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主者選択 ― この命に、意味を刻む  作者: シロイペンギン
未知に試される者 ― 少年編
13/32

命に問われる ー 父の決定

抜粋 ― 『魔物誌集成』第三巻「亜人型魔物編」より

編纂:王立博識院・魔物研究局


ラザドラグ

既知の魔物に分類される。外見は人型に近く、骨格は直立二足歩行。

体表は鱗に覆われ、武器を扱う知能を有する個体が確認されている。


生息域は主に水辺。特に川沿いや湿地帯に群れを成して現れる。

行動傾向は集団的であり、十数体から数十体の群れを構成することが多い。

群れを統率する「強個体」の存在が高確率で確認されており、

その知能と体力は他個体より抜きん出ている。


討伐に際しては、統率個体の有無を見極めることが第一である。

強個体を排した群れは瓦解しやすいが、

統率を残したまま挑めば、被害は必至となる。


――以上、調査記録をもとに記す。

前の人生を、僕は後悔していた。

何も選ばなかったことを――その記憶は、今も鮮明に残っている。


この世界で過ごした五年。

僕はもう、白井悠真ではなくなっていた。


家族の声、手の温もり、暮らしのなかの感情。

たくさんのものが、この命に意味をくれた。


この小さな身体で、

人並みには――選んでこれたと思っていた。


けれど、変われたはずの自分を否定するかのような問いが、静かに、すぐそこまで迫っていた。



詰所の前には十数名の兵士が並んでいた。

装備にはばらつきがあるが、どの顔にも緊張がにじむ。街道警備隊だろう。無駄口はなく、静かな秩序が保たれていた。


その中に、見知った背中があった。

馬車の横で手綱を握っていた、ただ一人の騎馬兵――あの女性がこちらに気づき、まっすぐ歩み寄ってくる。


「ご案内します、アーシェ様」


簡潔で落ち着いた声。

ファルナからの道中、彼女は一騎で前後を守り続けていたはずだ。疲れているだろうに、歩みに乱れはない。馬上の姿が、そのまま目に浮かぶ。


「へぇ……こういうの、ちょっとワクワクするかも」


隣でシアナがぽつり。鎧の擦れる音、兵の足音――その中で、彼女の声音だけが軽やかだった。


詰所の扉が開く。木の軋みと灯のにおい。

僕は無言のまま、ロイスの背を追って廊下を進む。


今日だけで、ロイスの背を追うのは三度目だ。

ファルナの屋敷、町長の邸宅、そして今。自宅を出てから、落ち着ける場所は一度もない。


長い移動、慣れない土地と人。

気づけば朝からずっと気を張り詰めたまま――大人でも堪える一日を、この小さな身体は黙って受け止めていた。



階段を上がり切った突き当たりに、重厚な扉。

ロイスが迷いなく押し開けると、かすかな油のにおいと蝋燭の明かりが漏れた。


中は石造りの簡素な部屋。

長机がひとつ、上には地図と書類が無造作に並ぶ。窓はなく、空気にわずかな緊張の匂い。


すでに数人が立っていた。壁際で腕を組むヴァン、先ほど案内してくれた女性。黒髪の女性と眼鏡の細身の男――学者めいた雰囲気だ。


ロイスが中央まで進み、こちらを向く。


「アーシェ様、シアナ様。あらためて調査班の正式な紹介を」


案内役の女性が一歩前へ。


「ミリア・トレイス。魔導剣士です。前でも後ろでも動けます。よろしくお願いします」


淡々とした声だが、姿勢に自信が滲む。


続いてヴァンが肩をすくめる。


「ヴァン。剣はそれなり、壁もやる。戦闘になったら前に立つ。よろしくな、坊ちゃん」


軽口に見えて、視線の奥には緊張があった。


黒髪の女性が、まっすぐ僕を見て一礼。


「リイナ・カール。偵察や索敵、交渉を担当しています」


抑えた声だが、言葉に現場の匂いが宿る。


眼鏡の青年が控えめに前へ。


