30 それでも私は悪くない
とても露出の激しい水着や下着をつけた可愛い女の子達のフォトブックをクラブのメンバーにあげた私は、喜んでもらえる筈が、みんなから大きな溜め息を返されてとても戸惑っていた。
外国の本は言葉が分からないと悲しいだけだけど、フォトブックなら言葉の壁を乗り越えて楽しめるというのに・・・!
エロチシズムに国境はないんだよ、みんな・・・!
「見えそうで見えない角度と笑顔。まさに見入らずにはいられない素敵なポーズ集なのに、何故喜ばないの? この国ではまず流通していない、とってもセクシーなフォトブックなのに」
サルートス国で女の子が着ていい水着は、鎖骨から手首、そして足首まで覆う水着で、それも体のラインがあまり出ないようにフリルがつけられているものだ。それゆえに、背中や胸の谷間が見えているような水着姿の女の子のフォトブックなど、まず売られていない。
(ゴバイ湖だって、こっそりと私にお礼を言ってきた人がどれだけいたことか。さすがに二冊はあげなかったけど)
市場で売買するのは駄目だけど、外に出さなければ罪にならないというのでもらってきた本の一部だった。どうせ彼らも誰かに売りさばくようなことはしないだろうし、ちょっとしたエロなお土産なのだ。
友達ならそーゆーのあるよね?
仲がいいからこそ、
「なかなかに過激であったぞ。意外な趣味よの」
「そうであろう、私の心には更なる深淵があるのだ」
「ふっ、苦しゅうない。すべて見せてくれたまえ」
「魚心あれば水心。そなたも見せるがよい」
などと言って、絆を深めるのってあるよね?
何より旅先だからこそ手に入れてしまおうって思える非日常的な心の高まりがあるから、人は旅に出て現地でしか手に入らないお土産を買い漁ってしまうんじゃないかな?
外国に出かけたら現地のエロエロな本を買う人って多いよね?
「あのな、ビーバー。そういうお前さんの独特な感性はともかく、人間社会には人間社会の常識的な行動というものがあるんだ。頼むから理解してくれ」
「駄目だなぁ、ディーノ。自分が貴族ならではの凝り固まった世界に生きてるだけで、実は私こそが常識的な人間なんだってこと、そろそろ認めた方がいいと思う」
「なんでそうなるっ。お前がいつから常識的な人間になったっ」
私のお兄ちゃん化してきたと皆に言われているベリザディーノだが、そこにいる私の兄は妹をビーバー呼ばわりしないぞ? 手下呼ばわりはしてくるが。
「どんな顔をしてアレルがこれらを手に入れてきたのか、そこが僕には理解できない。けっこう女の子の世界って乱れてるのかな」
「頼むからアレルが一般平均な貴族令嬢だと思わないでくれ、レイド。よく考えるんだ。アレルはどこまでも普通の女子生徒と違う方向へ突っ走っていたじゃないか」
「私がくるくるカールした髪で着飾ったりお茶会したりしてないからって、そーゆー言い方はどうかと思うよ、ダヴィ」
どうやら純粋培養な王子様には刺激が強かったようだ。だけどそういう通過儀礼を経て少年はたくましく育っていく。どうか酸いも甘いも嚙み分けた素晴らしい王族になってほしい。
だからダヴィデアーレよ、私を悪者にするんじゃない。悲しいじゃないか。
「アレルのお父さんって、あのクラブ参観に来てたかっこいい子爵様だよね? アレル、怒られなかったの?」
「へ? なんで私が父に怒られちゃうの? うちの父、私を怒ったことなんてないよ?」
警備棟の第2調理室で、私がクラブメンバー達を見渡せば、初めて皆がいる時に来たというので興味深そうに棚とか設備とかを見ているアレンルードが背中を向けたまま、口を開いた。
「あのさぁ、フィル。そういうのはこそこそと男同士で貸し借りするからいいんであって、女の子にもらっても誰もが困るよ。
何より女子生徒の前で堂々と喜ぶような下品な奴、普通にいるわけないだろ。市販を許されていないって時点で、それは品性を逸脱した恥ずかしい本ってことなんだから。
父上がフィルを怒らないのは母上そっくりな女の子だからだよ。それで今、父上、みんなに責められてるんじゃないか。フィル、あまりにも貴族子女として非常識すぎるって」
「ええっ!? 私ぐらい社会の常識を知悉した貴族子女はいないよっ!? ルード、私のこと、分かってなさすぎだよっ」
「そう思ってるのはフィルだけ」
天井を見たり、棚の中の粉類などを見たり、食器も見たりしているアレンルードは、スポーツ系クラブに比べてここのクラブルームの設備が恵まれすぎているとぼやきまくりだ。
さっきから、
「こんだけの広さと設備、本当に必要あるの?」
と、首を傾げている。
「仕方がない。じゃあルードからみんなにあげてよ。それに品性も何も、ちゃんと大事な所は隠してるじゃない。見えそうで見えない、そんな焦らすようなポーズにドキドキが止まらないって、やっぱりあると思うんだよね。
何よりこの可愛い水着とか下着って、やっぱり参考になると思うんだ。ほら、可愛さを引き立てるっていうの? いつかガールフレンドに下着をプレゼントする時にもお役立ちだよ?」
「ちょっと待てっ、アレルッ。なんで下着のプレゼントとかいう言葉が出てくるんだっ」
「全くだ、アレル。なんというはしたないことを口にするんだ。ほら、もうレイドとリオが硬直しているじゃないか。そんなプレゼントを考える奴など、世間には存在しない」
大柄な体格のベリザディーノが真っ赤になって身を乗り出せば、細身なダヴィデアーレが眉間に指を当てて目を閉じた。
伯爵家の息子としては同格な二人だが、行動と印象は正反対だ。ただし、気は合っている。
「へ? そういうのってよく売られてたりしないの? ほら、男性用の下着売り場で、一緒に買えるように、ガールフレンドの為のフリーサイズ下着とかが薔薇みたいな形に可愛らしく折られた状態で箱に入ってたりするよね?
だから買うのも恥ずかしくないし、渡された女の子もそこまで恥ずかしくないんだよ。薔薇はフリーサイズな女性用パンツなんだよね。だから本でも普通に口説き言葉で出てくるよね?
