10 クラブ長になった
父の帰りは早かったり遅かったり、まちまちだ。いきなり一週間や二週間、帰ってこないということもある。
マーサと夕食を食べてしまえば、後はお部屋で好きなことして寝ればいいと思っている私は、とても手のかからない子供だろう。幼年学校時代は兄がパジャマを着るのを手伝い、寝る前にはトイレに手を引いて連れていき、蹴り飛ばした布団を掛けてやって寝かしつけたものだ。
(っていうか、私ってばもうママじゃない? ルードにとってママじゃない? もう大きくなったら親孝行してもらってもいいんじゃない?)
そんな私はよく兄と一緒のベッドで眠っていたが、朝になって起こしに来たマーサに、
「フィルがさびしがってボクとねたがったんだ。フィル、こわがりだから」
と、あの兄はいつも威張っていた。
いや、お前が寂しそうな顔でじーっと見てるから一緒に寝てやったんだっつーの。誰が怖がりだ。お前な、
「ボ、ボクッ、もうねちゃうんだぞっ。フィル、いっしょにねたいんならねかせてやってもいいんだぞっ」
と、私の腕をぐいぐいと引っ張って連れていったことを思い出せ。
いつだってお前さん、私の返事を聞かずに連れていっただろう。
そう言いたかったが、見た目は可愛いアライグマみたいなアレンルードだったので、マーサには、
「ルード、フィルをだっこして、ねるんだよ」
と、言いつけるだけで許してやった。
(お留守番の時の注意事項をいつも私に伝えている時点で、マーシャママも私を信頼しているとしか思えないんだけど)
言葉もたどたどしく頼りない妹ではあるが、そういう意味では活動的な兄のアレンルードよりも安心だと、大人には思われていたのかもしれない。
アレンルードは男子寮に入ったが、そう仕向けたのは父だ。
父は上等学校への進学に際し、
「男子寮は親の手を離れて子供が集団生活するところだから、甘ったれた坊やはすぐ逃げ出す。しっかりした生徒はこんな楽な場所はないって言うがね。寮で生活できるかどうかで、評価が変わることはあるよ」
と、そんなことを吹きこんでいたのだ。
アレンルードは自分が自発的に男子寮で生活することを選んだと思いこんでいる。
めでたいことよ。
休日はマーサも自宅で過ごしているが、その代わり、たまに作りすぎた昼食とかを差し入れてくれる。うちの父も朝食ぐらいは作れるし、昼食や夕食は外食するからいいと断っているので、そのあたりはいい加減だ。
それはともかく、マーサが風邪をひいて寝こんだ時、
「マーシャママに教わったんだよ。フィル、ご飯作れるんだよ」
と、私が子供でも作れそうな簡単メニューを考えて父と一緒に作ったことから、父も私についてはあまり家事能力を心配していなかった。
そして父におねだりしてお店で売っている出来合いの総菜を買わせ、ローグとマーサの家に届けたことから、マーサも自分が休んでいても総菜を買ってきて食べているならいいかと安心し、養生したようだ。
それ以来、無理はしないようになった。早めに休んだ方が悪化しないからだ。私なら任せておいて安心だと思われている。
ま、当然ですな。中身は永遠の二十代な女ですから。
とはいえ、父よ。十代前半の女の子が一人でお留守番というのは、よくよく考えたら危険なのではなかろうか。
マーサも実の子供の子育てが遠い昔すぎたことと、双子が平気で暮らしていたことから、もうなんとも思わないようになっているところがあるが、実の父親はもっと危機感を抱くべきだと思うのだ。
(有り難いっちゃ有り難いんだけど、世間一般的に考えたら色々と指摘せずにはいられない。だけど指摘したら私のマイペース生活が終わる。なんてこったい)
そうして私は寝ようとしていたところを、三日ぶりに帰宅した父の立てる物音に気づき、広げていた本をそのままに廊下へと飛び出した。
「パピー、お帰りなさいっ。聞いてっ、フィル可哀想なのっ」
「ただいま、可愛いウサギさん。その寝顔だけでも見ようと思っていたところだよ。まだ起きてたんだね」
父の軍服姿はとても素敵だ。これだけで鑑賞する価値がある。上着を脱いでいたのが残念だが、ぎゅっと抱きしめられてから抱き上げられれば、本当にいい体をしているのだ。
うん、やっぱりヒヨコじゃこうはいかない。
「寝るのはもうちょっと後だよっ」
「そうか。鞄を置いてシャワーを浴びたらコーヒーでも飲もうかと思っていたところだ。フィルも飲むかい?」
「うんっ。フィル、淹れといたげる」
「それは嬉しい。愛してるよ、フィル。ゆっくり話を聞かせておくれ」
ちゅっと私の頬にキスして床におろしてくれた父は部屋に鞄を置きに行った。
上着をもう脱いでいたのは不満だったが、いいとしよう。寝間着の上のボタンをあまり留めていない父も鑑賞の価値はある。
ちなみに私の寝間着は上下一体型、つまりツナギ型パジャマだ。何故なら上下分割タイプだと、アレンルードが寝ている内に脱いでしまうから。
二人一緒に扱われる為、別に寝相に問題ない私までお揃いだったりする。そして今日のツナギ型パジャマはウサギ模様だった。尚、おまけでウサギ耳つきフードもついているが、それは取り外しができるので外してある。
兄はもっと父みたいな寝間着を着たいと喚くのだが、浴室にパジャマをもって行くのを忘れる兄は、私が置いておいたアライグマ模様のツナギ型パジャマや、クマの耳付きパジャマを着るしかないのだ。しかもブツブツ文句を言うくせに、可愛いと言われるとちょっと照れる。
似合う物を着るって大事だよね、うん。
だけどマーサ、私はそろそろ年齢相応のパジャマが着たいな。
― ◇ – ★ – ◇ ―
父のコーヒーを淹れるついでに、コーヒーと蜂蜜入りホットミルクを作る私はとてもできる女子生徒だと思う。
