島津久保、帝都に赴く
本編第一章三話「大義名分」辺りの話となります。
(この世界は地獄じゃ……)
米菊丸改め、島津又八郎忠恒は目の前に並ぶ血塗れの首ピラミッドを前にそう思う。
彼は早々に修羅・悪鬼となって本家を継ぐ兄の為に働けと、父に命じられて最初の根切りを終えたのだ。
彼は泣きたかった。
だが涙を流す事は許されない。
女々しいと、父親ばかりではなく、教育係すら鞘ぐるみで殴って来るのだ。
いつしか十歳を過ぎたばかりの少年は、首を刎ねながら笑うようになっていた。
「そいで良か!
又八郎も良か薩摩隼人になれっぞ!」
大人たちはそう喜んでいるが、それは単に笑う以外の表情が許されなくなったからに過ぎない。
「怒」は大人たちを怒らせる、自分たちの方針に不満が有るのか? と。
「哀」も大人たちを怒らせる、敵を憐れむ等十年早い、と。
「楽」も大人たちを怒らせる、戦場は遊び場でない、と。
「喜」んで人を斬るなら認められる。
まあ、島津義弘も我が子を苦しめたくてこんな教育をしてはいない。
薩摩が知らない世界に転移したという異常事態において、早く我が子を一人でも生きていけるよう鍛えているのだ。
薩摩が日本に残っていたなら、米菊丸は三男坊の気安さで、もっと生温い教育をされていた筈である。
和歌・連歌・茶の湯という趣味人な生活を京都で送っていたかもしれない。
まあその生活をしたからといって、真人間が育つかどうかは、全くの別物なのだが。
忠恒少年は、昼は首を刎ねながら高笑いをしているが、夜に寝床に入ると死ぬ直前の人の目が、彼を睨んで来るのを思い出してしまう。
何を言っているか分からないか、呪詛の言葉がフラッシュバックする。
寝汗びっしょりで目が覚めてしまう。
彼は夜が恐ろしくなって来た。
そこで彼は、徹夜で書類仕事に励むようになった。
父が放置している占領地の行政について、この地の言葉について、この地の風習について。
難しい方が良い。
難しい方が余計な事を思わずに済む。
難しい事で頭をいっぱいにし、床机の前で倒れ突っ伏したまま朝を迎える方が良い。
忠恒がこんな生活をしている中、島津義久と島津歳久もまた、この地の政情を分析していた。
薩摩に居て、そのまま巻き込まれ転移した宣教師たちから歴史も学んだ。
そしてヨーロッパの知識を知る。
かつてこの地には、ローマ帝国という巨大な国があった。
漢名では大秦。
唐土が「漢」と言った頃に存在していた。
そこには漢と同じ皇帝が君臨していた。
だが大秦は巨大であり、一人の皇帝では治め切れなかった。
四人の皇帝で治めたが、四人は多過ぎた。
結果、東西に分裂してそれぞれが皇帝を戴いた。
西ローマ帝国は、今も在るようで滅亡していて、度々復活する。
「意味不明じゃ」
と刀を突き付ける歳久に、上手く説明の方法が分からず困惑する宣教師たち。
要はローマ帝国の後裔たる西ローマ帝国は滅亡したが、その名跡だけは残っていて、思い出したかのように「ローマ皇帝」として戴冠する者が出るというのだ。
その皇帝の冠を授けるものは、ローマ教皇という耶蘇教の法主だという。
「そうして我等カトリックの教皇猊下より地上の皇帝として認められた(神聖)ローマ皇帝がいらっしゃいます」
この回答は、義久・歳久の興味を西欧から背ける事には成功した。
要は、西の皇帝はさっぱり偉くないではないか。
では東はどうか?
ここにはまだ東ローマ帝国が存在している。
最早風前の灯火であったが、まだ存在している事は確かだ。
何度も滅亡の憂き目に遭っているが、どうにか生き残った。
「要は、西と東なら正統性は東に有るチ事じゃの?」
日本にもかつて南北朝時代という、天皇が2人存在する時代があった。
基本的に「自分たちに得をもたらす方を認める」のだが、それはそうとして南朝の方が正統っぽいという意識は何となくあったものだ。
無論、南北一統後はそんな意識は消えたのだが。
「いや、地上の皇帝とは天の神の第一使徒であるローマ教皇に認められてこそ……」
「異な事申すな。
認められて成る天下人があっか!
