星辰魔術
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最近、犬畜生どもにやけになつかれている気がする!
連中の外見は様々だ。犬耳をぴこぴこさせている奴もおれば猫耳をぱたぱた折り曲げている奴もおり、兎耳をぴんと立たせている奴もあれば狐耳を僅かに震わせている奴もある。種別は実に多彩だが共通しているのは、皆一様に俺の方を見て何やら期待めいた眼差しを放ってくる事だ。
何に期待しているかはおおよそ察しがつくが、勝手に期待する連中は勝手に失望するものだ。そういったあれこれがまかり間違って母上への誹謗や中傷にならないうちに、この柔な連中をひき肉にしてしまうべきか?
予防抹殺というやつだ。
──などと思っていた時代もあったな。
俺は過去の未熟であった自分を想い、苦笑してしまう。
ちなみに今は昼休みで、俺は中庭の片隅にある古い石のベンチに腰を下ろし、瞑想をしている最中であった。瞑想は俺の日課である。魔術における重要な修行の一環だ。
母上への愛ももちろんだが、俺はこの瞑想という精神の鍛練で少しずつ成長していっているのだ。
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理解る──理解るぞ。俺という存在が少しずつこの現世から乖離していくのが。
肺が止まり、心臓が止まり、外界の音と光が一枚一枚剥がれて落ちていく。最後に残るのは一点の光──母上への、愛!
母上が今朝俺の頬に触れてくださった、その痕跡。それを灯火として俺は更に深いところへ降りていく。この灯火がなければ俺は二度と己の内的精神世界から這い上がってはこれないだろう。
それだけ深い場所へ沈んでいくのだ。
見よ、あの星の煌めきを。
あの輝きの一つ一つが別の世界──別の可能性。
そこには別の俺がいる。
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屍が積み重なっている。
無数の俺の屍だ。
ある俺は剣で胸を貫かれて死んでいる。ある俺は黒い瘴気の中で哄笑しながら全身を剣に貫かれて殺されていた。ある俺は学園の図書室で病に伏したまま冷たくなっている。恐らくは毒殺か。ある俺は剣術大会で敗れた屈辱に堪えかね自らの喉を突いている。ある俺はアステール公爵邸の自室で倒れて死んでいる。背に短刀が刺さっているところを見ると暗殺か。アゼルの奴に殺されている俺もいるし、大軍に囲まれて自爆した俺もいた。
あらゆる死に方をした俺がそこに在った。
最も古い俺は、まだ嬰児であった。母上の腕の中で殺されていた。覗き込んだ俺の目に映ったのは、震える手で枕を押し付けてくる母上の顔だ。涙と恐怖と諦めの混じったその表情は、俺が知る母上のそれとは別人のそれであり──それでも紛れもなく母上であった。
それらの俺はすべて俺であって俺ではない。
俺であって堪るかという想いもある。
力を持ちながら無為に朽ちている。
狂った獣のようにただ破壊だけを成し、最期には己も破壊されるのだ。
まさに劣等!
俺は積み重なった俺の屍を一つ一つ眺めて回った。眺めるほどに腹が立ってきた。お前ら何をしているのだ。お前らに与えられた力は何のためのものだったのだ。お前らが生まれてきた意味は何だったのだ──と問い詰めようにも、屍は答えぬ。屍は屍である。
俺と、俺だった者ども。
その差は一体何処にあるのか。
考えるまでもない。
答えは初めから分かりきっていた。
母上だ。
俺だった者どもは母上の愛を知らぬまま死んでいったのだ。あるいは知る前に死に、あるいは知る術を持たずに死に、あるいは知ろうとせずに死んだ。彼らの目には母上の温もりが映ってはおらず、彼らの頬には母上の指先の感触が残ってはおらず、彼らの耳には母上の声の残響が残されてはおらぬ。
愚かで哀れな劣等たる俺共よ。
我が愛の元に集うがいい──。
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屍の山が薄く光り始めていた。
光は屍の表面から滲み、糸のように細く立ち上り、俺の方へ──正確には今こうして瞑想している現実の俺の方へ──ゆっくりと流れてくる。河の流れのようでもあり、霧の漂いのようでもあった。一筋一筋は弱々しい光だが、無数に重なれば確かな質量を持って俺の中へ流れ込んでくる。
消えた俺が、俺へ収束してくる。
無数の俺がそれぞれの世界で朽ち、朽ちる時に放つ最後の意識の光が──遠い空間と時間を越えてこの俺へ集まってくる。
俺は感じる。
今こうしている間にも、無限に等しい数の俺が、無限に等しい世界の中で朽ちていくのを。
死んだ俺は世界から消える。世界から消えた俺はやがてこの俺の元へと収束していく。
幾つの俺が消えたのか俺には数えられぬ。今この瞬間にも何処かの世界で俺が一人、また一人と倒れている。
倒れた俺は俺へ流れてくる。
彼らの生涯の悔いと力が、俺の血の中へ注がれてくる。
そう、俺の力とは無数の俺の遺した力の合算なのだ。
アステール公爵家に伝わる血継魔術──星辰魔術とは、星を喚ぶ魔術ではない。己が星となり三千世界を遍く照らす業よ。弱き者、すなわち俺以外の俺が最も強き者──俺に集う。
言っている意味が分かるか?
俺も最近まで分からなかった。
しかし、自身という存在を余す事なく他者──俺の場合は母上へ捧げようと思えば、今の自身のみでは慊りない事に気付くはずだ。そこからあらゆる可能性を考えればこの世界が多くある世界の一つという事に気付くはず。
屍の山が薄く溶けるように崩れ始める。
収束が収まった時、俺の中で何かがぴたりと収まる感覚があった。
欠けていたものが埋まる感覚に近い。だが欠けていたわけではない。元から俺は何も欠いてはおらぬ。これは欠落の補填ではなく、もとより俺のものであった力が、迷子の旅から帰還してきただけの話である。
お帰り──。
俺は内心で呟いた。
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瞼を開ける。
中庭の光が眩しい。鈍い春の陽が石のベンチを温めており、エスメラルダの顔が真上にあった。俺と目が合うと一瞬だけ視線を泳がせ、それから咳払いをして表情を作り直している。
「お目覚めですか?」
「ああ」
どうやら自身の脚に俺の頭を乗せていたらしい。俺はそれを膝枕と呼ぶ事を知っているが、これは似て非なるものだ。なぜなら母上のそれが正統なものであり、エスメラルダのこれと一緒にするというのはやはり抵抗がある。
──適切な名称を考えておかねばなるまい。
俺はそう決めて、すぐに忘れた。
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エスメラルダは「さて、次の講義が始まるな。貴様も遅れないようにしろよ」と優等生めいた事を言って去っていくハインの背を見送り──頬をやや紅潮させ、己の唇にそっと指を当てた。




