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悪役令息はママがちゅき  作者: 埴輪庭
第1章「ママが好き」

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冒険者になろう!⑪

 ◆


 眼下に広がるのはただ白いだけの退屈な景色だった。


 大氷原──名前だけ立派だが要するに巨大な氷の塊だ。太陽の光を反射してやたらと眩しいのが腹立たしい。


「目標のフロスト・ワイアームについて、改めて情報を整理いたします」


 フェリは心得たもので、俺が何も言わずとも必要な情報を簡潔にまとめてくる。


 特に教育した覚えもないのにこれである。最初は読心術でも使っているのかと思ったのだがフェリが言うには長年の奴隷経験で顔色を窺うのが得意になったとのことだった。


 何事も経験というやつだな──まあ、四肢を断たれて劣等共の玩具になる経験などしないほうが良いに越したことはないが。


「フロスト・ワイアームはその名の通り氷雪地帯に生息する大型の地竜種です。普段は分厚い氷床の下に潜んでおり、体温を極限まで下げることで気配を消しています」


「ふむ」


「獲物を察知する方法は主に二つ。一つは氷上を移動する際の微細な振動。もう一つは音です。彼らの聴覚は非常に鋭敏で、数キロル先の足音すら聞き分けると言われています」


 なるほど。要するに、氷の下に隠れている巨大なミミズというわけか。劣等らしい、姑息な生態だ。


「そして獲物が真上を通過した瞬間、氷床を砕いて襲い掛かります。その顎の力は凄まじく、鋼鉄の鎧すら容易く噛み砕くとのことです」


 フェリの説明を聞き終え、俺は小さく頷いた。


「理解した。降りるぞ」


 俺たちはゆっくりと高度を下げ、氷原の上に降り立つ。


 さて、どう料理してくれようか。


 目的が殺すことだけなら話は簡単だ。この一帯をまとめて消し飛ばす範囲魔術の一つでも使えばいい。それこそ、星の一つでも落としてやれば、フロスト・ワイアームどころか、この大氷原そのものが地図から消え失せるだろう。


 だが今回はそういうわけにはいかない。討伐の証明として、奴の体の一部を持ち帰る必要がある。具体的には頭部と尻尾の先端だ。


「面倒なことだ」


 俺は思わずため息をついた。


「だが俺は学習する男だ。以前、あの忌々しい蛙を討伐した際は失敗したが今回はそんなヘマはしない」


「さすがです、若様。若様の深淵なる叡智の前にはいかなる困難も些事に過ぎません」


 フェリが俺に抱かれながら小器用に恭しく頭を下げる。


「とにかく、余り時間はかけられん。こんな場所に長居すれば、母上を心配させることになる。それに──」


 俺はそこで言葉を切った。いや、言う必要はないだろう。


 ──それに、この地はどうにも居心地が悪い。


 何か異質な気配を感じるのだ。それは微弱だが確かに存在する。まるで、巨大な獣が遠くで息を潜めているような、そんな不穏な気配だ。


 まあ、いい。今は目の前の劣等ミミズに集中しよう。


「要は音を立ててやればいいんだろう?」


 奴らが音に敏感だというのなら、盛大に騒いでやればいい。そうすれば、向こうからノコノコと姿を現すはずだ。


 俺はゆっくりと右足を振り上げた。


 ◆◆◆


 万年雪に閉ざされたノルン王国の大氷原。その果てしない白銀の世界を、黒い蟻の行列が進んでいた。ノルン国王“氷狼”グルンベルドが直卒する、プロメテオル討伐軍である。


 総勢三千。騎士団を中心とした精鋭部隊だ。彼らの纏う黒い甲冑は極北の太陽の光を鈍く反射し、氷原の上に不吉な影を落としていた。


 軍の先頭を進むのは巨大な軍馬に跨ったグルンベルドその人である。表情は厳しく、瞳は鋭い。まるで大型の肉食獣の様な剣呑で荒々しい気配を全身から放っている。


「遅い!」


 グルンベルドの怒声が凍てついた空気を震わせる。


「この程度の行軍速度では奴らに後れを取ってしまうではないか!」


 グルンベルドの苛立ちは頂点に達していた。プロメテオル出現の報告を受けてから、すでに数日が経過している。


「全軍、速度を上げよ! 遅れる者は容赦なく切り捨てる!」


 王の冷酷な命令に、兵士たちの間に緊張が走る。疲労と寒さに耐えながら、必死に行軍速度を上げた。


 グルンベルドの傍らには魔術師のアヴィアナが控えていた。


 ──冒険者たちも動いているなら都合がいい。けれど……


 アヴィアナとしてはもう少し行軍速度を落としてほしい所ではあった。なぜなら、軍だけでは太刀打ちできないと判断したからこそ、冒険者たちも巻き込もうと情報を流したのだ。しかしグルンベルドは血気が逸っているのか、アヴィアナから目論見を聞き出したにもかかわらず、軍だけでかの竜を討とうとしている。


