カトリック改革
清貧でありながらカトリックの権威を取り戻す。
教皇ピウス3世は苦しい中で色々やった。
秩序崩壊までは望まないフィレンツェやミラノから多額の献金がされる。
教皇は己の私生活は質素にしながら、孤児院、廃兵院、施薬院等を作り、弱い立場の者を救った。
その際、教皇の権威を回復する為、彼は大衆に向けてこう叫ぶ。
「スピリタス! サンクトゥス! デウス!
御唱和下さい、我の名を!
教皇ピウゥゥゥゥーッスッッ!!!」
……名を売るのも大変であった。
「キリスト者は清貧であれ」
これはイエズス会の専売特許ではない。
西暦でいえば529年、今から950年前には既にベネディクト会が唱えている。
昔から分かってはいる。
出来ないのが人間の弱さである。
一方で、清貧であっては、悪く言えばみすぼらしい宗教であってはならない事情もあった。
ヨーロッパに広まっているゲルマン人、彼等もかつては蛮族であった。
蛮族を心服させる手っ取り早い方法は「なんか凄いぞ」と視覚に訴える事である。
聖歌や教会音楽やミサの音声も、和音を重視し荘厳に響くようにする。
このゲルマン人への布教の過程で生まれたのが「煉獄」という概念である。
「神を信じれば救われます」
「では、あんたの言う神を信じなかった俺の父母は救われないのか?」
「残念ながら」
「父母は神を知らなかったのに、救わないとか、随分と冷たい神だな。
そんな神に救われるより、俺は父母と一緒に地獄に行くよ」
こういったやり取りを経て、「罪は無いが、神に近づかなかった者」が一定期間天国に行く為の修行をする「煉獄」というものを創造した。
聖母信仰も似ている。
女神信仰があったゲルマン人に対し、厳密に解釈すれば「預言者という人間を産んだだけの女性」を「神の子を産んだ聖母」という事にして、女神信仰を転用する。
クリスマスというのも、元々は太陽神を崇める古代のミトラ教から拝借したものだが、このクリスマスを彩るクリスマスツリーもゲルマン人の樹木信仰を取り入れたものである。
このようにゲルマン人に布教する上で変質化したキリスト教だったが、ゲルマン人が最後の蛮族では無かった。
東方からスラブ人、ブルガール人、マジャール人等が住み着く。
北方からゲルマン人の一派ノルマン人が南下したり、スオミ人(フィンランド人)、サーミ人(ラップランド人)が居ついたりする。
西方では新しい啓典の宗教・イスラム教が発生し、これら周辺諸族を取り込む為の神像や聖画を「偶像崇拝」と非難する。
そういった周辺との相互影響を経て、二次元萌えと三次元造形に別れた。
ヨーロッパ人は過程を無視して結論に走る癖がある。
彼等の先祖に布教する為の「煉獄」を、「聖書には無い」と否定し始めた。
ワルドー派がそれである。
イスパニアというエルサレムからもローマからも離れた地で「俺らが村のキリスト者」たる聖者「サンチアゴ」崇拝も、「聖人崇拝は聖書に書いていない」と言う。
彼等は最初は修道会と同じ「改革派」として歓迎されるも、「聖書に在るか無いかで判断するなら、教皇とか司祭とか要らなくね?」と言った為に異端とされ、弾圧された。
「神性を得ずに聖書を解釈する事は神への非礼にあたる」
(意訳)「商人の分際で教会の利権に首ツッコんだらどうなるか教えてやるよ」
という事だった。
この時代のもう一つの異端の代表格、カタリ派は腐敗した教皇庁の否定から生まれた。
彼等の主張は「神は魂を受肉させたって言うけど、肉体ってぶっちゃけ悪の産物だよね」というもので、神が全てを造ったという説を否定し、「神は天と魂と光を造り、悪魔が地と肉体と闇を造った」と唱えた。
「神が全てを造ったというなら、悪魔も神が造ったの? おかしくね?
