表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/71

15 心のこもらない手紙


 ちょっと話があるんだよねと、休み時間に校舎の外にあるベンチへ連れて行ったダヴィデアーレに、アンデション伯爵家のローゼリアンネからの招待状を見せたら、謝られてしまった。


「悪い、アレル。ローゼは出さないって言ってた筈なのに。うちからも苦情を入れておくよ」

「へ? いや、ちょうどこの日、予定があって、だからお断りのお返事を出したんだけど、ダヴィ、親戚なんでしょ? だから一応、知らせておこうと思っただけなんだ。だって私達、いつも一緒だし」


 やはりダヴィデアーレは私の知らないところでガードしてくれていたのか。

 責めるつもりはなかったので、私は慌てて手をバタバタバタと横に振った。こんなことで友情に変な(ひび)を入れたくない。

 やっぱり面識のない人に招待状を出すのは失礼なことなんだなって思ったけど、ダヴィデアーレまでが苦情を入れる程とまでは思わなかった。

あの寮監先生は正しかったらしい。子爵家なんて伯爵家より下位だろうにって思うけど。

叔父は知り合いでもないのに呼びつけるなんてウェスギニー子爵家を侮辱したに等しいけど、子供同士のことだからねって感じだった。

尚、ウェスギニー子爵家があまり怒ってないのは、それよりも大公妃の茶会の方がビッグ案件だからだ。


「ああ。なんかローゼも困ってた。ローゼは婚約届の書類を出してこそいないが、それなりに両家とも婚約を認めている相手がいるんだ。その婚約相手の妹から茶会を開いてくれ、そして僕の友達であるアレルを呼んでくれとねじこまれて、断りにくかったらしい。

 それで僕に招待状を持ってきて、アレルがどんな子か聞かれたんだが、僕がアレル、あまりそういうお付き合いはしたくないんだって話したら、それで引き下がってくれたんだ。ローゼの婚約相手の妹も、僕がアレルとよく一緒にいるというので、僕の従姉に当たるローゼならって思ったんだろうが・・・」


 うわぁ、フォリ中尉に感謝だ。やっぱりローゼリアンネはこの招待状を出したくなかったらしい。


(良かった。あちらが恥じ入らないような文面にしておいて。ただ断るよりも他のお茶会を既に出席予定だからという方が、あっちも気にしなくてすむもんね。しかし婚約者の妹からの頼みかぁ。そりゃ断りにくいわ)


 王侯貴族の場合、婚約届という申請書があり、それを出すことで婚約関係なのだと公的に認められる。つまり茶会や夜会など、常にその婚約した相手がパートナーになる。

 婚姻届程ではないが、かなり拘束力がある届なので、その婚約が破棄されたり、もしくはどちらかが死亡したりしたならば、婚姻状態と同じように慰謝料や相続の権利などが発生するそうだ。だから余程の覚悟がないと出さない。

 何故なら婚約届を出した時点で、場合によっては同居も認められるし、相手の生活費負担も生じるからだ。


「いやいやいや、それってそのローゼリアンネさんも被害者だよねっ? そりゃ結婚する相手の妹なんて小姑だもん。事を荒立てたくなかったのは当然だよっ。というかさ、そもそも私を呼んでどうしたかったの? ダヴィ、知ってる?」

「さあ? ローゼはかなりおっとりとした性格で、わざわざお友達になりたいのかと、そんな感じだったけど。あ、ちょっと待ってくれ、アレル。これ、名前部分だけ、ローゼの字じゃないかもしれない」

「は?」


 お友達になりたいと思ってたって、もしかしてローゼリアンネはエインレイドのことを知らない? なんだか関係者の温度差があまりにもかけ離れているような気がしてならない。

 そのローゼリアンネの婚約者の妹とやらは、大事な情報を出さずに兄の婚約者を利用しようとしたのかもしれなかった。

 なんかどこも大変なんだね。怖すぎるよ、貴族社会。

 ダヴィデアーレは、招待状の名前部分を指さした。


「もしかしてその場で茶会に招きたい友達がいるとか言って、宛名を書いていない招待状を持ち帰って、更にアレルの宛名だけ自分で書いたのかもしれない。だってほら、この招待状、アレルの宛名だけインクの色が僅かに違ってるだろう? ついでに招待状の封蠟が薔薇(ローズ)模様だ。だけどローゼは昔から何かと名前に(ちな)んで薔薇グッズをもらうものだから、実は薔薇のモチーフが嫌いなんだ。たしかローゼは違うモチーフを封蠟に使っていた筈だよ」

「ホントだ。私の宛名とローゼリアンネさんの名前、インクの色が微妙に違う」


 インクの色というのも、人の好みが出る分野だ。印刷物はブラックの文字だからと、わざとその違いを際立たせる為に、ブルーブラックの色を好む人が多い。だけど個性を出す為、ややセピアがかったブラウンブラックとか、少し華やかさのあるレッドブラックなど、人によって色々なインクを使うものだ。

 ローゼリアンネが自分で書いたであろう部分は、ブルーブラックなんだろうけれど、ブルーブラックならではの紺色があまり出ていなかった。もしかしたら緑とか黄色とか灰色とかをブルーブラックインクに混ぜているのかもしれない。そして私への宛名は、まさにブルーブラックの色だ。


「ローゼはたしか自分なりのインクをその場で作るんだ。」

「そっか。じゃあ書き上げてしまってそのインクを処分したら同じインクは作れないんだ」

「そうなるな。まあ、ローゼ自身は自分で割合を覚えているんだろうが、人には作れないと言うだろう。だから招待状を手に入れた相手が、手元にあった近いインクを使ったのかもしれない。招待状はそういう悪用をされるから相手の名前を知らずに出したがる貴族はいないんだが、・・・ホント、無茶苦茶やらかしてくれるな。これでアレルに何かあったらローゼの責任になるじゃないか」


