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第一次リエージュ戦争

正使島津歳久、副使東郷重位の使節団がポルトガルに着いた。

国王アフォンソ5世が宮廷料理人を呼び、命じる。

「宴席で棒鱈(バカリャウ)を使った料理を出す事を禁じる。

 如何なる難癖をつけられるか分からんからな」


かつて東郷を歓待していた時に、バカという発音は日本人を侮辱する言葉と聞いたアフォンソ5世であった。

そして自分の名前も「フォ」を強調し、決してアホンソとはならないよう気をつけさせた。

 時間を少し巻き戻し、薩摩人同士が争っていた1465年のブルゴーニュ公国の話をする。

 ブルゴーニュ公国支配地フランドル、その都市リエージュが反乱を起こした。

 背後にはフランス国王ルイ11世がいた。

 ルイ11世は、あの百年戦争の勝敗を決定づけたアラスの和約で、フランス・ブルゴーニュ双方が手離す事を決めていた要衝ソンムを、買い戻すという約定の穴をついた方法で取り戻した。

(放棄後に取り返してはいけないと書いていないし、軍事力はダメだが金銭で買い戻す事は明記されていない)

 ルイ11世はこれに先立ち、同様にアミアンの町もフランスに復帰させていた。

 これに当時は世継ぎであったシャルルが激怒した。

 シャルルはそもそもアラスの和約自体に反対であった。

 これではブルゴーニュ公国が何時までもフランス貴族のままだ。

 この不満を知った義弟・島津豊久が、アラスの和約を主導したクロワ家の人間を斬殺し、ひと悶着を起こした事もあった。

 こうした不満が有ったところに、今回のフランスの領土的な和約破りである。

 現当主ブルゴーニュ公フィリップも怒りを覚えている。

 かつて父親のシャルル7世と対立した王太子時代のルイがフランドルに亡命した事があった。

 「善良公(ル・ボン)」フィリップは事を荒立てぬ為、ルイ王子を保護し、事が落ち着いてから帰国させた。

 4年に渡り保護し、今もシャルロット妃を保護して友好関係を保っていたのに、ルイ11世の方からそれを破った。

 フィリップ善良公は世子シャルルに命じ軍を出撃させる。

 第一次リエージュ戦争が始まった。


 シャルルはルイ11世と戦う前に、統制を強める王家と対立する貴族たちと同盟を結ぶ。

 これが公益同盟で、参加したのはベリー公(ルイ11世の弟)、ブルターニュ公、アランソン公、ブルボン公、ロレーヌ公、ヌムール公、アルマニャック伯、サン・ポール伯、アルブレ伯、デュノワ伯といった面々である。

 この公益同盟軍をもって戦えば楽勝と思われた。

 だがルイ11世は戦闘に先駆けてブルボン公、アルマニャック伯そしてアルブレ伯等と交渉し、同盟を切り崩してしまった。

 それを知らぬシャルルはシャンパーニュからヴェルマンドワを経てサンドニまで進軍。

 ここで公益同盟と会合を持とうとしたが、ルイ11世に説得されたり、説得された貴族によって足止めされたり、日和見に転じたりで期日には誰も来なかった。

 怒ったシャルルはブルゴーニュ軍単独でパリを攻撃。

 期日に誰も居ない事にシャルルは激怒していたが、実はブルターニュ公フランソワ2世率いる12000人の軍は、ロワールまでやって来てはいた。

 連絡手段が無く、シャルルは知らなかったが、戦場にはブルターニュ公、ベリー公、サン・ポール伯が何とか駆けつけていた。

 そのまま貴族連合軍は王家軍に側面攻撃をかける。

 二正面作戦を嫌うルイ11世は、まず貴族連合軍の方から各個撃破すべく打って出た。

 貴族連合軍は弱く、あっさり敗れると、ブルターニュ公フランソワ2世及びベリー公シャルルは領土に引き返した。

 サン・ポール伯はこのままシャルルの元に駆けつた。

 王家軍出撃を知らされたシャルルはサン・ポール伯を受け入れ、先陣を任せた。


 そしてモン・ル・エリー村で、ルイ11世のフランス軍(騎兵12000、歩兵3000)とシャルルのブルゴーニュ軍(騎兵5000、砲兵1000、歩兵14000)がぶつかる。