「そぉーこーでっ、じゃじゃーんっ、冷凍庫から生クリームぅっ」
マーサとお菓子を作ったついでに、余った生クリームを絞り出して小分け冷凍しておいたのだ。それをコーヒー入りホットミルクに浮かべて、更にキャラメルクリームをくーるくる。
「んまあ、なんて素敵なことでしょう。ルードが見たら、羨ましくってキィーッですね」
エインレイドやベリザディーノにしても、私がこうしてキッチンを好きに使っていると知ったなら、それならマーサがいない時間帯に家でハーブティーでもお菓子でも作ればいいのにと思うだろう。
だけどマーサは優秀な主婦だ。
夜の間に出した生ごみだって、全てチェックしている。そして彼女が買ってきた覚えのない物をキッチンに持ちこむわけにはいかない。ここは彼女のお城なのだ。
「食いしん坊さん、ちゃんと後で歯を磨くんだよ」
「ひゃあっ」
背後からいきなり耳元でハイ・バリトンな魅惑ボイスが響いたものだから、私は悲鳴をあげた。
「パ、パピーッ。足音させないで近づくの、駄目なんだよっ」
「はは、驚かせたかったのさ。お詫びに運ばせていただけませんか、お嬢様?」
「そ、それなら、・・・許してあげますっ」
「ほら、ちゃんとガウンを羽織っておいで。風邪をひいたら大変だ」
「ありがと、パピー」
どうやら私のガウンを部屋から取ってきてくれたようだ。白いウサギパジャマの上からピンクのガウンを羽織れば、ウサギ耳のフードがついていた。
父は、執事のように私に袖を通させてフードもかぶせる。着た私を見下ろして、満足そうに頷いた。
(パピー。もしかして私はパジャマにウサ耳つけてお出迎えしなきゃいけなかったのでしょーか)
ひょいっと二つのカップを運ぶ父は、髪を軽く拭いただけらしい。濡れた玉蜀黍の黄熟色の髪が暗さを帯びていた。
父よ、自分はパジャマだけだが、私にはガウンを着せるのか。
やだな、もう。父ってば私を愛しすぎてる。
リビングルームにカップを運んだ父は、ローテーブルの上にカップを置くと、てくてくとついていった私を抱き上げて肘掛け椅子に座った。
うん、分かるよ。可愛い娘をお膝に乗せたいんだね。もう、父の愛が深すぎて照れちゃう。
「ほら、クリームが溶けない内に飲みなさい。・・・ん、やっぱりフィルのコーヒーが世界で一番だ。留守の間、変わりはなかったかい? ルードがいないからそこまで大変じゃなかったとは思うが」
「王子様情報によると、ルードは毎日お洗濯するようになったみたい。洗濯に出せばいいのに、ルード、キレーなおねーさんには出したくないんだって」
「照れちゃって出せないのか。家でこんなに可愛いフィルを見慣れてるくせにな」
私にカップを持たせてくれた父は、一口飲んでから棚にあったブランデーを足した。その予定で棚近くの椅子に座ったのではなかろうな、父よ。
(ああ、それでも私はお手軽な女。父の甘い言葉でご機嫌なんて)
そんな父は、私のカップの中身をじーっと眺めている。
「とても甘そうだね、フィル」
「うん。甘いよ。パピーも飲む? コーヒーに蜂蜜とミルク入れて、くるりん生クリーム浮かべて、キャラメルクリームくるくるしたの」
「いや、いい。・・・ん、本当に甘いな」
父は私の唇についた生クリームを親指で拭って、それを舐めた。
父よ、母もそんな感じで落としたのでしょうか。娘をドキドキさせてどうするの。
「ルードにはフィルも女子寮に入れろと言われたが、やっぱりこんな可愛いフィルをおうちからは出せないな。ルードもフィルがいないと嫌だと言って、すぐに自宅通学に切り替えそうだ」
「ルード、クロスリーボールとユニシクルボールのクラブに入りたいから、寮から出ないと思う。男子寮の4年生にね、クラブの先輩がいるんだって。どっちかにしとけばいいのに、両方できたら二年後、カヤックボールにも特別に入れたげるとか言われて、その気になってるんだよ。週末もおうちに帰らずに練習するんだって」
「おやおや。カヤックボールだからプールで遊べると思ってるんじゃないだろうな。あれはかなり激しいから、体が出来上がってからじゃないとクラブには入れない」
「ルード、痛い目に合わないと分かんない子なんだよ」
「そうだな。フィルが賢くて助かった。寂しいだろうに、ちゃんとルードの様子も気にかけてくれてたんだね、フィル。同じ経済軍事部に行こうものならお前に身代わりをさせかねないと思っていたが」
そこで私はハッと気づいた。
そうだ、私こそ自分の身代わりにアレンルードを使い、エインレイドから逃げる気だったのだ。今ならベリザディーノだっている。
「そうだ、パピーッ。王子様、ちゃんと他のお友達できたんだよっ。もう私、お役御免だと思うのっ」
私は父にそれを頼もうと思っていたのだ。クラブ活動は自分でどうにかするから、解消させてくれ。
どうせ誰も知らない内にできていた新設クラブだから、誰も知らない内に消えていても分からない。
王子様とお友達になる件は、国王一家や父や学校関係者によって決められたことだが、そういうことなら全てをひっくり返せるだろう。
「ああ、それか。こっちに学校から連絡が来てたよ」
「え? そうなの?」
「ああ。とても感心していた。フィル、マーサ姉さんにカロリーが高くないお菓子を食べさせたり、健康的なハーブティーを飲ませたりしようと、こっそり調べてたんだって? フィルはこんなに甘いものが大好きなのに、マーサ姉さんの為に色々と考えてたんだな」
「う、うん。フィル、マーシャママのおなか大好きだけど、きっと体には悪いの」
おい、こら、サルートス上等学校。どこまで保護者に言いつけてやがる。どうして自宅にも帰る暇のなかった父に、そんなことが連絡されているのだ。生徒のことはおうちに連絡するんじゃないのか。保護者の職場に連絡入れるっておかしくないか?