 その場で作るというのも凄いな、どれだけインクにこだわってるんだと思ったら、どうやら偽造防止の措置だったらしい。


「だよね。そーゆーこそこそしたのって嫌い。他人に自分の責任を押し付けるなんてひどいよ」


 もしかしたらそれがローゼリアンネにとってのささやかな抗議だったのかもしれない。

 友達からねだられて、断りたくてもなかなか断れないことはある。ましてや四対一じゃ押しきられても仕方ない。

 もしも断って機嫌を損ねたらどうなるか。自分の婚約者家族に「意地悪されたのよ」などといったことを吹きこまれるかもしれないと思えば、諦めて宛名なしの招待状を渡すしかなかっただろう。


「ああ。ごめんな、アレル。ローゼにはちゃんと伝えておくよ。いや、婚約相手の母親、うちの母の友人の一人だ。わざわざローゼの名前で、エリー王子が気に入っている男子生徒の妹にローゼが知らない招待状を出そうとしたと伝えておこう。叱責はされるだろうが自業自得だ」


 どうやらダヴィデアーレは従姉のローゼリアンネの味方らしい。ちょっと安堵する。


「えっと、だけどダヴィ。その婚約者の相手って侯爵家じゃないの? 立場、悪くなるのは悪いよ」

「気にしなくていい。親が知らない方が問題だ。だが、どうしてアレルが侯爵家って知ってるんだ?」

「えーっと、実は学校生徒のフォト名簿、見たから?」


 仕方ないから招待状を渡しにきた四人の女子生徒の顔を名簿で割り出したと言えば、ダヴィデアーレが分かったような顔で頷いた。


「ま、一つや二つ、年上程度なら十分に妃候補になれるからな。先にアレルを潰しにかかったか」

「ちょっとちょっとっ。勝手に潰さないでっ」


 何なの、この学校。学校っていうのは学ぶ為にある施設だよっ。

 ダヴィデアーレは周囲を見渡して誰もいないことを確認する。そして声を潜めてから尋ねてきた。


「アレル、レイドはエリー王子だな?」

「・・・・・・な、何のことか分からないな」


 ダヴィデアーレのオレンジ色をした瞳が、なんだか恨みがまし気な光を放っている。口調も低くてまるで私が責められているかのようだ。


「とぼけなくていい。ディーノと僕だって、頭はあるんだ。いくら幼年学校で距離を取っていたからと言っても、顔立ちは変わらない。何よりクラブ活動といえばどこもメンバー確保の為、掲示板に広告を出すっていうのに、うち、全く出してないじゃないか」

「だって、あのクラブは私の為にあるクラブだもんっ」


 予算は決まっているし、どうせならいい物を使いたいし、これ以上の面倒なことはごめんだ。人が増えれば増える程、厄介なことになるのは分かりきっていた。

 私は悪くない。


「それがおかしいって話じゃないか。警備棟の中にクラブルームがあって警備は万全、しかも子爵家の縁戚にあたる平民と言いながら、あそこまで教養が身についている平民がいるわけないだろう」

「へ? 何それ」

「何それじゃないっ」


 ダヴィデアーレに言わせると、決定的だったのはフォリッテリデリーの食事だったそうだ。

 おまけでもらったマンゴーやバナナといった南国フルーツは、あまりのビッグサイズなメニューに驚いた私達が量を減らしてほしいと頼んだことが理由の特別サービスだった。

 丸ごとの果物だから、これからお外で遊ぶのなら、休憩時に食べればいいと言われたのだが、私達はだらだらとお喋りしていたものだから、店でそのまま食後に食べたのである。だが、ベリザディーノもダヴィデアーレも、まさかあれをフォークとナイフでエインレイドが食べてしまうとは思わなかったらしい。

 通常、どんな晩餐でも貴族の家で丸ごとの果物が出てきたりはしないのだが、仮につまみ食いするにしてもナイフで皮を剥いてから食べるか、そのまま皮ごと齧って、皮だけ口から吐き出す程度だ。

 それをカトラリーで切り開いて一口サイズにしてから食べてみせたエインレイド。

 かたや子爵令嬢の私は、カバンからフルーツナイフを取り出し、マンゴーやパパイヤを剥いてから食べようとした。

 尚、ベリザディーノとマルコリリオ、そしてダヴィデアーレは、バナナは手で剥いて齧りついたし、他の果物は私に切ってもらってすませた。

 全てを自分のカトラリーだけで食べたのはエインレイドだけで、本人はそれがいかにお上品であるかを全く自覚していなかったのである。


「器用なんだなって、そう言ってたくせに」

「他に言いようがないだろう。何よりあそこまでテーブルナプキンを全く汚さない食べ方ができる時点で、誰がどう見ても作法を叩きこまれた貴族以上じゃないか。あっちが子爵令息でアレルが平民っていうのなら理解もできたが、あまりにもおかしすぎるだろう」

「すみませんね、テーブルナプキン汚しまくりで」


 それでも私とてテーブルナプキンを汚すような真似はあまりしていない。さすがに果物をテーブルで剥いたりしたら手も汚したけれど、隣のテーブルに座っていた女兵士さんが濡れたナプキンで拭いてくれた。私よりも小さな孫がいるとか言っていたっけ。


「アレル、これでも僕とディーノは先に下見でフォリッテリデリーに行っていたんだ。僕達五人が行った日はどの店員も来店客も親切だったが、下見の時はかなりガラが悪かったぞ。酒だって皆が飲みまくってはゲラゲラ笑ってたし、音楽は大音量で耳が潰れるかと思った」

「お酒が入ったら誰しも明るくなるよね」


 うんうん、私には分かる。

 お酒が入ったら人間はとても楽しくなる生き物なのだ。ちょっと普段ではしないこともしちゃうけど、明るい酔っぱらいに罪は無いのだ。


「それなのに、僕達五人が行った日には、ガタついていた椅子やテーブルは全て補修されていたし、僕達が注文する時も、他の客が親切にどれが美味しいとか、こういう味付けだとか、色々と教えてくれるときたものだ。おかしいだろう? まるで僕達の為に親切な客という人達を配置していたかのように」


