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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第五章【力は加速し、最悪の敵と相見える】
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三話【夏休みの始まり】

 講義終了の合図とともに体を伸ばした。ずっと俯いて凝っていた体に血液が流れ込む感触がする。

「……これで、春期の試験は全部終了か。長かったなぁ」

 大学二回生と言えば、きっちり講義を受けて、単位を稼いでいかないといけない時期だ。来年は就職活動が、その次の年は卒業研究も始まるのだから。いつもは不真面目な学生たちもそのほとんどが出席し、一回目の講義を彷彿とさせる人口密度だ。クーラーの冷気も力が及ばないのか、ちょっとしたサウナ状態になっている。

 ハンカチで汗を拭き、他の学生たちが教室の外へ出るのを待った。

「よし。そろそろ出るか」

 鞄を背負い、俺は空腹を満たしに行った。青空には雲一つ浮かんでおらず、真夏の日差しが遠慮なく降り注いでいた。


「これで、試験は全部終わったか……長かった…………」

 俺と同じセリフを、アキトは何倍も疲れた声で絞り出した。カフェテリアのテーブルに頬を乗せて、溶けたアイスのようにだらけきっている。目の前のスパゲティを一本一本フォークに絡ませてだらしなく食べている。

「もー。アキト先輩、お行儀悪いですよ」

 そう言う美津姫は、背筋をピンと伸ばしてパフェを頬張っている。三百八十円ほどの普通のパフェなのに、上品に食べるその姿で価値が何倍にも跳ね上がっているようだ。

「まあ、これで三人とも明日から夏休みを満喫できるわけだ。アキトも元気出せよ」

「……夏休み?」

 アキトはもごもごと口を動かして「夏休み……夏休み……」と、何度もうわ言のようにつぶやいた。そしてそれを口にするたび、アキトの目が怪しく輝き始める。

 嫌な予感がして、俺は目の前のオムライスの皿を体の陰に隠した。美津姫も怪訝に思いながら、同様にパフェを後ろに隠した。


「――そうだよ! 明日から、いや、もう夏休みじゃねえか!!」


 勢いよく顔を上げ、アキトはスパゲティの破片をまき散らしながら叫んだ。先ほどまでオムライスとパフェが置いてあった場所に、その破片が落ちてくる。露骨に美津姫がドン引きしていた。

「ア、アキト先輩! いくらなんでも下品ですよ!」

「ああ、悪い悪い! でもさ! 夏休みだぜ、夏休み!」

 小学生のようにはしゃぐアキト。あまりの騒ぎっぷりに、周りの学生たちが夏にそぐわない冷たい視線を向けてくる。罪の無い俺と美津姫に対しても同様に。

「わかった。わかったから、早く店を出るぞ。こんな状態じゃ、落ち着いて食事もできやしない」

「おう、任せろ! 十秒で片づける!」

「えっ? じゃ、じゃあ私は二十秒で……!」

「いや、無理しなくていいから……」

 ガツガツムシャムシャとフォークを、スプーンを動かす二人。俺は苦笑いしながら、置いていかれないようにオムライスを掻きこんだ。


 逃げ出すようにカフェテリアを抜け出した俺たちは、いつもの広場にやってきた。憎らしいほど熱い日差しを受けながら、しかし芝生や木々は「もっと寄越せ!」と言わんばかりに青々と茂っている。

 なんとか日陰になっているベンチを見つけて座った。ほんの数分歩いただけで、シャツが汗で貼り付きそうになっている。横を見れば、アキトがオヤジくさく扇子で顔を扇いでいた。

「それで話の続きだが、今日から夏休みなわけだ。二人は何か、予定とか決めてんのか?」

 アキトが尋ねる。先に応えたのは美津姫だった。

「私は、オカルト研究会の活動に精を出すつもりです。春期は目いっぱい講義を入れていたので、あんまり活動できなかったんですよね」

 その割には、よくもまあスライムをあんなに立派に育て上げたものだ。いや、むしろ、好きなことをできない鬱憤を愛情という形でスライムに注いだのかもしれないが。

「そ、そうか……。ちなみに、叶銘はどうなんだ? 暇なんだろ?」

「勝手に決めつけるな。知っての通り、俺は今年はバイトが入ってるから、そう遊んでもいられないよ。そのあたりの事情はアキトもよく知ってるだろ?」

「そうだよなぁ。でもさ、せめてその服装は、どうにかならないのか?」


 そうなのだ。俺は最近出かける時は、いつもアルバイト先の「戯流堵」の制服を着ている。いや、着なければいけないのだ。

 この制服を着ていると、どうやら俺に馴染みのない人間でも、魔物退治に協力的になってくれる。そして、深く詮索してこない。

 最近一度、私服で外出したことがある。すると困ったことに、俺はこの街ではとてつもない有名人になっていることが発覚した。「魔物を狩るハンター」として。

 ある者は羨望の眼差しを向け、またある者は俺の視界から遠ざかろうとした。そんな息苦しい生活を望んでいるわけも無く、泣く泣く俺は外出するとき制服姿なのだ。そういうわけで、家には五着ほど全く同じ服のストックが置いてある。まあ、私服としても通用するデザインなのが幸いか――。


「服装はともかくさ。俺だって、全く休みが無いわけじゃないんだ。どこか行きたいなら付き合うよ」

「わ、私もっ! たまには息抜きも必要だと思いますし……」

 アキトが捨てられた子犬のように寂しそうな目をしていたので、俺たちは慌てて声を掛ける。普段はお調子者のくせに、誰にも構ってもらえないとわかると途端に萎れるのだ。面倒くさいが、人間臭い。

「おおおっ! そうかそうか。二人とも、俺様がいないと遊び場の一つも見つけられ無さそうだしなぁ。よしっ! 俺が一肌脱いでやろう!」

 寒々しい視線で俺と美津姫はアキトを見るが、自分に酔いしれた彼には届きそうもない。

「その口ぶりからすると、何かアテでもあるのか?」

「もちろんだ!」食い気味に即答された。

「ひょっとして、遊園地とか、海水浴とかですか? 既にチケットとか入手してるんですか?」

「チケットなんていらねえよ。あと、海水浴でもない。あんなゴミゴミしたビーチに行くくらいなら、庭でビニールプールでも出した方がマシだ」

「どんな比較だよ、それ」

「じゃあ、どこに行くんですか? ひょっとして、家の中でクーラー効かせて、ゆっくりゲームとかですか?」

 美津姫がちょっと期待を込めた口調で問う。おそらくインドア派なのだろう。俺もどちらかと言えばそうなので、あまりアウトドアなことはしたくない。現代っ子は、空調と友達なのだ。

 しかし野生っ子のアキトは、俺たち二人の期待を軽々と打ち砕く提案を嬉々として披露したのだった。


「夏と言えば、キャンプだろ! 緑生い茂る自然の中で、体を動かし、テントを立て、飯を作り、川で水浴びし、星空の下で眠る! 今一度、我ら人間は自然に帰ろうではないか!」


 アキトがその言葉を言い終わる前に、俺と美津姫はそそくさとその場を去っていた。この男は、この季節にはちょいと熱すぎる。

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