二話【熱帯夜の酒宴②】
「『神木叶銘』その名は、魔界にも広く知れ渡っておるぞ……我々の邪魔をするガキだとなぁ――!」
赤鬼はトゲ付きの金棒を両手で握ると、頭上に大きく掲げ、一息に振り下ろした。グウォンと唸り声を上げるように風を切り、正確に俺の立つ位置を捉えた。
その一撃を大きく横に跳んで回避。河川敷の砂利を細かく砕きながら、金棒はその場にめり込んだ。
チャンスだ。
ウエストポーチから、はんこ注射のような、多数の針が顔を覗かせる筒を取り出し、赤鬼の左の足元に駆け寄る。後ろに回り込み、その毛深いふくらはぎに針筒を突き刺す。逆の手で再びポーチから針筒を取り出し、反対の足の方へ跳ぶ。
その時、赤鬼の右足が動いた。砂で汚れた足の裏が、宙に浮いた俺の体を迎え撃つ。
ヤバイ、ちょっと油断してた――。
名枕の刀身に急いで一言囁き、眼前に迫った足に突き出す。
バチン! 道端の小石のように蹴られ、川の中に叩き落とされた。真夜中の水中というのは酷く視界が悪く、どちらが上か下かも判断しづらい。
シャミアとの戦闘以来どういうわけか、魔物と戦う時など集中力が高まると、身体能力が人間を遥かに超えるレベルまで上昇するようになった。おかげで視力も向上し、水中からでも月の位置がわかる。その光に向かって浮上し、ちらりと顔の上半分だけ水面から出す。
赤鬼はこちらを見失ったようだ。鼻息を荒くしながら、キョロキョロと辺りを見回している。
「カナメ、ダイジョウブ?」
「ああ、大したことないよ。体は丈夫になってるし、とっさに名枕で『スピード』を殺したから」
身体能力が向上したとはいえ、名枕は今でも最大の武器だ。相手の名前がわかれば、ただの錆びついた銅剣とは思えない火力を発揮する。それだけでなく、「重力」だとか「スピード」だとかも、短時間なら打ち消す力も持つ。
「で、肝心の赤鬼の名前はわかったのか? そのまんま『赤鬼』とかだったら、拍子抜けなんだけど」
「『イッスンボウシ』読んでたカラ、マダ調べてナカッタ。メンゴメンゴ」
「……ちゃんとやってくれよ。一応こっちは、下準備は終わったんだからさ。おっと?」
赤鬼と目が合ってしまった。にやぁと気味の悪い笑みを浮かべると、赤鬼は再び金棒を振り上げた。川に浮かんでいるのなら、逃げられないとでも踏んでいるのだろう。
でも、それは甘い考えだ。
赤鬼の体がぐらりと揺れたかと思うと、片膝を突いた。訳も分からず目を点にする赤鬼は、もう一方の膝も突く。目を凝らせば、電気ショックでも受け続けているかのように小刻みに震えているのが確認できる。
「やっぱり、大きい敵には『麻痺注射』が鉄板だな。あの図体で動き回られると、それだけで街の被害も大きくなるからな」
マスターがチャップマンから仕入れる不思議アイテム。そのいずれもが、魔物との戦いで活躍してくれる。
その中でもこの「麻痺注射」は、巨大な敵との戦いには必ず持っていくほどの優れものだ。持続時間は短いが、身長十メートルを超えるこの赤鬼が相手でも一分と経たずに動きを止めてくれる。金棒を躱した直後に一本、蹴られたどさくさに紛れてもう一本打っておいた。麻痺注射二本は高くついたが、あの両足はしばらく使い物にならないだろう。
川を泳ぎ、再び赤鬼の足元にたどり着いた。目の前の大きな眼は血走り、相対する俺に真っ赤な敵意を向けている。
「もうすぐお前の名前もわかる頃だ。それまでおとなしくしててくれ。ボコボコに殴られるより、この剣で楽に逝きたいだろ?」
「おのれぇ! 小癪な真似をォッ!」
赤鬼の左手が動く。
握りつぶす気か!? とっさに後ろに跳んだ――が、その手は口元に運ばれた。親指と人差し指で輪っかを作っている。それはまさに、あのメジャーな“指笛”の形。
ピュイィーーーーッ!
そのゴツい指と唇の間から、驚くほど澄んだ笛の音色が奏でられた。
「指笛?」訝しみながらも赤鬼を警戒する。そのせいで、地中から伝わる僅かな振動に気づくのが遅れてしまった。
突如、両足首が締め付けられた。驚いて視線を落とすと、地面から生えた手ががっちりと足首を握っていた。その肌は青いが、紛れも無く鬼のものだ。
立て続けに、地面が呻くような音を響かせる。それと同時に、砂利の下から手や頭が何本も生えてくる。俺の足首を掴む手の間からも、にょきりと一本の角が生えた頭が現れた。
「ギシシシシ! 捕マエタ、捕マエタ!」
青い肌の小振りな鬼がダミ声を発した。地面から這い出た他の青鬼たちも、醜悪な笑い声をあげて取り囲む。
しまった、もっと早く気付くべきだったか……!
