14 招待状をもらった。けど、断るの
国立サルートス上等学校。そこに通学する男子生徒の半数以上、後ろ髪を肩甲骨程度にまでは伸ばしているものだ。腰まで伸ばしている男子生徒もいる。
貴族に生まれた場合、男の子でも成人するまではそれぐらいに伸ばしておくものなので、平民でも真似したりする。勿論、貴族の子でも髪を短くしている子はいるが少数派だ。
このあたりの文化が、私には意味不明だ。
体操服に着替え、えっさえっさと土を掘り返しながら、私は尋ねてみた。
「どうせなら少年時代は短髪で、成人してから長髪の方がいいかなぁって、私、思うんだ。みんなもそう思わない? 少年の頃に長髪でも暑苦しいだけだし、成人して短くしちゃったらおしゃれも楽しめないでしょ? この中ではまだリオが短い方だけど、それでもシッポがついてるし」
王子であるエインレイドばかりか、ベリザディーノ、ダヴィデアーレも横と後ろの髪を伸ばして後ろで一つにまとめている。
マルコリリオは横の髪は耳に掛けられる程度、そして後ろの髪も襟足程度にまでだが、後ろの真ん中部分だけ長く伸ばしていた。まさに一部だけしか伸ばしていないので、わざわざ括らなくても邪魔にはならないらしい。
伸ばしている男子生徒は大抵後ろで一つに括っているので、同じようにしか見えないところがミソだ。
それぞれ土を掘り返していた四人だが、まず返事してきたのはマルコリリオだった。
「うーん。だけど長い髪って、もっと戦争が多かった時代の名残りだから仕方ないんじゃないかな。特に貴族とかだと余計に息子に伸ばさせるのが親の愛だと思うよ」
「いざという時には女の子のフリさせて逃がしたって奴でしょ? だけどさぁ、戦争の時に危険なのって、男の子より女の子じゃない?」
「まあね。僕も無駄だなって思うから短くしてるけど、そうなると色々と言ってくる人もいるから言い訳できるように真後ろだけ伸ばしてる。大抵の男子、周囲がうるさいから伸ばしてるだけだと思うよ」
「へー、そうなの? みんなも周りがうるさいから伸ばしてるんだ?」
マルコリリオは平民だが、親戚に貴族がいるのでサルートス上等学校に入学できたらしい。これから少しずつ伸ばしていくつもりだとか。
他の学校なら短い髪の男子生徒の方が多いが、この学校であえて短くしている人は、粗野な硬派だと見なされる。それでもってモテない。
大事なことだからもう一度言おう。髪を短くしていると、女の子から「髪の手入れもできない人」と思われて、モテない。
粗野な硬派だって男の子としての魅力があるだろうにって思ったけれど、そんな髪の手入れもできないような男子とお付き合いする女の子なんて同じレベルじゃないかと思われるそうだ。
つまり髪の短い男の子と付き合う女の子は、自分も身だしなみができない女子生徒と決めつけられる。
とばっちりもいいところだ。だけどそんな汚名までかぶってまで短い髪の男子生徒と付き合いたい女子生徒がいる筈もない。
それなのに成人してからは短い髪じゃないと、今度は「いつまでなよなよしているつもりなんだ」となるのだとか。掌返しが凄まじすぎる。
(ならばレイドも短い髪にすればモテなくなる・・・・・・わけないか。だけどみんな、本当に仲良くなったなぁ)
五人中、三人が貴族というクラブメンバーだが、あのクラブ参観が良かったのだろう。
マルコリリオが平民仲間だと信じているエインレイド。その保護者としてやってきた寮監達のガラがあまりにも悪すぎて、マルコリリオもあっけに取られていたらしい。
さすがにマルコリリオの両親はアレより上品だろう。
しかも子爵家当主という私の父はスポーツクラブのコーチかと言わんばかりの恰好でやってきたものだから、そっちでも気が抜けたようだ。
(二人も伯爵が来るなんて思わなかったよ。そういう意味で子爵なのに全然足並み揃ってないパピーがいかに非常識かってことになるんだろうけど、パピー、そこらへんは気にしない人だしなぁ)
そしてクラブのオブザーバーとなるマーサはうちの家政婦だけど、まさに孫もいる気のいいおばさんだ。父は子育ても終わった従姉だから安心して子供達を任せられると紹介していたが、娘が男の子達とクラブを立ち上げた途端、軍も関与する警備棟にクラブルームを作り、更に女性のお目付け役を学校内に送りこんだうちの父に、二つの伯爵家もこれならばスキャンダルなど起こり得ないと感心したらしい。
クラブの内容も真面目なものだし、学校長や複数の教師も関与しているのだから、他のクラブみたいな歴史や名誉はないもののしっかりしたものではないかと。
(学校長先生がどの生徒も成績や素行調査済みって言ったことも影響してそうだけどね。ああ言われたら入部すること自体がとても難しそうに聞こえるし。まさか王子様の為の数合わせとは思うまい)
そしてマルコリリオはマーサが子爵である父に姉さん呼びされ、仲良くお喋りしていることにほっとしたらしい。
伯爵達や学校長と会話している父のそれは大人の事情が絡んだ話題ばかりで私達は放置だったが、その際に警備員を立ち合わせて伯爵達にもその警備員の経歴や武勲を紹介していた。あの父にかかっては、優秀な人しか近寄れない気になる。
だけどずっと専業主婦でやってきたマーサだからこそ子供達の視察者にちょうどいいでしょうと微笑む父にしてみれば、経歴が全てではないのだ。身分差を気にしないわけではない。マーサとてウェスギニー家の集まりであれば一歩引いて裏方に従事する。
だからこそやんちゃな男の子達の隠し事もマーサにかかっては隠せないのですよと苦笑する父にかかっては、どんな女性も惚れてしまうだろう。みんな既婚者ばかりで良かったよ、ホント。あ、いや、女子寮の寮監は分かんないけど。
マルコリリオは、身分差をあまり気にしなくなった。
この穴掘りも彼の発案によるものだ。
(どうせ少年達に囲まれているなら、短髪の方が好みなのに)
少年時代は短髪の方が似合うと思うんだよね。
王族と貴族はどうなのかと思ってそっちを振り返れば、いつの間にかみんな、私よりも深く掘っていた。やっぱり男の子って体力あるんだな。
「サルートス上等学校、男子生徒のほとんどが髪を伸ばしているのって有名だから僕もそれに倣っただけだよ。だけど女装できる自信がないから意味ないかなぁ」
そう言う王子エインレイドは背も高く、美少年ではあるものの、女の子らしさは本来の色合いだけだ。顔つきそのものが男の子なのである。いずれ精悍なタイプになるだろう。
たしかに女装しても似合わない。
同じく大柄なベリザディーノもスコップを地面に突き刺して一休みしながら同意した。
「だよなあ。レイドだけじゃなく、僕も女装は似合わない。伸ばす意味がないんだよ。だけど一人だけここで切ってみろ。鬱陶しいことになるじゃないか。ダヴィとリオはおとなしいんだし、頑張ればどうにか女装できないこともないか?」
「どうだろう。リオも女装は無理じゃないか? そもそも立ち居振る舞いが、男子と女子は違いすぎる。考えてみれば意味ないんだよな、ホント。ま、だからって僕も女装しようとは思わないけどね。そして短く切ることでわざわざ攻撃される材料を増やす必要もない。ところでこれだけ掘ればもういいか?」
「いいんじゃない? 五つあれば十分だよ。後は誰かが落ちないようにフタを置いて、それから柵と札をつけておけばいいね」
