親孝行
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愛とは相手のすべてを受け入れる事ではない、相手を許すことだ。
なぜ俺がいきなりそんなことを言っているかというと、母上が俺に試練を与えたからである。
それはただの試練ではなく、俺に大いなる苦痛を与えるものだった。
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「ハイン殿、お分かりですかな? 魔術とは尊き者の特権──であるからして、それは貴族に於ける純血と同様に、純粋性を保っていなければならないのです」
「はあ」
さっきから俺はオイゲンという個体名の劣等生物の話を延々と聞いている。
こいつが言いたいのは要するに、“魔術の種類がたくさんあるのは許せないなァ”ということだ。
魔術は数多くの種類、そしてそれ以上の数の流派がある。
十二公家の血継魔術、根源魔術、精霊術、刻符術、降霊術、変容術──
うんざりするほどあり、それらの総称を魔術と呼ぶ。
そして流派とは、その魔術の種類に対しての理解の違いに過ぎない。
例えば火を出す魔術が使いたい場合、火の発生という結果にどうアプローチしていくかは魔術の種類と流派によって異なってくる。
火にまつわる伝承や逸話を元に火を生み出したり、空気中の塵などを火種として燃焼させたり、実際に世界のどこぞで燃えている火を喚びだしたり、方法は色々とある。
それをこの劣等は全部一つにまとめたほうがいいよね、だって俺の納める魔術が一番エライから! ──などと言っているのだ。
そこには何の合理性もなければ正当性もない。
まさに劣等による劣等の為の劣等的な論であった。
これが試練ではなくて何が試練なのか。
母上がぜひ話を聞いてみたらというので聞いているが、耳が腐ってしまいそうである。
「ハイン殿、貴殿はどう思われますかな?」
「狂っていますね」
──貴様が
「そうでしょうそうでしょう! 狂っているのです! 十二公家であるハイン殿には耳が痛い話になるかもしれませんが、根源のそれこそが万象をつかさどる唯一の魔術なのですよ!」
根源魔術は数多くの魔術師が修めているもっとも広く知られている魔術だ。
理由はシンプルだからだ。
火を出したり水を出したり風を吹かせたり。
そうしたいかにも魔術っぽい事を簡単なアプローチで実現できる。
例えば攻撃魔術としてもっともよく使われる火などは、古の時代、どこそこの偉大な魔術師が恐ろしい魔物と対峙した際にこんなすごい火を出しましたよなどという逸話は腐るほどあるので、そこら辺の逸話に対して自分なりにどんな火だったのかというイメージを高めて、あとは魔力を流すだけである。
魔力は誰でも有している力で、“力の出し方”さえ感覚としてつかめていれば流すことは難しくない。
ちなみに十二公家の血継魔術は何も特別なものではないのだが、長く歴史を重ねていく過程で“〇〇家という貴族家にしか扱えない特別な魔術”という意識が凝り固まって生まれたもの──だと俺は思っている。
「宰相殿には私の理想をよくよくご理解いただいていましてね、いずれはこの辺りも統一へ向けて動いていけたらと思っているのですよ」
「弾圧を加えるのですか?」
俺は言葉を衒うことなく疑問をぶつけてみた。
別に責めているわけではない。
力ずくというのは最もプリミティブで、最もフィジカルで、最もフェティッシュな業である。
加減が大事だ。
加えてやる力が強すぎれば相手を従えるどころか死滅させてしまうし、弱すぎれば舐められる。
この如何にも低能な男にその辺の技術があるのかどうか気になるから聞いてみた。
──が。
「……ふむ、それは少々人聞きが悪い言い方ですな」
「それは失礼しました」
「もしや、ハイン殿は魔術を統一することに思うところがあるのですかな?」
もちろんある。
「魔術太祖マーリンは多様性こそが魔色を深めると書いておりましたが」
魔術太祖マーリンは根源魔術の祖である。
俺も彼の、あるいは彼女の言をまとめた書を多く読み知見を深めてきた。
母上が本をたくさん読みなさいねとおっしゃったから、もう本当に沢山たくさん読んできたのだ。
「ほう、マーリンの書を嗜んでいるようですね。しかし残念ながら太祖マーリンは確かに偉大な魔術師ですが、その魔術理論は誤っているものも多いのです。多様性など、魔術の神秘性を薄れさせる雑味でしかありません」
言葉選びを間違えたな。
この劣等が根源魔術がお好みのようだからわざわざ名前を出してやったのだが。
なるほど。こいつは根源魔術が好きなわけではなく、自分が好きなのだ。
好きな自分が扱う魔術が根源魔術であるので、だからそれ以外はクソだと言いたいわけだ。
なぜ母上はこんな劣等と話せと──はっ!?
