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Jester  作者: 明石 みなも


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後編

「こんばんは。少しいいかしら?」


 無邪気な少女の声にふっと意識が覚醒する。眠っていた訳ではない。少しぼんやりしていたようだ。

 彼は今、年に一度王宮で行われる特別な夜会の会場の、バルコニーで休憩していた。

 アレイスターは夜空に浮かぶ満月から目を逸らし、声のした方へと振り返る。


 銀色の長い髪を結い上げ、光沢のある白いドレスを着た少女が微笑んでいた。大きな窓から刺す夜会の会場の眩い光を背に負っているから、まるで後光が差しているかのように見えた。

 女神と言われても信じられる美貌の少女の瞳の色は夜空に瞬く星のような金色だった。


「こんなおじさんに何の用かな? 今日は君とお近づきになりたい青年でひしめいていると思うけど」

「まあ! おじさんなんておっしゃって。

 あなたみたいな方を大人の色気があるって言うことくらい、小娘のわたくしでも知っていましてよ、アレイスター・デュボア伯爵!」

「ふふふ、可愛らしいお嬢さんに褒められると照れてしまうな。ありがとう、フィリア嬢。社交デビューおめでとう。とても綺麗だよ」

「ありがとうございます。これから貴族の一員として、立派に役目を果たしていきますわ」


 バルコニーの欄干の側に立つアレイスターの横へ、フィリアは立った。

 彼よりひとつ頭以上低く、華奢な身体に微笑ましく思う。

 これほど小柄なのに、日夜凶暴な魔物を討伐しているというのだから、驚きだ。


 父譲りの戦闘能力と、母譲りの美貌を備え、国王の姪にして、隣国の王配の姪でもある辺境伯令嬢フィリアは今年社交デビューする少女たちの中で一番注目されていた。

 廃嫡されて王太子どころか王族としての籍すら返上したアレイスターと話す時間などないくらい忙しいはずだ。


「よかったのかい? 婚約者候補が君と話したくて列をなしていそうだが」

「あら、構いません。わたくし、夫となる方はお父様くらい強くて胆が座った方でなくては嫌ですから」

「それは……。高望みしすぎじゃないかなぁ」

「最低でもお父様に決闘を挑む気概がある方でなくては。

 それより、ずっとあなたとお話ししたかったの。生まれる前から」


 そう言って笑うフィリアにアレイスターも笑い返した。上手く笑えたかはわからなかった。


「ねぇ、教えてほしいわ。どうしてお母様はお父様と結婚しているの? どうしてこの国はこんなに平和なの? ……そもそも、どうしてあなたは今伯爵なの?」

「随分質問が多いね」

「だって、気になるんですもの。わたくしは()()を使って時間を巻き戻したわ。でも、わたくしがいる時間軸ではなく、それよりも前……。あなたとお母様がまだ婚約していた時代まで遡ったはずよ。

 どうして、もう一度自分に都合の良い世界を作らなかったの?」

「そんなことまで把握しているのか」

「わたくし、天才ですもの」


 フィリアは自慢でもなんでもなさそうに自身を天才だと自称した。

 アレイスターも異論はなかった。その突出した才故に、彼女は無かったことにされた未来から生き残り、アレイスターの野望を消し去ったのだ。

 少し胸が痛んだが、幼い頃からの努力のお陰で表情は崩れなかった。


「……叔母上に相談したんだ。僕は王に向いてないから、助けて欲しいって」

「お祖母様に?」

「ああ」


 二度目の時間遡行を経験したアレイスターは今回、真っ先に叔母に相談することにした。イーディスの母にして、宰相の妻、そして王妹。限りなく権力の中枢にいながら、女である、というだけで政治に関われなかった人。