認めさせるなら有りじゃ」
「認めるのは神でして……」
「天が認めたなら、そいは正に天命。
そこに誰か代理人の言葉なぞ要らぬのじゃぁなかか?」
「ですが、ギリシャ帝国(東ローマ帝国を西側ではこう呼んだ)は異教のオスマン帝国に帝位を認められていますが」
「そん国は我等が討った、なれば問題無いという事じゃな」
(この蛮人ども、凶暴な癖に理屈っぽい……)
かつてイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは日本での布教活動に際し
『こいつら理屈っぽいから、討論に優れたのを送って!』
と報告しているように、中世日本人も中々に面倒臭いのだ。
なお、面倒臭いのは「島津家の知将」と謳われる島津歳久が相手だからだ。
これが島津義弘とか島津家久ならば、自分である程度の結論を出してしまうと
「議バ言うな!」
と殴りつけて来るだろう。
とりあえず正統性は東にあるようだ。
「なれば東の朝廷を新たな天子とし、その名を使ってこの地を切り取りましょうぞ」
歳久はそのように進言したが、義久は黙って是とも否とも言わない。
「兄サァ」
「又六(歳久)、先を焦るでなか。
決めっ時は必ず来っでな、そん時まで他言無用ぞ」
このような事は有ったものの、島津義久は大体の方針を決めていたようだ。
ある晩、義久は娘婿夫妻を呼び、内々にこれからの事を話す。
「それでは某は、この地の京に赴く事になりもっそうか?」
「ん」
「人質、に有りましょうや?」
「左様じゃが、左に非ず」
「?」
「表向きは人質という形で良か。
じゃっどん、おはんにゃやって貰う事が有っで」
しばし養父と養子で密談。
「承りもした。
島津又一郎久保、義父上の名を辱めぬよう事に当たり申す」
「む……」
その後、義久はしばし考え込んだ。
そしていきなり久保に襲い掛かる。
だが久保は座ったまま、義久の拳打をいなす。
義久の拳ではなく、手首を握って力を逃す方に引っ張った。
座取りという格闘技で、座ったままの状態でも相手を制圧する技法である。
転がされる義久。
しかし転がったと同時に、足が跳ね上がって久保の顔面を襲う。
足が当たり首が弾けた……と思ったが、それは久保が首を思いっ切り捻って衝撃を逃しただけであった。
そのまま蹴り足を掴むと、アキレス腱を千切るように力を入れる。
すると義久のもう一方の足が、久保の肩の部分を蹴り着け、力が入らないようにした後に、掴まれた足を引き抜いた。
「俺いの不意打ちに、よお対処した。
しかも立つ事もなく、そのままで俺いをあしらうとは腕を上げたの。
褒めてやっど、又一郎」
「なんの、義父上にまるで殺気が無かったからじゃで。
本気じゃったら、某のような若造、ひとたまりもありますまい」
「本のごつ、そげん思っちょっか?
俺いのごたる五十絡みの者に勝てんと?」
義久の鋭い視線を受けつつ、久保は微笑みながら返す。
「さて?
そいはお互いの誇りの為、言わぬが花にごわはんか、義父上」
しばしの沈黙の後、義久は楽しそうに大笑いをした。
彼にとって、この養子の一々が合格なのである。
島津久保もまた、島津の男。
一対一で戦っても強い。
だが久保は全く本気を出していない。
それは義久が本気で無かったからだ。
そして義久の面目も守る。
貴方には勝てません、と臆面も無く言ってのけた。
しかそその裏には、実は決して負けないという自信も持っている。
侮られてはいけない、しかし卑屈になってもいけない。
相手に対し「勝てますよ」なんて言って、余計な恨みを買う事もない。
一介の薩摩兵児なら、侮られたら一刀両断にして返し、相手に対して挑発するのもアリだ。
だが当主ともなれば違う。
東ローマ帝国への対応について、三弟の歳久は思った事をすぐに提案したが、当主ともなればそうもいかない。
そう思っていても表に出さない腹芸も必要である。
そういう部分でも、この養子は完璧だ。
「又一郎」
「はっ」
「其方に申しておく事が有っで」
「何なりと」
「其方、戦ってはならぬ」
「は?」
「言い方が悪いの。
己の拳を、己の太刀を振るって戦ってはならぬ。
そいは『匹夫の勇』言うものじゃで。
惟宗島津の棟梁となる者なら、戦う時は大将たらん。
決して先駆け等をしてはならぬ。
其方の実の父の如くな……」
ここで「いや、あの親父は化け物ですから」とか「いざという時はどう戦えって言うんですか?」等と言わないのが久保である。
彼は黙って頭を下げ、是とも否とも明言しなかった。
だがその表情に不安や不満は無い。
どうやら、己の手を動かさずとも勝てる自信があるようだ。
それが何なのか、養父にしても量りかねる。
(又四郎の子は中々の男じゃ!
養子にして正解じゃった。
こん男なら、亀寿を託せる)
そう親馬鹿な面も顔を覗かせる義久。
「良か!
その事胸に留め置くように。
それと亀寿!」
「はい」
なんで私はここに居るんだろ? という表情の娘に、義久は唐突に声を掛けた。
「其方の夫は中々の強者じゃ」
「見ておりもした」
「座したまま俺いと戦えるとは、相当な手練れよ」
「はい」
「この続きは、お主が確かめよ」
「はえ?」
「又一郎の寝技は如何程のものか、その身で確かめよと申しておる」
「…………。
!!
父上!!!!」
意味が分かって真っ赤になる亀寿を見て、その言葉の定義すら生まれていない時代のセクハラ親父は、高らかに笑ってその場を去って行った。
一方その頃、とある戦場にて。
「首が一つ……首が二つ……首が三つ……(途中略)……一つ足りない!
恨めしや~~
……って、夢か!
まどろんでおった」
フラフラと立ち上がり、まだ灯りの点いた自分の陣所から外へと出る。
近くでは、父・義弘の大いびきが轟いていた。
(俺いがこげに辛か思いをしちょっとに、こんクソ親父がぁぁ!)
島津忠恒は眠れぬ夜を過ごしながら、人知れず心の中に澱を溜めていくのであった。
おまけ:
とりあえず島津久保の詳細な史料見つけられなかったんで、妄想バチバチで書きますので。
なお、座取りは確か会津の御式内からだったと思いますが、座った状態での技が全く無かったとも思えないので。
次話は明日17時にアップします。




