田舎の鬼は鬼か否か@狼花
ジャンル:ファンタジー
明日から暦上では春だなんて信じられないほど、空気は冷えていた。都会から田舎に戻ってくると、空気の新鮮さに驚く。スーパーという施設の中にいるにもかかわらず冷気は身体にまとわりついて離れず、加えて今現在、飲料水コーナーにいるから尚更である。
「兄さん、コーラにする? サイダーにする?」
「そうだな……二本ずつ。あ、そこのオレンジとリンゴのジュースも」
「これも二本ずつ?」
「……いや、三本ずつ。あとお茶」
「お茶は緑茶でいいかな」
「うん」
次々と俺が引いているカートの下のカゴに放り込まれていく、一・五リットルのペットボトルたち。上のカゴは既に酒瓶で埋まっていた。水物ばかりを載せられたカートはギシギシと悲鳴をあげており、カートを移動させるのにも一苦労だ。
弟の瞬が緑茶のペットボトルをカゴに入れたのを確認して、俺はカートを押してレジへと向かった。スーパーの開店と同時に買い物を始めたので、休日の午前中といえどレジは空いていた。俺が苦労してカゴをカウンターに載せている間に、瞬がこれ見よがしに置かれているレジ横のチョコバーをカゴに放り込んでいるのが見えたが、スルーしてやった。
昔から俺たち兄弟は和食で育ってきたが、洋食や洋菓子の類は大好きだ。この頃は輪をかけて和食ばかりだったので、瞬も飽きてきたのだろう。買ってやる代わりにあとで分けてもらうことにしよう。
ふたつのカゴぎっしりのペットボトルと酒瓶を見て、やれやれと思いつつ財布を取り出す。と、レジの中年女性がいつまで経っても商品をレジに通そうとしてくれない。「おや」と視線をあげると、その店員は申し訳なさそうにこう言うのだ。
「未成年のお客様にお酒の販売はできません」
「……あの、一応成人しています」
溜息交じりにそう言ったのだが、案の定信じてもらえず。
仕方がないので高校卒業後に取得した運転免許証を見せて、なんとか今現在二十一歳であることを確認してもらった。
会計を待っている間、瞬が苦笑しながら囁いてきた。
「相変わらずだね、兄さんの童顔」
「もう慣れたよ……」
神崎遼。四月から大学四年生。正真正銘、二十一歳。酒だって飲む、ぶっちゃけ大好きだ。
――なのだが、どうも顔がいけないのか、若いどころではなく幼く見られがちだ。弟で四月から高校二年生の瞬とほぼ同じ身長、しかし瞬のほうが年上に見られてしまう。とはいっても瞬はどう見ても高校生にしか見えないので、そうなると俺は一体幾つだおい。
年齢を訝しまれれば免許証を見せるのが条件反射のようになってきた今日この頃。
会計を済ませて、買い物袋をカートに入れ直してスーパーの外に出る。俺は駐車場ではなく、駐輪場の方へ向かった。しかしながら、駐輪場に置いていたのは自転車でもバイクでもなく――リヤカーだった。
「うわ、改めて見るとリヤカー引いて歩くって恥ずかしいね」
「ここまで引いてきておいて今更何言うんだよ。ほら、袋乗せろ」
俺の言葉で、瞬は掛け声とともに袋を荷台に置いていく。一・五リットルのペットボトルが八本、あと酒が数えたくもないくらい――総重量いくつだ、これは。
瞬がカートを戻しに行っている間に、俺は後ろを振り返った。スーパーの裏にそびえる山――今からリヤカーを押してあれを登ると思うと、気が滅入る。
★☆
「遼、スーパー行って飲み物買って来てくれない?」
母にそう言われたのは、ほんの二十分前のことだった。
畑と水田が広がる「ザ・田舎」とでも言うべきこの町は、殆どが神崎家の土地だった。要するに何代も続く大地主だ。
俺の父親はその神崎の長男。そして俺は、そんな父の長男。本家筋なわけだ。
生まれて高校を卒業するまでこの町で育ったが、大学進学と同時に家を出て一人暮らしを開始した。とはいえ、実を言うと都会は目と鼻の先だ。すぐそこに都会があるのに、どうしてこの地はここまで田舎になるのだろうと嘆きたくなるほどである。なので帰省するのも簡単で、休日ならふらっと帰ることができる距離だ。