 それでも腐らず、アレイスターとその母を支えてくれていたことを彼は二度目の人生でやっと知った。

 もしかしたら力を貸してくれるかも、と思い相談した結果が今である。


「どうして王に向いてないなんて思ったの? わたくし、あんまり昔のことは覚えてないのだけれど、あなたが国王の時、そんなに国が乱れていたかしら?」

「一番初めの、君がいた世界で反乱を起こされたりしていたからね。次の世界は比較的平和だったけど、それも君のお母さんとその実家と、優秀な配下たちのお陰だし。僕の実力じゃない。

 何より僕はね、国よりも自分の大切な人を優先してしまうから。本当に向いてないんだ」

「大切な人?」

「母だよ」


 そう、アレイスターは母が幸せであればいい。その他は二の次だ。国も民も……妻でさえ。

 アレイスターには秘密があった。誰にも知られる訳にはいかない秘密だ。特に、母には。



◇◇◇



 それを知ったのは一度目の人生だった。翌年に結婚を控えていた彼は、その前に一度しっかりと身体を診てもらおうと、医師の健診を受けたのだ。

 その結果、生まれつきほとんど生殖能力がないことがわかった。


 王になる人間として、およそ最悪の診断結果だった。

 絶対にできない訳ではない、確率はとても低いが、可能性はゼロではない、と医師は彼を慰めた。しかし、アレイスターを絶望させたのはそこではない。


 彼の身体は生まれつき疾患を抱えていた。その事実をどうやって母に隠せばいいのか。


 母は、優しい人だ。

 きっとこのことを知ったら「健康に産んであげられなかった」と、責任を感じてしまう。

 絶対に母の責任ではない。でもそう責める人間は出てくるし、母も自分を責め続けるはずだ。


 何がなんでも、それだけは避けたかった。


 アレイスターは医師に口止めをしてから今後について思い悩んだ。

 身体のことを母に知られてはならない。しかし、この秘密を黙ったまま結婚したとしても、いつかは絶対破綻する。


 イーディスとの間に子供ができなければ、側室を迎えなければならない。その側室たちも懐妊しなければ原因はアレイスターにあると、誰もが思うだろう。

 それ以前に、イーディスに子供ができなかった時点で父親の宰相が調べるかもしれない。

 あの医師は秘密を守ってくれるだろうか。


 かつての未熟なアレイスターは、とにかく人間不信であった。特に、自分よりも年長の、老獪な貴族を毛嫌いしていた。

 そういった大人が、母と彼を追い詰めたからだ。


 だから、悩んだ末にテレサへすべてを打ち明けたのだ。


 何故彼女だったのか、と訊かれたら、よくわからない。

 一番都合がいいと、その時は思った。

 しかし、今にして思い出すと縋りたかったのかもしれない。

 天才であるテレサなら奇跡を起こしてくれる。アレイスターの悩みの種を綺麗さっぱり消し去ってくれるかもしれない。


 そんな、ありえない大きな夢を、普通の女の子に背負わせてしまった。


 そう、テレサは普通の女の子だ。ちょっと魔術が得意なだけの、夢物語に憧れる世間知らずの少女。

 血筋のせいで突然よくわからない貴族社会の真ん中に放り込まれた、可哀想な娘。


 生まれたての雛のように真っ直ぐ、優しくしてくれたアレイスターを信じて、血みどろの道を歩むはめになった。

 かつてのアレイスターは、テレサの手を借りて、父親を処刑している。


 罪状は外患誘致罪を筆頭に複数。以前から疑惑はあった。

 父の愛人は元々他国から嫁いだ公爵令嬢だ。