 凄いな、フォリッテリデリー。一晩で店内ニューバージョンだったのか。

 てか言えよ。気づいてたんなら言えよ。なんで今まで知らんふりしてたの。友情はどこなの。


「可愛い子には親切にするって普通だと思う。それ、ダヴィとディーノが可愛くなくて、私とリオとレイドが可愛かっただけじゃないの?」

「アーレール?」

「・・・すみません」


 さすがにこれ以上おちょくったらとんでもない仕返しをされそうだ。

 私は素直に謝った。

つまり確定だ。ダヴィデアーレとベリザディーノはエインレイドの正体を知ってしまったのだ。


「それで二人共どうするの? 王子様に近づきたくないから違う部を選んだんだっけ。じゃあ、クラブも退会するんだ?」

「勝手に決めつけるな。どうして最初に言ってくれなかったんだ。僕とディーノがどれだけ気まずい思いをしたと思っている。なんで僕達が全く知らなくて、他の人からレイドの正体を聞かされなくちゃいけないんだ。まさかと思いながらも、もしも本当だったらまずいから、二人で下見にも行ったんだぞ」

「えっと、・・・お疲れ様?」


 ああ、なるほど。他の人に言われて気づいたのか。そうだよね。私達、普通に五人でグループしてたしね。ランチタイムは八人で仲いいもんだったし。

 しかもあまり信じてないってのにわざわざ下見に行ったんだ。そんなの後で確信してから考えればいいと思うのに、真面目だな。


「一緒に食べてるベルナ達も、もしかしたらお妃候補として気に入っているのかもしれなくて、だからアレルが目くらましとして一緒なのかと悩んだし、僕達がどれだけ二人で頭を掻きむしったと思ってるんだ。しかも一緒に帰宅しているアレルがその正体を知らない筈がなくて、だけど僕達に何も言ってくれないってことはどういうことなのかって、ずっと考えこんでいた。どうして少しでも匂わせるとかしてくれなかったんだ」

「どうしてって、・・・だって、別にどうでもいいかなって」

「は?」


 ダヴィデアーレが睨みつけてくる。

 やめてくれ。なんだか私が悪いみたいじゃないか。


「そんなの言われてもぉ、私だってぇ、まさかレイドが変装してまで、王子様ブームに浮かれている人達から逃げ出したがっているなんて思わなかったんだもん。そりゃあ最初は私と二人きりだったし、変な誤解されたらまずいかなぁと思ってたけどぉ、その後でディーノが加わったから、正体がばれたらディーノに任せて私は逃げればいいかなぁって思ってたしぃ・・・」

「最低だな、アレル。お前一人だけ、一目散に逃げだすというのか」


 まるで私を軽蔑してくるような眼差しだな、ダヴィデアーレよ。だが、君は分かっていない。

 恋愛感情が絡むと、人はどれだけ理性も何もないケダモノと化すものかを。

 私は知っている。だから手紙さえ・・・・・・あれ? そう言えば手紙って手があったか。

 いやいや、今はそうではない。うん、それは後で考えよう。

 今はダヴィデアーレだ。


「だってっ、だってうちっ、吹けば飛ぶような子爵家なんだよっ? それこそ全校生徒からいじめられちゃうっ。ディーノやダヴィは伯爵家だし、学友としても十分いけるけど、うちは無理だよっ」

「別に婚約者候補というわけでなし、そこまで考える必要もないだろう。それに貴族なら・・・、まあ、別にアレルをどうこう思っているわけじゃないが、そりゃアレルは候補になるとは僕も思ってはいないが」


 ああ、やっぱりと思う。

 バーレンの母親であるクラセン夫人は、とてもはっきりとした人だった。私に全く夢を見させずに現実を伝えてきたのだ。

 平民の母親から生まれている私は、貴族令嬢としては愛人の子レベルとなるのだとか。父方、母方、どちらも王侯貴族の流れが辿れなくてはどうしようもないらしい。

 勿論、恋愛結婚であれば貴族相手でも大した問題ではない。だけどそれは本人同士のこと。たとえば舅や姑、そして結婚相手の親戚筋からは不愉快な言葉を掛けられるかもしれないと言われた。

 そう、結婚は当事者だけではない。その両親、祖父母も関係するし、祖父母の兄弟、両親の兄弟、そしてそれぞれの配偶者まで関係してくる。皆が自分に対して好意的な筈がなく、少しでも瑕疵があればそこを攻撃してくるのだ。


「別に気を遣わなくても、母親の件があるから貴族令嬢としては私、かなりランクが落ちるってはっきり言ってくれていいけど?」


 どうせ王子としてのエインレイド情報が出回ったなら、私のことも聞いていない筈がないと思ってそう言ってみれば、ダヴィデアーレが嫌そうに唇を歪めた。


「アレル、言っておくが僕は、ディーノもだが、僕達は君のランクが落ちているなんて考えたことはない。こんなひねくれた招待状を寄越そうとするような女子生徒の下劣さに比べれば、アレルは聖なる乙女のように高潔だ」

「あ、・・・はい。それは、・・・どうも」


 そこまで言ったら褒めすぎだと思う。

 それとも私、今こそ愛の妖精から聖なる乙女に変化するのかしら。ああ、やっぱり私の価値を隠すことは不可能だったのね。分かるわ、分かっちゃうの。

 

「僕達だって考えた。実はアレルは王子の秘密の恋人で、だけど妨害を恐れてこんなことをしているのかと。だけどアレル、君の趣味はあまりにもおかしかった」

「・・・私の趣味が」


 何かおかしい趣味でもあっただろうか。見る目があるとか、趣味がいいとかなら分かるが、私におかしい趣味などある筈がないのに。

 意味が分からない私に対し、ダヴィデアーレは重々しく頷いた。


「大体、何なんだ。男は年上じゃないと駄目だとか、しかも筋肉が必要だとか、更には束縛だけは駄目だとか、要求度は高いくせに全く自分はそれに見合うものを持たない。しかも紫系の髪の人は多いというのに、紫系は人を狂わせるとか変なこと言い出すし、君は一体、どこまで不敬を重ねる気だ」