(まさかそれで今日戻ってきたってわけじゃないと思うけど・・・。どこまで報告ってされてるんだろう。他の生徒はここまでされてないよね?)
やっぱり王子様が絡むからなの? やっぱり王族の友人っていうのは要注意人物マークされてるの? どうせなら同じ男子寮にいるアレンルードのことだけ父に報告してちょうだい。
針葉樹林の深い緑色の瞳が私に優しく微笑みかけてくる。
「いい子だね、フィル。学校からは、『お宅のアレナフィルさんが、家政婦さんの健康を気遣って新しいクラブを立ち上げました』ということだったが、その後で熱く語られた」
「立ち上げたんじゃなくて、立ちあげさせられたの、パピー。私は望んでないの」
誰だ、そんな間違った連絡を入れた学校関係者は。
連絡するなら内容は正しく行えと、声を大にして言いたい。
「そうなのかい? みんな感心していたよ。追加連絡が別口からきていたからね。
なんでも医療薬品部の子に薬効を調べさせ、地理植物部の子に使用するハーブを育てさせ、建築理工部の子に保管や乾燥を任せるんだって? 経済軍事部の王子を使って学校長にその場でクラブ新設の許可をとらせたあたり、ウェスギニーの娘は無駄なく人材を使い倒すやり手だと聞いたよ」
「・・・パ、パピー。それには悪意ある改竄を感じます。フィルは、フィルはその犯人を見つけて、叩きのめさなくてはなりませんっ」
ふるふると私は拳を震わせた。
父よ、まさかそんな出鱈目を信じたというのか。この私が本当にそれをしたと信じたというのか。
愛はどこに行っちゃったの? もう私のことを信じてないの?
「そうだろうね。はたまた違う別口からは、クラブ活動してみたかった殿下と一緒に新クラブを立ち上げたと聞いた。
クラブ入会時は名前を登録しなきゃいけないから、変装していても殿下の正体は露呈してしまうが、友達同士で新クラブを一緒に立ち上げて、二人がクラブ長と副長ならその必要もない。
三番目の連絡してきた奴は、フィルは本当に心優しくて人を大事にする、見た目通りに全てが愛くるしい女の子で、男なら誰だってお嫁さんにしたい最高のお嬢さんだって、みんなにも力説していたようだね」
なんという素晴らしい報告者なのだ。この私の真価を見抜くとは、人を見る目がありすぎだ。
今度から父に連絡するのは三番目の人だけでいい。
「そうだよ、パピー。フィル、とってもいい子だよ。やり手じゃないよ」
「ああ。間違ってもフィルに手を出さないよう、きっちり言い聞かせておいたから安心しなさい」
「・・・パ、パピー」
父よ、人を見る目のあるいい人をいじめないでください。シメていいのは、あの寮監だけです。
だけどどうして三つも連絡が入ってるの? もしかして王子様ってとても大切な存在だったの? だけど王太子様とかはとっくにいるんだよね?
「あのね、それでね、パピー。王子様にお友達ができたら、フィル、お役御免なんだよね?」
「そうなんだが、フィル、クラブ長になったんだろう? 五人でぎりぎりなんだって? 今、お友達をやめられないんじゃないかい? せめてそのクラブに他の入部者がいないと」
「・・・そんな気はしていた。フィルはもっと、普通の子が入りたいって思うクラブを作らなきゃいけなかったの」
エインレイドに抜けられたらクラブそのものが崩壊だ。名前だけ登録してほしいと頼んでも、今のアレンルードは二つもクラブに入っているから無理。
「そうだね。成人病予防研究クラブは、ちょっと入る人を選びそうだね。だけどフィル、そういうことならと、校外の人を指導者ではなく視察者、つまりオブザーバーということでそのクラブ活動に参加させてはどうかと、王宮からコメントが入ったらしい」
「ふぇっ? ど、どうして王宮・・・。それ、王様とかっ?」
「どうだろうね。形式上はクラブ活動の指導者ということになるが、そのクラブはフィル達が調べて研究することになってるから、実態はオブザーバーだ。フィル達が作ったものを一緒に飲んだり食べたりすることになるだろう。
指導者じゃないから謝礼金は支払われないけど、生徒達が作ったお茶をプレゼントするのは問題ないそうだよ。その材料費の予算はつけられている筈だ」
「え? 顧問に先生がつくわけじゃないの?」
「ああ。父兄として上等学校に行くのは躊躇われても、クラブ指導者として訪れるなら問題ないんじゃないかな。マーサ姉さんには、いずれ学校から参加協力のお願い文書が届く筈だよ。せっかくだから校内案内してあげてもいいだろうね。校庭で遊んでいるルードを見られるかもしれない」
「パ、パピーッ」
なんていい人なんだ、王様っ。
そういうことなら、マーサも普段からそれを飲んだりしてくれるだろう。やはり本人がその効果を望ましいと思って飲み続けたり、普段から食事改善したりしないと効果は出ないのだ。
子供らしくないということで、どうやって甘えっこおねだりモードでマーサに勧めようかと思っていたが、学校の研究活動ならば、全くもって不自然ではない。
「マーサ姉さんが普段から飲めるよう、できたお茶とかを渡すのはいいけれど、どうせなら美味しくできたお菓子とか、たまに教員室にも幾つか献上しておきなさい、フィル。そうすればお前がクラブ活動とは関係ない、自分達用に甘くてバターやクリームたっぷりなお菓子や甘い飲み物を作っていても見逃してくれるよ」
「な、なぜそれを・・・」
「うちの妖精さんが、甘くないお菓子を喜んで食べるとは思えないからね。ましてや他の子は男の子ばかりじゃあ、全然足りないだろう」
父の瞳は、私の空っぽになったマグカップに向けられていた。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
国立サルートス上等学校には部室棟がある。そこでは各クラブの部屋が割り当てられており、使う道具の保管、着替え、ミーティング、クラブ活動などが行えるようになっているのだ。
私達の新設クラブもそこに部屋をもらう筈だったが、問題が一つあった。
それは、様々なフレッシュハーブを育てるのに花壇もしくはプランター、ハーブティーを入れるのに水道と湯沸かし、お菓子を作るのに焜炉やオーブンが必要なことだ。
部室棟には皆が共用で使えるキッチンがちゃんと備え付けられている。だが、それは譲り合って使うものであって、そこを一つのクラブが占有するものではない。
茶会のマナー系のクラブならあるが、そのクラブルームには水道と湯沸かし設備が備え付けられていた。使う茶器などは高価なので、独立したキッチンが必要なのである。
というわけで、なぜか成人病予防研究クラブは、警備棟の中にクラブルームをもらうことになった。
警備棟のベランダならプランターを荒らされずにハーブを育てられるという理由で。
警備棟のキッチンはせいぜい茶を淹れる程度しか使われていないからという理由で。
警備棟なら様々な年代の男性がいるので実験台には事欠かないだろうという理由で。
(これ、隔離だよね? とても安全な場所で監視下にあるって奴だよね?)
