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序章 終わりの始まり—石壁と反逆の種—

 領主オーダは、ひんやりとした暗闇の中、目を覚ました。


 ここはどこだったか……。そうだ、領内司祭邸の地下牢だ。私は異端審問にかけられ、捕縛されたのだ。


 ここで時間を潰している場合ではない。早く外に出なければ……。地下牢の外に人影は無い。警護も付けないあたり、教団も混乱しているとみえる。これに乗じてでも脱獄を試みよう。


 牢内を見渡す。切り出した花崗岩を積み上げた壁。指が入る隙間は無い。天井近く、外壁に面した部分だけ石が一段欠けており、細い採光の隙間になっている。肩が入る隙間も無い。採光用なのだろう。


 どうやら今は夜のようだ。満月の光が牢内に注がれている。寝床は粗末なベッドに藁束が敷かれている。この地名産の毛織物すら置かれていないということは、自分の治世がまだ行き届いていないのだなと少しだけ恥じる。部屋の隅には便器。さすがにこれを破壊して下水から出て行ける隙間もなさそうだ。


 もう少し見渡すと黒パンと具の少ない冷めたスープ、そしてカップ一杯ぶんの水がどれも木製の器に入って、盆ごと牢の入り口に置かれている。


 腹は減っていた。食事に手を付けながら、これまで出会ってきた()()()()の言葉を思い出す。なにか手がかりがあるはずだ。水に口を付ける。


「……オーダさん、飲み水は流水を選ぶこと。くみ置きでぬめりのある水は身体に毒ですよ」


 あの娘がいつも言っていた言葉だ。ここで思い出すとは思わなかった。咎人に出す水もくみ置きではないらしい。清潔な水だ。何があるのか分からないので飲み干しはしなかった。


 寝床の藁苞(わらづと)を調べる。脱穀を急いでいたらしく殻付きの麦がちらほら見受けられる。手持ち無沙汰であり、何より寝心地に直結するため、丁寧に麦を取り出す。


「……オーダさん、見てくださいよ。この麦。これがまた来年には何十倍と実るんですよ。農業はこれが楽しいんです」


 あの男は収穫の時期になるといつもニコニコして日が暮れるまで領内の畑を見回っていたな……。そういえばいつだったか、麦が苗として芽吹く頃、こう言っていた。「麦は発芽するとき、品種によっては四割ほど膨張するんですよ。こんな小さな粒にも驚くべき生命力が宿ってるなんて不思議ですよね」


 発芽で膨張か。手のひらに山積みとなった麦。これらがどれくらい発芽するかは分からないが、今はこれに賭けるしかなさそうだ。


 麦を採光部真下の石とその下の石の間に可能な限り押し込み、配給の水を少しずつ与えてみる。乾いた麦はみるみる水を吸って少し色が濃くなった。頼むぞ。この小さな生命力が頼みの綱だ。


 翌日も目が覚めたら食事と水が配給されていた。水を少しだけ石の隙間の麦に飲ませ、オーダ自身も渇きを癒やす。ここの所過労といってもよいほど働きづくめだったのでまた眠気が襲ってきた。


 牢内採光部から月明かりが差し込んでくる。目が覚めた。いつものように食事が配給されている。もうルーチンワークのように麦に水を注ぎ、発芽を祈った。


 三日目。麦に小さな変化が現れた。芽吹き始めたのだ。オーダは自分の水をそっちのけで壁の隙間にぎゅうぎゅう詰めの麦に水を少しずつ与え始めた。


 四日目。夜。オーダが目覚めると麦は完全に発芽しており、採光部真下の石に爪が入るくらいの隙間が出来た。食事配給の盆を押し込んでみる。少し入った。盆を隙間奥に刺したまま、手前を下に下げる。盆が割れないようにゆっくりと。ついに指が入る隙間までこじ開けることができた。あとはこの腕力で解決するしかなさそうだ。


 全身全霊を込めて石を指先で持ち上げる。少し動いた。隙間に掌が入りそうだ。片方の掌を押し込みさらに石を持ち上げる。ついに持ち上がった。あとは身体をつっかえ棒のようにし、石の下に差し込む。小石と発芽した麦がパラパラと落ちてきて、石がごとん、と音を立て垂直に立ち上がった。