遅ればせながらこのハイン、母上の御心がよくわかりました。
俺はこの劣等の話を聞くためにここへ送り込まれたわけではなく、この劣等を排除するために送り込まれたのですね。
◆
「誤っているというより、マーリンの原典自体が多義的なんですよ。『初源記』では火の創出の際に“層化分割”という術式概念を提唱しています。しかし一方、『光の鎖』では“束ね合い”という術式概念で火の創出を説明しています。両者は手続きが似て非なる上に、導かれる結果が同じである事から当時の学者たちも議論に難儀したそうです。私はマーリンの論は嫌いではありません。十分な解釈の余地があるということは、自分なりの形へと改変できる余地があるということですからね」
劣等は急にぺらぺら語りだした俺を怪訝そうな表情で見ている。
だがそれでいい。
「オイゲン様、ご存じの通り、根源魔術の慣例では、火を生み出す際に“火”そのものを象徴的に呼び込む手順が主流でございます。多くの術者は特定の火神や炎霊の伝承を呪式の拠り所とし、そこに概念的な『火属性』を貼り付けて魔力を流し込むことで、実際の現象として燃焼を起こすわけです。要するに、事前に“火”を観念化することで、魔力を最短経路で熱や光へ変換しているのです。しかしそれは、マーリンの『多層結像論』で説かれる“位相接合”を使いこなせていないとも言えます」
「あ、ああ……まあ、『多層結像論』は私も読んだが……そうだな、三か月ほどで理解できたな、うん……」
「それは素晴らしい!!!! 私は10分で理解しました。私の場合は火を単に燃える現象の形で呼び出すのではなく、魔力波を空間に多重干渉させて、界面に一種の“燃焼準位”を構築しているのでございます。具体的にはマーリンが提唱した『異位階層の再帰的束縛』から着想を得て、火の本質を“周囲の空気を分解し、その化学結合を組み替える過程”として捉え、逐次の演算で核となる分子振動を意識空間と同期させております。そのため火を生じさせるたび、私の脳内では仮想的な分形操作が同時に走り、界面を定常波で凍結しながら燃焼反応を安定化する仕組みになっております」
ここで少し待ってやる。
必死で理解しようとしているのか、しきりに目を動かしたり口ひげをいじったりしている。
茶がないのが残念だ。
俺の趣味は劣等の無駄なあがきを見ながら茶を楽しむことだからだ。
「もちろんこれは一般的な魔術手順とは比較にならぬほど困難を伴います。火の観念をただ呼ぶだけなら、魔術師であるならば容易にできましょう。しかし私の方式では毎度空間張力から時の位相まで数十もの要素を演算し、互いにぶつからないよう整合を取り続けねばなりません。ほんの僅かなずれが生じても、燃焼力が不安定となって私や周囲を巻き込みかねないのです。ですが、この労力に見合う恩恵は絶大です。いったん燃焼準位を確立すれば火の温度や形状を自在に制御できます。観念にまつわる逸話選びなど不要なのです。お分かりですか? お分かりですよね? 攻撃のみならず鋳造や工学分野へ応用するのも容易である──その有用性を。高精度の火炎操作と莫大な応用範囲を得る代わりに、常人には到底まねできぬ精神演算を強いられている──それが私の火術であり、マーリンの論から学んだ最大の利点なのでございます」
◆◆◆
──おのれ、小僧が何を得意げに
オイゲンは内心で歯噛みした。
怒り心頭甚だしい。
オイゲンは歯噛みしていた。
ほんの先ほどまで彼は、ハインという若造を内心見下していた。
ところが実際に言葉を交わしてみれば、マーリンの諸著作を自在に引き合いに出し、さらに自分が三か月をかけて首を捻った『多層結像論』をわずか十分で理解したなどと軽々しく言ってのける。
──口だけは回るようだな
それにハインの言葉には妙な棘があった。
慇懃無礼というのか、どこかオイゲンを侮蔑しているような響きがある。
十二公家の嫡子である事を差し引いても、あまりにも横柄ではないか。
「ま、まあそれなりに学んできてはいるようですなッ……!」
オイゲンは勢いよく咳払いをしながらそう吐き捨てた。
貴族というのは元来弁が立つものが多い。
ハインの弁もいわゆるビッグマウスの類だと決めつけた。
「しかし机上の論では意味がありませぬぞ。どれだけ複雑な論を語ってみせようが、実践できなければすべては無意味なのです」
するとハインは、まるで心底同意するようにふっと微笑んだ。
「仰る通りです」
だが、その目。
ハインの目がその内心を大いに表しているのだ。
──くそ……! この小僧、私を見下しているな……!