 昔から父は宰相を始めとする貴族の権限の強さを嫌い、王権の強化を望み、愛人の祖国と連携を取ろうとしていた。

 その上、愛人との間に男子が生まれており、いずれアレイスターを廃するつもりだったのだ。


 許せなかった。


 母を不幸にしたくせに、母の人生を最悪にしたくせに、その責任も取らずにアレイスターごと捨てようとしていたのだ。

 許せるはずがない。


 証拠を集め、時には捏造し、アレイスターは父親を公開処刑にした。父の愛人と異母弟も処刑場へ送った。

 そして彼は王になったのだ。

 アレイスターが王になって初めてしたことは、イーディスとの婚約破棄と、テレサとの結婚だった。

 婚約期間はなかった。イーディスと結婚するはずだった日にテレサと結婚した。


 失策であったと思う。

 父が他国と共謀して国力を削ろうとしたと発覚してすぐに、貴族の筆頭であるイーディスの実家を切り捨てたのは、貴族たちの反感を買って当たり前だった。


 でも、そうしなければ秘密が守られない。アレイスターは突き進むしかなかった。

 都合の悪い人間をたくさん殺した。いや、テレサに殺させた。


 テレサは妻だが、同時にアレイスターに忠実で便利な道具である。そう、道具だから、その罪はすべてアレイスターのものだ。

 恨まれて八つ裂きにされるべきなのは、アレイスターのはずだったのに。

 気づけば『血みどろの魔女』と呼ばれ国民の憎悪を一身に浴びていたのはテレサだった。


 反乱軍が王都へ迫っているとわかった時、アレイスターは真っ先に母を逃す手筈を整えた。

 できれば捕まってほしくはないが、善良で無害な人だから、大丈夫だと送り出そうとした時だ。


 母は泣いて縋って逃げようと言った。それを見たテレサもアレイスターに逃げることを勧めた。

 アレイスターは逃げなかった。母さえ無事であれば、自分はどうなってもいい。むしろ母の今後を思うなら死ぬべきだ。


 だから、テレサと並んで反乱軍を迎え撃って、結果があの有様だ。

 テレサはアレイスターのために戦い続け、いつも傷だらけだった。そんなひどい夫の願いを、テレサは全力で叶えようとしてくれていた。


 彼がテレサに与えたものは人殺しの罪と苦痛だけだ。五年ほど夫婦として過ごしたが、医師の診断通り子供はできなかった。

 奇跡などないのだ。


 時間遡行が成功したと気づいた時、アレイスターは悩んだ。

 テレサはもう巻き込めない。

 しかし、彼の体の問題は医師の診察がなくとも、王になる以上いつか露見する。


 未だに貴族への苦手意識を抱えていたアレイスターは悩んだ末にイーディスへ自分の秘密を打ち明けた。

 かつて婚約破棄を突きつけたが、それはイーディスの背後にいる宰相や叔母の存在を恐れてのこと。イーディス本人は共に厳しい教育を乗り越えた仲なので、信頼していた。


 それに、婚約破棄の際には必死になってアレイスターを説得してくれていた。「わたくしを側室に迎えて下さい。夫婦としてではなく、臣下と同じ扱いで構いません」とまで言われたのだ。

 勿論断った。テレサに不誠実だし、アレイスターのために自分の身を粗末にするような真似をイーディスにして欲しくなかった。


 今回はすべてをイーディスに打ち明けると、アレイスターを抱きしめ、必ず秘密を守ると約束してくれた。


 それから先は平穏そのものだった。

 イーディスと結婚後は宰相や叔母の助けを借りて前と同じく父を告発し、失脚させた。貴族の協力が得られたため、捏造などしなくとも証拠は十分集まり、父は公開処刑ではなく密やかに毒殺となった。