『今夜は泊まっていけるんだろう? 赤い薔薇を買っておいたよ。二人の愛を君が忘れずつけて帰ってくれるように』
『うふふ、赤く燃え上がる夜になるわね』
って感じで」
ファレンディア国では女性用下着売り場にはセクシーな男性下着を、そして男性用下着売り場にはセクシーな女性用下着が陳列されている。ちゃんとぴったりサイズのスタンド付きボディと共に見本が並んでいるから、恋人に抱きついた時の腕の周り具合とかで大体のサイズを当てられるようになっているのだ。
そして売られているセクシー下着はある程度の伸縮性があるので、そこそこ外れていてもどうにかなる。
共に過ごす夜をロマンチックに過ごせるようにと、下着や着替え、必要なお手入れグッズを性別が違っても問題なく用意できるように、お店だって恋人達を応援している。
あれ? そういえばサルートス国だとどうなのかな? 私、子供用下着売り場にしか行ったことがないから分からないや。
父の下着は一度私が選ぼうとして以来、二度と連れて行ってくれなかった。だけどいいの。普通のお洋服は選ばせてくれるから。
「えっと、・・・ごめんね、アレル。意味が分からない」
「フィルの言葉を理解できるようになったら、人間として大切なものをなくしてしまいますよ、エリー王子。そのフォトブックはもうフィルの目に入るところにあると巻き込まれるみんなが迷惑するだけだから、引き取って誰かにあげればいいです。僕も上級生達にあげたらとても喜ばれました。皆で回し読みするそうです」
「ああっ、ひどいっ。ルードには一番可愛い女の子が載ってるのをあげたのにっ。どんな子が好みかなぁーって、私、とってもとっても悩んで選んだんだよっ」
正規の値段で買ったらいくらすると思っているのだ。それをひょいっとあげてしまったとは。
「そんなことを悩まれてたって方が嫌だよ。それに役には立ったよ? 先輩達、お礼代わりに試験対策まとめをくれるって言ってたしね。エリー王子やみんなも、自分じゃなくて誰かにあげることで役立たせるといいですよ」
「ううっ、そんな使われ方をするなら、一番可愛い子のを選ぶ必要もなかったのに・・・。あ、だけどレイド達も、だからって自分達のは可愛くない女の子のなのかって思わなくていいですよ? ちゃんとレイドには一番高いフォトブックが入ってますからね。それにみんなの好みも考えて、色々なタイプのを選んだから安心してくれていいよっ」
一人十冊はあるから、たとえ好みとずれていた本があっても気にはなるまい。私はちゃんと考えている。
しかも私の友達な筈のクラブメンバーなのに、なんだかアレンルードの方が分かり合えているのだから寂しい。男の子って、自分達だけで理解し合っちゃうんだから。
ううん、そんな寂しさをお姉ちゃんに残して、少年は大きく育つんだね。
私は心の中で自分を慰めてみた。
「つまりアレル、このフォトブック、全部目を通したんだ。凄いね。うん、アレル、子爵家のお嬢様なんだなってちょっと見直していたけど、やっぱりアレルって何かが違うんだね」
「私は普通の子爵家のお嬢様だと思うんだけど」
マルコリリオは貴族というものをどう捉えているのか、たまに不思議なことを呟く。
「もういい。アレルに語らせれば語らせる程、こっちの常識がガラガラゴロゴロと大きな音を立てて壊れていく気がする。ダヴィ、とりあえずこういうの、どこに隠せばいいんだろうな」
「分かってないなぁ、ディーノ。そういうのはこっそりとベッドの下とかに隠しておいて、それを見つけた家族が、
『あらまあ、もうこんなお年頃なのね。うふふ、大人になっちゃって』
って、生ぬるい感じで笑って見逃してくれるからいいんだよ?」
「頼むからもう黙っていてくれ、アレル。ディーノ、あげる相手が見つかるまでここでいいんじゃないか? 僕は父上や母上にどこで手に入れたか問い詰められるのはごめんだ。正直にアレルの名前を出しても、僕はそんな嘘で彼女の名誉を汚したと、更に怒られる気がしてならない」
私の両眼を、ダヴィデアーレが勝手にその左手で覆ってきた。
なんかさ、人って目の前が暗くなると黙っちゃうよね?
あれ? もしかして私、ダヴィデアーレに黙らされてる?
「そうだな。僕もだ。・・・いいよな、レイドは。男子寮なら親の目もないし」
「親の目はなくても違う目はあるんだよ。リオは大丈夫?」
「僕は別に・・・。親戚の兄さんに一冊渡して反応を見てみようかな。何かと威張ってくるんだけど、おとなしくなるかもね」
ふっ、少年達よ。今はそうやってお綺麗なことを言っているがいい。
私は知っている。それこそフォトブックを見せられても、
「何それ。そんなの、本当に僕が喜ぶと思ってんの」
なんて言っていた少年が、いつの間にかお気に入りの女の子のページを切り取っていたりしたことを。
所詮、男の子は単純なのだよ。
あの切り抜きされていた女の子達、どこか顔立ちが私に似ていたことは考えまい。
「だけどアレル。ごめんね、僕、どこにも行かなかったからお土産ない」
「そんなどうでもいいこと気にしちゃ駄目だよ、リオ。私がバイトしてたとこ、外国から一気に輸入して自分の倉庫で小瓶とかのサイズに分けてから出荷するんだけど、出荷数も箱単位でしょ? だからどうしても端数が出て、それは近くの店で安く売り出しちゃうんだけど、その売り出す前のを更に安く買わせてくれたの。だからとってもとっても安くしてくれたんだよ。頑張ったご褒美って」
書類仕事など、私にとっては昔取った杵柄。計算とか書類とかが苦手な社長さんや従業員さんをこっそりと手伝ってあげていたら、お礼に融通してくれたのだ。
秘書として働かないかと、勧誘もされてしまった。だけどバイトじゃなくなったら、全ての作業を押しつけられそうだからちょっと嫌かも。
「正直に言いなよ、アレル。ほとんど無料でもらってきてたんだって? 僕、聞いちゃったんだけど」
「嫌ですねぇ、レイドったら。それは言わないお約束ですよ?」
「え? ちょっと待って。えーっと、僕、そんな約束した覚えがないんだけど」
「一般的な市民の言い回しとして、常識的に『そういうことは口にしないものだ』という時に、『それは言わない約束だよ』っていう表現をするのですよ、レイド。覚えておくといいですね」
「そうだったのか。そうか、そういう常識が・・・。あれ? だけどアレル、一般的にこれ、言わないのが常識っておかしくない?」
「女の子の秘密を素敵な男の子は口にしないものなのです。それが紳士たる男の子の生きる道ですよ、レイド」