オイゲンは血の気が頭に上るのを感じつつも、なんとか自制した。
「で、では!!」
声がやけに上ずった。
咳払いをもう一度繰り返して気を取り直すと、オイゲンはテーブルに手を置いて身を乗り出す。
「そこまで学んでいるというのなら、その研鑽を見せていただきたいものですな。言葉ではなく、実際の行使によって証明してもらいましょう。……つまり、杖比べです」
杖比べ。
それは魔術師同士が決闘まではいかない範囲で力をぶつけ合う模擬戦を意味する。
二人の魔術師が一定の距離を取り、おのおの杖ないし術具を構えて攻撃・防御を繰り返す。
相手を大きく消耗させたほうが勝ちという単純な仕組みである。
ただ、負ければ沽券にかかわるため貴族間ではあまり行われないが。
基本的には魔術の師とその弟子が行うようなものだ。
オイゲンの本音としては、「どうせ怖じ気づいて断るだろう」という期待があった。
いくら大口をたたいても、所詮は頭でっかちの小僧。
帝国副魔術師長である自分の相手になるはずがないと。
まかり間違って話を受ければ蹴散らしてやればいいし、断ってくれば弱腰を嘲笑う事もできる。
どちらに転んでも、オイゲンにとっては悪くない話だ。
だからこそハインがあっさりと応じてきた時、オイゲンは一瞬言葉を失った。
「そういうことでしたらお受けいたしましょう」
先ほどまでの淡々とした雰囲気と変わらず、まるで朝の運動にでも応じるかのように軽く返事をしたのだ。
「ほ、ほう……自信がおありのようだ。言っておきますが私の業は肩書以上のものがありますぞ? 副魔術師長という位は飾りではありません」
オイゲンは啖呵を切りながら自分を落ち着かせようとする。
かすかに手のひらに汗が浮かんでいるのを感じた。
「胸をお借りするつもりで挑ませていただきます」
にこりと微笑むハインの顔が小憎らしい。
「くっ……では、日をあらためて場所を用意いたしましょう。あまり狭い場所では危険が伴いますからな。こちらで改めて連絡を差し上げます」
オイゲンの言葉に対して、ハインは「よろしくお願いいたします」と静かに頭を下げる。
こうして会談は終わった。
ハインが部屋を出ていくと、オイゲンは残されたテーブルを握りしめ、今にも破壊しかねないほど強く殴りつけた。
「あの小僧め、言わせておけば! 見ていろ。公衆の面前で命乞いをさせてやる!!」
叫び、机を殴り。蹴とばし。
それでも収まらないので侍女を呼びつけて暴力的に抱いた。
どこまでも卑俗な男──それがオイゲンである。
ただまあ、副魔術師長という位が飾りではないというのは本当なのだ。
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一方、ハインは馬車に揺られて邸へ帰る道すがら、車窓から外を眺めながらうっすらと笑みを浮かべていた
──よし、これで合法的に排除できる。公衆の面前で命乞いでもさせてやれば面目は丸つぶれだろう。母上は喜んでくださるだろうか。ああいう劣等も、のさばらせておけば後々の治世での癌となるからな。ああそうだ、事故に見せかけて殺してしまってもいいのかどうか聞いておかないと
そんなことを考えながら。




