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主者選択   作者: シロイペンギン
小さな選択者 ― 幼少編/ヴァルデン領屋敷
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未選択の記憶

 あれから、ほんの数日が過ぎた。

 季節はさらに進み、冬の気配が屋敷を包みはじめている。

 吐く息は白く滲み、冷たい空気は胸の奥にまで染み込んでいくようだった。

 そんな寒さの中、僕はいつものように庭の奥の“秘密の場所”へ向かっていた。

 石垣の影に隠れるその小さな空間は、誰にも教えたことのない、僕だけの居場所。

 けれど――本当に秘密になっていたわけじゃなかったのだと、あとで思い知ることになる。

 今日も僕は、地面にしゃがみ込み、魔法の練習の真似事をしていた。

 指先で空をなぞる。

 何も起きはしない。

 それでも繰り返してしまうのは、あの白炎の残像が今も胸の奥に灯っているからだ。

 ふいに背後から声がした。


「……そんなところで何してるの? 寒いわよ」


 びくりと肩を震わせ、振り返ると、エルミナが立っていた。

 金の髪を風に揺らし、片眉をわずかに上げて、

僕を見下ろしている。


「あ……あの……ちょっと、庭で遊んでました。」


 言い訳にもならない言葉を並べる僕に、エルミナは、小さくため息をついた。


「魔法に、興味があるの?」


 おそらく――

 この場所での僕の行動を、エルミナは最初から最後まで、見ていたのだろう。


「……うん。……僕も、できたらって」


「ふぅん……」


 エルミナは少し視線を逸らし、静かに言った。


「私はね、お母様が届かなかった場所に、行ってみたいと思ってるの」


「……魔法で?」


「そう。お母様は本当にすごかった。

 誰も辿り着けないところまで行ったのに、その先にある“扉”だけは、最後まで開けられなかった」


 その声は独り言のようで、それでいて確かに僕へ向けられていた。


「……アーシェは?」

「父様の剣を、継ぐの?」


 その瞬間、胸の奥がわずかに揺れた。


 あの日の朝――白い吐息の中、無言で馬にまたがった父の背。

 整然と並んだ騎士たちの列。

 静かに進んでいった光景がよみがえる。


「僕は、この家の長男だから。

 きっと、父の剣を継ぐんだって……思ってる」


 口にした言葉は、自分でも冷たく響いた。

 まるで以前にも、どこかで同じことを言ったような――そんな感覚。


「……そう」


 エルミナの声が、ふっと落ちた、その瞬間――


 どこからともなく、冷たい鉄が擦れるような音が、耳の奥で鳴った。


 世界が、揺らいだ。


 景色は輪郭を失い、色も距離も意味を失って、溶けるように滲んでいく。


 まるで、水面に触れた意識が、静かな波紋となって―


——そして。


 視界に映ったのは、どこかで見たことのある、灰色の部屋だった。

 静まり返った空間。音も、気配も、すべてが遠い。

 

 その窓辺に、ひとりの男が立っていた。


 その男をどこかで知っているような気がした。

 白いシャツ。

 無造作に乱れた髪。

 そして――

 深い疲労を滲ませた目。

 

 その視線が、まっすぐに、こちらを捉えていた。


「……父の剣、か」


 男はかすかに笑った。


「悪くはない。正しい選択だ。

 だが――それは“お前が選んだもの”じゃない」


 言葉が胸に突き刺さる。


「また同じ道を歩くつもりか? 

 誰かの望む道を、そのままなぞって」


 僕は言い返せなかった。

 けれど、心のどこかで理解していた。

 彼は、僕が抱えた痛みを知っている。


「……今度は、ちゃんと選べ」


 真っ直ぐな目が、僕を射抜く。

 その存在が誰なのか、はっきりとは言えない。

 だが――ずっと胸に引っかかっていた名もなき違和感が、確かに揺れた。


「……今度は、僕が」


 そう呟いた瞬間、視界が白く弾けた。


「アーシェ?」


 振り返ると、エルミナが心配そうに僕を見ていた。


「顔が真っ青よ」


「……大丈夫。まだよくわからないけど……

 僕、自分のやりたいことを見つけて、選びたいと思ってる」


 その言葉に、エルミナは少し驚き――やがて微笑んだ。


「ふふ……それ、いいわね」


 その笑顔は、今まででいちばん自然で、やさしいものだった。


 そして、僕は悟った。


 ずっと胸の奥で燻っていた違和感が、ようやく――形を持ちはじめていることを。


 それが、何なのかは、まだ分からない。


 けれど、自分の中に眠っていた“何か”が――

いま、目を覚まし始めている感覚があった。

人は未来を夢見る。

けれど未来はまだ形を持たない。

そのために、人は迷い、選ぶことを恐れる。


では、過去はどうだろうか。

過ぎ去ったはずの出来事は、もう消えたのだろうか。


──いいえ。

強い想いは、因果に痕を残す。

喜びも、悲しみも、悔恨も。

それらはマナに刻まれ、残響のように漂い続ける。


それを“読む”ことができるなら、人は過去を垣間見ることができる。

ただし、それは出来事そのものではなく、心が残した影。

望む者が見れば、過去は鏡のように揺らぎ、自分の影を映すこともある。


だからこそ、この魔法は危うい。

過去を覗くということは、同時に――

自分の中の“まだ終わっていない何か”を覗くことだから。


──「過去を見る魔法」

(真理を抱く魔女ミレイナの『知恵の書』より)

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