 父の愛人も同じように処刑されたが、異母弟だけは子供が作れない処置をされてから、どこかの貴族の養子になったらしい。


 それが正しい選択か、アレイスターにはわからなかった。しかし、直接手を下さずに済んだため、とても心が穏やかだった。

 アレイスターが何か命じずとも、彼と母にとって不快な人間は遠ざけられていく。


 それはイーディスの気遣い、だけではなかった。

 叔母と宰相が気を回してくれていたのだ。

 思えば、幼少期から二人はアレイスターと母を助けてくれていた。


 例えば祖母に叱責されて泣くアレイスターの元にいつも駆けつけてくれた母。よく考えれば都合が良すぎるのだ。

 多分、アレイスターのことを母へ伝えて、二人でいる時は祖母が近づかないように手配してくれた誰かがいたのだろう。


 あと、叔母はよく、公爵家へ祖母を招いていた。

 親友である当時の公爵夫人と、王家と歴史ある公爵家の血を引く高貴な従兄弟たちがいるから、祖母は喜び勇んで出かけて、王宮を留守にしていた。


 その間はアレイスターも母も少しだけ気を抜けて、穏やかに過ごせたものだった。

 叔母は何も言わなかったが、そうやって密かにアレイスターたちを守ろうとしてくれていたのだ。


 それに何より、アレイスターの隣にはイーディスがいた。

 イーディスは両親の血をしっかり受け継いだ賢い娘で、祖母に責められるアレイスターを上手く話題をすり替えて守ってくれていた。

 イーディスが婚約者になってから、アレイスターは随分気持ちが楽になったものだった。


 気づかぬうちに、アレイスターはたくさん助けられてきたのだ。

 だが、その恩に報いることは出来ずに、フィリアによって過去へと戻ってしまった。


 また、前と同じ、結婚の一年前に戻ったアレイスターは悩まずに宰相の元へ向かった。叔母も交えて、彼の体のことを伝えたのだ。

 二人は秘密を守ってくれると、アレイスターにはわかっていた。


「アレイスター、王位を望みますか」


 叔母は彼を真っ直ぐに見つめてそう問うた。


「いいえ。私に玉座は重すぎるようです」


 アレイスターはその瞳を真正面から受け止めて答えた。


「……そう。残念です、とても」


 叔母はそっと目を伏せた。静かに隣で控える宰相も心なしか眉を下げる。

 二人共、少しはアレイスターに期待してくれていたのだろうか。努力を認めてくれていたのだろうか。

 貴族らしく完璧に感情を隠す二人の内心を読み取ることはできなかった。顔を上げた叔母の表情はいつもと同じだった。


「……そうですね。では、あなたの秘密を逆手に取りましょうか」

「どういうことですか?」


 アレイスターが首を傾げると、叔母はこれからのことを話し始めた。

 現在、父はアレイスターの暗殺を目論んでいるらしい。いや、彼が気づいていないだけで、アレイスターの暗殺は近年何度も計画されていた。


 すべて、叔母たちが邪魔をしていたため、アレイスターは安穏としていられたようだ。

 今回はアレイスター付きの侍女にひとり、父の手の者を紛れ込ませ、毒殺するつもりらしい。

 それを逆手に取るのだ、と叔母は言った。


「あなたは計画通り毒を飲んでしまったことにします。その結果、子供を作れない身体になってしまった、ということにしましょう。

 そうすれば、無理なく王太子の地位を返上できるし、兄の排除もできる。エミリー様も責任を感じることはないでしょう」


 アレイスターは目から鱗が落ちたような気持ちになった。

 彼が一番母に知られたくないことは、()()()()()身体に不具合があったことだ。王族でなくとも、貴族として社会に留まる以上、後継というものはどうしても求められる。