さて本日は二月三日。節分だ。
神崎家は何やらこういった行事を大切にしており、この日は全国各地に散っている親戚たちが本家に集結する予定だった。
朝から母と祖母は料理の準備に追われ、父は車を出して親戚を拾いに行っている。残った俺と瞬は、そうしてお遣いを頼まれたわけである。
「昨日買い物行ったんじゃなかった?」
「飲み物は買ってないのよぉ」
「……どして?」
「大荷物になるから。それにあの冷蔵庫じゃ全部冷やせないの。だから遼、キンキンに冷えた飲み物買って来てね?」
そういう話をしながらも母は忙しく働いていたので、俺は快諾して瞬を引っ張り出したのだった。都会でマンション暮らしをしている俺であるが、最後に瞬と会ったのはたった二週間前のこと。
「瞬、買い物行くから荷物持ち頼む」
「いいけど、水物買うんでしょ? 歩いていくの?」
「まさか。車出すさ」
うちの親戚が全員集まった時に消費される水と食べ物の量は、半端ではない。歩いて買い物などに行ったら、間違いなく数回家と店と往復する羽目になるだろう。
庭を横切って車庫へ向かったのだが、車庫にある一台の車には既にエンジンがかかっていた。乗っているのは現在の神崎家当主である祖父だ。七十歳近いが、まだまだ現役である。そのせいで五十を超えた俺の父が近所の爺さんたちに『若旦那』と呼ばれる始末。俺と瞬は『坊ちゃん』だよそれがなんだ。
「祖父ちゃん、どこ行くんだ?」
声をかけると、窓から顔を出した祖父が笑う。
「ご近所をまとめて連れてこようと思ってなぁ」
……そう、うちの宴会事は親戚にご近所さんが加わるのだ。だから買い物がとんでもないことになる。まあ、この辺り一帯の地主だからみんな親戚みたいなものだが。
それより問題なのは、神崎家には車が二台しかないということである。一台は父が親戚を拾いに使っていて、最後の一台は今から祖父が乗って行ってしまうと言う。
俺も自分の車に乗ってくればよかったのだが、大量の親戚が車で来るだろうからと思って今回は電車で来たのだ。
「困ったな、さすがに自転車はきついし……」
「なんだ、車がいるのか? 隣の倉庫にリヤカーとダンプとトラクターとマイクロバスがあるから、自由に使っていいぞ」
「どれも使えないんですけど!?」
なんだそのチョイスは。俺は大型免許は持ってないんだ。マイクロバス? ああ、そういえば何年か前に『バス会社社長から使わなくなった型のバスを譲ってもらった』とか言っていたっけ。
瞬は俺などより余程淡々としたものである。
「けど、俺ら二人じゃ絶対戻って来られないよ?」
「くっ……仕方ない、祖父ちゃん、リヤカー借りる」
というわけで、リヤカーを引いて山を駆け下り、麓のスーパーまで買い物に来たと言う訳であった。
★☆
スーパーを出て、車通りが比較的多い大通りをリヤカーを引いて歩く。ガラガラガラガラ、大音量で車輪が回る。引っ張っている俺や瞬にしてみれば大した音ではないのだが、多分かなりの騒音だろう。ていうか、滅茶苦茶目立ってるぞ俺たち。
今まで西へ向かっていた進路を北に変えると、即座にそこは山となった。何重にも重なり続く急カーブと急傾斜。見上げるだけで気力が吸い取られる。まったく、行きにこの坂をリヤカーに乗ってトロッコの要領で駆け下りたのはなんだったんだ。いいか、危ないので真似しないように。
「瞬、気合い入れて押せよ」
「うん」
瞬がリヤカーの後ろに回って配置につく。一歩踏み出せばそこから上り坂だ。
「行くぞ。せー、のっ」
俺が力いっぱいリヤカーを引くのと同時に、後ろから瞬が荷台を押した。ほぼ体当たりだ、肩の力で押している。
「うっわ、きつっ……」
これだけの水を載せたリヤカーを引っ張り上げるのは予想以上の苦だった。十歩も進まないうちに俺の息も切れて、瞬も苦しそうだ。
カーブは合計四回。結構厳しい切り替えしだ。たいした山ではないのだが、こういう時はなぜ山の上に自宅があるのだと恨めしい。
