となりの細木さん@佐堂
ジャンル:コメディー
「バレンタイン。
その日は、多くの男子学生が『え? 今日? 何の日? なになに、何かあんの今日?』などと言って、それを気にしていない態を装う。
彼らが一年で一番挙動不審になる日である、と言っても過言ではないだろう。
健全な男子学生は皆、淡い期待を抱くのだ。
今年こそは、本命チョコをもらえるかもしれない、と!
だが、そんな彼らの期待は、だいたい海の藻屑と消える!
ほとんどの女子学生は、男子学生のことなど眼中にないのだから!
彼らがチョコレートを渡す相手の多くは同性である!
さらに、その内訳は友達同士での交換や教師へのプレゼントが大半を占める!
故に、男子諸君は理解するべきであろう!
バレンタインとは、チョコレート会社と女子の為に存在するものであり、決して男子の為に存在するものではないのだということをッ!!
だが、それを理解しても尚、我々はこの心の奥底から湧き上がる衝動を抑えることができないのだっ!!
…………要するに。
――チョコレート、欲しいよぉぉぉぉおおおおお!!」
寒空の下で、とある非リアの叫び声が木霊する。
「天下の往来で、やかましいぞ加藤」
軽く自分の右耳を押さえながら、俺は加藤に苦言を呈した。
人の隣でギャーギャーと、うるさいったらありゃしない。こいつは、周りの奴らが俺たちに好奇の視線を向けているのを感じていないのだろうか。
「蓮堂はチョコレートが欲しくないのか!?」
「欲しいか欲しくないかって聞かれたら、そりゃ欲しいけどさ……」
眼鏡の奥にらんらんと輝く目を充血させながら、必死の形相でチョコを欲しがっている加藤の様子を見ていると、冷静にもなってくる。
「俺としては、お前がそこまでチョコを欲しがってるのが意外だわ」
クラスの中での加藤は、クールなインテリメガネキャラで通っている。現在進行形で台無しになっているが。
「当然だろう。男児たるものは常に欲望に忠実でなければならない。そもそもバレンタインというのは……」
あー、ここから長いから適当に流そう。
加藤の話を右から左に受け流している間に、校門を通り抜けて下駄箱に到着した。
「さて。まず本日最初のヴァレンタイン・イベントだ」
いつの間にか講釈を終えていたらしい加藤が、自分の靴箱の前で仁王立ちした。どうでもいいが、無駄にいい姿勢である。
「……靴箱か? 靴箱の中にチョコ入れるなんてベタな展開が今時あるわけねーだろ」
そんな俺の言葉に、加藤は「チッチッチッ」と口で言いながら、人差し指を左右に揺らした。
……実際にこの動作をする奴を初めて見たが、目の前でやられると思いのほか不快だった。
「甘い。甘過ぎるぞ蓮堂。実はここだけの話、意外とあるんだわこれが」
加藤は眼鏡の目と目の間にある部分を人差し指と中指で押し上げる。
「それに靴箱チョコレートにはなぁ、漢のローマンがそりゃぁもうたっっぷりと詰まってるんだよぉ!」
「靴箱チョコレートとかいう言葉、初めて聞いたぞ」
「ということで、ご開帳~!!」
俺は意気揚々と自分の靴箱を開こうとしている加藤に背を向ける。
悲しいものは見たくなかった。
「……あ」
切なげな声と共に、何かが床に落ちる音が聞こえた。
「…………」
見覚えのある眼鏡が、加藤の足元に落ちていた。
「……俺、この世界に嫌われてんのかな」
加藤の手には何も握られていない。
つまり、そういうことだろう。
……なかなか笑える場面ではあるが、友人として慰めないわけにはいかないな。
「まぁ、そう気を落とすなよ。まだ朝なんだしさ。クラスの奴らがくれたりするかもしれないじゃん」
落ちていた眼鏡を加藤に手渡しながら、そんな慰めの言葉をかけた。
靴箱はともかく、同じクラスや新聞部の女子連中から義理チョコぐらいは貰えるかもしれない、という期待は俺にもある。
新聞部に所属している俺とは違い、加藤は部活に入っていないから少し分が悪い気がするが。
「……そうだよな。まだ俺たちの戦いのドーロは始まったばかりだよな!」
「ロードな」
微妙な間違いを訂正しつつ、復活した加藤に背を向け、俺は自分の靴箱を開ける。
「……ん?」
最初に目に飛び込んできたのは、ピンク色の可愛らしい包装紙。
「あ?」
こんなものを自分の靴箱に入れた覚えはない。
「どうした? なにかあったのか?」
