向こうのこと
「ああ、さっぱりしたわぁ。リヨちゃん、寝巻きありがとうねぇ」
店に戻り、蝙蝠の血と泥と汗でグシャグシャの吉仲がまず身体を洗う。
その後にシャワーを浴びたナーサが出てきた。
黒のローブから打って変わり、リヨリの明るい赤のルームウェアを着ている。
「うーん、やっぱり私のじゃキツかったね……」
赤の寝巻きは正面のボタンで止めるタイプだったが、胸が収まらず三つ目のボタンまで空き、きゅうきゅうに締めつけられた白い谷間が覗いている。
ズボンは履けず、腰にタオルを巻いている。歩くたびに太ももがチラチラと見えて艶かしい。
椅子に座っていた吉仲は、目のやり場に困った。
「そうねぇ。こんなに面白いことになるなら、泊まる準備してくるんだったわぁ」
ナーサが吉仲の前に座り、テーブルの上に置かれていた吉仲の魔法道具、おたまをなでる。吉仲は直視できず、宙空に視線を彷徨わせている。
「吉仲、私もシャワー浴びてくるから下ごしらえ引き継いでくれる?今血抜きしててさ、全体が濁ったら水を取り替えてくれれば良いから」
「お、おう!任せてくれ!」
「?……お願いね」
不思議そうな顔でリヨリが浴室へ向かう。吉仲は心の中でリヨリに感謝した。
たらいの中には切り分けられた内臓が水にさらされ、切り口からじわりと血が出ている。
じわりじわりと滲み出る血で徐々に水は淀んでいくが、変えるには早そうだ。しかしナーサの方が見れない吉仲は、切り口をじっと見つめるよりない。
「それぇ……そんなに見つめて楽しい?」
不意に聞こえたナーサの声に顔を上げる。
ナーサはカウンターにもたれかかり、吉仲を不思議そうに見上げている。
ちょうどカウンターに胸が乗り、ただでさえ強調されている谷間が二つの山のようになっていた。
吉仲は慌てて目をそらし、ボウルの中に視線を戻す。
「ま、まあね!」
「変な吉ちゃんねぇ」
ギクシャクと内臓がこぼれないようにボウルから水を出し、そして水を入れる。
気づけばナーサが吉仲の隣に立っていた。
「あ!そうだ!今血抜きしててさ!魔法で手早く出来ないのかな!?」
「血抜きは分かるわよぉ。うーん、そんなにピンポイントなのはちょっとねぇ……」
「そ、そうか!」
「それよりぃ……」
ナーサが吉仲に近づき、じっと見詰める。吉仲にはナーサが見返せない。距離が近くナーサの温かな吐息が顔に掛かる。吉仲は自分の早まった鼓動が感じられた。
「な、なに?」
「ヤっちゃんと同郷って、どういうことかしらぁ?あなたも異世界から来たの?」
思わず、ナーサの顔を見る。
「ヤツキちゃんよ。同郷人だってノームちゃんの前で言ってたでしょ?」
「……あ、ああ。うん。多分、ハッキリとは分からないけど、ヤツキも多分俺と同じ世界から来たんじゃないかな。俺と同じく行き倒れだったらしいし、ノームの言う同じ匂いってのもそれなら説明がつく。こっちの世界の料理に革命をもたらしたって新しい発想も、向こうの世界の知識からかも……まあ、俺は料理分からないんだけど」
いつの間にか鼓動は収まっていた。
「ふぅん、やっぱり吉ちゃん面白いわねぇ」
「ナーサは異世界……っていうか、俺が元いた世界のこと知ってるのか?」
ナーサがカウンターに座り直して頬杖をつく。胸が強調されるが、吉仲はあまり気にならなくなっていた。
「ヤっちゃんに何度か聞いたくらいかしらぁ。こっちの世界とは違う技術体系があるとか、ざっくりとはねぇ」
「リヨリは知らないのか?」
「あの様子だとぉ、リヨちゃんは聞いたことないんじゃないかしら?……ねえ、死んだ時ってどんな感じだったぁ?」
「え?死んだ時?」
再び、ギクリと心臓が高鳴る、今度は不快な感じだった。
「ヤっちゃんも詳しくは教えてくれなかったけど、向こうで死んでからこっちに来たんでしょう?」
向こうにいた時の最後の瞬間は、よく覚えていない。少なくとも働いていたとは思う。
普通に働き、接客していて、気づけば奥のベッドで寝ていた。
その間に、何か嫌なことがあり、そして、とても美味しい物や不味い物を味わったような気もする。混乱しているのかもしれない。
思い出さなければいけないことを思い出せないもどかしさと、思い出したくないことを思い出せない安心感。綯交ぜになった交錯した感情。不快な棘がチクリと刺さる。
「……覚えていないんだ、どうやってこっちに来たか。最初はこの店に来たイサを、向こうの世界の店のお客と勘違いしたくらいだ」
「へぇ……」
「最後はよく分からないけど、それ以外なら話せるよ。……あー、ただ説明が面倒くさそうだし、リヨリには話さないでくれないか?」
「ふふ、良いわよぉ?二人だけの秘密ねぇ?」
ナーサは不敵に微笑んだ。吉仲は不意に頬が熱くなる感じがした。