邪悪に属するものは悪魔が神とは別にいて、悪魔が造ったって考えるほうが自然だろ」
となり、肉体に囚われている教皇とかに「魂を祝福するとか、神と語らう力なんて有る訳ねーだろ」と否定する。
肉体が邪悪だから欲に囚われ、欲に塗れた肉体に囚われた魂は堕落する、そんな魂は天国には行けず、また邪悪な肉体を持って生まれ変わる、だから魂を救うべく修行するぞー! ……という考えだ。
「お前、キリスト教を名乗るだけのマニ教だろ」
という批判は昔から有ったようで、ここまで来ると異端ではなく異教だろう。
ワルドー派とカタリ派は弾圧され続けた。
しかし転機が訪れる。
薩摩という謎の勢力によって異端審問は停止した。
弾圧は止んだ。
カタリ派もワルドー派もホッと一息ついただろう。
その薩摩の首魁、東ローマ副帝イェヒ2世の名で彼等の身の安全を保証した上での、公会議出席が求められた。
恩人とは言え異教徒、従いたくはないが、イスパニアという超強力な異端弾圧勢力に勝った薩摩軍の、スパルタ軍とダルマチア軍が、本拠地への引き上げ途上で南仏に居た為、従わざるを得ない。
機嫌を損ねるとワルドー派、カタリ派ともに隠れ暮らす南仏を焼き払われかねない。
手を差し伸べられているのだから、敢えて払い除けて災いを招く事も無いだろう。
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イエズス会のイグナトゥスの他、ドミニコ修道会のジローラモ・サヴォナローラ、正教会のヴラド僧公も「異端を野放しにしたままで良い」とは思っていない。
彼等への対処は吸収するか、徹底的に排除するかの二択である。
三者とも、ワルドー派には救う余地が有ると見ている。
教会の否定以外は「清貧に」という運動と聖書研究会に過ぎず、実際カトリックに正帰(彼等基準)した者も多い。
フス派も許せる。
腐敗した教会に他人への断罪権は無いとし、聖書への回帰を呼び掛けているのだから。
現在のカトリック改革の肝は腐敗追放、縁故主義の排除、聖職者が妾に子を産ませる状態の改革なのだ。
教皇が尊敬に値する存在ならば、「教会に資格無し」とは言えなくなるだろう。
争点の一つが「聖書の翻訳」である。
聖書はラテン語で書かれている。
自国語で読まれ、解釈されたら「教会」の意味が無くなる。
三者は学問をし、修行を積み、聖職者となった。
改革を志すが、だからと言って彼等は「自分たちエリート」以外が神を自由気ままに語る事は我慢ならない。
「しっかりと神学を修めた者だけが神を語れるのだ」
誰かの言葉に残る両者も頷く。
この辺は宗教家の限界だろう。
神とは自分たちだけのものなのだ。
「で、聖書の翻訳は禁止するのか?」
「いや、許可して良い。
ただし、『聖書の解説』とし、決して『聖書』そのものと認めてはならない」
この辺はイスラム教に倣う。
『聖典』はアラビア語のもののみで、他の言葉のものは解説本に過ぎないとする。
「文字など幾ら読んでも構わない。
だが、文字だけでは伝わらないものがある。
それは我々使徒が伝える以外に無い」
これは日本に派遣されたイグナトゥスが、敵である禅宗を調べた事で得た知識を使っている。
禅とは、瞑想によって真理を知ろうとするが、その際に間違ったやり方だと魔境に至る。
故に、本当に分かるまでは師の指導を必要とし、それは文字による解釈だけでは不足で経験による体得が必要だというものだ(不立文字)。
「お前はやはり異教の影響を受けていて、一歩間違うと危険だ。
異端の一歩手前にいると自覚せよ」
ジローラモがイグナトゥスを嗜める。
だが、聖書の翻訳問題を解決出来れば、ワルドー派やフス派を(カトリックから見て)正道に戻るよう説得しやすくなる。
煉獄や聖者信仰については?
「東洋の宗教にはホーベンというのが有った」
「ホーベン?」
方便とは、最終的な教えに辿り着く前、まだ教えに馴染まぬ者を導く為の仮の教えである。
昔のゲルマン人への布教の仕方と、今のゲルマン人への神学は違って当然。
段階を経て学ぶ必要がある。
3歳の子供に読み聞かせる聖書の物語と、大人が読む物はニュアンスが違うだろう。
(やはりこの男、邪教に近過ぎる……)
ジローラモもヴラド僧公も警戒する。
いつか異端として追い落としてやりたい。
だが、彼の背後に薩摩がいるし、スレスレの所でキリスト教を踏み外していない(教皇・教会の権威を守る、世界はキリスト教で守られるべき、という熱意だけは分かる)から、今すぐどうこうはしない。
聖者たちは、決して狎れ合った友情等持ち合わせていなかった。
最後に、三者ともカタリ派については
「おめーだけはダメだ」
と思っている。
しかし弾圧すると、やる事に色々矛盾が出来て、結局ルター派やカルヴァン派を産みかねないので、
「あいつら、薩摩に送ろう」
という事になった。
家久が教皇になれる名家を日向国に送ったように、彼等も面倒な者は薩摩に送ろうとしていた。
イグナトゥス、ジローラモ、ヴラド僧公を家久が利用したように、彼等もまた島津を利用しようとしていた。
基本的に彼等が願うのは神聖政治である。
だがそれは、今までの教皇がやって来た世俗の長として、王侯貴族に命じ、富を集める事ではない。
