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28 分かり合うって大変


 父フェリルドは、かつて私達に犬を飼っていいと言ったことがあった。結果として私達は飼い主としての責任を果たせないのに飼うのは犬を不幸にしてしまうことだと考えて飼わないことにしたのだが、犬の飼育本はそれなりに読んだつもりだ。

 その際、犬を多数飼う時には、先にいた犬を後からやってきた犬より先に撫でて、先に声をかけて、先にご飯を出してあげてと、いつだって優先してあげて、

「後から来た子よりもあなたが大事よ」

ということをアピールしてあげないと、先にいた犬は、

「もう僕は要らない子なの!?」

と、ショックを受けてとんでもない行動に出るらしい。

 だから私はまずアレンルードを優先した。

 グレナデンシロップ、つまりザクロのシロップは赤くてとても綺麗だ。それをグラスに少し注いでから、パフェに使った残りの果物をミックスしてジューサーにかけたものを注ぐ。とろけるような甘さのノンアルコールカクテルはアレンルードにだけの特別製だ。


「はい、ルード。これね、とっても美味しいんだよ。甘い香りも素敵でしょ」

「フィルってばさぁ、おやつの時といい、本当にあからさまだよね」


 文句あんのか。パイナップルにマンゴー、オレンジにパパイヤ、キウイにメロン、ピーチとバナナという素晴らしいフルーツの競演が皿を彩り、チョコレートソースがかけられたアイスクリームがホイップクリームと共にカスタードプディングと仲良く並んでるスペシャルなフルーツパフェなど、私しか作ってあげられなかった最高デザートというのに。


【本当にアレナフィルはアレン君がお気に入りなんだね】

【拗ねちゃ駄目。優斗、ルードはあなたのお兄ちゃんなんだよ。ほら、優斗にも赤いジンジャーエールあげる。しゅわしゅわしてるからさっぱりだよ】


 優斗を含め、私や他の人はグレナデンシロップにジンジャーエールを注ぐだけにしたけど、これだってノンアルコールなカクテル。やっぱり昼間っからお酒を飲むのはどうかと思うしね。


「あ、だけどパピーはいつもお疲れ様だから特別なの」

「ありがとう、フィル。ま、レミジェスが戻ってきたらサービスするんだね」

「・・・そーするの」


 父にはグレナデンシロップにブランデーとラム酒、それから絞ったライムでシェイクしたものを出しておいた。ご機嫌取りは甘くいきたいけれど、見た目と違って甘くないカクテルだ。

 きっと父の口に合うだろう。

 

「アレナフィルお嬢さん。俺もボスと同じのでいいんですけどね」

「まだお日様はお空にあるのですよ、ヴェインお兄さん。父は特別なのです」


 可愛い娘が婚約すると言い出してから、父はかなり考え込んでいる様子だ。三年間だけなら婚約していたところで未成年だから結婚には至らないし、何も変わらない。

 三年後ならまだ種の印も出ていないし、人知れず婚約して人知れず婚約解消するだけの話だ。

 優斗からの荷物を受け取るのに納品だと中身チェックがあるけれど、婚約者への荷物なら私物扱いになるから税金もかからないし、中身チェックもされない。

 そう言って皆を説得した私だが、やはり父の愛が気になるところである。これは浮気ではなくて、私にとっては父こそが恋人なのだと、この愛をアピールしておく必要があるだろう。

 だから父には根菜や白身魚、鶏肉の一口サイズなフリッターをおつまみでどどんっと出しておいた。ピックで突き刺して、ぱくっと食べられる。


「ん。これ、一口サイズってのが食べやすくていいな。

【ユウトさんもどうですか? サクサクしていて美味しいですよ】

てかさ、フィルちゃん。こんだけ大皿でフェリルの前に出すって何なんだ?」

「その方が仲良くなれるかなって」


 一緒に置いてあった小皿に父が幾つかフリッターを取り分けて優斗に差し出せば、優斗も受け取ってピックを突き刺す。

 暫定的に舅と娘婿的な関係になるのだろうが、二人は別に険悪そうではない。だが、言葉の問題が大きく立ちはだかっていた。

 もしかしたら父は娘が上等学校に入った途端、普通じゃないお友達ばかり作ってくるものだから、世間の女の子とはこういうものなのかと思ってしまっただけかもしれない。

 いやいや、今はアレンルードだ。

 私は鶏のビッグな骨付きもも肉をガーリックとジンジャー、そしてブラックペッパーをきかせた衣でこんがりと揚げてみた。

 まさにお皿からはみ出している大きな骨付き鶏もも肉のフライを前にした状態で、私はアレンルードに言い聞かせる。


「いい、ルード? ユウトはね、フィルと三年間だけ婚約者なの。だから三年間はルードの弟なんだよ。優しくしてあげなきゃ駄目」


 たしかご褒美を用意してから言い聞かせると、よく覚えるんだったと思う。

 だからいい子にしたらこのこんがりきつね色した鶏もも肉はあなたのものだよと、私は分かりやすくアレンルードに教えているのだ。


「すげえや、アレナフィルお嬢さん。少年の食欲を人質にして調教してやがる」

「優しくするも何も明日には帰国するというのに。フェリル、何か言ってやれよ」

「フィルはたまに人の年齢を理解しなくなるんだ」


 優斗は私の横に座ってはいるが、たまにバーレンに通訳してもらいながら父やオーバリ中尉と会話している。だけどアレンルードとは話が弾まないようだ。

 私はそこに心を痛めていた。

 今、叔父のレミジェスに頼み、ウェスギニー家の伝手(つて)で医師の診断書を作成してもらっている。要は、優斗は体調が悪化したので急遽(きゅうきょ)帰国するという流れだ。