そもそも、こんな巨体の赤鬼が街の中を歩き、酒や食べ物を漁るというのは難しい。自分の手足となる、もっと小柄な仲間がいると考えるべきだった。
最近、ハイペースで仕事をし過ぎたか……。魔物を倒すことに躍起になって、丁寧さを欠いていた。こんなこと、しっかりした下調べと考察で予想できただろうに。
「カナメ、このアオオニたちの名前もシラベルか?」
「いや、赤鬼の方だけでいいよ。自分で蒔いた種みたいなものだし。自分でケリをつける」
「ん、オッケィ」
続々と青鬼達が集結する。ざっと見ただけでも、二十匹はいるか。脚を封じられた状態で、この数を相手にするのは厳しいだろう。赤鬼の麻痺も長くは持たないのだ。一刻も早く片づけなければ。
すうっと息を吸い、軽く膝を曲げる。腰を落としたことで目線が青鬼達と同じになるが、顔色が悪い分赤鬼よりもブサイクだ。こんな連中には負けたくないと本気で思う。
「――せいっ!」
一息に真上へジャンプした。
ボゴッという音と共に、足首を掴んでいた青鬼も引き抜かれる。「ギギッ!?」という驚きの声を上げながらも、なお手を離さない。その心意気に感心しつつも、足を振って一気に振りほどく。ようやく自由になった脚を撫で、目前に迫った青鬼達を睨みつける。
「そろそろ赤鬼の痺れ薬も切れるから、早めに終わらせるよ」
先頭の青鬼が跳びかかる。
その顔面に拳を一発。勢いを無くした青鬼はその場に崩れ落ちる。
次に、背後から二匹の気配。
振り向きざまに回し蹴りを放つ。二匹まとめて吹っ飛び、その先で別の一匹を巻き込んで気絶した。
再度背後から迫る二匹を肘鉄で撃破。掴みかかる三匹を叩き伏せ、後ろに隠れていた一匹を投げ飛ばす。遠くから石を投げられれば回避して投げ返し、地中から迫る二匹を踏みつける。金棒持ちの青鬼には少し驚いたが、相手の手首を捻って落としたところを奪い拝借。そしてホームラン。
一分も経った頃には、青鬼達は酔っ払いの集団のように河原でのびていた。うめき声を上げ、腹や顔を押さえながら倒れ込んでいる。その光景を見せられると、相手が魔物とは言え少々罪悪感も湧いてしまう。そのあたり、まだまだ甘ちゃんなのだろうか。
しかし相手が鬼だけに、ここは心を鬼にしなければならない。なぜなら――
「ぬうんッ! よくも、よくも……儂の可愛い子分たちをぉぉぉーーーッ!」
足の痺れがすっかり取れてしまった赤鬼が、目を血走らせ、髪を逆立てて俺を見下ろしていたからだ。
額から流れる汗を腕で拭い取る。喉も乾いたが、水を飲んでいる余裕もなさそうだ。
既に麻痺注射を打ち込み済みで、子分の青鬼達を退治した。ここまでやられれば、この陽気な赤鬼ももう二度と油断などしないだろう。
「――そうなると、力づくしかないよな?」
そう言ってポケットを叩く。戦い始めてもう三分は経つ。俺の相棒は、もうとっくに仕事を終えているはずだ。
「それでネイサ、あいつの名前はなんなんだ? もしかして、そのまま『赤音い』か?」
「二つあるヨ。シュゾクの名前とコジンの名前、どっちがイイ?」
それならもちろん“個人名”だ。
俺の持っている名枕は、対象の名前を刻むことで威力を発揮する。それは相手を絞り込むほど威力を増す。つまり、固有名詞を刻んだときが最強ということになる。
「じゃあ、個人名……いや、個鬼名? を頼む」
「ゴドリアヌル・ゲルバドー・パルミンゴッチ」
「…………うん?」
「ダカラ、あのアカオニの名前。『ゴドリアヌル・ゲルバドー・パルミンゴッチ』ダヨ」
「…………」
覚えられない。というか、なんというか、大真面目にそんな変な名前を言える気がしない。いや、ひょっとしたら間違いという可能性も……
「き、貴様ァ! なぜっ、儂の名を知っておるのだ!?」
赤鬼が認めてしまった。ええ~、その名前言わなきゃだめなの?
「ネイサ、悪い。種族の名前で頼む」
「シュゾクの名前だったら、フツーに“赤鬼”ダヨ」
「……そっか。普通だな」
「何をまた、ゴチャゴチャ言っておる!」そう言うが早いか、赤鬼は跳んだ。その巨体が月を隠し、俺を中心に影が落ちる。
押しつぶす気だ!
避けられない攻撃ではない。まだ体力はある。大きく跳んで避けて、無防備になった背中や頭部に名枕を突き立ててやれば、この戦いは俺の勝ちで終わりだ。それがベストなのは間違いないだろう。
そして俺は、その選択肢を選ばなかった。
「赤鬼」そう名枕に囁き、その刀身に「アカオニ」の光る文字が刻まれる。そして地中の青鬼を引きずり出した時のように腰を落とす。
頭上に浮かぶ赤鬼の腹を見据えた。赤黒いその腹。それは俺にとってはただの肉体ではなく、もっと別の物に見えた。暗い過去、突然巻き込まれた戦い、幾度となく襲い掛かる魔物――自分に降りかかる不条理が壁になって落ちてきているようだ。
ぎゅっと筋肉を引き締め、それを迎え撃つ。力と武器はある。あとは覚悟だ。目の前に連なる壁を壊し、最後には、父さんにたどり着くための。
名枕を握った右手を振り上げる。
ぷつりという感触と共に名枕は突き刺さり、赤鬼の巨体に光が走る。その体は地面に到達する間もなく、一瞬にして霧散した。腕を振り上げたままの俺は、さながら勝利のガッツポーズを決めているかのようだった。




