灰の神殿 ― 選択とレール
僕たちは、王女の選んだ道を進んでいた。
それは――責の道だった。
ヴァルディオは言った。
責と罪は、循環すると。
その意味を、僕は漠然と理解していた。
白井としての前世の記憶。
その中でも、最も深く残っているのは――あの夜だった。
白い光。
規則正しく鳴る機械音。
血の匂い。
誰かの声がしていた。
――先生。
呼ばれていた気がする。
けれど――
僕は、何もしなかった。
選ぶということに、責任はつきまとう。
そして――
その先の結果は、罪として刻まれる。
また、咳の音が聞こえる。
彼女は――なぜ責を選んだのだろう。
背負うことに、この循環に沈んでいくことに、どんな価値があるのかを、僕にはわからなかった。
僕は、選べなかった。
それでも――
その結果は、罪として刻まれた。
だから前世の僕は、医師という意味を捨てた。
先頭を進むヴァン。
ヴァルディオ。
エルミナ、シアナ。
そして――外で待つガイル、オルロ。
皆、それぞれの責を背負っているのだろう。
この、アーシェという存在が背負っている責。
ユーナを救うこと。
ダルカンの意思を継ぐこと。
アルヴェインとして生きること。
そして――この王女の義を見届けること。
どの責も――
言葉にはできなかった。
それでも――
どれからも逃げることはできなかった。
たとえ、その先に罪があるとしても。
漂う灰が、わずかに濃くなった。
まるで――
この神殿がそれを聞いていたかのように。
「気をつけてください。皆さん。
意味に飲まれないように。
ここは――そういう場所です」
ヴァルディオの言葉が響く。
その声で、現実が戻った。
本当に、何かにのまれそうになる。
だが――
ここにある責の重さは、空想ではなかった。
あそこから、白井は、逃げた。
それなのに――
なぜ今アーシェは逃げていないのか。
なぜだ。
同じはずなのに――
なぜ、違う。
王女が、咳き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
気づけば、僕は声をかけていた。
「お気遣いありがとうございます。
もうすぐ終わります。だから、大丈夫です」
王女の声は強かった。
だが――
僕と目を合わせることはなかった。
「あの、逃げたいと思ったことはないのですか?」
僕の中で、ずっと蓋をしてきた思いが、不意に漏れ出していた。
王女は、静かに僕を見た。
その瞳は――変わらず、綺麗だった。
周囲から、一瞬だけ視線を感じる。
「ありません」
王女は静かに言った。
「以前も、貴方は私に――
なぜこの義に挑むのかと問いましたよね?
それが、それだけが――
私の価値ですから」
――その言葉は、どこか彼女が自分自身に言い聞かせているかのように響いた。
「でも……」
僕は言った。
いや、言ってしまった。
「あの高台で、東の大陸を見たとき――
貴方は、悲しそうに……笑っていました」
王女相手に、なぜこんなことを言ってしまったのか。
ずっと蓋をしていた意味が――
外れたその下から、言葉として溢れ出していく。
そうだ。
僕は、ずっとこの人に感じていた。
与えられた道を、ただ歩き続けているように、
逸れることもなく、立ち止まることもなく。
――あの男と、同じだ。
ずっと抑えてきた。
考えないようにしてきた。
言わないようにしてきた。
王女はまた、激しく咳き込んでいた。
神殿に入って、明らかに体調が悪化している。
このまま進めば――
この少女は、きっと後悔する。
与えられた責任に沈み、沈み続けて、
二度と、戻れなくなる。
――あの夜のように。
「出すぎた発言を申し訳ありません」
石の床を打つ、誰かの足音が、
まるで蓋が閉まる音のように聞こえた。
本当に伝えたいことを、結局伝えられなかった。
「いえ」
王女は静かに首を振った。
「貴方は大変、私に尽くしてくださっています。
貴方の言葉は――
最後まで胸に留めておきます」
王女は笑った。
まだ少女のはずなのに、完成されたような美しい顔をしていた。
「アーシェさんは、ずいぶんレアノール様のことを案じているのですね。
さすが――自慢の弟弟子ですよ」
ヴァルディオが、わずかに笑った。
彼の言葉は、どこか空虚に響いた。
気づけば、僕は少し隊列から遅れていた。
先頭を進むヴァンの背中が、遠い。
そして――
すぐ隣に、ヴァルディオがいた。
「アーシェさん。貴方は“主者”という存在をご存知ですか?」
彼は、唐突に言葉を投げかけてきた。
「いえ」
僕はあっさりと返した。
もしかしたら、その言葉をどこかで聞いたことがあるのかもしれない。
だが、僕は興味がなかった。
「この世界には、六人の神がいることはご存知ですよね?」
彼は続けた。
「例えばここも、灰の神、フォーネを祀る神殿です。
それぞれの神が、それぞれの使徒をもつ」
彼はそう続け、壁に刻まれた絵を指さした。
その壁画が何を表しているのかは、わからなかった。
だが――
多くの人々が武器を携え、どこかへ向かっているように見えた。
「使徒は、戦い続ける。
己の意味を携え、それを磨き――
やがて、主者へと至るために」
いつのまにか、僕はこの男の言葉に聞き入っていた。
そして、理解する。
僕は――
あの白銀の神の使徒なのだ。
「なぜ、僕にそんな話を?」
胸にあった“意味”が、そのまま言葉になった。
「もし、私の願いが叶わなかったときは――
貴方に、それを継いで頂きたいと思いまして」
彼が何を言っているのかは、わからなかった。
僕は、この男の言葉から、何も気づけなかった。
選択の神と契約した、あの瞬間から――
僕は再び、レールの上に戻っていたことを。
使徒としての戦いの螺旋。
その先にある存在――主者へと至る道を、静かに歩んでいることを。
僕は――
ただ、目の前の王女の後ろ姿を追っていた。