 王家軍を見たブルゴーニュ軍先陣サン・ポール伯は、後退命令に従わず、その場で応戦する。

 この辺、(シャルル)の配下に入った貴族はやはり脳筋と言える。

 砲兵を持つシャルルの腹心フィリップ・ド・コミーヌがサン・ポール伯を砲撃支援し、ブルゴーニュ軍前衛サン・ポール伯は王家軍前衛を撃退する。

 だがルイ11世は第二陣に騎兵突撃を命じる。

 百年戦争でヨーク公リチャードと戦ったり、ノルマンディーのイングランド軍拠点を攻略した歴戦の将・ピエール・ド・ブレゼが動き出す。

 サン・ポール伯はブレゼ隊に攻撃を仕掛けるが、ブレゼ隊は違う方向に走り去った。

 脳筋馬鹿(サン・ポール)

「勝った!」

 と言って、付近の村に略奪に出かける。

 ブレゼの騎馬隊は、単に迂回攻撃をする為に正面を避けただけだった。

 下馬し、略奪したり、身代金目的で捕虜を探していたサン・ポール伯軍に、ブレゼ隊が側面から襲い掛かる。

 ブルゴーニュ軍は一気に壊滅する。

 突撃成功を見たルイ11世は、叔父のメイン伯にフィリップ・ド・コミーヌ率いるブルゴーニュ軍本陣攻撃を命じる。

 激突寸前、フィリップ・ド・コミーヌは踵を返し後退を始めた。


「シェストゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」


 奇声を上げながらシャルル直卒部隊が突っ込んで来た。

 奇声に棹立ちとなるメイン伯の騎馬隊。

 馬を上手く操れない騎兵を、ブルゴーニュ示現流が襲う。

 東郷重位の太刀筋を再現出来るのはシャルルだけな為、彼等は日本で言う長巻、彼等はそれをサツマニアン・ソードと呼んだが、それを模倣(コピー)した柄の長い重刀を蜻蛉に構え、袈裟懸けに振り下ろす。

 重刀を食らったフランス騎馬隊はたちまち壊滅した。

 示現流は足を止めない。

 打ち合う事はしない。

 全力で一撃入れたら走り去る。

 打ち漏らした敵は、後続が同じように全力の一撃を入れる。

 全力の一撃に耐えた重装備の甲冑騎兵でも、腕が痺れているか、既に致命的な損傷を肩口に受けているか、脳震盪を起こしているかで、後続の一撃には耐えられない。

 一回の突撃でフランス軍は形勢逆転させられた。


 メイン伯を物理的に引きちぎったシャルルの直属部隊は、そのままピエール・ド・ブレゼ隊にも突進する。

 態勢を立て直し迎撃の構えに移ったブレゼ隊だったが、こちらも突撃に入る寸前に銃声が響き、ピエール・ド・ブレゼが倒されてしまった。

 後退したフィリップ・ド・コミーヌの部隊は、単にシャルルの為に道を空けただけであり、すぐに戦場に戻って来ていたのだ。

 そして銃撃で歴戦の将を撃ち殺す。

 その豊富な銃や砲により崩されるブレゼ隊。

 とどめはブルゴーニュ示現流隊の特攻であった。


「シェストゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」

 chをシェとしか言えない猿叫であったが、兵士たちの心は凍り付き、竦んだ身体を文字通り粉砕されていった。


 ルイ11世にしたら、こんな馬鹿馬鹿しい戦も無い。

 外交で勝ち、別方面の敵を排除し、1対1の状況を作り出した上で、作戦的にも成功していたのに、シャルルの突進で全てをひっくり返されたのだ。


人狼殺しヴェアウルフスレイヤーシャルルだ!」

「妖怪首置いてけ2号ベイ・トン・クー・ドゥーだ!」

「逃げろ!」

 フランス王家軍は算を乱して敗走した。

 ルイ11世は、示現流を学んだシャルルが引き際を学習した事と、余りにも無様に敗走した兵に紛れて上手く逃げられた為、命は助かった。

 この権威失墜の為にイタリア・トリエステに赴いて島津豊久を撤退させようとしたのだが、シャルルの義弟はもっと恐ろしく、「トリエステの拳骨(バイオレンス)事件」で薩摩に拉致されてしまう。




