13 バーレンがやってきた
ウェスギニー子爵邸にいる時は、メイドがお世話をしてくれる。
もうお誕生日は終わったから、淡い黄色のシャツに若草色のベストとズボンを着てみたら、アレンルードがなんだかとても不機嫌だ。
「どしたの、ルード。可愛いフリル付きシャツ、嫌なの? 似合うのに」
「僕、いつまでも子供じゃないんだけど」
「しょうがないなぁ。じゃあね、これ。ちょっと大人っぽい黒。真っ赤なコンドル、とっても素敵。凛々しいよ」
仕方ないから、アレンルードには胸元に赤いコンドルが刺繍された黒いシャツを選び、焦げ茶色のズボンを穿かせて、手を繋いで食堂まで行った。
「お祖父ちゃま、お祖母ちゃま、パピー、ジェス兄様、おはようございます」
「お祖父様、お祖母様、父上、叔父上、おはようございます」
まっすぐ叔父の所へ行って抱きついただけのアレンルードと違って、私はちゃんと祖父母の頬にキスしてあげたのだが、何故か二人の顔には疲労があった。
だけど祖母のスカートとお揃いの色のベストを祖父が着ていて、珍しいなと思ったりもする。あまりペアルックはしないのに。
「ああ、おはよう。フィルはもう酔いは醒めたのか?」
「酔い? フィル、お酒なんて飲んでない。お祖父ちゃま、もしかしてお酒飲んでたの?」
「ああ、フィル。あなたって子は・・・。もう二度とお酒は飲んじゃいけませんよ」
「お酒? フィル、お酒、飲んじゃったの?」
いや、言われてみればスパークリングワインは飲んだ。だけどあれはお酒じゃないだろう、ただのソフトドリンクだ。うん、その筈だ。そしてお酒というのは五杯目からカウントするものだ。
二人共、私の頭を撫でてくれたけれど、いつもより優しくない気がする。なんか恨みがましいというのか、何というのか・・・。
いや、気のせいだろう。だって二人共、眼差しは優しいし。
「パピー、どうして首までのシャツなの? 寒い? お風邪ひいた?」
「いや。たまにはいいかと思ってね。よく眠れたかい、フィル?」
「うん。だけどフィル、お誕生日のご馳走、食べた覚えがない。どうしてかな」
「眠かったからだろう。だけどちゃんと全部食べてたよ」
「そうなんだ」
父は何故か薄手の黒いタートルネックのシャツに、水色の上着を羽織っていた。
私が頬にキスすれば、お返しに私の頬へとキスしてくれるけれど、ぎゅっとついでに抱きしめてくれる腕が少し強い。
「ジェス兄様。先に起きちゃったの?」
「ああ。ところでフィル。フィルはお酒に弱いみたいで、酔うと人の首筋や体をキ・・・、いや、齧ってしまう癖があるみたいだ。お酒は二度と飲んじゃいけないよ」
「ふぇ?」
そんな叔父も、スタンドカラーのくすんだグリーンのシャツとキャメル色のベストを着ていた。
私を抱き上げてからお互いにすりすりと両側の頬ずり攻撃をすると、最後に頬へとキスしてくれたので、私も叔父の頬にキスをする。いつもより抱き上げている時間が長いのだが、大丈夫だろうか。
「あのさぁ、フィル。フィルってば夜中とか朝とか、ベッドで僕の腕も噛み噛みしてたよ。痛くなかったからいいけど、そーゆーの酒乱っていうんじゃないの?」
証拠にと、アレンルードが歯型のついた腕をまくって見せてくる。
「え。・・・えええっ!? も、もしかして私はお腹が空いていたっ?」
「フィル、それはないよ。叔父上のデザートまで食べてたんだから」
「えー。フィル、デザート食べた覚えない」
「食べたってば」
全く覚えがない。
そこへメイド達に案内されて、三人の男性がやってくる。もう誕生日会は終わったので、白いシャツにダークカラーのスラックス姿だ。
「あ、先生とお兄さん達だ。おはようございます」
「おはよう。機嫌は直ったか? ・・・ああ、顔色もいいな」
「機嫌・・・?」
ひょいっとフォリ中尉と名乗っていた寮監先生に腰をつかまれて持ち上げられたのだが、高い高いを喜ぶほどの子供じゃありませんよ、私。まあ、してくれるなら腕を広げてあげてもいい。
下ろされるついでに、頭を撫でられて左頬にキスされたのだが、これは赤の他人にされてもいいことなのだろうか。
(そーゆーのって普通家族にしかやらないんじゃないの? それともサルートス国では一晩お泊まりしたらもう家族枠なの?)
戸惑ってその顔を見上げれば、斜め後ろにいた用務員なネトシル少尉が、腰をかがめて私の頭を撫でて右頬をキスしてくる。
「おはよう、アレナフィルちゃん。よく眠れたかい?」
「は、・・・はい」
貴族のお客さんというのは、朝の挨拶に頬へのキスをするものなのか。
すると最後のオーバリ中尉が中腰で私をぎゅっと抱きしめて、頭に頬ずりしてきた。
「おはよう、お嬢さん。うーん、やっぱり違うわ。さすがボスの娘だ。大きくなったら覚えてろ」
「・・・ふぇ? お父様。みんながおかしい」
君達が目をつけ、仲よくやっているのはアレンルードではなかったのか。私にするならアレンルードにもしたまえ。しかし三人共、体格そのものが私よりもたくましく大きいので周囲が見えない。
「気にしなくていい。どうせ繊細な奴などいない。鬱陶しければ噛みついとけ」
答えになっていません、お父様。
だけど私は悟った。この話を長引かせてはいけないことを。
私の第六感が囁いている。
(なんか三人共、私に好意的すぎるんだけど。何かあったのかな。別にいいけど)
よく分からないが、三人は一晩で仲良くなったらしい。
今度、みんなでキャンプに行こうと言われた。勿論、父や叔父、アレンルードも一緒にということだ。
「えっ、キャンプですか? そうしたらお外で寝ても大丈夫な季節ですよね?」
「アレン、たしか狩猟犬や軍用犬が泳ぐのを見たいとか言ってただろう? 何なら大型犬を連れてってもいい。お前一人ぐらい簡単に背に載せられる救助犬がいいか?」
「そんな犬もいるんですかっ?」
「ああ。よく食うし、でかい」
アレンルードは近くに川や湖があって釣りや泳ぎを楽しめるばかりか、岩壁登攀設備もあるというので乗り気である。だけど父と叔父の嫌そうな顔が気にかかった。
愚かな兄よ、お前がフォリ中尉とネトシル少尉にどんな楽しい設備があるのか尋ねている時、父とオーバリ中尉は訓練キャンプとかいう単語について何やらひそひそ話してたぞ。
登山道が整備され、調理場や寝泊まり設備もそれなりに使いやすく出来上がっているキャンプ場で楽しく遊ぶというのなら私だって参加したい。子供を誘うキャンプ場ならそんなものだ。
叔父もそういうキャンプは得意だろう。だけどそこの寮監は私を罠にかける天敵だ。
「うーん。一緒に行ってあげたいけど、まだ予定が分からないんだ。もしかしたら工場に行かなきゃいけないかもしれなくてね。このところ、何かと駆けつけなきゃいけないことが増えてるんだ。泊まりは難しいかなぁ。だけど皆さんが一緒なら安心してルードをお願いできるね」
しかも叔父は当日行けなくなりそうな理由を今から言い始めている。
それ、参加したらまずい奴じゃないの?