マルコリリオが満足そうに頷く。
これは生ごみを埋める為の穴だ。掘った土は山になっているから、穴の中に生ごみを捨ててから、少し土もかぶせておけば、いずれは肥料になるだろう。
警備棟もちゃんとゴミの回収はあるが、私達の出す生ごみはあまりにも自分達の欲望に満ちすぎていた。ゆえにこれで証拠を葬り去るのである。
四隅に杭を立てて、ロープで繋ぎ、「肥料作成中」「立ち入り禁止」の札をつければ完成だ。
「普通に地面だったから、土としてはまだまだ駄目なんだよね。だけど土壌が変わっていけば色もいずれ違ってくるし」
マルコリリオは、土の色が気に入らないらしい。畑じゃないから仕方ないよ。
「リオってばさぁ、土の分析もしたいわけ? そーゆーの、何か関係するの?」
「アレルがレタスも植えてほしいって言ったんじゃないか。酸性かアルカリ性か、そういうのもちゃんとしてあげないと美味しいレタスは育たないよ。それは石灰使うからいいけど。こうやって肥えた土を作っていけば、たとえばここに苗木を植えたっていいわけだろ?」
「うーん。地面に植えるのは許可が必要っぽいけど、ま、言わなければばれないよね」
「そうそう。だって一年限りのクラブなんだよ。記念にこっそり花の咲く苗木とかを植えておけば、見かける度にちょっと嬉しくなるじゃないか。金木犀の花なんてアレルの髪そっくりな色だよ。香りもいいしね」
「おお、まさに私の為にあるような花・・・!」
やはり私の匂いたつ魅力は、少年達の目にも隠せなかったのか。
マルコリリオは見る目がある。
「何言ってんだ、リオ。苗木なんて邪魔だからって切られて終わりだぞ。それならあまり邪魔にならない場所にちょっとタンポポとかスミレとかネモフィラとか植えておけばいいんじゃないか? ま、アレルなら花よりもトウモロコシ植えておいて食べられる方が嬉しいと思うけどね」
「それもそっか。アレル、トウモロコシ色の髪だしね」
「ディーノ、それ、私の髪にかこつけて自分が食べたいだけじゃないの?」
私の髪の色に変わりはないが、金木犀の花の色と言われるのと、玉蜀黍色と言われるのとでは、何だか気分が違うのだが。
「いいじゃないか。それよりアレル、先に着替えてくるといい。僕達も第2調理室で着替えるから慌てなくていいよ。いくらアレルの為に貸し出してくれている更衣室でも、あまり遅い時間帯に使うのはよくない」
「そうだね。じゃあ、着替えてくる」
ダヴィデアーレに言われて、私は警備棟の宿直室の一つに着替えに行った。簡易シャワーとトイレがついているので、私専用にしてくれたのだ。他のクラブメンバーは男の子なので、普通に警備員の人達と同じトイレを使っている。
それから第2調理室に向かえば、皆は着替え終わっていたが、コップが五つ出ていた。
「アレル、この赤いシロップ入れてソーダで割ればいいんだよね?」
「そうだよ。ベリーは入れないでね。シロップを飲み終わったら、残ったベリー、ジャムにしちゃうから」
本来、エインレイドはこういうことに手を出してはいけないそうだ。担当者が叱責されることになる。
ベリザディーノとダヴィデアーレ、そして平民のマルコリリオも、使用人のいるお坊ちゃま育ちだった。
だけどクラブに使用人はいないし、皆が平等。
最初は私のやることを見て説明を聞くだけだった四人は、手伝ってくれるのが当たり前になった。そしてマスターしてしまえば、勝手に動き始める。
どうやら普段は使用人の仕事として手出しできないことだから、やってみるのが楽しいらしい。
「えーっと、このレードルで掬えばいいのか。ちょっとリオ、瓶、傾けておいてくれる? ディーノは氷用意しておいてよ」
「それならもっとグラスの近くで傾けた方がいいよね。その方が零しにくいし」
「なあ、レイド。それなら氷を先に入れた方が良くないか?」
「それで昨日、君が濃かったり薄かったりしたのを作ったんじゃないか」
保存瓶の中のシロップを、氷の上に垂らしながら色合いでちょうどいい量を把握しようとしたのがベリザディーノだ。
言うまでもなく、失敗した。
「ははっ。今度はちゃんと掬った量をレードル何杯とか数えておけば大丈夫さ」
「そうなんだけど、たしかダヴィ、氷はあまり入れない方がいいって話じゃなかったっけ? だからダヴィは氷入れない方がいいんだろ。そしたら一つは氷無しか一個程度にしておかないと」
「それはクラブの研究資料だ。ディーノ、僕の氷は遠慮なく入れてくれないか。レイドが気を遣いすぎて空回っている」
「了解」
「えー。なんでそこで僕のせいになるのさ」
男の子というのは不思議な生き物だ。意見が対立してもそれをみんなで乗り越えてしまう。
ぶーぶー対立する意見を言いまくっていても後に引かない。
(ここまで手伝ってくれるようになったら、やっぱりエプロン必要だよね)
この部屋では上着を脱ぐのが当たり前になっているので、私は自分だけじゃなく四人のエプロンも買ってあげなくてはなるまいと考え中だ。
「あのさぁ、フォリッテリデリーってレスラ基地の近くにあるでしょ? 聞いたらね、そこの近くに衣料品店もあるんだって。ついでにそこに寄って、みんなのエプロン買わない? 私は自分で持ってきてるけど、みんなはやっぱり自分の好みとかあると思うし」
父から、警備棟責任者はエドベル中尉と言って、焦げ茶の髪に黄緑の瞳をした人だと教わったのだ。
エドベルさんって、クラブルームとして第2調理室を案内してくれた人だよ。ついでにフォリッテリデリーのことも教えてくれた人だよ。
おおう、まさか責任者の前で私は第2調理室をチェックしまくったのか。嫌みな奴だと思われていないといいんだけど。
いやいや、いつも私の頭を撫でてくれるし、手を振ってくれるから大丈夫。
というわけで、私はこっそり警備棟の多目的室に行って、みんなのエプロンを買いたいけれど、エインレイドを連れ出してもいいだろうかと、エドベル中尉に相談してみた。
エプロンなんてどこでも売っていそうだけど、一軒のお店でみんなが気に入るものが見つかるとは限らない。
するとエドベル中尉と一緒にその話を聞いていた警備員達の一人が口を開いた。
『どうせアレナフィルちゃん達、フォリッテリデリーに食べに行くんだろ? そのついでに寄ったらどうかな? あそこ、基地が近いから頑丈な衣服や生活雑貨が売られているマーケットホールがあるんだ。そこなら色々な小売店が入っているからどれか気に入るものがあるんじゃないか』
『え? そうなんですか?』
『そうそう。まあ、頑丈さがウリな物ばかりだと思うけど。俺もそこまで店の内容は見てなかったしな。ですよね、エドベル中尉?』
『ああ。火がついても燃えにくいエプロンとか作業服とか、断熱保護機能のついた手袋とか、刃物で怪我しにくい保護布とかも売られている筈だ。要は作業用が多いんだが』
『なんてこと・・・! そんなところに素晴らしいお店があった・・・! 私の分も買わなくちゃ』
『いやいや、アレナフィルちゃん。あそこで売られているのは業務用とか、がっしりしたものが多い。あまり可愛さとかはないんだよ』
『いえ、大事なのは自衛能力なのです・・・!』
『買いに行くの、エプロンだよね?』
『エ、エプロン、ですよ?』
『なんでそこで目を逸らすのかな、アレナフィルちゃん?』
