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悪役令息はママがちゅき  作者: 埴輪庭
第1章「ママが好き」

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冒険者になろう!⑩

 ◆


 冒険者たちの視線は一様にハインとフェリに注がれている。


 恐怖と好奇心、そしてわずかな敵意が入り混じった視線だ。


 とはいえハインがそんなものに頓着するはずもない。壁際で腕を組み、目を閉じるハインにとってこの場の冒険者たちは背景画に過ぎなかった。


「アスト様、では私が受付で話を聞いてまいります」


 フェリが心得たように言い、足音も立てずにカウンターへと向かう。


 受付カウンターには年の頃は二十代半ばだろうか、栗色の髪をきっちりと結い上げた女が座っている。見てくれはまあ悪くはない。北方特有の美しい銀髪に切れ長の目、雪の様に白い肌は見る者にどこか浮世離れをした印象を与える。


 とはいっても、ヘルガに一途であるハインからしてみれば有象無象の劣等雌に過ぎないのだが。


 ハインというマザコンにとって「女」とはすなわち母であるヘルガ以外に存在しないのだ。


 フェリやエスメラルダといった脱劣等を果たした女たちであっても、ハインの男性的欲求の対象にはなりえない──少なくとも今のところは、であるが。


 受付嬢──シフはフェリの姿を認めると、わずかに眉をひそめた。


「何か御用でしょうか」


 その声は事務的で、冷たい。


 先ほどの騒ぎの中心人物だ。警戒するのも無理はない。


「この街の状況について、いくつか確認したいことがあります」


 フェリは感情の読めない声で言った。


「失礼ですがどちらのギルドに所属されていますか。ノルンではお見かけしたことがありませんが」


 シフの目は鋭い。


 冒険者ギルドは大陸全土に存在するがその運営は各国、各地域によって独立採算制の側面もある。


 特にノルンのような辺境ではよそ者に対する警戒心が強いのが常だ。


「ガイネス帝国……帝都の所属です。こちらへは賞金稼ぎに参りました」


 フェリは懐から帝国のギルドカードを取り出し、カウンターに置いた。


 シフはカードを手に取り、刻印された情報を確認する。


 ガイネス帝国。大陸中央に位置する大国。


 帝都の冒険者とあれば、実力は折り紙付きだろう。


「……確認しました。失礼いたしました」


 シフの声がわずかに和らぐ。


 相手が明確な身分を持つプロフェッショナルだと分かれば、対応も変わるというわけだ。


「それで、何をお知りになりたいですか」


「二つ。一つはこの騒ぎの原因となっている竜について。もう一つはフロスト・ワイアームの討伐依頼についてです」


 シフは手元の書類に目を落としながら、淡々と説明を始めた。


「現在、ノルン王国は非常事態宣言下にあります。数日前、フロストヘイム近郊の山岳地帯にて、未確認の竜種が目撃されました」


「未確認の竜種ですか」


「ええ。“プロメテオル”と呼称されており、観測した魔術師によれば人間種へ強い敵意を抱いているとのことです」


 シフは一度言葉を切り、周囲を窺うようにしてから続けた。


「その魔竜に対し、王国は金貨一万枚の懸賞金をかけました。それがこの騒ぎの原因です。次にフロスト・ワイアームについてですが」


 シフは新しい書類を取り出した。


「こちらは現在も討伐依頼が継続中です。報酬は金貨千五百枚」


 魔竜に比べれば、随分と見劣りする。


「ただし」とシフは付け加えた。


「ガイネス帝国のギルド経由ではなく、このノルンのギルドで直接依頼を受けたという形にすれば、報酬を上乗せすることが可能です」


 これはギルド間の力関係、そして手数料の問題だ。


 帝国のギルドは規模が大きく、影響力も強い。


 他国の依頼を帝国の冒険者が達成した場合、報酬の一部が仲介手数料として帝国ギルドに流れる仕組みになっている。


 だがノルンのギルドとしては自国の依頼を達成した冒険者にはより多くの報酬を支払いたい。


