第百四十三話 里帰り
――スロウ視点――
スノスカリフが死んでから数日が経った。
以前から崩壊寸前だった天樹会は、トップを失ったことで完全に機能を停止し。
それに伴って、各地で行われていた決闘や資源の奪い合いもピタリと止まった。
大森林全体が歓喜の声で満ちあふれ、みんながみんな喜びに踊り狂う……
なんてことを想像していたが、実際にはほとんどみんな疲れた顔をしていた。
腐ってもこの国をまとめていた大組織がなくなり、
今後どうなっていくのか、誰にも分かっていないのが現状だ。
あの日……最後にスノスカリフを見たとき、あいつは死にかけの状態だった。
半不死の呪いを手に入れて、致命傷すらもなかったことにしていたはずなのに。
にわかには信じがたいが半不死の呪いがなんらかの形で失われたのだ。
事実、あいつが死んだことは他の半獣人たちによって正式に確認された。
疑う余地はない。
でも、スノスカリフが使ったであろう、
半不死の呪いを得る手段がまだ残ってるんじゃないか?
そう思ってこっそりスノスカリフの根城だった場所に忍び込もうとしたが、
直前にセナに引き留められた。
「スロウさん、大丈夫ですよ。
本人も最後に言ってたじゃないですか。
『不死の力はもういらない』って。
信じてあげてください」
「うーん…………」
できればちゃんと安心できるようにしておきたかったのだが……
彼女が妙に確信している風だったので引き下がった。
「まあ、セナがそう言うなら……」
あの日、彼女とスノスカリフは二人きりでなにかを話していた。
その時になにか変化があって、改心したのかもしれない。
実際に、最後の瞬間のスノスカリフの様子は違っていたし。
――そんなわけで、セトゥムナ連合でのごたごたはひとまず一段落ついたのだと思う。
「……それで、魔物退治のほうはどうだったんだ? エフィール。
平原が魔物の死骸で真っ黒に染まった、とか、
世界の終末を思わせるほどの焼け野原だった、なんて聞いたけど」
木漏れ日の下を進みながら、肩を並べて歩いていた少女に声をかける。
天気は快晴。
湿気もほとんどなく、風は穏やかだ。
森林浴に最適な天候に恵まれた昼下がり。
あくびを漏らしていたエフィールが、こちらの発言を耳にするなり厄介そうに視線をよこしてきた。
「話に尾ひれがついてるわね……。
そんなに数は多くなかったわよ。
一番大きい群れでせいぜい百匹かそこら。
ベレウェルの黄金剣もあったし、苦戦するほどじゃなかったわ」
「はは、さすが。
『深紅の戦女神』なんて呼ばれるくらいだから、
そりゃもうすごい活躍だったんだろうなぁ」
「ちょっと!? どこで聞いたのよそれ!?」
「決闘者たちが言いふらしてた。
たぶん、討ち漏らしを担当してた人たちかなぁ。
エフィールのことずいぶん褒め称えてたぞ」
「もう、変なあだ名つけないでって言ったのに……!」
恥ずかしそうに頬を紅潮させるエフィールだが、
外されていたフードを被りなおそうとする様子はない。
エーデルハイドの魔人と呼ばれていたころを考えれば、
どちらが良いかなんて明白だろう。
完全に露わになった彼女の美しい髪色を見て、なおさらそう思った。
「ほかのみんなはどうしてるのよ。
セナとか、大剣持ってるあの大男は?」
話題を変えたいらしいエフィールが、まだ赤い頬を隠しながら強引に聞いてきた。
「セナは、里の立て直しに奔走してる。
ほら、フラントール族って天樹会から特に狙われてたでしょ?
住居とかいろいろ壊されたままみたいでさ。
同じ兎人族の人たちといっしょに走り回ってるらしい」
「でもあの子、まだ記憶喪失なのよね?
