市場に降る火の声
ルト=ヴェルシュ帝国領・第七交易区、《テリルの市場》。
賑わいはあったが、笑い声はなかった。
帝国による“文化統制”が年々強まり、民謡や旧語は姿を消し、誰も昔話を語らなくなっていた。
ナイアはその広場の中央、古道具屋の空き台の上に立った。
少し震えていた。だが、彼女の手には小さな巻物があった。
あれは、竜祠で老人・エルドと共に写し取った“火貸しの紋”。
祈りの言葉はすべてナイアの声に記憶されている。
――今ここで語らなければ、竜はもう二度とこの地で眠れない。
「ねえ、みんな。……ちょっとだけ、昔の話を聞いてくれない?」
その声は、小さくはあったが、真っ直ぐだった。
「この土地には、黒竜がいたの。
火を吹くけど、人は焼かなかった。
人が薪を集めて迷ったとき、竜はそっと、焔を貸してくれたんだって」
最初、誰も耳を傾けなかった。
だがその声に、不思議と人々は足を止め始めた。
「でも、ある日……帝国が来て、“火は危険だ”って言った。
そして竜の祠は壊されて、“火を借りて生きていた”ことを、みんな忘れさせられた」
ナイアは、胸元から紋を描いた巻物を広げる。
陽の光に透けたその線は、美しく、あたたかかった。
「私は……その火を、また届けたい。
誰もが、“燃やす”ためじゃなく、“灯す”ために火を持てるように」
言い終えると、広場は静かだった。
でも――ひとりの老婆が、静かに拍手をした。
そしてその拍手が、次第に増えていく。
「……久しぶりに、あの言葉を聞いたよ」
「うちのばあちゃんが、似た話をしてた……」
「火を貸す竜……懐かしい響きだな」
ナイアは、声にならないほど嬉しかった。
届いた。
この声は、誰かの記憶と繋がった。
だが――その瞬間、空気が変わった。
金属の靴音。
帝国の治安隊が現れたのだ。
「そこまでだ」
隊長格の男が前に出る。
「“未許可の歴史言及行為”および、“焚書対象言語の使用”により、拘束する」
ナイアが一歩引きかけたとき、
市場の中からアデルが立ち上がった。
「この者は、“語った”だけだ。
剣も、火も使っていない。……それでも、捕らえるのか?」
男は冷たく言い放った。
「“記憶”は火薬だ。
民を燃やす前に、火種を消すのが、我々の仕事だ」
ナイアが巻物を抱きしめる。
でも、逃げなかった。
「私は火薬じゃない。……火種よ。
灯すの。誰かの記憶を、誰かの声を。
燃やすためじゃなくて、“生きるため”に火はあるんだって、伝えたくて」
男が手を上げた――が、動きは止まった。
市場の民たちが、ナイアの前に立ちはだかったのだ。
「この子の話を、聞いてただけだ」
「語っただけで捕らえるっていうなら……
俺たちも、“同罪”ってことになるな」
声の波が、治安隊を押し返す。
ナイアは涙ぐんでいた。
これはミィナのときとは違う。
もう、“ひとりで叫ぶ”物語じゃない。
火は、確かに“灯された”。