 それが国内の冒険者の士気を高め、ひいてはギルドの求心力にも繋がるからである。


「その場合、報酬は?」


「金貨二千枚まで引き上げられます」


 悪くない話だった。


「承知しました。手続きをお願いします」


 フェリは短く答え、受付嬢から書類を受け取った。


 必要な情報を記入し終えると、彼女はハインの元へと戻る。


「アスト様、お待たせいたしました」


 フェリは先ほど聞いた内容を、簡潔にハインに報告した。


「ふむ、魔竜か」


 ハインは顎に手を当て、思案する。


「アスト様、金貨一万枚は魅力的な額です。フロスト・ワイアームの討伐を後回しにし、こちらを優先するという手もございます」


 フェリは冷静に進言する。


 彼女の目的は主であるハインの利益を最大化することだ。


「ただし、懸念事項もございます」


「言ってみろ」


「この規模の依頼を達成すれば、アスト様のお名前が広く知れ渡ることになります。それは今後の活動において足枷となる可能性も否定できません」


 ハインは目立つことを嫌う。彼の承認欲求は常にヘルガにのみ向いているのだ。


 それ以上に、ヘルガに迷惑をかけたくなかった。


 アストを名乗ってはいても、些細な情報からハインにつながってしまう可能性がないとは言えない。


 万が一にも正体が露見すれば、ヘルガの耳にも入るやもしれぬ。それだけは断じて避けねばならなかった。


 ハインにとってヘルガに余計な心労をかけるなど、万死に値する大罪であった。


 ハインはしばらく目を閉じて考えていたが、やがてゆっくりと目を開いた。


「却下だ。予定通り、フロスト・ワイアームを狩る。たかが金貨一万枚のために、母上に心労をかけるわけにはいかん」


「承知いたしました。では直ちに出立の準備を──」


 フェリがそう言いかけた時だった。


「ちょっと、そこのお兄さんたち」


 甘ったるい、それでいて妙に圧のある声が二人にかけられた。


 声の主は一人の女。


 燃えるような赤毛を無造作に束ね、露出の多い革鎧を身に纏っている。


 何より目を引くのはその豊満すぎる胸だ。


 鎧から零れ落ちそうなほどに自己主張が激しい。


 明確な性的アピールなのだが、ハインには全く効果がない。


 そんな様子にやや鼻を鳴らしながらも、女は慣れた様子でハインたちに近づいてきた。


「さっきの見てたわよ。そっちのお嬢さん、すごい体術じゃないの」


 女はボルガのことを言っているのだろう。


「全く、名前負けもいいところよね。“岩砕き”なんて大層な名前つけてるくせに、情けないったらありゃしない」


 女はけらけらと笑うがハインは何も答えない。


 女の存在など、視界にすら入っていないかのようだ。


「あたしはサリエラ。“カジェリの牙”ってチームに所属してるの。これでも銀等級上位の魔術師さ」


 サリエラはそう言って、自分の胸を誇示するように張った。


 銀等級上位。冒険者としては一流の証である。


「それでさ、あんたたち、腕は立つみたいだし、あたしのチームに入らない?」


 サリエラは人懐っこい笑みを浮かべながら単刀直入に勧誘をする。


「実はウチのチームは例の魔竜を狩ろうと思っていてね。ただ、相手は竜でしょ? 人手が多い方がいい。あんたたちの実力なら、きっと活躍できるはずよ」


 サリエラはそう言って、ハインの方を見た。


 ハインは相変わらず腕を組み、一切興味を示していない。


「そっちの坊ちゃんも、中々いい男じゃないか。黙ってるとこ見ると、もしかして照れてるの?」


 サリエラはそう言って、ハインに体を寄せようとする。


 ここまでアピールされれば、大抵の男はサリエラを好意的に見るだろう。


 しかしハインは大抵の男ではない。筋金入りのマザコンだ。


 だからピクリとも動かない。


 ハインはサリエラを、まるでそこに存在しないかのように無視していた。


「……ねえ、無視? せっかく誘ってあげてるってのに」


 サリエラの声に苛立ちが混じる。


 彼女は自分の魅力に自信がある。だからハインの冷淡な態度は、女としてのプライドを少なからず傷つけるものだった。


「ちょっと、聞いてるの!」