私は学校側の思惑と作為を疑っている。一年生にしてクラブ長をしている私、そしてクラブ副長をしているエインレイドとベリザディーノ。
成績評価表としてはプラスかもしれないが、私はそれを餌にしていいように使われていないだろうか。
(駐車場でぽーっと運転手さんを待ってるより、ここでいれば目立たないとか考えた?)
ううん、フィル、そんなこと考えない。だって一年限りのお試しクラブだもん。
一年間、費用は学校もちでマーサの長生き健康生活計画を立てるの。
そしてね、今度こそ安定した一生を送るのよ。
「というわけで、第一回クラブ活動は、必要な物の買い物に行こうと思います。マイカップは各自一個、予算は1ロン内で好きなものを選んでください。
ハーブティー用ポットとティーカップ、保存用瓶はガラス製で1ローレ以内だけど2ローレまでなら大丈夫。そしてプランターはとりあえず10個程で5ロン以内。
少しぐらいならオーバーしてもいいけど、常識的な範囲でお願いします。ハーブの苗は潰れたらまずいから、明日にでも有志で行くことにしましょう。プランターに入れる石や土は、明日、うちから持ってくるね」
(※)
1ロン=1000円
5ロン=5000円
2ローレ=2万円
物価的に貨幣価値は1.5倍なので、感覚として、1ロンは1500円、5ロンは7500円、2ローレは3万円
(※)
警備棟で提供されたクラブルームは、第2調理室だ。キッチンではあるものの、昔は豚を自分達で解体していた名残りがあるらしく、広いテーブルや大きめの棚が備え付けられている。外へ続く大きな扉もあるので、外で収穫した物を屋内で洗うのにも便利だ。
だけどさ、豚って何なんだよ。ここは学校じゃないの? いつから農家になったんだ。
色々な疑問はあるが、新設クラブは必要な物を買いに行くところから始まった。
「あのね、アレル。いくら何でも女の子が土を運んでくるのは無理だよ。それならガーデンデザインクラブか園芸クラブから土や堆肥を小分けしてもらえばいいんじゃないかな。代金はクラブ費用から支払う形で。プランターも持ってると思うよ。形や材質に拘らないなら、使ってないのを安く譲ってもらえばいいんじゃない?」
「リオ、ナイス。よく知ってるね」
「うん。お試し体験した後だからね」
「それもそうだった。じゃあ、他に何か必要な物ってある?」
暗い苔の緑色の髪をしたマルコリリオは、やっぱり土いじりが好きなんだと思う。良かった。ハーブはそうそう枯れにくいものだけど、それでも私、枯らす自信がある。
「なあ、アレル。たしか菓子も作るんだろ? よく分からんけど、鍋とかいるんじゃないのか?」
「うーん、それね。そっちはもう私が買ってくるよ。そういうの、一度オーブンを動かしてみないと分からないからさ。最初は家で余ってる鍋とか型とかを持ってきてみる。良いのを買っても、無駄になったら悲しいし。高ければ使いやすいわけじゃないしね。火の通り具合も耐熱ガラス製ってちょっと・・・なことあるし」
「それは、金属製やガラス製とかで違いが出るということか?」
ベリザディーノの問いに答えれば、ダヴィデアーレがオレンジの瞳を瞬かせて私を見る。
「うん。本当はガラス製の方が見た目も分かりやすいし、ハーブティーのポットとカップもそっちを考えているけど、食べ物は理科の実験じゃないからね。ガラス製じゃない方が味がいいかもって思ってる。だけど金属製だと熱が通り過ぎることもあるしね。比較するのも面白いかもしれないけど。ダヴィ、そういうの、比べてみたい人?」
「できればね。無理にとは言わない。材料を無駄にしてまでのことじゃないだろう」
「別に遠慮しないでいいよ。毎回、そういう記録をとっていけば、研究しましたって気分も出るよ。じゃあダヴィが記録係やってくれる? 私、多分、やったらやりっぱなしだから」
「ああ。そんな感じだな」
失礼な奴だ。
ダヴィデアーレとマルコリリオは、あんな加わり方だったが、今や一緒に授業を流離う仲間になった。
おかげで余計に王子が混じっているとは分からないグループと化している。
「で、ディーノが会計ね」
「いいけど、なんで僕だ?」
「だってレイドだと、支払いの際に『今ならこれもつけて幾らだよ』とか言われて断りきれずに買いそうじゃない? ディーノはそこらへんがけち臭そうだし、無駄遣いしない気がする。そしてリオが植物の世話し始めたら、そっちにかかりきりになりそうでしょ。あ、軍手とかスコップとか、必要なのは買ってあげてね。これが出納帳と最初のお金。まずは5ローレ (※)」
「誰がけち臭そうだよ。本当にお前、可愛いのは外見だけだな。ま、レイドはたしかに売りつけられそうなとこあるか」
(※)
5ローレ=5万円
物価的に貨幣価値は1.5倍なので、5ローレは7万5千円
(※)
ベリザディーノがエインレイドを見つめて頷いた。
「だが、それだと僕のやることがなくないか?」
「そうでもないよ。レイド、私のお手伝いだから栄養価表とか忙しいよ。クラブ活動が本格的に始まったらみんなで協力してお茶を淹れたり、お菓子作ったりするしね。調べ物も出てくるし、どういう市販品があるかも市場調査するよ。その上で、みんなで味見した時とか忘れずにダヴィが記録しなきゃいけない責任者で、そして植物はみんなで水やりとかするにしても、一番この中で上手そうなリオに監督者をお願いするんだよ」
「ちょっと待ってっ。アレル、みんなもその水やりっ、やらなくていいからっ」
「へ? なんで?」
マルコリリオの焦げ茶の目が据わっている。
いや、だって君、植物の世話するの好きだよね? 監督者、嫌なの?
