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イスパニア軍襲来

 イベリア半島はかつて、北部の僅かな領域を除き、イスラム帝国に支配されていた。

 北部に在ったキリスト教国は、同じキリスト教国のフランク王国に援軍を求めたり、時に相争い、時に連合を組みながらイスラム勢力と戦い続けた。

 「再征服レコンキスタ」と呼ばれるキリスト教徒とイスラム教徒の領土争奪戦である。

 その期間約700年。

 薩摩には島津家はまだ存在せず、隼人族の反乱が大和朝廷に鎮圧された頃から、キリスト教徒とイスラム教徒はイベリア半島で戦い続けて来た。

(なお、日本最古の旅館はレコンキスタの開始年に開業し、令和と呼ばれる時代も操業している)


 戦い慣れているという点では、保元の乱以降乱世の日本が薩摩転移時点で四百三十年程度な為、イベリア半島諸国の方が上である。

 今イベリア半島に在るのはキリスト教勢力がカスティーリャ王国、アラゴン王国、ナバラ王国、ポルトガル王国で、イスラム教勢力はグラナダのナスル朝となっている。

 先頃島津家久に討ち取られたアルフォンソ1世はアラゴン王でありバレンシア王かつバルセロナ伯でもあり、シチリア王及びナポリ王である。

 その従兄弟カスティーリャ王フアン2世の後を継いだのがエンリケ4世である。

 アルフォンソ1世の庶子フェルディナンドは、亡命していたナバラ王国の王子ビアナ公カルロスに連れられ、アラゴン王国に戻る。

 ナバラ国王となったフアン2世が、兄の後を継いでアラゴン国王となる。

 アラゴン王国とナバラ王国は同じ国王を擁し、同族がカスティーリャ国王となっていた。

 ビアナ公カルロスとフェルディナンドはフアン2世に懇願し、アルフォンソ1世の仇討ちを乞う。

 アルフォンソ1世はナポリ王国に基盤が無い為、アラゴンから財を持ち出していた。

 フアン2世と前王妃マリア・デ・カスティーリャ(カスティーリャ王国の王女)は、国を顧みなかったアルフォンソ1世に反感を持っていたが、それでもまさか戦死するとは思っていなかった。