 生殖能力がないことを隠して生きることは難しい。


 だから、ほとんど真実を明かし、本当に隠したいことにだけ嘘を吐く。

 叔母の計画が上手くいけば、アレイスターの不具は父のせいにできるのだ。そう考えるとほんの少し溜飲が下がる気がした。


「すべて叔母上にお任せします。……無責任で申し訳ありません」

「そんなことはありません」


 叔母は強く否定した。


「あなたは非の打ち所がない、素晴らしい王太子です。子供を作る能力がないという、強い理由がなくては王太子を退くことを納得しない貴族ばかりでしょう。

 ……むしろ、ごめんなさい。完全にあなたの秘密を守れなくて」


 ぎこちなく叔母の手がアレイスターの手を握る。華奢で、整った叔母の手は少し冷たい。

 でも、優しかった。


 気づけばアレイスターは泣いていた。泣いてはいけないと、ずっと教育されてきた。苦しくて堪らなくても、唇を噛んで耐えてきた。

 しかし、今は耐えられなかった。

 苦痛より、人のぬくもりの方が耐えられないのだと初めて知った。



◇◇◇



 暗いバルコニーから、これでもかと照明で明るくした夜会の会場を見るとまるで別世界のようだ。

 アレイスターはフィリアと前の世界にとり残されているような気がした。


「……それで? お祖母様たちは何をしたの?」


 最後のあの時とほとんど同じ姿に見えるフィリアに問われ、アレイスターは雑念を追い出すように軽く頭を振った。

 もうあの世界はどこにもないのだ。


「父の手の者は特定していたからね。その侍女が毒を盛ったタイミングに合わせて私は倒れたふりをして、療養のため離宮に籠った。

 その間に叔母上たちは侍女を捕らえて、すべてを自白させた」

「侍女の証言だけで先々代の国王を退位に追い込んだの?」

「勿論それだけではないよ。叔母上はずっと準備をしてきたからね。父を追い込む証拠はいくらでもあった。世論の操作も完璧だったよ。

 長年愛人に入れ込み不義の子を作った上に、実子を殺そうとした鬼畜外道の父。一方毒で生死の境を彷徨い、命こそは助かったものの、身体に障害が残り、王太子の地位を返上せざるを得なくなった哀れな私。そして、そんな私の命をなんとか守った宰相と王妹の叔母上。

 民衆が誰を支持するかなんて火を見るよりも明らかだ」


 実際のアレイスターは離宮で今までできなかった魔術研究に没頭していた。父の配下が離宮に紛れ込んでいたら流石に取り繕う必要があったのだが、父はまったくもって叔母に敵わなかった。

 アレイスターをもう一度暗殺する余裕もなく、あっさりと追い込まれて退位するほかなくなった。

 そして、愛人とともに前と同じ末路を辿った。


 アレイスターは詳しい経緯を知らない。療養の擬装だけではなく、母を労ることに必死だったからだ。

 母には真相を語れない。

 当たり前だ。そのためにはあの秘密を明かさなくてはいけないのだから。


 母だけには絶対知られたくない秘密を守るため、アレイスターは母を泣かせてしまった。

 だが、心優しい母も流石に「父親に殺されかけた」という理由を前にすると自責することはなく、アレイスターは初めて父に感謝した。


 母を慰めているうちに叔母は圧倒的な支持を得て、王国初の女王として即位を果たした。

 長男は王太子になり、次男は公爵家の後継となった。


 そして、イーディスはかつてと同じように辺境伯レックスの元へ嫁いだ。


 人がひしめく会場の中、一際目立つ男女がいる。背が高く、分厚く鍛え抜かれた体躯の、黒に銀の差し色の礼装を纏った黒髪の偉丈夫と、月光を束ねたような輝く銀髪の、シャンパンゴールドのドレスを着た美女だ。


