十話【戦いの余韻】
二人掛けのソファに腰を沈め、父さんはギターを弾いていた。その隣に、小さな男の子と女の子が寄り添って座っていた。決して上手とは言えないその演奏に、その子たちは目を閉じて心地よさそうに聴き入っていた。忙しなく手足をパタつかせ不揃いなてリズムを刻んでいる。
それは、幼いころの僕と彩音だった。よく見ると、父さんの顔もどこか若々しい。そうか、これは過去の映像なんだと合点がいった。
父さんは機嫌を良くしたのか、歌を口ずさみ始めた。
《僕は子供とにらめっこしていた。君はすぐに吹き出しちゃって、そのあと悔しくて泣いちゃうのさ》
父さんがもっと若かった頃に流行った曲らしいが、小さな彼らにはまだわからない。それでも自分の父親が上機嫌になっているのを感じ、感化された彼らはより笑顔を膨らませた。
キッチンから母さんの歌声も聞こえてきた。明るく澄んだ歌声は、父さんの歌声を下から支えるようだ。二人の歌声が柔らかな旋律を描き、聴きいっていた子供たちは、いつの間にか眠ってしまっていた。子供の寝顔を見て、頬を緩める両親。
そこには確かに幸せな空気が満ち、幸せな未来が描かれていた――。
月明かり差し込む和室の中、僕は畳の上で目を覚ました。首をもたげて、ぺりぺりと畳にくっついた頬をはがす。
「……そうか。あの後、眠っちゃったんだな」
ダルさの残る上半身を起こしかぶりを振る。母さんの部屋はスライムとの死闘で荒廃を極めている……そのはずが、何事も無かったかのように整然としていた。確かに自分の拳でぶち抜いた父さんの遺影までも、黒光りする仏壇の中でにっこり笑っている。体を見渡してみると、痛みもなく、溶かされたシャツやズボンも元通りだ。
夢……だったのかな? 全ては自分の夢の中の出来事で、スライムなんて化け物はいなかった。ひょっとしたら、魔王なんて言うのも夢だったのでは……そう思ってしまう。
《僕は子供とにらめっこしていた。君はすぐに吹き出しちゃって、そのあと悔しくて泣いちゃうのさ》
これは、歌声? 夢の中で聞いていたあの懐かしい曲が、リビングから聞こえてきた。
「……父さんなの?」
混乱する頭のまま、歌声に誘われるように部屋を出た。
そこにいたのは父さん……ではなく、襤褸に全身を包んだ長身の男だった。フードを目深にかぶって表情はほとんど見えないが、声と口元の皺の深さからかなりの高齢だということがうかがえる。ギターは持っておらず、代わりに僕の愛用のコップでコーヒーを飲んでいた。豊かな銀色の顎鬚が、コーヒーに浸されそうになっている。
「やあ。やっと目が覚めたんだね」
低く響く声が、ひげに覆われた口元から発せられた。その優しげな声は、僕の警戒心をゆっくりとほどいていった。その声に引っ張られるように、一歩一歩前へ踏み出す。
「あの、あなたは……?」
「綺麗になったろう。全部、儂が片づけておいたんじゃ」
僕の質問には答えず、老人は少し自慢げに言った。
「ああ。どうやって……とか、方法は訊かんでくれよ? まあ、普通の力じゃないのは確かじゃ。君の持っていた、コレと似たようなものじゃな」
そう言って彼は、懐から銅剣を取り出して僕に放り投げた。慌てて受け取ると、それはまさに、僕が先ほどスライムを葬った剣だ。
「面白い武器じゃなぁ。鏡治君が遺したというだけはある。まあ儂には、使い方がとんと見当つかないのじゃが……」
「父さんの知り合いなんですかっ?」
詰め寄る僕を、老人は片手で制した。そしてゆっくりと首を横に振る。どうやら、素性を語るつもりは無いらしい。手を伸ばせば届くところにある情報が手に入らす、奥歯をかみしめた。
「そう焦るでない、叶銘君。物事には順序というものがあるんじゃ」
「順序? 順序って何ですか!」
「焦るでないといっておるじゃろ……」静かな、しかし力強い声で僕をたしなめる。それでも何か反論しようとするが、口を開くことすらためらわれた。
コンと、老人は空になったコップをテーブルに置いてゆっくり立ち上がる。「待って!」と発することもできず、その場で不格好に腕を伸ばすだけだった。
背を向けた老人が玄関ドアを開ける。神木家から出ようとするその老人は、振り返ることもせず言葉を残した。
「儂の名はチャップマン。行商人じゃ。君が諦めなければ、また逢うこともあろうて……」
老人は握りしめた拳から、グッと親指を立ててこう言った。
「この世界を救うのじゃ、勇者よ」
ローブに包まれた後ろ姿は、サラサラと砂のように夜空へ溶けていった。