親しかった人たちのこととか分からないまま一緒にいさせて大丈夫なの?」
「セナ本人が望んだんだ。
詳しくは聞く時間とれなかったけど……
でも、なんか吹っ切れた雰囲気だったな」
このあたりは自分も意外に思った。
記憶喪失後のセナは割と自分本位なところがあったが、
最近は献身的に動いている印象が強い。
もしかしたら、スノスカリフとの会話で彼女のほうにも変化があったのだろうか。
「デューイは、たぶんどこかで寝てるかな。
なんだかんだあいつもずっと動きっぱなしだったし、
表には出さなかったけどけっこう疲れてたんだと思う。
……ま、ちょうどいい休息期間だよ。
どうせイストリアに向かうための『空飛ぶ舟』は復興に回されてまだ使えないし、
休めるときに休んどかないと」
「……あたしたち、けっこう歩いてるけど、これも休息に入るわけ?」
「森林浴さ。
悪くないだろ?」
「もう」と顔をそむけられたが、彼女はまんざらでもなさそうである。
二人して穏やかに笑いながら、木漏れ日の温もりに顔を近づけた。
いま、自分たちはどこに向かっているか。
具体的に場所を言うなら、
『セトゥムナ連合の北側』
『国境ギリギリの草原地帯』
である。
なぜそんなとこにエフィールと二人で向かっているかと言えば、
それはひとえに、ジェドフェン・エーデルハイドとの約束があるからである。
彼が魔人事件の架空の『真犯人』として罪を被った時、たしかに頼まれたのだ。
エフィールをその場所へ連れて行ってくれと。
天樹会をめぐるごたごたが片付いたこの瞬間でないと約束を果たせないと考え
こうしてテクテクと歩いているわけだ。
「……ジェド、いまごろどうしてるのかしらね。
きっとまだ別の都市へ移動してる途中よね」
「ああ。
大丈夫さ。ヘンリーさんだったらちゃんと真摯に向き合ってくれるはずだ。
あの人、魔人事件の真相をちゃんとわかってくれてるから」
「……」
少しだけ伏し目になったエフィールを気にしつつ、歩みを進めていく。
いつの間にか色濃かった森林の密度が低くなっていき、
代わりに開けた草原地帯が顔をのぞかせるようになっていた。
「ジェドがあたしに見せたがってたもの、何かしらね」
ふと横に目をやれば、エフィールが伏し目がちのまま笑っていた。
草原地帯に足を踏み入れてしばらく歩いていると、
小さな集落が目に入ってきた。
別になんてことはない。このあたりに住んでいる半獣人たちの住居だろう。
今までに目にした集落とは建築様式が根本的に異なっているようではあるが……。
しかし、その集落を見た瞬間に、
エフィールの様子が変わったのが見て取れた。
「どうした?」
「……」
「――ちょ、ちょっと!
待って!!」
急に走り出したエフィールのあとを追いかけ、
集落の中へと入っていく。
突然やってきた来訪者に驚いたのであろう。
外に出ていた住民らしき人物と、顔を合わせる。
彼は、半獣人ではなかった。
鮮やかな赤い髪の持ち主……。
「……!」
彼が目を見開いたのと同時に、
異変を感じ取ったのであろう、いくつもの小さな住居のなかから
赤い髪の男女が外に出てきた。
「みんな……!」
全員が、エフィールと同じ髪色。
そして驚いたようなこの反応……。
ここは、生き残ったエーデルハイド族の集落だったのだ。
――――――――――――――――――――
「……お茶でも飲みますか?」
「あ、ありがとうございます……」
「……」
集落の中で一番大きい住居に案内され、
無言のエフィールと並んでおずおずと座る。
住居とは言っても要するにテントだった。
エーデルハイド族はもともと流浪の民だという話だから、
簡単に移動できるように天幕を基本とした住まいになっているのだろう。
ひとつだけしかない部屋を仕切りで区切って分けているようだった。
天幕内は独特だがどこか落ち着く匂いがして、温かかった。
装飾や服装は地味で目立たない色合いのものが多い。
調度品もひどく質素だ。
節約しながら暮らしているのだろうなと思った。
代わりにエーデルハイド族に特有に赤髪がよく映えるが、これはきっと意図したものではないだろう。
きれいに整理された衣類や道具のなかには
半獣人たちが使っているものが混ざっていて、
この国での暮らしになじめるようにアレンジを加えているのかもしれないと思った。
「はい、どうぞ」
「い、いただきます……」
