茶会①
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今日は学園は休みだ。
しかし家で母上と──というわけにはいかない。
サリオン公爵家に用事がある。
行きたいか行きたくないかで言うと無論後者なのだが、先方の先代当主が母上と話をつけて、エスメラルダと俺の婚約に関する話を進めたそうだ。
まあ簡単に言えば二人の仲を進展させたいと先代当主が希望し、とりあえずお茶会でもという感じになったらしい。
エスメラルダとの婚約について、俺から反発するということはない。
母上が決めたことならそれに従うまで──だが。
エスメラルダと結婚したいという想いは全くない。
まあ見どころはある。
毛並みが良く躾も行き届いているからといって、犬や猫を伴侶として見る事ができるかという話だ。
だがまあ他家との交流も役目の内。
母上が俺にエスメラルダの婚約者としての役目をお望みとあらば、俺は全身全霊でそれに応えよう。
◇◇◇
この日を楽しみにしていた──というには話が決まるのが少々早すぎた。
おじい様は決断即行動の人だから仕方ないけれど。
私は自分の心情をうまく言語化できないでいる。
……朝からずっと、ざわざわとしっぱなしだった。
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剣術大会のときの事は今考えると私は少しどうかしていたとおもう。
ただ後悔しているかと言われれば、正直どうなんだろう。
恥ずかしいという気持ちは確かにある。
だけどしてよかったという気持ちもあった。
あれで私も自分の気持ちを自覚できた。
ハイン様は心には心で応えてくださる方だと分かったからだ。
少しでも剣先がずれていたら私は多分死んでいた。
逆に、少しでも私の剣先が深く食い込んでいたらハイン様は死んでいただろう。
でも私はハイン様が決して死なないことを信じて本気で剣を刺し出したし、ハイン様も私が死なないことを信じて、きっと本気で私の体を突き刺した。
互いに互いを信頼していなければどちらかが、もしくは両方が死んでいただろう。
私はハイン様に見下されてなんかいなかったのだ。
それまでの私はハイン様にどこか反発心を抱いていた。
見下されているという気がしていたけれど、それは勘違いだった。
確かに少しぶっきらぼうな所はある。
冷たいというか何というか──ただ、内面は思ったよりずっと誠実で熱い方なのかもしれない。
ハイン様の剣が私の体を貫いたとき、私のわだかまりもまた貫かれ──そして消えた。
あの日以来、私は無意識に自分のお腹に触れる事がある。
ハイン様がつけてくださった傷跡に。
消そうとおもえば消せるとのことだったけれど、私は癒師の申し出を断った。
これは印なのだ。
ハイン様が私につけた、私だけの印なのだ。
◇◇◇
「お嬢様、そろそろハイン・セラ・アステール様がお着きになります」
控えていた侍女にそう言われたとき、私は思わず息が詰まった。
ああ、ついにこの時が来てしまった。
落ち着いて、と自分の心に言い聞かせながら椅子から立ち上がり、庭へと向かう。
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ハイン様はすでに中庭へと通されていた。
しきりに庭を見ていらっしゃるようで、私にはまだ気づいていない。
「ハイン様、今日はよくお越しくださいました」
私が声をかけると、ハイン様はゆっくりとこちらを振り返る。
真っ昏な瞳──かつて私はその目が怖かった。
まるで人の、底知れぬ悪意を凝縮したような目だと思ったことがある
でも今は違う。
よく見ればほら、ハイン様の瞳は闇色なんかではなく、濃い──とても濃い紫紺色なのだ。
まるで夜天の様な、それはそれは綺麗な瞳なのだ。
◇◇◇
「ハイン様、今日は……その、貴族の気取った会話とかは気にしないで、ゆっくりお茶を楽しんでくれたら嬉しいと思っています」
自分でも、こんな言葉しか出てこないのがもどかしい。
なぜ私はこう、気の利いたこと一つ言えないのだろうか。
けれど、ハイン様は表情ひとつ変えずに軽くうなずく。
「ああ」
それだけだった。
でも、それだけで十分という気がしてしまう。
私は彼に席を勧め、侍女が淹れてくれた茶をテーブルに並べさせる。
角砂糖の皿は上品な飾り付きで、カップもサリオン公爵家の紋章が入っている。
恥ずかしいくらいに格式ばっているが、そこは家柄ゆえ仕方がない。
「如何でしょう、西方はユグドラ公国から取り寄せた茶葉なのですが」
「結構なことだな」
まるで素っ気ない返事だけれど、その手はカップを握ったまま。
きっと飲みにくくはないのだろう。
ハイン様は言葉ではなく、行動でお気持ちを示す方だと私はもうわかっている。
「そういえば気になる話を聞きました。ハイン様があのオイゲン副魔術長と杖比べをしたのだとか……」
これは最近帝都で噂になっている。
なんでもオイゲン副魔術師長に気に入られて、弟子入りの為に杖比べをしたところ、ハイン様が圧倒的な実力を見せつけたのだとか。
……正直複雑な気分だ。
いや、ハイン様が実力を示したことがではない。
私がオイゲン副魔術長を余り好きじゃないからだ。
以前お父様に連れられて一度お会いしたことはあるけれど、なんというか目が嫌だった。
舐めるような視線というのだろうか。
当時の私はまだ10にもなっていなかったけれど、あれは子供に向けてよい視線ではない気がする。
それからというもの、オイゲン副魔術長からは直接魔術の手ほどきがしたいと書簡が来ていたけれど、おじい様にお願いしてすべて断ってもらった。
お父様が乗り気だったのが本当にうんざりだった。
「したな。で?」
ハイン様はそういって、彼は一度まばたきをした。
まつ毛が長くてうらやましい。
……って、そうではなくて、そう、杖比べのことだ。
「そ、それで……弟子になるのですか?」
「なぜ?」
ハイン様の返事は端的だったが、ほんの一瞬目が細められたことで余り機嫌が良くないことが分かる。
「いえ、他意はありません」
「エスメラルダ嬢は彼をどう思う」
今度はハイン様からの質問だった。
これは──どうこたえるべきだろうか。
好きではない──いや、はっきり言って嫌いだ。
しかしそれを口に出して良いものかどうか。
逡巡していると、ハイン様が「俺も、そう思う」とだけ言って中庭に視線を遣る。
まるで私の心を読んだかのような態度に、私は一瞬息を呑む。
なぜ私が考えていることが分かったのか──
読心の魔術なんてものがあるのだろうか。
私がそんなことを考えていると、ハイン様が再び口を開いた。
「顔を見れば劣……れっ……」
──れ?
「表情を見れば誰でも分かる」
私はそんな顔に出ていただろうか。
いや、それよりも。
ハイン様はやっぱり私の事を見てくれている。
そう思うともうハイン様を直視できなくなってしまった。
「ハっ……ハイン様は、その……」
どうしても聞きたい事がある。
聞くのが怖いけれど、私はいま、どうしても答え──というか、ハイン様の考えが聞きたい。
口がうまく回らなくて、どもってしまって。
でもハイン様はじっと待ってくださっている。
「ハイン様、は……この婚約について、その、どう思っているのでしょうか……」
ついに聞けた。
本当は嫌だったりしないだろうか。
ハイン様の答えは──
「おお!! これはこれはハイン殿! よくお越しくださいましたな!!!」
無作法で不調法で粗忽で粗野な、お父様の声が響いた。
この、男ッ……!