ひとつめのカーブにやっとたどり着いたところで休憩を入れ、再び坂を上がっていく。と、後ろから瞬が声をかけてきた。
「ねえ、兄さん」
「うん?」
「最近、どうなの?」
「どうって、何が?」
「就活とか」
「ああ……何社か受けて、いま、内定待ち」
息も絶え絶えになりながら、俺はそう答える。
「なんだよ瞬、改まって」
「忙しいだろうに、よく帰ってこられたなと思って」
「ん、まあね……」
思わず言葉を濁す。その瞬間、身体が後方に引っ張られた。リヤカーが一気に坂を下りそうになってしまい、なんとか足を踏ん張って耐える。
「う、おっ!? ちょっ、瞬!」
「あ、ごめん。欠伸したら手、放しちゃった」
「上り坂の途中ではさすがにやめてくれ!」
瞬は天然だ。
かなりの時間をかけ、俺と瞬はリヤカーを引いて家まで帰ってきた。家の敷地内にも地味に上り坂があり、庭にリヤカーを置いたとき俺たち兄弟が声が出ないほど息を切らしていたのは言うまでもないだろう。
「あらぁ、お帰り、遼ちゃん、瞬ちゃん」
リヤカーの音を聞きつけた祖母が縁側に出てくる。リヤカーから縁側に移動させた飲み物類を祖母が運ぼうとし出したので、休む暇なく慌てて運搬作業に取り掛かったのだった。
昼の時刻が近付くにつれて、祖母と母の料理が完成し、和室の続き間の卓の上に皿が並べられていく。親戚には幼い子供たちが大勢いるので、その子たち向けに和食だけでなく洋食物もある。寿司屋から出前を取っていたらしく、大量の寿司を玄関から部屋に運んだのは瞬。大量購入した飲み物を冷蔵庫から出し、押し入れからこれまた大量の座布団を引っ張り出したのは俺である。
そうして、続々と親戚たちのご到着である。
「よお、遼! 久しぶりだな、二年ぶりか!?」
「正月以来だから一か月ぶりだよ、巧馬兄さん……」
「こんにちは遼くん、瞬ちゃん。はい、これ叔母ちゃんからお小遣いよ」
「おっ、有難う御座います」
ほくほくとポチ袋を受け取った俺に、同じく小遣いをもらった瞬が白い目を向けてくる。
「成人しているのにもらっちゃっていいの?」
「くれるっていうのに断るのは悪いだろ」
その後も『久しぶり』の挨拶は続く。……いや、大部分の人とは一か月前の正月に会ったのだが。
「遼兄ちゃん、瞬兄ちゃん~」
「友紀、元気か? ん、ちょっと背伸びた?」
「兄さん、一か月でそんな変わらないんじゃない?」
「いやそんなことないだろ」
五歳の従弟を抱き上げると、その体重の重さに驚く。成長期ってのはすごいな。
と、ぞろぞろとチビちゃんズが俺の方へ突進してきた。俺の父親の代は兄弟が大勢で、従兄弟たちも把握しきれないほど多い。特にここ数年、〇歳から五歳までという子供たちが急増している。
こうなることは分かっていたが、それにしてもなんで俺の方にばっかり来る? 瞬がフリーだぞ、暇そうにしているぞ。またこれも『良い人そう』とよく言われる俺の童顔のせいか?
叔父さんに叔母さん。大勢の従兄弟。従兄弟の子供たち。もう俺との関係を挙げてていくとキリがない。既に三十人以上集まっているが、これでも正月に比べたら小規模なものだ。あの時は、もはや「誰?」という人も大勢いた。
親戚づきあいとして最も親密なのは、父さんの妹である佳代叔母さんと、その息子の巧馬兄さん。すぐ近所に住んでいるので、毎日のように巧馬兄さんと遊んでいた記憶がある。
あとはチビちゃんズだ。友紀をはじめ、たくさんの子供たち――の面倒を宴会中に見るのは、間違いなくこの俺。アシスタントが瞬。
★☆
大部分の親戚に加えて近所の爺さん婆さんたちが到着したところで、縁側に面した畳の続き間で昼食ということになった。乾杯の音頭は祖父ちゃんが取り、昼間から酒を浴びるほど飲む宴会の始まりだ。
叔父さんたちに酒を注ぎに行ったら「未成年に注がせるなんて」と笑われる。
酒のコップを取ったら「未成年はお酒ダメだろ」と諭される。
みんな本気で俺が未成年だと信じていやがる!