「えっと、私、女の子だから父や叔父がいない所でのお泊まりはできないんです。ごめんなさい。うちの兄だけお願いします。父はいきなり行方不明になるのでお約束できません」
体を動かすのは嫌いじゃない。これでも私、何かと裏庭で体を動かしている。
だけど泥だらけになったり擦り傷作ったり虫に刺されたりしにお出かけするのはお断りだ。
愛する兄を笑顔で見送り、私はおうちで優雅に過ごすとしよう。
「あのさぁ、フィル。顔に面倒くさいから行きたくないって書いてあるよ」
「そんなことないよ、ルード。私ね、寂しくても我慢するの。だから元気に帰ってきてね。代わりにね、今一緒に朝ごはん食べてあげる。はい、お塩。卵に振りかけると美味しいよ」
「自分で取った方が早かったんだけど」
「ルード、照れ屋さん」
よし、これで兄の機嫌は取った。アレンルードは単純なので実はちょろかったりする。
朝食が終わった後で、
「昨日は渡せなかったから」
と、三人から誕生日のプレゼントをもらった。
寮監先生、つまりフォリ中尉からは風景画が浮き彫りになった大きなチョコレート。
用務員、つまりネトシル少尉からは色とりどりのキャンディが沢山入った大きくて綺麗なガラス瓶。
父の元部下にあたるオーバリ中尉からはペンギンのぬいぐるみを。
「うわぁ。お祖母様、見て見て、みんな可愛くて大きいっ」
「よかったわね、フィル。お菓子は少しずつ食べるのよ」
「はぁい」
学校に持って行ってクラブのみんなと食べてもいいかと尋ねたら、好きにしていいと言われた。
こんな大きなチョコレート、嬉しいけど砕いてお菓子や飲み物に使わないと、一人で食べきるのは無理なんだよね。
アレンルードは、なんだか軍人が使うようなグッズをもらったらしい。自慢されても、羨ましくなかった。男の子って、そういうナイフとか嬉しいもんなの? ハサミの方が便利だと思うよ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
せっかくだからと遊戯室でテーブルビーリヤルをやることになった。アレンルードと私は子供なのでハンディをくれるそうだ。
叔父と一緒にキュー・スティックを手に取ってバランスを見ていると、父とバーレンがやってきた。
「お誕生日おめでとう、ルード君。フィルちゃんも悪かったね。俺の酒のつまみを作るついでに、舐めさせていた酒の味覚えちゃってて、つまみ談義を披露しちゃったんだって? 子爵と子爵夫人には平謝りしてきたよ」
「へ? 何それ」
「おいおい。一晩寝たらすっぱり忘れる酒かぁ。ま、今度から盗み飲みはやめような、フィルちゃん」
「・・・あ。思い出した。そーだった。前菜がこれまた酒のつまみによさそうなものばかりで・・・」
おおう、やばい。バーレンは今も私の祖父母を子爵、子爵夫人と呼ぶ。
バーレンと一緒にいる父が肩をすくめているが、父から話を聞いてバーレンは祖父母に謝ってくれたようだ。
悪いことをしてしまった。父の友人として出入りしているこの家に、私が原因で来にくくなったら困るだろうに。
「ごめんなさい、レン兄様」
申し訳なくて項垂れれば、ぽんぽんと頭を撫でられる。どうやら怒ってはいない様子だ。父が庇ってくれたのだろうか。
「いいさ。あ、そうそう。これがお誕生日プレゼント。ルード君には修得専門学校のドリンク付き軽食チケット。こっちは夜までやってるからね」
「ありがとうございます、バーレンさん」
覗きこんだら、スナックと好きな飲み物を一つずつ選べるチケットが三十枚綴られている。
私はちょっと首を傾げた。
「だけどレン兄様。わざわざスナックとコーヒーの為にそっちの食堂に行くものなの?」
「かえって上等学校の食堂と違って気楽だろう。学校に通っていると、友達と悩み相談したり、ちょっと話し合いしたりしたくなる時があってもなかなか場所がないものさ。寮に入ったとは聞いたけど、プライバシーはあまりないからね。制服を着ていたら、身分証の提示も求められない」
「上等学校の制服でも入れたんですね。知りませんでした」
そうなのかと、アレンルードがチケットに目を落とす。
「うんうん。そしてこっちがフィルちゃんへだ。俺の研究室への通行身分証カードと年間予定表。何でも学校でキッチンを手に入れたんだって? 試験前とか行事前後、いくらでも差し入れてくれていいからね。あ、これが財布。材料費はこれから頼む」
「レン兄様。これは私へのお誕生日プレゼントじゃない気がする」
「大丈夫。君へのプレゼントはうちの研究室に置いてある。君の好きそうなラブストーリーとか冒険ものとかミステリーだから、少しずつ持って帰るといい」
「くっ。この足元を見るやり方があくどすぎるっ」
ふふんと鼻で笑ってみせるバーレンの水色の瞳は、相変わらず稚気に満ちていた。
まあね。結局は私達、お互いにメリットを提供し合う仲間なのさ。
そしてバーレンは室内にいた人達に目をやった。
「おはようございます、レミジェス殿。こちらのお友達を招いての誕生日会だったとか? やっぱり可愛い姪を守れそうな婿候補ってところですか? へえ、誰もが二十代。フィルちゃんの好み、突いてますね」
「人聞きの悪い・・・。そんなのじゃありませんよ。ちょっと会う時間が取れなかったものですから、せっかくだからとルード達の誕生日会を理由に招いたのです。よかったらご一緒にいかがですか? テーブルビーリヤルならお得意でしょう?」
「ありがとうございます。ですがちょっとフィルちゃんに相談がありましてね。代わりにフェリルを置いていきます。姪御さんをお借りしますよ。おいで、フィルちゃん」
誰が私の好みを突いているというのだ。
なんだかなぁと、私は切ない。バーレンは人使いが荒すぎる。今度は何だ。
やっぱり昨日の飲酒の責任を取らされた恨み節だろうか。
「勝手に人の予定を決めるな。私は案内してきただけだ。また父の所に戻らなきゃならん。フィル、バーレンは任せた。レミジェスとルードも中尉達に失礼のないようにな」
「はぁい。えーっと、すみません。私もバーレン兄様に相談したいことがあったのでちょっと失礼します」
私はそそくさと、バーレンを誘って庭の四阿に行くことにした。
庭にはベンチもあるが、あれは背後から近づかれると気づきにくい。向かい合わせに座ることのできる四阿の方が邸内からもよく見えるので、二人きりでいても問題ないのだ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
二人きりになってしまえば、バーレンと私の間に遠慮はない。祖父母とどんな話をしたのか、聞き出す前に罵倒された。
「たかがスパークリングワインで酔うって何だよ、おい。人に迷惑かける酒飲みは最低だとか喚いてたのは誰だ、おら。てめえこそが迷惑かけてんじゃねえ。この酒乱が」
「ううっ、申し訳ない。だってさあ、そんなにもお酒に弱いなんて思わなかったんだもん。だってスパークリングワインだよ? ジュースだよ? なんで弱いのぉっ」
こればかりは反論の余地がない。
なんていうことだ。この体、かなりお酒に弱かったらしい。
いや、別に二日酔いも何もしていないけど。もしかして飲んだら明るく楽しく騒ぐタイプ?