 ──諫言すべきだ。


 そうは思うが、なかなか声が出ない。


 単純に、グルンベルドが怖いのだ。アヴィアナの心身にはグルンベルドへの恐怖が文字通り刷り込まれてしまっている。

 

 単純な戦闘能力がどうという話ではなく、精神的な問題であった。

 

 まあ毎晩毎晩、あれやこれやと理由をつけ散々に嬲られ、辱められ、犯されれば大抵の女は屈服してしまうだろう。

 

 そんな男からは逃げてしまえばよいという向きもあるかもしれない。

 

 実際アヴィアナもそうしようと思った事は何度もあるし、やってやれないことはないだろう。

 

 だができなかった。

 

 アヴィアナにはこの国に強い愛着があるからだ。母親が生まれ(というか発生し)、恋におち、一人の人間と愛をはぐくんできたノルンが大切なのだ。


 悩んでいた、その時。


 先行していた斥候の一人が血相を変えて戻ってきた。


「へ、陛下! ご報告いたします!」


 斥候は息を切らせながら、グルンベルドの前に跪く。


「何事だ」


 グルンベルドが低い声で問う。


「大氷原の方向より、凄まじい轟音が響いております! 巨大な氷の破片が空高く舞い上がっており──」


 その報告に、グルンベルドの表情が変わった。彼は馬を止め、斥候が指し示す方向を睨みつける。


 確かに遠方の空に、何かがきらきらと輝きながら舞い上がっているのが見えた。そして地響きのような鈍い音が断続的に聞こえてくる。


「……ほう」


 グルンベルドの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。


「ついに姿を現したか、魔竜め」


 彼は確信していた。あれほどの規模の破壊を引き起こせるのはプロメテオル以外にあり得ないと。


「アヴィアナ!」


 グルンベルドが鋭く呼びかける。


「はっ」


「直ちに念視を行え! 奴の正確な位置と、状況を把握するのだ!」


 所謂遠見の術である。


「かしこまりました」


 アヴィアナは恭しく頭を下げると、氷原の上に膝をついた。そして水晶玉を取り出し、術を行使した。


 ◆◆◆


 アヴィアナが用いる「遠見の術」は、魔術師が一般的に使用する索敵魔術とは根本的に異なっていた。


 ジャンルとしては血統魔術に近いだろう。


 アヴィアナの母はこの極北の地に顕現した冬の精が受肉した存在だ。


 精霊とは何か。それは自然現象そのものに、意志が宿ったものと考えて良い。


 そしてノルン王国とは、その国土の大半が「冬」という現象に支配された領域である。


 故に、アヴィアナの遠見は単なる魔力による探査ではない。


 彼女は自らの本質たる「冬」の因子を触媒とし、王国全土に張り巡らされた冬の気配そのものと意識を同調させる。


 それは「観測」というより「知覚」に近かった。


 この地に降る雪の一粒一粒が彼女の目となり、凍てつく風の一筋一筋が彼女の耳となるのだ。


 アヴィアナは目を閉じ、意識を集中させた。


 水晶玉の表面が淡い光を放ち、やがてその内部に映像が結ばれ始める。


 だが──彼女の意識が目的地に到達しようとした瞬間、予期せぬ障害にぶつかった。


「……っ!」


 アヴィアナの眉間に深い皺が刻まれる。


 まるで、分厚い霧の壁に阻まれているかのような感覚。視界は閉ざされ、何も見通すことができない。


 ──これは一体……? 


 アヴィアナはさらに魔力を高め、強引に霧を突破しようと試みる。だが霧は彼女の魔力を吸収するかのように、その濃度を増していくばかりだった。


 やがて、彼女は力尽きたように目を開いた。その顔色は蒼白で、額には汗が滲んでいる。


「申し訳ありません、陛下。何者かの強力な魔力によって、視界が遮られております。念視を続けることは困難です」


 アヴィアナの報告にグルンベルドは激昂した。


「役立たずめ!」


 アヴィアナを罵倒し、その細い肩を乱暴に掴み上げる。


「貴様の無能さがこの国の危機を招いているのだぞ!」


「も、申し訳ございません……」


 アヴィアナは苦痛に顔を歪めながら、か細い声で謝罪する。


 グルンベルドはアヴィアナを乱暴に突き放すと、再び全軍に向けて檄を飛ばした。


「聞け、ノルンの勇者たちよ! 魔竜は我らの目の前にいる! 奴が逃げる前に、必ずや討ち取るのだ! 全軍、突撃! プロメテオルの首はこの“氷狼”が頂く!」


 王の号令と共に、三千の軍勢が雄叫びを上げ、一斉に氷原を駆け出した。

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