 サリエラがさらに声を荒げようとした、その時。


「アスト様」


 フェリが静かに声をかける。


 声は平静そのものだ。表情も無表情だがしかし、瞳孔がぐわりと開いている。発される圧の質が明らかに変質していた。


 単なる怒りではなく、もっと陰湿で薄暗い感情だ。触れれば皮膚が焼け付き、爛れる不可視の毒。そんなものを向けられたサリエラとしてはたまったものではない。


「……っ」


 サリエラは本能的に危険を感じ、後ずさった。


 ──この女、やばい。


 冒険者としての長年の勘がそう告げていた。


「……悪かったよ。邪魔したみたいだね」


 サリエラはそう言い残し、足早にその場を離れていった。


 フェリは去っていくサリエラの背中に、じっと、粘着質な視線を注いでいた。


 その瞳の奥にはまだ消えない黒い炎が揺らめいている──


 ◆◆◆


 ──なんなのよ、あいつら。


 サリエラはギルドの隅にあるテーブル席に戻り、乱暴に椅子に座った。


 心臓が早鐘を打っている。


 柄にもなく、恐怖を感じていた。


 あの二人組がギルドから出ていくのを確認してから、数人の男たちが彼女の元に近づいてきた。


 “カジェリの牙”のメンバーたちだ。


「どうだった、サリエラ。首尾は」


 リーダー格の男が尋ねる。


 彼はライオネル。大剣使いの戦士で、サリエラと同じく銀等級上位の冒険者だ。


「駄目ね。あれはちょっと、関わらない方がいいわよ」


 サリエラはそう言って、ジョッキに入ったエールを呷った。


「どういうことだ? あの小娘、かなりの手練れだったろう。それに、あの坊ちゃんも……」


「手練れは手練れだっただろうけどね」


 サリエラはライオネルの言葉を遮る。


「あの女……」


 サリエラは先ほどの従者の目を思い出す。


 あの無機質で、それでいて狂信的な光を宿した瞳。


 サリエラはぶるりと一つ、身を震わせる。


「あの坊ちゃんに対する態度も異常よ。まるで神に仕える巫女みたいだった。いや、それ以上ね。あいつはあの坊ちゃんのためなら何だってやるわ。殺しも、拷問も、平気でね」


 サリエラの言葉に、男たちは息を呑んだ。だが。


「だとしても、お前の推測に過ぎないだろう? それに、冒険者なんてどいつもこいつも──」


 いいえ、とサリエラは再び言葉を遮る。


「あの子たちをチームに加えるのは反対よ。だってあの二人、少しでも危なくなれば私たちの事なんて平気で餌かなにかにするわよきっと。冒険者同士の仁義とかそんなもの、知ったこっちゃないって思ってるはずだわ」


 だって、とサリエラはあの少年──ハインの目を思い出す。


 あの冷たく、全てを見下すような目。


「あいつらは自分たち以外の全てを虫けらだと思ってる。そんな奴らと組んだらどうなるか分からないわよ」


 ライオネルは腕を組み、難しい顔をする。


「……惜しいな。直接俺が話した方がよかったか。あの坊ちゃんが主なら、サリエラだったら簡単に篭絡できそうだったんだがな」


 その言葉に、サリエラは肩をすくめた。


「あのお坊ちゃんは私になんて興味もなかったみたいだけどね」


 そう言って彼女は空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。


 ◆◆◆


 ハインたちがギルドを出て一刻もしないうちに、二人の姿はフロストヘイムの上空にあった。


 眼下に広がるのは果てしなく続く大氷原。


 太陽の光を反射し、眩いばかりに輝いている。


 二人は飛翔魔術によって、音もなく空中を移動していた。


 目指すはフロスト・ワイアームの生息地。


 極寒の風が頬を刺すがハインもフェリも「適応」の魔術によって、その影響を全く受けていない。


「若様、間もなく目的地です」


 フェリが静かに告げる。


「そうか」


 ハインは短く答え、眼下の氷原を見下ろした。


 彼の瞳にはこれから始まる狩りへの期待も、緊張もない。


 あるのはただ、早くヘルガの元へ帰りたいという切実な願いだけだ。


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