 それならば仕方がないと、大臣も諦めるしかないだろう。

 優斗は自家用の船舶で入国したそうで、私を連れて帰りたがったが、それは無理だということも分かっていた。

 せめて今だけでも優しくしてあげたい。


「ねえ、フィル。後ろで笑い転げてるバーレンさんとかヴェインさんとか目に入ってる? しかも婚約って言っても、サルートス国では届けを出さないわけだよね。それって意味あるの?」

「ルードには分からない、とても大切な理由があるの。・・・フィル、何があろうとっ、絶対にっ、この国でユウトと婚約届なんて出さないからっ」


 サルートス国の貴族が婚約届を出さずに婚約をしたなどと認められる筈もない。だからいいのだ。サルートス国の届け出はかなり面倒である。

 まかりまちがって優斗が解消届にサインしてくれないことになったら目も当てられない。

 そう、相手は優斗だ。やる、こいつはやる。私を誰かと結婚させない為、婚約届の解消なんて認めないだろう。

 だが、私はサルートス国人。ファレンディア国でどんな届け出が出されていようとも、この国では痛くもかゆくもない。


「ねえ、フィル。それ、脱税目的の偽装婚約って言わない?」

「そっ、そんなことないよっ。脱税目的じゃないもんっ。だっ、だってフィルッ、ファレンディアに遊びに行った時、面倒なの嫌なだけだもんっ。10日間だよ? 思想調査って、悪いことしない人かどうかチェックされるんだよ? フィル、悪いことしないもん。だからそんなのしたくないだけだもんっ」


 いかん、ここで純真なアレンルードに脱税だなんてことを覚えさせてはいけないのだ。何と言ってもアレンルードは将来のウェスギニー子爵。

 脱税を当たり前だと思うようになってはいけない。

 だから私はファレンディア国に遊びに行った時にはどんな面倒なことになるかを説明した。

 お金の問題ではないのだ。分かってほしい、兄よ。君は清く正しく生きるのだ。

 だけどアレンルードは私の言葉を一蹴し、馬鹿にしたかのような顔で言ってのけた。


「別に税金ぐらい叔父上だって払ってあげるって言ってたじゃないか。フィルは目先のことしか考えてないんだよ」


 ふっ、これだからお子ちゃまは。

 そこらの税金と違うケタというものを分かっていないからそういうことを言うのだ。一般輸入品とは違う兵器の輸入となると、関税項目表に存在しない特別扱い品。

 つまり好きな割合の税金がかけられるリスクがあるのだ。その担当者がどんな立場のどんな人になるのか分からないが、厄介なことこの上ない。

 サルートス国軍が購入するならば無税かもしれないが、一般人が購入するとなれば200%、500%の関税をかけられることだって無いとは言えない。それが現実だ。


「そこまでにしなさい、ルード。たしかにお前の判断は正しい。だが、税金の問題だけではない。

 フィルが受け取ったそれをフォリ中尉達に渡すのなら個人的なやりとりで問題ないが、高額品の輸出入ということで数量をチェックされたとなれば調査が入るかもしれない。お前がユウトさんにもらった物を、身分や地位が高いだけの無能に取り上げられたくはないだろう?

 それにフィルはあまりにも無自覚だ。いざという時にお前が使える手段は多くて困らない。既にフィルが持っている二つは粗悪品ということだったが、それでも一つ50ローレ (※) で買う奴は買うだろう。フィルはそれを1ローレどころか、ほとんど無料で手に入れてきたそうだが」

「ええっ、50ローレ!? それならフィル、売っちゃうかもっ」


 どうしよう。そんなに高く売れるだなんて。二つあるから100ローレ? いやん、素敵すぎる。


(※)

1ローレ=1万円

50ローレ=50万円

100ローレ=100万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として1ローレ=1万5千円、50ローレ=75万円、100ローレ=150万円

(※)



「漁師や水軍なら、50ローレなら即座に買うさ。もっと高く吹っ掛けてもいい。だけどね、フィル。お前は誰に売りたいんだ?」

「できればフィル、あれは救助用に使ってほしいかな。漁師さんもあると便利だと思うけど、持ってない人に比べてあまりにも差がつきすぎちゃう」


 船の上から釣り糸を垂らす必要などないのだ。しかも水中を自由自在に動ける。問題は酸素供給ぐらいだけど、それはどうにでもなる。

 大きな海老とか大きな魚とか、そういうものを一人だけがバカスカ獲れるとなったら、誰だっていい気はしないだろう。


「そうだね。どうせ救助用に買い上げてもらっても、すぐに盗まれる。ああいうものは数多く流通してからのことだ」

「そっかも。やっぱりお金にならなくても、フィル、学校でお友達と使う」

「そうしなさい」


 お金は大事だ。だけど貴重なグッズを変なことに使う人に盗まれたら終わりだとも思う。

 みんなが多く持っているグッズなら犯罪者がああいうものを使ったところで追跡もたやすいけれど、そうでないなら犯罪者に逃げられてしまうだけ。

 そんなリスクがあるものを市中に放つべきではない。


「父上はフィルに甘すぎると思います」

「ああっ、ルードが取ったっ」


 アレンルードは私の前にあった骨付きもも肉のフライを手で掴みあげると、がぶっと嚙みちぎった。

 私の見ていないところで喧嘩しないよう、優斗と仲良くすると約束するまでは食べさせないつもりだったのに。


「うっさいなぁ。冷えたらまずくなるじゃないか。それにフィル、僕の手下なんだからもう僕から離れなきゃいいんだよ」


 しかも皿をオーバリ中尉に回して、二人してあーんと大きくかぶりつく。

 ひどすぎる。アレンルードはどこまでも私の気持ちを理解しない。かつての弟もそうだったけど、現在の兄もどうして私が誰かと仲良くさせようとしたら反発するの。


「フィル、手下じゃないもん」

「いいんだよ。全くどこに行っても男ばっかり引っ掛けてくるんだから」


 それは冤罪だ。だって優斗は弟だし。


【ルード、反抗期かも。優斗は素直に育ってね】

【よく分かんないけど、多分、彼の気持ちは分かる。アレナフィルは自分で思っている程、しっかりしてないからね。周囲だけが振り回されるんだ】

【こっちも反抗期っ!?】


 男の子って生意気なところが可愛いけど、たまにちょっとひどい。

 



― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 優斗が乗ってきた船は個人の所有とか言っていたけど、センターの持ち物だった。

そりゃそうだよね。個人所有ということにしておいた方が、旅客船と違って法的な制約が緩いらしくて、外国に行く時はオーナーを個人で登録してから出航させるのだとか。

 見学させてもらったところ、居住性もよさそうだった。

 降るように浴びせられた商談嫌さに逃げ帰ったという本当のトオルさんは、きっと辛い復路だったことだろう。普通の船はここまで居住性がよくないそうだ。

 

【ファレンディアに来る時には連絡をくれれば迎えに来るよ。この船は高速性能がついているからね。荒天も気にしないで動ける】


 つまり潜水機能がついてるってことだ。そうなると旅客船より到着所用日数が短縮される。

 しかも通常の旅客船と違って貸し切り状態。プライバシー完備。その気になれば違う国にも寄り道できる。

 どうしよう。旅客船よりこっちの船の方がいいかも。


「なあ、フィルちゃん。これ、もしかして凄い船じゃないのか? 30人乗りっていうけど、ぎゅうぎゅう詰めにしたらもっと乗るよな。これを一人か二人が移動する為に使ったって何なんだよ」

「どうなのかなぁ。だけど個人に貸し出してくれるなら、たまには使わないと駄目ってことじゃないの? それに一人か二人しか客がいないなら、乗組員さんも客室でゆっくり休めただろうし」


 バーレンは複層となった分厚い窓や、全ての扉が二重となっていることにも驚いていたが、私にはよく分からない。外洋に出る以上は、それぐらいじゃないと危ないと思う。

 何よりこういう船は商談などにも使われる。安全性が確保されていないとみんなが困る。

 サルートスの船ってどんな感じなんだろう? 機会があったら乗ってみよう。


(センターのだからそりゃ凄い船だとは思うけど仕方ないよね。運ぶ物が超高額品なんだし)


 動力部などは極秘ということで見せてもらえなかったけれど、それは仕方なかった。父や叔父、そしてアレンルードはこの国の貴族だ。

 オーバリ中尉に至ってはサルートス軍の士官だ。見せられるわけがない。

 全ての椅子やテーブル、棚は固定されていたけど、どれも使いやすそうだと感じる。豪華タイプじゃなかったけど、優斗に言わせればシャンデリアや高級家具、高級な食器やグラスを揃えている船はあくまで商談相手をいい気分にさせる為のものであって自分の移動用じゃないらしい。

 そりゃそうだ。

 海水を真水にするシステムもあって、水耕栽培である程度の野菜も作ることができると優斗に囁かれたが、そこは見せてもらえなかった。うん、世界一周旅行に出かけるには早すぎる。

 それにオーバリ中尉、この船の性能知ったら欲しい欲しいってごねそうだし。

 

「フィル。何を握っているんだ?」

「あ、お父様。ほら、見て。この天井から垂れてる紐をにぎにぎすると、足元が光って動くの。光ってるのを踏んだらダンシング」


 本当はあちこち見せたい優斗の気持ちが分かっていたから、気にしなくていいんだよって気持ちで廊下にある遊具を使って遊んでいたら、父には子供の玩具にしか思えなかったようだ。運動不足解消を自分のペースでできるエクササイズグッズなのに。

父の後ろにいる叔父なんて口元を手で押さえているけど、めっちゃ笑い出したいって顔だよね。

 華麗な私のステップに感動したなら遠慮なく褒めてくれていいのに。


「ダンスっつーか、アレナフィルお嬢さん、そうしてるとタコが踊ってるみてえ。けどそれってよく下見ねえで光ってるとこ分かるな」

「ちゃんと目の前に映って見えるんだよ。そんならヴェインお兄さんもやってみなよ」

「やるやる。・・・お、すげえ。この手の動きで速くも遅くもなんのか。うわ、すげえ」


 すぐにスピードアップしていくものだから、めっちゃテクニカルダンス。


「ほらぁっ。ヴェインさんだってタコ踊りだよっ」

「・・・お前達、実は同じ精神年齢だろう」


 誰がタコ踊りだと思ったけど、オーバリ中尉を見てたらまさにタコ踊りだった。

・・・深くは考えるまい。

 だけど船旅で運動不足にならないよう、こういう全身を使う運動するのって大事なんだよ。その気になれば音楽も合わせて流してもらえる。

 ランニングマシーンもあるけど、こういう全身を使う方がいいよね。


【けっこう過ごしやすそうでしょう? 何ならこのまま一緒にファレンディアまで行ってしまおうか、アレナフィル? 君になら動力部と言わず、船の全てを見せてもいいよ。勿論、私もね。二人きりでお互いに全てをさらけ出してみようか】


 腰をかがめて人の耳元で変なことを言い出す誘拐犯がいたが、私はくるっと父を振り返った。

 かつての弟はその気になったら全ての倫理観をとっぱらって未成年に手を出すこともためらわないだろう。

 見ちゃいけないものを見て、後戻り不可なかつての弟の闇に取っ捕まったら終わりだ。私の人生、悲劇のヒロインだ。

 冗談じゃない。

 清く正しく美しく、定時で終わる日向ぼっこ役人生活が私を待っているの。


「さあ、お父様っ、ジェス兄様っ。そろそろ下船しましょうっ。そしておうちに帰らなくっちゃっ。だって私、おうちが大好きっ。じゃあねっ、ユウトさんっ。気をつけて帰ってねっ」