「みんながまちまちに水やりしたら一気に根腐れしちゃうよ。いーい? なんかみんな分かってなさそうだから言うけど、土が湿ってる程度でいいのにみんなが水やりなんかしたら常に水浸しになっちゃうんだからねっ。腐っちゃうよっ。変に気を遣って、かえってひどいことしないでよ? そっちは僕が一人で世話するから」
「待てよ、リオ。それなら世話の仕方を札に書いて、プランター毎に表示しておけばいいんじゃないか? そういうのもクラブ活動の内だろ。基本的にリオが世話するにしても、抱え込まずにみんなを使えよ。僕達だって何も育て方を分かってないんじゃクラブ活動の意味がないじゃないか」
「う。そうだね。うん、そうするよ。ごめん、言ってくれてありがと、ダヴィ」
おお、なんだかとても青春っぽい。
しかしダヴィデアーレ、よく考えろ。それ、マルコリリオのやることがもっと増えてないか?
まあ、いいや。私は専門家に任せることを知っている。
「じゃあ、そういうことで。そしたら、まずは自分のカップを買いに行こうよ。あとね、基本的にクラブ活動では飲み物ってお水らしいけど、私達、五人しかいないから、必要経費の中からお茶代ぐらい出せると思う。みんな、好きなお茶とかコーヒーとか高くないなら買えると思うよ」
「あのさぁ、アレル。たしかそのお茶がハーブティーなんだよな? 僕、普段からそういう健康的なお茶を飲むのかと思ってたんだけど」
「そうしてもいいけど、健康にいいハーブティーを試飲したりするのとは別に普通のお茶も飲みたいでしょ? 私ね、コーヒーはミルクと砂糖と生クリームとキャラメルクリーム入れるのが好き」
「・・・それ、本当に飲み物か? もう菓子じゃないのか? 凄く甘そうなんだが。本気でアレル、クラブ活動内容とは真逆の方向に生きてるんだな」
「文句あるなら飲んでからいいなよ。甘くて美味しいよ。ダヴィは食わず嫌いなんだね」
「ええっ?」
ダヴィデアーレが心外だという顔をしているが、同じ物を飲んで食べるというのは連帯感を生む。
こうして皆で同じ時間を共有し、友情を築き上げるがいい。ふふふふふ。
「それよりみんなでお出かけって楽しそうだよね。私ね、ワニの形をしたカップとかディーノにピッタリだと思うんだ」
「なんだそりゃ。目ぇつけてたんなら自分で使えよ」
実はこの買い出し、エインレイドも楽しみにしていたのだ。
私とエインレイドの二人きりとかなら、やっぱり心配だろうけど、五人で出かけるのであれば、護衛の人もあまり心配しないでいられるだろう。
きっと離れた所から見守ってくれるに違いない。
「やだよ、あんな使いにくそうなの。だけど取っ手がワニのシッポで、ワニの顎がカップからうにゅって出てるんだよ。絶対面白いよ」
「自分が使いたくない物を人に勧めんなっ。そんならレイドに勧めろよっ」
「レイド、勧めたら嫌だと思ってもそういうものかもしれないと思って我慢して笑顔で使いそうでしょ。そういうイジメはいけないんだよ。ねー、リオ? ダヴィだっていじめはよくないって思うよね?」
「僕にならいいというのかっ」
ベリザディーノが吠えているが、ダヴィデアーレはけっこう真面目君だ。ちゃんと考えたらしく、ちょっと置いてから口を開いた。
「ディーノならいじめられてないからいいんじゃないか? とりあえず僕も断る。レイドは無駄に女の子に遠慮しそうなところがあるから、たしかにいじめになっちゃうな」
「ごめんね。僕もそういうのを使うのは嫌かな。レイドも嫌なことは嫌って言った方がいいと思う」
マルコリリオもおとなしそうな外見の割に主張してくる。
そういえばこいつ、お試しクラブ体験中に浮気してこっちに入りこんだんだった。神経が図太くないとできないか。
「え? 何それ。君達のその思い込みがどこから出てきたか知らないけど、僕だって勧める本人が使わない物を使いたくないよ。それより必要な物リストに、リオのお世話札も書いておきなよ、アレル」
「うん、レイド書いといて。みんなでやるのが大事なんだ。ほら、お仕事いっぱいでしょ? あ、そうだ。図書室から植物図鑑も借りてこないとね。あと、ハーブの効果事典もあるかなぁ。五人で行けばかなり借りられそうだよね」
「アレルが思いつくままの垂れ流しを記録するのが副長の仕事だとは・・・。苗を買ってきたら次は図書室っと」
そんな私達のメモをテーブルの上に散らかしっぱなしで出かけたからだろうか。
みんなで乗り合い路面車を使ってマーケットに行き、気に入ったカップ、耐熱ガラスのティーポット、そしてハーブの苗を買って戻ってきたら、第2調理室には中古の鍋や食器などがテーブルの上にどどんと積まれていた。
更に土の入ったプランターや軍手、ミニスコップなども、第2調理室の隅っこに置かれていた。
「なんと。これで我が家の物置をあさらなくてすむ。ここには家事の妖精さんが住んでいた・・・」
「いや、アレル。横着すんな。ほら、お礼言ってこようぜ」
ベリザディーノは変なところで常識人だ。