「知らんわ。どんな安酒しか飲んでないんだという目で見られたこっちの身にもなりやがれ。どうしてそこで見栄を張らないっ。せめて二十年貯蔵の蒸留酒とか、高級ワインにしとくもんだろうが。俺んちの名誉はどうなる、このクソガキが」
失礼な。ファレンディア時代の私が安酒しか知らない女だったとでもいうのか。
「見栄張るも何も、酒にそこまで予算割けるわけないでしょっ。女はねっ、美味しい紅茶だってハーブティーだってコーヒーだってホットチョコレートだって、フレッシュジュースだってスムージーだってミルクシェイクだって飲みたいもんなのっ。お酒だってカクテルがどれだけあると思ってるのっ。たかが晩酌程度にそこまでのお金を使ってたらあっという間に破産だよっ」
私は知っている。不本意だと言うバーレンだってそこまでいい酒を普段から飲んではいない。料理用の酒以外、あの家で見た覚えがないぞ。
「どこまで食い意地張ってんだ。まあ、いい。そんなことより、結局王子様とお友達になったんだと?」
「あ、そうそう。王子様、背も高くて美少年って感じ。うちのルードが見てて和む可愛い系なら、王子様ってば正統派な美少年。性格も素直で真面目だよ」
花の王子様とか言われているのはあくまで色合いによるものだろう。エインレイドの顔立ちは別に女顔でもなく中性的でもなく、誰がどう見ても背の高い少年だ。
今の時点であれだけ背があるなら、見栄えよく育ちそうだなと感じている。
「あのなあ、なんで一般の部でそんなことになってる。友達になってしまったなら仕方ないがな。そうなると恥かかん程度の礼儀作法を覚えとかなきゃならんだろ。今度から休日はうちの実家に来い。特訓だ」
「へ? 礼儀作法? そっちはパピーやジェス兄様が手配するんじゃないかなぁ」
「ああいうマナー講師は貴族令息令嬢の情報を流して見合いを仕組んで金稼ぎするからな。フェリル、お前さんには恋愛結婚させてやりたいって、うちに頼んできてたぞ」
「いやん、パピーってばやっぱり素敵すぎる。だけど王子様相手に、もうマナーとかって必要なのかな」
文句は多いが、バーレンは親切だ。
だけど授業も一緒、休み時間も一緒、放課後も一緒な王子と私の間に礼儀作法は必要ない気がする。
「ど阿呆。ダンスパーティがあるだろうが。王子と一緒に踊る可能性があるなら、そのお付きの奴らや縁戚関係、あと王子狙いの貴族令嬢とその保護者達にも値踏みされるってことだ。毎年、上等学校のダンスパーティは六学年、全校舎の生徒が参加するから、フェリティリティホールを貸し切りで行われる」
「へー」
「あのな、分かってないようだから説明してやろう。全くこの引きこもり物臭オンナが」
私の表情から色々と察したらしいバーレンは、頭を振って気分を切り替えたようだ。
仕方ないからおだてておこう。
「いつもありがとうございます、レン先生。さすがはトップ講師。何をさせても完璧。もう感謝しておりますともっ」
「遠慮なく崇めろ。フェリティリティホールってのは、大型の半球型施設だ。要は壮行会、記念式典、祭事といった行事で使われる。
幾つかある大広間は、どれもかなりの広さで、舞踏会で使われることも多い。駐車場は千台程度しか駐車できないから、なるべく生徒達は乗り合わせてやってくるか、送り届けたら移動車を戻すようにと、伝えられるだろう。
尚、貴族枠として部屋は用意されるだろうが、平民までは用意されない。そして使用人が必要ならばそれぞれの家で用意しなくてはならない。部屋は当日の朝から翌日の夕方まで使用できる。つまり貴族であれば現地で着替えて一泊できるってわけだ。
とはいえ、全ての部屋にバスルームがついているわけじゃない。まさにベッドしかない部屋なら休憩室と割りきって当日帰宅した方がよほど楽だ」
「おお、分かりやすい。その場合、ルードと私、部屋は一緒?」
「いや。男子フロアと女子フロアは別だから、部屋も別だ」
家族は一室かと思ったが、男女別ということは、やはりよからぬことに使われない為か。
「そっか。私、ランチ一緒にしてる同級生の女の子達いるんだよね。あの子達に休憩室として提供してあげればいいか。ところで、それって授業の一環?」
「いや、どうしても財力の差は出るから休んでも問題ない。だが、大抵は喜んで出席する。恋人作りにはぴったりだからな。あと、クラスの男女毎で休憩室は提供される。わざわざ貴族エリアに連れこむ方がトラブルの元だ。そのお友達とやら、たとえば同じフロアの貴族令嬢とばったり出会っても、うまく挨拶してやりとりできるのか?」
学校ですれ違うのと、きちんと着飾った舞踏会ですれ違うのとは違うのだと言われたらその通りだ。身分に相応しい行動をとらなくてはならない。
「ああ、そういう・・・。なんてこった。考えてみれば私も子爵家のお嬢様。やっぱり当日は腹痛を起こして休もう」
「ドレスが嫌いなわけじゃないんだろ。いい男を見繕う絶好のチャンスだぞ? 生徒の父兄枠で独身男でも見つけてこい」
「そっか。保護者枠で・・・。いや、まずい。私は未成年に手を出す変態ではないが、相手にも未成年に手を出すような変態はお断りする。だが、私は誰がどう見てもぴちぴちの未成年」
どんなにいい男を見つけたとしても、そこで14才の女の子に対して本気になるような男などごめんだ。今の時点で私がストライクゾーンなら、私が美しく成長した暁には、そいつはよその子供に目をつけてハァハァしている変質者となる。うん、全速力で遠ざかっておかねば。
私は諦めることにした。
「そんじゃ着飾ってご馳走食べてこい。ドレス好きだろうが」
「周囲に気兼ねしたおしゃれなんて、おしゃれの意味ないもん。この可愛らしい顔を引き立てるドレスを着て注目を集めるのがいいの。それができないなら面倒。・・・あ、そうだ。パーティには出たってことにして抜け出そうよ。ちょうど今、成人病予防研究クラブ作ったんだよね。レンさん、どうせ家庭サービスしてないでしょ。女性の美容法に役立つような物、探しに行こ? 何なら三人で。少なくとも二日間、いなくてもばれない」
