ。ふふ、瓶のままじゃなく、ちゃんとコップに入れて飲めと言われてしまった」
ヴェラストール駅近くのマーケットで買った瓶入りのジュースは、アレナフィルが試飲して気に入ったものだ。一緒に栄養剤を飲むことで少しでも美味しく体調管理しろと、どこまでもあの子は私の体を案じていた。
あの頃と同じように。
「分かりました」
お説教ですら愛に満ちていたあの人を取り戻せるとは思わなかった。
今からサルートス語を習い始めなくては。あの父親、そして双子の兄とやらとも話をつける必要がある。
外国人がファレンディア語を習得するのは難しい。
(あのクラセン氏はアレナフィルの味方だが、妄想が激しいといったことも視野に入れていたらしい。あの子の家族に何も言わずアレナフィルの味方でいたのは、面白そうだったからという理由らしいが)
どんな理由であろうとファレンディア国の記憶があるアレナフィルにとって彼は唯一の救いだった。サルートス国で過ごしながら、異邦人としての孤独で心を壊さずにすんだのは彼が支えていたからだ。
彼はアレナフィルをファレンディア人が経営する店などにも連れていったらしい。そして懐かしい祖国の物を買ってやり、懐かしむことを止めなかった。
だから私が弟だとアレナフィルに告げられ、私に対して好意的だったのだ。それでも私にアレナフィルのことを告げなかったのは、惑わせる気がなかったからだとか。
(本当にアレナフィルの周囲にはあの子を愛しているが故の思惑が混乱しすぎてたよ。なんであの人っていつでも男を狂わせるのかな。クラセン氏はアレナフィルを妹みたいなもんだって言ってたけど)
そんなことを考えながら、私は部屋に向かった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
センター内には宿舎もある。独身者用だが、夫婦が一緒に勤務している場合、二人共がその宿舎で部屋を借りていたりする。何故なら食堂で朝食と夕食が用意されるからだ。
通常、そんな夫婦であっても子供ができたらよそに家を購入したりするのだが、子供ができても独身者用宿舎で暮らし、そしてその子供も宿舎で暮らしている特例が一人いる。それが愛華だ。
麗奈は、その独身者用宿舎における私と愛華の世話係として私が雇った。
愛華の両親は、研究の進み具合や業務によっては無連絡で研究室に泊まりこむ。同じ敷地内だが、その距離を帰るのも面倒なのだろう。
アレナフィルお勧めのジュースを飲み終えてから、積み上げられた書類を見なかったことにして椅子に座り、うとうととしながらこれからのことを考えていると、やがてバタバタという足音が向かってくるのが分かった。
シュインッと、引き戸が開けられる。
「予定よりも遅くなったなんて、どういうことなのっ。パパに聞いたわよっ、外国人の女の子にはまって帰国しないってっ。十年後には結婚しようねって言ってたのは結婚詐欺だったのっ? 優斗の馬鹿っ。ちゃんとママにだって聞いたんだからっ。慰謝料取って別れてやるっ」
私は予想していた反応に目を開けた。
「ただいま、愛華。たしかに外国人の女の子にはまっていたのは嘘じゃないな。今度、長期休暇の時にはこっちに遊びに来るように誘っておいた。君より二つかそこら年上のお姉さんだけど、いいお友達になれると思うよ」
「んまあ。んまあ、なんてことでしょう。この私に、愛人と仲良くなれとでも言う気っ? そんな最低男、どこの馬の骨ともしれない女にのしつけてくれてやるわっ」
学校から戻り、荷物も置かずにここまで直行してきたようだ。この怒涛な文句をずっと温めていたのか。
「どこでそんな言葉を覚えてきたんだ。仲良くしてくれ。少なくとも三年間、あの子と私は婚約状態にあるのだからね。そういう意味では君が愛人になってしまう」
「なんですってっ。この私を正妻から愛人に格下げするつもりっ? 信じらんないっ。パパに言いつけてやるっ。家出してやるっ。やっぱり少女にしか興味ないのを見抜かれてハニートラップかけられたのねっ。そんなことだろうと思ってたわっ」
「何言ってるんだか。どちらも結婚できる年じゃないじゃないか。それに愛華ともいいお友達になれるよ。あの子はファレンディア語も得意だ。可愛いタイプなんだよ。貴族のお嬢様だけど、高慢でもない。何よりね、愛華」
私が手招けば、愛華も近づいてきた。
大切に育てたつもりが、本気で違う方向へ行っている。どうすればいいんだろう。全く誰に吹きこまれたセリフなんだか。
「何よ。自分の少女趣味を隠す為に私を利用する気なのねっ。そんなこと私にはお見通しよっ」
「その子には双子の兄がいて、顔もそっくりだ。双子の兄の方はファレンディア語を話せないが、性格もいい。あ、そうそう。フォトもあるんだよ。女の子の方だけだけど。顔は一緒だから問題ないよね」
