竜祠の火はまだ消えず
森は、静かだった。
シルレイ村から南へ一日。
帝国の地誌では“開発予定区域”と記された原生林に、ナイアとアデルは踏み込んでいた。
古木がねじれ、地表は苔に覆われ、
空気にはかすかに燻った香りが混じっている。
「この匂い……炭と、何か焼いたあとみたい」
ナイアが立ち止まり、鼻をすんと鳴らした。
「間違いない。人が火を使っていた場所の痕跡だ。……ここに、祠があった」
アデルが呟き、地図を折りたたむ。
二人が辿り着いたのは、小さな石の円形跡。
地面に埋もれた輪郭だけが、かつてここに建物があったことを示していた。
その中央には――祈りのために刻まれたであろう、
不思議な文様が残っていた。
「これは……帝国語じゃない。旧語でもない……」
ナイアがかがみこみ、指でなぞる。
そのとき、背後で枝が軋んだ。
「その紋を、覚えているのかい」
声は、老いていたが、確かだった。
二人が振り返ると、木の杖をついた盲目の老人が立っていた。
ぼろぼろの布を纏い、目元には布が巻かれている。
「……あなたは?」
「この地に祈りを捧げ続けた最後の一人。
私の名は、エルド。……“黒竜の耳”と呼ばれていた者だ」
彼の言葉に、アデルが息を呑む。
「本当に……生き残っていたんですね。“語り部”として訊かせてください。竜は……ここにいたんですか?」
「いたとも」
エルドは、静かに座る。
「竜は喰わなかった。焼かなかった。
ただ、見ていた。我々が森をどう歩き、火をどう扱うかを」
「竜語の祈りは? どうして消されたの?」
ナイアが問う。
「帝国が来たとき、最初にしたのは“火の記憶”の封印だった。
竜を信じる者たちは、“制御できない神話”として排除された」
エルドは、地面に残された紋を撫でる。
「この文様は、“火を貸す”という意味だ。
竜は、我々に火を貸してくれていた。……だが、帝国は“奪った”」
ナイアは胸が熱くなるのを感じた。
「それって、記録じゃない。ただ……“生きてた”ってことですよね」
「そうだ」
エルドは微笑んだ。
「語られなければ、記録ではなくなる。
だが“想い”は、語る者がいれば消えない。……君は、語る者だ」
その言葉に、ナイアは拳を握った。
「だったら私は、語ります。この竜祠のこと。
帝国が消そうとした“火を貸してくれた存在”のこと。
……これが、わたしの火です」
アデルが後ろから肩に手を置く。
「じゃあ、次は書こう。
“誰が、何を、どうやって燃やそうとしたか”を」
その夜、ふたりは焚き火のもとで筆をとった。
声はまだ小さい。火も弱い。
だが、確かにまた一歩、灯りが増えた。
焔は、消されても――
土の中で、ずっと燃え続けていたのだ。