「どこまで行く気だ」
「それがさあ、塩水湖の近くで温泉が出たんだって。その近くに貿易港があって、しかもその貿易港の近くには貿易会社の倉庫が多い。でもって、見本を安く見切り販売してるんだよね」
「まさか全部俺の自腹かよ」
言われると思った。だが、私とて鬼ではない。
「だーいじょーぶ。なんかさぁ、パピー、ここ数年は送り迎え付きお仕事っぽいんだ。だから移動車を使っててもばれない。そーしーて、安心したまえ。この私、これでも移動車は中型まで。そして水陸両用タイプも中型までなら運転できるのだよ。更に言うならっ、二輪飛翔タイプも小型なら大丈夫っ」
「できても無免許だろうが」
「だから前部座席に乗っておいてくれればいいよ。停められたら、レンさんが運転してたことにすればいいでしょ。どうせ運転しないだけで免許ぐらい持ってるんじゃないの。私も化粧で成人に見える程度には背も育ったってもんさ」
さすがに大型まで免許を取っていたのだと言ったら引かれそうだから、そこはそういうことにしておく。だって私、ストーカーにはうんざりしていた美人な蝶の種だったんだよ? 運転なんてできて当然。だって逃げるのに足は欠かせない。
尚、大型まで取ったのは、建設会社で働いていた時の名残りだ。あの時はすぐに退職したけど。男の集団なんて女を口説く以外することないのかって感じだったよ。
さすがにここで船舶までの免許は持ち出すまい。
「なるほどな。なら大丈夫だろ。それならいいか」
「うん。あ、本の倉庫もあるらしいよ。傷んだ本は安く売ってくれるみたい。そこで仕分けバイトするなら、数ヵ国語話せる価値もあるってもんだと思うんだよね。パッと見て判断できる分、余計に雇ってもらえるんじゃない? 移動費用、単発バイトで賄えるかも?」
大切に扱う本は別として、バーレンは幾つかの言語をマスターしているので、少し崩した言い方や表現にも興味があるのだ。そういう本なんて安く沢山ゲットしてきた方がいい。
実は私に買ってくれる本も、一度はバーレンがパラパラ読みし終えているので、「お前、こんな本ばっか読んで楽しいか?」的な、たまに軽蔑するような目で見られているのだが、気にしない。だって読みたかったんだもん。
「一週間ぐらい、ちょっと行ってみるか。いや、長期休みに行けばいいのか。俺の免許は中型の小までだ。なるべく荷台の大きな移動車がいい。レンタルでもするか」
「大丈夫だよ。後部座席倒せば、かなり入るって」
バーレンと私はとても仲がいい友人だ。恋はできないが、共犯者にはなれる。
公共交通機関と荷物の配送代金を考えるとお金もかかるが、移動車があって運転していくならさほどのことはない。
「そーいや、あの部屋にいたの、どれも二十代だろ。レミジェス殿が選んだ上、お前さんが卒業する頃には30前後だ。それなら好みにヒットすんじゃないのか?」
「へ? ああ、三人共、私じゃなくてルード狙いだよ? なんかさあ、みんな軍の人らしくって今からツバつけてた」
「子供に性的な興味がないから、お前さん口説いてこなかっただけだろ。大人になった頃には食指も動きそうだがな。フェリルも、お前が気に入る奴を王子様の近くに配置するよう口添えする程度の小細工はできそうだ。気に入った奴がいたならそう言った方がいいぞ?」
バーレンは私の協力で純真な妻をゲットしたので、代わりに私の恋人捕獲作戦には助力すると表明していた。
これでも持ちつ持たれつなのだ。
「んー。そーだね。別にみんな性格はひねてるかもしれないけど、いい人だと思うよ。子供を保護する意識も強いしね。そういう意味ではジェス兄様の人選能力が凄すぎるけど、生憎と私の体は14才。心の恋はできても、体の恋はできない。そして心の恋なら小説だけで十分に素敵な王子様達が目白押し。しかもパピーまで同居で、十分に堪能できてるんだよねぇ」
「ああ。あの頃のもっさりしたフェリルが嘘のようだよな。あいつ、学生時代は全くもって地味だったぞ」
「そう見せかけてただけじゃないの? 私が病院で初めて会った時も地味で朴訥って感じだったよ。目が覚めたら、いきなりいい男と可愛い男の子が知らない言葉で話しかけてくるというおとぎ話だったのに、いい男の野暮ったさはいただけなかった」
あの頃の自分が遠い。今や私はこの国の言葉を十分に理解している。
だけど父をどんなに素敵におしゃれさせても、一人で私的に出かける時はわざと野暮ったい服装をする父に、もしかして目立たない為だったのかなと思い始めていた。
思えば恨まれることも多い職業だ。プライベートではあのカッコよさを封印しておくのも大事なことなのだろう。
「それよかお前さん、ワイン如きでペラペラと蝶の種だの、竜や虎の種についても喋ったんだと? 出てもない印について語るたぁ勇者だな」
「・・・あれは夢ではないかと思っていた」
私とて馬鹿ではない。周囲の反応を見て、昨夜のことを思い出そうと努力していた。
だけど途切れ途切れに思い出せば、シャレにならないことばかり。もう酔っていた時のことは覚えていないことにしないと皆に合わせる顔がない。
どうにかして全員、記憶喪失にさせる手段はないだろうか。
「どこまでが現実でどこまでが夢か知らんが、てめえは何を考えてやがる。この考え無しアホ女が」
「ひどいっ。童顔キチク男ぉっ」
「るせえ。マヌケ酒乱の分際で生意気にも人間の言葉を話すんじゃねえよ」
両の頬をびょいーんと摘まんで広げられた私は、その痛みにこんな男と結婚した彼女の不幸を思った。
妻にだけは猫をかぶっていると思いたい。そうでないと罪悪感が疼きまくりだ。
「ついでだから話せ。種の印について知ってることをな」
「ちょっと待ってよ。それこそレンさんは自分が数十年かけて調べ上げたことを、ひょいっと誰かに言えと言われてペラペラ喋らないでしょっ」
冗談ではない。好奇心旺盛なのは分かっちゃいるが、言えることと言えないことがある。