「だってっ、それ好みの話だったしっ。文句あるならダヴィだってみんなだって、好きな女の子のタイプ言えばいいだけなのにっ、なんで私だけ責めるのっ」


 私は自分の好みを語っていただけだ。それのどこが悪いというのだ。

 文句があるならダヴィデアーレ達だって大きなお胸やささやかなお胸にドキドキするよねって主張すればよかっただけだ。どうして私が責められる。


「世間の貴族令嬢なら恥じらってそういうことは口にしないと決まっているんだっ」

「・・・個性の否定はどうかと思うよ、ダヴィ」

「個性じゃなくて礼儀知らずな女子生徒を責めてるだけだ」

「ひどいっ」


 何はともあれ、エインレイドが王子であると知ってもダヴィデアーレとベリザディーノは知らんぷりをしてくれるつもりらしい。

 言われてみればあの頃から気づいていたにしては、全く態度は変わらなかった。


「当たり前だろう。何も本人から聞いてないのに、どうして僕達が友達の秘密を暴かなきゃいけないんだ」


 そっぽを向いたダヴィデアーレだったけれど、素直じゃない。耳の先が赤くなっていた。

 ふっ、青春だな。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 淡紫の花色(ライラック)の髪にバラ色の瞳をしているという花の王子様は、色合いはともかくとしてそこそこ雑にすませるところがあると、私は知った。

 クラブ活動で、本を調べながら野菜や果実に含まれている糖分量のリストを作り終えた時である。

 私がふわふわホットミルク入り蜂蜜コーヒー、生クリームとチョコ粉末をトッピングしたものを作ってあげて休憩していた時に、エインレイドはさらりと言いやがった。


「あ、そうだ。ごめんね、みんな。僕の正体がそろそろばれ始めたみたいなんだ。色合いを変えただけだったから、長持ちはしないと思ってたけど。・・・ところで僕、アレルの双子の兄のアレンからは、思いっきり避けられてるんだけど、こうなると君達からも避けられるのかな?」


 エインレイドが眼鏡を外して、ことんとテーブルに置けば、ローズピンクの瞳が現れる。がしがしと、流し台で髪を洗ってペイントを落とした髪は淡い紫色に変化し、タオルで濡れた髪を拭く姿は、皆が知っている王子様だった。

 目を丸くしていたのはマルコリリオで、可哀想に表情が固まっていたけれど、ベリザディーノとダヴィデアーレは、疲れたような吐息を漏らす。


「勘弁してくれ。いや、してください? どうして気づかないフリしていたのに、そういうこっちの努力を無視してくれるんだ」

「諦めろ、ディーノ。もう無理だろ。ここ数日、遠巻きにしている奴らが多すぎた」

「え? え? えーっと・・・? ちょっと待って、みんな。もしかして気づいてなかったの、僕だけ?」

「大丈夫だよ、リオ。私も気づいてなかったから」


 かなり気遣いに溢れた私が慰めようとしてみたけれど、マルコリリオはそこで騙される馬鹿ではなかった。


「ちょっと待ってよっ。アレルが知らない筈がないよねっ? ちょっと待ってっ。それこそ僕っ、なんかとっても場違いなところに来てたっ!? ど、どうしようっ。どうすればいいんだろうっ」

「うわぁ、何それ。学生が学校に来ていて場違いってどーゆーことぉ? リオってば何しに学校来てるの? 学生の本分、忘れすぎだね」

「まぜっかえさないでよっ、アレルッ」


 あまりにもマルコリリオが空回りしてくれたので、ベリザディーノとダヴィデアーレ、そしてご本人様は落ち着いてしまったらしい。


「レイド。髪、きちんと拭いておかないと風邪ひくぞ。ほら、ちゃんと拭けよ」

「大丈夫だよ、これぐらい」

「ディーノの言う通りだ。ちょっと温風器借りてくるよ」


 三人で仲良くやっていた。

 髪の色を落として眼鏡を外したからと言って、伯爵家令息もすぐに敬語を使うわけじゃないらしい。

 そうなるとマルコリリオも自分だけあたふたしているのが恥ずかしく思えたのか、沈静化した。

 でもって、何故かダヴィデアーレがエインレイドの髪に温風器を当ててあげれば、ベリザディーノがささっと髪を梳かして括ってあげるのだから、実は面倒見がいいのかもしれない。


(二人共いいパパになりそうだなぁ。私もパピーに髪の毛拭いてもらうの大好きだし)


 そうして私達は、王子様の姿になったエインレイドと共に、相談タイムに入ることにした。だってクラブメンバーは、みんなで仲良く相談して意見を出し合い、それから決めることが当たり前になっていたからだ。

 やはりここはクラブ長として、私も何か言わねばなるまい。


「たしかにいつまでも騙しとおせるとは誰も思っていなかった。だけど二ヶ月近く騙しとおせてしまった。これは快挙と言うべきではないかと、私は思う。レイドは自信を持っていい」

「うん、アレルはいつでも前向きだね」


 エインレイドはのほほんとした反応だが、三人はどうすればいいのかと思案顔だ。


「まあね。だってうだうだ考えててもどうしようもないもん。でさあ、ディーノとダヴィとリオはどうするの?

 これでもレイド、普通の生徒してみたいって、みんなに囲まれてちやほやされるのが嫌で変装してまで一般人生徒してたわけだけど、さすがに隠し通せなくなってきたみたいだよね。そりゃあレイド、王子様だし? 命令したり学校長先生に話を通したりすれば、みんなも逆らえないって分かってるわけだけど?

 それでもさ、友情とかって強制するもんじゃないから、王子様とは距離を置きたいならそうはっきり言ってあげた方がいいと思う。中身のない友情なんかを続ける方が空しいだけだもんね」


 真実を告げた途端、崩れ落ちてしまう関係。

 それはきっと私にもある。もしも父やアレンルード、そして祖父母や叔父が知ったら私をどういう目で見るのだろう。

 ずっと気にかかっていることがある。もしかしたら私は、家族にこそ糾弾される存在なのかもしれないと。

 だからエインレイドの置かれている状況を、ひとごとのようには思えなくなっていた。

 三人が離れてしまっても、私だけはきっとエインレイドを一人にはしない。


「それこそアレルが一番に逃げ出すと思ってたな、僕は。だって王子様とは距離を置きたいって、あれだけ言ってたじゃないか。僕を目の前にして、王子様になんか近づきたくないってあれ程主張されるとは思わなかったよ」

「そりゃそうですけど。今でもそうなんですけど」


 気づいてしまった時から、私の中には一つの恐怖があった。


――― フィルと呼ばれるのが嫌なら改名だってしていい。無理にいい子でなくていい。私達は都合のいい子だから愛しているわけではないよ。

――― わ、・・・わたし、・・・アレナ、フィルじゃ、・・・なくても、いいの?