『あっ、そろそろお部屋に戻らなくっちゃ。みんなが待ってるっ。それではっ』
『・・・・・・あ、逃げた』
というわけで、フォリッテリデリーのついでに衣料品店を覗いてもいいかを尋ねてもらっておいて、さっき了承されたという返事をもらった。王子であるエインレイドの護衛担当の人達の為にも、行動範囲は明らかにしておくべきだからだ。
到着ほやほやの新情報を元に、私はみんなを見渡してみる。
「私は自分の持ってきてるけど、みんなだってお料理用のエプロンや園芸用の作業服欲しいでしょ? そういう頑丈な服も売られているみたいなんだ。エプロン、本当は私が買ってきてあげてもいいかなって思ってたんだけど、どうせなら自分達で好きなの選びに行こうよ」
「楽しそうだな、アレル。実は自分が欲しいんじゃないのか?」
「ふっふー。分かるぅ? なんかね、聞いたら防刃手袋とかも売られてるみたいなんだ。それなら私も包丁研ぎとかできそうじゃない? 危ないからって止められてるんだけど、防刃手袋を手に入れてしまえばこっちのものっ」
ダヴィデアーレに説明すれば、呆れたような声でマルコリリオが加わってきた。
「包丁研ぎならディーノが得意だと思うよ。僕もできるけど。手袋なんかして、かえって持っていた包丁が滑ったりする方が怖いから無理しない方がいいって。それぐらいならちゃちゃっとやってあげるし。鎌とか、普通に僕も研いでるからさ」
「そうだな。片手剣術を習った奴も手入れぐらい学んでるから、男子生徒のほとんどは包丁研ぎぐらいこなせる。な、レイド、ダヴィ?」
「まあね。だけどアレルのことだから自分でもやってみたかったんじゃないの? って、ダヴィ、何してるのさ」
「いや。前から思ってたんだが、アレルって女の子なんだよな? たまに男じゃないかと思ってしまって、つい・・・」
いつの間にかダヴィデアーレが私の横にいて、勝手に手をにぎにぎと触っているのだが、何がしたいのだろう。
「ダヴィ、私と握手したかったの?」
「いや、うん、やっぱり包丁を研ぐのはやめておいた方がいい。指を切ってからじゃ遅い」
「包丁を研ぐぐらいで指なんて切らないと思うけど」
そう言いながらも、お前達もかって気分。私の父やマーサは過保護だ。包丁だって、大人がいるところじゃないと持たせてもらえない。
このクラブは、そんな私が自由にできる場所なのである。
オレンジ色の瞳を少し陰らせて、ダヴィデアーレは何か考えているようだった。
「あのさ、アレル」
「うん、何?」
「たしか双子の兄がいて、同じ顔なんだよな? そっちは経済軍事部にいるとか」
「そうだけど? もしかしてうちの兄にでも会ったの?」
「いや、そうじゃなくて・・・」
トルコ石の青緑色の前髪を揺らして言葉を選んでいるダヴィデアーレは生真面目な性格だ。話す時も考えてから発言する。
私の手をにぎにぎしている右手はともかくとして、その深刻そうな顔つきに誰もが首を傾げ始めた。
「どしたの、ダヴィ。私に惚れるならせめて社会人になって生活基盤を整えてからにしてよ」
「冗談はそこまでにしてアレル、そしてみんなも聞いてほしいんだが・・・」
「もしかして都合が悪くなった? お出かけするのは他の日に回しても大丈夫だよ?」
何を言いかけては迷っているのかと思いながら尋ねれば、ダヴィデアーレは何度か躊躇い、そして私の横にあった椅子に座ると、口を開く。
「ここだけの話にしてほしいんだが、ちょっとみんな聞いてくれ。今、エリー王子が経済軍事部に入学しているだろう? その学友として幼年学校時代からの生徒がそれなりに選ばれていたらしいが、何故か王子はアレルの双子の兄を唯一の親友としたそうだ」
「へ?」
私は目を丸くした。
ちらっとエインレイドの方を見れば、ほんの僅かに首を横に振っている。
「エリー王子は男子寮で生活しているそうだが、貴族ではそのアレルの兄しか寮生として親しく交流することを許されなかったらしい。・・・アレル、そのことについてちゃんと家族から話は聞いてるか?」
「えーっと、なんか男子寮に王子様がいるというのは聞いたよ? だけどうちの兄、別に王子様に近づいたりはしていないんじゃないかなぁ」
私の知る限り、その王子様、休み時間はこのメンバーと一緒だし、放課後のアレンルードは二つのクラブを掛け持ちしている筈だ。会ったら挨拶ぐらいはするだろうが、それぐらいだろう。
はあぁっとダヴィデアーレは溜め息をついた。
「男子寮で生活している王族は一人、そして貴族も一人だけだ。アレル、何故か分からないが、どうやらウェスギニー家の双子は兄妹ではなく兄弟だと思っているところもあるようだ。どうせ貴族はほとんどが経済軍事部だ。一般部にはいない。この際、弟だということにしておいた方がいい」
「えっと、それはどうして?」
「妹がいると知っているところは既に警戒している。今、エリー王子は次の国王になるかと言われている存在だ。ディーノもそうだが、僕にしても兄達よりも出るわけにはいかないからあえて他の部を選んでいる。君の兄が王子のお気に入りとなった以上、これで双子の妹ときたら、妃候補を狙っていると邪推されるだろう。小手先程度の悪あがきにすぎないが、みんなもアレルに関しては男子生徒に対するかのように扱った方がいい。・・・アレル、君は次の王妃になりたいわけじゃないだろう?」
「ないっ、そんな大それたこと、思いつきもしないよっ」
ベリザディーノが榛の実の黄赤茶色の髪を掻き上げる。
「その話だが、ダヴィ。アレルの兄は、エリー王子との茶会はしなかったという話だし、アレルだってこんな色気のない恰好だし、一般部だ。そこまで気にすることはないんじゃないか? 少なくとも僕が聞いた話じゃ、アレルを貶めたいわけではないが、アレルで王子妃候補はあり得ない。今までもなんだかんだ言いながら、それなりの身分だった筈だ」
「そうなんだが、・・・その筈なんだが、アレルを王子妃候補として養女にするという家も現れているそうだ。アレル、ウェスギニー子爵家は、ただの悪質な噂だと否定しているそうだが、真に受けた生徒が出るかもしれない。なるべく僕達と一緒にいて、そしていざとなれば双子の弟を装った方がいい」
「あ、・・・うん。ありがと、ダヴィ。だけど王子様なんて、婚約者は王様とかが決めるもんでしょ。私、関係ないと思うよ」
皆の目が私に集まった。
「ねえ、アレル。僕もよく知らないけど、たしか王族ってお妃様は自由恋愛じゃなかった? 政略結婚っていうのは貴族のやることで、王族は自分の好みでお妃様を選ぶって聞いたことあるよ」
「まさかぁ。だって王子様だよ? そんなの国同士とか、国内とかのことを考えて結婚相手を決めるに決まってるよ。私、関係ないって。子爵家なんて貴族の中では低位だからねっ」
マルコリリオに向かって、ふふんっと胸を張れば、誰もが私を憐れみの瞳で見つめてくる。
「ダヴィ、レイド。この海狸に何か言ってやれよ」
「だけどアレル、ウェスギニー子爵の娘だろう? なんで何も知らないんだ? いや、たしかにウェスギニー子爵、アレルを嫁がせる気はないみたいなことは言っておられたが」
「ごめん、ディーノ。うち、アレルのおうちとそれなりにお付き合いがあるから、勝手なことは言えない」
なんで私以外の誰もが分かり合っているのだ。ついでに王子様、あなたはどの貴族の家ともお付き合いがあると思いますが?