「……ああ。何か入ってた」
「何!? 本当か!?」
靴箱の中から、それを取り出してみる。
チェック柄のピンク色の紙袋だ。手作り感がすごい。
俺はその紙袋の中を覗き込んだ。
中には、折りたたまれた手紙らしきものと――、
「チョコ、レート……」
――来た。
ついに俺にも、春が来た。
「うわ、マジかよ! 良かったな蓮堂! 爆発しろ」
加藤は普通に祝福してくれた。
根はいい奴なのだ。
それにしても、まさか本当にこんなことが起こるとは。世の中何があるかわからないものだ。
「だ、誰からだろう……?」
ビニール袋に包まれているチョコレートのそばにあった手紙を取り出す。
「シャイな子だと、名前無しというパターンもあるがな」
「ふーん。どれどれ……」
はやる気持ちを抑えながら、俺は手紙を開いた。
手紙は『蓮堂君へ』という文字から始まっている。
丸っこくて可愛らしい字だ。
「えへへへへ……」
ニヤニヤしながらも、手紙を読み進めていく。
内容は、見てるこっちが恥ずかしくなってくるほど熱烈なものだった。ほとんど告白である。
席が隣になったときに、俺に何かを助けてもらったことがあるらしい。俺自身に全く身に覚えがないのが残念だ。
俺のことが好きだから、今日の放課後に屋上で答えを聞かせてほしい、といったことも書かれていた。
そして、最後の差出人の名前を見た瞬間。
「……え?」
俺の表情が凍りついた。
「ファッ!?」
隣で興味深そうに覗いていた加藤の表情も凍りつく。
……チョコレートに同封されていた手紙に書かれていた、差出人の名前。
細木 悠。
クラスメイトの男子だった。
それも、そんじょそこらの男子ではない。
校内でも屈指の巨漢に与えられる称号、“体重百キロ越えの者達”を持つ生徒の一人。その身長は、なんと二メートルを越える。
横にも縦にも、とにかくデカい。
その外見の割に性格は非常に穏やかで優しく、クラスでも親しまれているのだが……。
「………………」
沈黙が、場を支配している。
俺の頬を冷や汗が伝った。
……いつだ?
いつ、細木にフラグを立てた?
憶えている限りで俺があいつにしたことと言えば、古典の授業で隣に座っていた細木に向かって「細木、大丈夫か? 過呼吸になってるぞ」と声をかけたことぐらいである。
ちなみに彼はそのあと保健室につれていかれた。
……どの辺に、ときめく要素があったのだろうか。
「良かったな蓮堂。これはほら、アレだよ、アレ。ボーイ・ミーツ・ガール的なアレじゃないか?」
「ボーイ・ミーツ・ミートボーイの間違いだろ」
ミートボーイと呼べるほど太っている訳でもないのだが。細木のあれは、ほとんど筋肉だと思われる。
いや、そもそもボーイ・ミーツ・ガールの意味を間違えている。
バレンタインデーにもかかわらず、俺たちはまだ一人の女子とさえも出会っていないのだ。
……マズイ、想定外過ぎる事態に動揺して頭がうまく回らない。
とにかく、告白は受け入れられない。
俺はゲイでもバイでもない、女の子が好きな健全な男児なのだ。
「……うん」
とりあえず、ビニール袋に包まれたままだったチョコレートを取り出してみる。
チョコレートの表面には俺への愛の言葉が簡潔に記されていた。
だいしゅき
「お前にだいしゅきホールドされたら圧死するわ」
というか、なぜ数ある愛の言葉の中からだいしゅきをセレクトしたのか。意味がわからない。
「誰もだいしゅきホールドとは言ってないし書いてないぞ」
「……ああ、そうだね」
俺も相当精神的に参ってしまっているようだ。
まだ朝だけど。
「この文字、何で書かれてるんだろうな?」
加藤が興味深そうにチョコレートの表面の文字を指でなぞっている。
普通に考えればチョコレートを文字でデコレートするなら同じチョコレートなどだろう。
「今そんなことどうでもいい……ん?」
「どうした?」
「いや、なんかこの文字から変な臭いがしないか?」
生臭い臭いが鼻についた。
それが付着しているチョコレートを口にするのを躊躇うレベルの、明らかにチョコレートとは違う臭いだ。
「……言われてみると、確かに臭うな」
加藤は少し顔をしかめた。
「…………」
この文字、まさか。
まさかな。
そんなものをチョコレートと一緒に贈るなんてあり得ないだろう。
…………いや、でも、この臭いは。
――エリート液?