「たかがスパークリングワインで垂れ流した奴が何をけちるか」
「どうせ大事なことは喋ってないよっ。ああ、もう、後でパピーかジェス兄様、いや、あの二人は笑ってごまかす気がする。ここはルードだ。私が何を喋ったのか聞き出さないと」
「愚かな奴」
思いっきり馬鹿にしてくるのは、所詮、この体が子供であろうと中身は同じ世代だと思っているが故だ。
それでもバーレンにはあまり興味のない分野だったらしく、重ねて訊いてはこない。
私は頭を抱えた。
「言わないで。もう二度と、人前でお酒は飲まない。あ、いや、アルコールを分解する薬を買ってくればいいのか。それも売ってるかな」
「買ったら飲むのかよ。酔っぱらってペラペラ喋った後で飲む薬に何の意味があるのか、参考までに聞いといてやる。ほら言ってみろよ、バカ女」
「そ、・・・そこは、ほら、自宅で一人飲むお酒ってことで」
「寂しい奴。その前に子供には薬も酒も売ってもらえないことを思い出せ」
「おおう、そうだった。いや、レンさんがいれば買える」
呆れたように言われても、やはりちょっと美味しいつまみを並べてだらだらと一人で飲むお酒タイムって素敵だと思う。
心地よく酩酊するひととき。何もしない贅沢な時間。
「やめんか。それこそ冤罪が犯罪に変わるっつーの。ま、大きくなったらいい男でも見つけて一緒に飲めや」
「分かってないなぁ。いーい、レンさん。誰かと飲む酒なんて、それこそ私がつまみを絶え間なく作り続ける羽目になるだけでしょ。コレもっと作ってとか、他にもっとないのとか言われて、落ち着いて飲めない時間のどこが楽しいのさ。
今だってルードは寮、パピーは仕事だからこそ、私、怠惰な夜を満喫できるんだよ? 一人が寂しいと思うのは、一人の楽しみ方を分かっていないお子様ってことだね」
「偉そうに言う前に、家族にも見せられん自分の姿を恥じろ。怠けたいからという理由で防水シーツまで買ってアホなことやらかしているのはお前ぐらいだ。どこまで菓子くずを散らかしてんだ」
そうなのだ。私は、部屋でベッドから出なくてもジュースや菓子を飲食し、そして歯磨きを忘れても虫歯にならない方法を研究中である。
色々と試したが、諦めて寝る前に歯磨きとトイレに行くしかないという結論に達しているけれど。
だから私はこぶしを握り締めた。
「いつか・・・、私のその努力が実を結ぶ日が来る」
「実を結ぶ前にフェリルに知られて、思いっきり蔑まれてこい」
「それは嫌。だってフィルちゃん、パピーの最愛の娘なんですものぉ。こーれーでーも、パピーの出勤状況や荷物の減りを観察してぇ、しばらく戻ってこないか、その日は帰宅するかを判断するそれは命中率74%ぉ」
父は自分のスケジュールを家族に伝えず留守にする。恐らくそれは家族にも伝えてはいけないことなのだろう。だが、私はできる女。
父の物置部屋のキー番号をちゃんと知っている。
「けっ、化け猫かぶりが」
「童顔結婚詐欺が。その内捨てられろ」
それでも私達は仲良しだ。
どうせ出かけるんなら、何が欲しいか、どんな物を食べたいかを先に考えておこうと、そっちを話し合い始める。
海に近いということは魚介類が美味しいということだ。
「そーいえばルードも男の子だもん。お土産に水着の可愛い女の子のフォトブックとか欲しいかなぁ。自分じゃ買いに行けないよね?」
「だからって双子の妹に渡されたくないだろ。友達同士で買いに行くんじゃないか?」
「そこはレンさんが渡してあげればいいじゃない。傷みのある本のまとめ買いに紛れてたからあげるとか言って」
「お前はどこまで俺を冤罪被害者にする気だ」
「まあまあ。私、できれば外国のレシピ本も欲しいんだよね。レンさんが分かるレシピ本もあったら欲しいな」
「調味料や材料が違うだろ」
「だからそれも買おうよ。外国人がやってる食堂とかも回ってさ」
やはりスパイスや各地の名物は外せないだろう。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
せっかくだからとクロスボウとナイフ投げで的を当てながら、どちらの点数が高いかで、お互いの対立する意見の採用を決めていたら、メイドがお昼ご飯だからと呼びに来た。
「きゃーっ、お嬢様っ。どうして的や壁にあんなナイフが刺さっているんですかっ」
「え? そ、それ、レン兄様っ。フィルがとろとろクロスボウだからって、レン兄様、あんな危ないの、投げたっ」
しょうがないじゃん。クロスボウじゃ当たりすぎて勝負にならない。
やっぱりナイフ投げだよね。なんかカッコいいロマンがあるよね。ひょいひょいと回転させて投げたらどこに飛ぶのか分からない所もスリリング。
「色々と言いたいことはあるが、まあ、いい。ここを片づけたら行くからと、先に伝えておいてくれないか」
「は、はい。かしこまりました、クラセン様。お嬢様、お嬢様が怪我一つしたら大変なことになります。無理して抜かないでくださいまし。後で誰かを寄越しますから」
「あ、うん。分かった」
はいはいと思っていたら、二十代のメイドは私の両肩をがしっと掴む。そこには鬼気迫る何かがあった。
「いいですね、お嬢様? 証拠隠滅とか考えず、絶対にあれらのナイフには触らないでくださいね? くれっぐれも、危ないことをしてはなりません」
「はひ・・・」
「ほら見ろ。お前の下手な嘘はばればれだ」
「ぐぅっ」
そのメイドがバーレンに出入口を示す。
「やはりこのままではお嬢様が触っておしまいになりますので、こちらは私共が片づけておきます。クラセン様、どうぞお嬢様を食堂までお目を離さずお願いいたします」
「じゃあ頼んだ。行くぞ、フィルちゃん」
言葉を教えてもらったことから、バーレンと私の仲がいいのは皆も知っていることだ。彼は平民だが、母親が子爵家の令嬢だったせいか、態度のでかさは貴族そのものである。
「えー。使ったら片づける、そこまでがゲーム」
「どうせ二種類のナイフが出てて、お前さんがやってないとは誰も信じんっつーの」