するとベリザディーノがダヴィデアーレと頷き合ってから私に向き直った。
「あのな、ビーバーにもよく分かるように教えてやる。我が国において国王は、恋愛結婚すると賢王になる、もしくは国が栄えるというジンクスがあるんだ。勿論、だからと言って恋愛結婚した王族が失敗していないわけじゃないんだが、何故か恋愛結婚をした正当な血筋の国王は、誰もがそれなりの逸話を残している」
「へー。・・・なんでみんな、そんなの知ってるの?」
どんなジンクスだよ、バカバカしい。
さっき「今までもなんだかんだ言いながら、それなりの身分だった」って言ってたのはそういうことでしょ?
結局は恋愛結婚と言いながら、政略結婚としてそれなりの令嬢が選ばれてたってことでしょ?
国王なんて神格化する為にもそんな逸話が捏造される商売じゃない。
「あのな、ビーバー。つまりこの国は、王子様と恋に落ちて身分違いの女の子がお妃様になるというおとぎ話が実現してきた国なんだ。まあ、そんな身分違いといったところで、誰もがせいぜい分家筋というだけで、それなりの血筋ではあったんだが。
今、エリー王子は第二王子ながらも第一王子を押しのけて国王に就くとも言われている王子だ。だから僕達の学年においては、かなり入学者も絞られたし、平民であっても貴族の縁戚がある女子生徒しか入学していない筈だ」
「・・・知らなかった。ということは、ベルナ、リンダ、フェニアも貴族の親戚がいるんだ」
「そうじゃないか? 少なくとも全くのド平民は入学していない筈だ。恐らく今後五年間はそうなるだろう」
「へー」
私がちらりとエインレイドを見れば、何でもないことのようにご本人様は興味深げな顔である。
「そうらしいよ。知ってた、レイド?」
「知らなかった。だけど道理で凄い騒ぎだったと思ったよ。なんで生徒が経済軍事部の聴講に押し寄せたのかと思ってたけど、つまり王子妃、ゆくゆくは王妃になりたかったからなんだ」
肝心の当事者はこんなものだった。私と一緒で何も知らなかったらしい。
ついつい知らなかった者同士で語り合ってしまう。
「凄いね。生きたおとぎ話なんだって」
「そっかぁ。だけどそれ、第一王子が国王になったら意味ないんじゃないの?」
「だよねー。兄弟で血で血を洗うとかいう関係ならしょうがないけど」
「仲が悪いだなんて聞いたことないよ。大体、一年生相手に本気で今から国王だの何だの考えている方がおかしいと思うけどね」
「言える。13才なんて女の子よりも男の子同士の友達が欲しい年頃に決まってるのに、どんな色ボケ王子だと思ってそんな話が出回ってるのかな。おかしいよ、ホント」
エインレイドはどうやら兄が一人いるらしいが、この様子なら国王になるというのも虚偽情報なのだろう。その第二王子様が、仲が悪いと思ってないのだから。しかもこの様子だと第一王子が次の国王。
末っ子として可愛がられて育ったという話だったし、彼の性格的にも兄を押しのけて国王になりたがるとはとても思えない。
というわけで、ダヴィデアーレとベリザディーノには悪いが、私達二人はうんうんと、穏やかにバカバカしいことだと片づけた。
「なんか、本当にアレルって王子様に興味がない貴族令嬢なんだね。僕、そっちに驚いたよ。うちの校舎とか、園芸クラブとかでも、王子様にはみんなが興味津々だったのに」
「そんなの一部じゃないの? リオだって別に王子様の教室に特攻かけてお友達になろうとしたわけじゃないんでしょ? そもそも私達、そういうのから乗り遅れてる落ちこぼれメンバーなんだよ」
貴族でありながら経済軍事部に行かなかった私達三人は王子様のお気に入りコースを狙う生徒達から外れた落ちこぼれ貴族で、マルコリリオはそんな私達とうまくやっている仲間だ。
そして身分を偽っているエインレイドは、爵位のない貴族の分家出身の平民寄り生徒だと思われている。
「ははっ。それはそうなんだけどな。ま、アレルがそれならいいさ。だけどダヴィが心配したのは全く根拠がないことじゃない。
僕だってウェスギニー家の息子がどうこうというのは聞いた。女装もできるウェスギニー家の子息に王子がご執心だっていうのは。ま、王子もいずれは女装男子じゃなく、綺麗な令嬢の方がいいと思い始めるだろうって話だ。安心しろ、アレル」
「その話のどこに安心しろってのっ!? ご執心って、うちの兄が危機なわけっ!? もしかしてうちの兄、王子様に襲われちゃうのっ!?」
うちのアレンルードは可愛い。ドレス姿なんて、まさに私とそっくりな愛の妖精だ。
まさか私の知らない内に、エインレイドとアレンルードとの間にそんな関係が・・・!?
すると冷ややかな声が聞こえてくる。
「アレル、そもそも君のお兄さんが危機とは僕には思えないんだけど」
「そうかもしれないけど、レイドッ、うちの兄が王子様に襲われたら大変なんだよっ。王子様にご執心なんてされちゃったら、うちの兄が危ないんだよっ」
「君がっ、君のお兄さん、王子と全く会話してないって言ってたんだよねっ!?」
「・・・おう、そうだった」
エインレイドの紫に見える瞳が怒りを内包していたので、私はそういうことにして口を噤んだ。
怒ってる。めっちゃ怒ってる。これはもう触ってはいけない領域だ。
「ま、いいか。明日はクラブ休みだし、ちょっと友達からも情報集めといてやるよ」
「ありがと、ディーノ」
「そうだな。僕ももう少し聞いておこう。ウェスギニー子爵家としては、ここで一気に躍り出るというのもいい話だろうと思うが、僕が見たところ、アレルもお父上もそんな気配はないようだし。
だけどアレル、次のクラブ参観は気を付けた方がいい。こちらもこちらの事情がある。恐らくうちの父、そしてディーノのお父上もやってくるんじゃないか? きっと君のお父上と会話する時間を取りたがることだろう」
「そーゆーの、クラブを巻き込まなくても普通にうちの父に・・・。というか、ウェスギニー家のことなら祖父に持っていってくれればいいんじゃないかなぁ。ちゃんと否定してくれるよ。うちの父、今、お仕事がとても忙しいらしいんだよね」
父が一時帰宅した時、お土産に溶岩をスライスした板をもらったので、マーサと私はその溶岩プレートを使って裏庭でちょっとお肉や野菜を焼いて食べてみたのだ。とても美味しかった。
アレンルードが帰宅したら、あれでお肉を焼いてあげようと考えている。
くっと笑みを漏らしてから、ダヴィデアーレが指先の腹で私の額をピンと弾いた。
「あのな、アレル。僕が言うのも何かがおかしいが、今、ウェスギニー子爵家はどの夜会も茶会も、つまり社交全てに欠席の返事を出しているそうだぞ」
「え、・・・知らなかった。そーゆーのって本当にあるんだ」
「そっちかよっ」
ベリザディーノが何か吠えているが、夜会や茶会と言われてもあまりピンとこないのだ。
だってうち、みんなで仲良くお茶するし。
だけどこれは由々しき事態だ。いざとなればアレンルードを囮にして逃げようと思っていたが、まさかその女装能力で兄こそがエインレイドに惚れこまれてしまったとは。
・・・うん、どんな妄想世界だ。
とりあえずこれは、誰に相談すればいいのだろう。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
