予期せぬ来訪者
森の中は思ったよりも開けていて、フェンの大きな体でも窮屈さはなかった。
「……スラグナ、いませんね」
僕が思わず口にする。
森に足を踏み入れてからかなり経ち、太陽はすでに真上に昇っていた。
それでもスラグナ――所謂スライムの姿は、影も形も見当たらない。
「おかしいな。いつもなら、結構うじゃうじゃいるはずなんだが……」
フェンが首をひねる。
「……ねえ、お腹、減ってきません?」
ユーナがぽつりとつぶやいた。
「そうですね……もうお昼ですし。
あちらに少し開けた場所があります。そこで食事にしませんか?」
僕の提案に、フェンとユーナも頷いた。
三人でそちらへ向かおうとした、その時だった。
草陰に――ぷるぷると震える影。
「……あっ!」
ユーナが鋭く声を上げる。
「いた! スラグナ!」
「やっと一匹かよ」
フェンが大げさに肩をすくめる。
「うーん、どうしようかな……」
ユーナはわざとらしく考える仕草をしてから、僕の方へ振り返った。
「ねえ、アーシェ。せっかくだし、魔法やってみなよ!」
恐怖はなかった。
あのリザードマンに比べれば、目の前のぷるぷるした存在は恐れるに足らない。
……とはいえ。
こんなに場当たりな形で実戦投入されるなんて――。
指導としては適当な気がする。
それでも、ユーナの視線は揺るぎなく僕を見据えていた。
――やるしかない。
初級魔法の詠唱なら、何度も読み返した本の内容を覚えている。
僕は深く息を吸い、火の球を強くイメージしながら、その言葉を口にした。
掌に集めたマナが熱を帯び、次の瞬間、紅い閃光となって迸る。
――ファイアボール。
火の玉は一直線に飛び、ぷるぷると震えていたスライムに直撃した。
次の瞬間、スライムは爆ぜるように溶け崩れ、跡形もなく消え去る。
――やった。
間違いなく、できている。
思った以上に上手くいったという確信と、高揚感が胸を満たしていった。
「おいっ! 何やってんだよ!」
フェンが目をむいて怒鳴る。
「そんな火力出したら、マナ石まで燃えちまうじゃねえか!」
スライムのいた場所に目をやると、黒い焦げ跡だけが残っていた。
「……すみません」
思わず口をついて出た。
「ったく、頼むぜ」
フェンは肩をすくめつつも、次の瞬間には豪快に笑い声を響かせた。
「ガハハハ!」
ユーナは何も言わず、じっと僕を見ていた。
その時――。
さっき放った魔力の余波に誘われたのか、草むらががさりと音を立てる。
ぬらりと姿を現したのは、一匹の大蛇だった。
人の胴ほどの太さに、二メートルを優に超える長さ。
細い瞳孔がぎらつき、しゅるりと伸びた舌が空気を舐める。
この蛇は、僕にとって充分すぎるほどの恐怖を放っていた。
全身の毛が逆立つような存在感――まるで森そのものが牙をむいているかのようだ。
「ありゃオルバスだな……結構いい石が取れそうだ」
フェンが場違いな調子でぼやく。
その言葉で、スライム以外からもマナ石が取れるのかと、疑問が浮かんだ。
けれど、こんな状況でそんなことを考えられる自分に気づき、以前より恐怖に耐性がついたのだろうかと思う。
「……オルバスか」
ユーナが小さく息を呑み、それから僕の前へ一歩踏み出した。
「ちょっと私がやってみるね。アーシェは後ろで見てて」
オルバスはユーナを敵と認めたのか、長い体をスルスルと蠢かせながら、彼女を取り囲むように動いた。
その瞬間――ユーナの周囲のマナがざわりと震え、空気そのものが変わったのをはっきりと感じ取る。
僕の立つ場所にまで届く、鋭い冷気。
ユーナの放つマナが、確かに熱を奪っていた。
その冷気に本能的な危機を悟ったのか、大蛇は勝負を一気にかけてきた。
オルバスが身をしならせ、ユーナへ襲いかかろうとした、その時――。
白い閃光が走った瞬間、空気が一気に張り詰めた。
凍りつくような静寂。視界が真っ白に染まったかと思うと――。
そこにあったのは、氷像と化した大蛇。
オルバスは身じろぎひとつせず、凍りついたまま沈黙していた。
――この人、凄い。
詠唱すらなかった。どうなってるんだ……?
「マナは因果を司るものだって」
ユーナがぽつりと口にする。
「おばあちゃんは、ずっとそう言ってた」
僕は息を呑んだ。
「それにね――」
ユーナは少し視線を落とし、静かに続ける。
「おばあちゃんは……マナを作ったのはアレインじゃない、そう思ってるらしいよ」
アレイン。
この世界を創ったと伝えられる神話の存在――“意味”と“感情”を司る神。
一拍置いてから、ユーナは苦笑した。
「因果に近づけば近づくほど、魔法は万象を再現するって……まあ、私には本当のところは分かってないけど」
僕には、その意味が理解できた。
――火の蜥蜴を放った、あの瞬間がそうだった。
マナは因果の力。
その実感は、すでに僕の中で確信へと変わりつつあった。
「フェンさん、マナ石までは凍ってないと思いますから――」
ユーナがにこりと笑った。
「たぶん、けっこういい石が取れますよ。ほら、がんばって削ってくださいねー」
「俺は南育ちだからな……寒いのは本当に無理だ……」
フェンが肩をすくめてぼやく。
そんなやり取りを横目に見ながら、僕は――因果の力という意味を、何度も反芻していた。