――― ああ。だって私達は君を愛している。君だってみんなを愛している。それ以上に何が必要なんだ? どんな人間関係だって、お互いの気持ちがなければ続かないんだ。


 そう言ってくれた父は、私が隠していることを知っても、まだそう言ってくれるだろうか。私を憎み、拒絶するのではないか。私を罵り、二度と顔を見たくないと言われてしまうのかもしれない。

 だけど信じたい気持ちもあって・・・。

 私はきっとエインレイドに言い聞かせることで、私に言い聞かせたかったのかもしれない。あの時、私は救われたけれど。


「だけどレイド。それこそ見かけたことがあるだけの王子様なら、そんなものだったと思います。だけど、私達は一緒に遊びに出かけて買い物もして、ご飯だってお茶だって何度もしている友達じゃないですか。私達の間には、ちゃんとお互いに対する気持ちがあったと、私は信じてます。

 あなたが心を許せる親友ができるまで、私はあなたを一人にはしません。大丈夫、いざとなれば大人に全ては押しつけてしまえばいいんですよ。そうでしょう?」

「あはは。言うと思った。アレルって本当にそういうところが卑怯っぽいくせに、男前だね」

「失礼なことを。私はいつでも正々堂々ですよ」


 もう半分以上飲んでしまったマグカップだけど、エインレイドのマグカップにこつんと当てれば、面映ゆそうな顔で微笑むから。

 だから守ってあげたいと思ってしまったのかもしれない。


「こらこら。なぁに二人でいい空気を作り上げてんだ。そりゃあ、エリー王子となればこっちも敬語は遣わなきゃならないし、正直、そんな本当のことなんてどれだけの人にばれても僕達には言わないでくれればずっと騙されていられたってとこだが、こうなったらしょうがないだろ。正々堂々、変装してますがそれがどうかしましたか? でいりゃあいいと思うね」


 ベリザディーノが私の頭にぽんと片手を置いた。紺の瞳がとても優しく微笑んでいる。心の奥が熱くなる。じわぁっと視界に滲む何かを、私はまばたきすることで気づかないことにした。

 かなり乱雑な性格だが、ベリザディーノに陰険さはない。それはきっと本心の言葉だろう。


「ぼ、僕もっ、僕もそう思うっ。そりゃあ僕だって本当は近づくのも恐れ多いって立場だしっ、図々しいって言われてもおかしくないけどっ。だけどっ、それならとっくに弾かれてたと思うしっ。せっかくお友達になれたんだし、そりゃあ、長くは続かないのかもしれないけど、やれるところまで友達でいたいよっ」

「なんでそうリオってば後ろ向きなんだか、押しが強いんだか分からない人生歩んでるんだ? だけどさ、レイド。僕も立場上、皆の前では敬語で話すしかない。どうせならできるところまで騙してくれるとありがたいよ。だって折角のレイドっていう親友を失いたくない。勿論、エリー王子もいい王子様だ。だけど、やっぱり恐れ多いだろ? そう思わないか?」

「僕に同意を求められても・・・」


 ダヴィデアーレはいつだってよく考えてから口に出す生真面目クンだ。ずっと考えていたのだろう。

 王子様よりも、平民の男子生徒であるレイドを選ぶと言いきった。


「ほら、レイド。みんな、王子様だからじゃなくて、レイドだから友達でいたいんですよ。ね? それはレイド自身の魅力って奴です。私が言った通りだったでしょう? 変装して別人だからこそ、この友情はレイド自身が得たものだったんですよ」

「そうだね、アレル。君の言った通りだった」


 くすぐったそうな顔でエインレイドが笑う。

王子様じゃなくても、貴族でさえなくても、エインレイドは自分の力で親友を手に入れていた。


「ちょっと待て、アレル。つまり変装を(そそのか)したのはお前なのか? よりによってお前が、この国における何ら恥じるところのない王子をわざわざ平民になりすまさせた張本人だったのかっ? 何を考えてるんだっ」

「うっさいなあ、ディーノ。だからディーノだって、王子様に自分の着替えを持たせてトイレに走っていけたんだよっ。なんで私に文句言うのっ」


 王子様に荷物持ちさせただなんて、将来の武勇伝だね。よっ、みんなから馬鹿にされるがいい。

 あいつさぁ、王子を王子と気づきもせず、着替え持っててもらってトイレに駆け込んだんだって。

 えー、何それ。非常識ねー。

 そんな感じで軽蔑視線一人占め、決まりだねっ。


「思い出させるなぁっ。うちの家族に知られたら謹慎モノだろうがっ」

「そっか。頑張ってね、ディーノ」

「ヒトゴトにするんじゃないっ。所詮はビーバー族でも、人間サマの常識ぐらい身につけろっ」

「えー。だって私がレイドに荷物持ちさせたの、先生とかにばれてたんだもん。それならみんなも巻き込まないと私だけがいじめられる」

「そんな理由で共犯者にするなっ」


 仕方がなかろう、ベリザディーノよ。君が一番、そういうところは脇が甘かった。それだけだ。

 

「仕方ない。ディーノとアレルを人身御供(ひとみごくう)にすることにして、僕達はうまく逃げよう、リオ。それより今後のことだ。恐らく、このメンバーに入りたいと思っている奴がかなりいる筈だ」

「そうだね、ダヴィ。だって同じ授業を受け始めている生徒、増えてるし。なんか睨まれてるなぁって僕も思ってたんだ。不良なのかなって思ってたんだけど、レイドが王子様だったからなんだ」


 私達は今の状況を皆で相談し、もうクラブ活動も、授業を受けるのもこの五人だけのチームでいくことにして、後は誰も加わらせないことにしようと決定した。

 今まではエインレイドをただの一生徒と思っていた人ばかりだったけれど、これからは違うだろう。

 そして王子様に近づきたい人を仲間に入れたところで、私達が嫌な思いをするだけだ。


「問題はあの三人か。平民だし、女の子だと色々とあるかもしれない。やっぱり避けられることになるのかもな。ディーノ、どう思う?」

「どうだろう。ここまで一緒にランチしていて今更だが、他の女子生徒が勝手に加わってくるってことはありそうだ。だってレイドと一緒にランチできる可能性があるんだぞ? そりゃ押しかけてくるだろうよ」