うちの叔父はとても私達に甘い。どれ程に甘いかというと、「ジェス兄様、フィルね、お願いがあるの」と、近寄っていけば、今まで一度も断られたことがないぐらいに甘い。
ウェスギニー子爵邸では叔父のベッドに私のお気に入り枕を常備しておいてくれるぐらいに、叔父は私達にメロメロだ。叔父の寝室に用意されている私の枕は、とても素晴らしい逸品である。
枕カバーに使われている生地は木綿のような肌触りのシルクだが、普通のシルクよりも値段が高いという、どこかの名産品だそうだ。固定ファンはいるが、値段が高くて購入者がそこまでいないシルクだと、何かの際に父が呟いていた。
(普通のベッドより高い枕カバー。なんて女をいい気分にさせる人なの、ジェス兄様)
アレンルードには大きな枕が用意されている。こっちは普通の木綿製品だ。だけどプリントされているボール模様がアレンルードのお気に入りで、何枚も同じ模様のカバーがあるぐらいだ。つまり叔父は私達の好みを把握した上で、それぞれに合わせているのだ。
何かというと叔父が遊びに連れていったり、何かを買ってあげたり、手配してあげたりするのはアレンルードなのだが、良い物を与えられているのは私の方だ。まあ、あのアレンルードに高級品を与えてもすぐにぼろぼろにしてしまうだけだけど。
(そんなジェス兄様に相談したところで、心配することないよって微笑むだけだよ。ジェス兄様、私達の為ならどんな手間も惜しまないもん。何よりパピー、帰ってこないし)
というわけで、私は用務員をしているネトシル少尉に相談することにした。
たしか朝、彼はアレンルードと一緒に体を動かしていると言っていた。前夜の内にマーサに説明して、早朝から出かけてみれば、警備棟の前庭でアレンルードはネトシル少尉に格闘術を教わっている。
(体を動かしてるって、クロスリーボールの練習してるんじゃなかったの? なんでそんなことしてるかなぁ)
私に気づき、ネトシル少尉は軽く手を振った。
「おはよう、アレナフィルちゃん。何かあったのかな、早い登校だね」
「あれ、フィル。もしかして時間、間違えて来たの?」
「おはようございます、リオンお兄さん、ルード」
どうせまだ誰も登校してくる時間帯じゃない。私は二人に事情を説明したのだが、二人はあまり驚いてくれなかった。
「どうしよう、ルード。ルードってば可愛すぎて王子様のご寵愛とか言われてるんだよっ」
なんというトップニュース。掲載しているゴシップ紙をすぐさま買いに行きたい。だけどあくまで噂だけなので買いに行けない。
そんな私に、アレンルードは呆れたような顔で頭をがしがしと掻いた。
「あのさぁ、フィル。ご寵愛も何も、エリー王子と仲良くしてるの、僕じゃなくてフィル達だろ」
「だけど噂になってるのルードだよっ。養子になるって話も出てるってっ」
本人が分かってないだけで、周囲が大きなうねりを伴った大波を起こしたら流されることもあるだろう。
私だって双子の兄のことじゃなければこんなにも慌てない。
「あのね、フィル。どうして跡取りが養子に行けるのさ。しょうがないなぁ。ちょっとシャワー浴びて着替えてくるよ。リオンさん、すみませんが今日はちょっと・・・」
「ああ。そのことならアレナフィルちゃんにも説明しておけばよかったね。クラブルームに行っておいで。説明するから」
「あ、はい」
手早くシャワーを浴びて用務員服、そして制服に着替えてくるという二人の為に、私は第2調理室で蜂蜜と塩、そしてパンパン叩いたハーブを入れた水をピッチャーに入れておいた。
(警備棟のシャワールーム使ってたって何それ。ルード、私より馴染んでない? 時間帯が合わないから全く気づかなかったよ)
自分用にはミルクと蜂蜜を入れた紅茶だ。この蜂蜜は自分用として買ってきたもので、オレンジの花の蜜を集めた蜂蜜だから、ほんの少し甘い香りがついている。
やってきた二人は、ごくごくとピッチャーの水を飲んだが、紅茶も飲むというので同じものをポットから入れてあげた。
「クッキー食べる? ナッツとレーズン入りのバーもあるよ」
私はマーブルクッキー、そして押し潰し燕麦のバーも出してみる。
「俺はクッキーをもらおう。ルード君はバーを食べておいた方がいい。腹持ちもいいし、栄養価が高いからね」
「はい。・・・あ、ちゃんと食べられる。よかった」
「あのね、ルード。別に食べられないの、出さないから」
そんなこんなでダヴィデアーレから聞いた話を繰り返せば、アレンルードが溜め息をついた。
「なんで僕の名前が出てくるかなぁ。もうフィル、気にしないでいいよ。何かあったら僕か、叔父上にすぐ連絡してくれればいいから」
「うん。・・・だけど王子様ってどうしてそこまでみんなが押し寄せるのかな」
「さあね」
「だけどアレナフィルちゃん。あそこまで一緒にいたらエリー王子のこと、少しはいいなって思い始めてるんじゃないのかな。今は考えられなくても、数年後には気が変わっているかもしれないよ?」
「うーん。あのですね、リオンお兄さん。私、大きくなったら役人の仕事して、お金貯めて、外国旅行とか行ってみたいんです。私にはしたいことがあって、それは王子様のお妃様じゃないです」
「そっか。まあ、そうだね」
だけど考えてみれば、エインレイドは髪や瞳の色、髪型を変えていたところで、知っている人にとってはよく知っている王子様だったのだ。
私達の行動を見ている人は見ていたのかもしれない。
「初めまして。あなた、ウェスギニー子爵家のアレナフィル様でしょう? 私達、あなたにこれを渡しに参りましたの」
ある朝、私は学校に行く途中で、同じ制服を着た女子生徒達に囲まれることになった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
登校中に囲まれ、いきなり手渡された招待状。招待日は、再来週の休曜日だった。
私はどうすればいいのだろう。
1 行く。
2 お断りの手紙を出す。
3 無視して行かない。
分かってはいるのだ。頼れば、祖父も父も叔父も私を煩わせることなく対応してくれるのだと。そして、そうしてほしいと思っている。
(こうなってしまうと、情も湧いてしまうんだよね)
どうやらエインレイドは第二王子だったらしい。だけど私達と一緒に前払い制のフォリッテリデリーでご飯を食べたり、近くのハイキングコースを歩いたり、一緒に買い物したりすれば、初めてのそれがとても楽しかったというのが分かった。
自由のない王子様な生活。
私だって鬼ではない。何より彼はとてもいい王子様だ。
末っ子として可愛がられて育ったと、あの寮監先生だって言っていた。第一王子である兄を追い落とす気はないし、大好きだと言っていたエインレイド。
彼は今の日常を愛している。私と同じように。
「ごめんなさい、レイド。今日は、ちょっと兄の様子を男子寮に見に行ってくるので、移動車には一人で乗ってもらってもいいですか? 差し入れにお菓子も持って行ってきます」
「最近はちゃんと洗濯を頼むことを覚えたみたいだよ。だけど喜ぶだろうね」
「ええ」
とりあえず私は、男子寮に行くことにした。
― ◇ – ★ – ◇ ―
男子寮の寮監室にいた深く濃い群青色の髪に青の瞳をした寮監先生に
「フォリ中尉にお会いしたいのですが」
と、私は告げた。
すると奥の方にある寮監や警備員達が使うエリアへと通される。