「どんまい、兄さん」
と言いながら瞬が差し出してきたのはオレンジジュース。これでいいよもう。
あんなに大量にあった寿司とおかずは一気になくなり、飲み物も買い足しにいかなければならない域にまで達してきた。食べることに飽きた子供たちは畳の間を走り回り、赤ん坊が盛大に泣き声をあげる。賑やかなんてものじゃない。
皿がだいぶ片付いてきたとき、俺は縁側に座って庭を眺めていた。庭で遊んでいる従弟たちの監視だ。とは言っても手持無沙汰なので、片付けられようとしている盆の上から、父さんの飲みかけの日本酒のグラスを取り上げたのだが――。
「おやおや、駄目だよ遼ちゃん」
俺の手からひょいとグラスを取り上げたのは、祖母ちゃんだった。
「祖母ちゃんまで、俺が未成年だとか思ってるの!?」
「そうじゃないわよ。遼ちゃんまであんな飲んだくれどもの真似しないでほしいのよぉ」
……朗らかにキツいこと言いますね。
「遼ちゃん、知ってるかい? この町はね、昔から鬼を信仰していたの」
唐突に話が始まり、俺は驚いて祖母ちゃんを見る。
「その話は何度も聞いたよ。この町の名前が『鬼里』なのも、それが理由なんでしょ?」
我が故郷、鬼里町。
鬼を信仰するなど妙なものだと、常々思っていたけれど。
「昔はね、『鬼里』じゃなくて『隠里』と言ったのよ」
「隠里……?」
「隠っていうのは、神様を守る精霊なの。だから、この町が祀ってきた鬼は本当は『隠』で、悪いものじゃないのよ」
「へえ……」
「でも季節の変わり目には、『鬼』が出るの。それを追い払うために、節分に豆を撒くのよ」
祖母ちゃんはそんな昔語りを聞かせて、後ろ手に持っていた升を俺の前に置いた。その中には大量の福豆が――。
「そういうわけで、頑張って鬼退治してね!」
「……は、はい?」
話のつながりがよく分かりませんよ、お祖母ちゃん。
瞬と二人で、小学生以下のチビちゃんズを集めて隣の和室へ。
豆の入った升は二人で一つ配られた。
しばらく待っていると、縁側を大人数が走ってくる音がして。
閉じてある障子に、黒いシルエットがいくつも浮かび上がる。
障子はけたたましい音とともに開けられ――。
「悪い子はいねぇかぁ!」
……それはナマハゲだよ、巧馬兄さん。
初っ端から外してくれた巧馬兄さんだったが、青鬼の面をつけて、しかも元々強面タイプの人だから、おもちゃの金棒も似合っている。その後ろからゾロゾロ現れたのは、俺の父さんや叔父さんたち、年上の従兄たちだ。
「鬼が出たぞ! みんな、豆を投げて追い出すんだ!」
幼稚園の引率の先生みたいに嗾けると、わーっと子供たちは一斉に豆を投げつけはじめた。鬼役の男たちはやられた演技をして部屋中を逃げ回る。まったく、酒が入っているので良いはしゃぎっぷりだ。
『鬼は外!』
『福は内!』
子供たちはお約束の台詞と共に、楽しそうに豆を投げている。どうせだから俺も豆合戦をしたかったのだが、鬼の登場に驚いて、それが自分の父親であることも分からない友紀が泣きはじめたので、俺は友紀を抱っこしてやっていた。
「ていうか、年齢的に兄さんは鬼になる側でしょ?」
瞬が豆を掌に乗せつつ言う。俺は肩をすくめた。
「見た目的に鬼退治する側なんだとさ」
「大変だね」
「豆ぶつけられるよりはぶつける方が好きだぜ?」
少し笑った瞬は、本気で豆を投じた。さすが、おっとりしていそうに見えて運動神経抜群の瞬だ。強肩から放たれた豆は豪速の鉄砲玉のようになり、巧馬兄さんに命中する。
「おわぁっ、瞬お前、手加減しろ!」
「あ、鬼が喋った。やだやだ、退治しなきゃ」
「いたたたた!」
巧馬兄さんを集中攻撃し始めた瞬も瞬で、楽しそうだ。機嫌が良くなってきたらしい友紀が『豆を投げたい』と言い出したので、友紀を抱っこしたまま俺も一緒に豆を投げて鬼退治することにした。
これが恒例行事。鬼を祀る鬼里町だからこそ、ここまで盛大にやるのかもしれない。まあ、祖母ちゃんに聞いた話だと本当は『鬼も内』が正しいらしいが、時代とともに鬼を祀るという意識も薄れてきたのだとか。
鬼たちが退散した後は、和室中に散らばった豆を拾って年齢の数だけ食べるというアレ。年齢よりひとつ多く食べると健康になるのだとか。……二十二粒は面倒だ。子供たちはせいぜい五粒か六粒しか食べられないので、もっと食べたいとせがむ。まあ、勿体ないので食べさせてやったが。
節分の一大イベントも終了した。子供たちはみんな母親のところに返し――うん、なぜ母親がみんな俺に子供の全権を委ねたのかは知らない――俺の子守りも一段落がついた。
片付けを済ませて和室から出ると、縁側にひとり若い人が座っているのが見えた。二十歳前後くらいで、真っ黒の髪が風に揺れている。傍には赤鬼の面が置いてあるから、さっき鬼役になってくれた人だろう。だが――。
(……だれ?)