うふふと笑っておいたが、何という口の軽い寮監達だ。あれだけご飯を作ってあげた恩を忘れるとは。
「たまにお前のたくましさが怖いぞ、アレル。やはり野生の血がお前を駆り立てるのか? もっと早くアレンと知り合っていればよかった。そしたら僕達もアレンと一緒に遊びたいからって近くに滞在できたかもしれないのにな。
サンリラならうちの別宅があるんだ。考えてみればバイトってのも一つの社会体験だ。さすがにこの辺りでやるわけにはいかないが」
「そうだな。サンリラならバイトをしていたところで噂にもならなかっただろう。勿論、よその令嬢に合わせて滞在となると醜聞だが、アレンなら男だ」
「そうでしょう、そうでしょう。やっぱりバイトだからってどうこう言う方がおかしいんだよ。そう思うでしょう、二人共」
そうなんだよね。男の子なんて、自分でまずはやってみたいんだよ。貴族だとかって関係なく、まずは自分がどこまでやれるか知りたいの。それを止めるよりも、まずはトライさせてあげるべきだと思う。
鼻高々な私だが、アレンルードが水を差してきた。
「サンリラに行ったのはフィルだけで、僕は別行動だったよ。だってフィル、最初からいかがわしい本とかを現地で掻き集める気だったし、僕、そんなものに巻き込まれたくなかったからね。
ディーノとダヴィもフィルに付き合うんなら、自分達のバイト代がそこのフォトブックに姿を変えて、更にもっと沢山あった恥ずかしい本の荷物持ちをさせられただろうことまで覚悟してからにするんだね。みんなが、『ああ、あの子が読むのね』って目で見てくるってこともね」
「・・・あー、ごめんな、アレル。僕、お前に付き合いきれそうにない。やっぱり一人で行ってくれ」
「僕も同じくだ。全く双子の兄にまで見捨てられるってどうなんだ、アレル」
「二人共、友情が見えないよっ!?」
双子の兄が私達の友情を引き裂いてくるのだが、これはどうしたことか。
もしかして妹を独占したいあまりの妨害工作? いやあね、もう。血の繋がった兄は一人だけなのに、アレンルードったら嫉妬深くて困っちゃう。
「そうだね。僕も本当は自由に動けるアレルが羨ましかったけど、なんかそう聞くと羨ましくなくなってくるから不思議だ。アレルって本当にふてぶてしいよね」
「ふてぶてしいって・・・! レイドッ、それ、貴族のお嬢様に使う誉め言葉としては何かがおかしいですよっ?」
「うん。だけど僕、アレルに他の言葉は思いつかない」
なんてことを言うのだ、エインレイド。王子様がそんな言葉で終わらせるのか。
仕方がない。今度、エインレイドには女性への誉め言葉集みたいな本を探しておいてあげよう。
「あ、そうだ。私が使ってるのと同じサイズの計量カップと計量スプーン、みんなにも買ってきたからそれもね。後はレシピさえ覚えておけば、おうちで同じ味が作れるよ」
「そういうとこ、アレルって変にきっちりしてるよね。僕、近所のお姉さんに聞いたら、お料理なんてその家その家のカップやスプーンがあるし、だから違う味になるのは当然だって言われたよ?」
「そうなんだけど、リオだってどうせなら家でも作れた方がいいでしょ? みんなもお料理できるようになってるんだから。レシピ集とか自分なりに作っちゃうと、一人暮らしをし始めたらとても助かるよ。ここでスプーン一杯とか二杯とか覚えてても、家のスプーンがそれよりも1.5倍大きかったり、カップが8割ぐらいの小ささだったりしたら、どうしても失敗しやすくなるしね。いつも同じ物を使うのがコツの一つ」
別に規格が統一されているのであれば、どんな計量カップだろうが計量スプーンだろうが問題ないけど、まちまちなサイズになったらどうしようもない。
私はこのサルートス国のいい加減さがたまに羨ましくなる程だ。
「そうなんだ。だけど僕がたまにここで覚えたのを家でも作ったりすると、父も母も喜ぶんだよ。ありがと。うちで使わせてもらう」
「うん。他のみんなは、おうちで料理は無理かもしれないけど、まあ、いつかは一人暮らしする時にでも役立ててよ」
「うーん。僕が家で料理ねぇ。厨房に泣いて嫌がられそうだ」
「僕もだな。いいじゃないか、ディーノ。今じゃなくても役に立ちそうだ。アレル、計量用スプーンでお茶の葉も入れてるし、見てたら覚えちゃうんだよな。これって、一本で大匙、中匙、小匙、小匙半分が量れるのか。ありがとう、アレル。ありがたく使わせてもらおう」
「僕も王宮では無理かな。だけど寮監先生達が使ってる方のキッチンルームで、たまに簡単なのを作ったりしてるんだよね。だから嬉しいよ。ありがとね、アレル」
「どういたしまして。あ、ルードもいる?」
「いらない。僕はフィルが作ったのを食べるからそれでいいよ」
「ん」
そんなこともあったが、みんなにお土産として1パックとかずつ配ったお菓子にも余りというものは出るものだ。
だから余った分は味見ということで、六人で摘まんでみる。
「やっぱりおうちでお菓子を食べるにしても、味の予想がつかないと困るでしょ? あ、ゴバイ湖のお塩はピンクがかってるのがちょっと素敵だよね。白いのもあるから、どっちもお料理に使ってって、おうちの人に渡すといいよ」
「へえ。採取場所によって塩の色にも違いが出るのか。ゴバイ湖と総称されても分断されているっていうそれだからかな」
ダヴィデアーレは色の違いで味も違うのだろうかと、そんなことも気になるらしい。うん、どっちもお塩だったよ。
外国のお菓子は、一口噛んだら表情が強張ってしまうような味のものもあったが、不思議とクセになる味のものもあった。
「こういうのもベルナ達にあげたかったんだけど、どうしても教室って人の目があるからね。あの子達だけ珍しい物をもらってるって思われて先生に言いつけられても面倒だから、どこでも買えるジャムと蜂蜜と絵葉書しかあげられなかったよ」
「あげなくて正解だ。嫌がらせと思われて絶交されても知らないぞ」
外国の菓子を食べたベリザディーノが、口を押さえてそんなことを言う。ダヴィデアーレとマルコリリオも机に突っ伏して悶絶していた。
アレンルードは一番に食べたくせに顔を一瞬強張らせたかと思うと何事もなかったかのようにしていたのは、自分だけが被害者で終わりたくなかったからだろう。
意外にうちの兄はせこいところがあった。
「こんな苦いのがお菓子なの? よその国のお菓子食べたら美味しすぎて、この国の人、もうこれ、食べられなくなるんじゃない? サルートス国のお菓子を輸出したら一気に売れるかもしれないね」