「どうした、ウェスギニー。わざわざ俺にとは、何かエリーかアレンのことで心配事でもあったか?」
「先生。先生って本当は偉い人なんでしょう? 私に貴族の人間関係、教えてください」
「・・・どうして俺に聞きに来た?」
「理由が必要なんですか?」
私とアレンルードの誕生日会。わざわざ父が移動車を運転してまで迎えに行った三人。
ウェスギニー子爵家の使用人全員が揃って出迎える相手がその三人の中にいたとして、それはこのフォリ中尉だ。
そしてこの青林檎の黄緑色の髪をした寮監は、学校長室でも、そして我が家でも常に自分の意見を通していた。
まるで目立たぬ位置から命令を下しているかのように。
背の高さが違いすぎるので私が見上げていると、ワインレッドの瞳が少し和らぎ、ぽんっと私の頭の上に手が置かれる。
「ドネリア少尉。しばらく俺の部屋には誰も近づかせないでくれ」
「いいんですか? アレナフィル嬢については尊重すべしと決められています。ウェスギニー大佐も黙ってはおられないでしょう」
「別に何もしないし、最初の部屋しか通さなければ大丈夫だろう。こんな誰が来るかも分からんところで言えることと言えないことがあるだけだ。何より今、ウェスギニー大佐は国境から離れられん。俺以外の誰が対応するんだ?」
「分かりました。では、ウェスギニー君。後でお茶を持っていきましょう」
「ありがとうございます、先生」
ドネリア少尉と呼ばれた深く濃い群青色の髪をした寮監先生が見送ってくれたが、彼は少尉だったのか。こうなると兵士は存在するのか。士官しかいないとかいうオチなのか。
通された部屋は四階だった。
「寮監先生の部屋って、続き部屋が二つもあるんですね」
「まあな。右側がキッチンルーム、左側が居室、その奥がバスルーム、そして寝室だ」
「つまりここは応接用の部屋ですか」
「そうなる。さすがに奥の部屋に連れこもうものなら俺とて叱責されるどころじゃすまん。ほら、掛けろ」
「はい」
扉から入ったすぐの部屋は応接用の部屋だったが、それ以外の部屋に通す気はないらしい。通されても困るが、なんだかとても格差を感じる。経済格差? 身分格差?
学校内施設に備えられているにしてはどの家具も品質がいい気がしてならない。
座り心地のいいソファに座って向かい合えば、本気でこの寮監は大柄だなと思った。
「それならお茶を持ってきてもらう必要、なかったのでは」
「キッチンルームで、まさかお前に淹れさせるわけにもいかんだろう。で、どうした? 誰かに絡まれたか?」
お茶どころか、あのクラブ参観であれこれ出させた奴のセリフではない。
だけどフォリ中尉という名前を出した途端に扱いを変化させたドネリア少尉。もしかしたら生徒としての扱いと貴族子女としての扱いとをきっちり分けているのかもしれない。
「お茶の招待状をもらったのです。祖父や叔父に相談すればうまく断ってくれると分かっていますが、学校で顔を合わせる相手に対し、何も知らないわけにはいきません。客観的に見たエインレイド様の置かれた状況、この招待状の差出人の情報、我が家の立場、そして先生とネトシル少尉のことを教えてください」
朝、渡された招待状を見せれば、差出人の名前である「アンデション・ウォルウェイ・ローゼリアンネ」を見て、フォリ中尉は首を傾げる。
「ここなら俺じゃなく、グランルンド伯爵家のダヴィデアーレ君が詳しいだろう。アンデション伯爵家は、彼の母方の実家だ。ちょっと待ってろ」
「あ、はい」
なんで友達の母方の実家まで私が知らねばならんのだ。引きこもり子爵家令嬢をどこまで買いかぶるのだ。
あくまで愛称で呼び合うと決めたクラブメンバーで苗字を覚えているわけがないってのに。
フォリ中尉は居室の方へ行くと、しばらくして戻ってきた。
どさっと私の隣に座ると、その手にあった書類をぱらぱらとめくり、その中の一つの行を指さす。
「ほら、これだ。アンデション伯爵家の娘、ローゼリアンネ嬢。ほとんど黒に近い髪にオレンジの瞳をしている」
「え? そんな人、いませんでしたよ? たしか、黄色っぽい髪が二人、紫の髪が一人、青い髪が一人です」
「それはおかしいな。ちょっと待ってろ。その顔、覚えているか?」
「髪と瞳の色程度なら」
口に出さなかったが、私は戦慄していた。
何なの、このリスト。名前と容姿の特徴、誕生年月日、趣味や身につけている教養、受賞歴が一覧表になっているんだけど。
(まさかこれ、レイドのお妃候補一覧表とかいう奴? 私が見てもいいもんなの? 私が見たと分かったらまずいものなのでは・・・。この人ってば実は寮監とは仮の姿、王子様の縁談仲介人っ!?)
貴族の娘として男性と二人きりというこの状況はあまりにもよろしくないのだが、人払いをした理由が、これを私に見せたことを知られるわけにはいかないということならば納得だ。王子の縁談は国の未来にも影響する。
だけどどうして、ここまで私に融通してくれるんだろう。
再び居室へと向かったフォリ中尉が持ってきたのは、全校生徒のフォト名簿だった。
「貴族なら経済軍事部だ。覚えているならその顔を見つけてみろ」
「はい」
どうしてこんなものを持っているのだ。
聞きたいけど聞けない。言ったら後戻りできなさそうで恐ろしすぎる。王族の政略結婚の闇なんて知りたくない。
そして何故、私の隣に座るのだ。
聞いたらとんでもないことを言われそうで、何も言えない。
一緒に覗きこんでいたフォリ中尉に、
「この人達の顔が似てます」
と、幾つかの顔を示せば、そうかと頷いた。
誰もが私よりも年上だ。
私の膝の上に置いた全校生徒のフォト名簿だが、その四人の名前をフォリ中尉はさらさらと手持ちの紙に書いていった。
意外と字は綺麗だ。
「いいか、ウェスギニー。アンデション伯爵家のローゼリアンネ嬢の招待状は本物だろうが、基本的に貴族の子は幼年学校時代から茶会や趣味の場を通して知己を増やしているし、親戚付き合いもこなしている」
「はい」
私の隣に座り、頭に手を置かれていると、正直なところ、こんなにも近い位置に家族以外の男の人がいるという状況が久しくなかったので、とても戸惑う。
「何を変な顔をしてるんだ。もしかして他人に近づかれるのが苦手なのか?」
「はい」
「慣れろ。誰にでも近い距離を許すのはまずいが、お前が俺を選んだんだ。そうだろう?」
「え? そういう話でしたっけ?」
どんな選択だよ。そっちが勝手に座ってきたんだよ。私が自分から抱きつきにいくのは祖父母と父と叔父と兄、そしてローグとマーサだ。
私は単に、あの中で誰よりも偉そうにしていたから一番情報を流しても怒られない立場なのだろうと思っただけだ。つまり口の緩さがあると判断しただけである。
情報漏洩は末端よりもトップを狙った方がいい。
「お前は惜しい奴だが、根本は間違っちゃいない。エリー王子狙いじゃないとしたいのであれば、誰か適当な奴を使うしかないだろう。そしてお前はクラブメンバーを巻き込みたくない。そうだな?」
「そうかもしれませんが、なんで先生が、お見通しだぜって感じで語るのか、それが分かりません」
つまり私の正体がばれていて、しかも私がエインレイドの近くにいることも知られている。王子エインレイドの恋人もしくは妃狙いじゃないとアピールしたいなら他の男子を私は用意しなくてはならない。
