九話【叶銘の武器】
鈍い緑色に錆びついた銅剣だった。指で撫でてみると、ざらついた感触がその切れ味の無さを物語っている。どうみても、ただの鈍だ
刃渡りは三十センチ強。柄まで合わせて五十センチだろうか。形はアルファベットの“T”が少しいびつになった感じ。もう少し付け加えるなら、西洋の剣のツヴァインヘンダーをぎゅっと圧縮したような形だろうか。柄に嵌っている状態を見るのは初めてだが、確かにこうして見ると立派な剣だ。
しかし最大の疑問が残る。果たして、この錆びついた剣であの化け物を倒せるのだろうか?
シュウシュウという音が耳に入り、リビングと母さんの部屋とを仕切る襖に目を向けた。家の中に侵入したゼリーが、すぐそこまで迫ってきている!
僕は、しっかりと二本の足で畳を踏みしめた。右手で銅剣の柄を握り、いまだ痺れの残る左手をそっと添える。疲労感に満たされた身体に喝を入れる。
この銅剣が力をくれた。絶体絶命の状況で登場した、唯一の武器。恐怖で腑抜けになった僕を、一人の戦士に昇華してくれるようだ。闘志が湧く。力が滾る。恐怖を勇気に換えてくれる!
「来るなら来い、ゼリー野郎!」
自分を鼓舞するように叫び、銅剣を胸の前に構えて前方をにらみつける。
パアァ……
突如、視界の下の方から青白い光が浮かび上がった。
僕の手にする銅剣、その刃に光の筋が走っていた。それもただの筋ではなく、カッカッカッカッと、彫刻刀で削り出したかのように荒い線がその刀身に刻まれていく。
驚きに目を離せない僕の前で、その光は線を書くことをやめた。そして刀身に残る光の線は、ある一つの単語を示していた。
「ゼリーヤロウ」少々読みにくいが、確かにそう書かれている。
敵を目の前にした状態で、僕は頭を回転させた。なぜ急に、こんなことが起こったのか? これはまさか、この武器に隠された秘密の能力なのではないか?
「――そうか。僕が『ゼリー野郎』って言ったから、それにこの剣が反応したんじゃないか?」
この光の文字が発生したのは、確かにそのタイミングだ。おそらくこの剣は“僕が発したモノの名前”を聞いている。他にもいろいろな単語が含まれていたが、その中で“ゼリーヤロウ”を選択したのは、それこそが倒すべき敵だと剣が認識したからかもしれない。
しかし、まだわからないことがある。単語を刻み込んで、だから、どうなるというのだ?
べちゃり。その音に我に返る。襖を溶かして穴を開けたゼリーは、その丸い体をこの和室に滑り込ませた。そして「もう鬼ごっこは終わりだ」と言わんばかりに、間髪入れず僕の体めがけて飛び跳ねた。
考えている暇はない! 胸の前に剣を突き出し、その光り輝く刃を化け物に向ける。
来い、ゼリー! 僕の体を溶かす前に、この剣の餌食になってしまえ!