 この時代、王が兵を率いて戦いに出て、捕虜となる事はしばしばある。

 王や諸侯や公子は見つけたら捕らえるものなのだ、普通は。

 捕らえられた王侯は、本国が身代金を払い解放して貰うのが作法となっている。

 だが、バルカン半島にシマンシュと言われる一族が現れてから、王侯諸侯の死亡率が異常なまでに上昇した。

 使い方が幾らもある捕縛でなく、首にする事を追い求める「普通じゃない」連中相手なのが不幸だ。

 だとしても、王の援軍要請を断り、死に追いやったとなると妻も弟も評価が下がる。

 彼等は1万5千の兵と軍艦を動員し、ビアナ公カルロスに授けて出撃させた。


 イスパニア諸国は戦争慣れしている。

 戦争の始めは情報収集である。

 各地からの情報を集めた結果

雷光の再来(レディトゥス・バルカ)島津家久、こいつは異常過ぎる」

 として王族の出撃は見合わせようとした。

 しかし父であるナバラ王兼アラゴン新王への反発が抜けないカルロスが強いて自薦し、伯父の仇を討つべく司令官に名乗り出た。

 大砲を他より多く積んだガレアス船に搭乗し、多数の軍艦でシチリア島とレッジョ・カラブレアの間にあるメッシーナ海峡を目指す。




------------------------------




 島津家の兵站は御粗末極まり無い。

 孫子の兵法で「知将は敵に食む」と言うが、島津の兵法は「敵の兵糧を奪い、無ければ敵の田畑から刈り、それでも無ければ敵地の山野海川から狩る」ようなものだ。

 余りにも余りなので、ヴェネツィアやジェノヴァが補給を引き受けている。

 そんなジェノヴァの補給船団がイスパニア諸国連合艦隊に狙われた。

 イスパニア連合艦隊からしたら、強敵であるジェノヴァ艦隊に勝つ必要は無い。

 追い返して補給させなければ良い。

 ジェノヴァの船団は護衛艦隊が少なかった事もあり、撤退する。

 ジェノヴァ艦隊後退を見たビアナ公は、島津忠辰と同じメッシーナからシチリア島に上陸した。

 薩州家は島津家久に援軍を求めず、自軍だけでビアナ公の軍に立ち向かう。

 兵力千六百対6千。

 島津忠辰、忠清、忠栄、三葉忠継が種子島銃を車撃ちで猛射するが、イスパニア軍も同じように鉄砲で反撃し、大砲で薩州家の銃列を崩すと、重装の騎士が槍を揃えて突撃する。

 島津忠辰は長槍足軽に槍衾を作らせるも、危険と見たら騎士は馬を翻し、そこに大砲が撃ち込まれる。

 兵数が多く、馬と大砲も多く、連携もスムースで戦闘慣れしたイスパニア軍が圧勝した。

 島津忠辰は半数以上の損害を出し、戦闘継続不能となる。


 イスパニア連合軍が信じられなかったのは、島津家の真の姿は、負けてからが本番だった事だ。

 彼等はなんと、真正面から突撃して来たのだ。

 起死回生の一撃?

 自暴自棄の自殺攻撃?

 共倒れ狙いの特攻?

 どれでも無い、退却だった。


 シチリア島を逃げても、彼等はまだこの島に根を下ろせていない。

 奥に逃げても、彼等の感覚では落ち武者狩りに遭うだけだ。

 こうなったら恥も外聞も捨てて、島津家久と合流する他無い。

 それには、イスパニア連合軍の後ろに在るメッシーナから舟に乗ってナポリを目指さねばならない。

 だから、真正面に撤退するのである。

 撤退するのだから、銃撃にも砲撃にも怯まない。

 そして敵陣を抜けると、重傷者から順に置き去りにされる。

 彼等は座り込み、殺されるまで鉄砲を撃ち続ける。

 イスパニア連合軍が初めて見る「捨てがまり」であった。

 戦い慣れし、適度な所で兵を引き、戦傷者は後送し、捕虜は身分に応じて収監し、敵方に交渉を持ちかけるのが当たり前となっていたイスパニア諸国軍には余りにも衝撃的な行動であった。

 サツマン人は笑いながら、「絶望的」ですらない「死確定」の戦闘を続ける。

 しかも槍で突き貫いても、それですぐ死ぬような可愛い連中ではない。

 体を貫通した槍を気にせず前進して来て、騎士の鎧の隙間から短刀を差し込んで来る。

 この捨てがまりの死者の中には、島津忠辰・忠清・忠栄兄弟の叔父・三葉忠継もいた。

 彼はメッシーナの港で舟出する甥たちを守り、追撃を二度撃退して捨てがまった。


(シマンシュは王を殺すが、自らも王族の死を恐れない)


 全く不気味な敵である。




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 島津忠辰は恥を忍んで宗家の島津家久に頭を下げる。

 この辺気にしているのは忠辰の方で、家久の方はあっけらかんとしていて

「勝敗は兵家の常じゃっでん、気にせんで良か。

 奪られたら、奪り返せば良かだけごわそう」

 と笑っていた。

 真面目な顔になったのは、敵の装備や戦術を聞いた時である。

「戦慣れしちょるの。

 面倒になりそうじゃど」

 そう言うと、考え込んでしまった。

 暫く考えた後、斥候を大量に走らせると、ナポリ市内でどんちゃん騒ぎを始めた。

 兵たちに酒を振る舞い、飯を食わせた。

 穀物よりも肉料理ばかりだったが、薩摩兵もイェニチェリも鱈腹食った。

「打って出て戦いもすが、敵が先に動かんと手が打てん」

 そう言うと、自らも酒を飲み、寝所に入っていった。


「中務様、まだ昼時ごわんど!」

「まあまあ、薩州殿も飲みやせ」

「何時敵が来っか、分からんのにか!」

「戦は夜になっで、今は寝ておきやい」

「夜襲?