つまりこのフォリ中尉を選んだのは私じゃないかと、彼はそう言いたかったらしい。
なるほど、納得だ。
(言われてみればその通りかも。だってこういう時、用意できる中で一番の実力者を持ってこないと危険だし)
うちは子爵。そして王子様を狙う女の子達は、私よりも身分の高い貴族令嬢だろう。同じクラブメンバーの男子生徒をボーイフレンドに仕立て上げても、いつ私が心変わりしてエインレイドを落とすか分からないって思われる。
エインレイドから完全に離れるか、もしくは誰か女子生徒達を蹴散らせる実力者を用意するか。私にはその選択肢しかなかった。
だけどこの意地悪寮監だか中尉だか、私の頭を撫で続けるのはどうかと思う。
いつだって私を遠慮なく撫でていい男の人は、祖父と父と叔父だけなのに。最近は警備棟の人達にもよく撫でられてるけど。
「気にするな。お前のことを知った上でローゼリアンネ嬢が招待状を手配したのか、頼まれて仕方なく書いたのかは知らんが、その四人が、お前のその制服でアレンではないと見極めていたのなら、お前がグランルンド伯爵家のダヴィデアーレ君と一緒にいたことも分かっている筈だ。その上で本人であるローゼリアンネ嬢が出てこなかったのなら、考えられることは大体が三つだ」
「三つ・・・」
どうせなら名探偵よろしく一つにしてほしい。
「ダヴィデアーレ君自身がお前への招待状を渡す繋ぎを断ったか、実はローゼリアンネ嬢とダヴィデアーレ君の仲が悪いか、もしくは招待状を出したくなかったのにその四人に押しきられたか。ま、そんなところか」
「ダヴィが断った・・・?」
「当たり前だろう? 一度も会ったことのない相手に招待状を出す? 予定も訊かずに? 大体はその相手を知っている人に紹介してもらってからだ。それならお前に対しては、アールバリ伯爵家のベリザディーノ君、グランルンド伯爵家のダヴィデアーレ君のどちらかを通すだろう。貴族ならばな。だが、それがなかったというのであれば、二人が頑として断った。そういうことだ」
招待状を渡す以上、まずは知り合いになっていなくてはならない。そしてその差出人ならば、ダヴィデアーレを仲介せずに招待状を出すなど非礼も極まると、フォリ中尉は言った。
はっきり言えば、
「どなたかとお間違えかと存じます。私、あなたを知りませんから」
と、手紙を突っ返してもいいレベルだとか。
まさに女主人が「一見さんお断り」でメンバーを選別した上で開くのがお茶会。
今まで交流したことのない人間が招かれるなど、芸人や歌手を呼びつけるのと同じようなものだ、そんな一方的な招待が許されるのは王族だけだと、フォリ中尉は言った。
「お前はれっきとした子爵の娘だ。こんなのが明るみに出たら、アンデション家はウェスギニー家をそこまで侮り見くびっているのかと言われても仕方がない。ローゼリアンネ嬢も父親に叱責されるだろう。子供だからまだ目こぼしされるとは思うが。・・・それぐらいなら強引にでもダヴィデアーレ君を通じて紹介してもらった方がよかった話だ。同じ学校にいるんだからな」
「ああ、だからダヴィと仲が悪いかもしれないって話に・・・」
ふと、ここ数日の二人を思い返せば、たしかに二人は何か悩んでいるような気配があった。
「え。だけど二人共、そりゃ貴族令嬢なお友達は欲しくないかとか尋ねてきてたけど、まさかそんなことなんて思わないですよ」
まさか二人は私をガードしてくれていたのか。だけどそれなら遠回しに変な質問なんかしないで、はっきりきっぱり言ってくれればよかったのに。
すると横にいる寮監先生からとても呆れたような気配が漂ってきた。
「あのな、あいつらの立場も考えてやれ。家族からの要求とお前との友情との間でかなり頑張ってたんだろうが」
アレンルードは本当に王子と親しくないのかとか、貴族のお嬢様な友達は欲しくないのかとか、そんなことを尋ねられても、
「そんなことないよ」
と、普通に答えていた私が分かっていなかっただけらしい。
私は双子の兄が可愛すぎて王子に襲われたらどうしようと、そっちを心配してあまり真面目に聞いていなかった。
「となると、ここはまず情報を集めなくては。というわけで先生、先生の立場と使える権力と、そしてこの四人のおうちとディーノとダヴィの家族関係を教えてください」
横に座って私の頭を撫でさせてあげたのだ。十分に堪能させてあげた料金は回収しなくては。
だけど彼はそう思わなかったらしく、
「は?」
と、ぽかんと口を半開きにした。すぐに軽く頭を振って気を取り直したけど。
「なんでここで俺の権力とか言い出すんだ」
「私に何かあったら、大切なエインレイド様だって影響するんですよ? ここは男として自分の全権力を使ってでも私を守ることで王子様を守るところじゃありませんか」
「あのなぁ、お前はどこまで俺を利用する気だ」
そう言いながらも、ワインレッドの瞳は面白そうな感情を宿していた。
「誕生日会でご飯食べさせてあげたじゃないですか。だからその恩と思ってください」
「なんでそれが恩になるんだよ」
やはり夕食程度では恩にならなかったらしい。
たしかにうちより身分が高くてあちこちに不動産を持っているお坊ちゃまだ。日頃からいいもの食べてそうだよね。
だけど私を見放す気もなかったらしい。
「まずはレミジェス殿に相談して、そのアンデション伯爵家のローゼリアンネ嬢にお断りの返事を書けばいい。その日は先約が入っているという理由にしてな。安心しろ。その日はちゃんと違う茶会に招いてやる。その四人が文句つけられないところだ」
伯爵令嬢が利用されただけならば、こんなことで親に叱責されたら可哀想だと、フォリ中尉は事を荒立てずに終わらせた方がいいと言った。
だけど二度とそんな招待状をもらわずに済むように、お会いしたことはないのに招待状を頂いたという一文を組み込んでおくようにとも。
そこで今回のことを仕組んだ四人が誰も逆らえない貴婦人を持ってくれば二度とやらないだろうと。
(まあね。八方美人的な解決ってのもどうかってことになるけど、たしかに子供の失敗で二度と立ち直れないダメージ与えちゃうのも可哀想かも。ただ、その文句つけられないところって・・・)
いや、そんな貴族夫人を持ってこられるのもなんだかリスキーに思えて仕方ない。目の前の野犬を避けたら、代わりに狼を持って来られる感じじゃ意味がない。
「まさかとんでもないおうちじゃないですよね?」
「安心しろ。身分は高いが、貴族とのごたごたとは一線を引いている。今後、どんな招待状が来ても、その貴婦人のお話し相手として予定を全て空けているので約束できないと断ればいい」
どんな人だよ。誰にでもお断りできる程の貴婦人ってどんだけだよ。
かえって怖いものがある。そして一番怖いのはその貴婦人とやらを私が知らないことだ。
怖い。めっちゃ怖い。かえってこの招待状のお嬢さん達の方がよほど雑魚扱いできていい気がしてならない。
「先生。その貴婦人の承諾はまだ取ってないですよね?」
勝手な約束を一方的に取り付けた気にならないでほしいぞ。その貴婦人とやらは、このフォリ中尉には配慮してくれても、他の小娘にまで親切にしてくれるとは限らないってこと、あんた分かってないだろう。
男ってこういうところがよくある。
自分が頼めばちゃんとやってくれるに違いないと、根拠のない自信を垂れ流すところが。だからたまにそういう根回しができてなくて、壊れる商談がどれだけあったことか。