跳びかかるゼリーが体の中にその刃を迎え入れた瞬間、力なくその場に崩れ落ちる。
そんな光景を期待して、しかしそうはならなかった。剣はゼリーを突き刺すというより、ただ飲み込まれただけ。勢いの衰えないそれは、そのまま僕の両腕、次いで胴体を完全に覆い尽くした。
「――――――――ッ!!」
痛みに悶える獣のように、声にもならない悲鳴を上げていた。
それでも踏みとどまった。頭の中でバチバチと火花を飛ばしながらも、全身にまとわりつくゼリーを弾き飛ばす。壁に、畳に、タンスに、机に体を打ちつけてその粘着質な液体を振りほどいた。
ゼリーはぶちまけた水のように散らばった。が、その破片たちはプルプル震えながら、自分の近くにいる破片たちと手当たり次第に合体していく。このまま放っておけば、また巨大な塊に元通りだ。
しかしこちらは元通りといかない。全身は火で炙られたように爛れ、服なんかはほとんど溶けて裸同然の格好だ。それでも、握りしめた銅剣だけは手放さない。この剣は、今や僕の勇気の具現だ。
しかしいつの間にか、銅剣からは光が消えていた。
「何も……起きなかった……?」
やはり、使い方を間違えていたのか? ゼリーにダメージを与えた様子はない。連中は今や、それぞれ拳大にまで合体を終えている。
「『火』とか『雷』とか言えば、それが出てくるのか? いや、それならさっきはゼリーが出てこないと話が合わないか……」そんなの出てきてもらっても困るのだが。
いくら考えても、正解なんてわからなかった。僕の体力ももう限界だ。次の攻撃を受ければ、もう二度と立ち上がることも敵わないだろう。崩れ落ちそうになる膝を押さえ、僕はぎゅうっと、もう一度強く剣を握った。
ちゃんちゃかちゃんちゃ、ちゃんちゃんちゃん♪
ちゃんちゃかちゃんちゃ、ちゃんちゃんちゃん♪
覚悟を決めた僕の耳に、気の抜けるBGMが届いた。
ええいなんだ、この大事な時に! 憤慨しながらも、震える左手で包み込むようにポケット内のスマートフォンを取り出した。ゼリーの酸らしき攻撃を受けてもしっかり稼働するスマートフォンに感心しつつ、突然の電話に出た。
『あ、神木先輩! さっそく電話してみちゃいました♪』
電話の相手は美津姫だった。着信音以上に、そのハイテンションボイスに力が抜ける。美津姫は一回生、僕は二回生なので“先輩”が付け加えられている。
「悪いけど美津姫さん、僕は今たいへ――」
『実はですね実はですね。私、あの後酔っ払いさんの家に行って、お話を伺ってきたんです!』
「ああ、あの『巨大ナメクジを見た』って人か」その巨大ナメクジは、今、僕の目の前で合体を繰り返しているのだが。それにしても、オカルト的なものになると行動力がすごい女の子だ。
『ですです! もっと詳しく話を聞いているうちにぃ、私、その正体がわかっちゃったんですよ!! きゃー♪』
いや、悲鳴を上げたいのは僕の方なんだ。
「――で、その正体ってなんだったのさ」
『ふふっ、なんだと思います? そ・れ・は…………なんと、あのスライムちゃんだったのです! モンスター界のマスコット、スライムちゃん!』
「はあ、スライム……」
それなら僕だって知っている。今まで遊んだテレビゲームの中にも、スライムの名を冠するモンスターは何種類も出てきた。なるほど、あれが実体化すると、こんなでっかいゼリーみたいな面白みのない奴になるのか。国民的RPGのスライムは、もっと愛嬌のある顔をしているのだが……。
スライム……まさか、それが正解か? 根拠のない自信に胸が熱くなる。
『でも、私の想像していたスライムちゃんと、ちょっと違うみたいなんですよねぇ。可愛くないしぃ、それに――』
「わかったありがとう! それじゃまたね!」
『あ、ちょ――』呼び止めようする美津姫には悪いが、素早く電話を切る。
ゼリー改めスライムを見据えた。口元に剣を近づけ「スライム」とつぶやく。やはり先ほどと同じように、光の筋が鋭く刻まれていく。使い方はわかった。問題は、これが正解かどうかだ。
目の前のスライムは一つの塊になり、身構えるように小刻みに震える。月の光を反射し、テラテラと妖しい光沢を放っている。再び胸の前で輝く剣を構え、腰を落とす。
「――さあ、答え合わせの時間だ」
ドッドッドッドッドッドッ!
エンジンのように心臓が鳴り始める。血液のガソリンが体の隅々まで循環する。「戦え!」と、全神経に命令が下される。
僕とスライムは同時に跳んだ。スライムは丸い体を風呂敷のように広げ、頭から足先まで覆わんとする。それに対して、僕はただまっすぐに腕を突きだした!
届け! 届け! 届け! 届けぇッ!
視界が影に覆われる中、剣先がチョンとスライムを突く。
浅い……!
もう終わりだと観念した時には、スライムは弾け飛んでいた。爆弾で吹き飛ばされたように霧散し、そこには影も形も無くなっていた。ぽっかり空いた空間には、浮遊するホコリが月明かりを受けて力なく漂っているだけだ。
「ははっ、すごいや……」
腕を伸ばしたままの姿勢で、その場に倒れ込んだ。ぼんやり霞んでいく視界の先では剣の光が消えていく。戦いの終わりを実感しながら、その場で気を失った……。