さすがは王子様だ。顔になるべく食べ物の好き嫌いを出さないように心がけているのかもしれない。
エインレイドが、普通のお菓子をこの国に輸出してやればいいのだと、そんなことを言い出した。
「レイドもそう思うでしょ? だけどさ、この苦さがいいんだって。苦い苦いって言いながら食べてるんだよ。変わった人達だよね。ちゃんと甘いお菓子もあるそうだけど、やっぱりこの国の船員さん、何かとこの苦いお菓子を口に放り込んでたんだよ。レンに、・・・クラセン先生によると、体調を整える意味もあって習慣になってるんじゃないかって」
「ああ。その風土による体調管理的な食べ物なのかな。それなら馬鹿にしちゃいけないね」
みんなで世界地図を広げながら、気候的にどうだのこうだのと言って食べていたら時間も過ぎる。だけど今日は初日だから適当なところで切り上げることにした。十分にお喋りもしたしね。
みんなへのお土産は、
「この袋もね、バイト先でもらったんだよ。なんか刺繍がとても変わっててエキゾチックでしょ。これに入れて持って帰るといいよ」
と、明るいブルーのマチ付き布バックに入れて渡してあげる。お土産が重くてかさばるから、みんなの通学用鞄には入らないのだ。
「かなり丈夫そうな布バッグだな。これならもう、あの恥ずかしい本も持って帰るか。ダヴィもそうした方がよくないか? ここまで変わったお土産ばかりもらったら、変な本が紛れてても、もういいだろ」
「その方がいいか。よくよく考えたらここ、警備の人だけじゃなく学校長先生も来るし。親よりもそっちの方が大騒ぎになりそうだ」
ベリザディーノとダヴィデアーレがそんなことを言い出した。自宅よりこの第2調理室で誰かに見つかる方がまずいと思ったようだ。
人間、落ち着いて考えたら違う意見に変わるってことあるよね。
(警備員さん達にはこんなフォトブックどころじゃない過激なのをあげてきたからなぁ。この程度なら見つかっても気にしないと思うけど。うん、みんなには役立ててほしいものだ)
警備員の中で一番偉いエドベル中尉には、
「これ、お土産なんです。皆さんで好きに分けてください」
って、箱のままドンッと渡してきたから、きっと楽しんでみんなで分けっこしたと思う。
『えっと、そうなんだ。この箱の中身は、我が国では販売しちゃいけない、そんな過激な本・・・』
『そうなんです。だから個人で楽しむだけにしなきゃいけないんです。あ、大丈夫ですよ? 王子様達にはちゃんと水着を着てる奴ですから。皆さんは大人だからもっと過激でも大丈夫かなって。いつもお世話になってるから、ここは特別サービスです。誰がどれとか聞きませんし、もう市場ルートに出てない奴ですから気にせず、好きに持ち帰ってください』
私はとても理解のある女子生徒だ。アダルトなお土産は渡すけれど、いちいち感想など聞かない。
『エリー王子に・・・。それ、フォリ中尉は知っているのかい?』
『はい。寮監先生達にもあげたんです。外国は乱れすぎじゃないかって言ってましたけど、みんなお部屋に持って帰りました。あ、誰がどの本を持って帰ったかなんて知りませんよ? だって私、そういうのはお互いのプライバシーだって思ってますから。外国は乱れているって言ってたけど、こういうことって、かえって抑圧される方が妄想をたぎらせて反発するんですよね。適度なガス抜きは必要です。現実に持ち込みさえしなければ』
『うん、もうそれならいい、・・・のか? どんなものか分からないが、現実に持ち込むことなく参考にさせてもらうよ。そうだな、国によってさまざまに法律は違うものだ』
『はい。外国のお菓子にはちゃんと翻訳した紙も一枚ずつ付けてあります』
朝、それでどどんっと数箱単位のお土産を渡してあげたんだけど、・・・あれ? なんかその後から全く警備員達の姿を見ない。
まあ、いいか。
これでも私はとても気のつく娘だ。父と叔父のベッドにも一番セクシーで綺麗なお姉さん達のフォトブックを厳選し、そっと置いておいたが、何故か次の日、オーバリ中尉が持っていた。
いいけどね。彼はとっても喜んでいたから。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
学校が本格的に始まれば、朝から礼儀作法の特訓も再開される。
礼儀作法の授業なので、私もワンピース姿で久しぶりのご挨拶だ。
「おはようございます、レイディ。ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルでございます。本日からまたどうぞよろしくお願い申し上げます」
「おはよう、アレルちゃん。ちょっと背も伸びたかしら。さあ、座ってちょうだい。休暇中のお話も聞きたいわ」
「はい、レイディ」
久しぶりにお会いする貴婦人の優雅な微笑。相変わらず質素そうなブラウスとスカートだが、上質なものだ。
さすがだ。同じ質素でも私なら普通に質素だが、質素に見せかけた贅沢品というものはこれなのかと実感する。
優雅な動きを心がけつつ、私は座面の少し高めな椅子に座った。毎回、色々な高さの椅子が用意されるから、それぞれに美しく見える座り方やスカートの裾さばきなど、この貴婦人が叩きこんでくる礼儀作法はかなり実用的である。
彼女は優雅に微笑みながら社交界という戦場を生き抜いてきた猛者なのだ。
「久しぶりだから、意地悪なひっかけはしないわ。今日はどのティーカップがいいかしらね。そこの中から選んでちょうだい」
「はい。・・・それでは、その模様がない純白の茶器をレイディに、私には青い茶器をお願いします。かつての故事に倣いまして」
「かしこまりました、お嬢様」
少し年配の使用人が、私が示した茶器を選び取る。これからそれにお茶を淹れてくれるのだろう。
だけどいつもは貴婦人役で参加してくれるから、その気になれば貴族夫人としての仕草もばっちりだ。今日はあくまで侍女もしくはメイド役らしい。
本来は同じ模様の茶器を使うが、今日は特別な日だ。祭日でも何でもないから忘れている人も多いけど、言うのであれば「年上の女性に感謝する日」だろうか。
年が近いと微妙なことになるから、忘れ去っておく人が多いのかもしれないね。
(特に年上彼女と年下彼氏のケースでは触れないことが多いと聞く。なんでこんな微妙な日を作ったかな。絶対作った王様、無神経だったよ)