 オーダは一息つきながら、牢の外を窺う。相変わらず誰かが居る気配がない。舐められたものだが大変に都合が良い。粗末なベッドを採光部の真下へゆっくり引きずり、足場とした。あとはこの立ち上げた石を落とすだけだ。大きな音を立てないよう慎重に石を引きずり下ろし、ベッドの上に置いた。途方もなく重かった……。静かに息をつく。


 ベッドの上に下ろしたての石を置き、それを足場に広げた採光部から身をよじりだす。幸い外にも警護がついていない。オーダは無我夢中で採光部から、司祭邸から逃げおおせた。


 領司祭邸の地下牢から、領館へ向かう途中、川のせせらぎの音を耳にした。そういえば、ここ数日身体を洗えていない。


 川のほとりで、まずは泥だらけ埃だらけの手と顔を洗う。気持ちいい。水面に映る顔は数日間の拘束により髭が伸び、肩まで生えている髪も手入れが行き届いていない。普段より野趣むきだしとなったオーダがそこにいた。身体も拭きたいところだが風邪をひいてしまうかもしれない。追手が来ないとも限らないのでこの場を立ち去ることにした。


 川沿いを進むと診療所跡地が見えてきた。ここでは多くの事があり、沢山の事を学んだ。今は人気も感じられず、廃墟といって差し支えない状態だ。村の皆で苦労して掘った井戸は、今も水を湛えているだろうか……そんなことを気にしながら診療所跡地を背に領館へ向かう。


 オーダは領館周辺にたどり着いたが、敷地出入り口は教団傭兵部隊が警護しているようだ。さて、どの方向から「政治」を効かせようか……。


 物陰で警護班を観察していると、交代の時間になったようで傭兵部隊長が一人で出入口を警護する持ち回りになった。あの部隊長には見覚えがある。この村で生まれ育って教団傭兵として出稼ぎに行っている者だ。


 今の時間帯出入口は部隊長一人の持ち回りのようだ。落とすならここか。オーダは足元から小石を拾い、少し逡巡したのち、部隊長の頭めがけて軽く投げつける。「いてっ」命中した。部隊長がこちらに気づいたようだ。周りを見渡したのち、松明を消してこちらへ小走りに駆けつけてくる。


「オーダ様、あんまり無茶せんといてくださいよ。司祭邸では大騒ぎになって、これから大捕り物の準備だそうですよ」


「あんなじめじめした所に長居しても、私になんの得はなかろう。これから大事な仕事が残っているのだ。さて、そこを通してくれるかな?通行料は向こう五年の免税特権でいかがだろうか?お主は小さい子供もいるしまだまだ入り用であろう。悪い話ではないと思うが」


「……。痛いところを突いてきますね。わかりました。いいですか、今夜私とオーダ様は会ってない。こんな会話もしてない。それをお守りいただけますか?」


「もちろん。とはいえ誓う女神とはあちらから一方的に絶縁中だがな。屋敷の中はどうなっている?」


「こんな時間なので教団の人たちは引き上げています。中で働いている皆さんは無事ですよ。私の見ている範囲で狼藉の類は起きていませんし、起こさせません。ここ数日教団の人間の何人かが書類を箱に入れて運び出していましたが、それくらいなものですね」