 確かにその手が有ったか!

 じゃっどん、上手くいきもそうかの?」

「行かんかったら、サパッと死ぬるが良か。

 俺いは親父おやっどと馬を並べて死ぬるなら幸せ思っちょる」


 そうしてナポリ市内では、一部の見張り以外、兵士は眠りについた。

 夜、家久は目覚めている。

 斥候の報告を聞く。

 シチリア島の艦隊は本日は動かず。


 翌日、再びどんちゃん騒ぎ。

 夕刻、家久は斥候から艦隊が出撃した事を知らされた。

 そして今宵はサプリの湾で休息を取っているとの事。

「まだ間合いじゃ無か」

 家久はまた寝た。


 翌日も昼は飲んで寝て、夕刻から動き出す。

 斥候の報では、敵艦隊はサレルノに到着。

 上陸部隊を出して、陸と海で休息。

 地図を見た家久は

「明日には此処に至るな」

 と独り言を言った後、周りにも聞こえる声で

「間合いごわす」

 と言った。


「出陣!

 馬に乗れる者は身分問わず騎乗!

 重か得物は置いて、太刀や手槍だけで行け。

 馬車は砲や楯を外し、乗れるだけ乗り込め。

 ここより南のサレルノの町の外にて合流。

 チェスト、行け!」

 慌ただしく叫ぶと、そのまま駆け出した。


「夜戦か」

「じゃっどん、今からじゃと朝駆けにならんか?」

「どっちでも良か、こいから戦じゃ」

 薩摩兵たちが続々と出撃していく。

 距離は約40km。

 羽柴秀吉の中国大返しや美濃大返しと違うのは、整った街道を馬や馬車で駆け抜けた事である。

 数時間後、移動可能だった二千五百が集結した。


「しかし中務様、馬がへばって戦にならんど」

 そう言う上井覚兼に家久は

「船に馬じゃ行けんから、此処に置いとく」

 と応じた。

「町に居る連中を叩くんじゃ無かですか?」

「うんにゃ、目指すはあの大きな船じゃ。

 あいに敵将は乗っちょるで。

 船戦じゃ!」

「じゃっど、どぎゃんしてあん船まで行くるか?」

「泳げ!

 水練の心得は有ろうが!

 太刀や手槍だけ持って泳ぐのじゃ。

 馬はバテても、おはんらは無事じゃろがい!」

 普通に馬で駆けても、数時間乗っていれば疲れる。

 しかし意地っ張りで体力過信の薩摩人たちは

「良か! 中務様の仰せに従っど!」

 と褌一丁になり、武器一式は衣服で包んで頭の上に乗せると、海に飛び込み、陸戦部隊上陸の為に陸地からそう遠くない場所に停泊している旗艦のガレアス船目指して泳ぎ始めた。

