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主者選択 〜転生外科医は、壊れた異世界を切り治す〜  作者: シロイペンギン
未知に試される者 ― 少年編 /ユレッタ遠征
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その手の先に灯るもの

「……アーシェ様」


会議が終わった詰所の一室。

灯りが揺れる中で、ロイスの声だけがはっきりと響いた。


「今回の件について、最終的な判断は――あなた様に委ねられています」


僕は小さく頷いた。

胸の奥が重くなる。


ロイスは静かに続けた。


「本来であれば、こうした責任を託すのは、もう少し先だったはずです。

 いずれアーシェ様が背負ってゆかれるお立場であることは承知しておりますが……今はまだ、その時期ではなかったとも思います」


迷いと信頼が同居するような声だった。


「それでも、我々は――この決断を、アーシェ様に託します。

 明朝、町長との協議の場が設けられる予定です。どうかそれまでに……ご自身の中で」


責める口調は一切なかった。

ただ、そっと背中を預けるような、そんな言葉だった。


廊下へ出ると、すれ違う兵たちが小さく頭を下げた。

押しつけがましい空気はない。

ただ、静かな敬意と、あたたかさだけがそこにあった。

……この信頼は、僕にというより、父に向けられたものだろう。

 


詰所の奥にある来客用の部屋に戻ると、シアナもすぐに入ってきた。


ふたり分の寝具が並んでおり、簡素ながら清潔な空間だった。

僕はそこに、静かに腰を下ろす。

深い息を吐いて、ようやく荷物の重さを意識した。

 

開け放たれた窓から、夜風がゆっくりと吹き込む。

夏の熱が少しだけ残る空気の中に、静けさがゆっくりと満ちていった。

 

しばらくして、シアナがぽつりと呟いた。


「……私、ずっと馬車で寝てたからかな。

 なんか、今は全然眠れる気がしないや」


 そう言って、小さく笑う。

 そして、自然な仕草で僕の手に触れた。


「……ユレッタの街、ちょっとだけ、見に行こっか」


その声は軽やかだったが、僕にはわかった。

これは、姉自身のためだけじゃない。

いまの僕の心のざわつきを、きっと見抜いたうえで――

姉は、そう言ってくれている。

それを言葉にすることはなかった。

けれど、手の温もりが、すべてを伝えていた。


 

ユレッタの町は、夜の静けさの中にあった。

けれど、通りの灯りはまだ消えておらず、酒場からは笑い声や楽器の音が、かすかにこぼれてくる。

人の気配があたたかい。

誰かと誰かが出会い、語らい、ただそこに暮らしている気配。

 

路地を曲がった先、灯りのともる建物の前で立ち話をしていた男たちのひとりが、ふとこちらに目を留めた。


「おや、こんな時間にお散歩かい? おふたりさん」


シアナは少し驚いたように笑い、頭を下げた。


「ええ、少し風に当たりたくて」


男は「そいつはいいや」と笑って、また仲間との話に戻っていった。

ほんの短いやりとりなのに、

この町に流れる空気のやさしさが、少しだけ胸に染みた。


「……あたたかい町だね」


僕が言うと、隣のシアナが頷き返す。


「戦いが来るかもしれないなんて、きっとほとんどの人が知らない。

 でも、知らないままでも、ちゃんと生きてる。……そういうのがいいんだよ」

 

僕は姉の言葉に静かに頷いた。


ふたりで歩く石畳の道。

その感覚に――ふと、記憶が重なった。


三歳のころ。

シアナに手を引かれて、裏庭の奥へ抜け出した夕暮れ。

空はもう、紫に近くなっていて、エルミナ姉さんが魔法の修行をしていた。

白い光をまとう炎が、標的に触れた瞬間、木片が光の粒になって舞い上がる。

それは、熱よりも美しさが先に届く炎だった。

ただ見とれていた。

呼吸するのも忘れるほどに。


「……すごいね」


隣のシアナがそう呟いたその声と、空気の温度を、今でも覚えている。


あのときも、シアナの手に引かれて――

その先には、確かに“奇跡”があった。



やがて僕たちは、駐屯地へと戻ってきた。


声の消えた中庭の脇を通って、部屋へと戻ろうとしたとき、シアナがふと立ち止まり、空を見上げた。


「……あの見張り台、登ってみよっか。

 街も空も、きっと綺麗だと思う」


彼女が指さした先には駐屯地の見張り台が夜空の下に静かに佇んでいた。


僕は、ほんの少しだけ迷って、静かに頷いた。

そして姉の後ろを追った。


石積みの台座から伸びる木の階段を、夜風の中ゆっくりと登っていった。



最上段にたどり着いた瞬間、頬を撫でる風が少しだけ強くなる。

足元の板がかすかに軋む音が、夜の静けさに溶けていく。

町の灯りが遠くにまたたいていて、空はどこまでも高く、夏の熱が少しずつ抜けていく気配があった。


シアナも僕も、すぐには口を開かなかった。

ただ、風と光と夜の匂いを――しばらくのあいだ、静かに感じていた。



高台から見下ろすユレッタの街並みは、まるで宝石のように灯っていた。

空には無数の星が瞬いている。


前の世界では、こんな空を見たことはなかったように感じる。


……いや。

美しいと思える心が、あのころの自分にはなかったのかもしれない。


僕は風に揺れる髪を押さえながら、静かに視線をめぐらせた。


「……ファルナの屋敷は、たぶん、あっちのほうかな」


闇に沈む丘の先を、ぼんやりと指差す。


「ラドゥスは……あの森の向こうか」


見えるはずのない景色なのに、そこに“あった”という確かな記憶だけが浮かぶ。

ファルナの屋敷を出たときと、今ここにいる自分は、どこか違っているような気がした。


しばらく風の音だけが、ふたりの間を流れた。

……そして、シアナが口を開いた。


「アーシェは、自分で決めなきゃいけないよ」


その声に、凛とした意志が宿っていた。


「私は、もう決めてる。

 アーシェのこと、ちゃんと守るって。

 ……だから、好きな道を選んでいい」


僕は、姉の手を見た。

その手は、迷いなく伸びていた。

過去も、今も、これからも――

シアナの手に引かれた先には、いつだって奇跡がある。

その温もりが、まだ選びきれない夜に――ひとつの光を灯していた。

むかしむかし、闇に沈む村がありました。

そこでは夜になると、誰もが家に閉じこもり、ただ怯えて震えていました。

火を灯す術もなく、声を交わす勇気もなく、闇は人の心をも縛っていたのです。


けれど、一人の旅人だけは違いました。

「たとえ小さくとも、意味を込めた火は闇を裂く」

そう言って掌にともした炎は、赤でも青でもなく――白く、やわらかに輝きました。


その光を見て、人々ははじめて家を出ました。

互いの顔を見、言葉を交わし、手を取り合いました。

闇は消えませんでしたが、その中で人は歩き出すことができたのです。


やがて人々は悟りました。

夜を払うのは大きな太陽ではなく、ひとつの小さな火だということを。


だから今でも、人は夜に灯火を絶やさぬのだといいます。


――『夜を照らす灯火』

奇跡の魔女ミレイナ


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