「フィル。ルードも忘れず持って帰りなさい」

「どうしてそれで婚約しようと思ったのかな、フィル。兄上なんて理解を放棄していたよ」

「フィルちゃん。男心は利用するもんだと思ってるだろう」


 何と言われようと私は自由に生きたい。

 ぱたぱたと慌てて船を下りれば、桟橋が私を喜んで出迎える。

 可愛いフィルちゃんにはサルートス国がお似合いよって、桟橋だって言ってる。うん、その通りだ。


「アレナフィルお嬢さんってば一人で駆け出してかないでくださいよ。何かあったら俺がボスに殺されます」

「ちゃんと足元は見てましたよ? 転んだりなんかしませんよ?」


この後は出航手続きがあるそうで、父達と別れの挨拶をしたユウトは船の上から桟橋に立つ私を見下ろしていた。

 淡い金髪が風に吹かれて、淡緑色の瞳を隠していく。


(本当にあれから時間が経ってたんだね。あの頃は私にしがみつくばかりの少年だったのに)


 こうして見守っているのは私だった。こんな風に立場が逆転する日が来るだなんて、考えることさえなかった。


「行かないの、フィル? もう出航するよ。ここにいたら邪魔だよ」

「うん」


 他にも船が係留しているので、あまり固まっているとみんなに迷惑だ。アレンルードに促されても、私は動けなかった。

 人生なんて何が起こるか分からない。次に会える保障なんてどこにもない。

 だから優斗は私に腕輪を渡したのだ。何か起きた時、少しでも生き延びる確率を上げさせる為に。


「移動車を回してこよう。フィル、気が済んだら来なさい。ヴェインはあっちでいてくれ」

「はい、ボス」


 父がそんな言葉をかけて皆と先に行ってしまう。私一人だけならばそこまで通行の邪魔にはならない。

 船の甲板から、優斗が微笑んだ。


【バカだね、アレナフィル。私から逃げ出しても、いつも私を見ている。君の持ち物の中に、私の学生姿のフォトが沢山あったよ】

【人の持ち物を見るの、プライバシー侵害】


 憎くて離れたわけではない。それを言いたくても言えなかった私は、いつだって遠くから見つめることしかできなかった。

 恨まれても憎まれても、私にとっては大切な決断だった。だって、たった一人の弟だったから。


【あれは誰が撮ったの? 来てたわけないよね。それなら私だって気づいた】

【坊やはこれだから困る。秘密のない女は咲かない薔薇と一緒。何の魅力もない】


 あなたには分からない。私がどんなに愛していたかなど。

 母と違って(したた)かな彼女を憎みながら、それでも優斗を憎むことはできなかった。

 くすっと苦笑するその顔はもう少年のものではないけれど。それでも私の心には今もあの少年が生き続けている。

 

【どうして泣くの?】

【潮風がきついからに決まってるでしょ】


 ごしごしと腕で瞼を擦っていると、船から降りてきた彼が私の頭に自分の片手を置いた。人の目から私を隠すかのように。


【泣かないで、アレナフィル。また会える。そうでしょう?】

【ちゃ、ちゃんと、ご飯食べなきゃ駄目なんだからね】

【うん。食べるよ】


 私に言い聞かせてくる優しい声は、この子が何かを背負うことを決意していた時を思い出させる。

 そんなことはないと信じながら、私の心配はいつだって届かない。誰よりも幸せに育ててあげたかったのに。


【お肉が食べたくないなら、豆とかお魚、食べるの。ちゃんと味付けをすれば、食べやすいんだよ。よく噛まなきゃ駄目なんだよ】

【ああ。小さくなっても偉そうなんだから本当に】


 ぎゅうっと抱きしめられたら、もう私よりも大きい体で、それが悲しい。

 寂しがりやなこの子をいつだって抱きしめてあげていたのに。なんで私は子供なんだろう。


【行って、アレナフィル。ここにいられたら連れて帰りたくなる。だけど君はまだ子供だからね】

【・・・大人でも子供でも関係なく断る】

【今はそういうことにしておくよ】


 どこか苦しさの滲む声は、優斗もまた耐えているのだと私に教えた。

 昔は私がよくやっていたように頭にキスを落とされて、オーバリ中尉がいる埠頭(ふとう)へと向かされる。


【またね、アレナフィル。いつでも私は待ってる】

【いい人がいたらちゃんと幸せになんなさいよ】


 恐らくオーバリ中尉は私に何かあった時の為に残ったのだろう。桟橋から落っこちる人は多いのだ。

 本当は何か渡したかったけれど、今の私はアレナフィルだ。優斗が気に入っていた私のペンも、お揃いのブローチもある筈がない。


(結局、人と人の間には心しかないのかもしれない。見えないそれを、見えないがゆえに翻弄されて、私達は信じたり疑ったりして揺れるしかできないのかもしれない)


 私は埠頭へと歩き出した。

本当は振り返りたかったけれど、それをしたら手放せない気がした。

 そんな私に背後から声がかけられる。


【アレナフィル。私は君に言わなかったことがある。だけどそれを、いつかやって来た君は知ることだろう。待ってるよ、私はずっと】


 振り返ればもう彼はタラップを上がっていて、他の船が邪魔でその姿が見えなくなりかけていた。


【優斗っ!? 言わなかったって何をっ?】

【待ってる、アレナフィル。君が来るのを】


 軽く手を振って船室へと入っていく彼を引き留めても意味はなかっただろう。だけど優斗は私に嘘など言わない。いや、嘘は言うけど、それは自分の独占欲絡みだ。私に渡す情報において私が困るような隠し事はしない。

 それなら今言う必要はないということだ。それでも大事なことだから全く言わないわけにはいかなかったということだ。


(私が死んだ後、何かあったってこと? そういえばどうして優斗はわざわざ私の姓に変えたんだろう。私への執着? だけど遠い親戚とかいう他人との養子縁組までする必要なんてあったの?)