簡単に説明すると、とある時代の若きサルートス国王が絶体絶命の時、ターラメニアという村人が機転を利かせて助けたことがあったそうだ。その時の国王は礼ができる状態じゃなかったけれど、やがて時代はその若き王に味方する。
改めてそのターラメニアを訪ね、若き国王は褒美の品を渡そうとした。だけど彼女は、
「私があなたを助けたのは、亡くなった息子をあなたに重ねたからです。自分の心の為に動いただけの私に、こんな立派な物をいただくわけにはいきません」
と、断った。国王は、
「では、私もあなたに心を返そう」
と、毎年その日を「ターラの日」と決め、男は誰でも年上の女性に社会を支えてくれていることへの感謝を捧げる日とした。
つまり、「子供がいようがいまいが、全ての女性はこの国の母だ」みたいなテーマ? そして、その時に咲いていた白い花と青い花になぞらえ、純白の何かを女性に贈ることが流行した。
そこで高い贈り物は無粋とされる。あくまで心を寄せるささやかなものでなくてはならない。
ちなみに私とアレンルードは、毎年せっせと真っ白な生クリームを泡立てて、マーサが焼いてくれたケーキに塗るのを手伝って一緒に食べている。ちゃんとマーサは白いお皿、私達は青いお皿で。
感謝を捧げる日も何も、子供なんてそんなものだ。
「アレルちゃんも、おうちの方に今日は何か贈るの?」
「はい。白い石鹸を贈る予定でございます。毎年、お菓子に白いクリームを塗るのを手伝い、一緒に食べておりましたが、私も上等学校生になったことですので一念発起して石鹸に模様を彫ってみました」
今年はアレンルードが男子寮にいるから、二人でケーキにクリームを塗ることなんてできない。私はゴバイ湖で買ってきた塩入り石鹸をプレゼントするつもりだ。
真っ白な石鹼にナイフを入れてお花模様を彫るという、飾り彫りをした石鹸にトライしたからだ。
ゴバイ湖の別荘で、外国のソープ・カービング本を見ながら彫っていた私をじーっと見ていた男子寮監達は、私が寝てからトライしていたらしい。彼らは力が強すぎたのか、失敗して壊れた石鹸が大量生産されたようだが、最後には「花じゃなければ成功するんじゃないか? 花の模様が細かすぎるだけだろう」と、気づいたようだ。
彼らのお母さんやお姉さんに、今日はあれらの彫りあげた石鹸がプレゼントされるのかもしれない。
オーバリ中尉はドクロマークを彫っていた。そんなの女の人もらって喜ぶの? って聞きたいけれど聞けなかった。あげる人がいなかったら可哀想すぎる。
あれ? そういえば女上司って年上だったっけ。いや、考えるまい。
ネトシル少尉は「月と湖畔」な景色モチーフで彫っていた。塩水湖にちなんだものをと思ったそうだ。
他の男子寮監達はイニシャルとか、魚とか、ナイフとか、そんな感じだった。
意外なことにフォリ中尉が一番上手だった。私がコスモス模様を彫り上げて「上手にできた」と満足していたというのに、あの人、最後には豪華な薔薇の花を彫りやがった。ちょっとムッときた。
いいの。大事なのはマーサが喜んでくれることだから。
「ああ、やっぱりアレルちゃんの影響だったのね。ガルディったら薔薇が彫られた石鹸を渡してきたのよ。朝食の席にそれがあって、ガルディからって言われたの。聞いた話だと、ミディタル大公妃に贈られた石鹸にはドレス姿の女性のシルエットが彫られていたんですって。意味深長ね」
「・・・失礼ながら、あのフォリ先生がちゃんと贈り物をしていたということが意外です」
ミディタル大公妃に贈られたという石鹸。息子として、母にはドレスを着ておとなしくしていてほしいという願いがこめられているのだろうか。
言葉にできない思いを抱き、そして願いをこめて、人は贈り物をするのかもしれない。
「あの体格だし、豪快なミディタル大公のイメージが強いものね。だけどガルディ、かなり気を遣う子なのよ。毎年、白い花をくれるの。今年はアレルちゃんの影響で手彫りの石鹸にしたのね」
「あのフォリ先生を子ども扱い・・・!?」
運ばれてきたお茶を飲みながら、そのことに私は感心してしまった。
やはり立場が強いというのはそういうものなのか。フォリ中尉の腕など、彼女の倍どころじゃない太さだろうに。
「うふふ。ガルディはね、子供の頃から本当に優しい子だったのよ。アレルちゃん、一緒に旅行に行っていたんでしょう? どなたも色々なお嬢様が憧れている人達だもの。少しはいいなって思ったりした人、できたかしら?」
「・・・・・・。えっと、はい。皆さん、どなたもお金持ちでした」
「え? お金持ち?」
「はい」
私は大きく頷いた。
貴婦人(推定王妃様)が紺色の瞳を丸くする。まるで、とても不思議な物を見るかのように。
「お金持ちって、アレルちゃん、まさかお金の心配なんてさせられてたの?」
「え? いえ、そんなことはありませんでした」
さすがに私も慌てて否定する。お金の心配などしたことはなかった。使えなくて困ったぐらいだ。
だって交通費タダ、宿泊費タダ、食費タダだったんだもん。ああ、なんて素晴らしい響きだったことだろう。お金の心配をしなくていいのって、ときめいちゃう。
「大丈夫です、レイディ。これ以上はないほどに、とても、・・・そう、とてもお金の心配をしなくていい日々でした・・・!」
「そ、そうなの。いい笑顔ね、アレルちゃん」
「え? まあ、そんな。恐れ入ります? で、いいのでしょうか?」
「・・・そうね」
だってほら、私、ファレンディア国に住んでいた時は、借りていた部屋の家賃も払わなきゃいけなかったし、一年に一回ぐらい様子を見に行く持ち家の維持費もそれなりにあったし、お金って大事だったんだ。
そんなこと、誰にも相談できなかった。
誰だって「それなら、その持ち家に住めば家賃要らないよね?」って言うのが分かっていたから。だけどね、そこで住んでたら優斗に見つかるのも分かってた。仕方なかったんだよ。
そしてサルートス国で目覚めてみたら、子供には甘いけれど激務すぎて経済観念なさそうな父親と、これから育っていく幼い双子の兄ができちゃったんだよ? 家事なんて人を雇えばいいって感覚の、お貴族様な父と兄。
誰だって、「我が家の家計を守れるのは私しかいない・・・!」って思うよね?
祖父母と叔父がお金持ちそうだったから、お金がかかりそうなお買い物の時はそちらに甘え倒したけれど、そんな父は大佐だったらしい。どれだけのお給料をもらっているのか気になるけれど、子供だから聞けない。もしかして高給取りなの?