「うーん。それも今更だよねぇ。まあ、まだレイドのことは経済軍事部だけで、他の校舎には広まってないから、後一ヶ月ぐらいはどうにか持ちそうだけど」


 いざとなったらランチもこのクラブルームで取ることにしようと話し合い、私達は全てを先延ばしにした。

 だって、考えても仕方ないことだから。

 他人の行動なんて誰もコントロールできるわけがないんだよ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 どうやらベルナルディータ、クラウリンダ、エスティフェニアの三人は、どう見ても一般部ではない男子生徒達と一緒にランチタイムを過ごしているというので、ずっと注目を浴びてはいたらしい。

 それまでにも一緒に食べていいかと尋ねられたことはちょくちょくあったとか。


『ごめんね。あの男子達はアレルが捕まえてきたの。だから私達じゃ何も言えない。アレル次第じゃないかな』


 そんな風に三人は、同席するもしないもあくまで私次第だと、その場にいない私に決定権を押しつけていたそうだ。

 だけど一般部の校舎では珍しい貴族、つまり子爵家令嬢の私に、一般部の平民であるみんなはちょっと話しかけにくいものを感じていた。だから言い出す勇気もなく、ちらちらと見る程度で諦めていたそうだ。ランチを終えるといなくなってしまうから、声を掛けることで来なくなるかもしれないと恐れていたこともあるらしい。

 元々、エインレイドと一緒にいてざっくばらんに会話している私は男の子っぽく見えていた。

 その後、一緒に加わり始めたベリザディーノ、ダヴィデアーレがまた貴族の男子生徒だと知り、マルコリリオも平民ながら芯の強さを感じさせるタイプだった。

 そして初めての試験で、私は一般の部で成績が一位だった。

 試験結果の上位十名はそれぞれの校舎に貼り出される。


『アレル、凄いね。まさか一位とは思わなかった。頭いいんだ。凄いね』

『んー、そうでもないよ。というか、そこの四人も、あの十名の貼り出しの中、ちゃんと名前出てたから』

『ええっ。五人共、全員、各校舎で十位以内なのっ?』

『そーなるね』


 そんなベルナルディータとの会話を皆は聞いていたようで、私達に何か話しかけるにはまず十位以内に入らないと無理で、私の成績を抜かないと話も聞いてもらえないのではないかという風に、勝手に思われていたようだ。


(計算ができても、試験成績が良くても、上手に生きられるわけじゃないけどね)


 私達五人、全員が各校舎の十位以内と言われてしまえば、誰しも話しかけるのは怖じ気づく。勿論、十位以内の生徒だってクラスにいたけれど、では貴族が三人もいる中に入れるかと言うとちょっとためらう。

 その為、「色々なタイプの男子生徒を眺められるランチタイム」といった傾向に変化していたようだ。


(まあね。いつもランチタイムにはやってくるわけで、挨拶したら返してくるわけだし、それなら貴族のお坊ちゃま達を間近で眺める至福を堪能した方がいいって思うよねぇ。みんな違うタイプだし)


 今、少しずつエインレイドの正体を知り始めた生徒が出てきても、まずは「成績」というハードルが立ち塞がる。

 王子エインレイドは成績が良い生徒を見繕っているのだという噂も流れているそうだ。


(そうなるとレイドの取り巻きになりたい生徒達はまず成績を上げるしかない。・・・つまり私は貴族の令息令嬢の頭をよくするお手伝いをしてしまったわけだ。いずれこの国の底力が上げられることになるだろう。私は縁の下の力持ちというわけだ)


 だから私は面倒なことはもうみんなに任せることにした。だってベリザディーノやダヴィデアーレの方が、貴族社会には詳しい。

 何より私はフォリ中尉のせいで朝から礼儀作法の特訓を受けるという受難に見舞われていた。体育会系クラブに入ってもいないのに朝練とは何たることか。


「今日も頑張ってくださいましね、フィルお嬢ちゃま」

「マーシャママぁ。フィル、なんか教えてもらう人、間違えてる気がする」


 毎朝、しくしくとマーサのおなかに抱きついても、警備員してる人達は全く取り合ってくれなかった。

 送迎と称して誘拐しにくる悪の手先だ。


「あははは。頑張れ、アレナフィルちゃん。やっぱり一流の先生に教えてもらう方が上達も早いってものさ。あの方に礼儀作法を教わることができるだなんて、もうどんな貴族令嬢も羨ましくって泣いちゃうぞ」

「泣きたいのは私の方・・・。子爵家程度にオーバースペックすぎる」


 朝から警備棟の誰かが運転するお迎えの移動車がやってきて、一時間以上早く到着すれば、礼儀作法の特訓である。

 教えてくださる貴婦人がどなたなのか、私は知るのも怖い。

 礼儀作法の授業なので、朝は特別に私もワンピース姿である。終わったら制服に着替えて授業に行くのだ。


「おはようございます、レイディ。ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルがご挨拶申し上げます」

「おはよう、アレルちゃん。とても清々しい朝だわ。さあ、座ってごらんなさい」

「はい、レイディ」


 今日も教えてくれる貴婦人が、優雅に微笑んできた。質素で地味なブラウスとスカート。だけど決して粗末ではない。

 はっきり言おう。地味に見せかけた高級品だ。

 椅子に座る時であっても、きちんと使用人達が動くタイミングなどと合わせて優雅に振るまわなくてはならない。

 そういう時、わざと主人の意向を受けて嫌がらせしてくる使用人もいるので、そういった時の無礼を咎める仕草まで叩きこまれている最中だ。


「ふふ、アレルちゃんはとても姿勢がいいわね。腕の動きも揺らぎがなくて素敵よ。ねえ、ガルディ。そう思わない?」

「さて、どうでしょう。場慣れしていないのが問題です。エスコートしてもらう場にもっと出た方がいいだろうとは思うのですが、まだ子供ですからね」


 警備棟の一室内に、綺麗なテーブルと美しい布張りの椅子が設置され、私の練習の為だけに侍女達が茶を淹れてくれる。茶会に招かれた女性客の役もこなしてくれる。どうやらどの侍女も貴族の夫人もしくは令嬢らしい。

