八話【マスターの試練】
がっしりとした重量感のある木の扉を開き、居酒屋“戯流堵”の中に入った。
そこは通常イメージする居酒屋とは全く別の空間だ。床には長方形の滑らかな石が整然と並び、そこかしこに並ぶ円形の木製テーブルをしっかり支えている。隙間もほとんどなく、テーブルの上の酒や料理がぐらついてこぼれる心配も無さそうだ。
対照的に、壁にはゴツゴツと無骨な岩が並び、店内に適度な圧迫感とでもいうか、緊張感のようなものを加えている。まるで、洞窟の中に居酒屋を作ったような光景だ。
低い天井からはシンプルなシャンデリアがいくつも垂れ下がっており、その温かい橙色の光が、柔らかな夕焼けのように明かりを降り注いでいる。
店内奥のカウンターにはいくつもの酒瓶や酒樽が並べられているが、まだ準備中のため誰も立ってはいない。僕の勝手なイメージとしては、あそこにはひげ面のいかついバーテンダーに立ってもらいたい。
バタン!
背後の扉が勢いよく閉まる音で、ひと時の空想が吹き飛んだ。
振り返ると、そこにいたのは薄い金髪をオールバックにした少年――いや、少女か?――中性的で性別がよくわからない人が立っていた。身長は170cm弱と、男性としては低いが、女性としては高い程度。ちらりと胸元を見ても、膨らみは特になさそうだ。いずれにしても、男女の区別のつかない体つきをしている。
上から下まで真っ黒の服装だが、前掛けだけは茶色い。その服装なら知っている、ここの店員のものだ。
少年(もしくは少女)の肌は白く、瞳は鮮やかなブルー。髪を染めた日本人ではなく、どうやら外国人のようだ。外国人は飲食店で働きやすいと聞いたことがあるが、この人もそのクチなのだろうか。
ついまじまじと見つめる僕に対して、眉をひそめて何か考えていたような店員は、パッと顔を明るくして口を開いた。
「HEY! もしかして、今日面接に来るっていう人デスカ?」
「は、はい……そうです」
少年のような声で、その外国人店員は流暢な日本語で気さくに語りかけた。抑揚のある澄んだ声が店内で反響し、ちょっとした歌声のように聞こえる。
「念のタメ、お名前を教えていただけマスか?」
「はい。え~、神木叶銘といいます」
「カミキカナメ――OK! 了解しましタ! あ、ボクはジョンといいマス。ヨロシク!」
そう言って、胸元に掛けられた小さいプレートを見せてくれる。そこには「天童ジョン」と書かれていた。ハーフなのかどうかわからないが、名前からして男性のようだ。
「ソレジャ、ボクに付いてきてくだサイ。店長のトコロへご案内しマス」
「は、はい。よろしくお願いします」
そう言って、彼は軽やかな足取りで店の奥へスタスタ歩いていく。それに追いすがるように、僕も早歩きで歩みを進めた。
いくつかの個室、トイレ、スタッフルームの前を通り、目の前にあるのは「マスター」と刻まれた木札が掛けられたドア。
何の変哲のないドアだが、その隙間からあふれ出る威圧感のようなものを、僕の肌は敏感に感じていた。僕と出会ってから終始にこやかだったジョンさんの表情も固く引き締まっている。
「マスター、神木さんが来られましタ」
ノックをして、中にいる“マスター”なる人物に呼びかけた。中からは返事がなく、緊張感は否応なしに高められてしまう。一言「おう!」と応えてくれた方がまだマシだ。
「良かっタ。今日のマスターは機嫌がイイみたいデス」
これで機嫌がいいのか? このジョンという男、どこかズレているのではないだろうか。
「ボクが案内できるのはここまでデス。カナメ、グッドラック! ガンバレ!」
ビッと親指を立てるジョン。へろへろと腕を上げ、同じように親指を立てた。ただのカラ元気だ。
仕事に戻って行くジョンを見送り、その場で何度も深呼吸をする。それでも、体の中に詰まった不安を吐き切ることはできそうになかった。
テレビの中の芸人たちが、例えばバンジージャンプを躊躇しているのを観ては「早く跳べばいいのに」と思ってきたが、今の僕はまさにその芸人だ。そして躊躇をする時間が長くなればなるほど、周囲の雰囲気が悪化していく点まで同じ。扉の奥にいるご機嫌なマスターも、苛立ちを強めていくだろう。
僕は彩音に渡された勾玉のネックレスを握りしめる。ひんやり、つるりとした感触が、波打つ心をちょっぴりなだめてくれる。
――ええい、もうどうにでもなれ!
ドンドンドン! 必要以上に強くノックして、僕はご機嫌マスターのおわす一室へと乗り込んだ――!