「…………」
俺は、そーっとチョコレートを袋の中にしまい込んだ。
(あかん)
……いや、ヤバいだろ流石にこれは。エリート塩どころじゃないよ。エリートDNA特濃だよ。原液だよ。
しかも手作りチョコってことは、恐らく一回チョコレートを溶かして作ってるわけで……。
「いらん想像が捗る――ッ!」
「れ、蓮堂? 大丈夫か?」
――処理しよう。
迅速かつ丁寧に。ノークレームノーリターンで。
「加藤、ハサミ持ってる?」
「え? あ、ああ……」
少し戸惑った様子の加藤からハサミを受け取った。
「ふんッ!」
ハサミで俺の名前が書いてあった手紙の一番上の部分だけを丁寧に切り取る。
そしてチョコレートと手紙を元の紙袋に戻してから、それを適当な靴箱に押し込んだ。
この間、僅か三秒。
一仕事終えた俺は、清々しい気分で靴箱に背を向けた。
「これでよし……っと。さて、行くか」
「おい、そこ安藤の……まあいいか」
加藤と一緒に教室へ向かう。
「いいか加藤。靴箱チョコレートなんて、なかった。なかった。なかったんだよ。なかったったらなかった」
「わ、わかった……わかったから無表情でなかったなかった言うのやめろ、怖いんだよ」
加藤は若干引き気味になりながらも頷いてくれた。
……ところで。
ここで一つ、問題がある。
細木氏、俺氏の隣の席なんですよねぇ。
ということは、細木に話しかけられる可能性が非常に高いわけで……。
「おはよー」
クラスの面々に、表面上はいつも通りの挨拶をして、席に着く。
細木は当然のように俺の隣の席に座っていた。
「おはよう、蓮堂君」
「ああ、おはよう細木」
タイムラグ無しで細木に挨拶を返せた俺を、誰か褒めてほしい。
「…………」
いつもなら友人たちとの雑談に興じるところだが、とてもそんな気分ではない。
黙々と授業の準備をしている俺を眺めながら、となりの細木さんがゆっくりと口を開いた。
「蓮堂君、靴箱に何か入ってなかった?」
「……何かって、何?」
手汗がすごい。
心臓の音がうるさい。
こんなに緊張したのは初めてかもしれない。
「ほら、今日ってバレンタインデーでしょ。蓮堂君ならチョコレートの一つや二つぐらいは貰えたんじゃないかな、って思って」
「いや、残念ながら何も無かったぞ。つか今時、靴箱チョコレートなんてそうそうねーだろ」
俺はちゃんと自然な返答ができているだろうか。
もう自分でも何を言っているのかよく分からない。
「……そっか。なら、いいんだけど」
それだけ言って、細木は他の奴らとの雑談に戻った。
「……ふぅ」
恐ろしい。
積極的過ぎるだろ細木。もうちょっと謙虚に生きてくれよ頼むから。
他の奴らとの雑談に興じている間も、細木は俺のことをチラ見している。
……無視。無視だ。
視線には気付かないふりをしろ。
声をかけてきても知らないふりをして押し通せ。
それしか生き残る術はない。
大丈夫だ蓮堂、お前ならやれる。
為せば成る。為さねば成らぬ。何事も。
「はぁ……」
バレンタインって、大変だ。
◇
明けない夜はない。基本的に。
そして幸運なことに、今日も無事に放課後がやってきた。
俺は新聞部の部室へ向かうため、迅速に教室から離脱した。
「……怖かった」
あの後、よく考えたら一人でいるよりは何人かで群がっていたほうが安全だということに気付いた俺は、休み時間中ひたすら加藤や他の友人達と駄弁っていた。
……細木は、休み時間中だけでなく授業中も俺のことをチラ見していた。獲物を狙う肉食獣のように。
だが、危機は脱した。
バレンタインデーという、告白する絶好の機会はもう消えたのだ。
これからは細木と二人っきりになる状況を絶対に避け、細木が遊びにでも誘ってきたら用事があるとかなんとか言って逃げればいい。
万が一のために、防犯ブザーを購入する必要もあるな。
無理矢理襲いかかってくるような奴ではないと信じたいが、今日の積極的な態度を見ると少々危ない気がする。
ところで、防犯ブザーってどこに売ってるんだろうか。
「まあ、家に帰ってから調べればいいか」
……そういえば授業中、俺の斜め前の席に座っている安藤が何故かずっと小刻みに震えていたが、何かあったのだろうか。