自分の自信と、他人からの評価とが一致しているとは限らない。私はそれを知る賢女だ。
だが、フォリ中尉は何ということもないように私の顎に左の親指と人差し指を引っかけて上を向かせてきた。
「いずれこういう話になるのは分かっていたから、承諾なら取りつけてある。ミディタル大公妃だ。誰もが文句つけられん相手だろう?」
タイコウヒ。大公妃というと、大公のお妃様。
王族と公爵との間に位置するめっちゃ上のお方。
怖いわ。めっちゃ怖いわ。誰もが文句をつけられない相手かもしれないが、うちなんてぺちゃんこにされてまうわ。
ああ、助けてお父様。やっぱりあなたがいるおうちからフィル出ない。出たくない。
ゆえに私はぶるぶると首を横に振った。
「大公妃って、それ、普通の貴族令嬢のお茶会の方がよほどいいような気がします。私、そんな偉い方とのお茶会に参加するなんて無理です」
「大公妃はお前が礼儀知らずでも気にしないさ。どうせ俺で慣れている。うちの母だし、他の客もいない。何ならエリーの話でもしてやれ。きっと楽しく聞くことだろう」
「先生の、・・・母親。ところで先生、ご婚約者は?」
なんだ、こいつの親か。それなら約束を反故にされたりはしないだろう。そうは思ったが、よく考えなくても目の前の青年は恐らく独身。
それはもっとまずい気がする。王子の恋人狙いの目くらましにはなるかもしれないが、その大公妃にとっては、私が息子にアタックしようとしている小娘として認識される事態だ。
(違う危機が発生するとしか思えない。というか、どんだけ偉い身分だったんだよ)
全くもって偉そうな態度だなと思っていたら、大公の息子だったのか。
顎に指を掛けられて上向かされているだなんて、まさにキスされる前段階だが、私は良くも悪くも相手にその気配がないことを察することに長けていた。
客観的に見たらちょっといかがわしい仕草なのだが、この人は私の反応を見ているだけである。
「婚約者ねえ。何度も色々な話が出ては消えていったな。安心しろ。サルートス国王陛下は種の印も出ていない子供に対し、成人が結婚を強要することに不快感を示されておられる。勿論、お前も俺の婚約者候補かもしれないという話は生まれるかもしれんが、それならあのクラブメンバーなりネトシル少尉なりを巻きこむか?」
私はちょっと考えた。
ネトシル少尉、つまり用務員を装っているリオンお兄さんは、とてもいい人だ。だけどあの四人の中には侯爵家の娘もいた。
あんないい人をどうして利用できるだろう。ダヴィデアーレやベリザディーノだって、最初からエインレイドと同じ校舎を希望せずに距離を置いていたのだ。それは長男じゃない弱みがあるから。
どんな家でも家族内格差や立場の差はある。うちのように双子の妹の幸せまで考えてあげる家ばかりじゃない。
「分かりました。うん、先生ならどうにでもなりますよね。ところで先生、大公妃様のお茶会ってどんなドレスで行けばいいんでしょう」
「制服でも普通のドレスでも何でもかまわん。だが、あまり着飾る必要はない。気合の入ったドレスなど着ていったら、まさに俺の婚約者候補となりかねんからな。普通に、世間知らずな王子が学校で馴染めているかを心配している大公妃にお話をしに行くスタンスでいればいい」
なんでエインレイドが学校で馴染めているかを大公妃が心配するの? 意味不明だよ。
「まさかと思いますが、実は王子の情報を手に入れて大公家がとか・・・。まさかと思いますが、先生、実はエインレイド様の近くにいることで・・・とか、どろどろしたものがあったりしませんよね?」
こういう時、実は大公家とかが暗躍していたりするのではないか。王家に対する謀反とかを計画していて、まずは王子の近くにいる女子生徒を手駒にしようと・・・。
私の至極当然な不安は、蔑んだ眼差しで応えられた。
「ミディタル大公は、国王の弟なんだが? 何がどろどろしているのか、俺に分かるように言ってみろ」
「ってことは、先生ってレイドの従兄でしたか。道理で態度がでかいと思いました」
フォリ中尉は国王の甥だったらしい。
ああ、そりゃうちの使用人全員が勢揃いしてお出迎えぐらいするよね。エインレイド王子に対して、呼び捨てもするよね。あんながさつな態度でも王子が気にしないわけだよね。
道理で学校長も王子のことで男子寮監にお伺いを立てるようなスタンスでいたわけだ。まさに王子の保護者としてこの人は学内にいたらしい。
(それなら巻きこんでも全く罪悪感を持たなくていいや。だってフォリ先生にとっても身内な王子のことだもん)
問題は、態度がでかいと言われたことに、ぴきっとフォリ中尉が反応したことかもしれない。
私は深く濃い群青色の髪をしたドネリア少尉がお茶を運んできてくれるまで、立ち居振る舞いの練習をさせられた。
初めての挨拶は全てに響くから大事なのだと。
(なんてこった。レイドよりも厳しい。レイドなんて、普通に礼をとればそれでいいよって言ってたのに)
コンコンとノックをしてからお茶のトレイを持ってきてくれたドネリア少尉が、気の毒そうな目で私を見る。
「もしかして歩く練習ですか?」
「あと、挨拶の口上だな。ウェスギニーはあまりにも実体験が少ない」
「頑張ってくださいね、ウェスギニー君。歩く速度も、腰をかがめる時のタイミングも、正式な場では全て決まっているものですから」
「はひ・・・」
エインレイドはここまでできなくてもいいと言ったと、私が主張したところ、フォリ中尉はなんということもなく言った。
「当たり前だ。お前だって使用人の取るべき礼儀が理解できてるか? お前の前では侍女やメイド達がどんなことに気をつけているか、お前が何かやらかしているからと声を掛けようとする使用人でさえ、どういう手順で動いているか理解しているか? エリーが貴族令嬢の礼儀など、本質的に理解しているわけがないだろう。マナー知らずな令嬢の非礼を咎めるのは女官達の仕事だ」
礼儀を持って挨拶するのは臣下たる貴族の常識であって、その礼を受け取る王子が詳しい筈がないだろうと馬鹿にしてくるフォリ中尉はいじめっ子すぎる。
ある程度の挨拶や作法は、バーレンの母親から教わっていた私だが、その他大勢で広間に集まってる挨拶では、大公妃に招待された時のパターンでは全く役立たないとフォリ中尉は吐き捨てた。
だけどどうして私がこんな苦労をしなくちゃいけないのかな?
「何だろう。何か釈然としない何かがあるんです」
「大公妃は王族の立場も貴族の礼儀も詳しい。今のお前じゃどうしようもないな」
「そもそも普通の子爵家の娘で生きていくなら今のままでよかったような・・・。全ては王子様を守りきれなかった先生達が悪いような気がするんです」
私はちゃんと言った。他のお友達ができたら私はお役御免にしてほしいって。
それなのに私にばかり負担が押しつけられている。そんな気がする。
「だから責任もってまともな令嬢に仕上げてやると言ってる。前子爵もそれで了承されるだろう」
「・・・ひどい。現子爵の意見を聞いてください」
「留守だ」
結論から言おう。
毎朝、私には移動車が差し向けられ、少し早めに学校に来てから優雅な歩き方、エスコートされる時の顔のあげ方とタイミング、お茶会に招かれた時の作法、全てが特訓となった。