そこは雑多に物が転がる小さな部屋だった。
テーブルや書棚などは先ほど店内で見た物と同じように、年季を感じる木製の物だ。しかしそれとはアンバランスな最新式のデスクトップパソコン、押し込まれたバインダーや書類の数々、卓上の電波時計。極めつけとして、僕の足元を円盤型のロボット掃除機が微かな稼働音を響かせながら通り過ぎて行った。
部屋の中央には円形のガラステーブル。それを挟むように、アンティーク調のシンプルな肘掛椅子が二脚置かれていた。その奥の方、上座側の椅子に、マスターらしき男性が座っていた。
その印象を一言で言うと、「強そう」だ。
四月だというのに、こんがり焼けた小麦色の肌。服の上からでもわかる筋肉質の体は、はち切れんばかりにシャツをピチピチに張らせている。
眼光は鋭く、その片方は不自然に伸びた前髪で隠れている。ちょうど、あの有名なゲゲゲの妖怪少年のようだ。顔のいたる所には、深く刻まれた皺や刃物で付けられたような傷がその風貌をより厳つく仕上げている。
はっきり言って……怖い! 100m先で目を合わせただけでも失神してしまうかもしれない! 道端ですれ違うだけで吹き飛ばされそうだ!
しかし悲しいかな、僕は今から、この黒い獅子のような人間と目を合わせて、面接をしなければならないのだ。
「し、しっ失礼します……!」
震える手でドアを閉めると同時に、マスターは僕の顔を見上げた。睨んでいるわけではなさそうだが、その視線に射抜かれて僕の意識は部屋の天井に叩きつけられた気分だ。ジョンさん、本当にこの人ご機嫌なんでしょうね?
「――座りな」
地の底から響くような声が、僕の体を震わせた。そこでようやく、マスターの声を初めて聞いたことに気が付いた。案の定、イメージ通りの声だったが。
「聞こえなかったかね? 座りなさい」
「は、はい! 失礼します!」
壊れたロボットのような硬い動きで、ぎこちなく椅子に座った。
視線を合わせるのが怖い。目を合わせなきゃ、目を合わせなきゃと焦るが、マスターの口元まで視線を上げるのが精いっぱいだった。エアコンが効いているのに関わらず、じっとりと背中が汗ばんでいくのを感じる。
「――そのネックレス」
「は、はい?」やっぱり、アクセサリーの類は駄目だったか?
「――イカしてるな」
「……は、はい。ありがとうございます」
ああ、良かった。場の雰囲気を和ませようという軽口なのか知らないが、心の中でハアーッと大きく息を吐いた。
少し落ち着いたところで、これから聞かれるであろう質問内容と答えを頭の中で整理した。志望動機、長所と短所、自己PRなどなど、一通りの答えは用意できたつもりだ。
大丈夫。相手がプロレスラーのようなゴツい人間とは言え、別に体と体のぶつかり合いをするわけではないのだから。僕は落ち着いて、言うべきことを言うだけだ。
「君は、ここで働く決心をした。そうだね?」
「はい、もちろんです」実際は「落ちてもいいや」くらいの決心なのだが。
「――そうか。あの求人を見て、まさか本当に来るとはなぁ」
「あの、僕を名指しした求人のことでしょうか?」
「ああ。正直、ちょっと驚いてるよ」
その割には、マスターの表情はピクリとも動いていない。僕からすれば、目の前に隕石が落ちてきてもこの人は驚くことがなさそうに見える。
「さて、少し話がそれたな。それで、こちらからの質問だが――」
「はい!」来た! ここからが正念場だ!
「叶銘君。一週間以内に、スライムを三匹倒せるかね?」
部屋の中の時間が止まった。いや、僕の思考が一瞬停止していたのか。
この人、スライムを知っているのか? それを倒せと言っているのか? ひょっとして、僕がスライムと闘ったことがあるのも知っているのか?
「――で、どうなんだね?」
ぐるぐるかき回される頭の中に、マスターの言葉が突き刺さる。あやふやな意識の中で、僕は腹話術の人形のように、口をパクパク開いていた。
「は、はい……できます……」
「そうかい。じゃあそれができたら、雇ってやる」
マスターは「これで話は終わりだ」と告げるように、パソコンの前に座って何か作業を始めてしまった。僕は居場所がなくなってしまったようで、ふらふらと立ち上がって「しつれいします」と力なく言い、部屋を出た。
戯流堵の戸口まで来たところで、テーブルを拭いているジョンさんがこちらに気づいた。憔悴し切った僕の姿を見て、どんな言葉をかけるか逡巡していたようだが、とびきりの笑顔でこう言った。
「またのお越しをお待ちしてマース☆」
今度来るときは、普通に客として来よう。軽く会釈して、この魔窟を出た。
涼しげな風が、励ますように僕の背中を押してくれた。