世俗の君主はキリスト教に深く帰依し、教会は彼等を善導し、神の意志に沿った清貧な生活をすれば世界は平和になる筈だ。
教会は世俗的な権威で遜られるのではなく、その行いと神性によって敬われるのが自然な姿である。
ある意味、中国の朱子学による「陰陽正しく、君臣正義を為せば宇宙は整う」というものに似ている。
だが、いくらキリスト教の理念を追い求めようと、歪みは生じる。
歪みの一つ「カタリ派」という毒は、サツマニアという毒の地に放り込もう。
「成る程、毒をもって毒を制するのか」
「左様、どちらの毒が勝つか」
「願う事なら、仮にもキリスト教を名乗る者に、サツマニアも布教されて欲しいものだ」
「一度神を信じてくれたなら、後は布教しやすい」
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順番は前後するが、薩摩に送られたカタリ派は壊滅する。
異端も、薩摩には呑み込まれてしまった。
カタリ派は言う、「肉は食べてはならない」と。
豚肉を食いながらサツマン人は言う、「そん通りじゃの」。
「今食ってるのは何か?」
「こいは歩く野菜じゃ」
カタリ派は言う、「殺してはならない」と。
役立たずの家人の首をぶら下げながらサツマン人は言う、「そん通りじゃの」。
「いや、あんた、人を殺して首を切り落としたじゃないか!」
「殺すというのは、弱い者の命を取る事を言う。
こ奴はチェストしただけじゃ」
カタリ派は言う、「聖職者は結婚してはならない」と。
サツマン人は言う、「そん通りじゃの」。
薩摩人にとって、仏僧は妻帯しないのは当たり前で、今更言われるような事ではない。
結婚しない、女犯をしない、だから衆道に走る。
カタリ派は言う、「性的交渉を持ってはならない」と。
薩摩人は言う「では、どうやって子を為す? 口から卵でも吐くか?」。
カタリ派は言う、「子孫を残すのは良いのです、快楽の為の行為がいけないのです」。
薩摩人は言う「そいは四分律のごたる事か?」。
カタリ派は聞く、「それ何?」。
カタリ派はサツマン人から不勉強を笑われるという屈辱を味わう。
(※四分律:仏教の戒律で、中には男色もどこからダメでどこまで許されるか書かれていたりする)
カタリ派は言う、「死を喜んで受け入れねばならないが、自殺してはならない」と。
薩摩人は言う「喜んで死ぬのは武士の嗜みじゃが、何故自害がいけないのか?」。
カタリ派は「神が与えた命を己で無駄にするのは、神の意志に背く事だからだ」。
薩摩人は反論する、「じゃったら見苦しく生にしがみつき、己が生を全うするのも武士の道ぞ」。
しばしの議論の後、薩摩人はこう言う。
「おはんのごたる輩の事を矛盾チ言う。
言ってる事を突き詰めれば、理に合わんじゃなかか」
薩摩人、意外に仏教に詳しかったりする。
そして「魂の浄化」「生まれ変わる」「魂の解放」等を聞いて
「おはん等の言ってる事は、数千年程前に、既に仏法にて語られちょるで。
おはん等、単に不勉強なだけと違うか?」
大体日本の武将の中には、深く仏教に帰依していながら
「仏教に五戒在り。
不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒である。
武士だから殺生は避けられないから例外とする。
残り三戒は守っておる故、酒は良い事にしよう。
儂が軍神毘沙門天だから、あとで儂に謝っておく」
と殺人と飲酒は例外にした者もいる。
出家して入道になっても戦場で大薙刀振るう者もいるし、「そんな事は知っている」上で平気で人を殺したり、酒を飲んだり、略奪をする武士は、下手をしたら宣教師を打ち負かすくらい屁理屈を言える。
カタリ派は自説を否定される今までとは違い、
「お前らの言ってる事って、数千年前にはもう言われていた事だよ」
と返され、困惑する。
大体、サツマン人自身が彼等の目から見れば清貧そのものの生活をしている。
段々サツマン人に汚染され、仏教等を調べていく内に、改宗する者が出たり信仰の拠り所を失ったりと、カタリ派は薩摩という魔境に飲み込まれて、消滅していくのであった。
おまけ:
ジローラモは問う。
「ところで、皇帝はヒューガに送るとか言っていたが、ヒューガとかどんな場所だ?」
イグナトゥスは
「サツマの北東に在った国だが、ヨーロッパには来ていない。
別なヒューガが在るのかもしれない」
と答えた。
一応島津の者たちに聞いてみた。
「西の彼方、西方浄土ってとこごわす」
「海と大地の狭間に存在し、そこの記憶がある者は幸せじゃと聞いた」
「森の中の奇妙な通路を行けば在る、顔のデカい婆あが湯屋を営む場所じゃ。
そこで勝手に物を食えば、豚に変えられてしまうど」
「地図には無い小道の先で、振り向けば引きずり込まれる、そこが日向じゃと言われる」
「東勝神州の海の外、傲来国の花果山の頂に在るチ言うな」
「そこに行けばどんな夢も叶うチ言う、遥かな世界じゃな」
一体何処なのだろう?
ギリシャ神話も覚えた家久が決定的な情報を与えた。
「その日向とはなぁ、アケローン川の舟守に六文銭を与えて渡った先の、
更に奥にあるレーテ川の上流に在るのじゃ」
「陛下! まさかそこは!?」
「これ以上は何も聞くな」