 ありがたいと思う前に恐れ多い。教えてくださる貴婦人の正体を私は知りたいけれど知りたくない。

 しかも茶会での会話にも相手を選んで内容を変えろと言われて、私、もう貴族令嬢辞めたいんだけど。


 女性相手であればファッションや趣味、教養に関する話題を。

 男性相手であれば時事問題や流行、経済動向に関する話題を。


 新聞を読み、更にその記事が生まれた背景についても考察できないといけないのだ。

 茶会に招かれた男性客といった役柄なフォリ中尉や他の士官達が、そういう時にはああいった事情があるからこういった話題に持っていっては駄目だとか、そこは国内情勢を考えてこういう結論にたどり着くようにした方がいいとか、そんなアドバイスをくれるのだが、もう人間関係や社会事情が複雑すぎて泣きたい。

 本気で貴族の世界は面倒だ。

 笑顔とエスコートとお辞儀だけでは乗り越えられない何かがある。それが社交界。

 だけどそんな小難しい会話は男性でも気難しいタイプだけだから大丈夫だよって、彼らは笑う。ならば何故、そこまで叩きこむのだ。どうしてダメ出ししてくるのだ。本当はその気難しいタイプがゴロゴロしているのではないか。


(きっと被害妄想じゃない。そんな気がする)


 礼儀作法を教えてくれる貴婦人は、時事的な話題よりも、私があまりにもエスコートされるのがヘタクソすぎると、そこが気になっているようだ。

 何度も相手を変えてエスコートの練習をさせてくる。


「そうねぇ。アレルちゃんはスポーツ観戦や競馬を見に行ったりはしないの?」

「叔父や弟はよくスポーツ観戦に行っておりますが、私は特に・・・。ほとんど家と学校の往復で終わっています」

「女の子ですもの。男の人をとっかえひっかえでエスコート慣れしているよりもいいと思うわ」


 いつも抱きついて手を繋いだり、ぶら下がったりして移動している私は、男性の腕にそっと自分の手を預けるそれが元気すぎて落第点となるそうだ。


「ありがとうございます、レイディ」

「だが、ヘタクソすぎるというのも困りものですね。人一倍、優雅でないと雑音は消えないものです」

「ま、ガルディったらそんな意地悪を言うものじゃありません。アレルちゃんは優雅じゃないかもしれないけれど、動きにキレがあるわ」

「エールじゃないんだから、キレとコクがあっても意味ないのでは?」

「もうガルディったら。ほほほ、コクまでは言ってないわよ」

「はは。アレナフィル嬢はアクもありますからね」

「まあ、こんな澄んだお嬢さんになんてことを言うのかしら。嫌われても知らないわよ」


 なんだかとても仲がいい。

 大公の息子だというフォリ中尉を愛称で呼ぶことができるって、あなたは一体どういう立場なんでしょうか。しかも大公様の息子さん、あなたの息子さんぐらいに年下というのもあるんでしょうが、完全な敬語なんですけど。


(大公の息子がそこまで敬語を使って、大公の息子に向かってお説教できるってどんな立場っ!?)


 どうやら警備棟の一定数、そして男子寮の寮監達は貴族出身の士官だったらしく、エスコートにも茶会にも慣れていた。

 おかげで毎日、参加者もとっかえひっかえで特訓が続く。

 

(ここまでしないと大公家の茶会には行けないのか。そもそも行きたいなんて言ってないんだけど)


 だけど私、本気で気になることがあるんです。

 教えてくださる貴婦人はお名乗りになりませんでしたが、なんとなくですが、ええ、なんとなくですけれど、どこかエインレイドに似た面差しなんですよね。

 そして何故か、この時間だけはエインレイドがやってこない。知らない筈がないのに。

 いえいえ、何も疑ってはおりませんとも。

 だけど、・・・・・・いやいや、まさか。うん、まさかな。そう、まさかなんだよ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 私は誕生日プレゼントにもらった通行身分証カードがあるので、習得専門学校にあるバーレンの研究室へはフリーパスだ。

 アンデション伯爵家のローゼリアンネから出されたというお茶会の招待状により、手紙というツールに気づいた私は、放課後、バーレンの所へ顔を出した。

 バーレンは父の親友だが、私の悪友でもある。

 私の話を聞いてくれた彼は、「手紙ねぇ」と、呟いた。


「うん。私ね、いつかお金を貯めてからファレンディアに行って、自分が生きていたこと、そして死んでからどうなったのかを知りたいって思ってたけど、よくよく考えたら手紙を出せばいいって気づいたんだ」

「まあ、一番安上がりに確認できるよな。で、誰に出すんだ?」

「父かな。私、つまりアレナフィルの亡くなった母リンデリーナが、昔、ファレンディアに旅行に行ったことがあって、そこで私と知り合ったことにするわけ。アレナフィルちゃんは亡くなった母の日記を見つけて、昔、母が知り合った私に会いたいと思うってことにして近況を尋ねるような手紙を書くの。そうしたらもう死んでるわけだから、亡くなりましたって返事が来るでしょ? そしたらさ、せめていつか大人になってファレンディアに行った時にはお墓参りしたいからお墓の場所を教えてくれないかってお手紙出せばいいと思うんだ」

「なるほどな。たしかにそれならば問題ないか。だがなあ、フィルちゃん。その場合、ファレンディアからお宅ん所に手紙が届くんだぜ? 受け取ったマーサさんがどう思うよ」

「だからそこでレンさんなんだよ」

「は?」


 私は知っている。

 ファレンディア国の父、そして弟の警戒心を。


「レンさん、語学の講師でしょ? だからレンさんにファレンディアの言葉を教えてもらいながら手紙を書いたってことにするの。でもって住所もレンさんの所で出すんだよ。

 私が知りたいのは、私の持っていたおうちとかが、今、父のものになってるとは思うんだけど、あそこを取り壊していないかも気になるし、できればあの家にも入りたいの。・・・色々と心残りがありすぎるんだ。そして、ウェスギニーのパピーは軍人でしょ? 軍人の子供なんて知られたら、警戒されて返事くれないと思うから、レンさんじゃないとまずいんだよ」