「レン兄様、嘘言っちゃ駄目。レン兄様、二つとも投げてた」
「まだ言うか」
首根っこを掴んで引きずって行こうとしないでください、童顔キチク男。
昼食のテーブルに着けば、祖母がバーレンに話しかけてきた。
「クラセン様とフィルはずっと四阿でお喋りしていたのですって?」
「はい。何でもフィルちゃんは学校で王子様とお喋りする機会があったそうですね。自分のマナーに不安を覚えたそうで、その相談に乗っておりました。昔のことではありますが、うちの母なら暇を持て余しておりますし、よければ・・・と。こういうことは家族だとどうしても甘くなってしまいます。他人の方がいいでしょう」
「バーレンのお母上は、かつて王宮で女官を務めていた方ですからね。私がバーレンに頼んだのですよ。そこらのマナー講師など、教える内容は将来性のある貴公子の見分け方ときたものです」
言っていいだろうか、父よ。バーレンの母、クラセン夫人はまさにそれだ。
たとえ平民であろうと自分を大事にしてくれると判断し、バーレンの父親と結婚したそうだ。勿論、マナーを教えるとなったらそれなりに厳しい。私は彼女とお茶をする時は、上品に食べることを十分に躾けられた。
そして王子様と子爵令嬢ではまず声をかけてもらえたとしても一言か二言だろうからと、そちらよりも貴族令嬢だからと神聖視してくる男を見極めて、贅沢させてくれるお金持ちで物わかりのいい男をゲットするようにと、勧められたのである。
ある意味、見事なまでに頭のいい女性だろう。貴族としての自己満足より、死ぬまで裕福に暮らすことを選んだ。
「あら、そうでしたの?」
「ええ。たしかフィルもバーレンの実家に行ったことがあったね?」
「はい、お父様。クラセン夫人には、気難しい方にどう対応するかを教えていただきました。ですがクラセン夫人がご存じの方々はかなり年上になるので、仮に私が社交界に出てもまず会うことはないだろうと。その上で、私の立場で公爵家・侯爵家・伯爵家より目立つようなことはすべきでないとも教わりました。妬まれ、いつの間にか姿を消していった令嬢は多いそうです」
同じ子爵家の娘ということで親近感を持ってもらえたのかもしれない。もしくは駄目な息子の生活を世話してあげた子供に感謝していたのか。
ここだけの話として色々と教わった気がする。
「まあ、女官をしていればそういう話はかなり身近だっただろうね。具体的な話も聞いたのかい?」
「いいえ。せいぜい男の集団の中に置き去りにするとか、変態ジジイに目をつけられるようにするとか、狙い目の貴公子と出会わせないようにするとか、その程度です。大丈夫です、お父様。私、ちゃんとジェス兄様から相手の急所を潰してでも逃げる手段を教わっています。レン兄様にも、自己防衛の本を取り寄せてもらいました」
そこでネトシル少尉が口を開いた。
「アレナフィルちゃん。もし、何か不安なことがあったらすぐに教えてくれないか? 思い過ごしでもいいんだ。小さな油断がとんでもないことになることはある。安心してほしい。ちゃんと君を守るよ」
「ありがとうございます、リオンお兄さん」
オーバリ中尉は面白そうな顔で引っ掻き回してくる。
「どうでしょうね。ネトシル少尉こそが狙われている貴公子だ。アレナフィルお嬢さん、ここは自分の幸せを重視して、平民にも目を向けてみませんか? 俺なら、少なくともお嬢さんが貴族令嬢らしからぬ性格でも気にしませんよ。それに俺が留守の間、お嬢さんが実家でボスと過ごしていても文句言いません。これでも国内外をあちこち飛ばされてるんです。行きたい所があればどこにでもお連れしますよ」
「え? ヴェインお兄さん、ほんとっ?」
「勿論です。国外旅行は敷居が高いでしょうが、俺と一緒なら色々なルートをこれでも持ってますよ。俺は子供を恋愛相手としては考えられないが、数年後なら考えます。お互いにフリーなら、お嬢さんもその頃、俺を考えてみませんか? 別にそうじゃなくてもボスのお嬢さんだ。何かあれば一肌脱ぎますよ」
なかなかに悪くない提案だ。
私には行ってみたい場所がある。父やアレンルードを連れてはいけない国だ。ボディガードにはちょうどいいかもしれない。どうせファレンディア語など分からないだろうし、そうなればあの国で彼は私の言うがままだ。
ファレンディア。懐かしい故郷。あの後、私の家はどうなったのか。
だけどお金を貯めて成人しないと、行ける筈もなかった。
「アレナフィル嬢。旅行を餌にされた程度で何を釣られているんだ。家族のいたたまれない顔を見るがいい。別に誰かを頼らなくても、普通にどこにでも旅行ぐらい行ける資産があるってことを忘れているだろう」
「いえ、釣られてはおりません。先生ったら決めつけないでください」
私はきりっとした口調で否定したが、兄の視線が冷たい。
「フィル、警戒心を持てって僕によく言うくせに、自分はないんだね」
「そ、そんなことないよっ。だって、いずれ考えてみませんかっていうの、ただの社交辞令っ。レン兄様もそうだったっ。大人になってお互いにフリーなら結婚しようかとか言いながら、お嫁さんとの仲を取り持たせたんだよっ。どうせヴェインお兄さんもそのタイプだよっ。それなら遠慮なく利用してもいい筈だもんっ」
「頬を赤く染めておきながら、しれっとそんなことを考えていたお嬢さんがひどすぎますよっ、ボスッ」
うるさい。所詮、お前は父の部下にすぎない。
遠慮なく私にこき使われていればいいというのに、どうして父に泣きつくかな。この根性無し。
「その程度で傷つく神経は持ち合わせていないだろう?」
「ボスもひどいっ」
ガーンとショックを受けている部下を一瞥もしないお父様、私はたまにあなたが優しいのは私だけではないのかと思ってしまいます。こんなにも私一人を特別扱いして、私が禁断の愛に落ちたらどうするの? これ以上惚れさせてどうするつもり?
いやいや、大丈夫。父は叔父やアレンルードにも優しい。
ワインレッドの瞳を細めているフォリ中尉が、赤ワインを飲んだ後で口を開いた。共食い?