まったく見覚えがなかった。親戚にこんな人がいただろうか? それとも、祖父ちゃんが連れてきた近所の人? だとしたら、俺も知っている人でないとおかしいのだが。
「あの」
声をかけると、その人は振り返った。ああ、同い年くらいの普通の男の人だ。普通の……。
「!?」
その額には、一本の角が。
――おもちゃか? いや、ちゃんと頭から生えて……。
その人は立ち上がって手を伸ばし、俺の口を塞いできた。壁に押し付けられ、身動きがとれなくなる。ずいっと顔を近づけてきたその人は、無感情の目をしていた――と思えば妙な愛嬌のある笑顔を見せて。
「今の、内緒な?」
――なんてお茶目に言ってきた。
思わず頷くと、その人はにっと笑って解放してくれた。あまりの驚きで呼吸が乱れた俺を横目に、その人は額の角を撫でる。すると、角はすっと溶けるように消えてしまった。
「まさかまだ人が中にいたとはなぁ。油断してたぜ」
「あ、あんた……何なんだ?」
「俺か? 如月だ」
名前なのか姓なのか分からない名前だ。というか、俺が聞きたいのはそういうことではなく。
「鬼だよ」
そう、聞きたかったのはそれ。……だが、あっさり言われても。
「……」
「あ、なんかちょっと馬鹿にしたような目してる。ほんとにほんとなんだってばよ、神崎遼くん」
「……なんで俺の名前」
「知ってるに決まってるじゃん。俺はここを守る鬼だぜ? お前だけじゃなくて、鬼里の人間は生まれたときからみんな知ってるよ」
鬼里が祀る鬼――。
でも、この町で守っていたのは鬼ではなく、『隠』。
「隠――なのか」
呟くと、如月はうんうんと頷いた。
「よく気付いた。てかそんなに驚かないんだね、肝座ってるなぁ」
いや、ここまで人間臭いと驚くに驚けない。
座れよ、と自分の隣を叩いてきたので、俺は黙って如月の隣に座った。やっぱり、ただの人間にしか見えない。
「……なんでわざわざ豆に当たりに来たんだ?」
「ちょっと最近資金難でさぁ。鬼役が足りないっていうから、お昼ご飯出してもらうって約束でボランティア」
「隠が資金難ってどういう意味!?」
「俺、普通に人間として生活できるんだもん。バイトだってしたことあるぜ?」
最近の鬼はアクティブですね。
「俺は豆に当たっても痛くも痒くもないからな。というかまあ、豆で鬼を祓えるかっていったら、必ずしもそうとは言えないんだけど」
伝統文化を否定したよ、こいつ。
「人間の生活って好きだよ。あったかくて、落ち着けるじゃん。だから時々無性に混ざりたくなんの」
「へえ……」
「あ、そういえば遼」
「ん?」
「お前、会社の内定もらってたぞ」
……結果が分からなくてドキドキしていたこの数日間を、いまこの男は無残にぶち壊した。
「あんたっ、それここで言う!? つかなんで知ってるの!?」
「お前が面接受けた会社の人が内定つけてるの見たんだよ、空から」
「何でもありだなおい!」
「俺、人じゃないもーん」
落胆の息をついて、俺は縁側に座り直す。如月はそんな俺の顔を覗き込む。
「嬉しくなさそうだね?」
「そりゃあ……こんなところで言われても真実味はないっていうか」
「いんや。受かったって聞いてお前、動揺しただろ。不安か?」
図星を刺された。如月は頭の後ろで腕を組む。
「それに、内定待ちのこの時期に、いくら実家が近いからって宴会に来て子供たちの面倒見るか? 普通は不安で、楽しくなる余裕なんてないと思うんだけど」
「……」
「ちょっとした現実逃避かい?」
現実逃避。……そう、かもしれない。
ずっと流れに流され、たどり着いた今。社会人としての生活は目の前に迫っているというのに、学生気分が抜けなくて。瞬に将来を心配されてしまうくらい、就活中の人間とは思えない気楽さ。