そんなことを考えながら歩いて、部室に到着した。
「お疲れーっす」
部室の扉を開けると、独特の匂いが俺の鼻を刺激した。
夕日が射し込む窓の隣、部屋の奥の薄汚れたホワイトボードのそばには、つまみ食い用の飴などのお菓子置き場がある。
中央の机の上には、色々なものが散乱している。……この散らかり具合からして、部長が何かやっていたようだ。
兎にも角にも、見慣れた、相変わらずぐっちゃぐちゃの部室である。
そして入り口から見て部屋の右側。
そこに、パソコンを弄っている一人の女子生徒がいた。
こちらに気付いた彼女は、ズレた眼鏡をかけ直し、セミロングの黒髪を気だるそうに掻き上げてから俺のほうを見ると、
「こんにちは。蓮堂くん」
装着していたヘッドホンを外しながら、俺にそう挨拶した。
……同じくん付けでも、細木と比べてここまで差が出るものなんだなぁ、と思う。
彼女の言葉は、どこか暖かみがあった。
こういうのを包容力と言うんだろうか?
「こんにちは、沙奈先輩」
「うん。こんにちは」
先輩はいつものように眠たそうに自分の目元を擦りながら、欠伸をかみ殺している。
折角整えた眼鏡が再びずり落ちていた。
「あれ? 今日沙奈先輩だけですか?」
「うん。というか今日は部活休みだよ蓮堂くん」
「えっ」
初耳だ。
「……もしかして昨日、部長の話聞いてなかった?」
「部長そんなこと言ってましたか」
「言ってましたね」
「……すいません。聞いてませんでした」
「うむ。素直でよろしい」
膝掛けを抱き締めて、ほとんど目を閉じながら、先輩は微笑む。
口が裂けても言わないが、目がどっかのたけしっぽい。
「沙奈先輩は何してるんです?」
「ニコ動見てた」
パソコンの横に置かれたヘッドホンからは、アニソンと思しき曲が流れていた。
「あんまりパソコンの画面ばっかり見てたら目悪くなりますよ」
「ちゃんと太陽の光にも当たってるから大丈夫だよ」
「太陽の光?」
うん、と先輩は頷く。
「太陽の光を浴びるとね、視力がちょっと回復するらしいよ」
そんな話、聞いたこともない。
正直かなり眉唾ものだと思うが……。
俺は心の中で首を傾げていたが、先輩はそれ以上の説明は不要と判断したらしい。
「ねぇ、蓮堂くん」
先輩は、中央の机の右側――先輩がいつも座っている席に腰掛ける。
「この世で最も高級なチョコレートを侮辱する一番いい方法は、なんだと思う?」
「はい?」
チョコレートを、侮辱?
……突然何をおっしゃっているのだろうか、この人は。
「どういう意味ですか?」
「どういう意味も何も、そのままの意味だよ」
「……うーむ」
先輩の意図はわからないが、考えてみる。
高級チョコレートを侮辱する方法、ねぇ……。
……あ。
一つだけ、思い当たることがあった。
「その高級チョコレートを食べずに残すこと、ですかね?」
それはまさに、今日俺が細木チョコレートにした仕打ちだ。
あれは残されても文句言えないチョコレートだったと思うけどね!
「…………」
「沙奈先輩?」
「……なるほど。確かにそれも、一つの正解だろうね」
俺の答えは、先輩のお気に召したらしい。
「ただ、その答えの場合なら食べかけのチョコレートをほとんど残すほうが……どちらにせよ方向性は悪くないか……」
先輩は何やら呟いているが、あまり気にしないことにする。
「沙奈先輩の用意していた答えは何なんですか?」
「ん? ああ」
先輩は、自分の鞄の中に手を突っ込みながら言った。
「私の答えはね――その高級チョコレートを、この世で最も安いチョコレートと混ぜること、だよ」
「……はあ」
正直、ピンと来なかった。
「攪拌することであらゆるモノは自らの性質を見失い、歪み、澱み、穢れる。基本的にはね。混ざり合うことで新たに特異な性質を示すモノも無くはないけど、そんなものはごく少数にすぎないの」
そんなことを言いながら、先輩はお目当ての物を見つけたようだ。
「――と、いうわけで、はい。チョコレート」
先輩は鞄の中から紙袋を取り出して、俺に差し出した。
「え?」
チョコレート?