「旅行はともかくとして、校内の警備員は君を見かける度に何かないかとチェックしている。陥れようとした令嬢の方が破滅する現実を直視しろ。勿論、目立つような真似をするのは勧めないが、どうせ誰もが男子生徒だと思っているんだ。別に貴族令嬢としての不安などないだろう」
「そんなことありません、先生。これでも私はか弱い女子生徒なのです」
そうよねと、頷いてくれるのは祖母だけだ。
隣のバーレンは、
「既に破綻していることをまだ言うか」
と、呟いた後からは食事に専念しやがった。そんなバーレンはあまりお酒を飲まないので、食事時はいつも水を頼む。
「アレナフィル嬢、長期休暇が始まったら、アレンと一緒に出掛けないか? ウェスギニー大佐、ネトシル少尉、オーバリ中尉も一緒だ。ああ、そちらのクラセン講師も一緒で構わない」
「へ? いえ、そんな・・・。私、そんな男の方々と一緒だなんて、とても・・・」
いきなりの方向転換だな、寮監先生。キャンプ場はお断りだ。私はリゾートライフできるキャンプ場しか受け付けないお嬢様なのである。
だけど以前から怪しんでいたんだが、サルートス人は話題をあまりにも全く違う方向へとすぐにころころ変えすぎではないか。
これが異文化による感性の違いかと、私は思った。
「別荘と違ってアパートメントは普通の住宅街にあるからな。滞在中は、気楽な生活だ。まさに暮らしているように滞在する。毎日ぶらりと気が向いた店で食事したり、人気な店に行ったりもするんだ。好きな場所を選んでいいぞ」
そう言って幾つもの地名をあげられていくと、幾つ持っているのだと言いたくなる。これが裕福というものか。あんな落ちこぼれ寮監生活しときながら資産家か。
「どんだけのお金持ちですか、先生」
「アパートメントは、使い方が違う。ウェスギニー家も重要行事が行われる都市には持っておられるだろう。様々な家と縁組すればする程、必然、使えるアパートメントは増えていく。どうしても付き合いが出てくるからな。これだって父方、母方の持ち物を含めてお互いに親戚同士、融通し合っているんだ」
「え? そうなの、お祖父様?」
「うちはあまり持っていないが、その通りだ。だが、うちの持っているアパートメントはどれもフェリルドが数部屋ずつ使っているだろう」
「拠点としては便利ですからね。だけどフィルは駄目だよ? 私の仕事で使うということは、私の同僚や部下達がたまに使っているということだ。お前の顔を知らぬ以上、鉢合わせしてもいいことはないからね」
「はい、お父様」
安心してくれ、父よ。私は物騒な人達との出会いの場など求めてはいない。
ただ、フォリ中尉があげていた地名には、私が目をつけていた貿易都市も含まれていた。
「アパートメントって別宅みたいなものですか?」
「似たようなものか。だが、それぞれ個別の居住空間になるから、プライバシー的に気楽なんだ。たとえ親戚同士、友人同士でも見せたくない姿はあるだろう。
大抵のアパートメントは一戸の中に、寝室が二つ、バスルーム一つ、キッチンルーム一つ、リビングルーム一つだから、アレナフィル嬢はアレンと同じ一戸を提供することになるな。使用人はつかない。
クラセン講師にはウェスギニー大佐と同じ一戸を提供することになるが、別に組み合わせは好きに変更すればいい。滞在中は気が向けば一緒に出掛けてもいいし、それぞれ好きなことをしてもいいし、自由だ。ドレスとかは不要だな。普段着だけでいい」
だけど管理人がいるから、部屋の掃除や食事の用意、洗濯など、外注手配はできるそうだ。
ここでバーレンと私が考える事は一つだっただろう。滞在費用がかなり浮く。
「先生。そこは現地集合ですか?」
「別々に行ってもいいが、一緒に行った方が便利だぞ? 8ベッド付きの移動車で行くからな。シャワー、トイレ、ミニキッチン付き。移動だけならそこまでの必要はないが、あれだと気が向いた場所で寄り道もしやすい」
「レ、レン兄様。なんか素敵な話が・・・」
どうしよう。移動の手間まで浮くとは、こんな理想的な話があっていいのか。
仕事のできない兵士だなと思っていたが、気前のいいお金持ちなら見直してあげてもいい。
「フェリル。大事な珍種の餌が、もうばれているようだが? あとは釣り上げるだけか」
「奥方も一緒に連れていったらどうだ、バーレン? 私にしてみれば、うっかりウサギがどこまでもうっかりすぎて泣くに泣けない」
「ウサギ・・・? お父様、ウサギの飼育もしてるの? そんなお仕事もあるの?」
「仕事でならブタも飼ってるよ、フィル」
「そういえば警備棟でもブタの解体してたとか言ってた。食料も自分達でお世話するんだね」
なんだかオーバリ中尉が「ひでえっす、ボス」とか小さく叫んでいたような気もするけど、気にするまい。
部下をブタ呼ばわりしているんじゃないのかな、なんて考えないの。だって私、お嬢様だから。
そんなオーバリ中尉はちょっと遠い場所から来ていたようで、昼食後は帰るそうだ。
「基地まで送らせよう。そうじゃないと時間がかかりすぎる。ヴェイン、寄っていきたい所があるなら先に伝えておくといい」
「大丈夫です、ボス。あそこもかなり気を遣ってくれていますから」
父とオーバリ中尉は二人での話もあるのか、食事を終えると祖父母に挨拶をしていなくなった。
午後からはせっかくだからと、フォリ中尉とネトシル少尉が、私の礼儀作法を見てあげると言い出す。何でも二人はとても詳しいそうだ。
「そうだね。お二人は様々な賓客も見慣れている分、礼をとる角度やタイミング、その際の腕の位置まで、そこらのマナー講師よりも詳しい。よかったね、フィル」
「え? 叔父様、それって・・・」
「こんな子供達のことで申し訳ないことですが、ありがたいことではありますな。フィル、よく教わっておきなさい」
「え? お祖父様。そんな・・・。私、お忙しい先生やリオンお兄さんにそこまで迷惑をかけることなど、とても心苦しくてなりません。私、まだ子供ですのに。せめて自主的に学んだ後でなくては・・・」
慌てて私は俯き、謙虚なポーズをとった。そして控えめな令嬢らしい言葉を連ねてみる。
「遠慮しなくていい、アレナフィル嬢。エリー王子がいる上等学校には、それこそ王族の誰かが様子を見にくることもあり得る。そんな時、横にいる女子生徒が変な対応をする方が困るだろう。何なら王宮の礼儀作法担当者を手配するよう頼んでやろうか?」
「先生、リオンお兄さん。私、頑張ります。どうかよろしくお願いします」
なんてこったい。
私は売られていく家畜の気持ちで、とぼとぼと広間までついていくことになった。廊下に出たところで、ネトシル少尉が室内を振り返る。