「記録官のノルド・レイン。マナ観測と環境変化の記録・分析を担当します。どうぞよろしくお願いいたします、アーシェ様」


シアナは軽く頷き、皆を見渡す。

何度か遠征に同行しているだけあり、顔馴染みのようだ。


ロイスが一歩下がり、僕たちへ視線を戻す。


「以上が中核メンバー。現場指揮は私が執ります」


ロイスが頷くと、ノルドが資料を胸に押さえ、一歩前へ。


「調査対象はユレッタ北方――旧ラドゥス村周辺です。村はすでに壊滅。確認されている魔物はおよそ三十体。大型で人型に近い骨格、鱗状の外皮、二足歩行。知性の兆候も確認済み」


資料から顔を上げ、はっきりと言う。


「種別は既知の魔物、“ラザドラグ”で間違いありません」


……ラザドラグ。

魔物は初歩しか学んでいない。聞いてきたのは伝説の竜や王都近郊の小型種ばかり。鱗を持つ亜人型――そんな具体は初耳だ。


けれど、その名と特徴は、前世の“リザードマン”と重なっていた。

この世界には、それに似たものが現実にいる――そう思わせるだけの共通点。


ノルドは続ける。


「行動傾向は群れ。特に水辺、川沿いに多く出現します。旧ラドゥスも大きな支流に沿って築かれた集落でした。立地は彼らの生息傾向と一致。今回、群れは村を壊滅させ、その地に巣を構えています。統率個体の存在はほぼ確実。三十体近い群れを束ねる支配力を備えた、厄介な個体と見るべきです」


――だからロイスは、昨夜、即断しなかったのだろう。

状況の裏に測りきれない何かが潜んでいる、その可能性を読んでいた。


「もう一点。現地戦力に征圧系の魔導士はいません。統率個体が確実な以上、正面突破は危険。仮にあの地域が“無響区”へ変質しているなら――影響を受けた統率個体に対しては、ロイスさんでも単独制圧は困難です」


部屋に重い沈黙。

間を置き、ロイスが前を向いたまま低く言う。


「リスクは高い。だが――放置はもっと危険だ」


誰も異を唱えない。


「無響区化は断定できないが、兆候はある。拡大すればユレッタに深刻な影響が及ぶ。……グラディスへの応援要請も選択肢だが、応答には時間がかかる。その間に悪化すれば、王国の対応は後手に回る」


ロイスの視線が、静かに皆をなぞる。


「ユレッタに被害が出れば本家も動く。だが、“その時”に備えて動くのでは、間に合わないこともある」


その最後の言葉が、胸を刺した。


……この空気を、知っている。

モニターに映る数値と画像。誰もが何かを言いかけては口を閉ざす。

リスクとメリットだけが淡々と並び、それでも「決める」と言う者はいない。


判断は、いつも誰かのもの。

その沈黙の中で、誰かが選ぶのを待つ。僕も、その中にいた。

ただ黙って、その空気に身を委ねていた。


――そして今も。

この男が冷静に状況を読み、正しい判断を下してくれる。

どこかで、そう思い込んでいた。

自分は、それを見ていればいい――無意識に、そう思っていた。


ロイスが一拍置き、僕へ視線を戻す。


「……アーシェ様。

この現地対応における最終的な決断権と、その結果の責任は――出発以前、ガイル様のご命により、すでにあなたに預けられています」


空気が、一瞬で変わった。

何かを受け取る音が、確かにした気がした。喉が勝手に鳴る。


(……僕に?)


目の奥が熱を帯び、冷たい圧が胸にのしかかる。呼吸が浅くなる。反射的に隣を見る。

そこにいるのは姉――シアナ。


彼女はふわりと笑った。

何も言わず、ただ優しく。まるで「大丈夫」と言ってくれているように。


(……どうすればいい?)


この身体で過ごした日々のなかで、僕は少しずつ“選ぶ”ことを覚えていった。

声をかける、手を伸ばす――子どもとしての、ささやかな成長。


けれど、今。

目の前にある問いは――その歩みとはまるで違う、“選択”だった。

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