 私はてくてくと桟橋を歩いて埠頭へと飛び移った。

 考えても分からないことを考えても仕方がない。それはファレンディア国に戻ってから考えよう。


「すげえな、アレナフィルお嬢さん。あんだけ揺れてる桟橋で全くバランス崩さねえとは。こんでも海に飛び込んで助ける用意してたんすけどね」

「みんなもそうでしたよね?」

「いやあ、あの先生はよくよろけてましたけどね。さ、ボスが移動車を回してくれてます。高速専用道路使うから、すぐおうちだ」

「父の運転は久しぶりかも」

「いや、こっからの運転は俺っすけどね」


 ウェスギニー家の中型移動車だったから、ゆったりと座れる車内だ。私の充血している目についてみんな何も言わないでくれたから、私は父にぴとっと抱きついていた。

 ゆっくりと私の髪を撫でてくれる手が優しい。


「あとの休暇は祖父母孝行してあげなさい、フィル。父上も寂しがってたそうだよ」

「うん、パピー」


 私は分かっていなかった。

 単に父は、祖父母に私の婚約をどう話すべきか迷い、面倒だから私に説明させようとしたのだと。

 親に何の相談もせず平民と駆け落ち結婚した父は、一度は激怒した祖父に勘当されたダメダメ息子だったらしい。祖父母はアレンルードの結婚にしてもかなり過敏になっている。

 そんな祖父母に、今度は娘が親に何の相談もせずに婚約を決めたと父は言いたくなかったのだろう。二代に渡って、親の了承を取らずに結婚を決めたなんて祖父がどれ程に怒り狂うことかと。

 はい、全ては父にも叔父にもちゃんと相談してない私が悪かったです。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―





 ウェスギニー子爵邸に行けば、ご飯を食べてバタンキューだ。叔父の寝室でアレンルードと一緒に眠った。

 問題は次の日だった。


「フィル。どうせなら白百合のリビングルームに行きなよ。あそこなら風も気持ちいいし。お祖父(じい)様とお祖母(ばあ)様、本当にフィルが先生達に囲まれて緊張してるんじゃないか、失礼なことしてないかって心配してたんだよ」


 そんなアレンルードの言葉に促されて白百合のリビングルームに行った私は、祖父母と三人きりの状況で青ざめるしかなかった。

 どこで何をしたとか、こんなことがあったとか、土産話をしようとすれば私だって気づく。

 優斗と三年間の契約婚約したことを話さないわけにはいかないことに。

 

(まさかパピーもジェス兄様も、そしてルードばかりか、レンさんまで何も言わないで放置とは・・・!)


 いや、いきなり呼びつけられて「どういうことか説明しなさいっ」よりはマシだったのかもしれない。

 これもみんなの優しさなのかもしれない。

 だけど祖父母の相手を私一人に任せて、父のフェリルドはバーレンや叔父のレミジェスと何やら楽しそうに外の四阿(あずまや)でお喋りしているのが遠くに見えてるし、兄のアレンルードはオーバリ中尉と戦闘時での疑問点について体を動かしがてら教えてもらいに行っている。

 まさに「お前のしたことなんだからお前が説明しなさい」だった。

 どこにも助けてくれる人がいない・・・!


「まあ、それで税関でお仕事したの? 怖くなかった? ああいう所は荒っぽい人が多いのでしょう?」

「大丈夫だったの、お祖母(ばあ)ちゃま。だってフィル、とってもお役立ちで、翻訳とかもしたの。レン兄様にね、ファレンディア語、教わってたから、とっても重宝されたんだよ」


 貿易都市サンリラは外国からの船も多く到着する。荒っぽい船乗りが多いことから、祖母は税関もまた怒号が飛び交っていただろうにと眉根を寄せた。

 書類関係のバイトをしていた私は特に怖いこともなかったけど、たしかにバーレンは疲れきっていたかもしれない。

 そういうところには近寄らなかったと、私もまずは明るく話してみた。

 可愛い孫娘が頑張ったと祖父母が褒めてあげられる範囲はどれくらいだろう。ファレンディア国にある税関ともやりあっただなんて知られない方がいい。それは確実だ。


(あれでパピーはとてもいい加減なところがある。聞かれない限り言わない筈だ。それに気づいたらいなくなっているパピーにお祖父(じい)ちゃまはもう期待してない)


 つまり父からあのことがばれることはない。ならば隠し通せばどうにかなる。

 だって可愛いフィルちゃん、あくまでこわがりでおうちから出ないおとなしい子なのである。よそで元気にやらかしている筈がない。

そう、今こそ私はウェスギニー子爵家に舞い降りたトップ女優となるのだ。


「おや、そうだったのか。クラセン殿には外国語も教わっていたのだな」

「うん。ファレンディア語だけだけど。そしたらね、レン兄様、他の国の言葉もできるから、みんなから()()(だこ)だった」

「まあ、さすがね。さすがは講師をなさってるだけはあるわ」


 噂のバーレンは、父や叔父と一緒に外の四阿(あずまや)に逃げている。私達は支え合い、協力し合うパートナーではなかったのか。盟友があまりにも薄情すぎた。

 婚約したと言っても、バーレンは優斗が私の弟だと知っているから、

「今は他人だからなあ。無難に婚約者ってのが、今は関係を維持できる手段だよな。こんだけ年の差があって、ただのお友達ってのは無理がある」

と、理解を示した。

 そうでもなければ成人した男の外国人が未成年の貴族令嬢に親しく連絡を取り合えるわけがないと、バーレンだからこそ理解している。彼は習得専門学校で学生達が変な思想や薬物に汚染されないように気を配っている立場の人間だからだ。