「ルード君もおいで。女官が知っているのはどうしても女性王族や貴族との対応がメインだ。だけど世界の半分は男性だからね。儀礼的な場での挨拶を知っておいて困らない」
「はい、リオンさん。いつも思うけど、フィルってバカだよね。どうせクラセン夫人に教わるなら、フォリ先生やリオンさんに教わっても一緒じゃないか」
さっと追いつくと、アレンルードは暢気なことを言い出した。
バーレンも興味があったのか、ちゃっかりついてきている。
「そんなことないもん。大体、クラセン夫人の話だって言ってみただけで、そんなのが必要な場面が来る予定はないからするつもりなかったもん」
「こらこら、フィルちゃん。俺のフォローをどこまで台無しにするかな」
「レン兄様ぁ、ヘルプミー」
私はその場で立ち止まり、バーレンが追いつくのを待ってから歩き出した。
前を歩くフォリ中尉、ネトシル少尉、そしてアレンルードは、何やら踊れるダンスのレパートリーを話し始めている。
「ここで何を助けろと? その他大勢で挨拶するのと、個別の時間をとっての挨拶は違ってくるもんだ。この分じゃダンスパーティも出ることになるんだろうし、教えてくれるなら教わっとけばいい」
「だけどぉ、王子様が変装してない時は近づかないんだから、私、関係ないと思うのです」
もしも私が生粋の貴族令嬢ならば他の貴族令息と知り合うことにドキドキしたりして、こういったマナーにも力を入れることができたのだろう。だけど私は知ってしまった。自分で生きる自由の羽ばたきを。
どこか良い貴族のおうちに嫁ぎ、母親が平民だったことで馬鹿にされながらも貴族夫人という立場を維持する為に我慢する生活なんて私にはできない。だって、私は自分を殺してまで誰かに仕えたい気持ちなんてないのだから。
その辺りを知ってるくせに、バーレンはそれでも今の私の状況を考えて努力しろと言うのだ。
「忘れてるかもしれんが、フィルちゃん、君、子爵家のお嬢様。ルード君の為にも知り合いは増やしておかないと駄目だろう」
アレンルードは自分でどうにかしちゃう子だよ。
かえってダンスパーティなんぞで知り合いが増える方が困るということを察してよね。クラブメンバーと踊っているだけならいいけれど、現実はそうもいかないのだから。
やはり踊れば名前を名乗り、どこのクラスかをお互いに尋ねたりする筈だ。
問題はそこだ。いつも王子と一緒にいる私は、秘密がばれそうな友達を増やせない。
「ルードはまずそこらの女の子より可愛いことをどうにかしてからだよ。もう、どうせなら仮面舞踏会にしてくれればいいのに」
「なんでそう健全じゃない方に持っていくかねえ、フィルちゃんは。社交界に出る練習をさせる為のダンスパーティだ。楽しめばいいんだよ、普通にね。みんなでちょっとおしゃれしておすましして踊ってみる。いいじゃないか」
「ああ、・・・早く大人になりたい。そして好きなことして暮らすの」
そして私は、その日、スカートではなかったことを後悔した。
何故なら足さばきが一目瞭然だからである。
「あと少し中腰に。顔をあげるのが早い。違う、首筋をまっすぐ。その上で、横にいる貴婦人には微笑を浮かべて目礼っ」
「なんですかっ、その八方美人っ」
「ど阿呆っ。誰にでも笑顔を浮かべて挨拶するのは基本中の基本だっ」
なんということだろう。
あの怠け者な寮監はとても厳しかった。
「挨拶する貴人が一人でいる筈ないだろ。三人いる場合、さっと見極めなくてどうするっ。やり直しっ」
「そんなあっ」
様々なパターンで私に挨拶のやり方を教えてきたのである。たとえば王族と大臣が一緒にいる場合、王族と貴族が一緒にいる場合、貴族と子供の王族がいる場合など、様々なケースで。
「んじゃ、俺、帰るわ。うちの母は必要なさそうだな。ルード君、フィルちゃんが逃げ出さないように見張っておいてあげてくれ」
バーレンは、これなら大丈夫だろう、もう全部教えてもらえと、帰ってしまった。
途中で様子を見に来た祖父母も同様だ。
「お祖父様、お祖母様。私、もう十分じゃないかなって・・・」
「十分を決めることができるのはお前ではない、フィル。まだまだだと言われたらその通りだ。上には上がいるのだと理解しなさい。うちはせいぜい他の令嬢達と一緒にいる時のそれしか考えておらなかったからな」
その「その他大勢に混じってるパターン」でいいんだってば。
だけど寮監に過ぎない筈のフォリ中尉の合格が出るまで教えてもらいなさいと、誰も私の苦痛を理解してくれない。
「まあ。これなら安心ね」
「そうだな。これで安心して眠れる」
私のマナーレッスンは祖父の安眠と直結していたらしい。なんで?
「頑張れ、アレナフィルちゃん。ルード君、さて、俺達みたいな制服がこういう感じで腕による礼を表していたら、相手は王族だ。そしてこの腕の角度だと貴族。外国の人だとまた違ってくるが、ちょっとやってごらん」
「こうですか?」
「そうだ。ここで服に皺ができないよう、あまり体につけすぎない。見栄えも考えるんだ」
「はい」
ああ、私もネトシル少尉の方が良かった。なんか優しそうだもん。
ついつい羨まし気に見てしまう。
そんな心の揺れさえ見逃さない青林檎の黄緑色頭が鬼教師すぎた。
「アレナフィル嬢。今、ウェスギニー大佐は王宮勤務だ。君がもし恥をかいたら、誰がいたたまれない思いをするか、分かっているな?」
「は、はいーっ」
ひどすぎる。私の父に対する愛を人質にして脅迫するなんて。
ああ、お父様。早く帰ってきて。あなたの娘がとってもピンチ。・・・・・・いや、駄目だな。あれで父はいつの間にか帰宅したと思ったらマイペースに過ごしている人だ。今もどこで何をやってるやら分かったもんじゃない。
見つけて抱きついておねだりしたら全て叶えてくれる人だが、そこに至るまでの接触タイムがとても珍しい幻の常時不在な生物、それが父だ。
「大抵は挨拶したらそれで終わりだが、たまに庭園などに誘われることもある。夜の庭園なら断るものだが、昼間であれば受けることがほとんどだ。その際は、近くにいる近衛隊の誰かがエスコートを務めることもある。その時には軽く微笑んでから、すっと腰をかがめて手をこんな風に」
「あ、はい」
「そして相手が腕を差し出してから、まずワン、ツーと、二つ数えてからまず一歩踏み出す」
「そんなものにもタイミングがあるんですか?」
「当たり前だ。お約束の呼吸というものだな。覚えろ」
「・・・はい」
貴族令嬢は大変。
そういう職業にだけは就かないことにしようと、私は決意した。
(私に貴族のお嬢様は無理なんだよ。だってもう嫁いだ家の舅や姑、親戚に気を遣って生きる生活なんて嫌だもん。ルードに迷惑かけないように、役人生活してみせるよ)
え? 貴族令嬢、もうなってる?
大丈夫。まだまだ逃げられる。・・・きっとね。