ううん、そこで安心して浪費に走ったら終わりだ。だってここはお金持ちの子しか通学していない国立サルートス上等学校。学費はこれからどんどんかかるんだもん。
だから私、いざとなったら父と兄を養えるよう、今の内に個人のお金を確保しておくの。
貿易都市サンリラ。あの地は多額なバイト代を私にもたらしてくれた、素晴らしい土地だった。
(あ、ジェス兄様から渡されてたお財布も手つかずのままだった。どうしよう。今度会った時に返せばいいのかな。返そうとしたら、まだ持っていなさいって言われて返しそびれたんだよね)
報奨金が入るという口座は叔父に渡して税金の処理を頼んでおいたけど、普通は家族間でもそういうことをしたら使いこまれたりするんだよね。だけど叔父の場合、私よりお金持ち。
そして叔父には、ウェスギニー子爵家が没落した時には私のお金を持ってみんなで夜逃げして新天地で仲良く暮らしましょうと、誘ってある。
そんな愛の告白に、叔父は感動で震えながら抱きしめてくれた。だから叔父は私を裏切らない。
「だけどね、アレルちゃん。お金の心配はなかったなら、どうしてみんながお金持ちとかって言葉が出てくるの? まさか子爵家への援助を匂わせて結婚とかを迫られたりしたの? だってお金を使うことって、普通はないわよね?」
普通の貴族令嬢の場合、必要な物は全て邸に存在し、生活の世話は使用人がしてくれるのでお金のやり取りを間近に見ることがあまりない。せいぜい通学途中での乗り合い路面車の支払いとか、ちょっとした街でのお買い物とか、学校での食堂ぐらいだ。
ましてやこの貴婦人に至っては、それこそ人生で一度であろうとお財布を開けたことがあるかどうかも怪しい。
(なんていいお母さんなんだろう。きっと私みたいな低位の貴族子女が権力を笠に着た寮監先生達に・・・って心配してくれてるんだ)
そんな人(推定王妃様)に心配をかけていいものだろうか。いや、よくないと思う。
だけど・・・。
「あの、レイディ。それこそ事情を話すのはやぶさかではないのですが、これは礼儀作法を学ばせていただいている場でして、話題にあげるにはあまりにもふさわしくない話題というものがあるわけでして・・・」
「いいえ。今はそんなこと考えなくていいわ、アレルちゃん。・・・あなた達、全員、外に出て。人払いを」
「かしこまりました、奥方様」
室内にいた使用人達が一斉に廊下へと出て、扉を閉めた。
恐らく彼女達は王宮で働く女官達だと思うのだが、いくら彼女の命令でも、女主人をこんな末端貴族の子女と二人きりにしていいのか? 後で女官長とかに怒られるのではないか?
まあ、いいか。
「実は、レイディ。寮監先生達の買い物っぷりが凄かったのです」
「買い物?」
「はい。私達はまず酒屋に行ってお酒を買おうとしました」
「お酒も揃えていない別邸だったの? どうして酒屋だなんて、しかも子供のアレルちゃんまで」
お客様を招く以上、飲み物などの嗜好品は不足なきように調えておくのが当然とあって、貴婦人も眉を顰める。
「別宅と違って、アパートメントは管理人しかいない、使用人不在の集合住宅なのです。だから生活必需品しか用意されていません。勿論、ある程度のお酒は揃っていました。まさに晩餐の時に飲むようなワイン、そして寝酒にぴったりな蒸留酒などであれば十分に」
まさに味わって飲むような銘酒が揃えられていた。私だって飲みたかった。ぜひ、一本もらって帰りたかった。バーレンが、
「恥をかくのはフェリルだからな。アホな真似はするなよ」
とか言ったから思いとどまったけど。
貴婦人(推定王妃様)が、疑問をその紺色の瞳に浮かべて私を見つめる。
「そのお酒ではダメだったのかしら?」
「いいえ、普通ならそれで十分でした。ですがレイディ。所詮、二十代の男なんて、いいお酒のふくよかな味わいを大切にするどころか、水代わりにばかすかばかすか飲み干す生き物です。だから私は寮監先生達とネトシル少尉、そしてオーバリ中尉に、この蒸留酒一本で普通のワインが10本以上買えるのだと説明し、次にショットグラスを見せ、飲んでいいのは毎日これ一杯だけですよと、言い聞かせたのです」
「そうなの。偉いわね、アレルちゃん。それで皆さん、ショットグラス一杯を守ったのかしら?」
「いいえ。そんなちまちま飲んでられるか、なら安い酒を飲めばいいんだろうと言って、彼らは私を酒屋に連れて行ったのです」
「そこに繋がるのね。だけどアレルちゃんじゃお酒なんて見ても分からないでしょう? エリーだってまだお酒の勉強はしていないわ」
サルートス国は子供の健全な成長に対して口うるさい国だ。
私としてはそんなのは自己管理なのだからもう少し緩くてもいいと思う。それよりもサルートス国は料理用の計量カップや計量スプーンの規格をきちんと統一すべきだ。
計量用の匙ですら、メーカーによって掬い取れる量がまちまちなのだ。
だから私はファレンディア国の計量カップや計量スプーンなどを高くても買って使っていたのだが、貿易都市サンリラで安く買い足してきた。
自分の分の補充だけじゃない、クラブメンバーにもあげる為だ。
なんだかみんな、料理を楽しむようになってきているし、それならちゃんとした計量カップや計量スプーンを使った方がいい。マイ計量カップやマイ計量スプーンがあれば、レシピさえなくさなければ、卒業してからもいつだって同じ味の料理を作れるのだから。
いつか彼らがガールフレンドに手料理を振るまいながら口説き落とす日、私に心からの感謝を捧げることだろう。
そんなことを思いながら、私は貴婦人(推定王妃様)に向かって、大きく頷いた。
「はい、私にはお酒の瓶を見たところで、名前も味も全く想像がつかず、ちんぷんかんぷんでした。ですが寮監先生達に無理やり酒屋に連れていかれた私は考えたのです。もうすぐ父が合流する、ならばせめて自分のお小遣いで父に喜んでもらえそうなお酒を買ってあげたいと」
「まあ。女の子を酒屋に連れていくだなんて、全く困った子達ね。だけど偉いわ、アレルちゃん。なんて優しい子なんでしょう。ウェスギニー様もお幸せね」
「ありがとうございます、レイディ。子供だけだとお酒は売ってくれませんが、寮監先生達がいればお酒は買えます。だから私は、店長さんに男の人が好むお酒を尋ね、お財布と相談しながら自分のお小遣いの中でなるべく沢山の種類を買いたいと相談したのです」
うんうんと笑顔で聞いてくれる貴婦人にとって、これは父と娘の美談なのかもしれない。
ああ、やっと私の健気さを理解してくれる人が現れた。そんな気分だ。
「どんなに父に喜んでもらいたくても、私はまだ子供。どうしてもお小遣いの予算の関係で、やはり安いお酒を選んだり、二種類のお酒をあえて一種類だけにしたりと、そういうやりくりはありました。ですが何と言うことでしょう。寮監先生達は、私が予算の関係で諦めたお酒を自分達が買い、更には一緒に飲もうと言ってくれたのです・・・! 私はあの時、まさに使えるお財布の大きさが違うという意味を実感しました。・・・・・・そして、それは始まりに過ぎなかったのです」
「始まりにすぎなかったの?」
「はい、始まりにすぎませんでした」
ごくりと貴婦人が息を呑む。
「まさか、あの子達、アレルちゃんにまでお酒を飲ませたんじゃ・・・」
「あ、いいえ。それはありませんでした。私、子供なのでお酒はまだ飲めないのです。その代わり、私は寮監先生達の為に、グラスに氷とお酒を入れて出したり、何かつまめるものを作ったりしていました。だって、そうすれば寮監先生、父にもそのお酒を勝手に出していいと言ってくれたのですから。私は自分の労働で、自分のお小遣いでは買えないお酒を父に貢ぐことにしたのです」
「・・・貢いじゃうの、アレルちゃん」
「はい。だって私、父が世界で一番大好きですから。愛に殉じる私を愚かだと人は言うのかもしれません。だけどこの愛こそが私の人生を輝かせている、・・・そんな気がするのです」
貴婦人(推定王妃様)は、判断に迷うような表情となった。
いいの、どう思われても。みんなから「どんだけお前は父親が好きなんだ」と罵倒されたとしても。
私はずっとあの人を見てきたのだから。
だって妻が命を懸けて守ってみせた娘を、最愛の恋人だなんて公言してしまう人だよ?