警備員の人達の休憩室に行ってお礼を言ったら、私だけみんなに頭を撫でられた。やはり王子様の頭を撫でる気にはなれないのかもしれない。
― ◇ – ★ – ◇ ―
クラブ活動は週に三回までと決まっているけど、私とエインレイドは送ってもらう移動車を待つ時間つぶしに、このクラブルームを使っている。
第2調理室だっただけあって、コンクリート打ちっぱなしの床に金属製のテーブルといったものだが、警備員の人達の邪魔をしない空間だ。
私は焼けるのを待つ間、折角だからとお茶を淹れた。
「それでレイド、どうでしたか? 昨日の乗り合い路面車も、慣れた感じでしたね。きっと誰も初めてとは気づいていないです」
「アレルがお手本を分かりやすくやってくれてたからね。僕は真似しただけだよ。だけどみんな、本当に思ったことをあんなにずけずけ言ってても喧嘩にならないんだな」
みんなといる時はざっくばらんな口調でも二人きりの時はそれなりに丁寧に話すよう私は心がけている。
そうじゃないとサルートス語の敬語が私の中で行方不明になったら困るからだ。完璧にマスターしたつもりだけど、私の言葉遣いはどれも極端らしい。
「根底に相手へのマイナス感情がないから後に引くことはありません。みんながレイドに言わないのは、言葉通りに受け取って傷つくんじゃないかと、それを考えてしまうからでしょう。傷つけたいわけじゃないからです。それだけみんなレイドを理解しつつあるんだと思います」
「どうやれば僕もそれに合わせられるんだろう」
「無理して合わせなくてもいいのでは? もうみんなからお坊ちゃま育ちって思われていますし」
「・・・あまり嬉しくない」
マルコリリオは、私が子爵家のお嬢様と知って最初はちょっとびびっていたらしいが、親の仕事的にその子爵家に逆らえない立場だと、ベリザディーノからエインレイドのことを聞いて、かえって安心したらしい。
貴族と平民でも生徒同士ならこんな風に仲良くできるもんなんだねと。
だけどエインレイドと私とが一緒にいて、どう見てもエインレイドがそこまで私に気を遣っている様子がないので、もしかしたら身分としては同じなのではないかと訝しく思った。
平民に近い貴族とか、貴族に近い平民とか、そういう場合はどちらの方が優位になるかはケースバイケース。
それについておずおずとした調子で尋ねられた私は、きっぱり否定してあげた。
マルコリリオの両肩に両手を置き、がっしりと目を合わせて、
「誓ってもいい。レイドは貴族なんかじゃない。私とは天と地程に違う。それでも友情にそういうのって関係ないんだよ。なんでうちのクラブの名前リストをクラブ長権限でニックネームだけにしてると思ってるの? 私、そういう貴族とかって色眼鏡で見られるのが嫌だからなんだけど」と。
・・・・・・。
嘘は言っていない。エインレイドは貴族なんかじゃなくて王族だ。まさに天と地程に、私なんかじゃ見上げるばかりの王子様。
だけどおかげでマルコリリオはエインレイドに仲間意識を抱いたようだ。その後で他の二人が伯爵家の息子だと知ってしまったけれど、エインレイドがいるから大丈夫だと思っているらしい。
(大丈夫なのかなぁ。だけどもう何が大丈夫なのかも分からないよね、うちってば)
成人病予防研究クラブは、名簿リストもニックネームオンリー。
別に太ってもいなければ病気でもない少年少女達が中高年の健康食生活を考えるという、まさにちぐはぐクラブなのだ。
さすがにマルコリリオも、ニックネームオンリーはどうかと思ったらしい。
『あのさ、アレル。だけどうちの学校、王族とか公爵とか、そういうおうちの子も多いから、子爵ならそこまで警戒しなくてもいいんじゃない? 貴族としての色眼鏡なんてそうそうないよ』
『身分を超越した私の魅力が分からないの?』
『・・・え』
だってエインレイドのフルネームは、サルートスの国名が一番に入るそうだ。駄目だよ、一発でばれちゃう。だからもう私は割り切ったのである。
色々と言いたいことはあるだろう。だが、私は全てを超越した愛の妖精なのだ。妖精にフルネームは必要ないのだ。
そんな私と一緒にいて、どちらかというと私よりも身分高そうなオーラを発しているエインレイド。この辺りの不自然さは、貴族じゃないけど平民ながら裕福な家でおっとり育てられたということで、皆は納得した。
それでも一緒にいたら色々と隠し事のあるエインレイドも落ち着かないことはあって、二人きりになるとホッとしている様子だ。秘密のない間柄ってそれだけで安心するんだね。
「ねえ、アレル。なんか君だけクラブ長権限で棚、かなり占領してない?」
壁添いにある棚は、五人しかいないから一人一つ使えるのだが、私はクラブ長権限で三つとってしまった。
何故なら私物が多いからだ。
だって自分達専用キッチンなんだよ? 自分用に蜂蜜やシロップ、ココアや紅茶、小麦粉やジャガイモ粉、スパイスやおろし金、その他色々と置いてしまうよね?