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 モン・ル・エリーの戦いでシャルルの武名は轟いた。

 彼は味方からは尊敬で、多くの敵からは侮蔑的に「突進/軽率公(テメレーア)」と呼ばれるようになる。

 そのシャルル突進公(公爵位を継いではいないが)は、リエージュに兵を進めた。

 モン・ル・エリーの戦いは、勝ったとはいえ、被害はブルゴーニュ軍の方が大きい。

 その為、シャルルは直属部隊1800騎のみで押し寄せる。


 リエージュ市長ラエス・ファン・ヘールスは民兵4000と砲兵を率いて、2つの丘陵に布陣して防御戦を挑んで来た。

「あれは力押しでは落ちんな」

 シャルルはそう判断し、部下に力押しでの攻撃を命じた。

 当然、優位な地にいるリエージュ軍の砲撃の前に、ブルゴーニュ軍の騎兵は撃退される。

「もう一回行け」

 二度目の突撃、しかし撃退される。

「よし、もう一回だ」

 三度目も撃退される。

 だが、この立て続けの勝利に、民兵たちはファン・ヘールスの制止を聞かず、追撃に出てしまった。

「おい、お前ら。

 力押しして来いとは言ったが、本気で戦ってはいないだろうな?」

「はっ!」

「当然、戦えるんだろうな?」

「はっ」

「では行くぞ!」


 平地に出て来た民兵たちは、示現流騎馬隊に包囲されてしまう。

 地の利と火力支援を失った歩兵に、シャルルが無慈悲な命令を下す。

大回転首狩斬撃(ローリング・サンダー)!!」


 それは騎馬によって敵の周囲を円運動しながら、近くにいる敵の首を示現流+馬の速度で跳ね飛ばして、徐々に中心に向かって進んでいく殺戮陣形であった。

 外しても、後ろの騎兵が引き継いでくれる。

 死の螺旋運動により、釣り出された3000の民兵は殺戮された。


 兵力を失ったリエージュは降伏する。

「お前ら! 殺し足りなくないか!」

「オオーー!」

「焼き討ちは好きかー?」

「オオーー!!」

 そしてリエージュ領のプチハレット村及びグランドハレット村は、焼き討ち、略奪の末破壊された。


 シャルルは「薩摩人の兄弟フレーレ・デ・サツマン」という相応しい仇名も頂戴する事になる。


 その「薩摩人の兄弟」「首置いてけ2号ベイ・トン・クー・ドゥー」は兵を再度パリに向ける。

 モン・ル・エリーの戦いの結果を聞いて、敗走したブルターニュ公や、日和見の諸侯がやっと動き出した。

(弱虫! 愚図! 負け犬! 卑怯者! 日和見主義者!!)

 心の中でそう罵るだけ罵ると、その内面は見せずに諸侯を指揮し、パリを包囲。

 補給の関係でパリは落とせなかったが、ルイ11世から妥協は引き出す事に成功する。

 コンフラン条約が締結され、ソンムの町はブルゴーニュ公国に引き渡された。

 またノルマンディーはルイ11世の弟であるベリー公シャルルに割譲される。

 強力になった王家の力を分割させる目論見であった。

(ルイ11世のトリエステ遠征はこの後)




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 凱旋したシャルルを出迎えた父・ブルゴーニュ公フィリップは頭を抱えていた。

 息子の武名は良いが、倍するくらい悪名が届いている。

 多少の悪名なら良いが、「薩摩人の兄弟フレーレ・デ・サツマン」だけはいただけない。

 フィリップ善良公は、毛織物産業を保護し、その財貨をもって北方ルネサンスを保護し、フランドルを文化の国にした自負が有った。

 それなのに、よりにもよって芸術無理解のあの蛮族と同じ扱いとか。

「まあ良いではありませんか。

 武名も悪名も使い方次第ですよ。

 そう思って行きがけや帰りの土産にあちこち焼き討ちして来たんですから」

「お前、分かってんのか?

 リエージュはうちの領土なんだぞ。

 何を破壊して来てるんだ……」

「まあまあ、細かい事は気にしなさるな。

 禿頭公ル・ショーヴになりますぞ」

 フィリップは、我が子がフランス人の皮を被っただけで、中の人はサツマン人であると思い知った……。

第一次リエージュ戦争のシャルルの所業、ほぼ史実です。

話的に多少盛りましたが、8割史実通りです。

そして第一次ってことは、第二次も有りますので(こっちも血の臭いがする)。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] この当時(戦国末期)の日本語のは行の発音が ふぁふぃふふぇふぉなので、アホンソの発音の方が良いのは?
[一言] >「大回転首狩斬撃!!」 車懸かりだろうか?ノブヤボのだと丸鋸に見えるが。
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