どうにかしなきゃいけないというのは、自分でも分かっていて。
「――自分がしたいこと、分からないんだよ。とりあえず試験受けてみたけど、その仕事をしたいかと言われたらそうじゃない。どうしたらいいのか、分からなくてさ――」
「じゃ、いっそ実家に戻ってレッツ・農業!」
「なんでそうなる!?」
突飛な発想に思わず大声をあげる。如月は愉快そうに笑った。
「でも、半分は本気だぜ? それも良いじゃん、って俺は思う訳だよ」
「え……」
「人間の一生なんて、俺からしたら瞬きする間のことだよ。悔いなく生きようぜ。とりあえず内定もらった職に就いてみるのもいい。でもお前の故郷はここで、お前にとって一番安心できる場所がここなんだ。この家で、自分の将来考えてみるのも良いんじゃない?」
「……」
「ここにいる人たちは、お前が何を選んでも受け入れてくれるさ。きっと支えてくれるから、ひとりで抱え込むなよ。疲れたら、帰ってくればいい」
胸に滲みるような言葉。誰かに励ましてもらいたかったわけではないのだが、それでもやはりじんと来る。こいつは――本当に、俺以上に俺の気持ちを正しく知っている。
「……ありがとう。ちょっと、もやもやが消えたかもしれない。あんた、すごいな」
「ははっ、なんてったって俺は『隠』。目に見えないだけでどこにでもいる精霊。神――お前らを守るためにここにいるんだから」
八百万の神の考え方か。自然にあるすべてのものに神が宿っているという――。
如月――『隠』様。人以上の力を持つがゆえに、怪異と一括りにされた、精霊たち。
そんな人に励まされるなんて、すごいな。
「……よし。都会に戻ってから頑張るために、今日と明日は思い切り遊ぼう」
「お、何するの?」
「チビたちと遊んで、母さんたちの手伝いして、瞬と出かけるだろ。祖父さんが表の木を伐りたいって言ってたから手伝って、父さんと晩酌でもして……」
「お前……苦労そのものが道楽なのか?」
如月が呆れたとき、廊下が軋む音がした。見ると、そこに瞬が立っている。縁側に座っている俺と如月を見て、驚いたように目を見張っていた。
「ああ、瞬、いたのか?」
「兄さん……」
「……どうしたんだ? そんな深刻そうな顔をして……」
微妙な顔をしている瞬は、ぽつりと衝撃的な一言を吐き出した。
「――いま、誰と話していたの……?」
「……え?」
驚いて左側を見ると、今の今までそこに座っていたはずの如月の姿は忽然と消えていた。驚いて立ち上がる。残っていたのはあの赤鬼のお面のみ。
と、誰かが庭を駆けてきた。それは近所に住む大学生の人で――。
「す、すいませんっ! 用事が長引いて、鬼役をできなくてっ!」
「な、鬼役――?」
頭を下げてきたその人は、申し訳なさそうに頷くのだ。
「鬼役が足りないから、お昼を出す代わりに鬼役になってくれと頼まれまして! でも間に合わなかったですね、ごめんなさい!」
……結局その後、自称『隠』の如月は二度と俺の前に現れなかった。
瞬は、俺が一人で長々と喋っているという奇怪な光景を見て驚いたらしい。おかげで気でも狂ったかと心配される始末。
如月が『鬼』なのか『隠』なのか、分からないが――。
奴が言った内定は真実で、また如月の言葉に俺が少し救われたのも、また真実――。
とりあえず俺は、如月がこの町を守る『隠』なのだということを、ひとりでこっそり信じようと思ったのだった。
……また来年、会えるかな。この家で。
遼「けどあいつって本当に鬼だったのか? 幽霊かな? でも人に化けたんだから狸とか狐……? いや、もしかしたら俺の幻覚」
如月「隠だよ(泣」