 レックスとイーディスである。二人は寄り添って何か話しているようだ。

 イーディスはその身を夫に預け、満ち足りたように微笑んでいた。


『わたくしは、結婚します』


 身体のことを理由にアレイスターとイーディスは婚約解消した。その手続きのため会った時に、そう言われた。


『本当は、アレイスター様について行きたいのですけれど。多分、貴方は重荷に感じてしまうでしょうから、別の殿方と結婚します。

 それで自力で幸せになりますので、何も心配なさらないで。アレイスター様は自分を大切にして下さい』


 逞しくも力強い発言にアレイスターは笑ってしまった。

 大好きな、優しく賢く強い幼馴染は、あの時言った通りに幸せになったようだ。


 もうひとり、よく知った顔を見つけて思わず笑みが浮かんだ。ふわふわのピンクブロンドに、つぶらなピンクの瞳のテレサだ。

 近頃はすっかり貴族夫人としての振る舞いが板についた彼女は、夫とダンスに興じている。

 この時ばかりはかつての奔放な無邪気さを覗かせている。


『あたしはアレイスター様と一緒に行きます!』


 叔母から伯爵の位と領地を与えられ、城を去ることが決まった時、テレサはそう言って縋りついた。

 アレイスターは時間をかけて説得した。テレサの才能を彼は活かしてやれないし、年若い彼女を子供がいない人生に付き合わせるのは辛い。

 そう訴えたのだ。


 情け無い、肝の小さい男の言い訳である。アレイスターは、テレサを幸せにする自信がなかった。

 付いてこられても、イーディスが言ったように重荷に感じてしまう。

 結局テレサは今の夫であるランドールが迎えに来て、アレイスターを諦めた。


 現在、もっぱら領地で魔術の研究に打ち込むアレイスターと、筆頭王宮魔術師のテレサは時々会う仲だ。

 数年前に子供にも恵まれ、祝いの品を贈った。


 アレイスターは夫と楽しげに踊るテレサを感慨深く見つめた。

 かつてテレサは踊れなかった。

 平民として育ったのだから仕方がない。ただ、夜会で踊る人々を羨ましそうに見つめるテレサの表情を、よく覚えている。


 アレイスターはそんな彼女に声をかけ、人目につかない物陰で基本のステップを教えて、会場へ連れ出した。

 遠い昔に、そんなことがあった気がする。

 結局あれからテレサとダンスする機会は二度と訪れなかった。


 今のテレサはアレイスターと踊った時のような不安さも辿々しさもなく、心から楽しんでいるようだ。

 ランドールがよく付き合ってあげたのだろう。

 良かった、と安堵を覚える。もうテレサが『血みどろの魔女』なんて呼ばれる未来は訪れない。あんなに若くして死ぬこともないのだ。


 かつて、無理矢理レックスを婿入りさせた隣国の女王も幸せにしているらしい。

 婚約者を亡くした悲しみをレックスの弟に癒され、前と違ってフィリアの従兄弟にあたる子供たちにもたくさん恵まれている。


「つまり、あなたのおかげなのね」

「あのね……。話した通り叔母上と叔父上のおかげだよ。僕は何もしていない」

「お父様が最近導入した魔物避けの魔術はあなたが作ったものだって言ってたわ」

「まあ、それは……僕だね。でもそれだけだ。今この国が平和なのは、僕の手柄じゃない」

「でも……あなたのおかげだわ。あのね、私あなたにお礼を言わなきゃいけないの」


 不意にフィリアは真剣な表情をして、アレイスターに向き直った。アレイスターも姿勢を正した。


「あのね、あのね……。わたし、あの時、何処へ行ったらいいかわからなかったの」

「……どういうことかな?」

「あの時、あの魔術を使った時に。

 わたし、ずっと悲しくて辛くて怖かった。おかあさんに守られて、生まれる日を待っていたのに、突然真っ暗闇に放り出されて、消えてしまいそうになって……。本当に怖くて、必死でおかあさんを探したの」

「……うん」

「あなたの世界でおかあさんを見つけて、もう離れたくないってしがみついた。それで、あの魔術を見つけて、全部取り戻すんだって何も考えずに使ったの」


 生まれることすら出来ず、他の者は消えてなくなったのに、己だけ取り残される。アレイスターにフィリアのその絶望を理解することはできない。

 ただ、失ったものを取り戻す方法に考えなしに飛びついてしまう気持ちはわかった。彼もそうだったからだ。


「魔術が発動して、あなたの世界が消えていく瞬間、怖くなってしまって」

「何故?」

「だって、何も知らないんだもの」


 アレイスターはフィリアの言いたいことがわからず首を傾げた。


「わたし、おかあさんのことを何も知らないの。おかあさんはおとうさんよりあなたが好きで、ずっと一緒にいたいと望んでいるかもしれないと、ふと、思っちゃったの」

「そんなことはないと思うけどね」

「あなただって、おかあさんの本当の願いなんて知らないでしょ」

「うん……。まあ、それはそうだ」

「わたしが、おかあさんの幸せを壊しちゃったかもしれないと思ったら、もう……どうしたらいいかわからなくなってしまって……」

「……」

「でも、あの魔術はちゃんと発動した。それはあなたがいたからよ。魔術はどこへ行けばいいか示せないわたしの代わりにあなたの願いを受け取った。あなたの願いが今の幸せを作ったの。

