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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ  作者: 望月 幸
第四章【勇者に必要なのは、動機と敗北だ】
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六話【疾風の叶銘】

 降りしきる雨の雫が顔面を打ち付ける。バチバチとエアガンの弾を食らっているみたいだ。ほんの数分のうちに雲は厚く暗くなり、それに比例して雨粒は大きさを増していく。とっくに体の前半分はびしょ濡れになり、服がピタリと体にくっついて気持ち悪い。

 しかしそんなことは気にしていられない。制限時間は、残り十一分。今この時ほど、一分一秒を惜しく思ったことは無いし、これからも無いだろう。

 水が滴る袖口で顔を拭い、前方を睨んだ。依然として、サソリ女の姿は見えなかった。




 俺はアキトの檄を受け、サソリ女の開けた大穴から宙に飛び出した。雑居ビルの五階に開けられた、その穴からだ。

 確証は無かった。だけど、不思議と確信はしていた。“今の俺なら、跳べる”と。距離にして十メートル、高低差五メートルの隣のマンションの屋根に向かって、跳んだ。

 それはさながら、漫画の忍者や超人たちのようだった。体は空気にでもなったかのように軽く、撃ち出された砲弾のように大きな弧を描いた。ちょうど近くを通り過ぎたカラスが、驚いたように振り返っていた。

 さあ、着地だ! 例えるなら、走るトラックの荷台から道路に飛び降りるようなものだ。そこがクッションや砂場ならともかく、今俺が着地しようとするのは灰色のコンクリート。体を縮め、脚を前に出し、衝撃に備える。

 シュタッと音がしそうなほど、軽やかな衝撃が足の裏から伝わる。巨大なスポンジの上に着地したみたいだ。そのままの勢いで再び走り始め、跳ぶ。

 今度は目の前に巨大な壁がそびえ立つ。このマンションより三階分は高いビル。その壁面めがけて跳びかかる。

 バキッと固いものが砕ける音がする。しかし砕けたのは俺の体ではなく、壁の方だ。濃い鼠色に塗られた外壁にひびが入り、十本の指が抉るようにめりこんでいる。

 指を抜き、突き刺し、抜いて、突き刺し――アメリカの蜘蛛男よろしく重力を無視したかのようなクライミングを見せる。

 そうしてビルの屋上にたどり着き、この街を見下ろした。ひときわ強い風が髪を掻き上げ、濡れた服をバタバタとはためかせる。

 ひくひくと鼻を動かす。サソリ女の姿は見えないが、風に乗ってその気配が感じられた。まっすぐ東の方に向きなおす。その先に、二人はいる。確証の無い確信だ。

 時計を見て舌打ちする。もう十五分経っていた。三十分で命を落とすからと言って、それまでは全く平気というわけでもないだろう。今もじわじわと毒が体に回り、その苦しみは増しているはずだ。

 助走をつけて、再び次へ次へと建物を飛び移って行く。美津姫の命のため、アキトの檄に応えるため、一握りのプライドのため、自分の未来を手繰り寄せるように二人の後を追った。




 ついに見つけた。

 約一キロメートル先、高速道路の高架線上に、その黒い体が蠢いていた。細かい脚を忙しなく動かし、追い越し車線を陸上の生物とは思えないスピードで疾走していた。

 じっと目を凝らす。サソリ女の腕の中で、美津姫の体が乱暴に揺られていた。

 彼女の肌を見て背筋が凍った。サソリの針を刺された左手を中心に、血管のように紫色の筋が走っている。それは左半身を覆い、右半身にまで及ぼうとしている。慌てて時計を見れば、残り八分。それが過ぎれば、あの紫の血管は完全に美津姫の体を支配してしまうだろう。

 視線を感じ取ったのか、サソリ女はこちらに振り向くと、ニヤリと誘うような笑みを浮かべた。

 上等だ。

 十階建てのビルの屋上、その端から端をフルに使って助走をつける。

 ズシン、ズシン、ズシン、ズシン――

 力を込めて足を踏み出す度、コンクリートの地面がひび割れる。そんなことはお構いなしに、陸上選手さながらのフォームで宙に飛び出した。

 雨の中落下するというのは、不思議な景色だった。普段は線状にしか見えない雨が、今ははっきりと水滴の形を視認することができる。まるで自分が降りしきる雨の一滴になったようだ。

 ズドンと、高速道路に着地する。ゴロゴロと前転しながら受け身を取り、落ち着いたところで再び走り出す。

 待ってろよ――もうすぐだ――!

 残り時間七分。車もまばらな高速道路の高架線上で、勇者と魔物のデッドヒートが始まった。




 走る――!

 駆ける――!

 疾走する――!

 

 サソリ女の背中を視界から逃さぬよう、目を見開いたまま高速道路の追い越し車線を駆け抜ける。まばたきを忘れた瞳に雨粒がぶつかる。それを気にすることも無く、ただ前を見て走るだけ。

 隣を走る自動車がゆっくりと後方に流れていく。すれ違い様に見た運転手の顔は、こちらを見て目を点にしていた。それはそうだろう。おそらく今、時速百キロメートルほどで走っているのだから。

 スマートフォンを取り出し、時間を見る。残り時間五分。正念場だ。抱きかかえられる美津姫は、既に全身を紫の血管で覆われている。

 俺は画面をタップしながら叫んだ。


「――いい加減に起きろ、ネイサ!」


 魔物に負け、勇者であることを捨てた俺に愛想を尽かしたネイサ。もう一か月は口をきいていないし、姿を見てもいない。絶交状態だ。

 まだ、駄目なのかよ!? そう心の中で悪態をついた時、画面がパッと切り替わる。

 あの光景だ。無限に広がる青空。雲のように浮かぶ大量の白い書棚。その中心に浮かぶ半円形のカウンター。

 そしてそのカウンター中では、大量の文庫本が山と積まれて壁になっていた。にゅっと伸びた細くて白い腕が、その山を強引にかき分けた。ぐらぐら揺れて、何冊かは落下してしまう。

 ようやく出来た隙間から、琥珀色の瞳を持つ相棒が、不機嫌と喜びを同時に浮かべた複雑な表情で言った。

 

「マチクタビレタぞ、カナメ」

「ネイサ――!」


 フグのように頬を膨らませて、精いっぱい不満を表現するネイサ。こんな状況だが、つい愉快になって声を出して笑った。

「カナメ、チョットミないアイダにカワッタな」

「どういうふうに?」

「ナンダカ――ヘンなヤツになった」

「それは言えてるかも」なにせ、車より速く走っているんだから。

 ネイサから視線を外して前に向ける。少し話し込んでいるうちに、距離が開いてしまったようだ。脚に力を込め、飛び跳ねるように駆ける。

「時間が無いから、一気に説明するぞ! 目の前を走るサソリ女が、美津姫を人質に取っている。しかも、あと五分もしないうちに美津姫は毒で死んでしまう。お前の出番だ、ネイサ。あいつの名前を教えてくれ!」

 一息に説明して、スマートフォンを前方に向ける。カメラを起動して精いっぱい拡大すると、サソリ女の後姿が画面中に拡がった。

 カシャッというシャッター音すら風切音で聞こえない。それでも、ネイサの澄んだ声は耳に届いた。

「オッケー! チョートッキューでサガすぞ!」

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