 そんなバーレンも、一度は駆け落ちした長男を勘当した祖父を納得させる話術は持たないのだろう。そして私を見捨てて逃亡したのである。儚い同盟だ。

 父は私が情緒不安定だったことを知っているから、それで落ち着くなら仕方がないかと思っているようだ。

 叔父は、どうしてあそこまで嫌がっていたのにいきなり態度を豹変させたのかと困惑していたが、ウミヘビの機能と価値を聞いて、今しばらく沈黙しておくことにしたらしい。

 軍に所属していたこともあり、今は領地経営に携わり、貴族としての社交も代理でこなしている叔父は様々な角度からその価値を推し量ろうとしていた。

 一つはフォリ中尉に貸し出したままだが、もう一つは持ち帰ってきているので、その性能の劣る遊泳グッズをアレンルードはオーバリ中尉に教わるつもりで持ち出している。

 叔父と同じく、やはりあちらの価値から話を持っていくしかあるまいと、私はお喋りしながら必死で脳内シミュレーションを巡らせた。

 

「そ、それでね、お祖父(じい)ちゃま、お祖母(ばあ)ちゃま。説明書をなくして倉庫に転がっていたガラクタをもらったの」

「ガラクタ? まあ、フィル。何でもかんでも拾ってくるものじゃありませんよ」

「そうなんだけどお祖母(ばあ)ちゃま。それね、内側に使い方が彫られていたの。だからね、みんなで試してみたんだよ。それね、泳げない人でも泳げる道具だったの」


 すると祖父のセブリカミオが、興味深げに頷く。私の遊び道具かと思ったようで、その表情はとても優しい。

 水泳なら教えてあげようとまで言い出した。

 いえ、お祖父(じい)様。私、ちゃんと泳げるのです。


「泳げなくても泳げる道具とは、水に浮く、つまり浮き板だったのか?」

「そうじゃないの。あのね、推進とかもやってくれるの。それってね、レバーで押した方向に進むし、水中も進むことができるっていうんでね、フォリ先生とか、水流の激しいところでもどこまで進めるのか、テストしてた。海流の激しい所でも移動できるからって」

「それはガラクタとは言わんだろう、フィル。まさか爆発したりしないだろうな」


 ガラクタという言葉から粗悪品を連想したのか。

激流に負けないということはどれだけのエネルギーを放出するのかと、祖父は安全性が確立されていないものに近づくべきではないと、目を(けわ)しくした。


「大丈夫、お祖父(じい)ちゃま。それね、動力は燃料がいらないの。だからみんなが興味持っちゃって、フィル、二つもらってきたのに、一つはフォリ中尉が借りてったの。一つは持って帰ってきて、ヴェインお兄さんがルードに教えるみたい」

「ほう。彼であれば安心だな」


 私に対してはざっくばらんで礼儀知らずなオーバリ中尉だが、このウェスギニー子爵邸で滞在している間、フットワークも軽く色々な作業を手伝ってくれていたらしい。使用人達からは大人気だ。

 その口調に目をつぶれば面白おかしく色々な話をしてくれるので、祖父母も気に入っていた。父の話もちょくちょくと出てくる上、自分達では知らない世界の話だからだ。

 細かいことまでは話せなくても、父がどういう状況でどういう判断を下し、結果としてどうなったかを聞けば、祖父も大体どのことか見当をつけられるのだとか。

 そして祖父から、それらが国としてはどういうことになるのかを教えられたりして、オーバリ中尉も現地で戦うだけでは分からなかったことを理解するらしい。

 おかげで一緒に戻ってきても、笑顔で迎えられていた。

 あれ? なんでここのお嬢様である私より、赤の他人であるオーバリ中尉が馴染んでいるの?


「ヴェインお兄さん、水深もどこまでいけるか、かなり試してたもん。パピーはね、あれね、売れば安くて一つ50ローレ (※) はいくだろうって言ってた」

「まあ、50ローレ?」



(※)

50ローレ=50万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として75万円

(※)



 祖母は50ローレの値段がつくものがどうしてガラクタ扱いだったのかといった表情だが、違う会社でその稼働装置を見つけてきたとも言えない。あちこちに出入りしていただなんて聞いたら、どんな反応されることか。

 良家の子供がバイトというのは、かなり切実な台所事情があると思われる事態だからだ。

 そこは「旅の恥は搔き捨て」で行ったけれど、何でもやらせてくれる父と違い、祖父は貴族としての誇りを忘れていない人だ。

 税関事務所という公的な機関で将来の為に学んできたと思っているから、子供のちょっとした冒険的な研修だと思っている。


「そうなの。だけどね、あれね、フィルは面白く遊べるって思ったけど、パピー達はあれ、犯罪とかに利用できるって思ってたみたい。フィルね、本当は水難救助に使ってほしかったけど、あれ見たら盗まれて犯罪に使われるだけって言われたの。だからね、もうあれは学校に持ってって、みんなで遊ぶつもりなの」