 ギリシャ、ローマ時代のガレー船と違い、漕ぎ手が少ない中世のガレー船は櫂が少なく、高層化していない為に舷側が低い。

 その上、日本の水軍は乗り移り戦法ばかりをしている。

 闇夜、岩礁で擦ったりして多数の負傷者を出すも、薩摩人は多数が眠っている艦隊に取り付く。

 薩摩兵は鉤縄を投げ、音を立てずに侵入に成功した。


 イスパニア連合軍の油断であった。

 上陸部隊は夜襲を警戒していた。

 艦隊は、攻められるなら上陸部隊が先と見ていた。

 漕ぎ手が疲れているし、この時代軍艦による夜戦は無い。

 必ず座礁したりで、軍艦は夜間移動が困難だからだ。

 一応外海に対しては警戒していたが、中央の部隊はまさか自分たちが真っ先に攻撃されるとは夢にも思っていない。

 だが、薩摩軍は上陸部隊も外周部隊も無視し、泳いでいきなり旗艦に乗り込んで来た。


 薩摩人に乗り込まれた船内で戦闘が始まる。

 寝巻を着て、武器も蔵っていたイスパニア兵に対し、日本刀は悪魔的な武器過ぎた。

 狭い船内での戦闘で振り回しやすく、破壊力も高い。

 防御については、甲冑を着たまま泳いだ達者もいたが、大概は裸に刀二本で無防備に近い。

 しかしイスパニア兵や漕ぎ手は、奇襲を受けて慌てふためき、海に飛び込む。

 そうして溺れ死ぬ者も出る。

 一隻が制圧されると、その艦に積んである大砲が砲撃を始めた。

 専ら陸上部隊に向けて攻撃しているが、慌てて造反艦と思しき艦に攻撃を始めたイスパニア艦は、多くの同士討ちを発生させる。

 朝日が昇る頃には、サレルノの陸海のイスパニア軍は惨憺たる有様になっていた。

 ビアナ公カルロスの首は、報復に燃える島津忠辰に取られた。

 ヘトヘトになった薩摩兵も二百人以上が戦死、溺死、集結地点に着くまでの間で事故死したりする。

 普段は手柄話で煩い薩摩隼人も、帰路は武装を外して輸送用になった馬車ターボルに、水揚げされた魚のように積まれ、疲れ果て寝たままの撤退となった。


 翌日、態勢を立て直したイスパニア連合軍は海陸からナポリを目指したが、到着と同時に行方不明だった総司令官ビアナ公の晒し首を見て敗北を悟った。

 この辺戦争に慣れている国々、まだ戦えるが、戦ったところで総司令官を討ち取られた恥は拭えない。

 それに彼等は遠征軍であり、相手が敗北を認めて領土を返し、賠償金を払って勝ちとなる。

 戦意旺盛な連中相手に手持ちの物資では勝ち切れない。

 負けは認めて、戦力が有る内に引き返そう。

 だが流石に王に次いで王子の首までこれ以上晒し者にするのは忍びない。

 イスパニア軍は、ナポリに使者を出し、金を払うからビアナ公の首を返還を要求し、自軍の敗北を認めるからこのまま退却させて欲しいと、司祭を通じて申し出た。

 家久は彼我の戦力比や、大砲の数を把握していたから、武器弾薬軍艦を半数を引き渡す事を条件に、追撃無しで帰国を認めた。

 こうして島津軍は大量の大砲と軍艦を手に入れる事に成功する。




 そんな家久の元に書状が届いていた。

 一読すると、彼は息子に

「お豊、早く祝言を挙げたいチ、ブルゴーニュ公からの手紙じゃ。

 おはん、嫁取りにブルゴーニュまで行ったもんせ。

 こっからは近い」

 と言った。

 島津豊久は、来る日が来てしまったかと愕然としていた。

当時まだガレー船、しかもギリシャ・ローマのより舷側が低い船を使ってました。

なので泳いでの夜襲はギリギリ通用するかな、と。

秀吉の頃だとガレオン船だし、大砲の性能も上がっているので、こんな戦いは通じないでしょう。

(お互いガレオン船で接舷斬り込みは有りですが)


まあ薩摩は、薩英戦争の時も斬り込み戦法を考えてました。

舷側が高い蒸気フリゲートには乗り込めないから、スイカ売りに化けて、タラップを下ろして貰い、そこから乗り込もうとしてました。

この原始的な戦法と、錦江湾に敷設した電気式機雷という近代技術か同居するのが薩摩。

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― 新着の感想 ―
[良い点] たまには負けるのも良いものです。 相手の強さが、サツマニアの強さを際立たせます。 [一言] おお!、対イスパニア戦。 イスパニアと言えば、卑劣な手でインカ帝国を滅ぼした残虐非道な悪の帝国!…
[一言] 更新お疲れ様です。 イギリス軍は二一世紀でも銃剣突撃してるから!
[一言] 豊久君、チェストは良いものだよ(°∀°)b
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