 ありがとう。あなたのおかげで、生まれてこれたよ」


 アレイスターはなんと言ったらいいかわからなかった。

 今回彼がフィリアをなかったことにする道を選ばなかったのは、結局それが一番都合が良かったからに過ぎない。感謝される謂れはないのだ。


「……君は、今幸せ?」

「大好きな人に囲まれて、とても幸せよ」

「そう、なら何よりだ」


 素直に嬉しかった。

 アレイスターは、やっと誰からも何も奪わず、大切なものを守れたのだ。


「……ところで、わたくし今日が社交デビューなのだけれど」

「うん? そうだね。おめでとう」

「……ダンスに誘ってくれないの?」

「おじさんをからかっちゃいけないよ。

 ほら、そろそろ中に戻るといい。君に声をかけたくてそわそわしている若者たちが待ってるよ」

「からかってなんかないわ。あなたのこと、素敵なおじさまだと思ってるの。本当よ」

「ありがとう。でも君のお父さんをびっくりさせちゃうと申し訳ないからね」

「……もうっ! 意気地なし!!」


 ぷぅ、と子供らしく頬を膨らませて臍を曲げたフィリアは会場へ戻った。すぐさま複数の貴公子たちに声をかけられそうになり、そそくさと父親の元へ逃げて行く。

 偉大な父の背に隠れてしまえば男たちは気安く近づけない。満足気に笑うフィリアに釣られてアレイスターも笑っていた。


 胸に安堵が広がったのは、自分を苛む罪悪感が消えたからだ。

 できれば母の(ささ)やかな幸せは、何かの犠牲の上に成り立って欲しくなかった。晴れやかな気持ちでアレイスターは密かに夜会を後にした。




 ごとごとと馬車に揺られ、夜の街を進んで行く。

 馬車の外はとても静かで暗い。アレイスターはタウンハウスで待つ母のことを想った。


 エミリーは今、アレイスターと共に王都へ来ているが、普段は彼の領地で暮らしていた。

 あの礼拝堂には行けなくなってしまったから、代わりに領地の教会と、そこに併設された孤児院に通っている。


 教会での奉仕活動は元より、孤児院で子供たちの世話をすることが性に合っていたようで、以前よりも生き生きとして楽しそうだ。

 元々、貴族社会が合わないところがあったから、これでよかった、と思いながら窓の外を見る。


 馬車のガラス窓は暗く沈んで、外の景色よりも自分の顔がくっきりと映った。金の髪に青い瞳の見慣れた男が彼を見つめ返す。

 アレイスターは亡くなった時の父の年齢にかなり近づいてきたが、もう、似ているかどうか思い出せない。

 母にとって最大の汚点である父を許せない気持ちはまだあるが、最近はほとんど思い出すことがなくなっていた。

 代わりに、フィリアの言ったことを思い出した。


 ――魔術は、どこへ行けばいいかわからないわたしの代わりにあなたの願いを受け取った。


 つまり、あの時彼が願えば過去のどんな時間にも戻れたということだ。気づいて愕然とした。

 もしかしたら、母が結婚する前にだって戻れたのではないか。


 魔力が平凡なアレイスターと、瀕死のテレサが発動した魔術すら、五年の時を遡ったのだ。

 フィリアの膨大な魔力なら三十年、いや、もっと前の過去へ戻れたかもしれない。


 わからない。でも、可能性はゼロではないのだ。


 アレイスターは先祖を恨んだ。

 初代国王が生み出した魔術のおかげで今があるが、そのせいでより良い未来の可能性を追い求めてしまう。

 礼拝堂の地下へはまだ行ける。しかし、アレイスターには圧倒的に魔力が足りない。テレサかフィリアの協力がなければ、母の結婚前までは戻れない。


 しかし、二人は協力してくれるだろうか。


 とても幸せだと笑ったフィリアと、子供が生まれたテレサ。アレイスターはテレサが我が子を溺愛していることを知っている。会うたびに幸せそうに子供の話をするテレサを見て、突き放して正解だったと満足していたのだ。