クラブ活動で必要な物は買っていいけれど、私は公私混同しない立派な女子生徒だ。自分で消費すると分かっているものや、自分用にいいのを使いたいっていうものは自腹で購入し、棚に置いてある。
「色々とあるから仕方ないんですよ。だってクラブ活動は多くて週に三日。私達は毎日ここに来ているのに、どんどんとクラブ用の物を消費していたら不公平になります。それに使い始めたら使わせてあげますけど、やっぱりいい道具っていうのは使い勝手が違うんです。だけど学校のクラブ活動にそこまで良い物は必要ありません。私の棚の中にある道具は私のですから」
みんなで飲食する為のクラブ用は普通にマーケットで一番売れ筋の物を買ってきたが、私の棚に置いてある物はお値段が違うのだ。道具にしても、高い物はやはり質の良さが違う。
(こういう時のジェス兄様が素敵すぎる。上等学校に入ったら色々なお付き合いで出費が増えるからと、私に臨時大増量お小遣いをくれるなんて。ルードに使う分も込みだけど)
買い物で荷物持ちしてくれた少年達は同じ物なのにどうして値段がこんなに違うのかと首を傾げていたが、いずれそれを理解するだろう。
道具は使ってみてその良さが分かる。
「アレルの気前が良いのか悪いのかが分からない。だけど今のお菓子は普通のお菓子なんだよね?」
「ええ。まずはオーブンのクセをつかまないと。どこの位置が焦げやすいとか、どういう型だと火が通りやすいか、通りにくいかも。まずは普通のお菓子を焼いてみて、それを見ていきます。初めてお料理やお菓子をする人が、そこで失敗して躓きやすいんです。先に私がオーブンのクセを把握しておけば、失敗しにくいですからね」
私は今、簡単なクッキーを焼いているところだ。
サルートス国はファレンディア国と温度計の目盛りも違うし、計量法も違うのだ。
たとえば、氷と水とが混在する水温をファレンディア国は45度としていたが、サルートス国ではそれを10度とする。
どうやら1目盛りの温度幅もファレンディア国とは違うように感じている。
そして粉を量るにしても、サルートス国の1カップだとファレンディア国の2.3カップ程度だ。
まずは普通の料理やお菓子のレシピ本を見ながら試しに作ってみて、自分なりのレシピとすり合わせていくしかない。
「ん、焼けた。やっぱり途中で上段と下段をひっくり返せばよかったかな。まあ、生焼けじゃないからいいや。・・・ほら、見てください、レイド。二回目でもやっぱり少し焦げている位置とそうじゃない位置があるでしょう? そして上段と下段の焼け方も違うでしょう?」
「あ、そうだね。焼き色が一回目よりはっきりしてる」
「余熱したつもりでも、やはり一度目はそこまでオーブンの中が熱くないってことです。だから二度目の方がもっとオーブン内が熱くなっていて、焦げやすいんです。こういうクセを把握しておかなきゃいけないですね。私達の場合、人数的にも一度で終わるとは思いますけど」
だけど生焼けじゃなかったり、焦げたりしていなかったりするなら大した問題じゃない。これは私なりにオーブンを使いこなす為の把握だ。
「へえ。だけどアレル、本当に料理が得意なんだね。普通は茶会のマナーの方だと思ってた」
「あー、そっちは全然です。祖母にも少しは・・・って言われているんですけど、誰かを招いてお茶会するより、私が祖父母にもてなされてます」
「それ、威張って言うことっ?」
「孫とは甘やかされてしまう生き物なのですっ」
私はささっと焦げやすい大体の位置を図にして書いておく。二回目はやはり短い加熱時間になる。焦げやすさが問題か。
するとコンコンとノックの音が響き、廊下からひょいっと顔を出したのは、男子寮の淡紫混じりな桃色の髪をした寮監だった。
「甘い匂いが漂っていますね。上手にできましたか? エリー王子も楽しそうな声が廊下まで響いていましたよ」
「あれ、寮監先生。レイドの様子を見に来たんですか? 簡単にどこの位置が焦げやすいか、どこの位置だと火が当たりにくいかを見てたんです。少し冷ましてから食べてみて、さくっとするかどうかをたしかめてみるつもりです。明日はケーキを焼きますけど、生焼けだとまずいし、レイドには食べさせないから大丈夫ですよ」
「えっ!? なんでだよっ。一緒に作らせといて、僕、食べちゃいけないのかっ?」
「何言ってるんですか、レイド。生焼けのお菓子であなたがお腹を壊したら大変です。お茶は私が一緒に飲んで毒見してますけど。そんなに口寂しければ、明日はナッツを軽くローストしたのを食べていいですよ。今から焼きますから」
私の棚には色々なものが仕舞われている。買ってきておいたナッツをざらざらーっと天板に入れ、私はオーブンの中に放りこんだ。
これらは自分のお小遣いで買ったのだ。今度はスライスアーモンドの蜂蜜漬けをたっぷり散らばせたクッキーを焼きたい。
「ウェスギニー君は本当に手際がいいですね。そんなに沢山ナッツを焼いてどうするんですか?」
「ローストして蜂蜜に漬けこんでおきます。健康を考えた場合は素焼きのアーモンド、私達の舌に美味しいのはバターや塩を絡めたアーモンドといった具合で、その場合のカロリーや塩分差とかの比較を書き出していくつもりなんですけど、そこへどどんっと蜂蜜漬けナッツ入りハイカロリークッキーを並べておこうかなと」
勉強だから素焼きのナッツも出しておくけど、私のおやつはナッツたっぷりクッキー。刻みレーズンも混ぜておきたい。
これでも私、ちゃんとおうちで野菜をせっせと食べているし、運動も裏庭でやっているからカロリー消費は問題ない筈だ。
「それなら蜂蜜漬けで出すべきじゃないですか? 他はナッツにちょっと味付けしたり加熱したりしている程度なんでしょう?」
「私達は子供なんです。子供は体に悪いものが大好きなんです。甘くて砂糖たっぷり脂肪分たっぷり、酸化した油と塩分どっちゃり、炭水化物を沢山食べたいんです、先生」
すると、淡紫混じりな桃色の髪に、紫の瞳をした寮監は首を傾げる。
「たしか成人病を予防し、日々の健康を考えた食生活研究クラブなんですよね? 塩分や糖分を控えめにした・・・」
「はい。何事も早め早めの対策が大切です」
「それなら何故・・・?」