「何を図々しいこと言ってるのかしら、この浮気男。だけどフォトは見てあげるわ。さあ、出しなさい。その泥棒猫の顔をじっくり拝んでやるわよ」
浮気男とか言ってるけど、この子がはまっている男性ボーカルのコンサートチケットから何からを買ってあげたのは私だ。あれは浮気じゃないんだろうか。
それに私が連れていってあげた水族館で、地方からやってきたとかいう顔のいい少年と仲良くお喋りしていたのはこの子だ。
「なんでそんな言葉を覚えてくるかなぁ。似合うけど、あと十年は早いよ」
アレンルードからもらったポケットサイズの額入りフォト。卵型の額の中、幸せそうに笑っている女の子がいる。
それを受け取った愛華は、まじまじと見入った。
「なんか可愛い? ほっこりする感じかしら。これで私より年上なの? 信じらんない」
「少し子供の頃のフォトらしいよ。今はもっと育ってる。その子はね、同世代の少年が好みだから、私みたいなおじさんとは世界中の男が死に絶えても結婚したくないそうだ。だから婚約してきたんだ」
「・・・世界中の男が死に絶えても結婚したくない」
理解できないような顔で私を見て、愛華が棒読み復唱してくる。
どうしてそこまで嫌われているのかと、意味が分からない様子だ。
「そう。世界中の男が死に絶えて私一人しか残っていなくても結婚したくないんだって。ふふ、私の首を絞めてまでそれ以上を言わせまいとするぐらいに嫌がってる顔がとても可愛かった。だからね、金の力で三年間の婚約を了承させてきたんだよ」
「・・・金の力で三年間の婚約を了承させてきた」
ああ、あの人にはいつだって困った顔がよく似合う。
思い出して微笑めば、愛華がとても複雑そうな表情になっていた。
「ねえ、愛華。大人になったら外国人になろうか。一夫多妻制の国なんかいいよね」
「最低。ただのクズ。信じらんない」
「それは否定しないけど、可愛いだろう? 同じ顔をした双子の兄はやんちゃな男の子だ。外国人で貴族だから愛華を高嶺の花みたいなお嬢様扱いしないし、どうやら美形も見慣れてる様子だね。軍人の父親がいるせいか、私はもやし扱いされたよ。兄みたいな存在だという男達も、誰もがたくましかったしね」
普通の男なら、他の男と比べられて傷つくのだろう。
だけど私の体格など関係ない。あの人にとっては。
外見など損なわれたらそれで終わりだ。だけどあの人があそこまで愛情を注ぎ、心を砕いて共にいたのは私だけだった。あの人にとっては私がどんな容姿であろうと関係ない。
「もやし扱い。やっぱりサルートスって筋肉至上主義なの? パパが言ってたわ。もうあんな筋肉だるまな国なんて二度と行かないって」
仕事内容を娘にぐちぐち言ってるとはどうしようもない父親だ。やはり無理矢理連れて行ったことを恨んでいたのだろう。
だって私が留守の間、仲良く愛華と過ごすだなんて許せなかった。だから連れて行ったのに逃亡するときたものだ。身勝手な奴。
「さあ? 何なら連れてってあげようか? あの子がファレンディアに来るのは早くても半年は先だ。ちょうど今が夏の長期休暇だったからね。愛華の学校の休みとはずれるし、こっちの長期休暇の時に、あっちまで遊びに行ってもいいかもしれない」
「え? 連れてってくれるの?」
海外旅行などしたことがない愛華なので、ぴょこんっと嬉しそうに顔を上げる。
微妙に季節や気候、一年の始まりがずれている為、そのあたりは調べてみないと分からないが、何ならこちらの学校に留学でもしてくれればいいのに。
どうせあの人、授業なんて・・・。いや、学習内容はどこまで違うのか。だけどあのいい加減な国が我が国より学習内容が高いとはとても思えない。
「勿論。だって私とあの子が一緒にいようとすると、双子の兄が邪魔なんだ。愛華を連れていけばちょうどいいだろう? 男の子だけど同じ顔だから可愛いよ。愛華もいいお友達になれるだろう」
「どこまでもゲスな発言だわ。これがクズ発言って言うのね。愛人との時間を作る為に、正妻を他の男に差し向けるって奴だわ。知ってるわ。そういう奴がいきなりぶすって刺されちゃうのよ。後宮の熾烈な権力争いは毒殺と陰謀、そして暗殺の繰り返しなの。まさにそれと同じことが、このセンターを巡って殺人事件になって起きちゃうのよ」
愛華は大人びた顔立ちなので大人っぽいものが好みではないかと思われがちだが、実は可愛い物が大好きだ。
卵型のフォトケースの中で笑っているアレナフィルは、ぬいぐるみを抱えてフリル沢山なワンピース姿だから余計に好みだったのだろう。
心が揺れているのが分かった。
「そんなどろどろしたものじゃないよ。あの子は素直じゃないだけで、私を愛しているのさ。愛華とあの子が仲良しになれば、三人が愛し合っててちょうどいいだろう?」
「世界中の男が死に絶えても結婚したくないのに?」
「それだけ特別ってことなんだよ」
「お金の力で婚約しても三年間だけなのに?」
「素直になれないお年頃なんだよ。・・・興味が出てきただろう?」
