第2話 曇り
「あ、昨日の!」
すっかり忘れていた……もう癖になったCiel Bleu通いは止めた方が良いのかもしれない。
「今日も元気だな」
苦笑いをしつつそう返せば、花染がその元気な後輩の口を塞いで叱りつける。
その後輩は、音葉というらしい。
「大月さん、っていうんですよね? 先輩から聞きました!」
その先輩の方を見てみれば、顔の前で両手を合わせて申し訳なさそうにしている。保護者でもないだろうに、気にしなくていいのに。
「そうだよ、話なら付き合うから、少し落ち着こうか」
「あれ、大月くん今日は余裕そうだね」
「目標は達成してるので」
「優秀だ」
櫛橋さんはいつでも余裕そうで少し腹が立つ。こっちが必死こいてても、涼しい顔をしているタイプだ。大人の余裕ってこういう人に使うんだろう。
「お仕事の話ですか?」
「そうだよ。それで、音葉くんは何か気になることでもあるの?」
「仲良くなりたいなって思って……」
急にもじもじとし出す。何でも勢いで来るタイプかと思っていたが、意外で少し面白いな。
「ぶりっ子なだけですよ、大月さん。うるさかったら言ってください」
いつもより辛辣な花染に苦笑を返しながら、改めて音葉と向き合ってみる。さっきのがぶりっ子ならば、あざとい男なのだろう。実際、少し興味を引かれてしまった。
「まあ、たまになら、いいかな。うるさいのも」
「うるさいのは否定してくれないんですか⁉」
その声がうるさいとは言わないでおいた。
「大月さんって呼んでもいいですか?」
「なんでもいいよ、敬語も使わなくていいし」
「え、なんで?」
「その方が喋りやすそうだなって思って? 別に接客するわけでも、営業するわけでも、先輩後輩上司部下とかいう関係でもないし」
あまり堅苦しい話し方をされると、仕事の気分になるし。花染は花染自身が気にしそうだから、客と店員という間柄のあいだは敬語を使ってもらうことにする。
「やった! 他のところで見つけても話しかけていい?」
「いいよ」
何がそんなに嬉しいのだろうか、と呑気に考えていた。
「青空は元気をくれるから」
「は? 全然。むしろ奪われる」
「なんでー? きもちーじゃん」
食料の買い足しに出たら、音葉に偶然会った。そこで、今日の曇り空を眺めながら空に関するちょっとした言い合いが始まった。
「晴れた方があったかいでしょ」
「気温が高いなら、空が晴れてる必要ないだろ」
「そうじゃないでしょー。こう、なんていうか、ぽかぽかする感じ」
そんな台詞に思わず吹き出す。相変わらず子供っぽいなあ、なんて。
「お前の気持ちは俺には分からない。お前に俺の気持ちが分からないように」
「まあ、どっちも主観だしね」
「分かり合えない、仲良くなれない。そんなもんだよ、好みが絡むと」
そう言いながら、分かれ道で別れを告げようとする。腕を思いっきり掴まれて引かれた。
「なに」
「仲良くなれないことはないでしょ」
「そういうこともあるって話だ」
「じゃあ、大月さんは俺と仲良くしてね」
どうしてこんなに懐かれているのかまったく分からないまま頷く。別に青空が好きなやつは嫌いだなんてそこまで子供みたいな感情はない。
「大人しくしてれば構ってやるよ」
「うるさい俺は嫌い?」
「嫌いってかうるさい」
「まあ、そのまんまだね」
そう笑う音葉の頭をぐしゃぐしゃ撫でて今度こそ別れを告げ、去る。
人に気に入られることなんてなかったから、少し浮かれている気がする。この歳になっても、人から好かれるのは嬉しいもんだな……まあ当たり前か。
「大月さん、おかえりなさい」
担当編集の朝霧さんの声がして思わずビクッと反応してしまう。
「やっば、怒ってます?」
「怒ってます。あと、やっばって聞こえてます」
「すみません。どうぞ」
女ってやっぱ怖いな、なんて思いながら部屋に上げる。
「相変わらず、物が無いですね」
「ああ、まあ」
来る度に、綺麗すぎるだの生活感がないだの言われているのでもうだいぶ慣れてきた。
「それで、原稿は?」
「最後の、最後の一言に迷ってて」
「なんだ。ほとんど出来てるんですね」
「まあ」
そう言ってくれれば来ないのに、なんてぶつぶつと文句を言われる。ろくに連絡もせずにいきなり来たくせによく言う。
「うち、来すぎでは?」
「嫌ですか?」
「えーっと」
「会社から近いし、すぐサボるんでつい。嫌だったらサボらないでください」
笑顔でそう言われると、黙って頷くしか出来ない。この人はすぐ圧を出す。
「あの……」
「じゃあ、私はこれで帰るので、ちゃんと仕上げて送ってくださいね。ではまた」
早口でそう言うと、さっさと帰っていく。台風? 嵐? そんな感じ。世の中の女性ってみんなこうなのか?
「あー、やる気出ない」
そう大声を出してから、冷蔵庫からペットボトルを取り出してベランダに出る。
空を見上げながら、ああ、今の俺にピッタリな曇り空だな、なんて。