 だが、その選択は間違いだったのかもしれない。


 アレイスターは、母の幸せが一番大事だ。なのに、彼が母の一番幸せな人生を邪魔してしまったとしたら。


 今すぐやり直したい。過去へ戻りたい。そんな考えが浮かぶが、同時に迷う。

 過去へ戻って、エミリーがエドワード以外の男と結婚したら、アレイスターはどうなるのか。

 多分、生まれてくることはできない。別の誰かが母の子供になって、沢山の愛情を受けて育つのだろう。アレイスターのような不具のない、完璧な子供が。


「うっ……」


 アレイスターは思わず顔を覆った。口元を強く押さえる。情け無い。喚き声を上げてしまいそうだった。

 浅ましいことにも、アレイスターはその完璧な子供に嫉妬した。母を彼よりも幸せにできる可能性を秘めた子供。同じ母の子供でもきょうだいとはまったく思えなかった。

 だって、互いに『母の子供』という立場を奪い合う相手なのだから。


 不意にアレイスターはもう存在しない世界で見た夢を思い出した。

 顔のよく見えない、黒髪と銀髪の男女とその子供が散策をしている夢だ。アレイスターはずっと、あれはイーディスとレックス、そしてフィリアのあるべき姿だと思っていた。

 しかし、今になって思い出したのだ。

 夢の終わりにアレイスターを見た幼児の瞳の色は、緑だった。


 馬車がゆっくりと停車する。母が待つ邸に着いたようだ。待機していた執事が扉を開ける。

 アレイスターは動けなかった。


「失礼。旦那様? どうかされましたか?」

「あ、ああ、すまない。大丈夫だ。問題ない」


 心配した執事が馬車を覗きこみ、声をかけてきた。アレイスターはなんとか微笑み、ぎこちない動きで馬車を降りる。


「おかえりなさい!」


 玄関では夜も遅いのに、母が彼の帰りを待っていた。

 滝のように流れる銀髪、あの夢の草原のような明るい緑の瞳のエミリーは、もう六十近いというのに若い頃と変わらず美しい。年相応に皺は増えたが、生き甲斐を見つけ、活力に満ちているため若々しく見える。


 幸せそうだ。


 でも、もっと幸せになれたかもしれない未来を、アレイスターは知っている。

 彼はエミリーの背後にまったく知らない家族を幻視した。彼女に寄り添う体格のいい老人と、母によく似た銀髪と緑の瞳の中年の男にその妻。そして可愛らしいたくさんの孫たち……。


 あるかもしれなかった家族だ。

 けれど、それはアレイスターが握り潰してしまった。知らなかったから仕方ない、とは言えない。

 そんな未来があると知っても、彼はそれを実現しようとは思えなかった。


 だって、母には、母にだけは、アレイスターを選んで欲しい。


 この世界が一番幸せだと、アレイスターが息子でよかったと思ってほしい。

 結局彼は母が一番だと言いながら、自分が一番大切なのだ。フィリアのように、母の幸せを壊してしまったと泣いて自分の命を手放す、優しい人間にはなれなかった。父とそっくりの、最低な男だ。


 けれど、せめてこの事実を、もっと幸せになれる可能性があったことを母には秘密にしなければならない。

 アレイスターの、エミリーに話せない秘密が増えてしまった。


 アレイスターは微笑んだ。かつて受けた王太子教育を思い出して、美しく、かつ自然な笑顔を浮かべてみせた。

 これから先、アレイスターにできるのは笑い続けることだけだ。


 道化のように。

 こんな暗い話を最後まで読んでくださりありがとうございます。

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