「・・・そうね。ま、知り合いになってあげても構わないわ。ファレンディア語、できるんでしょう?」
そっぽを向いているが、気になっている様子だ。頬がちょっと赤い。
今までとは全く違う友達ができるかもしれないと、ドキドキしているらしい。
「ファレンディア人並みに話せる子だよ。じゃあ、頑張ってサルートス語を覚えなさい。はい、これが旅行者向けファレンディア・サルートス対比本だ。婚約の為の結納品を持って行こうと思うんだけど、カタコトでもサルートス語を話す妹を連れていたらとっても好感度高いだろう? 発送するつもりだったけど、妹のおねだりに逆らえずにサルートスに行くことにした方がまた会えるし」
アレナフィルの中身があの人なら、攻略法など十分に承知だ。
私が会いに行ったなら、社会人としての仕事がどうだのこうだのと言い出すのが分かっている。しかし可愛い妹のおねだりに逆らえなかったというのならば、何も言わない。
とても嫌そうな顔をして、うげっという歪んだ表情になるのかなと思うとそれも楽しみだ。
「信っじらんない。なんて身勝手なのかしら。よその女をモノにする為に、正妻を妹扱いするだなんて。まさに女を使い捨てていく鬼畜の所業ね。私、今夜は悔しさのあまり、枕をびしょびしょに濡らしてしまいそうよ」
「まさかと思うけど、その被害枕は私のじゃないだろうね。知りもしない相手のことをどうこう言うのはやめなさい。きっとあの子は君を大好きになる」
「どうしてそんなこと言えるの? いるのよね。よく、自分の母親は君と気が合う筈だとか言って、嫁いびりに気づかない間抜けな男って。女ってものを分かってないんだわ」
センター内の全女性職員に、愛華に変なことを吹きこまないようにと通達した方がいいのだろうか。
なんでそんな込み入った人間関係を聞いてくるかね。
「私は関係ないよ。愛華はあの子の好みそのものなんだ。ま、あれ程まで嫌がってた婚約だけど、愛華の存在を知ったら五年でも十年でも延長するだろう。さあ、愛華。私があの子を手に入れる為、役立ってくれ。正妻か愛人かは日替わりにしておけばいいだろう? みんなが幸せじゃないか」
「・・・女の敵っ。慰謝料取って別れてやるっ」
「別れる気はないけど、寂しい思いをさせたお詫び代わりのお土産ならあるよ。あちらは衣服にも装飾性が高くてね。愛華の服や小物を幾つか買ってきた。そこのバッグの中だ」
自分がアレナフィルの好みだと言われて、愛華はちょっと嬉しかったらしい。反応が遅れていた。
あちこちに可愛がってくれる家族のいる愛華だから、これからみんなに対して、慰謝料を取る方法を相談して協力させるだろう。
慰謝料としてどこのお菓子をねだられるのやら。
(あの人が怒鳴りこんできそうだな。ちょうどいいか)
さりげなく愛華がポケットに仕舞おうとしたフォトを取り返す。
実の所、アレナフィルの隠し撮りはしておいたのだが、双子の兄なりに考えて渡してきてくれた気持ちを嬉しく思った。
初対面では双子の妹を誘拐したとして敵意丸出しだったが、アレナフィルの様子を見ていて私に同情したらしい。姉の気配を漂わせながら近づいてきた不審な外国人少女の兄だと思えばむかつくばかりだったが、その正体があの人だと分かった以上、誰よりも身近な場所から守ってくれていた双子の兄を敵視する必要など私にはない。
「ああっ、私に隠れて愛人のフォトを持つ気なのねっ」
「欲しければ仲良くなって二人でフォトを撮ればいいじゃないか。愛華だって知り合いになる前から自分のフォトを持ってるような奴と友達になりたいかい?」
「・・・仕方ないわね。ここは譲ってあげるわ」
ここで粘っても、私がアレナフィルにその事実を暴露すると判断したか。初めての外国人のお友達になれそうな少女だというので、愛華もわくわくしているらしい。
数十秒後、
「この室内履き、かわいーっ。きゃー、このシャツ、ボタンもすてきー」
と、大喜びしている愛華がいた。
アレナフィルに選んでもらったと言えば、なんだか困ったような顔になっている。
「普通、私のものを選ばせる?」
「女の子をほったらかしにした以上、お詫びのお土産ぐらい買っていけってうるさかったのさ。どっちが可愛いかを選びきれなかった物は色違いで入ってるよ。愛華の正しいサイズが分からなかったから、ある程度は大きめで選んでた」
「そうかも。どれもちょっと大きいからこれから私が大きくなればいいのね」
「ああ」
布製の髪飾りは様々な形のデザインで、まさに日替わりで楽しめそうだ。思えばあの人、とてもおしゃれ好きだった。
愛華もこれなら学校につけていけるとはしゃいでいる。
(厳密にはサルートスの製品じゃないらしいが、ま、いいか。あの人ってば本当に年上も年下も見境ないんだから)
さて、明日から全てを調べ上げなくては。名前が割れていない研究員はいただろうか。