「学校に? ルードとフィルが使うのではないのか?」


 ううっ、言われると思った。

 だけどクラブメンバーも好奇心旺盛だし、見たら試してみたがると思うんだよね。さすがに優斗からもらえる方は学校に持っていったらダメな奴だ。

 凶器、いや、兵器を学校に持ち込むわけにはいかない。


「そ、それがね、あれはもう古い型で、今はもっと改良されたのがあるみたいなの。それでね、フィルね、亡くなったリーナマミーの日記見つけて、マミーのお友達だったファレンディアの女の人に、マミーのこと教えてほしいってお手紙書いたんだけど、その女の人の弟さん、お仕事の関係でサンリラに来てて、フィルにお姉さんからのお手紙渡してくれたの」

「リンデリーナ殿の友達? ファレンディアに友達がいたのか?」

「そ、そうみたい。日記に書かれてたの。パピーは、結婚する前のことはよく知らないって」

「む。まあ、そうだな。いくら妻でも独身時代のことはよく知らぬものだ、誰しも」


 よかった。祖父は納得してくれたようだ。

 祖母は無言だが、疑っているというのではなく、単に聞いているだけらしい。そりゃ別居していた息子の妻のことなんてよく知らないよね。同居していたならともかく。


「でね、マミーのお友達だった女の人の弟さん、今ね、28才なんだって。フィルにお手紙渡してくれてね、そしたらみんながご飯食べながら、どんなお仕事してるかとか、この国にはどんな用事で来たのかとか、質問攻めにしたら、なんかその人、体の義肢とか義眼とか、そういうのを作る仕事をしていたみたいなの」

「つまり欠損した部位に合わせて作成するわけか。手先が器用なのだな」

「そうなのかも。だけど次の日、その人の泊まってたホテルに商談が沢山来ちゃって、だけど精密なお仕事で、サルートスの工場じゃいい加減すぎて指導しても無理とか言って、一緒に来てた一人はさっさと帰国しちゃったんだって」


 さすがに祖父も呆れたような顔になる。

 何しに来たのだと、そんな言葉が表情に浮かんでいた。


「それでは商談にならんだろう」

「うーん。なんかね、歩けない人が歩けるようになるような、そんな便利な製品も作ってたらしいの。それね、少しなら作って輸出してあげてもいいけど、あくまで少しって感じだったらしいの。

 だけど大臣様がそれ聞いて、何なら国として大量発注してあげるからって乗り出したんだって。

 だけどね、ファレンディアではそこまで大量に作れないから大量発注は迷惑だし、サルートスで工場作ってもまともに作れるとは思えないって、お断り気分だったんだって。多分、他にもっとお金になる製品があるんだと思う」

「ほう。だが、よくそこまで聞いてしまったものだな。よほど信頼しておらねばそこまでは話さぬだろう」

「う、・・・うん」


 外国人がサルートス国にある工場を見学したとして、その感想や判定をサルートス国人にはっきり言う筈もない。やはり一緒にいたバーレンやフォリ中尉に対する好意的なものがあったのかと、祖父は興味深げな顔になった。

 どうしたらいいのやらである。

 すみません、お祖父(じい)様。聞き出したのは私です。


「あ、あのね、お祖父(じい)ちゃま。その人ね、ファレンディアに、マミーのお友達だったお姉さんの所へ遊びに来るなら遠慮なくどうぞって言ってくれたの。だけどファレンディアって外国人には厳しくて、外国人が到着したら10日間隔離されて、思想とか身元とか、変な人じゃないかをチェックされるんだって」

「ああ、ファレンディアは小さいながらも軍事国家だからな。だが、あちこちの国に武器を売ってもいる。外国のスパイは受け入れんということか」


 なんてことだ。祖父の方が当たり前にその事実を受け入れている。

 だけどちょっと待って。10日間の隔離だよ? おかしいよね? そこまでするかって普通は言うんじゃないの?

 何故かつてはファレンディア人だった私が知らなかったことを知っているのですか、お祖父(じい)様。


「そうなの? だけどね、たとえばファレンディア人と婚約とか結婚とかしていたら準ファレンディア人ってことになって隔離されないし、ちゃんと公共交通機関も使えるみたいなの。そうじゃなければ観光客は決められた地域しか行けないんだって」


 そこで祖父母の表情が固まった。私がどこに話を持って行こうとしているのか、薄々だが気づいたのだろう。

 なんだか睨みつけられているような気がしてならない。なんか怒られるような気がしてならない。なんか危機を迎えている気がしてならない。


「えっとね、だからね、私、そのマミーのお友達の弟さんと、三年間だけ婚約することにしたの。そうしたら準ファレンディア人ってことになって、一緒に同行した人も隔離されないし、何よりファレンディアから送ってもらった物にも税金がかからないからっ」


 がんっと、祖父がテーブルを叩いた。がちゃんっとティーカップが揺れる。

 祖父は椅子をガタンっと荒々しく後ろに倒して立ち上がった。


「税金も何も、そんなものがかけられるもののやり取りなどなかろう。・・・フィルよ、どうしてそういうことになるのだ。

 婚約とは結婚を約束した者達が、まさに婚姻関係の前段階として交わすものなのだぞっ。まさかその後、その外国人と結婚するつもりじゃあるまいなっ。一体どうしてそんなことになったっ。ええいっ、フェリルドとレミジェスは知っておるのかっ」


 その青い瞳は怒りで燃えている。

 さすがの私もヤバイと思った。


「パピーとジェス兄様、関係ないのっ。だってお祖父(じい)ちゃまっ、フィルが婚約するって言ったのっ。そしたらその兵器が無税で手に入るんだよっ」

「どうしてお前が兵器を買うと言う話になるのだっ! そんなのは軍がすることであろうっ」


 ごもっともです、お祖父(じい)様。

 落ち着いてもらう為、私は祖母に協力を頼もうと振り返る。祖母は目を閉じて額を手で押さえていた。

 お願いお祖母(ばあ)様、私を見てっ、そして助けてっ。


「お前を信じていればどこまで愚かな真似をしてきたのだ、アレナフィルッ。お前はもうこの邸から出なくてよろしいっ」

「兵器を買うんじゃないのっ。もらうだけなのっ。だけど兵器が欲しいわけじゃないのっ。お祖父(じい)ちゃまっ、ちゃんと聞いてっ。フィルッ、そこまで価値があるって知らなかったのっ。だけど他の貴族の人が知ったらみんなが欲しがっちゃうものなのぉっ」