着られればそれでいいって思っていても、娘が選んだ服を何でも着てくれちゃう人だよ?
妻が亡くなって十年が過ぎたというのに、全く再婚なんて影を子供に気取らせない人だよ?
(ウェスギニーの男達ってば素敵すぎてどうしようもない。パピーとジェス兄様、それぞれに違った魅力がありすぎるの。それでもごめんなさい、ジェス兄様。結局はパピーを選んでしまう私を許して)
私も女。だから迷う。どこまでもその魅力で私の心をときめかせる父と、あの甘く上質な時間を惜しげもなく私に差し出してくれる叔父と。
二人は常に仕事で忙しい人達だが、放っておかれてもアレンルードと私が非行に走らずにすんだのは、その愛が信じられるからだ。
愛、それは私の世界を輝かせる素晴らしい賛歌。
「だからってあなたにお酒の給仕をさせるだなんて。たかがお酒じゃないの。どうしてガルディ、そんなひどい子になっちゃったの」
「いいんです、レイディ。だって私、父の為ならそれぐらい我慢できますから」
勿論、私とて知っている。貴族の令嬢がお酒を作って差し出すだなんて、まさにみっともないことだと。
お茶のカップを差し出すのとは違うのだ。普通なら誘惑していると思われても仕方がない。
人前で言えることではなかった。女官達が聞いたら、なんてとんでもないことでしょうと、皆の噂となったこと間違い無い。
そんな私の頭を、背後からがしっと掴む手があった。
「んきゃっ!?」
「何を俺達がお前にひどいことをしたって流れになってるんだ、ウェスギニー。そもそも俺達はお前とウェスギニー子爵二人であの一戸を使えるようにしておいたのに、次から次へと男を引っ張りこんだのはお前だろうが。最初に妻帯者、次に二十代独身男。お前はどれだけ男に飢えてるんだって言われても仕方ないところだったって分かってるか、ん?」
「痛い、痛いですっ。レイディ、この乱暴な寮監先生が私をいじめますっ」
「ガルディ、女の子にひどいことをしないでちょうだい。いきなり頭を掴むだなんて可哀想じゃないの」
やはり私の勘は正しかったようで、貴婦人(推定王妃様)に言われれば、フォリ中尉も私の頭を解放する。
うむ、ひどい目に遭った。ここはお菓子を食べて落ち着かなくては。
いつも思うのだけれど、この貴婦人との礼儀作法で使われるお茶もお茶菓子もとても美味しい。
「ひどいのはアレナフィル嬢の方ですよ。全く次から次へと問題を起こすくせに、終わったらもうそれを忘れているのですからね。見てください。あなたに助けてもらってもう一安心と思ったら、菓子食って平和そうにしているじゃないですか」
「ちっ、違いますっ、フォリ先生っ。これはお茶を飲んで心を落ち着かせようとして、だけど心がドギマギして恐怖に震えていた私は、間違ってお菓子に手を伸ばしてしまっただけなのですっ」
「そんな間違いがあるかっ」
決めつけはよくない。こういう先生がいるから、子供達は大人の無理解に苦しむのだ。
私は慌てて誤解を正そうとした。
「そうね。アレルちゃん、お菓子食べてると本当に幸せそうな顔になるわね。だけどね、ガルディ。アレルちゃんはまだ子供なのよ。そこまで怒らなくてもいいんじゃないかしら」
「あんな悪知恵を働かせておいて、子供と言い張るものでもないでしょう。聞いてください。このアホ娘、勝手に婚約したんですよ。それも親の了解も得ずに」
「親の了解を得ない婚約だなんて、それは不可能じゃないかしら。届け出を出さない口約束なら可能でしょうけれど、それは婚約と認められないもの。つまりボーイフレンドと結婚を約束しちゃったのね。休暇中、そんな情熱的な恋人ができちゃったの、アレルちゃん?」
未成年同士の婚約となれば、届け出も親の承諾が必要だ。
だが、それはサルートス国内のことに限られる。
「ち、違います、レイディッ。あれは無駄なお金を払う必要はないという庶民の知恵っ。無駄な出費をなくす為の節約術なのですっ」
「まあ。アレルちゃんったら節約で婚約するの?」
「違いますよ。こいつがやろうとしているのは密輸です」
「何てことを言うのですかっ。密輸じゃありませんっ。あれは限られたお小遣いの中でより良い物を手に入れるという、賢いお買い物術なのですっ」
「お前は1ナン硬貨すら出してないだろっ」
(※)
1ナン=1円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として1.5円
(※)
勝手にやってきたフォリ中尉は、勝手に椅子を引き出して、勝手に同席した。
勧めてないのに。いなくてもいいのに。出てってくれていいのに。
「全くお前のおかげでこっちがてんやわんやして、しかも学校が始まればおとなしく生徒をしているだろうと思いきや、男子生徒に鼻血噴かせてるってのは何なんだっ」
「ちょっと待ってくださいっ。私、そんな男子生徒の顔面を殴るだなんて乱暴なことしてませんよっ!? 確実な冤罪ですっ」
貴婦人(推定王妃様)の前でなんてことを言うのだっ。ウェスギニー子爵家の娘が乱暴者だと思われたらどうしてくれるっ。
「お前が冤罪を語る資格はとっくにないっ」
「横暴ですっ」
私は敢然と巨悪に立ち向かった。
「じゃあ、寮生達にどんな過激な本を渡したかを思い出せっ」
「ぐっ。そ、それはっ、私が渡したわけじゃありませんっ」
「お前こそが諸悪の根源だっ」
なんということだろう。この国で一番尊い女性であろう方の前で、私をいじめるとは。
だけどここは戦略的撤退をしておこう。これ以上やったら取り返しがつかない悪評を貴婦人の記憶に残してしまう。
「あ、そうそう。フォリ先生。朝のお茶でもいかがでしょう。ほほほ、叫んだら咽喉が渇いちゃいますよね」
それでもフォリ中尉は大公の息子。偉い人だ。というわけで、私は心にしくしくと涙の雨を降らせながら、彼のお茶を用意することにした。
女官の人達はまだ人払いされたままなのだ。
招いてもいない客であっても、身分としてはフォリ中尉の方がはるかに私よりも上である。私もカートからティーカップを選び、茶菓子を盛り合わせて出すわけだが、そうなるとやはり青いティーカップだろうか。白のティーカップは違うだろう。
(ひどい。そりゃ1ナン硬貨も出す気ないけど。だって今の優斗の方がお金持ちなんだからしょうがないじゃない)