「何の書類かはわかるか?」


「すみません。そこまでは末端の兵士には伝わってこないのです」


「わかった。重ねて礼を言うよ。トビー坊や」


「その名前で私を呼ぶのはオーダ様くらいですよ。それではお気をつけて……」


 オーダと部隊長はにやりと笑い、部隊長は持ち場に戻る。オーダは生垣を飛び越えて屋敷の中へ戻ることができた。


 一族代々オーダに仕える家令ヴィル・レクスの居室の前でオーダは小声で名前を呼ぶ。


「ヴィル。私だ。夜分済まないが起きているか? 至急の要件だ」


「……お待ちください。ドアを開けます」


 ドアが開けられ、霜髪、モノクルの紳士が現れた。


「速やかにお入りください。何があるか分かりません。リテアも呼んできましょう。中でお寛ぎください」


 そう言うとヴィルと呼ばれた紳士はオーダと入れ替わりで静かに廊下へ出て行った。机の上には開きっぱなしの帳簿。几帳面に今日の分までの出納を付けている。


「……ふぅ……この屋敷も久しぶりに思える……」


 ドアが開き、ヴィルがカップに入ったお茶を持ってきた。同時に鎖付きメガネ、長い髪を低いところでまとめたワンピースの10代後半といった年齢の女性が顔を出す。


「リテアも夜分に済まないな」


「おっしゃる通りです。非紳士的な行為をなさいますのね」


「許せ。事態が事態だからな」


 オーダは笑みながらヴィルが淹れてきたお茶に口をつける。


「では、私が捕縛されてからの話を聞かせてもらえるか、ヴィル」


「はい。まずこの屋敷は教団管理下となり教団傭兵団が出入りを塞いでいます。が、この村出身の傭兵が多いことには気づかれていないようです。おそらくですがオーダ様は部隊長と免税の取引でもなさったのではないですか」


「さすがヴィルだ。察しが早くて助かる」


「昼間は教団関係者が異端審問を裏付ける証拠書類をくまなく探しておりますので、このままだとオーダ様はまた発見され、捕縛されてしまいますね。私のあの部屋も捜索されました」


 あまり立ち入ったことはないが、リテアの部屋は山のように糸でつづられた紙が積みあがっており、床にまで散乱しているのが常だ。先祖代々書き記してきた迷子たちの記録。教団関係者はこの書類の山にも手をつけたに違いないが、担当者の心労を察して有り余る。リテアはオーダを見ながら眼鏡のチェーンを指でくるくる巻いている。当代リテアが考え事をしている時のクセだ。


「それなら一考がある。()()()()()の鍵を貸して欲しい。日中はそこに籠る」


「あんな黴臭いところへ行かれるのですか。けど今はそれしか選択肢がなさそうですね」


 リテアはペンダント風に身に着けていた鍵をオーダに手渡す。


「中のものは散らかさないようにお願いします。整理を私の一族へ任せっぱなしなのですから仕事を増やさないでくださいね」


「過去の迷子たちの記録を振り返りたいので、絶対の約束はしかねる。明日の夕暮れ、教団の役人が屋敷から出ていったら、アーカイブの外から合図をくれ。行動開始だ」


「いつも急ですね、母から聞いた通りです。わかりました。私もお供するのでしょうね」


「そういうことだ。実にすまないが、このお尋ね者と行動を共にしていただく。明日から暫く、またこの屋敷を空けることになるが、その間はヴィル、頼む。アルコが戻り次第、街道口と教会まわりの様子も聞いておいてくれ」


「かしこまりました。それと……オーダ様、明日の夕暮れ、出立する前にお湯あみをなさってください。今はあまりにも非紳士的な状態です。良いですね?」


「わかった、そうする。夕刻になったら湯の用意も頼む。そういえば、この屋敷への通行料として警護隊長のトビーに五年免税の取引をした。帳簿につけておいてくれ」


 オーダはそう言うとお茶を飲み干し、領館内の隠し扉から入れる地下へ向かった。


 領館地下、隠し扉の奥。人を拒むようにたたずむ書庫の前へとやってきた。リテアから預かった鍵を差し込み回す。ガチャリ、と錠が解ける音が響く。軋む音とともに扉を押し開け、入口にあるランプに明かりを灯す。明かりが安定していることを確認したのち、扉を閉め、内側から鍵をかけた。書庫(アーカイブ)。これはオーダの領土であるアペルティアで起きたことを約千年に渡ってリテアの家系のものが、延々と書き記したものの集大成だ。紙と、しないはずのインクの匂いが鼻をくすぐる。


 アーカイブの中は埃っぽいものの、整理と掃除が行き届いている。リテアに手当てを払わねばならんな、そう思いながらオーダはどの年代の記録に手を付けるか、一瞬迷い「清潔の迷子――シズク――記:リテア・ライト八代目」と書かれた記録を手に取る。思えばこれが教団と袂を分かつ切っ掛けだったのかもしれない。オーダは記録に目を通し始める。


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