「え? って……今日はバレンタインデーでしょ?」
「いや、まあそうなんですけど」
どういうことだ。
どういう流れだ、これ。
話の流れが繋がってないような気がするのは俺だけだろうか。
「……私がチョコレートを渡すのが、そんなに意外かな?」
「ええ、まあ」
あ。
つい正直に答えてしまった。
「……ひどいよ蓮堂くん。私がちゃんと心を込めて作ったのに……」
心なしか、先輩がしょんぼりしているように見えた。
「まさか、手作りですか?」
うん、と先輩は頷き、
「ヴィタメールのチョコレートとチロルチョコを一回溶かしてから、混ぜ合わせてもう一回固めたの」
「何やってるんですかあんた」
「ねね、食べてみてよ」
「あ、はい」
俺は先輩からチョコレートが入った紙袋を受け取った。
「うふふ」
先輩はニコニコしながら俺を見ている。
嬉しそうだった。
……本当に、この人は何を考えているのかわからないな。
俺は紙袋の中から、チョコレートを一つ取り出した。
一口サイズずつビニールで梱包されており、食べる側にも十分に配慮されている。
「いただきます」
「うん。どうぞー」
俺はチョコレートを口に入れた。
「――!」
口に含んだ瞬間、優しい甘さと仄かな苦みが俺の口の中を支配する。
チョコレートはあっという間に溶けるようにして口の中から消えた。
「どう? 美味しい?」
「……すごく、美味しいです」
口の中には、まだチョコレートの甘い味が残っている。
「うん。そっかそっか」
俺の言葉に安心したのか、先輩は机に突っ伏した。
「はぁ。また眠くなってきちゃったな」
違った。
再び眠くなってきただけだった。
「ちゃんと夜に寝なきゃダメですよ沙奈先輩。ゲームはほどほどにしないと」
「蓮堂くん、私が毎晩ゲームやってるせいで寝不足だと思ってるの?」
「違うんですか?」
「違うよ、失礼だなぁ。勉強してるんだよ」
ふぁぁ、と何度目なのかわからない欠伸をかみ殺しながら先輩は言った。
「ごめん蓮堂くん。私ちょっと、寝る……ね」
「――っ」
……沙奈先輩は、普段はかなり適当でガサツで何を考えているのかよくわからなくて、見ていると俺の頭の中で頻繁に喪女とか干物とかの単語がチラつくような人だ。
でも、たまにドキッとさせられる時があるのは本当に勘弁してほしいと思う。
……自分でも、何でただの寝る宣言にドキッとしたのかはよく分からないが。
「おやすみ、なさい。れんどうくん」
「……おやすみなさい。沙奈先輩」
火照った顔を見られないうちに、部室から退散した。
「はぁ……」
廊下は部室と違い、冷たく乾燥した空気で満ちている。
だが、俺の心は温かなもので満たされていた。
俺は少し緩む頬を押さえながら、気が早いことを自覚しつつも、ホワイトデーのお返しは何がいいかなぁ、などと考えるのだった。
◆
バレンタイン。
それはまさしくチョコレートのように仄かに甘く、そして苦い。
「――もう、安藤君でもいいや」
「え? あの、ちょっ、細木っ」
「安藤くーん!」
「げふっ!? 重っ――! ちょ、どいて! 折れる! 折れるから!」
「そんなに僕のことが好きなんだね! 安藤君!」
「違っ……! オレは――」
「じゃあ、やろうか」
「やらない! やらないからっ! 離せっ! 離せよ!」
「うん? もしかして照れてるのかな?」
「照れてねぇよ! ちょ、お願いだから離して――!」
「大丈夫。痛いのは最初だけだよ。すぐに気持ち良くなってくるからね」
「いっ、嫌だぁぁぁあああっ!! 誰か! 誰か助けてぇぇえええ!!」
「えい」
「アッー!」
……やっぱり、甘くないかもしれない。