「なんでそうファレンディアってのは警戒心が強いんだ」

「それはファレンディアだから。色々な技術や技能、積み重ねた知識があるからだよ」

「何なんだろなぁ、もう」


 それでもバーレンは承諾してくれた。


「どうせ俺宛てに外国からの手紙が届いたところで誰も気にしないしな。で、お前の父親ってなんて名前なんだ?」

「トール・アイダ。トールが名前、アイダが姓。だけど多分、代筆じゃないかな。父、忙しいから秘書がいるんだよ」

「だけどこの宛名、トドロキって読めるぞ?」

「父とは姓が違うんだよ。亡くなった私は、母方の姓で暮らしてたの」

「そうか。ところで秘書を使ってるってことは、お前さん、実はお嬢様だったのか?」

「ううん。私は弟の雑用係と思われていた節がある」

「・・・そうか」


 だから私はあえて私が所有していた祖父母の家の住所に宛てて、私宛の手紙を書くのだ。だってその受取人がもう亡くなっているということを、サルートス国の子供が知っている筈がないのだから。

 きっと手紙は、父の所へと届くだろう。顔も忘れた父の所へ。

 私を捨てて、再婚した父。

 私のことなど亡くなるまで思い出しもしなかっただろうとは思うが、私の所有していた祖父母の家を相続しているのは父だろう。

 一人で住むには広すぎて、私は一年に一度程度しか戻らなかった。狭い借家暮らしの方が管理しやすかったからだ。

 

(まさかと思うけど、あの家、とっくに売ってないでしょうね。やりそうだから嫌なんだよ)


 私はあの父を信用していない。

 才能はあるのだろう。だけど私にとってはとても遠い人だった。





【 初めてお手紙を出します。

 私はサルートス国に暮らしている、アレナフィルと言います。リンデリーナの娘です。

 母のリンデリーナは、十年近く前に亡くなりましたが、母の昔の日記を見ていたら、ファレンディア国に旅行した時のことがとても沢山書かれていました。

 アイカさんの動かす船に乗ったこと。

 意気投合してお酒を飲んで二日酔いしたこと。

 夜明けまで語り続けて、夕方まで起きられなかったこと。

 二人で未来の願望をこめた自分への手紙を書き、二十年後に取り出そうと約束した隠し扉のこと。

 

 私はまだ子供ですが、いつかお金を貯めて、ファレンディア国に行ってみたいと考えています。

 その時、是非、アイカさんと母が未来の自分に宛てた手紙をしまったという隠し扉も見てみたいです。きっと母の手紙が残っていることでしょう。

 よければそれを形見にいただけないでしょうか。

 その際は近くの宿をとりますので、是非、隠し扉だけでも案内していただければと願っています。

 もしかしたらもう二十年は経ってしまっているのかもしれませんが、私が行くまで母の手紙を保管しておいていただけないでしょうか。

 どうかよろしくお願いします。お返事をお待ちしています。

 ファレンディア語が分かる人に文字を教えてもらいながら、そのおうちから手紙を出しています。

    クラセン家からアレナフィルより 】





 バーレンの住所で出した手紙。

 ファレンディアには母方の姓を名乗る風習はない。

 だからウェスギニー・アレナフィルという名前で出そうかとも思ったが、ウェスギニー家は子爵だ。もしも調べられて父が軍人だと知られたら一気に警戒してくるだろう。

 

(返信用封筒は入れておいた。父へ転送された手紙は全て秘書が目を通す。勝手に処分されることはない。アイカは亡くなったという返事が届いたら、お墓の場所を尋ねる手紙を出せばいい。少なくともそれで、いずれあの家を訪ねる外国人がいたとしても筋は通る。そしてアイカの足跡をたどってあの部屋を訪れれば、隣のお姉さんのその後も分かるだろう)


 お墓参りというものに意味がないと言われたらそれまでだ。

 だけど生きて思い出す人がいる。それがその人の生きてきた証の一つだと思う。


(どうせ私のお墓なんてトドロキ家のお墓だろうとは分かってるんだけどね。大事なのはちゃんとやりとりをして訪ねていく流れを作っておくこと。ファレンディアはかなりそこが厳しい国だから)


 行くだけなら墓だろうが家だろうが辿り着ける。だけど不自然すぎるのだ。だから、ちゃんとやりとりをしておいて、いざとなったらそういう流れが数年前からあったことを作っておかねばならない。

 勿論、返事が来ない可能性もある。だけどそれでもいいのだ。

 返事が来なかった。だから自力で辿り着いた。そういうことにしておけばいい。

 これでも貴族令嬢なので少し値段は張るものの、手紙は高速船便で出しておいた。

 アイダの父は忙しい人だ。きっと返事など秘書任せだろうが、それでも隠し扉などと書かれていたら無視できないだろう。

 たとえ他愛ない未来への自分宛ての手紙しか入っていないのであっても。


(そう考えると、パピーってば本当に最高の父親だよね。あの父を知ってる後だけに確実にそう思うよ。あの家はあまりにもおかしすぎた)


 亡くなった妻リンデリーナを愛し続けている父フェリルド。忘れ形見であるアレンルードにウェスギニー子爵としての全てを譲り渡す予定の彼は、アレナフィルを最愛の恋人だと言ってのける程に子煩悩だ。彼はどれ程に家を留守にしていても家族を愛している。

 それに比べ、妻ユリナが亡くなったら役立ちそうな女性と結婚したあの父は、何を目標に生きていたのだろう。結婚した相手への愛など、彼にとっては何の価値もなかったのか。妻によく似た娘など実子とも認識できなかったのか。

 あまりにも遠すぎる父の背中は、私にとって家族ではなかった。

 彼にとっても私は家族ではなかったのか。

 今なら私にも分かるのだろうか。いいや、きっと分かる日は来ないだろう。こんなにも優しい人ばかりに囲まれて暮らすようになっては。

 あの家から逃げ出した私にとっては、誰もが遠い幻にすぎなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