第24話 赤い、悪魔
真春とトウザが戦い始めた頃、歩たちは博物館内の中心部に来ていた。
6畳程の部屋には何も置いていない。
「ここだ」
零が部屋の中心部に進む。
「お兄ちゃん」
「ああ、この部屋からだ」
零が懐から建国王の日記の紙片を取り出す。
紙片は何かに共鳴するかのように淡く輝きを帯びていた。
「2人とも、こっちに来てくれ!」
歩とシアが手を繋いで部屋の中心部へ行くと、紙片の輝きが強くなる。
「ようやくこの時が来た。世界を変える時が!」
零が感情を昂らせるのに対して、歩とシアは静かだった。
まるで、これから起きることを予期しているかのようである。
ただ、繋いだ手を強く握るのだった。
「開け、異界の扉よ!」
零の叫びが部屋に木霊する。
辺りに変化はない。日記の紙片が相変わらず輝いているだけだ。
「どういうことだ? 失敗したのか?」
零が疑問を投げかける。
「いや、完全に開いた」
歩が何もない空間を凝視する。直後、地鳴りが博物館を揺らした。
何かが近くにいる。
地鳴りが大きくなるにつれ、それが何者かの足音だということに気付く。
やがて、地鳴りが止んだ。
「一体何が……」
その時、目の前の空間にひびが入ったように見えた。ひびは、たちまち大きくなり、亀裂へ。そして、暗い色をした別の空間が顔を見せていた。
鈍い音を立て、腕のようなものが空間から現れる。腕というには余りにも異質だ。1メートルはある太さ、何より赤く半透明で不気味な色をした何かがここに来ようとしている。
ほどなくして、もう1つの腕が現れ、扉を無理やり開けるかのように空間を切り裂いていった。
「これが、魔族……」
歩の呟きと同時に、禍々しい空気と威圧感が辺りを支配する。
「お兄ちゃん、わたし何か怖い」
シアの問いかけに、歩はただ小さな手を握りしめる。
腕の後に出てきたのは――
「ミノタウルス?」
牛の頭を持った何かの体が現れようとしていた。10メートルはある巨大な体躯は、部屋に収まりきらずに博物館の屋根を破壊していく。
「シアっ!」
崩れ行く建物から歩がシアを守ろうとする。
幸いにも2人に怪我はなかった。
崩壊が収まった建物から抜け出すと、辺りは薄闇で間もなく夜明けが来ようとしていた。月は身を潜めつつあり、代わりに太陽がほんの少し顔を出し始めている。
「これは、しんどいな……」
そんな中、歩の目の前に厳然と立っていたのは――赤い悪魔だった。
その体は、あらゆる命を奪った血で出来たように真っ赤であった。
「ったく、とんでもないのが出てきたわね」
いつの間にか真春が歩の傍に来ていた。
「あの姿、特徴的な角。あの時の化け物に違いない」
牛頭に立派に生えた悪魔のような角を見て、同じく近くにいたトウザが抑揚のない声で応える。
周りでは、軍や零の部隊が瓦礫から這い出ている所だった。皆、突如現れた牛頭の巨人に恐れ慄いてる。
「フハハハハ、やったぞ! 魔族だ! さぁ、世界を壊して変えてくれ!」
零の喜びに満ちた叫びが辺りに響き渡る。
その叫びに応えるかのように、今まで動かなかった赤い悪魔が咆哮した。低く不気味な重低音と共に空気が揺れる。
「何が魔族だ! 魔法を放て!」
生き延びていた魔法省長官が怒気を込めて、軍に命令した。
恐怖よりも生存本能が打ち勝ったのか、軍の精鋭部隊がありったけの魔法を放つ。
魔法は一直線に魔族に向かい、大きな爆発とが起き、辺りが爆煙に包まれる。
「やったか!?」
長官が目を凝らすと、薄れゆく煙の中から何かが光った。
直後、赤い色をした一筋の光がすぐ横を通り過ぎる。光は地面を抉り、全てを破壊しながら、地平の彼方まで伸びていく。そこにいたはずの軍の部隊の大半が跡形もなく消えていた。
さっきまであった筈の命が消し飛んだのだ。ほんの一瞬で。
その光景に零の部隊だけでなく、軍でさえもパニックに陥っていた。
恐怖を嘲笑うかのように、再び煙の中から赤い光が輝きを増していく。その軌道は歩たちの方を向いていた。
「亜紗! 最大出力!」
「分かっている!」
真春の叫びと同時に2人が防御魔法を展開した。
直後、暴風雨のような魔力の激流が歩たちを襲う。幸いにも、直撃コースではなく、皆無事であった。だが、魔族の光が掠っただけにもかかわらず、防御魔法はほとんど瓦解していた。
「危ないわね」
「これはマズいな」
歩たちは、真春と亜紗が展開した防御魔法により無事であった。だが、強力に重ねた魔法も今や砕け散っている。
「姉ちゃん、あれの相手はできる?」
「……難しいわね」
「そう」
あの真春が渋い顔をしている。
「あれは存在自体が別ものだ。先程助かったのも、あの化物が本気ではなかったからだよ。戦うという選択が誤っている」
「あいつから逃げられればの話だがな」
亜紗とトウザの見解を聞き、歩がここから離れることを言おうとした時だった。
「ここが人間界か。聞いた通り、美味いところだ」
低い声が直接頭の中に聞こえてくる。周りを見渡すと、生き残った皆が同じく聞こえているようだ。
その声の主である魔族が語りかけていた。
「さて、食い尽そうか」
魔族が吼える。その咆哮は空気を、大地を揺らした。
生き残った者は恐怖で立ちすくむ。
「やるしかないか」
その瞳に覚悟を秘め、真春が前へと進み出た時だった――
「待って下さい」
この場にそぐわない優しく柔らかな声が聞こえる。
「ここは私が相手をします」
魔族のおぞましい体と同じ赤い色をした髪の少女が現れる。
「……エル」
姿を見せたのは、いつもの深緑色の狩人服を着たエルだった。




