表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
主者選択 ― この命に、意味を刻む  作者: シロイペンギン
未知に試される者 ― 少年編
11/33

地図には載らないもの ー ユレッタへの旅路

『旅路覚書 第三篇』

筆者:放浪の冒険家 エルダラン


ファルナから北西へ伸びる街道を行けば、ユレッタに至る。

道は整えられていて歩きやすいが、森沿いの区間は油断ならねえ。

ときに獣や魔物が姿を見せ、夜の行軍はとても勧められない。


地図で見りゃ近い距離のはずだが、揺られて進むうちに妙に遠く感じるのがこの道の性分だ。

旅人にとっちゃ、距離より時間が重くのしかかる。


――そうして越えた先に、川辺の町ユレッタが待っている。

朝――

馬車の揺れとともに、屋敷の門がゆっくり遠ざかっていく。


出立は二台の馬車と随行の一騎。

先頭に父の副官ロイスたち。僕とシアナは後方の馬車に並んだ。


ほどなくして、小さな屋敷町ファルナを抜ける。

使用人や衛兵、その家族たちの生活の匂いが背中に流れ、風の通る広い街道へ。


御者席には、見覚えのある若い騎士。記憶の輪郭を追いかけていると――


「坊っちゃん。お久しぶりですねえ。……お嬢ちゃんは寝ちゃってます? 朝はちょっと苦手なんですかね?」


人懐っこい調子に、胸のどこかがひっかかる。

振り返った瞬間、三年前の朝がほどけた。門前で手綱を引いていた、あの騎士。


昔は背負うものばかりが目についたが、今は無駄のない手綱さばき。

――たしかに、あれから三年が経ったのだ。


隣ではシアナがぐっすり眠っている。散歩にでも行くかのような安らかな寝顔。たしか、この姉は朝が苦手だった。


「そういや名乗ってなかったすね。俺、ヴァンっていいます。……坊っちゃんのことはよく存じてるんで、挨拶は省略で」


軽口を叩きつつ、手綱は正確だ。

貴族の子に対して軽すぎるのかもしれない。それでも、不思議と嫌ではない。


「今回の調査で、有望な跡取りに――しっかりツバ、つけさせてもらいますんで」


あまりに直球で、吹き出しそうになる。冗談とも本気ともつかない軽さ。

その空気が、少し心地よい。僕は微笑んでうなずいた。


「坊っちゃん、外は初めてっすよね? シアナちゃんは何度か似た調査に同行してるんすよ」


そういえば、何日か姿を見ない時期があった。けれど彼女は語らない――昔からだ。


「まあ、大丈夫っす。魔物に遭っても、この辺は大したことないんで」


手綱を軽く引き直し、笑う。


「……あーあ、雑魚相手じゃ、坊っちゃんに俺を売り込めねえなぁ」


独り言のようでいて、どこか楽しげだった。僕は黙って彼の背中を見る。


同じ景色が窓の向こうをゆるく流れる。森でも山でもない、平らな時間だけが進む。

地図で見た“近さ”と、体で味わう道のりの重さが、ずれたまま積もっていく。


「……ユレッタには、どれくらいで?」


ヴァンが振り返り、声を弾ませる。


「この調子なら、夕方までには着きますね」


ユレッタ。

父ガイルのヴァルデン領の北西、川沿いの中継の町。地図では“近隣”に属する。

だが、揺られ続ける今となっては――その“近さ”が観念だったとわかる。


距離はわずかでも、体感は遠い。

紙の上の一本線が、こんなにも重かったとは。


前世の冒険譚の一節がよぎる。

旅路に重みを与えるのは、距離ではなく――揺られた時間だ。


世界は少しずつ広がる。

けれど、その手触りには、まだ戸惑いが混じっていた。


――ふと、空が陰った。


顔を上げる。頭上を影が横切る。

鳥にしては大きすぎる。裂けたような翼端、蛇のようにうねる尾。青空を旋回し、獲物を探す軌道。


――ワイバーン。


“想像上の存在”でしかなかった魔物が、今、空を裂いて飛んでいる。

その実在の重みが、胸の内側をざわりと撫でた。


――もし、あんなものに襲われたら。


無意識に前へ視線を移す。

ヴァンは反応を変えない。剣にも手を伸ばさず、空も見上げない。


……人を襲う習性は、ないのだろうか。

この世界の“常識”が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。


隣では、シアナが変わらず静かな寝息。

魔物がいようと関係ないとばかりに、陽を頼りに受けて眠っている。


やがて昼頃になり、街道脇で馬を止めて簡単な昼食をとった。

そのときはシアナも目を覚まし、騎乗していた女性兵士と親しげに言葉を交わし、

僕の横ではヴァンが自分の武勇を得意げに語っていた。


だが、再び馬車が進み出すと、シアナはあっさりと身を横たえ、再び眠り込んでしまった。

――確かに、この姉は普段からよく眠る。


やがて陽がわずかに傾きはじめたころ――


道の先、遠い林で、影が動いた。

地を這う低い姿。枝をかきわける小さな影。緑がかった肌、針金のような手足、粗末な武器。


――ゴブリン。


前世の物語で見た通りの魔物が、現実の風景に自然に紛れ込んでいる。

牙を剥き、喉を鳴らし、こちらを威嚇――だが距離は詰めない。

「ここは俺たちの縄張りだ」とでも言うように、存在だけを示す。


ヴァンの背に目をやる。

彼はわずかに手綱を強めた。姿勢は崩さないまま、意識だけが林へ向く。


――警戒はしている。


それだけで少し安心した。だが速度は落ちない。言葉もない。

魔物は動かず、馬車はそのまま林の前を静かに通り過ぎた。


林が途切れ、視界がひらける。

なだらかな丘の上に、小さな町が姿を現した。


連なる屋根と煙突。斜面に家々。小さな畑、家畜の囲い。

――ユレッタ。


太陽は低く、空の端に朱が滲む。

草に落ちる影は長い。風に混じる土の匂いが、町の近さを告げる。


「まもなく到着します。外周が見えてきました」


先頭の御者の声が風に乗る。僕は小さくうなずき、前を見据えた。

遠かった町並みが、いまは手の届くところにある。


「……ついたの?」


隣でシアナが目をこすり、身を起こす。寝ぼけ顔のまま外を眺める。


昼食のあと再び眠っていた彼女は、到着の気配でようやく目を覚ましたらしい。



町の入口が近づく。掲げられた旗――アルヴェイン家の紋章が風に揺れる。

ここが父の治める領地内であることを、静かに告げていた。


馬車は軋みを響かせ、夕暮れの坂をゆるやかに下る。

ユレッタの町が確かな輪郭を帯びて迫ってくる。


……けれど、その光景は、思い描いていたものとどこか違って見えた。

屋根の並びも、通りの配置も、大枠は合っているはずなのに――


人の気配。空気の重さ。風の流れ。

“測れないもの”だけが、妙にざらついている。


この町には、きっと“何か”がある。

まだ見ぬそれが、すでに息を潜めて待っている――そんな感じがした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