「フェリルドとレミジェスはどうして止めなかったっ」

「お祖父(じい)ちゃまっ、あくまで形だけでサルートスでは何の届も出さないから平気なのぉっ」

 

 今すぐにでも息子達を殴りに行こうとする祖父の腰に、私は抱きついて必死に言い募る。


「そのような法の網を潜り抜けるようなみっともないことを、どうしてウェスギニー家の娘がしていいというのだっ。アレナフィルよっ、お前は貴族としての常識を学び直しなさいっ」

「だからお祖父(じい)ちゃまっ、その税金っ、100ローレ以上いっちゃうんだよっ。しかも調査が入ったら面倒なことになって、税金払っても取り上げられるだけっ」

「・・・・・・む? どういうことだ?」


 さすがにそんな具体的なお金の話をされれば、祖父も落ち着いたようだ。

 税金だけで100ローレ (※) 以上かかるとなると、その本体の価値はいくらなのかと、誰だって考える。

 払える・払えないの問題ではなく、その素性と利益と損失と違う手段とを全てテーブルに載せるのだ。


(※)

100ローレ=100万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として150万円

(※)


「あのね、婚約って言ってもファレンディア国で出すだけなの。そしてね、その改良した遊泳道具、どうせ使わないのを在庫で持ってるから無料でくれるって言ったんだけど、無料でくれても、それ、今はもう水中をかなり長い時間移動できるし、その間、空気も吸えるようになってるし、殺傷能力も高いのがついてるんだって。だから軍に採用されてるらしいの。

 フィルね、その人にね、フォリ先生やリオンお兄さんを、同じ一族のお兄さん達って紹介しちゃったから、みんなの分、くれるって言ったんだけど、それ、送ってもらったら、高額な兵器って扱いになるから税金がとてもかかるの。そしてサルートス国にない兵器だから、もしかしたら調査が入るかもしれないの」

「サルートスにはないのか? 似たようなものも?」


 サルートス国もまた軍隊を持つ国だ。品質や能力の違いはあるにせよ、似たような物はあるだろうと、祖父が尋ねてくる。


「多分、無いんだと思う。だからフォリ先生、殺傷能力もなければ、あまり長く使えないそれでも色々と調べてたんだと思う。だけどね、婚約状態にあれば、婚約者は婚姻関係に準ずる扱いになるから、荷物を送っても私物扱いで税金がかからないの。で、私物だから中身もチェックされないの」


 祖父母はそこで、とても深いため息をついた。


「つまり、フィルよ。お前は密輸をやろうというのか」

「ちっ、違うよっ。だってそれ、フィルの遊び道具としてくれるっていうことになってるしっ。それにフォリ先生やリオンお兄さん達にも一つずつくれるんだよっ。だからその時はフォリ先生達も共犯だよっ」

「あの方々を共犯に引き入れていいわけがなかろうっ」


 違うよ。あの人達だから共犯にするしかなかったんだよ。だって優斗に子爵家の娘を誘拐しただなんて犯罪歴をつけるわけにはいかなかった。

 言えない。そんなこと言えない。絶対に祖父母だけには言えない。


「なら、あげなくてもいいっ? だけどきっと欲しがるよっ。だからフィル、そんな高い物だと思わずに欲しいって言っちゃったんだもんっ」

「・・・・・・」「・・・・・・」


 首を左右に振った祖父は、私ではなく父と叔父を呼んで話し合うことにしたようだ。祖母はもう目を瞑ってハンカチを瞼に当てている。


「アレナフィル、お前はお部屋で静かに反省していなさい」

「ええっ!?」


 なんということだ。私の部屋には外から鍵が取り付けられて、私は監禁されてしまった。

 祖父がいいと言うまで、私はお部屋から出てはいけないらしい。いつもは叔父の部屋で一緒に寝ているのに、叔父では私に泣きつかれたら外に連れ出してしまうからと、会うのを禁じられてしまった。


(ひどい。私、何も悪いことしてないのに)


 ウェスギニー子爵は父だけど、このウェスギニー子爵邸の主人は未だに祖父だ。祖父が命じたならば使用人達もそれに従う。

 そして父はあちこち出かける用事があるし、マーサにも休暇中は休ませてあげたいから、子供達はこの子爵邸で面倒を見てくださいと言ってのけたらしい。


「諦めてこもってろよ。自宅と変わらんだろ」

「変わるよっ。おうちならどのお部屋も使い放題で好きなことしてていいのに、ここだと大人しく座ってることしかできないんだよっ」

「そうでなきゃ反省タイムにならんだろうが。子爵には俺からも説明しておいたが、まさかうちの学校長が講義依頼をしたい相手とまでは思わなかったそうだ。ある程度の人物保証にはなったと信じたいが、やっぱり孫娘と・・・となると厳しいな。おとなしく『私が悪かったです、ごめんなさい』って札を首から下げて謝り倒せ」

「私悪くないのにっ」


 だけどバーレンがうちに届けられていた大量のファレンディアの小説をこっそり取りに行ってくれたので、退屈はしなかった。

 仕方がないからお部屋で読み耽ることにしよう。

 持つべきものは、恋人にはなれなくても共犯になれる悪友だ。



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