たしかに鐚一文払わないでゲットだろうと言われれば返す言葉もないが、それで素敵な遊泳グッズを手に入れられる彼が文句を言う筋合いだろうか。ウミヘビと呼ばれる改良版は遊びだけじゃなく、漁や水難救助、そして兵器としても使える凄い物らしいのに。
「それでも婚約というのは本当なのね? 節約で密輸な婚約というのがよく分からないけれど、まさかアレルちゃんが婚約・・・。どうしてそんなことになってしまったの。だってどなたもそんなことできる筈が・・・」
いい人だ。貴婦人(推定王妃様)ってばいい人すぎる。可愛い私が無理矢理婚約を迫られたのではないかと心配してくれているんだね。
まあ、その通りだ。その通りなんだけど。
あの子のことは深く考えるまい。理解しようとして理解できなかった過去が、私に忘却を勧めてくる。
私がいなくても普通に暮らしてきた優斗だ。三年後にはあっさりと解消してくれるだろう。ちゃんと解消届もサインしておいたし。
そうじゃない未来を考えても疲れるだけだと、私は知っている。
「外国人とやらかしたからですよ。サルートス人ならともかく、外国人じゃどうしようもない。全くこのアホ娘、何てことしてくれるんだか」
「ひどいです、フォリ先生。それにちゃんと三年で解消されるんですよ? 婚約と言っても、相手とは海を隔てているから、その間に一度遊びに行ったら、後はもう解消です。どうせ結婚できる年齢になる前に終わる話なんだからいいじゃないですか。しかもサルートス国で届け出は出さないから、生活に何の支障もきたしません。私はとても賢い選択をしたのです」
こんな奴には青いティーカップではなく緑のティーカップにしてやる、いいや赤でいいと、私はあえて今日の日にはふさわしくないティーカップにしておいた。
じろりと睨みつけてくるとは、何て大人げない寮監なのだ。
「いい根性だな、アレナフィル嬢。ならばどうしてお前の父親と叔父が忙しいことになってるか教えてやろうか? お前の外国人婚約者、
『サルートス国でも婚約届の受理をしてくれたら、大臣との話し合いができなかった製品、前向きに考えてあげてもいいですよ』
とやらかしてきたそうだ。今、お前の叔父は大臣を相手に立ち向かい、
『それなら大臣のお嬢様があの外国人に気に入られればいいことでは? うちの姪が可愛いからといって人身売買をされては困ります』
とまで言い放って、喧嘩を売った。・・・なんでお前っ、あんなとんでもない奴と婚約したっ」
「だってっ、だってサルートス国で届け出はしないでいいって、ユウト言ってましたよっ!?」
次から次へと私をいじめる情報を出してくるフォリ中尉は、余程むかむかしていたらしい。だけど何の苦労もしてないくせに文句を言うのはどうかと思う。そもそも無関係じゃないのか、この人?
そんなフォリ中尉情報によると、
「どんな製品か知りませんが、それの売買や導入に関する交渉を行うのは経済や行政に関する大人の仕事でしょう。それを、未成年の女の子を利用して話を進める? 我がウェスギニー家は可愛い娘を売り払う気はありませんよ」
と、叔父は強気に出ることで私を庇ったらしい。
ファレンディア国での婚約書類に関しても、
「よその国の公的書類などサルートス国の民では見ることもできない筈です。そんな一方的な話を考慮しようとも思いませんね」
と、突っぱねたらしい。
ああ、ジェス兄様。やっぱり好き。父も好きだけど、結婚するなら断然あなた。
(大臣を相手にって・・・。ジェス兄様、きっとうちの仕事に影響するって分かってても守ってくれたんだよね? なんてもう最高にいい男なのっ)
父はいつも私の心をときめかせるけれど、叔父はその揺らぎのない強さと愛でもって私を包んでくれる。だから結婚するなら叔父が理想だ。
見習え、かつての弟よ。これが大人の男が持つべき愛だ。
「お前にはそう言っておいて油断させて、大切なことは大人同士で決めるって奴だろうがっ。誘拐までした男を信じるアホはお前ぐらいだっ」
「アホって何回言うんですかっ。私悪くないのにっ」
「お前が全て悪いっ」
言いきられた私を、貴婦人(推定王妃様)はもう庇ってくれなかった。
悲しい・・・。
(犯罪行為は加害者が悪いのであって、被害者は悪くない筈なのに。成人男性が未成年を誘拐して、未成年が悪いとかアホとか言われること自体が間違っているのに)
とりあえず優斗にはそういうことをしないようにと国際高速通信をかけなくては。だけど私に直接の連絡を取り始められても困るから、公衆有料装置からかけよう。
だって毎日、
「声が聞きたかったから」
なんて、我が家に通話を入れられても困る。
今日はどこに行くの? 誰と行くの? そいつとどんな関係? なんて質問、毎朝繰り返されて、毎晩確認入れられてみなよ。
あの頃はもう毎日のことだから気にしなかったけれど、今にして思えば異常だよ。もう病むよ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
サルートス国で婚約の届け出を出してもらいたくないのであれば、毎月ちゃんと愛情あふれるお手紙を書いてくるようにと、優斗から要求された。
【愛情あふれる手紙って・・・】
〖だって私は毎朝のおはようのキスもできないし、おやすみのキスもできないんだよ? 一緒におしゃべりすることも、同じお茶を飲みながら買ってきたお菓子をつまむことも。代わりのものって必要だと思わない?〗
【もう大人なんだから一人の時間を楽しめるようにならなきゃ駄目、優斗。いいかげん、お姉ちゃん離れしなきゃ】
〖うん。姉離れする前に捨てられたけど〗
【・・・・・・】
今の自分の年齢をよく思い返してほしい、弟よ。
絶句した私に、言われた通りに生活も見直しているのにだとか、一人きりの暗い家に帰るのが辛いとか、結局は誰も自分を愛してくれないんだねとか、うだうだと言ってきた弟はとても粘着質だ。
いつも一緒にいることができるアレンルードはいいよねとか言われ、心優しい私は弟の要求を呑むしかなかった。
愛情あふれるお手紙って何なのだ? お札や硬貨の絵でも描いておけばいいのか?
暫定的な仮の婚約者の横暴が甚だしすぎる。




