牙を潜ませる者たち
その後、僕らはカナルスのギルド支部へ戻ってきた。
扉を押し開けて中へ進むと、ざわめきの中でいくつもの視線がこちらへ向けられる。
「ほら、あいつだ……イレナ・アルセリアが弟子にしたってガキ」
「まだ七歳らしいぜ」
低くささやく声が、酒場の空気に溶け込んでいた。
僕は耳を澄ませる。
前世から、人の声や会話の端を拾うのは得意だった。
――どうやら、朝の出来事がもう噂になっているらしい。
カウンターへ足を向けながら、ユーナが小さく息をつき、口を開いた。
「……報告に行こう」
その隣でフェンが肩を回し、にやりと笑う。
「あの蛇のおかげでマナ石はがっぽりだ。……氷から削り取るのは骨が折れたがな」
そんなやり取りを交わしつつ、僕たちが報告の列に並ぼうとした、そのとき――。
入り口の扉が、叩きつけられるような勢いで開いた。
鋭い音が響き、場の空気が一瞬止まる。
次いで、冒険者たちのざわめきが一気に大きくなった。
僕は思わず視線を入り口へ向ける。
そこには五人ほどの冒険者が立っていた。
その中には、まだ少年と呼べそうな若い剣士の姿もある。
先頭に立つのは、虎のような風貌をした女の獣人。
彼女は堂々と声を張り上げた。
「依頼完了、報告だ!」
その声と同時に、場のざわめきが一層大きくなる。
「……あれ、"黒鳥"だ。マルコじゃねえか」
周囲のざわめきと、その名の響きが耳に引っかかり、僕は思わず隣のフェンに問いかけた。
「あの……マルコって、有名な方ですか?」
「ああ、有名だな。この辺じゃ最年少でB級になった、幻狼流の剣士だ」
幻狼流――たしか、ヴァンもその流派だったはずだ。
フェンは声を落として続けた。
「マルコは……たしか今で十四のはずだ。
やつらは"黒鳥"って団で、この辺じゃ相当名が知れてる。
一番奥にいる剣士――あれが団長のジンだ。
まだA級だが、Sに近いって噂されてる。……一番やばいのは、間違いなくあいつだな」
言葉の端に、フェンのわずかな緊張がにじんでいた。
ユーナが眉をひそめ、低くつぶやいた。
「……でも、いい噂はあまり聞きません」
フェンが続けて口を開く。
「たしかなに、最近は西の方で、国から直接依頼を受けてるらしい。
汚れ仕事も、けっこうこなしてるって話だ」
そのときだった。
彼らは列を無視し、当然のようにカウンターへ歩みを進めた。
フェンが思わず声を荒げる。
「おい、お前ら。順番も守れねえのか!」
次の瞬間、場の空気が凍りついた。
ざわめきが吸い込まれるように止み、視線が一斉にこちらへ注がれる。
重圧のような沈黙が広がった。
先頭を歩いていた虎のような風貌の女獣人が、ぴたりと足を止めた。
にやりと口角を吊り上げ、こちらへ振り返る。
「……フェン。お前、まだ生きてたのか」
あからさまに馬鹿にした声音だった。
フェンは鋭い目で睨み返す。
「ライラ……お前らの噂は、どれもクソみてえなもんばかりだ」
女の獣人は、挑発めいた笑みを浮かべただけで、軽く受け流すように歩みを進めた。
フェンが女の肩へ手を伸ばしかけ、女の獣人も剣に手をかけようとした――まさにその瞬間。
「"黒鳥"の皆さま。報告は、私が承ろう」
低くよく通る声が、ざわめきを断ち切った。
振り返ると、ギルドマスターのガルドが堂々と立っていた。
女獣人は口元に満足げな笑みを浮かべ、フェンの胸を軽く突き飛ばす。
フェンは唇を噛み、鋭い目で睨み返した。
ギルドの空気は張りつめたままだったが、ガルドの登場によって大事には至らなかった。
影牙の一行は何事もなかったかのように淡々と報告を済ませ、報酬を受け取ると、足早にギルドを後にした。
――その去り際。
マルコの視線が、ほんの一瞬だけこちらをかすめた。
刹那の出来事にすぎなかったが、その瞳の冷たい光は胸の奥に焼きつき、いつまでも消えなかった。
僕らも報告を終え、報酬を受け取ってギルドを後にした。
その後、イレナに報告するため、石畳の通りを並んで歩く。
フェンはまだ機嫌が悪いらしく、靴音まで荒々しい。
微妙な空気のまま、僕らはイレナの家へとたどり着いた。
扉を開けて中に入ると、イレナが待ち構えていた。
「……あんたら遅いよ。飯が冷めちまったじゃないか」
笑みひとつない無愛想な口ぶりでそう言うと、踵を返し、奥へと歩き出した。
僕らは黙ってその背を追うしかなかった。
奥にはすでに食事が用意されていた。
湯気の立つ皿を前にすると、どこかで感じたことのあるような懐かしさが胸に広がった。
食事が始まると、イレナはぶっきらぼうにあれこれ尋ねてきた。
こう見えて、この人は世話好きなのだろう。
「ユーナ。あんたから見て、アーシェの魔法はどうだい?」
問いかけに、ユーナは迷わず答える。
「びっくりするほど飲み込みが早くて……本当に天才かもしれません!」
「へえ」
感心したように目を丸くしながら、イレナは僕の顔を覗きこんだ。
そして、ふいに視線をフェンへ向ける。
「で? なんであんたまで飯にいるんだい、フェン」
「ガハハハ! ばあちゃん冷てえな。
まあ、そんなこと言いながら俺の分もしっかり用意してくれてるじゃねえか!」
豪快に笑うフェンの様子に、すっかり不機嫌は消えていた。
ユーナが真剣な顔で口を開いた。
「……おばあちゃん。ギルドで"黒鳥"を見ました」
イレナは箸を止め、わずかに目を細める。
「そうかい」
イレナが低くつぶやく。
「……あいつら、教会からの依頼も受けてるらしいね。
ユーナ、あんた気をつけなよ」
ユーナはすぐに笑顔で胸を張った。
「大丈夫! 私はおばあちゃんの弟子だから!」
「そうかい……」
イレナはそう答えながらも、どこか不安そうに視線を伏せた。
僕にはこの会話の意味は理解できなかった。
けれど――これから向かうドロレアという国とユーナのあいだに、ただならぬ因縁があることだけは、背筋で感じ取っていた。