だから私は厳かな表情で教えてあげた。
「人は自分に甘い生き物です。どんなに健康にいいと分かっていても、粗食より美食に飛びつきます。よくいるんですよ。上から目線で『健康を考えるならこれぐらいできるだろう』とか言いながら、自分はやらずに腹をでっぷりさせてる人とか。そして自分はその健康に良い食事をしたことがないから、全くもって具体的な説明ができない人とか」
かつてファレンディア人だった私のスタイルを誉めてくれた人がいた。純粋な賞賛だったので、私は食生活とか運動とか、そのやり方を教えてあげたのだ。
だけどそんな会話を盗み聞きしていたばかりか、それに対して水を差しやがってくれたあの言葉。その恨みは忘れない。
「えーっと、13才でしたよね、ウェスギニー君?」
「はい。ピチピチぷりぷりの一年生です」
困惑している寮監の目の前で、私は棚から蜂蜜の瓶を取り出した。
「図書室から借りてきた事典などを調べ、私達はいかにローストしただけのナッツが健康的かという結論に達するでしょう。素焼きナッツの横に置かれた、バターや塩で味付けされたナッツ。それはきっと魅惑の味。手が止まらない。いかに酸化した油脂や塩分が纏わりついているか、自分達が調べた資料に出ていても」
「アレル、・・・君は僕達をどうしたいの」
エインレイドが戸惑うような声で尋ねてくるが、様々な顔を持つのが大人の女。
聖女の裏で妖女、慈愛の裏で陰謀。
このいたずらっ子ラブリー妖精に翻弄されるがいい。
「そして更に蜂蜜漬けナッツ入りクッキーという罪の味。どんなに太る為だけの食べ物か分かっていても、もう手は止まらないのです」
「アレル、・・・君の着地点が分からない」
「まだまだですね、レイド。そうして私達は理性で止められない人間の欲深さ、罪深さを、自分達の行動で理解するのです。そして口先では『健康を考えたなら食事制限ぐらい簡単だよ』とか言いながら、自分達は全くもって欲望に勝てない、弱く情けない人間だと知るのです。そう、人は自分が愚かで悪であるということを知って、善に目覚めるのです・・・!」
「・・・・・・」「・・・・・・」
ふぅっと淡紫混じりな桃色の髪が軽く揺れる。
「多感な少年達が食べたい物を食べられなくなったらどうするのかな、ウェスギニ―君?」
「大丈夫です。私だってそれはそれ、これはこれで食べてますから。
それに今はいいけど、数年後、汗臭くて脂ぎとぎとな少年になられたらイヤじゃないですか。野菜を多く食べることで体臭も変わるんです。
私の求める肉体には及ばないのは仕方ないとして、今から食生活改善していれば数年後、周囲がニキビに悩むお年頃になっても、みんなはすっきり爽やかボーイでいられますよ。そうして好きな女の子ができた時、みんな私に感謝しちゃいますねっ」
腕を組んで胸を張る私は、少年達の救世主だ。
あれ? なんかとても冷たい眼差しが二ヶ所から向けられているような気がする。
「えっと、ウェスギニー君。あなたが男の子に求めるのは顔とか家柄とかじゃなくて、肉体・・・ですか?」
「ええ。顔は見たら分かるし、親しくなったらあまり気にならないものでしょう? 何より顔立ちなんて生まれた時点でほとんど決まってます。努力で変えられるのは肉体ですよ、先生。家柄なんて鑑賞する際、関係ないじゃないですか」
「そ、そうですか。では、たとえば私の体なら?」
言われて、私はじっとその寮監に目をやった。
こいつは駄目だな。性格的にも私を可愛がるスキルがゼロとみた。私をいい気分にしてくれる甘い言葉も、ほっとした気分にさせてくれる安定感のある抱っこも、素敵なお姫様に変身させてくれるエスコートも全く備わってない、そんな気がする。
「いい体をしてると思います。だけどすみません、先生。私、もっと包容力のある肉体が好みなんです。こればかりは個人的な好みの問題ですから」
あなたの期待に応えられない私を許して。
悲し気に睫毛を伏せ、視線を斜め下に向けて私は謝罪しておいた。
「そうですか。いえ、別にどうでもいいんですけど、なんだか釈然としないのは何故なんでしょうね」
「気にしないでください、先生。誰だって好きな人の体が一番なんです。お互いに縁がなかった、それだけだと思います。先生が私に興味ないようなものです」
うん、私の言葉が皆の心に沁みていく。
なんて含蓄のあるメッセージだろう。
大切なことは万人に好かれることではなく、好きな人に好かれることだよ。
私にとっては考慮外、落選決定な男子寮監だけど、こういう人が好きな女性だっているだろう。私は自分に関係なければ、他人の愛を普通に祝福できる人間だ。
だけど父や叔父に恋人ができたら、こっそりベッドの中でしくしく泣くと思う。その後でなら笑顔で祝福するけど、この私を捨てた以上、幸せにならないと許さないという呪いをかけちゃう。
「あのさ、アレル。アレルの求める肉体って、どんなの? やっぱり理想的な体ってあるんだ?」
「勿論ですよ。当たり前じゃないですか」
「それって、実在する具体的な人とかいる?」
勿論、実在しない理想像も悪くない。だけど私、もう実在する理想が存在するからそれでいいの。
だって動いて私を撫でて抱き上げてくれるんだもの。もう私をドキドキさせてくれる父がいたら私ってばいつでも自分に手抜きしない女でいられちゃう。
恋って大事よ。女を現役でいさせてくれるから。たとえ実在しない人に恋してもやっぱり女の子フェロモンが自分を輝かせてくれるの。
「はい、私の父です。叔父も安定感があって大好きですけど、一番は父です。制服姿もシャツ姿もうっとり見惚れるダンディ。夏の薄着なんてめっちゃいい体ですし、汗をかいた時は先にシャワーを浴びてからという心配りも全てが完璧です。祖父母の誕生日ではいつも私が父の服を選ぶんですけど、もう色々なお姉さん達が見惚れてしまって、ホント大変」
「・・・ああ。うん、知ってた。その答え、僕、知ってた」
うちの父は子爵なので、たまに王城で王子と会ってお喋りすることもあったそうだ。だからエインレイドは父が軍服を着ていてもやっぱり子爵というイメージがあるらしい。
そんな父の肉体は、王子様をも魅了していたようだ。私はここに理解者を得てしまった。