「……」
気まずい思いをしながら、差し出された熱いお茶に口をつける。
舌をやけどしそうだがおいしい。
いまだに無言のまま茶碗を抱えているエフィールから視線を外して、
目の前の人物を見やる。
いまお茶をくれたこのおばあさんがこの集落の長という立場なのだろうか。
彼女に加えて六人の大人が座っていて、中心に置かれた火鉢を全員で円になって取り囲んでいる形だ。
正直、すごい圧迫感を感じる。
エフィールはまだひとことも口を利かないし、
周囲の大人もみんな顔を俯きがちだ。
なんだったら入口のあたりからエーデルハイド族の方々に様子をうかがわれてる気配がする。
たったいまお茶を飲んだばかりなのにすぐ喉が渇く気がした。
「ここへは、どうやって?」
対面に座るおばあさんからゆっくりと聞かれる。
おそらくエフィールに向かって話したのだと思うが、
本人が目をそらしたまま十秒、二十秒と長く沈黙と続いたので、
耐えきれず代わりに答えることにした。
「ジェドフェン・エーデルハイドから、
この場所を訪れるように言われてきました。
エフィールをこの場所へ連れて行ってほしいと」
「ジェドは?」
「……たぶん、もう来れません」
「そうですか……。
ところで、あなたは?」
と、自分に視線が集まって息を呑んだ。
このままエフィールを差し置いといて自分だけ喋りつづけてしまっていいのかと悩みつつ、けれど質問には答えないと失礼だと思って口を開いた。
「エフィールと長く旅をしてきたものです。
魔人事件のあとからずっと一緒にいたわけではないですが」
「……」
「……す、すいません……俺がいると邪魔ですかね……。
ちょっと外で待ってるので――」
立ち上がろうとすると、そっと手首を掴まれた。
エフィールだ。
そっぽをむいてはいるが、手がすこし震えている。
「……」
無言で座り直す。
お茶に手をつける気にもなれず、彼女の手を黙ったまま握り返した。
「エフィール。
その、いままで、どうしてた?」
長い沈黙を破ったのは、左前方に座っていた初老の男だった。
「ずっと旅してた」
「そ、そうか」
「……」
「……」
「みんなは、どうしてたの?」
「……お前のことを、探していた」
「そう」
手元にあった茶碗はいつの間にか冷めていた。
一口だけしか減っていないお茶を静かに見つめつつ、
耳だけはエフィールたちの会話を追っていた。
「……あたしを探し出して、どうするつもりだったの?」
エフィールが、まだ一度も口をつけていない満杯のお茶を少しだけ揺らしながら聞いた。
「……分からない」
「分からない?」
「ああ」
「……」
「……」
「……お前と会うのが、怖かった」
答えたのは別の男だった。
寡黙そうなその男がエフィールとほとんど同じ姿勢でうつむいていると、
今度は右前方に座っていた壮年の男が身を乗り出す。
「エフィール、私たちは」
「分かってるよ」
「……分かってるのか」
「分かってる」
「……エフィール」
「うん」
「その弓、大事にしてくれたんだな」
ぴくり、とつないでいた彼女の指が動いた気がした。
彼が話題に挙げたのは、他でもない、エフィールが愛用していた弓の魔法道具だ。
「よく手入れされてる」
「……ん」
「ずっと背負ってくれていたんだろう」
「……ん……」
鼻をすする音が聞こえた瞬間に、全員が同じことを考えたのかもしれない。
みんなでまったく同じタイミングで茶碗を口に運び……
そして「びちゃびちゃ」と間抜けな音が静かな天幕内に響き渡った。
自分以外全員がお茶をこぼしていた。
誰ひとり、一口も口をつけていなかったので満杯のままだったのだ。
震える手で茶碗を持ち上げたせいで中身がこぼれ、良い香りのする液体のシミを床に八つほど作ることになった。
「みんな……お茶、こぼしすぎじゃない?」
「あら……」
「……」
一番多くこぼしたのは対面に座っていたおばあさんだった。
おしとやかに頬に添えた左手が異常にふるふる震えている。
少し固まったあと、みんなで変な顔を突き合わせて薄く笑うことになった。
――その日は一晩、集落に泊まることになった。
魔人事件で暴走した同胞たちを手にかけて逃げたエフィールと、
魔人事件を起こしておいて自分たちだけは生き延びた大人たち。
互いに間違いを犯し、互いに逃げてしまった彼らの間で、
何かが変わり始めたことは確かなのだと思った。




